交換日記の続け方 二冊目

水城しほ

交換日記の続け方 二冊目

 隣の家に住む、初恋の女の子が、俺を三年も無視している。

 子供部屋が隣り合わせで、いつだって窓を開ければ手が届く場所にいたのに、今はカーテンが常に閉まったままだ。

 同じ大学に受かったんだよ、同じマンションに越す予定だよ――そんな言葉を告げることさえできない、他人よりも遠い関係になってしまった。

 馬鹿なことをしなければ良かったと、分厚いカーテンを見るたびに溜息が出る。

 今更何をどうやったって、元に戻れるはずなんてない。


 全ての発端は、まだ子供だった頃の俺が、変な意地を張ったことだった。

 小さい頃は「大きくなったらマコトのお嫁さんになる」と言ってたアカリが、小学生になった途端に「マコトは好きな子いるの?」なんて聞いてくるようになって、つい別の子の名前を出してしまって――告げる名前を時々変えながら、中学を卒業するまで延々と嘘を吐き続けた。何のことはない、アカリに妬いて欲しかったのだ。

 それなのに、いつだってアカリは、俺の嘘っぱちの恋を応援してくれた。

 俺のことなど何とも思ってないと、そう言われ続けているようだった。

 だから、他の女の子と仲良くなった。アカリとは別の高校に入学して、まだ一ヶ月も経たない頃のことだ。

 同じクラスになったナルミは、小動物みたいな雰囲気の女の子だった。彼女は放課後に俺を呼び出して、何故か「好きだった人にすごく似てて気になる」などと正直すぎる理由を添えて、交際を申し込んできた。

 その告白が面白くて、アカリの代わりにするのも悪くないと思ったから、俺はふたつの条件を出した。

 高校を卒業するまでの関係であること。

 セックスの時は「アカリ」と呼ばせて欲しいこと。

 そうしたら、ナルミは嬉しそうに「じゃあ、私もキミをコウくんって呼びたい」と言った。つまり、お互いに相手を想い人の代わりにしているだけで、そこに恋愛感情はなかった。


 初めてナルミを家に呼んだ日、俺たちは違う名前で呼び合いながらセックスをした。わざとカーテンを閉めないままの行為。気が付けば窓の向こうで、アカリが俺のセックスを見ていた。

 俺の大好きな女の子が、とろけそうな顔をしていた。

 その表情に興奮した俺は、目の前のナルミをぐちゃぐちゃに抱いた。

 事が終わって、ナルミが帰った後にアカリへ声をかけたら、平気な顔で「見せんなよ」と笑っていた。それなのに、その日の夜から無視されるようになった。窓のノックに反応しないのはもちろん、電話もメッセンジャーアプリも、連絡手段の全てを無視されることになった。

 自業自得だとは思いつつも、その唐突な距離の置き方は、到底納得できなかった。


 ナルミを部屋へ連れ込む度、常にこちらのカーテンは全開にしていた。窓際に置いたベッドの上で何をしてるのか、至近距離で見せつけてやったら、少しぐらいは感情を揺さ振れるかもしれないと思った。

 アカリはいつも、自室のカーテンの隙間からコソコソと覗いていた。最初は偶然だったんだろうけど、二回目からは明らかに、俺のセックスを見ようとしていた。気配は毎回感じていたものの、この目でアカリの姿を捉えることはできなかった。目が合ったら逃げられてしまう気がして、迂闊に視線を向けられなかった。

 もどかしくなった俺は、ナルミの許可を得て、ベッドを撮影することにした。窓も一緒に映り込むようにカメラをセットすると、俺たちを覗くアカリの姿がしっかりと録画されていた。

 俺のセックスを見ながら、ひとりで気持ちよくなってるアカリは、めちゃくちゃ可愛くてたまらなかった。


 その動画を自室で見ていた時、ものすごい勢いで窓がノックされた。

 もちろん、アカリしかこんなことをするやつはいない。俺は窓に向かって待てと叫び、動画を止めてモニターの電源を落とし、慌ててカーテンを開けた。

 窓の向こうには、久しぶりに間近で見るアカリの姿があった。

 短かった髪が肩まで伸びて、なんだか大人びて見えた。


「よう、三年ぶりじゃん」


 平静を装うので精一杯だった。今までたっぷり痴態を見せつけておきながら、いざアカリを目の前にしたらこれだ。冷静さなんてどこかに吹き飛んでしまって、もはや何を言えばいいのかもわからない。昔はこんなことなかったのに。

 アカリはわざとらしく首を伸ばして、俺の部屋を覗く仕草をした。逆に覗き返してやると、どうやら荷造り作業の真っ最中らしく、普段は片付いている部屋がダンボールで埋め尽くされつつあった。


「今日は連れ込んでないんですね」

「そんなに毎日連れ込まないよ、アカリは俺を何だと思ってんの」

「健全な青少年」

「それ、微塵も思ってないよな。彼女は関西の大学に決まったから、引越しだなんだで忙しいんだよ」

「あ、つまり振られた?」

「まだ振られてないって!」

「きゃははっ」


 昔と変わらない口調のアカリが、俺に合わせて笑ってくれる。わざわざ何の用なんだろう、大学のことを聞いたんだろうか。

 なあ、昔みたいに仲良くしてくれよ。おばさんに頼まれて同じマンション借りたんだ、何かあったら頼ってくれよ――そう伝えようとした瞬間、アカリが何かを投げつけてきた。

 俺の胸にあたってベッドに落ちた、見覚えのあるそのノートは、小学生の頃に少しだけやり取りをしていた交換日記だった。


「おっ懐かしいな、やってたなぁこんなの」

「最後こっちで止めてたから、書いといた」

「マジで」

「最終ページだから、これで終わりね。それじゃ」


 アカリは用件を言い終えると、ぴしゃん、と音を立てて窓を閉めた。カーテンをひく音もバッチリ聞こえて、それが拒絶のように思えた。


「待てって!」


 何度も窓をノックしたけれど、アカリが顔を出すことはなかった。

 この三年間、何度も繰り返されてきた「無視」という行為。一瞬だけ未来を夢見た分、余計に失望が色濃くなる。

 身勝手な期待は、いつだって裏切られる。

 すがりたい希望は、踏みにじられる為にある。

 それでも、もう、アカリを諦めたくなかった。本当に俺のことを嫌っているのなら、こんな日記を投げてきたりはしないよな? わずかな光を抱き締めるような気持ちで、日記帳の最終ページを開いた。


『見せつけるのは、もうやめてね!』


 たった一言、それだけが油性ペンで殴り書きされていた。

 うそだろ、と声が出た。だって『もうやめてね』も何も、アカリはもうすぐその部屋を出て行くじゃないか。見せつけたくてもできないんだよ。窓の向こうに存在を感じていた日々は、もう終わってしまうというのに。

 アカリが出て行くことを、俺が知らないとでも思っているのか。

 そしてアカリは、このまま縁が切れればいいと思っているのか。

 いいや、違う。わざわざ日記なんか投げてきたのは、俺に忘れて欲しくなかったからだろ?

 だいたい、何が『もうやめてね』だよ。今にも蕩けそうな顔をしていたくせに。めちゃくちゃ気持ちよさそうな顔して、俺のセックスを眺めていたくせに。あんな可愛い姿を見せてくるから……だから俺は、ずっと諦めることさえできなかったんじゃないか。三年間も無視しといて、そのくせ毎回覗きやがって、しかも最後にこんなものまで投げつけてきて――このまま、何事も無く終わると思うなよ!!

 俺は机の上のボールペンを掴んで、裏表紙の内側に返事を書いた。


『見てるだけじゃ物足りないよね?』


 お前がどんな顔で俺を見てたのか、ずっと前から知ってたんだぞ。きっと自覚さえしてないアカリに、それを伝えてやりたかった。自分が何を見て喜んでたのか、それがどういうことなのか、おそらくアカリはわかっていない。

 あの時のアカリは絶対に、俺とのセックスを想像していた。ナルミと自分を重ね合わせて、ぐちゃぐちゃに抱かれる想像をしていたのに決まっている。そう確信してしまうくらい、完全にだらしない表情をしていた。

 俺を好きだってわけじゃなくても、身体には興味があったんだよな?

 自分が好かれてるなんて思いもしてないくせに、俺に抱かれたかったんだよな?

 正面から聞いたところで言うはずもないけれど、あの可愛い唇に「マコトとセックスしたいです」って言わせてやりたい。何とか本音を吐かせられないだろうか。

 俺はスマホを手に取った。

 本当はもう、終わりにするはずだったけれど。


『ナルミ、ごめん。もう一回だけヤラせて』


 簡潔なメッセージを送ると、すぐにナルミから『いつ?』と返事が来たので、俺は三日後を指定した。アカリの荷物を運び出す日だと聞いている、その日なら逃げられないだろう。

 もう、このまま終わるつもりはない。どうせ嫌われているのなら、罪状が多少増えたところで何も変わらないのだ。腹立たしさも苦しさも、全て伝えなきゃ気が済まない。そして同じくらい、アカリの本音も聞きたかった。どんな気持ちで無視していたのか、絶対に白状させてやる。そうしてお互いの全てを、きちんとさらけ出すことができたら――俺の全てを、くれてやる。この身体も心も人生さえも、ひとつ残らずアカリのものだ。

 だからお願いだ、アカリ。俺が欲しいと言ってくれ。

 俺はもう一度ボールペンを握り、日記の返事に一言だけ書き足した。


『二冊目につづく』


 それは俺の祈りであり、そして確信でもあった。こんな風に書いておけば、きっとアカリは二冊目を持ってくる。

 交換日記を通してだったら、おそらくアカリは無視などしない。わざわざ最後のページを埋めたことには、アカリなりの意味があったはずだから。

 いったいどんな答えが返ってくるのか、渡す前から楽しみで、笑みが溢れて止まらない。あれだけのことをしておいて、今更「幸せにしてやる」だなんて、口が裂けても言えないけれど――たとえ身体だけだとしても、アカリに求められたかった。


「全員揃って、馬鹿ばっかりだな」


 ひとりの部屋で呟いたって、誰からも返事なんざ来ない。

 俺はカーテンを開けたまま、もう一度モニターの電源を入れ、止めていた動画を再生した。

 蕩けた表情のアカリは、めちゃくちゃ可愛くて堪らなかった。


(了)

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