第一章⑪

 駅に向かう道中、礼央との間に会話はなかった。

 さっきは少し怒っているように感じたけれど、礼央の横顔は涼しげで、すっかりいつも通りに見える。

 そもそも、爽良は礼央が怒っているところなんて見たことがなく、今となれば、勘違いだと思えなくもなかった。

 爽良は黙って歩きながら、ぼんやりと、さっき御堂に言った「解決しなきゃいけない問題」のことを考える。

 中でももっとも悩ましいのは、言うまでもなく父のこと。猛反対されるのは確実だし、怒鳴る父を想像しただけで心がどんよりと重くなった。

 そして、それ以外にも爽良にとって重要な問題がある。まさに、隣を歩いている礼央のことだ。

 鳳銘館にいたいという意思ははっきりしたものの、それはつまり、もうこれまでのように礼央と会えなくなることを意味する。

 もう二人ともいい大人だし、いつかはそんな日が来るだろうと思っていたけれど、いざ現実味を帯びると心細くて仕方がなかった。

「──おじさんに、なんて言うの」

 ふいに問いかけられたのは、帰りの電車の中。

 ぼんやり考えごとをしていた爽良は、ハッと我に返った。

「えっと……、まだ、考えてない」

「そう」

「……どうして?」

「援護、必要だったら言って」

「援護……?」

 それは、少し意外な申し出だった。

 驚く爽良を他所よそに、礼央は携帯ゲームを開き、もはや爽良の言葉を聞いているのかどうかすらわからない。

「……ありがとう」

 爽良はひとまずお礼を言い、シートに背中を預ける。

 休日に電車に乗ることはほとんどないが、夕方なのにずいぶんいていて、なんだか知らない場所に向かっているかのような錯覚を覚えた。

 まるで、自分の状況を反映しているようだと、爽良は思う。──そのとき。

「このゲーム、仕事で少しだけ関わったんだ」

 いつも通り唐突なタイミングで、礼央は携帯の画面を爽良に向けた。

 そこにはCMでよく見るタイトルが表示されていて、爽良は思わず身を乗り出す。

「え、すごい……。ゲームの仕事もするの……?」

「あまりしないけど、大学時代の先輩に頼まれたから。その人、フリーエンジニアの中では最高峰と名高い技術者なんだけど、ある日を境にバッサリ受注を減らしたから、得意先だった会社が悲鳴を上げてるみたい。なんでもその先輩、突然不動産会社に就職したらしくて」

「不動産会社に……? エンジニアとしてってこと?……そんなに高い技術を持ってる人が突然いち企業にって、なんだか少し珍しいような」

「ね。ま、変わった人だよ」

「ただ、個人的にはフリーランスって大変なイメージがあるから、わからなくもないかな……。礼央は全然大丈夫そうだけど」

「俺は手堅い仕事しかしないから」

「……礼央っぽい」

「けど」

 意味深に止まった言葉に、爽良の心が少しざわめく。

 礼央は相変わらず無表情のまま、携帯をポケットに仕舞うと、涼しげな目を爽良に向けた。

「手堅くないことも、たまにやりたくなる。……先輩の影響かも」

 口にしたのは、あまり礼央のイメージにない言葉だった。

「……影響受けること、あるんだ」

 無意識に心の声がこぼれ、礼央のひとみが揺れる。

「……あるよ」

 その返事は、少し切なげに響いた。

 ふたたび会話が途切れる。

 しかし、爽良たちは普段から、互いに途切れた言葉の続きを追求することはあまりない。言わないことも選択のひとつであり意味があると思っているし、おそらく礼央も同じだろうと、なんとなくわかる。

 だからこそ、礼央との会話にはなんのストレスもない。傍にいると、ここだけ世の中のけんそうから遮断されているような安心感すら覚える。

 しかし、──爽良は今日、それを自ら手放す決断をした。

 本当にいいのだろうかと、心の中では今も自問自答が続いている。けれど、ひとつだけはっきりと言えるのは、現状維持を選んだところで、いずれは同じ問題に直面するということ。

 今の爽良には、「手堅いもの」なんて、なにもない。

 だから、いっそどこに向かうのかわからない電車に揺られるような、不安定な心地に身をゆだねる方がむしろ気楽だった。


==この続きはぜひ書籍版でお楽しみください!==

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大正幽霊アパート鳳銘館の新米管理人 竹村優希/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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