第8話 茫然自失

 朝登校すると、学園内の敷地にある寮から出てきた百歌もかと遭遇した。


百木ももきさん、おはよう! 今日はまるで気高い真っ白なカサブランカのような気品を漂わせているね」


 相変わらずどこで覚えたのかよく分からない、口説き文句を言われて蒼衣あおいは苦笑した。


 気品があるように見えるとすれば、また百歌から何か恐ろしげなものが飛び出やしないかと、身構えてる緊張感からだろう。


歌越うたこしさん、昨日はこの本を貸してくださって、ありがとうございました」


 封筒に入れた自分の同人誌を百歌へ返した。中身はもちろん読んでない。読まなくても、セリフから他の人が見落としそうな細かい描写まで頭に入っているから。


「どうだった? 楽しめたかい?」


「ええ。興味深かったです」


 自分の本を褒めるのも貶めすのもおかしな具合なので、無難な言葉でやり過ごした。


「三味線を弾く主人公の漫画は珍しいだろう。百木さんでもあまり知らないんじゃないかと思ったんだ」


 まさにそう思っていたからこそ、その話を描いたのだと言いたくなる気持ちを飲み込んだ。


「そうですね。三味線は珍しいかもしれません」


「そうだ、実はね今日も百木さんに読んでほしい漫画があるんだよ」


 百歌が呑気に話すが、蒼衣は次はどんな飛び道具が出るのかと緊張が走る。


「今日は同人誌じゃないんだ。合唱部の後輩が読んでて気になってね」


 どうやら蒼衣が危惧していた自身の同人誌ではないと知って、こっそり安堵した。そうでないなら、蒼衣の本が出てくることは百パーセントない。


「去年アニメ化された漫画なんだよ。ボクはそのアニメについては知らなかったけど。すごく人気らしいよ」


 そう言って百歌が出した単行本に、蒼衣は一瞬怯む。タイトルは『約束の花園』。紺色のセーラー服に身を包んだ二人の少女が窓辺で見つめ合う表紙だ。


「何故、これを私に勧めようと思われたのです?」


 蒼衣はなるべく声に感情がのらないように、淡々と百歌へ質問する。何故ならこの漫画はある意味では鬼門だからだ。


「その漫画はスール制度のある女子校が舞台なんだよ。スールになった二人の女子高生の日々を描いた漫画なんだ。百木さんはよく後輩に『お姉様』として、慕われてるだろう。だから、この漫画は百木さんも楽しめると思ったんだよ」


 取り敢えず一通り百歌の理由を聞いて、特に警戒する必要はないようだ。そもそも、自身の本ではないのだから警戒する理由などないはずだ。でも何故か、まだ心がざわついている。まだ百歌が何か手札を隠している。そんな予感に苛まされるのは、昨日の出来事のせいに違いない。


「歌越さんがそこまでおっしゃるのなら、読んでみようかしら」


 心にも思ってないことを言う。読まなくても知っているのに。


「是非読んでみてよ。あとこの漫画の作者、椎名しいな花鈴かりんはどこか青野あおの桃花ももかと絵柄が似ていると思わないかい? ボクは絵には詳しくないけれど、何となく近しいものを感じてね。あの同人誌が百木さんと合うなら、『約束の花園』も合いそうだと思ったのさ」


 百歌は極めつけと言わんばかりにウインクしてみせた。ファンの後輩たちが見たら卒倒しそうだが、蒼衣も膝から崩れそうになりそうな身体を何とか残る気力で支えていた。百歌のウインクに射抜かれたわけではない。


(どうして⋯⋯。どうして私とお母さんの絵柄が似てるなんて⋯⋯。無意識に影響されていたと⋯⋯?)


 椎名花鈴は蒼衣の母である。自分の母が漫画家なのは身内以外誰も知らないし、友だちにも明かしたことがない。もちろん百歌も知らないはずだし、学園内にもいないはずだ。


「百木さん、どうかした?」


「⋯⋯いえ、なんでも。そんなに、青野桃花という人と椎名花鈴という人の絵は似てるでしょうか」


「ボクは細かなことは分からないけれど、うーん、なんだろうね、流れている血が似ているような、そんな感じがしたんだよ」


 流れている血は似ているとどころか同じだとは突っ込めない。


「そうですか。まぁ、絵なんてどれも似たようなものかもしれませんね」


 蒼衣は適当に締めて歩き出した。次から次へとどうしてこうも難題が降って湧いてくるのか。今おみくじを引いたら凶を引ける自信があるくらいだ。


「あと、すごいおまけの情報もあるんだよ百木さん」


 喜々として華やかな笑顔を振りまく百歌だが、蒼衣には死の宣告に等しい恐ろしさである。まだ何かあるのか。まだ何か出てきそうだ。笑顔を直視できなくて、思わず目を逸らした。


「漫画に詳しい後輩が言うには、椎名花鈴が趣味で出してる同人誌のゲストに、一回だけ青野桃花が参加したらしいんだよ。噂では青野桃花は椎名花鈴のアシスタントをしてるとかなんとかね。本当のことはボクも知らないけど、本当だとしたら、雰囲気も似てるのは納得さ」


(何でそんなことまで⋯⋯!)


 聞きたくもない話に蒼衣は魂がどこかへ抜け出そうになった。


 確かに一回だけ母の同人誌に頼まれて寄稿したことがある。どうせ誰にもバレないと思ったから参加した。それが今仇になるとは。事実、たまにお小遣い目当てで母の仕事を手伝っている。


「百木蒼衣はもうおしまいです⋯⋯」


 この二日に満たない期間で、隠していたことが百歌に暴かれている。百歌が鋭いのか、それとも蒼衣の運がなかったのか。


「おしまいって急にどうしたんだい?」


「いいえ、何でもありません。ただの独り言です」


「具合が悪いなら保健室へ行こう。ボクが連れて行くよ」


「私は魂の具合が悪いのです」


「???」


 ショックのあまり訳の分からないことを言う蒼衣に、さすがの百歌も戸惑った様子だ。


「歌越さん、この本はけっこうです。私はクリスマスイベントの練習に集中したいので」


 蒼衣はそう言うとそそくさと校舎へ歩いてしまった。


「百木さん、本当に大丈夫かな」


 百歌の呟きは蒼衣に届くことなく、真冬の風にさらわれてしまった。

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蒼い歌と百合の花 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko

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