2025/10/15

 ちょっといろいろ思ったことがあったので、今回はハーフとしてどのような態度であるべきかについてごちゃごちゃと語っていきたいと思う。


 まず前提としてハーフにはいろんな人がいる。

 日本寄りな人、もう一つの母国寄りの人、孤独を感じる人、感じない人、周りに適応できる人、できない人、言語を二つ以上話せる人、話せない人、グローバルに進む人、進まない人、自分のバックグラウンドを憎む人、逆に愛す人……

 本当にいろいろだ。


 例えば「私」を分析してみよう。

 私は幼少期からロシア語を共にし、ソ連時代のアニメや映画を見、本を読んでもらい、歌を歌ってもらった。その影響か、ソ連人的アイデンティティ(※2024/11/14参照)が姉弟の中で一番強いのはおそらく私だろう。実際現在もロシア語を大学で学んでいるのだから。で、大学は今や最も安心する場所の一つだ。

 世界を見たい、グローバルに働きたいなんて思ったのはもううんと昔であるし、やはりそこは幼少期にロシア語話者や英語話者と楽しく話せたという経験があるからだろう。


 兄弟①

 彼はソ連アニメを見て育ったが、ロシア語がまったく話せない。顔もヨーロッパ人みたいなのだが(なぜか皮膚の色は一番濃い。遺伝子って面白いですね)、性格は非常に日本人らしく、3人の中で一番日本人としての適応力が高いと思われる。嫌な経験もしたことはあまりなく、それはおそらく女子と比べて男子のほうがあまり人との違いを意識しないタイプだからではないかと思われる(たぶん)。

 それでも持ち前の耳の良さ(言語学観点から解説するとと幼少期から多言語聞いていた人は発音の違いを一般人よりも聞き取れるという事実があるのだ)を活かし、英語学習に専念している。

 やっぱり発音は同級生よりも良いものとなっている。

 だから将来駐在とまではいかないが、プチグローバルな職業につくだろう。


 兄弟②

 この子は不思議な子だ。彼はソ連アニメを見て育つことはなかった。それは主にソ連アニメを見ていた私がもうそのころには大きくなっていて、流しっぱなしなんていうことがなかったのだ。

 それから理系なこともあり、言語はてんで苦手である。ただまた同じことになるが、耳の良さはちゃんとあるのだ。だからスピーキングはそこまで苦労しないだろう。……単語が覚えられれば。


 こういう状態で育ってきたのに、実はこの子は日本への適応能力が一番ない。彼は集団主義を嫌い、好き勝手に物事をやり、そのためかクラスで浮いている存在になっている。

 しかし、カリスマ力を持ち合わせているためか友達は一番多い(一番少ないのはたぶん私(;'∀'))


 とはいえこの子の将来は思いやられるところだ。




 このように様々な態度を取る我々で、嫌な経験もまあまあしてきたことがあった。

 でも一つ確かなことがある。それは少なからずハーフとして生きることには、メリットがあることだ。


 この日記ではネガティブなことをぐちぐち書いてきたので勘違いされている読者様も多いと思う(し、申し訳ないと感じている)が、私はハーフでいて総合的にはよかったなと感じている。

 ここでは私が個人的に感じるメリットというのを記しておこう。


 まず就職活動の楽さが全然違う。他国の経験や言語を持つ人材は(戦時中にもかかわらず。まあ私が英語がわかるのもあるかもしれないが)求められるらしいのだ。だから企業側がそういう人を求めていたらすぐにぽんぽんと選考が進む(なおこれは私の勝手な推測であり、選考が進むには他の理由があるかもしれない)。



 それから周りの人より何倍もの知識を持ち合わせていることだ。やっぱり言語とか事前知識がないと自分のステレオタイプ的思考から抜け出すことは、普通の一般人にはなかなか難しいのではないかと私は考えている。それは責めるべきことではないし、ある意味仕方がない。


 その点、私の思考はまあまあ柔軟(なはず)だ。ただ柔軟すぎるせいで、どっちを信じるべきか、どっちを「正しい」とし「支持するべき」かわからなくなり、結局無関心を決め込むこともある(まあ別にこれを特に間違っているとは思わないが)。


 イスラエル・パレスチナ問題はまさにそれだ。一応学校で勉強したには勉強したのだが、歴史なんてどうせなにかが原因で歪んでいるため真実まではよくわからない。そのため普段あまり首を突っ込まないようにしているが、ときたまイスラエル側の意見を聞き、アラブ人たちの声も聴く。でも結論は「わからんのう」で終わる。



 あとは自己理解が深まることと外国人と仲良くできることだ。


 自己理解:やっぱり他人と違うところが多いので、自分がなぜそう考えているのか、なぜこんな性格になったのか、なぜこれを好きになったのかなどについて考える機会が多いのだ。

 つまり常に自己分析をしているのである(就活が楽な理由にもつながる)。


 外国人と仲良くできる:ロシア(ソ連?)それともスラヴといったほうがいいのかわからないが、ヨーロッパに近い風習を持ち合わせ、それに対する文化理解が身についているため、欧州で私はするっと適応できてしまうのである(もちろん一般的な日本人と比べてだ。本物の欧州人と戦ったら私は木っ端みじんになるだろう)。

 これはイギリスに短期留学へ行った時に身に染みて感じた。現に私は向こうの教授の一番のお気に入りだった(たぶん)。

欧州だけじゃなく、もともと「違う観点がある」ことと「ステレオタイプの危険性」についてはよくわかっているので、外国人の話はよく聞くようになり、質問にも気をつける意識がつく。


(えー、ちなみに言っておくと容姿的メリットは一切なかった。なぜなら皆が想像するロシア人ハーフというのは、ロシデレの美しい銀髪アーリャさんかと思うが、私の髪は鉄の錆みたいな色で、体がデカく、はかない美少女どころか「殴り倒すぞ」みたいなオーラが充満したヴァイキングみたいなので、お世辞以外の「かわいい」は言われたことがなかった((あの女子の嘘っぱちのお世辞が嫌いなんですけどどうにかなりませんかね))まあでもハーフ顔的ステレオタイプはやめたほうがいいですね。私はたまたまステレオタイプに近い外国人みたいな顔をしていたが、そうじゃない人なんていっぱいいるからね)。


 こうやってどれも(自分の体系だけに)デカいメリットを述べてきたが、それでも私がハーフであることの被害者面ヴィクティムカードを振りかざすことはあった(というか現にこの日記でしているかもしれない)。


 これはとてもやってはいけないことだと個人的に感じているが、つい「どうせハーフだからあ、そういう態度とるんでしょお」というカスみたいなことを言ってしまうことは少なからずあった。特に小学生とか中学生とかいう、ちょうど反抗期の時期がひどかったと思っている。

 でも中学3年の時に「そうやって都合のいいときだけハーフ要素を出すんじゃねーッ!!」と同級生の男子に怒られたときにハッとして態度を改めることができたので、あの子には感謝しています。



 ハーフには辛いときが人一倍ある。じろじろ見られるし、同級生には「ガイジン」「北方領土返せ」と言われ、誰かに初めて会うたびに「ハーフ?」「どこのハーフ?」「いつ日本に来たの?」とかいうもう答えるの何百回目ねんという質問を浴びせられる。


「私もハーフだったら、英語ができたのかな」


「ハーフは恵まれている」


 こういう嫉妬もまあまあ来る。


 それでも我々は安易に被害者面ヴィクティムカードを使うべきではない。それは弱さだ(現在アメリカで起こっている逆差別問題はまさにこれだ)。

 ハーフが恵まれているのは真っ当な事実だと私は考える。デメリットもあるが、メリットの方がやっぱりデカい。だからこういうことで「差別だ」とぴーぴー怒るより、相手を「かわいそうな一般人」として憐みの目で見るのがよい。それが真の強さだからだ。

 自分のせっかくの特徴をマイナスとして捉えるのはよくない。プラスに変換し、自己を活かして戦え。自分のメンタルを鍛えろ。私のメンタルはこの経験のおかげで結構強い(はず)。


「私もハーフだったら、英語ができたのかな」

 なんて言われたら

「言語学的観点で言えばそうだったと思うよ。ドンマイ☆」とでも答えておけばいい。

 そうすれば意味わかんない嫉妬は去っていく。


 私は被害者面ヴィクティムカードには反対気味だが、その何も知らない連中のために、日本社会に無理やり溶け込もうとすることにはもっと反対だ。

 それは自分に対する冒涜だ。この世にいる全員は少なからず自分のバックグラウンドを愛し、誇りに思い、社会で立ち回るための武器として使うべきなのだ。

 もしそれを社会に適応するために抹殺するのだとしたら、それは負けである。


 というかもったいなすぎる。せっかく偶然ハーフとして生まれたことで得たものを、学生の頃にちょっとなんか言われたからって捨てるべきではない。ガチのいじめがあったなら話はまた変わってくるが、それでもいじめっ子相手に負けるべきではない。

 


 そして一番大切なこと。

 我々がいくら自分の容姿を隠し、特徴や能力を抹殺しようとも我々は異物として認められ続ける。この運命をかえることは


 絶っっっ対にできない。


 圧倒的無理。不可能だ。

 自分を偽ろうものなら、いつかあなたは理想と現実のギャップに苦しみ、身を滅ぼすことになる。だからこんな馬鹿らしいことさっさとやめたほうがいい。


 ちなみに私の経験から言わせてもらうと、日本社会でもっとも手っ取り早く認めてもらう方法は高い学歴の大学に合格するk((殴





 まあ、これはやはり両親に愛された自分だから言えることなのだろうか。両親に否定されて育った人はどうしても、心にかつて両親から言われた嫌な言葉が響いているのだろう。


 それでも自己愛は両親が固めるものではないと思いたい。自分が咲かせるものだ。



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2026年10月14日 00:00

僕の戦争 西澤杏奈 @MR26

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