十二話 もっと優しくなれるかも

 今朝も快晴だ。


 華都はるとは、既製品のピザトーストと紅茶の朝食を済ませ、スクールバッグを引っ掛けて玄関を出た。


 外階段を降りる前に――ふと、隣の三号室を見る。

 いつものように、窓のカーテンは閉まっている。


 昨夜――無事に依頼を果たし、舟洞彩葉いろはと一緒に馬車で帰宅した。

 彼女は、子どもたちを寝かしつければ仕事は終わりだと言った。

 

 夜に出勤し、子どもたちの世話をし、帰宅する。

 三号室の在る場所の――この世ならぬ異界で、彼女は暮らしているのだ。

 自宅では食事を作り、洗濯をし、編み物でもしているのかも知れない。

 しんみりしていると――


「……おはよっ」

 後ろから声を掛けられ、華都はるとは「げっ」とひしゃげた声を出した。

 声の主は大家で、朱色のセーターにデニムのロングタイトスカート姿だ。

 茶色のゆるふわカールの髪が、風に揺れている。


「あ……おはようございますっ」

 頭を深く下げつつ、礼を言う。

「あの、おにぎり美味しかったです。ありがとうございますっ」


「……無事に、依頼人を成仏させてあげたようだね」

「はい……何とか、上手くいったようで……」


 顔を上げた華都はるとは、しかし口をへの字に曲げる。

 方丈凛々子は、瞼を少し伏せて微笑んだ。


「分かってる。三号室の住人について、聞きたいんだよね?」

「はい……」


「舟洞さんは、恋人が生きていると信じ、自分の死を認識できずに現世で暮らしている。こういう霊には、『あなたは死んでいます』は禁句なんだよ。その言葉に衝撃を受け、消滅してしまうかも知れない」

「……舟洞さんは、ずっと前からこの場所に?」


「いや。彼女は、昔は東京に住んでいた。ここに移動させた」

「まさか……お知り合いですか?」


 そんな訳はない、と思いつつも訊ねる。

 大家の正体は不明だが、人外である可能性を否定できない。

 こうして陽光の下で活動しているので、幽霊とも思えないが――


「知り合いでないと言えば嘘になる」

 方丈凛々子は腕を組んで三号室を眺めた。

「彼女の婚約者だった櫻井浩二郎くん……私は、彼を知っている。彼が亡くなったことに……責任は感じている。だから、成仏できずに彷徨っている舟洞さんを保護しているってところだ」


「えっ!?」

 華都はるとは混乱する。

 舟洞彩葉いろはは、明治時代頃を生きた人だ。

 その時代の人間を知っていると言う大家は何者だ、と驚愕する。


「……そんなに目ん玉を広げるな。君だって、女子トイレに転移できた人間だぞ?」

「いや、でも……」


「ほら、遅刻するぞ? ガッコ行け。まだ、君が全てを知るのは早い」

「はい……」


 ごまかされているのは解かっているが、これ以上の追求は無駄だろう。

 それに、遅刻は避けたい。

 急いで外階段を降りようとすると――方丈凛々子は言った。

「……顔、変わったぞ。初めて会った時は、ほっぺからトゲが生えてた」


「……はい!」

 華都はるとは振り向く。

「……恋をしたみたいです。その……人が人を好きになる『恋心』ってやつに」


 我ながら恥ずかしい言い草だと思うが、事実だ。

 舟洞彩葉いろはの想い。長野さんと緒方さんの恋――。


 それらを見て何かが変わった。

 大家の言うように、トゲが抜け落ちた気がする。

 痛みに、敏感になった気がする――。

 

「……行って来ます!」

 声を張り上げ、外階段を駆け下り、一階車庫前に止めてある自転車に飛び乗った。





「桜橋くん、おはよう!」


 校門をくぐって自転車を押していると、クラスメイトの一戸瑠衣るいに声掛けされた。

 彼女と仲良しの吉崎奈生なおも横にいる。


「おはよう……」

 華都はるとは――何となく立ち止まり、彼女たちが横に来るのを待つ。

 すると、吉崎奈生なおが「えっ!」と小声を上げた。


 そりゃ、驚くだろ――

 華都はるとは溜息を吐く。

 昨日までの自分なら、立ち止まって彼女たちを待つ、など有り得なかった。

 チラリと振り向いて終わり、だっただろう。

 でも――昨日までとは違うのだ。


「桜橋くん、宿題やった? 入学早々からきついね、やっぱ」

「……まあな」


 真横に来た瑠衣るいの声に耳を傾け、でも顔は背ける。

 卒業証書を届けに来てくれた彼女に、ぞんざいな態度をとったことが、今は恥ずかしい。

 それゆえ、顔をまともに見られない。


「……のんびりしてると、遅刻するぞ」

「うん!」

 

 瑠衣るいの声に目を少し細め、自転車を押す。

 校舎前の桜は、今朝も満開だった。



  ―― 第二章 終 ――

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黄泉比良荘の凛々子 mamalica @mamalica

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