十一話 触れ合う先に

 華都はるとは、光の先に手を伸ばす。

 光のスパイラルは後方へと流れ、やがて尽き、幕が上がるように視界が開いた。


 玄関灯の下に、セーターとベストを着た白髪の老人の後ろ姿が見える。

 小さなシャベルを持ち、庭に植えられた低木を眺めている。


 老人の名は知らない。

 ただ、長野さんの部屋から見た情景――

 家の玄関には、『緒方』の表札が掛かっていた。

 その名を呼ぼうとした時――


 老人は、こちらを見た。

 気配に気付いたのだろう。

 少し驚いたように唇を開け、目を見開く。


 華都はるとは叫んだ。

「緒方さん、会って欲しい人が居るんです!」


 ――もはや、自分が実体なのか分からない。

 まるで、光と同化した如く、形の自由を得たように感じられる。


「長野綾子さんです! 長野さんは、あなたを見守っていました!」


 ――意思は届いた。

 老人はすべてを理解したかのように、空いていた左手を上げた。

 二つの手が交錯し、重なる小さな痛みが上から下に抜ける。

 振り返ると、窓枠はすぐ後ろにあった――。





「降りられますか?」

 華都はるとは、窓枠から飛び降りる。

 緒方さんも――曲がった腰を苦にせず、彼に続いて飛び降りた。

 履いていたサンダルは、窓の外で脱ぎ捨てている。

 シャベルは持ったままだったが、それに気付いて窓枠に置き、自ら窓を閉めた。



「ああ……」

 長野さんは座ったまま、口を覆った。

 たちまち、瞳に涙が溢れる。


「……綾さん……」

 緒方さんは微笑み、感涙にむせぶ女性に近付き……右隣に腰を降ろす。


「……綾さん……お待たせしてしまいました……」

 緒方さんは正座し、かつての恋人を優しく見つめる。

「あの頃は、父と母を説き伏せる勇気がありませんでした。許してください……」


「いいえ……いいえ……!」

 長野さんは、こうべを振る。

「私こそ……こうして見ていたなんて、はしたないことを……」


「何も言わずに……綾さん」

 皺が刻まれた緒方さんの手が、長野さんの濡れた手に触れる。

「……何度も夢に見ました。あなたと、こうしてひな人形を眺める夢を……」


 緒方さんの声も濡れている。

 二人の肩は、いつしか触れ合っていた。

 その情景は暖かく、穏やかで美しい。

 どこかで見た風景画のように――。

 

 

 華都はるとは、そっと二人の背後を通り、これ以上は無理と言うほどに静かに退室する。

 ドアを閉じる前に、長野さんが顔を動かし――華都はるとを見た。

 その表情は、雄弁に語っていた。

 ありがとう、と――。



 閉めたドアに背を預け、華都はるとは熱い息を吐く。

 学校の女子トイレに転移した時は、どうなることかと思ったが――これが自分の力の正しい使い方だと理解した。

 

 こんな自分にも、誰かの心を癒せる。

 そのことに驚かざるを得ない。

 価値観が、根底から引っくり返った気がする。



「あれ……?」

 気付くと、掛かっていた『十二号室 長野綾子』のブレートが無い。


 気になってドアを開けると――中は空室だった。

 板張りの洋間には、畳も卓袱ちゃぶ台も、ひな人形も無い。

 窓に近寄ると、緒方さんが置いたシャベルだけが残っていた。

 しかし、手をかざすと――すぐに消えてしまった。

 外は、茜色に染まった草木が風に揺れている。

 

 

(俺も帰ろうか……)

 自分の部屋が急に懐かしく思われ、廊下に引き返した。

 茜色の夕陽は、否応なしに郷愁を誘うらしい。

 

 長野さんからの依頼は果たした。

 かつての恋人と再会し、二人は一緒に霊界とやらに向かったのだろう。

 なすべきことは終わったのだ。



 玄関に戻ると、横に『受付』のブレートがある狭いカウンターに気付いた。

 そこには『業務終了』と書かれたプレートも立っている。

 アルバイトの上野まひろさんも、現世に帰ったようだ。

 廊下には、何の気配も無い。

 


 

 華都はるとは、北棟を出た。

 他にも入院患者が居るのだろうが、それは今の自分が関わる事ではない。

 それは『縁』次第だ。

 彼らの幸運を祈ることが、出来る全てだった。


 見上げた空を、カラスの群れが横切る。

 想いを断ち切れぬ死者のために、『療養所』は存在し続ける――。

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