第3章 ギルドマスター、新米女騎士と牛を追う(1/4)

 その少女は突然舞い降りたように見えた。

 宙からふわり、と降り立った様はまるで重さを感じさせない。

「さて、と……」

 周囲を見回す少女。その装いはうっすら透けて見える漆黒レースのフリルブラウスに金の縁取りで飾られたミニハット。

 どこを取っても辺境には似つかわしくない服装だ。

 鬱蒼とした茂みが続くあぜ道のど真ん中。暖かな日差しにさらされた少女の姿は場違いにもほどがある。

 だが、少女は自分の状態など気にかける様子もない。

 すうっ、とあぜ道脇の大きな茂みに視線をやり、

「出ていらっしゃい? そこにいるのでしょう? 命の輝きの匂いがするわ。それも人型の」

 そう声をかけた。

 茂みからはガサガサいう音がする。

 少女はつつましく笑った。

「ふふ……怖がらなくてもいいの。私、ちょっと道を尋ねたいだけだから」

 と、その目が妖しく光る。

「もっとも……私の望む答えを持っていないようなら、どうなるかわからないけれど?」

 茂みの動きがぴたりと止まる。少女の存在を警戒しているのか。

「さあ、隠れていないで早く出てきてちょうだい? 私、待たされるのは嫌い。イライラしちゃうかも」

 だが、少女の声に応えるものはない。

少女の眼差しがすっと細くなる。

「……そう。……じゃあ、この辺り一帯ごと滅ぼすか……」

 少女の右腕が上がる。何か黒いものがその指先に宿り始めた。

 その時、茂みからウサギが飛び出した。

 少女の目の前を大急ぎで跳び去って行く。

「……ふふ、私もまだ未熟ね。細かい命の輝きをまだ嗅ぎ分けられないなんて」

「なにやってるんだい、あんた?」

「のわああああっ⁉」

 突然、背後からしわがれ声で問われて、少女は飛び上がった。少女の指先に集まっていた黒いものが霧散する。

 少女が振り返ると、そこにはかごに野草など摘んだ老婆がいた。

「え、いつの間に⁉」

「あたしゃ、さっきから野草やら香草やら採ってたんだけど、気付かなかったんかい?」

 少女が先ほど見ていた茂みとは全然別の茂みにいたらしい。

「……ふ、ふふふ、おばあさん、あなた、相当な使い手ね……? 私から命の輝きを完全に隠し通すなんて……」

「命の輝き……? よくわからんけど、飴でも食べるかい?」

「あ、ありがとう。……美味しいです」

「そりゃよかった。で、あんた、こんな田舎の山道でどうしたんだい? 旅の途中で道に迷ったかい?」

「そうだ! ……ふふ……あなたに聞きたいことがあるのだけれど、教えてもらえるかしら?」

 少女は急に取り繕うと、気取った声で話し出した。

「この地に、ルル・ノレールという少年が来ていると聞いたのだけれど、どこにいるか教えてくれない?」

「ルル? ああ、あの子か。囲われ村で何やら新しい商売を始めた子だね?」

「商売? ルルが?」

「ああ。なんでもギルド屋さんとかいうのを始めたらしいね」

 少女の眉が顰められる。

「勇者達についていったと思ったら、今度は商売……? 何をやっているの、あの子達」

 老婆は少女の様子にも頓着せず、話し続ける。

「元々は神殿だった場所にギルド屋を建てるっていうんで、あたしゃ罰当たりじゃないかって心配したんだけどね。でも、よくよく聞いたらギルド屋の中に礼拝所も作ってくれてるとかで、まあ神官様はいないけど、これからはそこでお祈りもできるしいいんじゃないかねえ。それにルルって子はこれのお得意さんだし」

 と、老婆は籠の中の野草を指し示し、

「あたしゃとやかく言わないことにしたよ」

「そう。ギルド屋というのがよくわからないけれど、人の役には立っているのね。えへん。……ともかく、ルルが居るのは間違いない、と。それで、どこに行けば会えるかしら?」

「そりゃギルド屋さんだろうねえ。ギルドホールっていうのかい? そこで働いてるはずだよ」

「……ふふ、ありがとう。大変役に立ったわ。お礼に何かしてあげようかしら? ……もっとも、あなたが気に入るようなお礼ができるかどうかわからないけれど……?」

 怪しい眼差しに、不穏な語り口。

 だが、老婆は首を横に振る。

「お礼なんかいらんけど、あんた、ギルド屋のある囲われ村への道はわかるのかい?」

「え? ……わかりません。この近くじゃないの?」

「近いと言えば近いけど、ここは街道からも外れてるし、迷うとノーマンズランドまで行っちまうよ」

 そこで少女は老婆から街道まで出る道を教えてもらう。

「街道まで出れば、あとは道沿いに進むだけさ」

「そうなのね。重ね重ねありがとうございます……これでようやく会える」

「あんた、随分あの子に会いたかったようだね。何か大事な用でもあるのかい?」

 老婆にそう問われて、少女はうっすら笑う。胸をそらし、左手は心臓に、右手は宙に差し伸べて、今にも歌いだしそうなポーズだ。

「ええ。とても大事な用があるの。ルルには代価を払ってもらわなければいけないわ」

「ありゃ、あんたまだ子供なのに、借金取りなのかい?」

「借金ではないの。ルルは、あの子は命を盗んだ。だから、私はその代わりの命をあの子から取り立てに来たのよ。いうなれば、命の取立人、借金取りではなくて命取り」

「へえー、そりゃあ大変だねえ」

「おばあさん、私の話に興味ない?」

「いや、命を盗んだとかはよくわからんけど、面白い子だね、あんた。名前はなんていうんだい?」

 少女は優雅に一礼した。

「これは申し遅れてごめんなさい? 我が名はヘル。死と暗闇の国の冥竜ヘルよ」

「そうかい、ヘルちゃんかい。じゃあ、ヘルちゃん。あの子に会うんだったら、これ持って行ってあげておくれよ」

 少女ヘルの決め顔に不穏な自己紹介。老婆はそれらに一切恐れを抱いた様子もなく、逆に親し気だ。籠の中から取り分けた果実類を押し付けてきた。

「……これは?」

「あの子がよく買ってくれるベリーさ。本来は毒入りで食べられるものじゃないんだけどね。でも、あの子はもっと欲しいと言ってくれるから、今回サービスしとこうと思って」

 ヘルは自らのこめかみをぎゅっと抑える。

「ふふ……私をお使いに使おうというの? 素晴らしいわ、素晴らしい勇気をお持ちなのね。命が惜しくないみたい」

「引き受けてくれるんだね? ありがとうね、じゃあ、頼んだよ。あんたに良い月が上りますように」

「あ、ちょっと!」

 老婆はベリーのことを頼むと、また茂みの中に入って行ってしまった。

「……ふふ、まあいいわ。ルルの居場所を吐いた功績に免じて許してあげる。さあ、ルル。今度こそ命を盗んだ代価、支払ってもらうわよ」

 ヘルは1人になって高笑いを始める。

 途端に近くの茂みがガサッとなって、ヘルはひゃとか声を上げ身を竦ませた。


  ◆


 できあがってから真新しいギルドホール。

 ルルはホールの中央に据えられた依頼掲示板を見る。

 そこには冒険者ギルドの設立を知って、早速依頼されてきた様々な案件が書き出されてあった。

 初めは何の案件もなく、またギルドに所属する冒険者もいなかった。

 そこから、周辺の住民にギルドの存在を宣伝し、案件の用はないかこちらから尋ねて回り、薬草採りや鉱物探しのような地道な仕事を取ってきた。

 村人へ声をかけ冒険者にスカウトしたり、新ギルド設立の話を聞いて流れてきた冒険者を登録したりもした。

 もちろん、冒険者ギルドともなれば冒険者に食事や宿を提供したりする。それらの調理や配膳、宿泊施設の清掃などもルルとスルトが行ってきた。

 そうしてどうにかこうにか見様見真似で冒険者ギルドを回してきたルルが今思うこと。それは、

「とても手が足りません」

「どうしたのだ、ノレノレ。真剣な顔をして」

「スルト様、間もなく期限が切れる仕事依頼がいくつかあるのですが、うちに所属する冒険者で手が空いている者が誰もいないのです」

 ルルが指し示したのは依頼掲示板のいくつかの依頼文。

『お父さんの誕生日に好物のギンイロ魚のパイを作りたいの。湖で釣ってきてくれないかしら』

『もうすぐヨウビイチゴのシーズンが終わってしまう。今のうちにヨウビイチゴの採集を頼む』

『今度の村の市でネモレードの屋台を出すんだが売り子がいない。誰か手伝ってくれないか』

「どういうわけか、これらの依頼に応募する冒険者が誰もおりません」

 スルトは神妙な面持ちで仕事の依頼文を眺め、尋ねた。

「ノレノレ、これ、冒険か? というか、報酬も安いし子供の手伝いみたいなものもあるし、冒険者ギルドで引き受けるような仕事ではないと思ったぞ」

「どれも一生懸命探して任せていただいたお仕事なのですが」

 ルルは無念そうに唇をかむ。

「誰か余裕のありそうな冒険者達にやってくれるようこちらからお願い……斡旋というのか?してみたらどうだ? 元小隊長とその兵士達は今どうしている?」

「彼等は兵士としての腕を買われて、囲われ村村長から街道での護衛・巡回の仕事を請け負っています。長期に渡る治安維持系の依頼ですね」

「そういうのは本職の兵士が本来やるべきことなのだろう? 前に聞いた気がするぞ。言ってみれば、アリアンナ達の仕事だ」

「アリアンナ達は辺境警備が主たる任務で、街道の守護までは手が回らないでしょうから仕方がないかと」

「あいつらは? どこかから流れてきた少しは腕が立つ奴ら。……わたしは嫌いだけど!」

「ノーマンズランドの方でワイルドボアなどの魔獣が急に暴れだしているとのことで、そちらの討伐に行っていますね。アリアンナ達と協力しているとも聞いています。ところで、なぜ彼らのことを嫌うのですか?」

「あいつら、ド田舎の冒険者ギルドということでノレノレのこと馬鹿にしてた! 本当なら消し炭にしてやるところなのだぞ」

 スルトは頬を膨らませ、憤懣やるかたないという風。

 と、くるくると表情を変える。

「あとはあれだ! 新米達! ノーマンズランドから出てきた連中はどうだ? やっぱり新米過ぎて依頼を受けさせるには不安か?」

「いえ、元々ノーマンズランドで狩人をやったりして生き抜いてきた方達です。冒険者として慣れていなところはあるのだと思いますが、大きな問題はありません。けれど彼等は報酬の高いものを優先する傾向があって、希少な体力回復草の類を採るために遠出してしまっています」

「ふうん、あと1人、冒険者が余っていたな。飲んだくれが」

「あの方は吟遊詩人として冒険者ギルドに登録してくれましたが、これまで仕事実績は無し。ずっとどこかでお酒を飲んでいただけですからね」

「シティアドベンチャーなら役に立てるのに残念だ、とか言いながらゴステロの宿で飲んでるか歌っているかだったな」

 スルトは腕組みし、唸る。

「もっと冒険者を集めないとダメだぞ、これは。猫の手も借りたいという奴だ」

「はい、スルト様。仰る通りです。人材募集もかけてはいるのですが、なかなか人が集まりません」

 と、そこでルルは首を振りながら言う。

「なにしろ、この地域では大きな事件もありません。それなのに、わざわざ当ギルドに登録しに来てくれる冒険者というのは余程の物好きか何らかの事情があるかでしょう」

「でも、それで諦めて、これらの依頼をしてくれた人達を見捨てるわけにはいかないぞ。……ふむ。いいことを思いついたんだが!」

スルトの目がキラキラし始めた。

「こうなれば、ギルドホールはいったん閉めて、わたし達で残っている仕事を片付けるというのはどうだ? どうせギルドホールを開けていても冒険者は誰も依頼を受けに来ないだろう?」

「僕達でギルドの仕事を? ……素晴らしい考えです、スルト様! 誰か困っている人が依頼をお願いしにかもしれませんが、一旦ギルドは閉めてしまいましょう!」

「そうだそうだ! 今来たって依頼を引き受けられる冒険者がいないのだから、どちらにしろ無駄足だ。なあ、ノレノレ? わたし達が冒険者の代わりに、ちょちょっと依頼を片付けても何も問題ないものな? 依頼人も喜ぶし」

 その時、ギルドホールの入り口扉が開いた。

「ルル、スルト殿、また来させてもらったぞ」

 アリアンナが埃を掃いながら入ってくる。剣も胸当ても身に着けた制服姿だ。

「今日の国境巡回は終わりだ。少し遅い昼食をいただきたいな」

「いつも御贔屓にありがとうございます、アリアンナ」

 ルルは礼をして、ギルドホール奥の厨房へと向かう。

「本日は定番のドラゴンクッキング力味シチューのセットになりますが、それでよろしいですか?」

「もちろん。砦でもネスカが作ってくれるのだが、やはりルルのドラゴンクッキングが食べたくなる時があるな」

 アリアンナはギルドホール内に設置されたいくつかのテーブルの内、窓際を選んで腰かける。

 ネスカというのは今も週3か週4で兵士をしている、料理番だった娘の名だ。今は砦の炊事を担当している。本人の希望で特に炊事をやりたいということだった。それというのも、彼女が市でルルのドラゴンクッキングに出会ってしまったからだ。

 ネスカはドラゴンクッキングを口にして以来その味が忘れられず、砦の兵士にまでなってその味を追いかけ、遂には何年かかってでも自分も同じものを作れるようになりたいと熱望するようになっていた。それでルルからその調理法を学び、以来、日々砦の料理を担当してその腕を磨いている。

「……ネスカのドラゴンクッキングはまだ食べるとたまに体が緑になることもあるのだが……」

「ネスカさんにはまだお教えしていないドラゴンクッキング食材がいくつもあります。いつか実物が手に入ったら、是非またその毒抜き方法などお伝えしたいです」

「それを聞いたら彼女も喜ぶ。いつでもまた砦に来てほしい、ルル。もちろん、スルト殿も」

 言われてスルトは腕組みした。

「なるほど。アリアンナや砦の兵士などのドラゴンクッキング中毒者が食事に来るから、ギルドホールを閉めるのはまずいかもしれないな。まったく、これではギルドホールなのかドラゴン料理の店だかわからないぞ」

「うん? 何の話だ? ギルドホールを閉める? まさか、ギルド建設反対派が何か言ってきたのか?」

 アリアンナの眉が上がる。

 それに対し、厨房からルルの声がした。

「いえ、そのようなことではありません。僕達でクエストを受けるとなるとホールを閉めなくてはならなくなる、という話を少ししていただけで。アリアンナの説得のお陰で、ギルド建設に反対だった方々はもう皆さん納得し、受け入れてくれています」

「私は説得だなどとそんな大層なことはしていない。ただ、冒険者ギルドがあると困った連中が村を荒らした時、そいつらを追い払ってくれるといったメリットがあるという話をしただけだ」

 例の監察官が村でやりたい放題した後だったので、村の皆はこの話にひどく魅力を感じたらしい。そして、実際に監察官を追い払ってくれた砦の守備隊長がそういうのだから、あれには冒険者ギルドの力添えもあったのか、と説得力も感じる。

 そうして囲われ村の中で上がった冒険者ギルド建設反対の声はいつの間にか消えていった。

 ルルが厨房から温めたシチューを持って出てきた。

「謙遜なさらずに、アリアンナ。このギルドホールが無事完成したのはアリアンナのお陰で間違いないのですから」

 と、スルトがそのシチューをかっさらい、アリアンナの前まで運ぶ。ギルドホールの看板娘として、給仕は自らの役目と自負しているのだ。

「そうだぞ。このドラゴンクッキングはその功績のたまものでもあるのだから、遠慮せずに食べるといい。おごりだ。わたしは気前がいい竜だからな」」

「ありがとう、スルト殿」

 礼を言ってから、食べ始めるアリアンナ。

 何か言いたげだったルルだが、気を取り直したらしい。

「今日はおひとりで巡回なのですか?」

「そうだ。今日はほかの皆には2人一組で巡回したり見張りに立ってもらっている」

 ルルの問いに答えるアリアンナ。

「砦の兵士の人数が揃っているとやはり余裕ができてくるな。おかげで私はこうして自由にやらせてもらえる。これも監察官殿のお陰かな」

「軍本部からの資金が届くようになったそうですね」

「ああ。スルト殿の脅しが効いたらしい。監察官殿、自分の命がかかっていると思って必死に関係各所に取りなしてくれたのだろう。嫌がらせが減ったようだ。もっとも、未だに正規の兵は派遣されてこないが」

 アリアンナは肩を竦める。

「では、これからもバイトの皆さんを砦の兵士として雇い続けるということですね。そのための資金はもらえているのですか?」

「ギリギリというところだ。送られてくる資金や物資は微々たるもの。月に送られてくる金貨と食料は最低限、装備品はどこかで使い古されたものばかり」

 そう言いながら、アリアンナの表情はどこか明るい。

「だが、何もなかった頃に比べれば、ずっと砦らしくなってきた」

と、シチューを掬うその手が止まる。

「……そういえばルル達でクエストを受けるとか言っていたな。ギルドマスターが自ら引き受けるクエスト……となると何か大変な事件でも起きたのか?」

「いえ、そういうわけでは」

「ほかの冒険者達には解決できないと判断したくらいのクエストだろう? 強力な魔獣でも出たのなら、私も手伝うぞ」

 すると、スルトが胸を反らしてそっくり返った。

「そんなのが出たら、わたしが軽く倒してやるから大丈夫だぞ。何しろ、炎竜スルト様だからな」

「あら、ふふ、スルトがそんなに自信たっぷりだなんておかしいわ」

 ギルドホールの出入り口扉に立った人影がそんな声をかけてきた。

「あなた、いつのまにそんな増長したの?」

 うっすらと笑う黒衣の少女。

 それを見て、スルトはまずいものでも食べたような顔になる。

「うへー、ヘルじゃないか」

「これはヘル様。お久しぶりです」

 ルルがお辞儀をし、それをアリアンナは興味深そうに眺める。

 黒衣の少女ヘルは見透かすような笑顔を浮かべたまま、ルルに向けて右手を差し伸べた。

「ふふ、ようやく見つけたわよ、ルル。命を盗んだ代価を払ってもらいに来たわ」

 それを聞いて、アリアンナの片眉が上がった。

「うん? 命を盗んだ代価? 聞き捨てならないな。ルルが何をしたというのだ?」

 そう、ヘルに問いかけた。問われてヘルはむしろ嬉しそうに声を弾ませる。

「ふふ、あなた、知りたいの? ルルがかつてどのような所業を為してきたかを? いいわ、語ってあげる。その昔、ルルは死に至る毒に侵されて苦しんでいた私を笑ったのよ。そして私の命を盗んだ」

 アリアンナは目を丸くした。

「なんだって? ルルがそんなことをするとは思えないが……」

「また始まった。アリアンナ、ヘルの言うことを聞く必要はないぞ」

 スルトは口にむっと力を入れたようにむくれる。

「こいつはいつもニヤニヤボソボソ変なこと喋る気持ち悪い奴なんだ」

「きもちわ……!」

 ヘルは瓶か何かで殴られたみたいに一瞬絶句し、それから動揺も露わに気にしていない風を装った。

「ふ、ふふ、私、全然ニヤニヤなんかしてないし? 声だって、ほら! あーあー、滑舌、よく、大きな、声で! 話しているでしょう? 言いがかりはやめてちょうだい? なんでそんなひどいこと言うの? まあ、全然効いてないから余裕だけど。余裕余裕」

「震えてるじゃないか。そっちは問題じゃなくて、変なこと言うのが気持ち悪いんだぞ! 自分の事気持ち悪くないっていうなら、いつもノレノレに変なこと言いに来るのやめろ。ドラゴンの里では会うたび会うたびノレノレに訳の分からないこと言って」

 スルトの文句に、ヘルは剃刀の刃のように笑う。

「訳の分からないこと? 私はルルが私の身に施した事実を語っているだけよ? ルルは死に至る毒に苦しむ私に笑いかけた、これは変えようもない事実」

「またニヤニヤして変なこと! 単にお腹空いて倒れてたお前に、これでもどうぞってドラゴンクッキングを渡しただけじゃないか。それもお前を安心させるために笑いかけながら」

 そこまで聞いて、アリアンナが額に手を当てながら問いかけた。

「ちょっと待ってくれ。まずは……もしかして彼女も竜なのか?」

「そうよ。私は冥竜ヘル。死と暗黒の竜……!」

「それで、空腹で倒れていた? 死に至る毒に冒されたという話ではなかったのか?」

「あら、人間、知らないの? 空腹はいずれ死に結び付くのよ。毒よ毒。私、死に詳しいからよく知ってるの」

「……今までの話を聞いていると、ルルはヘル殿に食べ物を与えて助けたように思えるのだが……そのルルが命を盗んだとか、それに対して代価を払わせるという話はなんなのだ?」

「わからないの? ルルは空腹でいずれ死ぬかもしれなかった私を救ったの。それは本来なら死すべき定めだった私の命を長らえさせてしまったということ……。つまり、死の国の所有物となるはずだった私の命を、ルルが死の国から奪ったの。いいえ、こっそり盗んだといった方がいい。私の命を盗んで、この現世に留めてしまった。これは死の国からしたら許しがたい大罪になるってわけ」

「うん? うーん……?」

 アリアンナは首を捻る。

 一方ヘルは陶然とした表情で天に手を差し延べた。

「死の国は盗まれた命の代わりを求めるわ。それはまだ死すべき定めでない者の命を、盗まれた私の命の代わりに捧げるということ。私の代わりに誰かが死なねばならないの。その誰かを決めるのは、当然私の命を盗んだ責任者ルルの責務よ」

 そしてヘルは、それまで竜達のやり取りをずっと穏やかに見守っていたルルに向き直る。

「さあ、ルル。代価を払うときだわ。あなたは誰を死なせたいの? その名を私に言いなさい。私がその者の命を死の国へと送ってあげる。それでようやく、あなたは私の命を盗んだ罪を購えるのよ」

 ルルは首を横に振って答える。

「ヘル様、僕には誰か死んでほしい人はいません。そんな怖いことは言わないでください」

「あらあら。またなの、ルル? また誰を代価に差し出すか、決められないのね? 予想通り。ここでルルが誰かの名前を言ったら逆にびっくりしちゃうけど……ふふ、なら、仕方ないわ。ルルがその誰かを決められるまで、私はこれからずっとあなたの傍にいてあげる。ルルが誰かの死を願わない限りは、ずっと一緒よ」

 話を聞いていたアリアンナはスルトを見た。目が合う。

 スルトはアリアンナの気持ちを代弁するように、短く呟いた。

「な? ヘルって訳わかんないだろう?」

 耳ざとく聞きつけたヘルがそれを咎める。

「何も訳わからなくはないでしょう? むしろ、スルトより私の方がルルと一緒にいる相手として相応しいってわからないの?」

「わたしはノレノレのご主人様だから一緒にいるのは当然だ! 大体、ヘルは回りくどいぞ! 単にご飯くれた恩返しがしたいってだけの話に、死だの代価だのごちゃごちゃくっつけて!」

「ちが……っ! わ、私は別に餌付けされたとか恩返しとかじゃなくて、死と暗黒の竜として死の秩序を守ろうっていう義務で仕方なくルルの傍にいたいだけよ! 別に、ルルが誰かの死を願ったならすぐにでもそれを叶えてさよならしてあげていいんだから! そう! 本当は今この瞬間だってドラゴンの里に帰りたいのに!」

 スルトの言葉に、ヘルは声を上擦らせる。

 そんなヘルに、ルルが問いかけた。

「ヘル様、久しぶりにお会いしたのに、もう里に帰られるのですか?」

「え? いえ、そういうわけでは……あ、でも、久しぶりに会えたから私が嬉しがっているとか勘違いされては困るという話よ。あちこち探し回ってようやく見つけたけど、私はあくまで代価を払わせるためにここに来たのであって……」

「僕はまた会えて嬉しいです、ヘル様」

「ふぇん」

 ルルにそう微笑まれて、ヘルは変な声を出した。

「……えへん。そ、そう? わ、私はそこまで嬉しくはないけれど、ルルが私にも嬉しがってほしいなら嬉しくなってあげてもいいわよ? ……いいわよ? いいんだけど? さあ、私に嬉しくなってほしいと言いなさい、ルル?」

「はい、ヘル様。ヘル様も嬉しくなってください」

「えへん! ええ! 嬉しくってよ! 最高よ!」

 ヘルは今にもくるくる回って踊りださんばかり。

 それを見ていたスルトが、ふん、と鼻から息を出す。

「いくら調子に乗っても、ノレノレはわたしのものなんだからな」

「ふふ……それはどうかしら? ねえ、ルル? 今からでも私の召使にならない? どうせ私はこれからもあなたの傍にいてあげるのだから、あなたも私に一生仕える契約をしなさい。そうすれば、私、あなたをこき使ってあげられてお得だと思うの」

 アリアンナが小声で呟いた。

「……ルルには全くメリットがないように思える提案だが……」

「いいえ、ヘル様。僕はすでにスルト様の召使です。とてもヘル様にも同時に仕えられるような能力はありません」

「ほうらな! ノレノレはわたしだけを唯一の主人としているんだぞ」

 ルルの答えとスルトの勝ち誇った声に、ヘルは唇を嚙む。

「むむむ……ふ、ふふ……けれど、召使には召使なりに主人を選ぶ権利もあるのではないかしら? 優れた主人に仕えた方が召使も幸福だわ。……というわけで、スルト。提案があるのだけれど」

「なんだ、ヘル。また変なこと言うんだろ?」

「私達のうち、どちらがルルにとって優れた主人か勝負しましょう」

「……勝負? ふん、勝負か……」

 スルトはいったんその言葉を飲み込んで頭の中で巡らしているようだった。

 その目がキラキラし始める。

「勝負……! 面白いじゃないか、その話、乗ってやろう! どうやって勝ち負けを決める?」

「それはもちろん、どちらが優れているかルルの目にわかる形で示せばいい。ところで、ルル? 私、とある老婆からあなたへの届け物を預かっているのだけれど」

 と、ヘルは黒衣のどこからか、ベリーの包みを取り出した。

「いつも買ってもらっているからこれはサービスだとか言っていたわ。……どう? お使いができるなんて優れた主人でしょう?」

「ずるいぞ! それにお使いだったらわたしだってできる」

 ヘルはスルトにマウントを取りながら、ベリーをルルに渡した。

 と、ルルの目の色が変わる。

「……これは……! ローズベリーをこれだけまとまった量で……! これだけあれば、もっとスパイシーな酸味を効かせられます! 味に深みを出させるには、今ある中で何を組み合わせたら……ああ、洞窟ヒカリダケがないことが悔やまれます。ドラゴンクッキングの本道からは外れてしまうかもれませんが、ヨウビイチゴで代用すれば何とかなるかもしれません。ともかく、明日は今日とはまた一味変わったドラゴンクッキングシチューをお出しできると思います、アリアンナ。明日も是非いらっしゃってください。どうか食べ比べていただいて、感想を伺えればそれが僕にとって何よりの喜びになるでしょう」

「あ、ああ。わかった」

 ルルの勢いに、アリアンナは気圧され気味に答えた。そして、竜達の様子を見ながらルルに言う。

「それで、スルト殿とヘル殿の勝負はどうするのだ?」

 見られていることを気にも留めず、竜達は言い合いを続けている。

「ほらごらんなさい。私の方がルルを喜ばせられる有能なご主人様だと証明されました。ふふ、親切はしておくものね、おばあさん、ナイスゥ!」

「こんなのご主人様の有能さとは関係ないぞ!」

 アリアンナは小さくため息。

「……止めなくていいのか? 今、冒険者ギルドでは誰も引き受けられないような緊急のクエストが発生していて大変なのだろう? あんなことをさせている場合ではないのではないか?」

「いえ、アリアンナ。そのような大変な仕事ではなくてですね……」

 そう言いかけたルルだったが、その言葉を続ける前に横からヘルに尋ねられた。

「あら、何か仕事があるの? そういえば、ルル。あなた達ギルド屋になったのよね? ……丁度いいわ! 私がその仕事、クエスト? を片付けてあげる。冥竜ヘルの力をもってすれば、どのような魔獣でもアンデッドでも瞬時に塵と化す……ふふ……いかなる迷宮も隠された謎も解き明かして見せるわ。優れた主人はどんな困難も簡単に乗り越えてしまうものだから」

「わたしの方がうまくやれる。炎竜スルトは迷宮だろうと隠された謎だろうとすべて燃やし尽くしてなかったことにしてやれるのだからな!」

「面白いわね。では、どちらがこの困難なクエストを達成できるかで勝負するということでオーケー?」

「オーケーだ!」

「ふふ、私の方が優れた主人だとわからせてあげるわ」

「わたしとノレノレの絆の深さを思い知るがいいぞ!」

 勝ち誇ったように胸を張るヘルがルルに呼びかける。

「さあ、私達が解決すべきクエストを教えてちょうだい、ルル! 今、このギルドを悩ませている解決不能レベルのクエスト、S級ランククエストとやらの中身を!」

 はち切れんばかりのやる気に満ちていたという。

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ドラゴン様の召使、竜使いを引退してギルドマスターになる。/電撃の新文芸より5月17日発売 相原あきら/電撃文庫 @dengekibunko

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