第2章 新米女騎士、辺境を守護する前にまずは監査と戦う(3/3)

 

  ◆


 結果として、ゴステロから金を借りることはできなかった。

 どう頼み込んでも宿の使用人たちはゴステロの部屋に通してくれようとはせず、ならばと無理やり忍び込んだスルトは、ゴステロがそもそも自室にいないのを確認した。

「あの男、どこかに雲隠れしたか、それとも宿内のどこか別の部屋にいたのかはわからないが見つけられなかったぞ」

 会えなければ、借金の申し込みもできない。

 ルル達は手ぶらで砦へと帰らざるを得なかった。

 すでに日は落ちかけている。

 足取りは重い。

 だが、アリアンナは快活な声で言う。

「心配することはない。私にはまだ当てがある」

「そうなのですか、アリアンナ」

「ああ、だから気にせず休んでくれ。明日に備えよう」

 アリアンナは自信に満ち溢れて見えた。

 それは砦に帰り着いてからも同じで、アリアンナは少しの憂いも見せない。夕食もいつもと変わらず完食した。

これなら大丈夫か、とルルは安心する。

アリアンナには何か金を稼ぐ方法があるのだ。

そう思えばこそ、ルルは何も心配することなく砦内の寝所で休めた。

「……おそらく、アリアンナに当てなどないぞ」

 ルルが横になると、傍で一緒になって横になったスルトが囁く。

「単に困っている姿をわたし達に見せないように、わたし達を不安にさせないように、そう振舞っているだけだ」

「そうだったのですか、スルト様。それでは僕達はどうしたら……」

「……とりあえず、今は休むしかないぞ。一晩休めば、何かいい考えも浮かぶ」

 スルトは気休めを言った。


  ◆


 剣が空気を切り裂く。

その音で目を覚ましたルルは寝床から起き出した。

 アリアンナが砦内の中庭で剣を振るっているようだ。

 鍛錬に撃ち込むことで雑念を払っているのだろうか。それほど兵士集めの悩みは深いということか……。

 そう思ったルルは、アリアンナに一声かけようと身を乗り出して、急いで顔を背けた。

 また目に困るような薄着姿でブルンブルン揺らしながら演武していたからだ。

 キラキラきらめいている。

 これは朝日に鍛錬の汗が輝いて光っているのではない。

 単に光のマジックインナーの効果であって、アリアンナは今日も見えそうで見えない。

 このようにアリアンナは隙あらば脱いで剣を振るっている。体を鍛えるためと称してだ。

 ルルに服を着ていてくれるよう頼まれて以来、アリアンナはそれまで常時砦内でほぼ全裸だったのは止めている。それでも、朝の稽古時はどうしてもそれまでのスタイルを崩したくないらしい。

 ルルは溜息を吐いた。

アリアンナには、貴族特有の裸身への抵抗の無さがあるようだ。

そんな生活を続けてきたのだとしたら、王都で城門警備に就いていたころなど周囲と軋轢も多かったのではないだろうか?

そう思ってアリアンナに当時の事を聞いてみたところ、王都時代は騎士何某に肌を晒すのは騎士として弱みを晒すことだ、そんな弱みを仲間達の前で晒すのは周囲に甘えている、自分を守ってもらえるよう仲間に負担をかけている、とか何とかいわれて慎んでいたのだという。が、砦に左遷されてからは自分一人、自分の身は自分で守るのだから、誰かに負担をかけることでもない、とほぼ全裸生活を再開したらしい。

せめてもの救いは、王都時代に騎士何某に勧められ、魔法の肌着を着用するようになっていたことだろうか。いいから絶対これだけはつけておけ、騎士の嗜みだ、と強く言われたのだとか。

 そう聞くと、騎士何某もアリアンナに慎みを教えるのには苦労したのだろう……、と思わずルルも同情してしまった。

 それはさておき、そろそろ何か羽織ってもらわないと……。

 ルルがそう思った矢先、

「おーい。誰かいないのかー」

 そんな呼びかけが耳に入ってきた。ルルは城門の方へと顔を向ける。

 朝方の光が差す中、円筒砦の城門前に一団の人影があった。

「……ふむ? 誰だ?」

 いつの間にか同じように起き出していたスルトが首を捻る。

「こんな朝からお客様でしょうか?」

 ルルは彼等の方へと対応に向かう。スルトも一緒だ。朝の鍛錬中だったアリアンナはすでに向かっている。

 いや、そのままの格好で向かうな!

 とばかり、ルルは慌ててアリアンナに着替えを押し付け、自分が先に立って彼等に相対する。

「……やあ、隊長さん。連れてきたぜ」

 見覚えのある若者が手を上げてそう言った。

「……君は確か鍛冶屋のところのコールだったな。連れてきた、とは彼等の事だろうか?」

 着替えを羽織って見苦しくはなくなったアリアンナ、コールの後ろに立つ一団に目をやる。

 ルルはそれらの人々の中にも見覚えのある顔を見つけた。それもいくつも。

「隊長さん達、言ってただろ? 砦の兵士を集めてるって。俺達がそうさ」

「なに? いや……どういうことだ?」

 アリアンナは面食らっているようだ。コールも首を捻る。

「あれ? この砦に兵隊が必要だって話じゃなかったかい?」

「いや、それはそうなのだが……そのための資金がない。せっかく来てもらっても、君達を雇うのに必要な金がないんだ」

「ああ、金なんかいらないよ。俺達は皆、隊長さんたちに世話になったんだから。そのお返しってところさ。それにあの監察官のやりたい放題を止めたいんだ。それには、俺達自身がそうするだけの力を持たなきゃだろ? この砦の兵士になって、あいつらに一泡吹かせてやれれば最高じゃないか」

 コールの言葉に続いて、一団の1人が声を出す。

「俺も金はいらないよ。ただ、ルル達に妹を見つけてもらったし、何か役に立てればと思ったんだ」

「トウイさんじゃないですか」

「やあ、ルル。そっちのお嬢さんも、元気だったかい?」

 ルル達が囲われ村に入る前に会った若者、トウイ。その姿を見て、ルルは思わず声を上げていた。そして、その傍にいる少女にも目を丸くする。

「あたしもいるよ! あたしも手伝ってあげる」

「すまない、俺が行くっていったらフラグもついていくって聞かなくて……小さい子にぐずられると参っちまうからさ」

「けれど、こんな小さな子が兵士になるというのは危なすぎるのでは……」

「あたしもお金なんかいらないから、やらせてやらせて! 危なくないよ? 絶対、お兄ちゃんのそばから離れないから、絶対! ね?」

 ピクニック気分でついてきたというところだろうか。

 フラグは、絶対一人で危ないことなどしない、と誓ってみせる。誓いを破ったら針を呑むとまで言った。

「それに全くの無報酬ってわけじゃないんだろう?」

 コールはウィンクしてくる。それを受けたアリアンナは気まずそうに答えた。

「いや、本当に何の手当も出せないのだが……」

「砦の兵士になれば食わせてくれるって聞いたぜ。……あのドラゴンクッキングを」

 そんなコールの言葉を引き継ぐように、女の弾んだ声が上がった。

「うちの店であれを食べた奴、もう一度食べたいっていうのが一杯いてさ! あたしもそうなんだけど! で、ここの兵士になれば、毎日でも食べられるんでしょ? 来ないわけにはいかないじゃない? まあ、毎日来るのは無理でも、週に2、3回ならいいでしょ?」

 それは市の日にルル達が店番をした屋台の娘だった。ネスカと呼ばれていた娘だ。

確かに、一団の中にはあの時客として屋台を訪れていた者達の顔がある。

「……これだけの人が当日だけでも兵士になってくれれば、きっと監査は乗り越えられますね!」

 頼もしくなったルルは、アリアンナに微笑みかけた。

 それにつられたかのようにアリアンナも頬をほころばせる。

「ありがたいことだ。これもルルのお陰だな」

「いいえ、アリアンナ。僕は何も」

「君が人を助けたり手伝ったことで、皆が動いてくれた。君がいなければ、ここにいる人々は私達を助けてくれようとはしなかっただろう。……君はきっとそういう、ギルドマスターに相応しい資質を持っているのだ。人に手を貸して、それを後に繋がる大きな力へと変える触媒のような力が」

「そうだぞ! ノレノレには力がある! 何しろわたしの従者なのだから、それくらいの力は持っていて当然だ」

 そう言われて、ルルは顔を赤らめもじもじしてしまう。

「はい、スルト様。あの、でも、僕は……はい……」

 と、アリアンナが、ふっ、と表情を暗くした。

「……本当にありがたいことだ。だが……」

 その表情を見て、ルルは察する。

「何か気がかりでもあるのですか?」

「……正直、砦には装備も武装もろくなものがない。前任者があまりにボロで置いていった骨董品がいくつかあるだけだ。訓練もされていない兵士にそんなボロ装備をあてがうのは大きな問題がある。というか、もし実際に巡回中何かあったら、彼等の身が危ない」

 アリアンナの溜息が続く。

「もし彼等に怪我でもさせたら申し訳が立たない」

「それについては、ドラゴンクッキングがお役に立てると思います。怪我をしにくくなる味付けにしましょう。……これは忙しくなりますね!」

 ルルは何だかうきうきした気分を隠せなかった。


  ◆


 三度、円筒砦にやってきた監察官一行。

 今日も監察官オーブリーは馬から降りもせず喚き散らした。

「さあ、今回こそは化けの皮をはがしてやるぞ、ラ・ロシュコー! 貴様は反逆者として裁かれるのだ!」

 砦内から出てきたアリアンナはオーブリーの前に進み出る。

「お待ちしておりました、監察官殿」

「ふん、余裕の態度だな? で? 兵士は補充できたのか?」

「はい、監察官殿。整列!」

 アリアンナがぴしりと声を発すると、砦からバラバラと兵士達が出てくる。

 そして、一糸乱れず、とはいかず、もたつきながら一列に並んだ。その中には似合わぬ兜を被ったルルや手にした盾に全身隠れてしまいそうなスルトの姿もあった。

「砦を守護する兵士8名です」

「ほう? 辺境軍本部から補充兵が到着したのか?」

「いいえ、監察官殿。砦主の権限で、現地で兵を雇い入れたものです」

「だろうな! 辺境軍本部から兵士など派遣されるはずがない。となれば、貴様のことだ。小賢しくも現地住民を徴用して、形だけ兵士の数を揃えるだろうと予想していた。そして、予想通りだ!」

 オーブリーは勝ち誇ったように、並んだ兵士達を指差す。

「なんだ、このありさまは? 装備がバラバラだ。兵士1人分の装備を分けて複数に着けさせているのか? しかも、兵士の中には老人や子供まで混じっている!」

 オーブリーはスルトを露骨に見下して言った。

「こんなものは兵士とは言わない。かかしだ。いや、かかしの方がもたもた動かない分、まだましか」

「いいえ、監察官殿。彼等は立派に務めを果たしてくれます。装備が整っていないのは補充が為されないゆえの臨時措置です」

「で、臨時措置だから敵は手加減してくれるとでもいうのか? 装備も足りない素人を集めて、それで本当に辺境警備の任が務まると? ふん!」

 オーブリーは酒臭い息を吐きながら言い募る。

 と、アリアンナが気色ばんだ。まなじりを上げ、きっとした顔で、

「先ほどからの物言い、監察官殿は我が砦のために馳せ参じてくれた彼等を侮辱するおつもりか」

「侮辱だと? 違うな、監察官として当然の懸念を口にしただけだ。数だけ揃えても中身が伴わないのでは辺境警備の任には堪えない」

「そこまで仰るなら、我等の力を証明してみせましょう。立派にこの地を守る力があることを」

「ほう? どうするつもりだ?」

「監察官殿の配下の兵士達との演習を行わせてもらいたい」

 アリアンナはきっぱりと言う。

「我等が守るこの砦を、監察官殿が指揮して攻略されるがよろしい」

「はあ? 私は監察官であって泥臭い現地指揮官ではないのだぞ? そんな私が演習を執り行うことで何か得があるか? 貴様の申し出を受けてやるどんな理由があるというのだ?」

「もし、この演習で我等が敗れれば、私、アリアンナ・ラ・ロシュコーは辺境警備の任を疎かにしていたと認め、職務怠慢の罪ででも何でも、捕縛されることを約束しましょう」

「……ふむ? 言ったな? 言ったな、ラ・ロシュコー? その言葉に二言はないな?」

 監察官オーブリーは湿った笑みを顔中に広げながら、含み笑いを漏らす。

「貴様を王都に連れ帰って、監獄へ繋げてやるぞ! 愚かな娘だ! 自ら捕まることを望むとは!」

「けれど、監察官殿。逆に、我等が砦を守り切った場合、その場合は我等には十分辺境を守護する力があることを認めてもらいたい。そうなれば、これ以上の監査は不要。監察官殿御一行には速やかにこの地から退去願いましょう」

「はっ! 自分達が勝ったら、私達に出ていけというのか?」

「こう約束でもしなければ、監察官殿はいくらでも難癖をつけて、村に居座り続けるつもりでしょう? 私に何か罪を着せるまでずっと」

「人聞きの悪いことを! 私はあくまで公正に監察官としての務めを果たしているだけだ。まあ、いい。負けたら、貴様は自分に非があると認めておとなしく捕まるというのだからな。くく、阿呆が! 素人のかかしを何体揃えても勝てるわけがなかろう!」

 オーブリーは配下の兵士達に檄を飛ばした。

「貴様等、この阿呆どもを皆殺しにしてやれ!」

「監察官殿、私達が望むのは殺し合いではありません。演習です」

 アリアンナが落ち着いた声で指摘する。

「演習にはルールがあります。なるべく実戦に近い形で行った方が監察官殿にも納得いただけるでしょうが、ただ、本物の武器を使うのは禁止としませんか?」

「素手で殴り合いでもしろというのか?」

「あくまで殺傷力を抑えるのが目的です。本物の武器以外なら使用を認めることとしましょう。拾った木の棒を使うなどはご自由に。勝敗は、お互いに本陣を定めてそこに旗を掲げ、それを倒した方を勝ちとする、王国軍古来の演習方法で決めるのはいかがです?」

「軍旗倒しか。……いいだろう」

 オーブリーはもったいぶって、自分の髭をしごく。

「当然、貴様らは砦の中に旗を立てるのだろうな? 対する我々は……」

 オーブリーの目は周辺を見渡し、一点に吸い寄せられた。砦の傍に、おあつらえ向きの岩場があったのだ。

「あの岩場の上を本陣とする。守るに易く、攻めるに難い。素人のしかも寡兵で旗を倒しに来られるとは思わぬことだな!」

 オーブリーは1人悦に入る。そして、配下の兵士達へ声高に叫んだ。

「さあ、貴様等準備しろ! 旗も適当でいい。棒切れに布でも巻いて、それを旗印とする。我々の準備ができ次第、演習開始だ!」

 オーブリーの宣言により、アリアンナ達もバラバラと砦に駆け戻っていった。突然の演習宣言にも関わらず、その動きに迷いはない。

そうして砦の奥、敷地の真ん中に、棒切れに布を巻き付けた旗が突き立てられる。そこがアリアンナ達の本陣だ。

一方、オーブリーは険のある声で喚いた。ごつごつとした岩の積み上がった小高い場所へと騎乗したまま登りつつ、

「こちらも早く、旗を用意しろ! よし、ここだ。私の傍に旗を立てろ! ここを我等の本陣とする。お前ら何人かは私と共に旗を守れ……よし! では、あのかかしどもを一網打尽にしてやれ!」

 と、オーブリーに従う小隊長が彼に確認する。

「監察官殿、我々30名で砦を落とせというのですか?」

「相手は素人ばかりだぞ、しかも10人にも満たないではないか! できないとは言わせん!」

「しかし、奴らが砦の門を閉ざし籠城したら、こちらから手を出すのは難しくなります。武器の使用、例えば弓の使用は認められないのでしょう?」

「……なら、奴らが砦の門を閉ざす前に砦に入り込め! さあ、貴様ら、行け!」

 オーブリーの命令で、兵士達が10人ほど砦の門に走りだした。

 と、砦の門に装備もバラバラな砦側の兵士達が並びだす。

 それを見て、オーブリーはせせら笑った。傍らを守る小隊長にも底意地の悪い笑みを向け、

「見ろ! 奴ら門を閉める知恵もないぞ。心配することもなかっただろう?」

 砦側の兵士達を小馬鹿にする。小隊長はそれ答えた。

「は、敵方は混乱しているのかと思われますが……」

 砦側の兵士達は門の前に一列に並んで、蟻も通さぬ構え。とはいえ、何の訓練も受けていない砦の兵士、正規兵とぶつかったら一瞬で逃げ散ることが予想された。

 喊声を上げて、正規兵達が砦の兵士に打ちかかる。為す術なくされるがままの砦の兵士達。

「よし!」

 オーブリーは拳を振り上げ、喚く。

 が、砦の兵士達は崩れない。横一列に並んだまま、門から砦内に誰一人入り込ませないままだ。がっちり肩を組み合って微動だにしていない。

逆に、突っ込んでいった正規兵達の方が息を切らしていた。砦の兵士達を引き剝がそうとしては果たせず、棒切れで殴り掛かっては弾かれてへたり込んでしまう。

「何をしている⁉ 行け! どんどん行け!」

 オーブリーの金切り声に残りの兵士達も砦門へと殺到した。

 だが、それでも砦側の兵士達は崩れない。打ち寄せる波にも微動だにしない大岩のごとく、手出しもせずただ立ちはだかっていた。

「武器無しとは言え、なぜあそこまで耐えられる……?」

 小隊長が呟くのを耳にし、オーブリーはぎっと睨みつけた。

「貴様は何を馬鹿面下げて見学している? 貴様等も行かんか!」

「は、監察官殿。我等4人ここ本陣の旗を守れとのご命令でしたが」

「貴様は馬鹿か? あいつらは全員砦側で防戦一方だというのに、誰がこの旗を倒しに来るというのだ? いらぬ心配などせず、さっさと向こうの旗を踏み倒してこい! 行け!」

 オーブリーから酒瓶を投げつけられるに至って、小隊長と腕利き3人も砦門へと岩場から駆け下りていく。勢いのついた突進となった。

 ただ、砦門の前はそこまで広くはない。

正規兵達は団子状になって、押し合いへし合いしてしまっている。

小隊長達の突撃の勢いも削がれ、兵士達の後ろでたたらを踏む状態だ。

「せっかくの高所からの攻撃も前がつかえていては意味がない……!」

 小隊長は唸り声をあげ、そこで、ふと首を傾げた。

「……そもそも、このような攻撃に適した岩場、以前来た時にあったか……?」

 そんな小隊長達の有様を当の岩場の上から見て、オーブリーは喚き散らす。

「ええい! 農民風情相手に何をてこずっているのだ!」

 頭を強く掻いて苛立ちを隠さない。その時だった。

「今だ! あの旗をもぎ取っちまえ!」

 オーブリーの立つ岩場、その岩場のあちらこちらの隙間から突然、複数の人影が湧いて出たのは。

それは隠れ潜んでいたコールやトウイといった砦の兵士達だ。

「今なら、あいつ1人だぞ!」

そんな掛け声とともに俄然、オーブリーの方へと登り始める。

「な……! いつの間に、どうやって砦から出てきたのだ⁉」

 オーブリーは驚き慌て、もたもたと自らの剣を抜こうとする。慌て過ぎて抜けない。そして、喚いた。

「馬鹿ども! こっちだ! 守れ!」

 砦の門前で団子状になっている王国軍兵士達に向けての罵声。

 それを聞きつけた小隊長と他数名が踵を返す。素早い反応で、あっという間に駆け寄ってきた。

 コール達もそこは素人の悲しさ、オーブリーの居る場所まで登り切れていない。もたついている。

「わあ⁉ もう戻ってきた⁉」

すぐにコール達と小隊長達は取っ組み合い、乱戦となった。互いに喚き合う。

「素人兵士共がどうやってこの岩場まで辿り着けたのだ⁉」

「くそ、旗までもうちょっとだったのに……!」

 その様を見て、オーブリーはせせら笑った。冷や汗を拭いながらだが。

「……馬鹿め! 隙をつけるとでも思ったか!」

 と、オーブリーの近くで乱戦中だった砦の兵士の1人が急にきょろきょろ辺りを見回し始める。

「あれ? おい、どこ行った?」

「何やってんだトウイ⁉ 手伝えって⁉」

「いや、うちの妹が勝手にどこか行っちまって……」

 オーブリーの横で、何かがぱたりと倒れた。

 は? とオーブリーが顧みれば、棒切れに結び付けた旗が倒れている。その傍には小さな女の子。旗の傍にいながら、オーブリーは彼女に全く気付いていなかった。小さ過ぎたのだ。こんな場所に小さな女の子がいるわけがない、という思い込みが彼女を見えなくさせていた。そんな心の隙をついて、小さな女の子フラグは岩場の上に辿り着いている。

「よいしょっと。旗、倒したよ」

「な……な……何をしている……?」

オーブリーの問いかけにフラグは応えない。眼下の兄達に向かって手を振って見せるのみ。

「お兄ちゃん、これでいい?」

「フラグ! またお前、約束破って1人で歩き回って……!」

 そこでようやく、オーブリーは現実を認識したらしい。

「あああああ! 旗が……!」

 顎が外れたかのように口を開き、呻きを漏らした。

「監察官殿、勝負あったようですが?」

 そんな彼に砦の城壁の上から大きな声がかけられた。アリアンナがオーブリーに呼びかけている。

 オーブリーの目に怒りの炎がともった。

「ラ・ロシュコー⁉」

「旗を倒した方が勝ち、との事でしたので。我等の勝利とお認めください」

 オーブリーは両手で髪を搔きむしる。

「くそ! くそ! どうやって……。そうか、魔法か⁉」

 オーブリーはアリアンナを見上げ、睨みつけた。

「兵隊達を怪しげな魔法で砦の外へ転移させたのだな!? 卑怯な! こんなボロ砦に魔術師が雇われているなんて有り得ん!」

「本物の武器の使用は禁止するとのお話でしたが、それ以外は使ってよいとの仰せでした」

 アリアンナはしれっと言った。

「く……っ! こんなバカな……! どうしてこうなった、どうして」

 悪態を吐くオーブリーの前に、王国軍の兵士達が戻ってくる。自陣の旗が倒されたことで負けを認め、無益な戦闘を止めたのだ。

こうして演習はアリアンナ達の勝利で幕を閉じた。

 この結果を受けて、アリアンナは内心、胸を撫で下ろす。

そもそもアリアンナ達は監察官オーブリーの行動を予測して、それに対応できるよう準備を整えていたのだ。アリアンナはそれが功を奏したことに安堵していた。

 監察官が3度目の監査に来る前日、アリアンナ達は監察官の真意について相談している。

 こんなやり取りがあった。

「兵士は十分に集まってくれましたし、これで解決ですね」

「ノレノレ、それはあまりに楽観的過ぎるぞ。あの監察官がこれで済ませるはずがない」

「はい、スルト様。スルト様のお言葉に間違いがあるはずもございません。きっとまだ何か砦の問題点を指摘してくるのですね」

「砦の兵士の人数が揃っているのは監察官も当然予想しているだろう。けれど、そもそも奴の目的はこの砦を強固なものに指導することではない。必ず何か咎めてくるぞ」

「監察官殿の目的は私の落ち度を見つけることだから、そうなるだろうな」

「アリアンナは次にどのようなことで監察官様から咎められると思いますか?」

「兵士の人員確保達成を予想したうえで、さらに砦側の不備を突くのなら……次はその集めた兵士達の質を問題にするはずだ。そしてまさに、そこが問題だな。見た目的にも実際にも、砦の兵士を引き受けてくれた者達は正規の兵士達に比べ武器も防具も劣る。魔獣などと戦うには力不足だ」

 アリアンナの答えに、スルトは頷いて見せた。

「そうだな。となると、あのドジョウ髭の監察官、また3日後までに兵士の質を上げろとか難癖付けて村に居座り続けるだろう」

「彼等を今から訓練しても一人前にするには短期間では無理だ。装備を充実させる当てもない。……どうすればいいのだ」

 そこで得意満面、口を出したのがルルだった。

「アリアンナ、何か忘れていませんか? 砦の兵士の皆さんに力をつけさせるための方法なら、もう目の前にあるではないですか」

「それは?」

「皆さん大好きのドラゴンクッキングです!」

 ルルは胸を張った。

 そして、その言葉通りだった。

砦側の兵士達は砦の賄いとしてルルの作ったドラゴンクッキングを口にし、身体が燃えるような熱さとお替りを訴えた。

「こんな刺激の強いものを年寄りに食わせて、力が溢れるだろうが! なんて味だ! 足腰がぴんしゃんしちまう! 肌もカチコチに固くなって、殺す気か! お替りをくれ!」

牛飼いの家のミスミの爺さんは皿3杯平らげたという。

 ルルの作ったカナトコの実ベースのドラゴンクッキング甲羅味の煮っころがしは防御向上・転倒耐性・体幹強化といった副次的効果を砦の兵士達にもたらした。もちろん本来の効果『美味しい』は言うに及ばず。

 演習の時点で既にドラゴンクッキングを堪能していた砦の兵士達は、本来の実力以上の力を有していたのだ。

「……だが、それで兵士達の質を上げておいても、今度は監察官殿からまた別の指摘が来る。これではきりがない」

 相談の最中、ドラゴンクッキングの力は認めつつも、アリアンナは首を振った。

「……ならば、これできっぱり後腐れなく終わらせるよう、あのドジョウ髭に約束させたらどうだ?」

 そんなスルトの提案にルル達は首を捻る。

「どういうことでしょう?」

「奴が兵士の質を問題にするのなら、それを逆手にとって、奴の連れている兵士達と力比べするよう申し出るのだ。こちらが勝ったら、砦の守備に問題はないと認めて監査を終えると約束させればよい」

「兵士達の力比べ……演習か。しかし、監察官殿がそのような条件を飲むだろうか?」

「そこはそれ、あのドジョウ髭がこの申し出に食いつくようなエサをちらつかせてやればいいぞ。こちらが負けたら、アリアンナは非を認めておとなしく奴らに捕まる、とかな」

「……なるほど。監察官殿の狙いは私だからな。無視できないだろう。……これで終わらせられれば、村の人々への嫌がらせも止まる。……やってみる価値はあるな。勝てれば、の話だが」

 アリアンナは腕を組んで1人ごちる。それに対し、

「要は、こちらから演習をやろうと申し出て、あちらが断らないように持っていけばいいのだ。それにはあちらの方こそが有利で、申し出を受けるのが得だと思わせる様に仕組むのもよいな」

 スルトの言葉が続く。

「兵士同士の力比べとなったとき、正規の兵士である自分達の方が圧倒的に有利だと思い込ませる。そのためには砦側の兵士がいかにも素人でボロ装備であることを強調すべきだぞ」

「さすがスルト様です。相手の心理を利用して、こちらの思うままにコントロールしようというのですね!」

「うふん、そうだぞ? わたしはさすがだろう?」

「スルト様、他にも監察官様達の行動をコントロールするような方法はあるのですか?」

「そうだな……例えば、奴らにとって有利な地形があれば、奴らはそこを目指して移動するだろう? 有利な地形に陣取れれば勝利はますます固くなるのだからな。で、まさにその有利な地形に罠を張っておけば、相手はわざわざ自分から罠にはまりに来てくれることになる」

 そう聞いて、ルルは感銘を受けた。

「それはつまり、砦の近くに地形的に有利な場所……山や丘のような高い場所を作って、そこに監察官様達をおびき寄せるということですね! 更に、その場所に砦側の兵士達を伏せさせておく、と……! なんという鬼謀でしょう! 監察官様達を陥れるために、山1つ作ろうという心意気……! さすがスルト様です!」

「そこまでは考えてなかったが、そうだぞ。わたしもそういう感じのニュアンス的なことを言いたかったのだぞ?」

「……監察官殿をこちらの良いように誘導して罠にかけるのか……。演習の申し出を受けさせ、しかも伏兵の潜む場所に本陣を置かせる……。それならば、我等にも勝算はありそうだな!」

 アリアンナも目を輝かせた。

 というわけで、スルトが一夜で積み上げたのが、監察官側の本陣となった岩場だった。石壁を組み上げていくのと違い、岩を乱雑に積み上げていくくらいなら、ドラゴンの力さえあれば造作もないこと。

 その岩場の隙間にコールやトウイ達を事前に隠れさせておいたというわけだ。演習が始まったら隙を見て、おそらくこの岩場に立てられるであろう軍旗を奪うよう指示を出しておいて。

 そうして、予定通り演習が始まった。

まずは砦の兵士達が囮となって、砦門を開け放した上で監察官側の正規兵達を引き寄せた。

砦側の兵士としては守る人数も少なく、相手に四方八方から城壁をよじ登られでもした方が対応しづらい。

そうやってドラゴンクッキングで強化された砦の兵士達が鉄壁の守りで敵の侵入を防いでいれば、焦れた監察官は全ての兵士を砦の攻撃に回す。そうなれば、あとは岩場の中に隠れていたコール達数名が、旗を奪取に向かうだけだ。

もっとも、監察官側の小隊長他数名の戻りが早く、コール達が途中で足止めされてしまったのは想定外だったが。その脇をいつの間にやらすり抜けていたフラグが旗を倒していなかったら、どうなっていたことかわからない。

ともあれその後、岩場から砦の壁下までかっかしながら戻ってきたオーブリーに対し、アリアンナが演習の勝利を認めるよう求め、今に至っている。

「……無能共が……!」

 旗を倒され悪態を吐いていたオーブリーは、目の前の兵士達を睨みつけていた。

「貴様らが不甲斐ないからこんなことになった……! 責任を取れ、責任を!」

 騎乗用の鞭を取り出して、それを馬上から兵士達に向かって振り上げた。ぶんぶん振るう。

「この! この! 馬鹿どもが! 貴様らの所為で私の思惑は全てめちゃくちゃだ! どうしてくれる、どうして!」

「監察官殿、落ち着いてください」

 小隊長が前に出て、両手を掲げる。

「馬上でそのように暴れては危険です」

「黙れ、くそ間抜けが!」

 皮を裂くような鋭い音がして、小隊長が顔を抑えて蹲る。

 オーブリーは身を乗り出して騎乗鞭を振り下ろしていた。

「大体、貴様が旗から離れたのが悪い! 何をふらふら釣られているんだ!」

「……それは……監察官殿が砦の門へ向かえと……」

「私の命令だったから、私の所為だというのか? 馬鹿か貴様! 命令されたら何でもいうことを聞くのか? 私の命令に従うことで問題が起こるなら、責任もってそれを止めろ! 何のための隊長職だ! 隊を任せられたのだから、そこには隊長として判断を下すことが当然求められている。私の命令に唯々諾々と従って、自分で命令の良し悪しを判断しないとはとんでもない無能だ! これは私の命令を止めなかった貴様の責任だぞ!」

 詰りに詰る。

 蹲った小隊長に古参の兵士が数人駆け寄って肩を貸した。

 それを見て、オーブリーは顔を歪めた。

「ふん。馬鹿どもが! 貴様ら全員降格とする」

「は⁉」

 兵士達は監察官を見上げ、声を漏らした。

「農民風情に後れを取るような兵隊共など給料泥棒にもほどがある。その無能さに似つかわしい待遇を受けるべきだ。貴様も隊長職から外す。一兵卒としてやり直せ」

 オーブリーは吐き捨てる。

 と、頭上から抑制の利いた声が降ってきた。

「……監察官殿、いい加減になされてはいかがですか」

 アリアンナが口を真一文字にひいて、オーブリーを見下ろしている。

「あまりにも見苦しい責任転嫁。見ていて不快だ」

 見上げるオーブリーの眼差しに暗い光が差す。

「そもそも貴様が……! ラ・ロシュコー、貴様、砦のザコどもを臨時で雇ったといったな? その資金はどこから出した?」

「……彼等は皆、志願して集まってくれた兵士達です。そのための費用はかかっておりません」

「金がかかっていない? 馬鹿を言うな! 無償で兵隊をやる馬鹿がどこにいる? ……いや、その話が本当だとして、では砦の資金はどうしたのだ? このザコどもに金も払わず無理やり兵隊をやらせる一方で、奴らに支払うべき金をどこへやった? ……貴様、やったな? 自分の懐にでも入れたか?」

「……監察官殿はとっくにご存じのはずです。前任者が全て持ち去ったと」

「いいや! まったくいいやだ、ラ・ロシュコー! 私はそんなことは知らんし、砦に資金がない? それは横領の疑いがあるな。砦の責任者が砦にあった軍の金を私物化する、実によくある不正だ。私は監察官として、貴様を拘束しなければならない。おとなしく武器を捨てて私の前に跪け!」

 アリアンナは眉間にしわを寄せ、頭を抱えた。

「監督官殿、それはあまりにも無理な話です。どうも酔いが回り過ぎているようだ。そのような言いがかりで罪人を作れるのなら、とっくの昔に私は告発されていたでしょう。そして何より、約束だったはず。我等が勝てば、砦に不備はないと認め、監察官殿はこの地から離れる、と。なのに、懲りずのまた新たな難癖ですか?」

「やかましい! 貴様の身柄さえ拘束してしまえば、後はもうどうにでもなる! 王都のバスチフ監獄には腕のいい拷問吏がいるのだ」

 そうしてオーブリーは周りの兵士達に命を下す。

「今度は演習ではない! 武器を使って構わんから、あの者を捕らえろ! 邪魔する連中は切って構わんぞ! さあ、行け、行かんか!」

 兵士達は顔を見合わせ、鬱然と立ち尽くす。

 オーブリーのこめかみに浮かぶ血管は最早はち切れそう。

「この期に及んで、まだ命令を理解できんのか! 頭の中に綿でも詰めているのか貴様等!」「……監督官殿」

 顔を抑えた小隊長、いや元小隊長が前に出る。

「間抜けが! さっさと無能共を率いてあの小娘を捕まえてこい! いつまで痛がっている、それでも兵士か⁉」

「……やかましい」

「あん?」

「やかましいと言ったんだ、このドジョウ野郎!」

 元小隊長は馬上のオーブリーの足にしがみつき、思い切り引き下ろした。

 鐙から足が外れて、オーブリーは盛大に落馬した。

「ぐぇ」

「命令に責任を持て、このドジョウ野郎が!」

 そこを元小隊長がのしかかって何度も殴打した。周りの兵士達もタガが外れたように群がり、手を出し足を出した。

「くたばれ! くそが!」

「自分だけいい飯食らいやがって!」

「のわー!」

 オーブリーは袋叩きの目に遭っている。

 それを砦の上から見ていたスルトが手を打った。

「よしよし、こうでないとな!」

 その傍らで、ルルはアリアンナに気がかりな目を向ける。

「アリアンナ、あれはさすがに」

「ああ、まずい。殺してしまうぞ」

 アリアンナは下の兵士達に向かって大声で叫んだ。

「そこまでにしておけ! もし死なせでもしたら大きな罪に問われるぞ!」

「ちぇっ、ノレノレ、別にあれは自業自得ではないか? 止める必要がわたし達にあるのか?」

 スルトはルルに半分むくれながら尋ねた。

「はい、スルト様。僕が思いますに、監察官様がもし亡くなったら、どこかの誰かが、その罪をアリアンナに被せるかもしれません」

「ふむ、まあ確かにそれは面倒だな」

「ここで起こったことを正確に伝えてもらうためにも、証人となる兵士達と一緒に監督官様には王都に戻ってもらった方がよいでしょう」

「まあ、ノレノレがそこまで言うならわたしもそう思ってやらないでもないぞ」

 アリアンナが下まで降り、砦の兵士達を連れて出ていく。

「さあ、離れるんだ。もうやめろ」

 そうやってアリアンナ達が割って入らなければ、監察官オーブリーは怪我では済まないところだったろう。

 すっかりぼろきれのように成り果てたオーブリーはうんうん唸っている。

「ううう……この私に……なんという真似を……」

「監察官殿、これはご自身の招いたことだ。どうか王都に戻って静養されるとよろしい」

 アリアンナの言葉に、オーブリーは憎々しげな眼を向ける。

「……厄介払いできると思っているな……? 覚えていろ、私に手を上げたこいつらは全員縛り首にして、貴様もその扇動をした罪で告発してやる……!」

「まだそんなことを」

 アリアンナが首を振ると、元小隊長が口を挟む。

「砦主殿、こいつにはもうかける言葉はない。……解決するにはこれしかない」

 その手には抜身の短剣が握られている。

「ひ……貴様……しょ、正気か? は、反逆者だぞ、紛うことなきお尋ね者だぞ……」

「やめろ、取り返しがつかなくなるぞ!」

 アリアンナの声に元小隊長は唇を歪めた。

「もう、とっくに取り返しなんざつかなくなっている……!」

 短剣を振り上げた。

 と、周囲が炎に照らされて明るくなったかと思うと、轟音が響いた。

 熱気をはらんだ風がアリアンナ達の傍らを吹き抜けていく。

≪もううるさいぞ! さっさとその男を連れて立ち去れ!≫

 砦の壁の上から真っ赤なドラゴンの首が覗いていた。ブレスを地上に吐いて爆発させたらしい。苛立ちが見て取れる。

「ひぇ」

 アリアンナが短く声を漏らした。尻もちをついて、尻で後ずさりする。

 だが、オーブリーや他の兵士達はもっと激烈な反応を示した。

「ドラゴン⁉ どこから飛んできた⁉」

「焼かれる……焼き殺される……!」

 腰を抜かしたり、その場から駆け出したり、大混乱。

 炎熱のドラゴン、スルトは兵士達に注意した。

≪おい、そこのドジョウ髭をちゃんと持っていけ。ちゃんと届けろ。それから……≫

 スルトの眼差しはオーブリーに注がれる。蛇に睨まれた蛙のように、オーブリーは震えだした。

「ひ、ひぇぇ……」

≪お前もう来るな! それから意地の悪いことも言うな! 腹が立つから! この砦の事で嫌がらせとかも止めてちゃんとしろ! 今度わたしを苛立たせたら、頭から齧りに行くからな。わかったか?≫

「わか、わか、わかりました、どうかお助け……」

 オーブリーは震えながら、兵士達に担がれ、馬に乗せられる。

≪じゃあ、もう行っていいよ≫

「はいぃぃっ」

 スルトの言葉を合図にオーブリーは馬を駆けさせ、一目散。

 兵士達もほとんどがその後を慌てて追っていった。

「……ようやく静かになったか」

 再び人型形態になったスルトに、ルルは青い顔で尋ねる。

「スルト様、どうして……どうしてまた竜の体に戻られたのですか? 皆から恐れられてしまうというのに……」

「そうだろうか? そこまで皆が皆、わたしのことを嫌うわけではないぞ」

 スルトは少女の手で壁下を指し示した。

「なんだ⁉ 今度は急に消えたぞ⁉」

「恐ろしい……! 今度はどこに現れるんだ……!」

「落ち着け、皆! 恐れることはない。あのドラゴンは正しいことをしたのだ。無益な殺生を止めようとしてくれた。そのドラゴンを私達が恐れる必要はない!」

 先程、スルトの姿を見て悲鳴を漏らしたとは思えない態度で、アリアンナが砦の兵士達に言い聞かせていた。

「むしろ、礼を言うべきだ。誰も死なず、また殺させずに済んだのはあのドラゴンのお陰なのだから」

 アリアンナの言葉に砦の兵士達は自分を取り戻し始めた。

「ま、まあ、俺達に向けて火を吹いたりはしなかったしな……」

「……いいドラゴンだったのか?」

 それらを下に見ながら、スルトはふんと鼻で息をする。

「まあ、わたしは人から何と言われようが、ノレノレが心安らかでいられるなら何でもいいが」

 ルルはじっとそれらのやり取りを目にして黙っていた。それからようやく小声で呟く。

「……僕は恐れ過ぎていたのでしょうか」

「うん? 何か言ったか、ノレノレ?」

 問いかけるスルトに、ルルは深々と頭を下げた。

「……スルト様、さすがです。スルト様のお陰で騒乱が収まりました」

「そうなのか? うふん、いいぞ、もっと褒めていいんだぞ。ノレノレが褒めたいなら、それを許す」

 こうして、監察官オーブリーが逃げ去った後。

砦の前に残されたのは、アリアンナ達砦の兵士達と元小隊長の男や数人の正規の兵士達だけだった。

 アリアンナは元小隊長に問いかけた。

「あなたは監察官殿と一緒に戻らないのか?」

「……さすがに私は直接あのドジョウ髭を殴りつけた男だ。許されないだろう」

 疲れた顔で答える。口調も投げやりになっている。他の残った兵士達も同様らしい。

「命令を違えた私達はもう立派な逃亡兵だ。王国軍に居場所はない」

「どうするつもりだ?」

「さて……どうしたものか。どこかで山賊の真似事でもして野垂れ死ぬか、それこそノーマンズランドの奥でひっそり暮らすか。命令のない生活など初めてだから勝手がわからないな」

 そう聞いて、アリアンナは腕組みする。

「そうか。なら、もう少ししたら、あなた達にとっていい話があるかもしれないぞ」

「何? どういうことだ?」

「あの子達の下で、冒険者にならないか?」

 アリアンナは砦の上にいる将来の冒険者ギルドマスターを指し示して、そう誘った。

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