第2章 新米女騎士、辺境を守護する前にまずは監査と戦う(2/3)


  ◆


「……そして、今日。いよいよ、噂の大貴族が報復の最後の段階にあの監察官殿を送り込んできた、というところだろう」

 アリアンナは円筒砦の自室で、そう結論付けた。両腕を組み、背を丸めるようにして考え込んでいる。

 アリアンナの事情を聞かされたルルは嘆息する。

「……勇者様が魔王軍と戦っている間でも、そのようなことは起きているものなのですね」

「まったく暢気な話だと呆れられてしまっただろうな。危機を前にしても内輪揉めが止められないのだから」

 アリアンナは自らを笑う。

「それで、私は左遷だけでは済まされず、3日後には監察官の指導に従わなかった罪で正式に刑罰を処されるわけだ」

「このようなやり方で刑に処されるなどと、あっていいものなのですか?」

「抗命、不服従、サボタージュ、とあの監察官ならいくらでも罪状を作り上げるだろう」

「ちなみにそれでどのような罰が下るのでしょう?」

「王都の監獄に繋がれて禁固何年か、何十年か。刑期など大貴族の胸先三寸だ」

「そんな勝手が……」

 ルルは額に手を当て目を瞑る。めまいに耐えているかのように。

 それから頭を振る。

「ともかく、あと3日の内に砦の壁を直せばいいのですね?」

「そうは言っても、ルルも見ただろう? 壁はかなり崩れてしまっている。私1人ではとても手が足りないと、だから放置してきたんだ」

「でも、今は3人います」

「2人と1竜、だな」

 ルルとスルトが続けて言う。

「僕達で崩れた石を拾い直し、また積み上げましょう」

「……ありがとう、ルル、スルト殿」

 アリアンナはルル達の助力の申し出に頭を下げる。

「こんな私に付き合ってくれるのか。君達が手伝ってくれるなら、壁の修復もできそうな気がしてきたぞ」

 そう言いつつも、アリアンナにはわかっている。とても3日で、それも素人3人で城壁を頑丈に組み直すことなどできはしない、と。

 実のところ、ルルも同じことを感じていた。

 だから、アリアンナの言葉に大きく頷いて、こう言うしかなかった。

「そうですね。やれる事をやっていきましょう。やれる事すべてを」

 スルトは何も言わず、2人の会話をただ肩を竦めて聞いていた。


  ◆


 3日目の昼頃だった。

 円筒砦に再び監察官が兵士達を引き連れてやってくる。

 先日とは様子が異なり、監察官は顔を上気させ、たまにしゃっくりを漏らしていた。馬に乗りながら前後左右にゆらゆら揺れ、手綱を取る左手も覚束ない。その右手にはワイン瓶。

砦の前で、調子はずれの大声が上がる。

「さあ約束の期日だ。指導に対する反抗的な態度に不服従で貴様を逮捕してやるぞ、ロシュコーの娘!」

 監察官オーブリーは鼻息も荒く息巻いた。

 その鼻息がすぐに途切れる。

「……直っている、だと?」

「これは監察官殿。お待ちしておりました」

 アリアンナが砦の奥から姿を現す。ルル達も一緒だ。

 オーブリーは食って掛かった。

「貴様! これはどういうことだ?」

「どういうこと、とは?」

「城壁が修復されているではないか! けしからん!」

「直せと指導してくださったのは監察官殿だったはずですが」

「直せとは言ったが本当に直してしまう奴があるか! 大体、3日で直せと言ったのは間に合うわけがないと見越してのことだったのに、それを間に合わせて私の思惑を外すとは、監察官に対する侮辱だ! どうやったのだ⁉」

「監察官殿のお言葉通り、近隣の村人達に声をかけ人手を集めました」

「ほう! ならば、周辺住民から苦情が出るな? 見せしめに1人か2人殺したのだろう? 王国に属する無辜の民を虐殺した罪でも貴様を告発できるのだろうな?」

「監察官殿、もしかして酔っぱらってらっしゃる……?」

「酔ってないぞ! 酔ってない! 私を酔っ払い扱いするとは、侮辱罪だ!」

 喚き散らすオーブリー。

 アリアンナは小さく息を吐く。

「一応お答えしておきますと、誰も斬ったりしておりません。強要はしておりません」

「では、どうやって人手を集めたというのだ⁉」

「村の大工達に壁の修復を依頼しました。その結果です」

 オーブリーはきょとんとした顔で呟く。

「……依頼……? この砦にそんな資金は残されていないはず……確かに全額持ち出したと報告が……」

「監督官殿は我が砦の懐事情に随分と堪能なご様子ですね。まだ砦内に入って調べてもおられないというのに」

 アリアンナの問いに、オーブリーは言葉を濁す。

「む……それは、その、監督官の勘という奴だ。長年監督官を務めていると金のことに鼻が利くようになるものなのだ。……とにかく、金もないのにどうやって……」

 アリアンナはルルと目を合わせる。

「確かに資金はありません。だから、頭を下げ、大工達にお願いしたのです。皆、無報酬で引き受けてくれました。ここにいる彼のお陰です」

「……ただで城壁を修復したというのか? 強制されてではなく……?」

 オーブリーの目が大きく見開かれた。

 実のところ、それは強制どころか、大工のケト達の方から申し出てくれたことだった。

 円筒砦にて、ルル達が慣れない手つきで城壁に石を積んでいた時のことだ。

ルルにギルドホール改修の進捗状況を伝えるため、ケトがやって来た。

『なにやってんだい、ルル。そんなへっぴり腰で石を運んだりして?』

来るなりケトは、あまりの危なっかしさにそう声をかけてしまう。そう尋ねられて、実は……、とルルが打ち明ければ、ケトは自らの胸を叩いた。

『そういうことならあっしらに任せなよ。ルル達が石を組むよか、ずっと早く頑丈に壁を直してやるから。こちとらプロだ。ルル達を見てると、いつ自分の足の上に石を落っことすか気が気じゃねえや』

『ですが、お頼みするにもこの砦にはお金がありませんし、僕も持っていないのです』

 ルルが正直なことを言えば、ケトは笑い飛ばす。

『さすが借金50万の男だ。いつも素寒貧だな! でも、そんなこと気にするこたぁねえ。こっちはルルに坊主を助けてもらった恩があるんだ。それにここの女騎士様が村で魔獣と戦ってくれたのだって忘れてねえ。やらせてくれよ、いいだろ?』

 そんなやり取りがあって、ルル達はケトら大工達の好意を受けることにしたのだった。

『もっとも、この砦の壁修復を優先するから、ギルドホール改修は少し遅れちまうぜ? それでもいいか?』

 ルルは迷うことなくその条件を受け入れた。

 こうして砦の壁は元の形を取り戻す。

おまけにダメ押し、スルトもいた。

ケト達大工の力で曲がりなりにも修復された城壁。そこへスルトは炎を吹きかけたのだ。

もちろん、他に誰もいないときを見計らってだ。村の人間に火を吹く姿を見られるような真似はしない。

城壁はこれによって焼き固められより堅固に、それこそ二度と崩れ落ちたりしないようになった。

こうしてできあがった城壁を前にして、今、監督官オーブリーは悪態をつく。

「……ふん! こんな間に合わせの城壁など、どうせ素人が石を積み上げただけの風が吹いたら崩れてしまうような脆いものに決まっている! ……固っ⁉」

 城壁に近づき、馬上から蹴りつけてようやくその出来栄えを認めざるを得なくなったようだ。

「……確かに、崩れた城壁は修復されているようだ。ええい、面白くない!」

 オーブリーは頭を掻きむしり、目を見開いた。

「面倒だ! もういい! 貴様ら、アリアンナ・ラ・ロシュコーを拘束しろ!」

 オーブリーは自分の背後に控える兵士達にそう命じた。

「なに⁉」

 アリアンナは剣の柄に手をかけつつ油断なく視線を巡らし、ルルは突然のことに眉を顰める。

 だが、それは兵士達も同様だった。

ざわめきつつ、兵士達をまとめる小隊長が代表してオーブリーに応えた

「かしこまりました、監察官殿。貴様等、さっさと命令に従え! 取り囲んで一斉に抑え込むのだ! ……して、それはいかなる理由でしょうか、監察官殿?」

「上官侮辱罪でいいだろう。私の指導通りに城壁を直してしまったんだから!」

 そう聞いて、小隊長は急に覚束なげな口ぶりになって言う。

「……申し訳ありません、監察官殿。確認させてもらいたいのですが、砦主を命令に従った罪で捕らえる……ということでしょうか?」

「なんだ? 貴様も上官に逆らうか⁉」

「いいえ、監察官殿。命令は絶対です。ただ、その……命令に従うことが罪であり悪であると言うのなら、命令に従わないことこそが正しいということになってしまいます。それは、命令は絶対という忠誠宣誓に反してしまうのではないでしょうか」

 忠誠宣誓とは王国軍兵士が国への服従を軍旗にかけて誓う儀式だ。兵士が国に服従し命令に従う根拠となる。

 小隊長の頭が混乱しているのを感じ取って、オーブリーは喚いた。

「ええい、くそ! 面倒くさい奴だな! もういい、今の命令は無しだ!」

「はっ、全員、直れ!」

「無能ばかりだ! 私の命令を理解できんとは! 30人から雁首揃えて、察することもできんのか! くそ、なにかいい罪状を……そうだ、この砦に兵士は何人いるのだ? ラ・ロシュコー?」

「砦を守護する者は私1人です、監督官殿」

「ほう! これは重大な規定違反だ。砦の兵数が全く足りていない! 最低でも6人の兵士で砦の守護にあたるよう定められている。砦を任されている長としてあまりに無責任ではないか?」

「兵士の充足も辺境軍本部に何度も掛け合っております。しかし、補充要員が来ることはありませんでした。もしよければ、現状を改善するために監督官殿のお力で何とかしてもらえませんか?」

「私に辺境軍本部を監査しろとでもいうのか? この砦に兵を送るよう指導しろ、と? 知るか! 兵士が足りなければ砦主として何とかするのが責任というものだろうが!」

「兵士の補充は兵站部の役割……」

 アリアンナがそう言いかけるのを、オーブリーは遮った。

「いいや! 砦主の責任だ! そうだな、3日だ。3日以内にこの砦を守るにふさわしい兵士達を揃えろ! 貴様の責任でな! 辺境軍本部に直接掛け合ってでも兵を回してもらえ! 私は知らんぞ。貴様がやるのだ。できなければ、職務怠慢で貴様を告発してやる!」

一方的に捲し立てると、ワイン瓶に口をつけ、呷る。

「……ふん、もういい! 胸糞が悪い、帰るぞ!」

 監察官オーブリーはこうしてまたも砦内に立ち入ることなく、監査を切り上げた。

 囲われ村へと帰っていくオーブリー達一行を見送りながら、ルル達は溜息を吐く。


  ◆


「また難題を突き付けられたな……」

 円筒砦の一室で、アリアンナは呟いた。テーブルに肘をつき、両手を組み合わせている。ぐっと引かれたその口元は組んだ両手に隠れるような俯き加減だ。

「なぜ私がこれまで兵士を揃えられなかったのか。これも城壁の修復を放置していたのと同じ理由だ。資金がない」

「よくわからんが、よくもまあ、こんな砦の主をやっていられるものだな。何にもないではないか。どういう心持ちなのだ?」

 そう問いかけるスルトは椅子に腰かけながら足をぶらぶらさせている。それから、軽い口調で提案した。

「こうなれば、何人か力づくで捕まえてきて兵士にさせるか。家族を人質にするとかで言うことを聞かせられるだろう。それなら金はかからないぞ」

「はい、スルト様、それは画期的なご提案です。……いえ、でも、それは……」

「冗談だぞ。まったく、ノレノレはすぐ本気にする」

 ルルの不安げな声に、スルトは肩を竦めた。

 オーブリー達が帰ってから、ルル達はこうして頭を突き合わせていた。何か妙案が出ないか考え続けている。

 アリアンナが大きなため息を吐いた。

「私への嫌がらせの関係で、王国軍からの兵士派遣は絶対にない。自力で雇うとなると、やはり、どうにかしてその資金を稼がないとならないな。何事も金、金、金、か……。世知辛い世界だ」

「……こういうとき、冒険者ギルドがあればお金を稼げるチャンスも出てくるでしょうに……」

ルルは腕を組んで、難しい顔をする。

「そうだな。ルルが作る冒険者ギルドは是非、そういう資金稼ぎがしやすい良い案件ばかり集めたギルドにしてくれ」

 アリアンナは軽口めかしてそう言った。だが、それで事態が好転するわけでもない。

 そこでスルトがいいことを思いついた風に口を開いた。

「そうだ、ノレノレ。別に今すぐ稼がなくてもいいんじゃないか?」

「はい、スルト様。……ええと、それはどういうことでしょう?」

「今ではなくて、将来稼いで返せばいいのだ。ノレノレもそうしてるだろう? 20万チェブラ―、利子も併せて50万チェブラ―か。それを今すぐ稼げないから将来返す、と。それと同じことをすればいい。要は、これからゴステロのところに行って兵士を雇うための金を借りればいいのだぞ。なあに、ノレノレはもうすでに50万チェブラ―分借金があるのだから、それをもう少し増やしたって変わらない変わらない」

 ルルは感銘を受けて目を輝かせた。

「それは素晴らしい考えです、スルト様。それなら無理なく砦の兵士達を雇えますね!」

「いや、待て待て待て待て」

 アリアンナが右手を差し上げて二人を制しようとする。

「すでに50万チェブラ―の負債があるのに、更に借金を重ねる? 貸してくれるわけないだろう? 兵士の資金については借りても返す当てがないのだぞ? それにあの監察官はこの砦の兵員が揃ったとしても、このまま居座って際限なく次の要求をしてくるだろう。それをいちいち借金して賄うなどきりがない……というか、なぜ自然にルルが借金を被る話になっているのだ⁉ 百歩譲って借金を申し込むにしても、それは私の負債だろう?」

「しかし、いつまでもここで考え込んでいても兵士は湧いてこないぞ? とにかくゴステロに掛け合ってみるがいい」

 スルトの厳かな声に、ルルは恭しく首を垂れ、アリアンナは首を振った。

 

  ◆


「……本当に借金をしに行く羽目になるとは……」

 アリアンナは力なく言った。

 ゴステロへの借金の申し込みに、ルル達は囲われ村へと足を運んでいる。

「現状、これしかできることはないだろう?」

 前を行くスルトが振り返って、アリアンナに言った。

「しかし、頼んだから『はいどうぞ』と貸してくれるわけもない。何も担保になるものはないのに」

「アリアンナ、まずは試してみましょう。スルト様の仰ることです。きっと突破口が開けるはずです」

「ルルのそのスルト殿への謎の信頼感は強固過ぎるな」

 ぐっと拳を握って励ましてくるルルに、アリアンナは呟いた。

「さあ、村が見えてきました。覚悟を決めてください、アリアンナ。大丈夫です。アリアンナが断られても、次は僕が頼んでみますから」

「借金への抵抗が薄らいでいるじゃないか。それはまずいだろう」

そこまでぼやいて、アリアンナは真顔に戻った。

村の方向から怒号が響いてきている。

「……村で何か騒動が起こっているようだ」

 ルル達はトラブルを予見して囲われ村へと急ぐ。

「やめてくれ! そんなもんいるわけないだろ!」

「隠すと為にならんぞ、おとなしく協力しろ!」

 まさか盗賊団でも押し入ったか?

そう思わせるやり取りを耳にしてルル達が村内に入ってみれば、店舗の並んだ一角で男達が怒鳴り合っている。

 ふいごやらハンマーやら鍛冶道具が表に巻き散らかされ、王国の兵士達がそれらを吟味しているようだ。初老の、だが筋骨隆々とした男が兵士達に取り押さえられており、その兵士達に向かって抗議している若い男がいる。

「あんたら、おかしいんじゃないか⁉ 何の権限があってこんなことを!」

「コール、お前は下がっていろ! この盗人どもはわしが相手をしてやる!」

「誰が盗人だ! 暴れるな、鍛冶屋!」

 初老の男、鍛冶屋は地面に組み伏せられてしまった。若い男が両手を大きく掲げて嘆く。

「親父! なんだってこんなことを……!」

「王国軍監察官殿の命令だ。王国軍の規律維持に関連して、この鍛冶屋には不審な点があるとのこと、徹底的に取り調べる様に言われている」

 そう告げているのは監察官オーブリーの引き連れていた小隊の隊長だ。中年に差し掛かろうかという男で、その固い声と鋭い眼差しは若い男を刺すかのよう。

 そこへ割って入る声。

「何をしているのか、状況を説明してもらおう」

 ルルが気付けば、いつの間にかアリアンナが前に立ち、兵士達に対峙している。10人程の兵士達を前に、臆した様子もない。

 ガチャガチャと武具や防具をかき鳴らし、兵士達が身構えた。

「あなたには関係ない、砦主」

 小隊長はそっけなく返してくる。

「そうはいかない。辺境警備の一環として周辺地域の治安維持は私の職務の内だ。君達は治安を乱しているようにしか見えない」

「なんだ? あの鍛冶屋とやらが魔王軍のスパイでもしていたのか?」

 スルトが野次馬めいた感想を漏らす一方で、ルルはアリアンナと兵士達のやり取りをはらはらしながら見守っている。

 と、兵士達に抗議していた若い男が上擦った声でアリアンナに呼びかけてきた。

「砦の隊長さん! 助けてくれ! こいつらうちの店に押し入ってきて、何もかもめちゃくちゃにしやがったんだ!」

「……どういうことだ? 王国軍兵士ともあろう者達が略奪か?」

 アリアンナは厳しい目で小隊長を睨む。

「……略奪などしていない。これは監察官殿の命令だ。それを邪魔するのなら、それこそ貴殿を反逆者として拘束しなければならなくなる。いいのか?」

「その監察官殿の命令が正当なものなら従おう。一体、何が目的でこの村の鍛冶屋を荒らす?」

「それは……」

 小隊長が言葉を濁した。それを補うかのように、若い男が声を張り上げた。

「こいつらおかしいんだ! うちの店に、小さなピンクの象に乗った小さなおっさんが隠れているはずだから、匿わず差し出せって! いねえよ、そんなもん!」

 アリアンナの眉間に深い皺が寄る。

「……なに? ……貴殿らは何をしているのだ?」

「……監察官殿が見たのだ。ピンクの象に似た魔獣を乗りこなす極小の成人男性がここの鍛冶屋に逃げ込むのを。おそらく魔王軍の手のものか、ノーマンズランドから侵入してきた野人の類であろうから、必ず拘束するよう我々は厳命されている」

 ルルはその話に聞き覚えがあった。昔、ドラゴンクッキングを魔竜オーディンより学んでいた際、そのような逸話を聞いている。

「それはもしかすると発酵したコケモモシダの中毒症状かもしれません。コケモモシダの毒に当たると小さな男の人の幻覚を見ることがある、と聞いたことがあります」

「もしくは、単に酔っ払って見る幻覚だな」

 ルルの見立てに、スルトが付け加えた。

 アリアンナは額を押さえ、目を瞑る。

「……貴殿らは監察官殿の幻覚に付き合って、このような無体な真似をしているのか?」

「……これも命令だ。従わないわけにはいかない」

 小隊長は表情を消して、無感動に言った。

 アリアンナがそれに噛みつく。

「王国軍兵士とはこんなことをするために存在するのか? 今すぐ立ち去れ!」

「私は命令に従う。あなたとは違うのだ、砦主。たとえ、それがどんな過酷な命令でも従うのが私の誇りだ」

「……ならば、私は近衛騎士として人々を苦しめるものを見過ごすわけにはいかない」

 アリアンナが剣に手をかける。

 小隊長も長柄斧を構えて身を低くする。

 殺気が高まった。

 このままではアリアンナが兵士達に手を出してしまい、監察官の思う壺だ。そう思ったルルは我知らず飛び出してしまっていた。

「待ってください。幻覚を見るほど酩酊状態だった監察官様は、酔いから覚めたら命令を発したことすら覚えていないでしょう。そんな忘れられた命令は、本当に命令といえるのですか?」

「監察官殿が忘れていようとも、それを耳にした私は覚えている。ならばそれに従い命令を果たすだけだ」

「それは監察官様からすれば、あなたが命令もないのに勝手に行動したことになります。勝手に村人の家を荒らした責任を問われるでしょう。それは王国兵士として正しいのですか?」

「というかすごく当たり前の話だと思うが、そもそも貴様らは本当に小さなピンクの象に乗ったおっさんがこの鍛冶屋にいると思っているのか? 常識で考えて?」

 スルトがルルを庇うように、その前に立って問いかける。

 兵士達は誰もが沈黙し、小隊長の様子を窺っているようだ。馬鹿げた命令にうんざりしているらしい空気が漂う。

 小隊長はお面のようだった表情に、わずかに罅を入らせて舌打ちした。

「……命令に従って鍛冶屋内を捜索した結果、極小の成人男性は発見できなかった。以上だ。監察官殿に報告へ戻るぞ」

 小隊長は長柄斧を持ち直し、踵を返す。兵士達もそれに従い、並んでその後についていった。

「……くそ、好き勝手やりやがって……」

 地面に組み敷かれていた鍛冶屋が起き上がりながら毒づく。

「怪我はないか?」

「助かったよ、砦の隊長さん」

 鍛冶屋に手を貸すアリアンナに、鍛冶屋の息子が声をかける。

「なあ、もしかしてあいつらをやっつけにきてくれたのかい?」

「いや、そういうわけではない。私達は砦の兵士を雇うための資金を借りにゴステロの元へ行くつもりだった。その途中、騒ぎを聞きつけてここに駆け付けたまでだ」

「砦の兵隊を? もしかして、あいつらをやっつけるために兵隊を集めようってことかい?」

「違う。砦の守りに必要な数の兵士を揃えるためだ。監察官殿の指導で、それに従わないと捕まってしまうからな。というか、どれだけ、彼等をやっつけたいのだ君は」

 鍛冶屋の息子のがっつくような態度に、アリアンナは肩を竦めた。

「そりゃ、みんな、あの兵隊達には酷い目に遭ってるからさ。どうにかしてほしいってみんな思ってるよ。なあ? あいつらって隊長さんのところの砦の監査とかに来たんだろ? それっていつ、終わるんだ? いつ、あいつらいなくなってくれる?」

 そう問われて、アリアンナは言葉を詰まらせる。

「……それは……私が彼等に捕まるまでだろうな。私が捕まらない限り、彼らはここに残って嫌がらせを繰り返す。村にもこのように迷惑をかけ続けるだろう。……私の所為で村が迷惑する。そうやって私を孤立させる手かもしれないな」

「なんだいそりゃ? 悪いのは隊長さんじゃなくて、あいつらだろ? にして、胸糞悪い奴らだなあ! どうにか追い出せないのかね」

「コール! 無駄口叩いてねえで、奴らに荒らされた道具を片付けろ! いてて、あいつら寄ってたかって押さえつけやがって……」

 鍛冶屋に言われ、鍛冶屋の息子コールは、へーい、と文句を飲み込んで従う。

 ルル達も散らばった鉄の棒や火箸をかき集めて鍛冶屋内に運んでやった。

「……うお、嬢ちゃん、よくそんな持てるな⁉」

「ふん、こんなもの今のわたしでも軽いものだ。鍛冶屋は好きだぞ、火をいっぱい使うからな!」

 鉄製の鍛冶道具をいくつもまとめて軽々運ぶスルトに鍛冶屋の親父が驚く。

 と、コールがルルを見て思い出したようだ。

「手伝ってくれて助かるよ。そういやあんたら、この前の市でネスカのカーレー汁屋台を手伝ってた人達だろ? 俺もあの時、一杯買ったんだぜ。めちゃくちゃうまかったな!」

「そうですか! お気に召したのならよかったです。あの時のお客様だったのですね」

「あんたら、砦に寝泊まりしてるんだってな? じゃあ、砦の隊長さんはあのメシを毎日食ってるのか。……普通に羨ましいぜ」

 コールは物欲しそうな顔で思い出のドラゴンクッキングに浸っているようだ。

「円筒砦に来ていただけたら、ご用意いたしますよ。食材があるうちは、ですが」

「ほんとか⁉ 砦に行けば、食わせてくれるのか⁉ ……そりゃあ考えちまうな……」

 ようやく乱暴狼藉の後片付けが終わり、ルル達は鍛冶屋達に別れを告げる。

「……さて、思わぬ時間を取ってしまったが、これからが本番だ」

 アリアンナが顔を向けるのは村一番の白亜の建物。

 宿と雑貨店が並んでいるゴステロの店だ。

 そちらに向かっていくにつれ、ルル達は宿のちょっとした違和感に気付く。

「随分、散らかっているな」

 店の前にゴミや酒瓶が捨てられ、そのままになっている。

打ち壊された什器が積まれた一角。そこに宿の料理人らしき太った男が新たに割れた皿などを積んでいった。

「……せっかく買い揃えた高級陶器だったのになんてこった……!」

 その男から文句混じりの呟きが聞こえてくる。

 どうも様子がおかしい。

 そう感じたアリアンナは、その料理人らしき男に声をかけた。

「どうかしたのか?」

「あん? ああ、砦の隊長か。どうもこうも、このままじゃうちの店は皆、手でスープを受け取ることになるよ」

「……何かあったようだな。このありさまはどうしたのだ?」

「王都の監察官様のお達しのお陰さ」

 宿の備品の残骸を手で示しながら、太った料理人は苦い顔をして見せた。

「あの監察官様はうちの宿に兵士達を引き連れてやってきてから、ずっと遊び惚けてやがる。高い酒を注文し、酔いどれエルフの吟遊詩人に歌わせ、他の客には自慢話。それも監督官という地位をかさに着て、つけ払いだと言って一銭も払わない」

「それは……ゴステロも頭が痛いことだろうな」

「うちの旦那は損をするのが大嫌いな性質だろう? だから、支払いを催促したよ。そしたら、監督官様は兵士達に命じて宿内を大捜索させやがった」

「捜索? いったい何を探したのだ?」

「それは誰にもわからない。監督官様ご自身もそうだろうさ。とにかく何か不正の証拠を見つけ出せ、と。単なる乱暴狼藉嫌がらせの類だね、あれは。結果、このぶっ壊されたガラクタの山だよ。宿を荒らされてゴステロの旦那は降参。監督官様は今は寝床で高いびき、旦那は寝込んじまったよ」

「寝込んだ? ゴステロは今、体調を崩しているのか?」

「ああ、熱が出てね。まあ、もしかするとこれ以上監督官様に好き勝手な命令を言われるのが嫌で、病気の振りして顔を合わさないようにしてるだけかもしれないが。それで、監督官様の矢面に立つのは今度は俺達、宿の下っ端なんだからたまったもんじゃねえ。このままじゃ、うちの宿も長くないかもな」

「もしかして会えないのか? ゴステロにお願いしたいことがあったんだが」

 太った料理人は首を振る。

「ダメだね。今日のところは。旦那から、誰も自分の部屋に通すなって言われてる。2、3日は自室から出ない気じゃないかな」

 アリアンナはルルと顔を見合わせる。

「……それでは監察官殿がまた監査に来る日に間に合わないぞ」

「アリアンナ、どこか他にお金を借りる当てはありませんか?」

 ルルの問いに、アリアンナは腕を組む。

「いや……そんな急に用立ててくれそうな相手はもうこの村には……。それに金が借りられても、それから兵士を募集しなければならない。とにかく時間がないのだ。今更、別の借金相手を探している余裕もないだろう」

「ならば、無理やりにでもゴステロに会ってもらわねばならないな」

 スルトが軽い口調で言った。

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