口下手に空っ風

御野三二九二

口下手に空っ風

 直接会うよりも、電話をするよりも、理想の別れ方だった。

 今の時代、誠意は電波でも伝わるはずだ。それなのに、結局会って話さねばならなくなった。


 言葉を焦ると、私は口を半開きにして、固まってしまう。

 昔からそうだった。甥っ子を泣かせたときも、姉さんの本を汚したときも、親友の誕生日を忘れたときも、肝要なときにはいつも私の口は半開きになり、何も言わずに閉じるのだ。


 小学生の野外授業のときもそうだ。

 悪口を浴びせられ言い返そうとしたのに、考えてみればそれは軽薄な雑言ではなく、言われても仕方がないことだと納得していた。

 「面白くない」と吐き捨てた男の子は、持っていた小さなものを、半開きの私の口めがけて投げ入れた。

 咄嗟に吐き出して地面を見ると、糸を引く唾液の先にうぞうぞと無数の足をうごめかせてもがいているダンゴムシが見えた。たまらず何度も唾を吐きだした。

 小学校の卒業式のとき、ダンゴムシを投げ入れてきた男の子が、私のことを好きだったと噂で聞いた。

 それを聞いて思ったのは、あのダンゴムシのことだった。私の唾液の海で溺れ死んでしまったのだろうか。


 「LINEで言った通りなんだけど」


 今日くらいこちらから切り出そうとしたのに、呆気なく先手を打たれてしまった。

 彼氏はせっかちな人で、表向きはマイペース、実際はのろまだと笑われる私の手を引っ張ってくれる人だった。

 一緒にいると呼吸まで早くなるようで、彼との時間は一呼吸のうちに終わっているのではないかと思うくらい、有意義だった。

 だからなのか、私たちが出会って付き合って別れるまでも、そう長くなかった。

 五ヶ月で、恋は終わった。

 彼は、のろまな私の呼吸に付き合うつもりはなくなったようだった。

 無意識に半開きになった口で、否定の言葉を紡いでいれば結果は変わったかもしれないが、そのもしもはもう来ないし、引き寄せるつもりもなかった。

 

 「同級生なんだって? いつから?」


 五ヶ月前、初めてのデートの帰り、一時の別れを惜しむように入ったカフェで、終わりに向けた話し合いをしている。

 同級生の男の子と会っていた。ダンゴムシを投げ入れてきた男の子だ。

 付き合ってなどいない。

 約束を取り付けたのは、私だった。


 「二股だったってことだよね」


 やましいことは何一つない。ただ会って、お茶をして、話をした。

 思い出話をしたかっただけだった。私のことを好きだったのか、聞きたかった。

 赤いマフラーも取らずに、紺色のダッフルコートも脱がずにいれば、店内に効いた暖房のせいで汗がにじんでくる。

 年明けまで間もなくという真冬に注文されたアイスコーヒーも、グラスにびっしりと汗をかいていた。


 「何とか言ったらどうなの?」


 彼はいつも結論を焦っている。

 彼氏以外の男性と、二人きりで会っていたのは事実だ。彼にとっては二股なのだろう。

 私にとっては違った。土に埋まって芽も出ていない、水も与えられていない種のようなものだ。

 誤解だというのは簡単だったが、言葉が足りないと感じた。

 思ったままに何か言い出せば、新しい誤解が生まれてしまう。

 焦ってはいなかった。言うべきことはわかっていたが、迷いがあったというだけだ。

 私の口元を見つめて、彼は言った。


 「ほら、半開きだよ。いつものやつ」


 冷え切った目だった。

 言い終えてから、彼はブラックコーヒーではなくなった液体を飲み干した。

 ソーサラーには、スティックシュガーが二本と、フレッシュが二つ転がっている。

 どちらも使い切られて抜け殻だ。

 最初から甘いカフェオレを頼めばいいのにと、最初のデートと同じことを思った。


 「全部喋んなくたってわかるから。じゃあ、さようなら」


 真後ろに、一階へと続く階段がある。

 私の返事を待つつもりもないだろうから、彼は躊躇いなく階段を下りて、夜の街へ溶けていくのだろう。

 窓に面したカウンターから下をのぞけば、出ていく彼の姿が見えるはずだ。

 二階から彼を見下ろすのは、どんな気分だろうか。

 そんなことを考えながら、目の前の高層ビルから一つまた一つと照明が消えるのを数えていた。


 「失礼します」


 背後に人の気配がして振り向けば、一口だけ飲んだお冷を店員が継ぎ足していた。


 「ごゆっくりどうぞ」


 客の談笑とBGMの邪魔をしない、静かな声だった。

 礼を言おうとしたのに、半開きの口を閉じるので精一杯で、今日初めて、そんな自分を情けないと思った。

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口下手に空っ風 御野三二九二 @mogmogkone2012

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