第16話 閃きと繋がり(下)

ひりついた空気の中で口元を緩ます私に、九条君は困惑した様子で言った。


「何ニヤニヤしてんだよ。まぁ機嫌直ったならいいけど…」

「全ての謎は解けました」

「…お?」


九条君は唐突に解けた緊張に気を抜かしそうになりながら、私の方に顔を向けた。私はコホンと一咳して、ゆっくりとベンチに腰掛ける。


「実はね、私は九条君の秘密を知っていたのだよ」

「え、どういうこと?」

「決して杉野さんから話を聞いたわけではないが――」


私はホームズさながらに帽子のつばをいじる振りをして話を続けた。


杉野さんは悪い人ではなかった。

それがこの推理で最も重要なポイントだ。


まず杉野さんの立場をはっきりさせよう。


杉野さんは入学直前に九条君に告白して振られた。これは九条君からも杉野さんも聞いた話だ。


そして、そのため杉野さんは私と出会ったときに、九条君のことを諦めて私を応援してくれるとはっきり言ってくれた。


しかし今朝は、九条君から相談を受けたことでその考えが変わり、私たちの仲を引き裂くことを決めたと言っていた。


一方の九条君は、杉野さんへの相談を経て、一生彼女ができないと思うことになった。


その相談内容とはなんだったのか。

それはずばり九条君が「LGBTQIA+」だという話だ。


杉野さんは言っていたとおり、私のことを九条君に度々勧めた。しかし、九条君は特殊なセクシャリティをもっているため、私のことはおろか女の子を好きになる機会がなかった。


だから彼は彼女ができたことがないのだ。


相談を受けた杉野さんはそんな事情を知らない私を気遣って、九条君から引き離そうと考えたのだ。それが私の幸せになると思って――。


「…杉野さんはいい人だぁ」

「な、なんで泣いてんの?」


グスグスと鼻をすする私に、九条君はどうしようもない様子で戸惑いながら、私の推理に頭を掻いた。


「なんて言ったらいいのかなー」

「え、どこか間違ってるところある…?」


私は余計に溢れる涙を拭きながら、九条君の表情をうかがう。一方の九条君は「俺もよく分からないんだよ」と呟いて、空を飛ぶ鳥を目で追っていた。


確かにいわれてみれば、九条君が博識であるといえども自分のことまでよく知っているわけではないだろう。


「一度杉野さんに言われたことがあるんだ、LGBTQIA+のこと」

「うん」

「その時はあんまりピンと来なかったんだけど、最近好きっていうものがよくわからなくて考えることはある…」


九条君は一つ一つの言葉を苦しそうに吐き出した。分からないものを分からないというのは怖いものだ。しかも、それを分かっている人に分からないと言うのだから尚更だ。


「じゃあさ、一緒に見つけようよ!九条君の好きを!!」


私は九条君の表情にできた影を吹き飛ばすように、明るく大きな声を出して立ち上がった。九条君は差し込む太陽に少し笑みを浮かべて「うん」と頷く。


私はそんな九条君と握手を交わし、柔らかい風に髪をなびかせて笑顔を作った。



*



―――現在。


古い記憶から解き放たれたのは、玄関から大きな音がしたためだった。


かすむ目を擦りながら、白くぼんやりとしている光の中に彼のコートを見つける。私が「おかえり」と寝ぼけた声で言うと、彼は「ただいま」と少し笑いながらコートを脱いだ。


「寝てたのか?」

「うん、昔の日記を読んでたらね…」


彼は「日記か、懐かしいな」と呟くと、まだ床に寝転んでいる私の頭を撫でてキッチンへ向かう。私は思わずニンマリしつつ身体を起こした。


「健も高校生の頃は日記書いてたよね?」

「そもそも由佳が俺の真似したんだろ」


九条君のツッコミと共に冷蔵庫の閉める音が聞こえる。私はダイニングテーブルの上に置いてある新聞やテレビのリモコンを避けながら、味噌汁用のネギを切り始めた九条君の真剣な顔を拝む。


「でも、私より早くやめたよね?」


私が煽り調子に笑うと、一定のリズムで鳴っていたまな板の音が一瞬止まって、私は少し慌てる。私がフォローをする前に、九条君は「確かにそうだったな」と小さく笑って再びネギを切り始めた。


私は九条君が怒っていないことを確認すると、テーブルの上から最後に婚姻届を持ち上げて、大事に自分の部屋へと運んでいった。

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好きを知らない君は青い春を待たない 酸素 @sanso00

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