第2話 スキュラのアヒージョ
私がフィールドワークから青樹亭に戻ると、宿屋の食堂には新顔の団体客がたむろしていた。
都市国家カルベラには、少なくとも外見には人間と全く違いが分からない種から、薄緑の肌と尖った耳を持つ青樹亭のご主人のように、人間とはかなり違った特徴を持つ種まで様々な住人が暮らしている。
団体客も例に漏れず青い肌のもの、三つ目のもの、腕の関節が人間より二つほど多いものなど多様だが、皆一様に揃いの拵えの鎧を身につけていた。
鎧の胸にあるのは、遠目には花のようにも見えるカルベラの市民章だ。
その彼らの視線が、一斉に扉に立つ私に向けられる。
「これが噂のお客人か」
「言葉は? 通じるのか?」
「ええ、翻訳機があるので」
頭を下げる私に、おお、と鎧の人々はどよめく。
彼らに囲まれて話し込んでいたご主人が、私に「おかえり」と笑いかけて言う。
「国立討伐隊のみなさんだ。ルサ川の岸でナハが悪さしてるみたいでね、討伐に行かれるので、ここを休憩所にと」
ルサ川というのはこの街の近くを流れる大きな川で、私も幾度か見たことがある。
釣りや、船での交通や輸送にも使われ、生活の一部になっている川に、何かがいるらしい。
「ナハ、とは」
「ナハは水辺に棲んで、長く柔らかい脚が何本も生えている。魚やら獣をその脚で捕まえるんだな」
「魚を食っているうちはいいが、増えすぎると食い物がなくなって市民を襲うようになっちまう」
「夜行性でな、夜中に街の方まで上がってくるんだよ」
討伐隊の面々は、身振りを交えつつ口々にナハの説明をした。話したがり世話を焼きたがりでお節介というのはカルベラ人の国民性なのかもしれない。
「今回はもう結構被害が出ているみたいでな、民間の討伐隊も2組やられている」
「それで俺たちの出番ってわけだ」
彼等の腰には剣や矢筒が下がっている。今まさにこれから討伐に出ようというところなのだろう。
「あんたも見物に来るか?」
隊長らしき、一際がたいの良い、薄く青みがかった肌の男が私に尋ねる。この世界の人々がどのように狩りをするかは是非見ておきたい。
「いいんですか?」
私の問いに、隊長は実に鷹揚に頷いた。
「ああ、あんたの世界の人にも俺たちがいかにカッコいい狩人かってところを伝えてもらわなきゃな」
ナハが大量発生しているのは、ルサ川のやや上流の方らしい。
鎧姿の勇ましい討伐隊の面々の後ろを、カメラを首から下げたひょろひょろの私がついていくのはいささか気後れしたが、研究のためだ。
なにより、少し興奮もしている。狩りを見るのは初めてなのだ。
「見てみろ、這っていった跡がある」
岩のごろごろとした河原に、討伐隊の一人が膝をついて地面を調べる。
手招きされて覗き込んでみると、たしかに何か粘性のあるものが這いずったような、濡れた跡がそこかしこの岩に残されている。
「ナハの脚はぬるぬるしてるから、こうして跡が残るんだよ。この様子だと結構な頭数がいそうだ」
きびきびと立ち上がる隊員に遅れないように、ナハの足跡にカメラに収めてから慌てて後を追う。
「転ぶなよ」
討伐隊の面々が集まっていたのは、川が枝分かれして洞窟のようになっているその入り口だった。中は暗く、湿った冷たい空気が漂っている。
声を潜めて、隊長が号令をかけた。
「ナハの足跡はここに続いている。ここが根城だな」
隊員の一人が火の灯ったランタンを取り出し、生木に火を移す。
「火と煙で燻りだしたところを仕留めるんだ。ナハは熱さで弱って動きがかなり鈍くなる」
しゅうしゅうと煙をあげて燃える生木が、次から次へと洞窟に放り込まれていく。
他の者たちは弓に矢を番え、別の者は剣を構えて耳をそばだてる。私は庇われるように彼らの後ろに立って、緊張と、いくばくかの無責任な高揚を感じていた。
おおお、おおおぉおおぁおおお。
あつい。あつい。あつい。
生木の上げる白煙の向こうで、何者かが叫び、影が揺らめいている。
丸いあれは、人の頭だ。
あれは、人間の叫びだ。
「中に人が、」
「人?」
私のすぐ前にいた隊員は首を傾げてから、ああ、あんたナハ見たことないんだっけね、と一人得心したようにうなずいた。
「あれがナハだよ」
煙を掻き分け、ぬるりと灰色の、蛸のような蛇のような「脚」が現れる。
蠢く数本の太い脚は胴に、胴は細い首に繋がり、首には丸い頭が乗っている。
二つの目に炎を映して揺らめかせ、わたしたちを睨む、人のような顔だ。
私より高い位置にある苦しむ人間の顔が、この場で最も弱い私を見定めて睨んでいる。
爬虫類のような唇の無い口、鋭い歯の隙間から薄い舌が覗き、しね、と囁く声が聞こえた。
鞭のように灰色の脚がしなり、私の顔めがけて振り下ろされる。
「危ない!」
ひゅん、と空気を切る音に一拍置いて、頬に痛みが走る。
ナハの脚は討伐隊員の剣によって逸らされ、私の顔をかすめていた。
次の瞬間、燃えるナハの目に矢が突き刺さり、あっけなくナハは河原に崩れ落ちる。
「油断するな、どんどん出てくるぞ!」
ぞろぞろと洞窟から出てくるナハの群れに、隊員たちが次々に矢を射かけ、斬りかかり、ナハを仕留めていく。
「あんたは後ろに下がっててくれ」
私は言葉通り、洞窟から離れたところに立ち尽くし、カメラのシャッターを切ることしかできなかった。
狩りは10分足らずで終わり、後には鈍い青色の血が飛び散った河原と、ナハたちの折り重なった死体が残された。
仕留めたナハを持ち帰るのに、荷車を近所の住民から借りなければならなかった。
当初は担いで持ち帰れない分は捨て置いていく予定だったらしいが、隊員の一人が「もったいないから宿のおやじさんにもってかえってやろう」と言い出したのだ。
「ナハの肉か。おやじさんも喜ぶぞ」
果たしてご主人は隊員たちの予想以上の大喜びを見せてくれた。
「こりゃ凄い! しかも血抜きまで済ませてあるとはね」
「狩人の仕事としては当然だ」
「ナハと言ったら脂煮だな。ナハの脚は淡白だから、揚げ物なんかもいいんだけど、揚げ物はこの間やったばかりだからね」
そういってご主人は私ににやりと笑いかける。私の口の中には、先日食べたロカのフライの味が蘇った。
「お客人の故郷にナハは?」
「こういうのはいなかったな……いや、脚だけなら似たようなのも」
荷車からでろりとはみ出た、吸盤こそないが蛸のような脚をぼんやり眺めながら答える。
ゲームで見たスキュラというモンスターを今更ながら思い出した。人身に蛸だか蛇の脚を持ち、あれも確か凶暴だったのではなかったか。
物思いにふける私の顔をご主人が覗き込んだ。
「お客人は少し部屋で休んでおいで。疲れた顔をしているよ」
別にぼんやりしていたのはそのせいではなかったが、確かに討伐隊についていって肉体的にも疲労している。
お言葉に甘えて部屋に引っ込むことにした。
この宿の寝具は正方形に近い形だが、機能に変わるところはない。
うたた寝の合間に見たのは、ナハの鋭い歯に頬の柔らかい肉を齧り取られる夢だった。
「良く寝ていたから、起こさない方が良いかと思って」
がらんとした食堂の隅で、ご主人はつけていた帳簿を閉じて立ち上がる。
目が覚めて食堂に降りていった時にはもう窓の外は暗く、討伐隊の面々も他の客も部屋に引き上げていた。
「夕飯、食べるかい?」
「今日は何ですか」
言ってから、あの荷車一杯に折り重なって死体から肉になったナハのことを思い出した。
もう少し寝た方が良いんじゃないか、と苦笑し「ちょっと待ってて」とご主人は厨房へと引っ込んでいった。
「ナハの脂煮だよ。熱いから気を付けて」
ご主人は席に着いた私の前に手早く敷き布を広げ、小さな鉄の片手鍋を置いた。
鍋を覗くと、香辛料らしきピリッとした香りと、陽炎が立つほどの熱さが感覚を刺激する。
鍋を満たすとろりと乳白色の油の中にはざく切りになった野菜と、白い塊と、焦げたベーコンのようなものが浮いていた。私の知っている料理だとアヒージョが一番近い。
ナハの灰色の脚を思い浮かべていた私は首を傾げる。
「ナハは?」
「その白いのがナハの脚だよ。脚の表面の皮はぬるぬるだし硬いから、洗って剥いでから切るんだ。それからその油は、ナハが胴に貯めてる脂肪を融かしたやつで、胴の腹側の皮は削いで軽く炙って浮かべてある」
ぶつ切りにされた脚をフォークで刺すと、むっちりと詰まった肉の反発力を感じる。
これは私の頬をかすめた脚かもしれない。
「いただきます」
だが今は、あっけなく私の舌の上だ。
脂の甘味と香辛料の刺激に遅れて、じわりとナハそのもののあっさりとした旨味が舌に溶けた。
私は少し硬い肉を、歯ごたえを楽しんで丁寧に噛んだ。噛めば噛むほど油に溶けだすように旨味が増すのが名残惜しくてなかなか呑み込めない。
しかし観念してようやく肉のひとかけを呑み込み、炙った皮を掬う。
炙った分だけ薫り高くぱりぱりとした食感の皮を、程よく染みた脂の風味を搾り取るようにこれも大事に噛みしめる。
ナハは、私に歯を剥いて「死ね」と囁いたあのナハは、このように素晴らしく調理され噛み潰される自分の未来を予測しただろうか。
皮を剥がれ、融かされ、刻まれて形を失ったあの凶暴な生き物は、こんなにも美味しい。
「どうだい」
「美味しいです、油まで掬って飲みたいくらい」
「はは、ちょっとだけにしておくんだよ。ナハの脂は美味いけど食べ過ぎると腹を下す」
「脂と、皮と、脚以外は」
「肝は苦いし頭は固いから肥料屋に売ろうと思うよ。いつもは使う部分しか買わないから、丸ごと捌くのは流石に久しぶりで参ったよ」
「歯とか、目玉とか、舌は?」
「頭についたままだけど。気になるかい」
私の質問に何を感じたのか、ご主人は向かいの席に腰を下ろして神妙な顔をする。
その目は私の頬に向いていた。
ナハの脚が掠めたごく浅い傷がある、夢でナハが噛んだ頬だ。
「今日は怖い思いをしたそうだからね、この国が嫌いになってしまったんじゃないかと心配だったんだ」
私はいいえ、と首を振って脂煮を口に運ぶ。
この世界に来なければ、私が何を美味いと思うかを本当のところ知らなかっただろう。
「良かったよ。異郷にも愛すべきところはある。この脂煮もそうだと思ってもらえると嬉しいよ」
これはご主人が故郷を愛し、その味を愛するような愛ではない。
だが愛すべきものを見出したのは確かだ。
「ええ、本当に。もしナハを捌くことがあれば、次は手伝わせてください」
「はは、なんてすばらしい申し出だ」
ご主人はとてもうれしそうに頷いてくれた。
次があるならきっと、私を脅かした目も、歯も、舌まで余すところなく食べられるだろう。
異世界「亜人肉料理」探訪記 ギヨラリョーコ @sengoku00dr
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