第25話 乱動への突入

 日常を過ごしていた学び舎に、突如として火災が上がった。

 火元は電子黒板や自動ドアといった電子機器。


 この火災の大本は、ヴェインに由来していると零一れいいちは直観した。


 Flareフレア-Sunbringerサンブリンガーは、現界蝕者ファルシフィエルとなって零一のPragmaプラグマを焼失させた。

 Puppetパペット-Masterマスターは、田質でんしち高校の電子設備を乗っ取って、botボットプログラムをインストールさせた。


 過去に遭遇したこれらの技術を応用すれば、この現象は解明可能だ。

 田質高校の電子設備をヴェインのプレイヤーbotボットにし、そのbotボット現界蝕者ファルシフィエルが火属性魔法スキルで攻撃する。

 それによって、あらゆる電子設備は火元になり得る。


「焦らないで! グラウンドに避難しましょう!」


 男性教師の指示に従い、生徒たちは速やかにグラウンドへと向かっていく。

 零一は中庭を歩きながら、学校の様子をちらりと見た。


 火の手が上がっているのは、零一が授業を受けていた1年2組の教室だけではなかった。

 ほぼ全ての教室から黒い煙が立ち昇っている。2階以上の教室では、窓から避難ができず、生徒たちが右往左往している様子を見て取れる。


「――わあっ、ああああっ!」


 煙が充満しつつある教室から逃れる為に、3階の教室の窓がガラリと開き、男子生徒が身を乗り出す。


「危ない!」「きゃあっ!」「おい……!」


 中庭にいた生徒たちが、落下を予想して悲鳴を上げる。

 3階の男子生徒は、窓から下を見つめ、今まさに飛び降りようとしていた。


 避難を誘導していた男性教師は、3階の男子生徒へ大声で呼びかける。


「窓から避難するなら! カーテンを結び合わせて縄にして!」

「あ……! はい!」


 男性教師の呼びかけを聞き届け、男子生徒が思いとどまる。

 数分の後、カーテンでできた即席の縄が垂れ下がった。

 その行動が先例となったのか、あちこちの教室でもカーテンが取り外されていく。


 火災被害に遭っているのは全校生徒と教師である。次第に中庭は避難する人だかりであふれていく。

 零一はひとまず群衆の大きな流れに乗り、グラウンドに到着した。


 狭い通り道を抜けると、広々としたグラウンドの入り口に接続する。

 窮屈な道から解放された群衆たちは、バラバラに散開してグラウンド中央へと歩いていく。


 その散開に乗じ、零一はグラウンドの外れに位置する体育倉庫へと、そろりと足を向けた。


 体育祭の準備期間中は、体育倉庫の鍵が夕方まで開放されている。

 その特例を、体育祭実行委員である零一は知っていた。


 体育倉庫に身を隠した零一は、音声によるコマンドを紡いでいく。


「――ログイン座標設定」


 ログイン後の座標を田質町に設定。


「生体認証OK」


 生体認証の権限要求を許可。


「カバーアカウント:オフ」


 有名アカウントが利用できる、身元隠蔽用のカバーアカウント設定をオフ。


「位置座標偽装」


 プレイヤーの現実世界での現在地を緯度20.425549度、経度136.081151度に偽造。


「インプラント・サーキット秘匿」


 インプラント・サーキットの識別番号を、既に暴露されている別の番号にすり替え。


 ログインにかかる全ての準備を終え、零一は深く息を吸った。

 決意をこめて、命令文を乗せて息を吐く。


「オープン・ザ・ヴェイン!」


 さん


 光が満ちた。

 スマート・リングスマリから放たれる光に零一の全身が絡めとられ、意識が一瞬だけ途絶する。

 脳に埋めこまれたインプラント・サーキットによる強制的な睡眠。その間にヴェインのサーバと認証し合い、クライアントアプリが起動し、人間の意志という最高級言語を機械語に変換する翻訳者コンパイラが大量の0と1を吐き出し始めた。


 ヴェインへの接続が完了した。シャットダウンされた零一の意識が、交感神経の活性化により起動へと至る。


 目蓋が上がるモーフターゲットと緊張した表情のモーフターゲットがブレンドされ、零一のアバターがまばたきを再現した。

 周囲を漂うのは青白く光るコンソールウィンドウ。自身を包むのはサイバネティックな衣装。


 殺人鬼殺しキラーオブキラーズZilchジルチ-Zillionジリオンの降臨である。


Pragmaプラグマ、デベロッパーマップを開け」

『承知しました』


 Zilchジルチの後方支援を行うハッキングAI、Pragmaプラグマが応じる。

 Zilchジルチの目の前に、周囲の詳細情報がマップ上に記される。


 マップの表示限界は、プレイヤーを中心とする半径500mである。

 円状に描画されたマップには、校舎のみならず、電柱や信号機などの箇所に、レベル1プレイヤーが存在していた。


「……!」


 Zilchジルチが息を呑む。

 敵が襲撃をかけたのは、田質高校に限ったものかと想定していた。


 だが、botボットと思しきプレイヤーが校外にも分布している所を見るに、敵の襲撃規模は想像以上のものだ。

 改めて規模を推定するならば――敵は田質町そのものをターゲットにしている可能性が高い。


Pragmaプラグマ! 田質町エリアのレベル1プレイヤーをサーチしろ!」

『承知しました』


 Zilchジルチの傍らに、検索結果を逐次表示するウィンドウが開いた。

 ウィンドウには数十件のリストアップがすぐさま上から下に表示され、文字列の滝を作り上げていく。


 数多のウィンドウに囲まれ、敵の状況を調査するZilchジルチの元に、新たに一つのウィンドウが飛びこんできた。


 先日、連絡先を渡したHatchetハチェットからの個人Whisperチャットである。


『――Zilchジルチ、頼みたいことがあるの』

「悪いが、今は構う余裕がない」


 仮想キーボードの指を走らせるZilchジルチが、Hatchetハチェットの要請を冷淡に拒否する。

 死傷者が出かねないテロリズムに対抗しているのだ。時は一刻を争う。


 拒否されてなお、Hatchetハチェットは詳細を続けた。


『新潟県の田質町に来て。現界蝕者ファルシフィエルの能力を悪用しているヤツを特定して欲しいの』


 その要請に、Zilchジルチの指が止まった。


 Hatchetハチェットの要請と自身の行動は一致している。

 とはいえ、「今まさに対応している所だ」と発言するのは不自然である。


 承諾を装い、Zilchジルチは応答した。


「……分かった。急行する」

『多忙なところ悪いわね。埋め合わせは後でするわ』


 Hatchetハチェットからパーティ勧誘が飛び、Zilchジルチが承諾した。

 パーティリストにHatchetハチェットの名前が連ねられ、Zilchジルチは既知の事実を訊ねる。


「状況は?」


 状況については、むしろこちらの方が詳細に知っているだろう。

 だが、Zilchジルチは「田質町に来るよう要請され、それに応えた」という立場でありたい。

 田質町に所縁ゆかりがある人物だと悟られたくない為に、状況説明のワンクッションをHatchetハチェットに要求した。


『田質町っていうエリア全域に、botボットが配置されているの。

 今起こっているのは、現界蝕者ファルシフィエルがそのbotボットに火をつけて回っていること――そしてそのせいで、現実世界でbotボットが仕込まれた電子機器が炎上していること。

 わたしのリスナーから緊急連絡が来て駆けつけたの。……多分、相手はbotボットを運用するようなチーターかハッカーよ。

 だから、ハッカーであるあなたの力を借りたいの』


 Hatchetハチェットから助力を乞われ、Zilchジルチがうなずく。


「ああ。力はできる限り貸そう。

 今はその田質町に飛んで、周囲のサーチをしている所だ」

『そのサーチで、特定のギルド――「曇天の黒シュヴァルツヴォルケン」のメンバーを探すことはできない?』


 Hatchetハチェットからの質問に、Zilchジルチが答える。


「一応、探してはいる。だがサーチに引っかかる可能性は低いだろう。

 セキュリティレベルの高いプレイヤーは、サーチシステムをすり抜ける。相手がクラッカーギルドなら、まず探せない」

『じゃあ……botボットが戦闘不能になっているかどうかは調べられる?』

「調べている。戦闘不能になっていなければ――そこに現界蝕者ファルシフィエルが現れるはずだ」


 田質高校周辺では、既にあらゆるbotボットが戦闘不能状態に陥っている。

 これらは現界蝕者ファルシフィエルによる襲撃が既に行われていたという印だ。


 田質町内のbotボットの生死が把握できるようになれば、botボットの死亡エリアと生存エリアの移行状況が、現界蝕者ファルシフィエルの侵攻を映し出す鏡となる。


「田質町全域のbotボットのサーチ完了はあと1分だ。

 それが完了すれば敵の状況が掴める」

『ありがとう。頼りになるわ――再生の蝋燭、ルメクスの葉。典礼に捧ぐ霊薬の一沥いちれき蓚治頌歌ソレル・キャロル


 ――パアッ。


 クラス:吟遊詩人バードの中級回復スキル。周囲のキャラクターを回復させる。

 Hatchetハチェットのチャットから、回復の効果音が響くのを聞き、Zilchジルチが訊ねる。


「今は、そちらは何をしている?」

『わたしも現界蝕者ファルシフィエルだからね。

 今は、炎上しているbotボットたちを蘇生薬リザレクションで起こして、回復しているところ。

 これで現実世界でも電子機器が修復されて火がなくなると思うけど……正直、他の人の手も借りたいわ』


 Hatchetハチェットにそう返され、Zilchジルチの目がちらりと所有物インベントリウィンドウに向けられる。

 現界蝕者ファルシフィエルになる為の鍵――Fact.leeファクトリーは手元にある。

 Fact.leeファクトリーを使用し、自分自身が現界蝕者ファルシフィエルになって消火活動に参加する事はできる。


 だが、Fact.leeファクトリーは、藤守雷善ふじもりらいぜんに繋がるかもしれない、わずかな可能性だ。

 解析もほとんど進んでいない。使用した際に致命的な不具合が起こらないか、スパイウェアが仕込まれていないかといった安全性も保障されていない。


 Zilchジルチ所有物インベントリウィンドウを閉じ、Fact.leeファクトリーへ些か伸びた食指を元に戻した。

 同時にPragmaプラグマのサーチが完了し、田質町全域のbotボットの様子が表示された。


 敵は照縫てりぬい公園から侵攻を開始し、田質高校を通って、五堂岳ごどうたけの方面へと向かっているようだ。

 照縫公園と田質高校の間にいるbotボットたちのステータスは、全てが戦闘不能を表す赤色で並んでいた。

 こうして見ている間にも、リアルタイムでマップが赤く染まっていく。


 Zilchジルチはサーチ結果をHatchetハチェットに共有し、敵の最前線にピンを立てた。


「俺は敵を食い止める。お前はbotボットを回復して消火していてくれ」

『分かった。終わったらあなたの所に行くわね』


 ZilchジルチHatchetハチェットは二手に別れ、Zilchジルチはピンを刺した位置にテレポートを開始した。

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キル・ヴァーチャル・キル @NEVAR-evol

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