すでにキミはとりつかれているようだ
柴田 恭太朗
大変なことになりますよ
キミは自覚しているかい?
僕にはソレがハッキリと見えている。
なぜなら僕らが向かい合って座るティーテーブルは、とても小さいから。
キミの白く滑らかな頬に取りついているソレ。
バクテリアじゃないか?
見まちがいなんかじゃない。まぎれもなく原核生物と真核生物の混合体だ。なんの前触れもなく粘着物質とともに音もなく飛来して、キミに貼りついたシアノバクテリアたち。たっぷりと膨潤したミクロの群叢は漆黒。なのにキミはあわてふためくことなく、僕の目の前で艶然とほほ笑んでいる。キミはソレが恐ろしくはないのか?
そう。キミはまだ気づいていないのだ。
それ以外に納得のいく答えはない。
テーブルの向こうから、頬を紅潮させ熱心に話しかけてくるキミ。僕の細君。キミとキミに取りついて離れない奇妙なバクテリアのコロニーとを、僕はハラハラした思いで交互に見くらべる。
ああ、なんとずる賢いことだろう!
僕はソイツの恐ろしい企みに気づいてしまった。
ソレはコロニーを膨潤させていた液体をゆっくりと少しずつ、毛穴を通じてキミの体内へ流し込もうとしている。ソレは彼我の浸透圧の違いを利用して、たくみに皮膚からの浸潤を成功させているじゃないか。
こうやっておしゃべりしている間にも、みるみる群叢の体積が減少してゆく。
それは体内への侵入が完了に近づいたことの証。液体を失った結果、やがてソレはパリパリに干からびて、視覚的にも生物学的にも完全な死を迎えることだろう。
万万が一、キミの頬の上でソレが息を吹き返し、原核生物と真核生物とが持つはかり知れない生命力を持って増殖を始めたとするなら……。
キミの体を養分として、その黒々とした体を揺らめかせながら繁茂したとするならば、それは狂気の淵から蘇った悪夢。
おぞましい光景を見た僕は、はたして正気を保っていられるだろうか。残念ながらその自信はない。
よしんば本体が死を迎えたとしても、安心するのはまだ早い。
考えてもみたまえ、キミの体内へと巧妙に侵入をはたした液体がまだ残っている。
溶け込んだ成分が活発に作用を始めるからだ。ああ、いやらしくもずる賢いヤツめ。ここでも浸透圧が効いてくるではないか。皮膚細胞から水分を奪い去り、キミに尋常とは異なる掻痒感を生じさせる。液体に溶け込んだ微量成分アルカロイドが持つ興奮作用もあいまって、キミのなめらかな肌に張りめぐらされた微細な神経をチリチリといたぶる。かゆみに耐えかねたキミは、近隣にはばかることも忘れ大きな悲鳴を上げるかもしれない。
時計がしめす時刻は、深夜0時。
最寄りの病院はすべて扉を閉ざしている。
救急車を呼ぼうか? 迷っている間にも、キミの真皮に達した液体は毛細血管から成分を送り込み、全身を循環しはじめているだろう。一度血管に入ったならば、それはもはや不可分。二度とより分けて、元に戻すことはできなくなってしまう。
――どうする? どうしたらいい?
僕は迷い続けた。
「何よ、さっきから人の顔をジロジロと」
キミは手にしていた箸と御飯茶碗をティーテーブルに置くと、僕の視線を追って、頬に貼りついたソレを指先で器用に探りあてる。
須臾の間ソレを観察したのち、やにわにポイッと口の中へ放り込んだ。
「ほっぺに『お茶漬け海苔』がついてるって言えばすむ話でしょ」
「ですよねー」
完
すでにキミはとりつかれているようだ 柴田 恭太朗 @sofia_2020
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