エロい姉の存在――同級生のお姉さんがエロいから、僕は僕がエロくないことを必死に貫こうとした。

柿原 凛

エロい姉の存在

 拓哉くんとは友だちだったし、仲も悪くなかった。毎日のように拓哉くんの家に遊びに行って、自分の親が絶対に買ってくれないテレビゲームを、拓哉くんと一緒にするのが日課だった。


 最初は本当に拓哉くんの家でゲームをしたくて通っていた。でも、だんだん拓哉くんの家に行く目的が変わってきたのは、小学4年生の頃だった。


 当時、教室の中では流行りの玩具の話題から、だんだん誰が可愛いだの誰が付き合っているだのよくわからない話題が幅を利かせるようになっていた。僕は誰かに「お前誰が好きなん? 誰が一番可愛いと思う?」と聞かれても、「女と付き合うのはカネがかかるらしいから彼女とかいらんし興味ないわ」と応えるようにしていた。実際そうだと思っていたし、この前まで意識していなかった同級生のことをそういう目で見られなかった。


 拓哉くんは特にそういう話題が好きなやつになってしまった。僕が新しいゲームの話をしようとしたら、拓哉くんは恋愛シミュレーションゲームを買いたいけど、持っているゲーム機が対応していないからできないんだと言ってきた。僕はふぅん、と精一杯興味を示してみたが、内心、がっかりだった。


 それでも結局、拓哉くんは俺がいるときは一緒にいつもの格闘ゲームをしてくれた。一緒にゲームをしながら、4組の誰かのパンチラを見た話を嬉しそうにしている拓哉くんをボッコボコにするのが日課になっていた。


 恋愛なんて、アホくさい。

 本当に、そう思っていたんだ。



 拓哉くんの家に行くと、いつも決まって途中で邪魔が入る。ゲーム中、拓哉くんのお姉さんが気を利かせてお菓子とジュースを持ってくるのだ。そのたびに一旦ゲームが中断されて、3人でおしゃべりする時間が始まる。この時間が僕にとってはとても長く感じていた。僕はゲームをしにきているのに、なんでいつもそれを止められなきゃならないんだ。しかも別に興味のない、他愛もない話。拓哉くんはお姉さんに女の子はどんなものが好きなのか、どんなものが喜ばれるのか聞いたりしていて、やけに仲良しな姉弟だなぁと思いつつ、会話に入れない代わりにお菓子で口をふさいでその時間が過ぎるのをひたすら待つしかない。早く過ぎればいいのに。今日はもう30分も無駄にした。そうやって、時計とお菓子に視線を往復させるだけだった。


「うちの姉ちゃん、エロくない?」


 お姉さんが部屋から出た後、拓哉くんはゲーム再開のためにお気に入りのキャラを選びながらそういった。自分の家族をエロいとかエロくないとかそういう目で見ているなんて、頭おかしいだろ、と思った。


「最近またおっぱいおっきくなってきたしさ、さっきポッキー食べてるときの唇、チュウしてるみたいですげえエロかったわ」


「アホか。なにそんなスケベなことばっか考えて。あほくさ。アホじゃん」


 まったくどいつもこいつも。エロいのはだめなことなのに。

 でも、たしかに拓哉くんのお姉さんはエロい。


 確かに大きなおっぱいに、厚い唇、校則のせいだと言っていた真っ黒のストレートの髪の毛、いつも着ている制服から香る、何とも言えない柔らかくて温かい匂い。この前運動会の練習の日に部屋に入ってきたときは制服じゃなくて体操服だった。体操服が成長に追いついていないのか、なんだかやけに張っていたのを思い出す。拓哉くんのお姉さんは、本当に、エロい。


 でもこんなことを考えるのはだめなことなので、僕はそんな事を考えない。あほくさい、と自分に言い聞かせて、「お尻もいいんだよなぁ」という拓哉くんの女性キャラを、ボッコボコにする。


 多分その頃からだと思う。僕はゲームをしにいくというより、拓哉くんのお姉さんを見に行くために拓哉くんの家に通うようになっていた。


 うん、今日もエロい。

 あ、今日はけっこうエロい。

 うーん、昨日のほうがエロかったかな。


 相変わらずおやつタイムは時計とお菓子の方に視線が往復するだけだけど、耳は拓哉くんのお姉さんの方に向くようになった。


 今日は、拓哉くんが最近気になっている同じクラスの子にどう話しかけるべきか相談している。

 今日は、拓哉くんがこの前東京から転校してきた子と隣の席になって話が盛り上がったのを褒めている。

 今日は、拓哉くんのお姉さんが来年から地元の中学に進学するから彼氏ができるかもしれないことを話している。


 は? なんで中学に行ったら彼氏ができるんだ?


 そんなの、ずるいじゃん。ずるくないけど、ずるい。

 拓哉くんのお姉さんはエロいから、すぐに彼氏ができるんだろうな。そんなの、ずるくてエロいんだ。


「なぁ、お前、俺のお姉ちゃんのこと好きなんだろ」


 は?

 違うし。


 拓哉くんはニヤニヤしながら、女性キャラの服装を選んでいる。

 俺はエロくないからゴリゴリの男キャラで、今日も拓哉くんの操作する女性キャラをボコボコにするんだ。


「エロいもんな」


 は?

 エロくないし。

 お前のお姉さんはエロいけど、俺はエロくないし。

 エロいのはだめなんだから、好きになるわけがない。


 そんな中、今日もまた拓哉くんのエロいお姉さんがお菓子とジュースを持ってきた。

 俺は今日もお菓子の方に目を向ける。今日はポテチと小瓶の牛乳。今日の話題はプールが始まったから水着を持っていくか着ていくか悩んでいるそうだ。


 は? 水着?


 エロいのに水着を着るのはもっとエロくなるからだめなことなのに。

 ポテチの食べかすが白いワイシャツの丘にこぼれている。唇に油がついて、テカテカしている。それをペロッと舐めて、また窮屈そうな制服姿で屈んでポテチに手を伸ばす。エロい。

 いつの間にか視線も拓哉くんのお姉さんの方に向かっていた。しまった。エロいのはだめなのに。


「君は好きな子とかいないの?」


 今日は珍しく拓哉くんのお姉さんが話しかけてきた。


「君じゃなくて、修平」


「あ、ごめんね? じゃあ、修平くんは、好きな子とかいないの?」


 修平くんとか呼ばれたし。

 は? なんでそんな可愛い声で名前呼ぶんだよ。エロいのはだめなんですけど。


「いない。だって女はカネがかかるって聞いたことあるもん」


「あはは、そうなんだね」


 俺はエロくないからそんなのはいないに決まってる。

 エロいやつだから彼氏とか彼女とか欲しくなるんだ。

 エロいのはだめなんだ。


「こいつ、お姉ちゃんの事好きだと思うよ」


 は? 好きじゃねえし。

 何勝手に言ってんの?

 バカじゃん。


「ちげえし」


 僕はエロくないからそんなの違うに決まっている。

 エロいのはだめだから、そんなのありえない。

 でもこの姉弟はどっちもエロいからそんな話をするんだ。

 それはだめなことなんだ。


「姉ちゃん、卒業したら部活始めるんだってさ」


 今日も拓哉くんはお気に入りの女性キャラで俺からボッコボコにされている。


 ふぅん、とだけ応えておく。ここで過剰に悔しがったりするやつはエロいやつだから。


 俺はそうじゃないから。


「姉ちゃん、バスケ部に入りたいんだってさ」


 は? そんなの走ったらおっぱいが揺れるじゃん。そんなのエロいからずるいんだ。


「お前バスケやったことある?」


「あるし。そんなの簡単だし」


「じゃあ、お前とお姉ちゃん一緒にバスケの練習すりゃいいじゃん」


 は? そんなのダメだし。そんなの近くでそんなの見れちゃうとか、エロいし。エロいのはダメだし。


「そんなんいいよ」


「いい? いいの? へっへっへ」


 何だその笑い方。ほんとスケベだな。

 俺はエロくないから、そんなので笑わない。

 しかも俺は否定したんだし。そんなのわからないとかおかしいし。


「良かったな、バスケしてて」


「別にそんなんどうでもいいし」


 またゲームの中でボッコボコにしてやった。


 俺と拓哉くんが5年生になり、拓哉くんのお姉さんは中学校に進んだ。本当にバスケ部に入ったから、一緒におやつを食べなくなった。あのおしゃべりの時間もなくなり、拓哉くんといつものゲームに集中する日々が続いた。


 拓哉くんのお姉さんは部活があるから6時半頃帰ってくることが多くなったらしい。ふぅん、といつもどおり返しておいた。


 俺はいつも5時半に帰っていたが、その日から6時半まで残ってやることにした。別に俺はエロくなくて、拓哉くんが寂しそうだから残ってやるんだ。別に俺はエロくない。


 別に一緒にお菓子を食べたいわけじゃないから、俺は拓哉くんのお姉さんがちょうど家に着くくらいの時間に拓哉くんの家から帰るようにした。そしたら偶然ばったりタイミングが合って、拓哉くんのお姉さんと拓哉くんの家の前で少し二人で会話ができるようになった。別にエロい会話なんてしていないから、これはセーフなんだ。


 5年生にもなると、クラスの中で何組かお付き合いをしはじめる奴らが出てきた。アイツらは四六時中エロいからお付き合いしたりするんだ。俺はエロくないから、そんなことはしない。別に付き合ったりしなくても、俺には毎日お話ができる拓哉くんのお姉さんがいるんだから、お付き合いなんておカネのかかることはする必要がない。


 拓哉くんのお姉さんとは、別に付き合ったりしていないからエロくないし、エロいのは拓哉くんのお姉さんなんだからセーフなんだ。同級生とお付き合いしている奴らはみんなエロいからそんなことをする。エロいのはだめだから、俺はそんなことをしないんだ。




「最近、“僕”じゃなくて”俺”っていうようになったよね」


 体操着姿でおっぱいを強調しているエロい拓哉くんのお姉さんが、帰り際の俺に向かってそういった。


 は? そんなん知らんし。カッコつけたりしてないし。


「修平くんも男の子らしくなってきたのかな?」


 は? 元々そうだし。

 俺は男らしいし、エロくないから良いんだ。

 また少し背が高くなった拓哉くんのお姉さんが、俺を覗き込んでくる。

 そんなんしたらおっぱいのところにある体操着の端っこが俺に当たるし。

 そういうのはエロいからダメだし。


「さっきからどこ見てんの?」


 胸を隠そうとして、隠しきれない拓哉くんのお姉さん。


「は? 見てねえし」


「あはは。かわいくないねぇ」


「は? 別にいいし」


 俺はエロくないからそんなの見てねえし。


 俺はエロくないから別にかわいくなくていいし。


「中、見たい?」


 拓哉くんのお姉さんが隠そうとしている手をどけた。


「は? エロいのはダメだし!!」


 そう言って走って逃げた。




「拓哉くんはいいよな」


「なんで」


「エロい姉がいるから」


「ああ、それはサイコーだな」


 別にこれは俺がエロいわけじゃなくて、エロい姉がいるということそのものが良いっていうだけであって、エロい姉がほしいというわけではないから、セーフ。


「俺もエロい姉がいたらなぁ」


 別にこれも俺がエロいわけじゃなくて、エロい姉がいるということそのものが良いっていうだけであって、ほしいということには直接つながらないから、セーフ。


「じゃあお付き合いすればいいじゃん」


「は? そんなんいいし」


 お付き合いするやつはエロいからだめなんだ。俺はエロくないから、お付き合いはしないんだ。カネもかかるし。


「いい? いいの? へっへっへ」


 やっぱりスケベな笑い方。

 しかも俺は否定してるんだし。そんなのもわかんないのか。エロいからわかんないんだ。


「俺はエロくないからそんなんせんし」


「お前は絶対エロいね」


「は? エロくないし」


「エロいね」


「エロくないし」


「エロ!」


「エロくないわ!」


 本当は素手で殴りたかったけど、それはエロいやつがやるようなことだから我慢した。

 ゲームの中で、ボッコボコにしてやった。


 拓哉くんのお姉さんは、中学校で彼氏を作ったから部活の後まっすぐ帰ってこなくなったそうだ。だから俺は、もう拓哉くんのお姉さんと話さなくなった。中学校でお付き合いするなんて、やっぱり拓哉くんのお姉さんはエロい。しかも部活の後におデートするなんて、もっとエロい。どうせ公園のベンチとかに座って、チュウしたりするんだ。そんなエロいことするなんて、だめなんだ。エロいのは、だめなんだ。


 でもそんなことを想像しちゃうなんて、僕はだめなやつなんだ。

 エロくなっちゃって、ダメなやつになっちゃった。

 拓哉くんのエロい姉の存在が、僕を俺にして、エロくなっちゃった。

 けど、それがきっとセイチョウってやつなのだろう。

 だから、別に良いし。


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エロい姉の存在――同級生のお姉さんがエロいから、僕は僕がエロくないことを必死に貫こうとした。 柿原 凛 @kakihararin

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