好奇心は恋をも生み出す

独一焔

開幕

「もう、この際ぶっちゃけて聞くけどさあ、にいにって何歳なの?」


 ココアの入ったマグカップから顔を上げて、少女は目の前の青年に尋ねた。

 青年の返事は「んー?」の一声で、心ここにあらずと言った様子である。

 なので、少女は再び青年の容姿を観察する。


 伸ばした、と言うより切るタイミングを逃したかのように乱雑に伸びた髪を、これまた乱雑にまとめた黒髪。

 見ようによっては未成年にも見える童顔。本心を覗かせない笑顔と、視線を巧みに隠す黒縁の眼鏡。

 そして、時折怪しげな光を孕む、人間離れした赤い瞳。


 年齢不明、家族関係不明、職業不明。年がら年中暇そうに見えるのに、金に困っている姿を見た試しがない。

 飄々としていて掴み所がなく、なのに相手に警戒心を抱かせず、いつの間にか懐に入り込んでいる。

 そうやって突然、同じマンションのご近所になってから十年。


 彼は、その容姿を一切変化させていない。少女が六歳だった頃のままの姿だ。


(いや、流石にそれはおかしいでしょ)


 残念ながら、少女の理解者はいなかった。

 少女の母は「まあ、あの人なら何かありえそうじゃない?」と笑いながら言い。

 少女の父は「そういう人間だっているだろう」と新聞から顔を上げずに断言する。

 少女の友に至っては、「老けないイケメンとか最高じゃん!!」などと羨ましがる始末だ。


「……どうした?」


 少女の視線と青年の視線が交差する。気まずくなり、少女は咄嗟に顔を逸らした。


「べっ、別に? 何でもない。というか、さっきの質問! 答えてよ!」


 無理矢理矛先を戻すと、青年は困ったように頬を掻いた。


「そう言われてもなあ……。もう数えるの止めたし」


「それでも誕生日……そう、誕生日! 生年月日くらいは覚えてるでしょ!? 私が逆算するから教えて!!」


「うーん、ここで一人暮らし始めてからは祝ってないし……。つーか、一体どういう風の吹きまわしだ? アンタこの十年間、一度も祝おうとした事ないだろうが。さては……」


 悪戯っ子的な笑みを浮かべると、青年は少女の鼻先に触れる寸前まで手を指した。


「次のテスト、ヤバいのか?」


「違うし近い!!」


 青年の手を叩き落とし、大袈裟にため息を吐いた。


「にいにの手を借りなくても、勉強くらいできますー!」


「そうか? つい最近だって俺に泣きついてきたじゃないか」


「泣きついてないし、受験は最近って話じゃないでしょ! ……にいにって、なんか時間間隔が人とズレてるって言うか……」


 そう、ずれている。青年の存在は、この世界の何もかもから。

 外見も内面も、全てが隔絶している。


「それで? どうして突然、俺の歳なんか知りたがったんだ?」


 今度は青年の方から話を蒸し返してきた。

 思いもよらない反撃に、少女は一瞬言葉を詰まらせる。


「その……」


──────


 きっかけは、先程青年の存在を羨ましがった友である。

 少女の愚痴に近い話を聞き終わるなり、「じゃあ、アタシがその人の彼女に立候補しちゃおうかな!」などと言い出したのだ。


「えっ、止めといた方がいいんじゃない……?」


「なんで? 彼女いないんでしょ? だったらアタシがアタックしても無問題モーマンタイじゃん!」


「でも、に……じゃなかった、あの人ってガサツだし、デリカシーないし……」


「アタシも、そんな細かい事気にしないからピッタリじゃーん!」


「だけど……」


「……ははーん?」


「えっ、何いきなり。気持ち悪いよ」


 少女が眉をひそめるのにも構わず、友は「ずばり!」と教室中に響きかねない声で言い放ったのだ。


「その人の事が好きなんで」


──────


「うわーーーーーーーーーっ!!」


「うおっ、どうした!?」


 回想から引き戻された叫びに、青年が驚きと戸惑いを示した。

 少女はおそるおそる青年を見て、またすぐに顔を逸らす。


 ……執拗に彼の年齢を確認したのは、「こんな年上ありえない」と否定したかったからだ。

 彼は十年間姿の変わらない素性不明の人物であり、そういった対象として見るには不安要素が多すぎる。

 確かに顔は良いが、それ以外が問題だらけなのだ。


 もしも、自分が知らないだけで、とっくの昔に相手がいたとしたら。

 もしも、パートナーに暴力を振るうタイプの人間だったとしたら。

 もしも、恋愛相手として見られないくらいの年の差があったら──


(って、そうじゃなくて!!)


 慌てて頭を振って、上記の考えを吹き飛ばす。

 少女の目的は、あくまでも『青年に対する恋愛感情の否定』だ。

 間違っても、など


「……なあ、どこか具合でも悪いのか? アンタ、今日はずっと変じゃないか」


 今度は鼻先ではなく、少女の額に青年の手が触れられた。

 男性らしく節のある手は、しっかり人の熱を持っている。


「熱はない、な。……何があったか知らないけど、相談なら乗るぞ?」


「何でもない! ほんと、なんでもないから……」


 いつもは嬉しいその言葉も、悩みの種から言われては困惑の元でしかない。


 ココアを一気飲みすると、鞄を持って少女は立ち上がった。


「ココアごちそうさま! 私もう帰……」


 細腕が掴まれる。少女が驚いて見ると、青年は赤い瞳で真っ直ぐ射抜いてきた。


「もう少し、ここに居たらいいじゃないか。親御さん、まだ帰らないんだろう?」


 青年の一言で、少女はようやくここが青年の部屋である事を思い出した。

 より詳しく言うと、

 小さい頃から、共働きの両親が帰るまで自分の部屋で構ってくれた青年。

 優しい、と青年を指して人は言うだろう。

 だが、あえて事実をそのまま並べるならば。


 成人男性が一人で暮らしている部屋に、女子学生が一人で訪れているのだ。

 要するに、今ここには、男女が二人だけ。


 それらの事を意識した瞬間に、少女の顔は林檎のように赤くなってしまった。

 全力で青年の腕を引き剥がして、そそくさと玄関へ逃げる。


「だ、大丈夫だから。もう子供じゃないんだし、一人で留守番くらい──」


 玄関の鍵を開ける寸前に、ドアノブを握る手の上に青年の手が重なった。

 いや、手だけではない。背中にも温もりを感じる。もう片方の手は、少女の頭上のドアに置かれていた。

 玄関の静寂に、二人分の吐息が溶けていく。


「言い方、変えようか? 俺が寂しいから、帰ってほしくない。……駄目か?」


 耳元にかかる声と息。振り向けば、きっと彼の顔があるに違いない。

 そして今の距離の近さならば、あるいは。


「だ、だめ……」


「どうして?」


「~~~~っ……。ああ、もう! キモいからやめてよ!! にいにのバカ!!」


 推定して腹の位置に思いっきり肘を入れる。「うぐっ」という短いうめき声と共に青年が遠ざかったので、これ幸いと外に出た。


「ほんっとサイテー! 今の、どう見てもセクハラだからね! しばらく遊びに来てあげないから!!」


 少女は返事を待たずに、三軒隣の自分の家へと帰っていく。

 その後ろ姿を呆然と見送った後、こみ上げた物があるのか青年はくつくつと笑う。


「『しばらく』か……二度と来ないって言わない辺りが甘いなあ……。まあ、そこが良いんだが」


 玄関を閉めて、未だに上半身に残る少女の温もりに酔う。

 目を閉じ、脳裏に描くのは腕を掴んだ時の僅かに怯えた顔と、玄関の扉に体を押し付けた時の手の震え。


「十年、か……。最初はすぐに来るものだと思ってたが……人と同じ尺度に立つと、そうも行かないらしい」


 誰もいない空間に、青年の独白だけが流れる。


「まあでも、今は十八まで待てば良いって言うんだから、楽だよな。あと二年、気長に待たせてもらうか」


 人間離れした微笑み。その顔のまま、彼はに振り向いた。


「……ああ、まだいたのか。あの回想とこそいじらしかったが、覗き見は感心しないな? 全くもって悪趣味だ」







「ただ──今回は、幕を下ろすだけで勘弁してやろうじゃないか」




 閉幕

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