年度末棚卸し――ホムンクルス・サクラの場合――

ミドリ

第1話

 毎年3月も下旬になると、心臓がドキドキしてくる――。


 私が広い家屋兼研究所の掃除を念入りにしていると、あるじであるタカムラが慌った様子で駆け寄ってきた。


「ねえねえサクラ。5号がいないんだけどどこに行ったか知ってる?」

「そういえば今日は見ていませんね」


 タカムラは、端正な横顔を私に見せながら首を傾げる。タカムラは三十路を少し超えた精悍な雰囲気の男性で、職業は生体生成師せいたいせいせいし。マッドサイエンティストと呼ばれることもあったが、現在はようやくその功績が世間に認められつつある人物だ。


 玄関のモニターの方を見ると、未確認の点滅ランプが点灯しているのが見えた。操作台の前に行き未確認映像の確認を選択すると、3Dホログラムで玄関の様子が映し出される。


 プラチナブロンドの、私に少し似た顔立ちの艶やかな女性。その女性が、辺りを窺う様に怪しげな態度を見せながら玄関を飛び出して行く姿が流れた。テーブルの上を確認すると、電子の置き手紙がある。私がそれを空中で操作し開くと、『お世話になりました。みなさんお元気で』と表示された。タカムラがそれを唖然とした表情で見つめているのを確認した後は、置き手紙をオフにする。


「……もうちょっとで成体になったのに」

「お言葉ですが、タカムラ様のお相手になるのが嫌だったのでは」


 私が桜色の肩すれすれに切りそろえられた髪を揺らしながらそう答えると、タカムラは見るからに残念そうに肩を落としてしまった。私はそんな主の背中にそっと触れると、慰めの言葉を掛ける。


「大丈夫、私がおりますから」

「うう……サクラだけだよ、いつまでも僕の隣にいてくれるのは……!」


 タカムラは少し痩せ気味ではあるがなかなかに端正な顔をした男で、乱雑に伸びた黒髪は如何にもマッドサイエンティスト然としている。そして非常に結婚願望が強いのだが、マッドサイエンティストの名が世界中に知れ渡っている所為で、見た目はいいのに相手が一向に寄ってこない。


 そこで彼が取った手段は、タカムラのこれまでの全知識を総動員してホムンクルス人造人間を生成し、自身の嫁として迎え入れるという作戦だった。


 そう、タカムラの職業である生体生成師とは、ホムンクルスの作成を行なうことを指す。新たにひとつの生命体を生み出す行為について世論は分かれたが、欠損した身体だけでなく、自身のDNAを用いての人体生成、そこから年老いたり病で起き上がれなくなってしまった本体の脳にすげ替える技術も披露した結果、人々はこの不老不死の薬を受け入れることにしたのだ。


 だが、人体生成にはコストが掛かる。その為まだ一部の富裕層しかこの技術は利用出来ていないが、自身のスペアを予め作成し、その日が来るまでコールドスリープさせるのが最近のブームとなっていた。


 そんな中、タカムラは顧客である女優などのDNAを拝借し掛け合わせた自分の嫁候補のホムンクルスを作り、人体の成長を促す促進技術をふんだんに用い、一年掛けてあと僅かで成体というところまで育て上げたのだ。成長促進は成長促進剤の溶液が詰められたカプセルの中に漬け込み続けることで可能となるが、供給過多は急激な老化をもたらすことがあった為、一週間漬け込み一週間は外に出し、というギリギリのスケジュールで何とか一年掛けて育ててきた。


 ホムンクルス作成機は場所を取る。管理費も高い。増設はしているが、追いついていない。そして世界中の富豪の予約で順番は埋まっている。その内のひとつを自分の私利私欲の為に使い続ける訳にはいかず、出来るだけ急がせても一年かかるのだ。


 その端正込めて作り上げた嫁候補が、逃げた。それは嘆きたくもなるだろう。


 尚、顧客用のホムンクルスについては、脳みそのすげ替えを行なうだけなのであえて目を覚ます必要はなく、むしろ中身の脳が自我を持つことを避けなければならない。欲しいのは身体だけだからである。その為、顧客のホムンクルスはカプセルから出ている時も強制的に寝ている状態にあるが、嫁候補だけはそういう訳にはいかなかった。自我を持たせ、生まれて僅か一年であろうが成熟した女性としての意識を持ってもらわねばならないのだ。


 その為、カプセルでの睡眠中も情操教育を行なっていたのだが。


「性教育のムービーの内容が刺激的過ぎたのでは」

「ええ? あれで? でも嫁なら必要だろ。それにお前は平気だったじゃないか」

「そういえばそうですね」


 ぐすん、と悲しそうに項垂れる主の頬に、私は桃色であろう自分の唇をそっと押し当てた。私を作り上げているDNAはミス・ワールドになったことのある人物の物らしい。丁度桜の季節に開始したので、遺伝子をいじって何をどうやったのかピンク色の髪の毛が出来上がった。という訳で、私のこの桜色の美しい髪は、人類で唯一私だけが持っているタカムラからの贈り物である。


「お前が女だったらなあ」


 私の顔を涙目で見つめるタカムラは、こうしていると天才科学者ではなく少年みたいだ。


「私のホムンクルスを作ればいいじゃないですか」

「いや駄目だ。ホムンクルスのホムンクルスは、これまで長時間姿を保てたことがない。そんなものにお前の脳みそは移せない」


 本来DNAの操作は神の領域だからか、実在する人物の複製は出来ても、ホムンクルスの複製はすぐに崩れ落ちてしまうのだという。


「1号がサクラと凄くよく似てたんだけど、事故で死んじゃってさ。あれが始まりだったなあ……」


 ぐすぐす、とタカムラが語り始める。この話は腐るほど聞いたが、私が自分の女性版ホムンクルスを作ったらどうかと言うと始まってしまうので、もうそういうものだと諦めている。


「2号を1号の複製にしたら、どんどん溶けていく様に年老いてあっさり死んじゃって」

「残念でしたね」


 タカムラの口の端にちゅ、とキスをすると、タカムラは私に縋りつく様に抱き締めてきた。タカムラは、万事において非常に素直で可愛らしい人間なのだ。


「その後は何体も育ち切る前に駄目になっちゃってさ。女性だと安定しないのかと思って男性にしてみたら大正解、お前は今も元気に生きてくれてる」

「そうですね、私は元気ですよ」


 カプセルを出た後は成長速度は人間と同じく緩やかなものとなり、もう数年タカムラのアシスタント兼ハウスキーパーとして隣にいる。


「3号と呼ばれていたのが懐かしいです」


 私がタカムラの体温を感じながらそう言うと、タカムラが顔を上げて私の顔を覗き込んできた。


「……だって、名前を付けた後に死んじゃったらと思うと」

「そうでしたね」


 サクラ、と名付けてくれたのは、私がカプセルを出て一年が過ぎてからだった。私がタカムラの腕の中でねだると、それまで頑なに名前を付けてくれなかったタカムラは行為の余韻に浸っていたからか、あっさりと名付けてくれたのだ。実はずっと心の中でそう呼んでいたのだとはにかんで言われたことは、一生忘れられない思い出だ。


「4号は安定したお前のデータを元に作ってみたら今度こそ成功か! と思ったのに、まさかカプセルの不具合が起きるなんて」


 一年がそろそろ過ぎようかという頃、カプセルに酸素が送り込まれないという不具合が発生し、4号はカプセルの中で溺れ死に、そのまま老いて朽ちていってしまったのだ。


「あれは驚きましたね。まさか鼠がコードを齧っていたなんて普通は思いませんよ。不可抗力です」

「全部を頑丈なコードに切り替えるのはお金がかかったよなあ」

「予算が大分食われましたものね」


 ちゅ、ちゅ、とタカムラの唇に幾度も自分のそれを重ねていく。タカムラの腰に手を回すと、タカムラが私に腰をぐっと押し付けてきた。タカムラを慰めるには、これが一番手っ取り早い方法なのだ。


「今度こそ! と思って5号を作ったのに、まさか出ていっちゃうなんて思わなかった」

「あ、そういえば……」

「え? なになに?」


 さも今思い出したかの様に言ってみる。


「先日、私がタカムラ様の寝室にお邪魔している時に、ドアが少し開いた気がしたんですよね」

「えっ」


 そんな事実はなかったが、どうせタカムラは気付かない。素直に言われたことを信じてしまう人間だから。


「……もしかして、私とタカムラ様の仲を知り、それで出て行ってしまったのでは」


 私が残念そうな表情を作ってそう言うと、タカムラがふるふると首を横に振る。


「だ、だって、サクラは俺の大事なサクラだから……っ」


 罪作りな台詞を、当たり前の様に吐くタカムラ。


「ですから言ったでしょう。私がいなくなればよかったと」


 そんなことは思ってもいないが、そう言えばタカムラが必死で私を捕らえておこうとするのが分かっていたからそう言った。


「いやだ! サクラは俺のだ!」

「ですが、嫁も欲しい、私も欲しいでは嫁は納得出来ないでしょう」

「サクラは別なんだ! でも……結婚出来ないし」


 どちらも手に入れようとする、愚かな男。毎年嫁候補の生成を手伝うことになる私の気持ちなど、考えたこともないのだろう。


「そもそもどうして結婚したいのです?」


 タカムラの結婚願望が強いのはよく知っていたが、そういえばその理由までは知らなかった。私が素朴な疑問を投げかけると、タカムラが照れくさそうに言う。


「だって、そうしたら変人扱いされないかなって思って」

「タカムラ様……」


 タカムラは、この研究にこれまでの人生を全て捧げてきた。幼い頃に両親を亡くし、死んだ人を生き返らせたいと願ったのが研究のきっかけだったという。そしてようやく辿り着いた先で得たものは、マッドサイエンティスト、変人、神への冒涜者などという散々なものだった。


 愛している人とまた会いたいだけ。その思いが全世界に否定された気持ちになってしまったタカムラは、結婚して家庭を持てば普通の人間だと認識されると思っていたのか。


 ――哀れな人。


「タカムラ様?」

「ん?」


 タカムラにしがみつく様に抱きつき、私が心から愛する人にキスを繰り返す。


「私は、タカムラ様が変人ではなくなったらここから出ていきますよ」

「――だめだっ!」


 タカムラが、泣きそうな顔になった。こうなるのは知っている。分かってやっているのだから。


「私は、タカムラ様がタカムラ様なままが好きなんです」

「サクラ……」


 だって、タカムラが周りの人間に受け入れられてしまったらどうする。私の居場所など、あっという間に正規ルートで生成された人間にとって変わってしまうだろう。


 それだけは嫌だ。絶対に許せる筈がなかった。


「タカムラ様、嫁はなくとも、私がいるじゃないですか」


 自分と同じDNAを持つ女の生命を維持するコードに細工をするのがどれだけ恐ろしかったか、この人は分かっていない。


「男の私では、駄目ですか……?」


 潤んだ瞳でタカムラを見上げる。タカムラは私のことを愛している。タカムラは、一度愛した者は手放せないのを私は知っている。


「サクラ……サクラはずっと俺のことを好きでいてくれるか……?」

「当たり前でしょう。私はタカムラ様を永遠に愛しておりますから」


 私と似た顔を持つプラチナブロンドの女は、タカムラが実は殺人鬼であるとかサディストであるとかいった私の嘘を素直に信じた。生まれたては御しやすい。ホムンクルス用の安定剤だと言って成長促進剤の原液を持たせたので、私の言う通りに毎日摂取していけば、次に会うことがあってもきっと誰か分からないほど年老いていることだろう。殺されるよりはましだ、そう思ってもらいたいものだ。


「ああ……サクラ!」

「タカムラ様……」


 タカムラの手が私の腰へと伸びてくる。興奮してきたタカムラの口づけは激しく、きっと今日もこの後すぐタカムラは私を貪る様に抱くのだろうと思うと幸せ過ぎて涙が溢れた。


「……お部屋に行きましょうか?」

「……うん」


 私達はもつれ合う様にして寝室へと向かう。


 嫁など要らない。タカムラ家のホムンクルスの在庫は私だけで十分だ。タカムラが凝りずにまた生成しようが、3月の年度末にはこうして棚卸しし、適正数をオーバーした過剰在庫は在庫処分してみせる。


 毎年の恒例行事が来年は繰り返さないことを、今回は祈っておこう。


 ベッドに到着すると、タカムラの気が変わらない様にタカムラの目を私だけに向けることに専念するのだった。


ー完ー

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