赤の誉 ~井伊直政異聞~

@jiijiiramu

第1話

    

   赤の誉 

~井伊直政異聞~


   一、 木俣守勝


吸い込む空気にも、暑さの篭る時期となった。元亀二年(1572年)、葉月(八月)―。

 青臭いような、草いきれ。清らかな水を湛える宇連川の、深く澄んだ淀み。目を開けていることさえ眩しいまでの陽光は、盛夏の候真っ盛りの煌めかしさだ。

「捕れたっ!平八郎殿、見て下されっ!!ほれ、このように大きなイワナが二匹もいっぺんにっ・・・・」

 川の淀みの淵で、木俣菊千代は細い縄の結ばれた竹竿を振り回して、叫んだ。晒の褌一枚巻いただけの褐色の滑らかな首筋に、若々しい樹液のような大粒の汗が伝う。

「おおっ、流石釣りの名人菊千代」

「祐筆仕事はからっきしじゃが・・・。棒術といい釣り竿といい。同じ棒でも筆ではのうて、長いものを持たせたら、やはり菊が一番じゃっのう・・・・」

 得意満面の笑みを浮かべて振り返る菊千代の弾ける笑顔に、元小姓で今現在は家康直参の先手将を勤める本多平八郎忠勝が、苦笑いをして見せる。その傍らでは、本多と朋輩の先手将で奏者番でもある榊原小平太康政が、呆れたように腕を組んで嘆息する。

「・・・文台を運ばせれば引っ繰り返し、墨を摺らせれば畳や襖を汚す。広間で刀の御番をさせれば、殿の後ろで船を漕ぐ。極めつけは元服間近というに、小小姓らに混じってのイワナ釣りとは・・・・。当家に逗留中の風流を尊ぶ茶屋四郎次郎殿にでも見られてみろ。三河衆はとんだ田舎者よと、笑われるぞ」

 ブツブツと小声で唸る康政の皮肉などどこ吹く風の菊千代の傍らで、

「イワナ二匹如きでしゃぐな、はしゃぐな。小平太殿が睨んでおるぞ」

 菊千代と朋輩の安藤彦四郎がカカと笑う。

 それにつられるように、沸き立つ入道雲の下、小姓の一人が、

「某も鮎を一匹釣りましたっ」

と叫び、周囲の者達はまた一際、甲高い歓声を上げ、手を叩く。

この前年、菊千代らの主三河浜松城主徳川家康は、同盟関係にある織田信長を助け朝倉義景・浅井長政連合軍との姉川の戦いに勝利していた。 

この慶事はすべて家中一同の忠義の賜物であると家康は大いに喜び、近臣や小姓衆らの慰労と避暑を兼ね、この日は伊那街道奥の景勝地鳳来渓谷に遊山に繰り出していたのだった。

「イワナに鮎か。上々、上々。しかしそれだけではちと小さすぎて、皆の腹の足しにならぬのう。ここは一つ、菊千代。次は大きな鮒か鯉でも釣り上げてみせよ」

 子供たちの歓声が聞こえたのだろう。天幕の幕間から顔を出した家康が、川の中州で得意げに竿を振り回す菊千代に向かって、上機嫌に声を掛ける。

「お任せ下され、殿っ!!」

 泥の飛んだ頬の下、菊千代の真っ白な歯が、真珠貝のように眩しく輝いていた。

 胸を張って答える菊千代の言葉に、周囲の小姓仲間達がわっと歓声を上げる。

「頼むぞ~、菊。今夜の晩飯は鯉の兜煮じゃ」

「いや、あらいも良いぞ」

「イワナの焼き物に、鯉のあらいと兜煮か。今夜の晩飯は豪勢じゃな」

「ようし。我等も菊には負けてはおられんぞ。大物を釣り上げてやるっ」

 豪勢な夕餉の膳を思い浮かべ、食べ盛りの少年達は、がぜん目を輝かせて、張り切って各々の竿を渓流へと投げ始めた。

「・・・殿、今宵宿泊する鳳来寺は真言宗五智教団のご本山。仏教の戒に基づき寺社境内への獣魚一切の持ち込みは禁止されております。あまり小姓らをけしかけんで下さい」

 眉を顰め苦言を呈する康政に、傍らの忠勝が、まあまあという風に苦笑いする。

「大目に見てやろうぞ、小平太。殿が今夜お泊りなされる本院や、別当様の居られる別当坊は無理じゃが。何しろ鳳来寺の境内は、ただっ広い。我らが宿泊する外れの庵くらいなら、多少の殺生も寺社側は見逃してくれるだろうよ。・・・・そんな訳で、おおい、お前等。やるからには必ず大物を釣り上げろよっ」

「・・・何がそんな訳で、じゃ。まったく、平八郎。お主が何時もそのように甘いから、あ奴等は図に乗るのだぞ」

 康政の小言の矛先が自分に回って来たことに肩を竦めて、

「どれ、儂も参戦するとするか」

と、忠勝は素知らぬ顔でその場を離れ後輩達の許へと赴く。

「オイッ、聞いておるのか。平八郎っ」

 声を強める康政であったが、もちろん、彼も本気で怒っている訳ではない。戦続きで殺気立っていた家中の雰囲気が、菊千代の底抜けに明るい溌剌さで随分和んでいることは、康政とて重々承知している。

いわばこの融通の利かない不機嫌さは、徳川家中の奥向きを預かる小姓頭経験者だった彼ならではの、『殿の御前じゃ。いくら無礼講の物見遊山とはいえ、あまり羽目を外し過ぎるな』という、後輩達への伝言のようなものなのだった。

そんな康政の心遣いと、心酔する主や朋輩達のヤンヤの声援に、菊千代は誇らしげに泥だらけの片手で鼻の下を擦って、手を振り返す。

「方々、見とって下されっ。今夜の晩飯、この菊千代がたっぷり釣り上げますぞ」

 真夏の陽光を浴びて煌めく川面に、無邪気で闊達な菊千代の声が響く。

きらきらと飛び散る飛沫の向こうで、真っ黒に日焼けした笑顔が弾けていた。頬骨の高いはっきりとした菊千代の顔立ちは、少年期特有の無邪気さを湛えつつも、独特の爽やかさで随分と見栄えが良い。

 木俣菊千代。徳川家康直臣二千石を食む木俣清左衛門守時の長子で、この年十五歳になる。まだ前髪立ちながら、この度の姉川の戦いでは、朋輩の彦四郎共々初陣を飾り、来月にも元服を迎える予定であった。

 菊千代が九歳の歳に家康に推挙され小姓に召し出されてからすでに七年。生来身体が大きく槍や太刀の取り扱いにも長けていたので、初陣前は警護役の任に就いていた。

来月の元服後は、父である木俣清左衛門守時の跡を継ぎ、家康の近侍衆として仕えることが決まっている。 

―そしてゆくゆくは、平八郎殿や小平太殿のように殿の先手衆(先陣・先鋒を務める侍大将)を拝命する一門の将になりたいものだ・・・・。

 それが、今現在の菊千代の望みであった。そしてその望み通りの未来が、この時十五歳の菊千代の目の前には、確かに続いている筈だった。


 ※ ※ ※

 

「・・・・あれは?」

 散々川遊びに興じ、遅い真夏の暮れも近づいて来た頃。

家康達が酒宴をする幕間の横に寝そべっていた菊千代は、対岸の一角に美しい朱鷺色の小袖を来た童が一人、立っていることに気付いた。

「うん?・・・・ああ、鳳来寺の寺稚児か。使いで里にでも出た帰りかな?」

 隣で同じように寝そべっていた彦四郎が、菊千代が指さす対岸へと目を眇め、言った。

「寺稚児?」

「別当や僧兵共に仕える、俺達小姓みたいなもんだ」

「へえ」

―僧坊の遣い童か。その割には、随分と深刻そうな顔をして、水面を睨んで居るが・・・・。

 鳳来渓谷は、周囲を険しい山肌に覆われた急流であった。水の流れは速く、巨石がごろごろ突き出す岩肌は鋭い。

家康が天幕を張るこちらの岸には、小石の広がる河原や浅瀬もあるが、対岸は突き出す巨石の岩場ばかりで、年端もいかぬ童には、危険な場所のように思われた。

「鳳来寺は真言宗の大寺院だからな。修行僧の数も多いし、奴らの下で給仕務めをする稚児の数も五人十人は下らんだろう」

「そうなのか?」

―寺版の俺達みたいなもんか?

 物知りの彦四郎の言葉に、菊千代はへぇと頷きながらも、何やら思い詰めた様子で対岸の岩場に立ち尽くす色鮮やかな小袖姿の童から、目を反らすことが出来ないでいた。

―年の頃は十歳くらいか?随分綺麗な子だな・・・・。

 そんな菊千代の感想と、同じことを感じたのだろう。

よっこらせと、身体を半分起こした彦四郎は、値踏みするような視線を対岸に投げて、やがて感心したように小さく肩を竦た。

「へぇ。流石は、鳳来寺。名の知れた大寺の院坊だ。寺稚児も並み以上の器量良しだな・・・・なあ、菊千代。お前は我等徳川家中の小姓と大寺の寺稚児の違いが何か、知っておるか?」

 それは、ちょっとした謎かけのような、彦四郎の問いだった。

「我等と、大寺の稚児との違い・・・・?」

 いきなりの問いに、菊千代は首を捻った。何のことか、さっぱり判らない。

「棒術の稽古より、経を読んでいる時間の方が長いとか?」

「・・・・この手の事に初心なお前に聞いた儂が馬鹿だった。あのな。あれら寺稚児と我が家中の小姓の違いはただ一点。《茣蓙を直す者》かどうかという箇所だけよ」

「《茣蓙を直す者》?何じゃ、それは・・・」

 それは、武家社会では男同士の肉体関係、つまり衆道を意味する隠語であった。だが、十五歳になる菊千代であったが、こと閨事に関しては、殆ど何の知識も経験もない童貞である。

「おいおい、何処の箱入り息子だよ。お前・・・・」

 同じ年の彦四郎の言う意味が、全く理解出来ていない菊千代に、彦四郎が大きなため息を漏らす。

彦四郎自身は六人兄弟の四番目で、その手の事は兄や姉から色々聞きかじっており、かなりの耳年増なのだった。

「ありゃ、鳳来寺の宿坊に養われている喝食、つまりは色稚児だろうが」

「い、色稚児っ?」

あっさりと対岸の童の役割を断定してみせた彦四郎の言葉に、どぎまぎしながら、菊千代は対岸を眺めやる。

「まず間違いないな」

 一目見た折から、相手の身分は判っていたと、彦四郎は言った。

「寺社の神域にいる割には、豪華な小袖姿で、頭は丸坊主ではなく、濡れ羽色ともいえる豊かな総髪だ。どう考えたって、あれは色稚児だろう?」

「そ、そうかな・・・・」

 その手の事にはてんで疎い菊千代には、良く判らない。

 ただ遠目にも、対岸に立つ少年は、かなりの美貌であることが見て取れた。

骨組みの細さはまだ稚い童の物であったが、川面を吹く風に乱れる長い髪は漆黒で、典雅に通った鼻筋は、思わずハッと息を呑む程秀麗だった。肌の色も抜けるように白い。

「そんな童が、獣欲に飢えた僧兵が集う宿坊に養われてるってことがどういうことか。世間知らずのお前には分かんないかねぇ・・・・」

―分かる訳ないわっ!!

 主の家康はこの頃はまだ衆道の趣味はなかったので、徳川家中には家康と肉体関係を結んだ小姓はいなかった。

「しかも、あれほどの上玉だ。きっとあいつは鳳来寺の別当か何かのお気に入りだぜ」

「そんな下世話な話は止めろっ。ふっ、不愉快だっ」

 それにー。

自分よりも幾分年下であろう少年の醸し出す何処か危うい雰囲気が、何だか気になって仕方がない菊千代だった。

「世を儚んで、入水自殺でもするつもりかね」

 だから続いた友の声に、泡を食ったように驚愕して、再び勢いよく傍らの彦四郎の方を振り返える。

「入水自殺っっ?!」

「何をそんなに、驚いているんだよ。大寺の宿坊に飼われている寺稚児が、僧兵らのあまりに惨い苛みに、耐えきれずに逃亡したり、世を儚んで自ら命を絶つって話は、能や狂言の永遠の主題だぞ」

「知るかよっ。そんな話」

―一体どんな狂言だっ・・・・。

「しかもあの気品と佇まいなら、食い扶持減らしの捨て子や孤児が、勝手に寺に住み着いたって訳でもなさそうだし。おおかた、どこぞの武家が、何かやんごとなき仔細があって寺に入れたってところかな?」

「そうなのか?」

「まず間違いないね。身分卑しくはない没落した武家の子が、寺社の荒々しい僧兵共からぶつけられる抑圧しきった獣欲に耐え兼ね・・・・。おそらくそんなところじゃないのか?」

 そう彦四郎は悪びれもせずに断言した。

「そんな、惨い・・・・。いや、実際に見て来た訳でもないんだから、そんな惨くて縁起でもない事、冗談でも言うなよ。大体、寺社の神域を閨事で穢すなんて、罰当たりだ・・・・」

 あまりに真っ当過ぎる、菊千代の感想に。

「・・・・おいおい。流石のお前も、寺社に集う坊主どもが、皆が皆、お釈迦様みたいに慈悲深かったり、仏典の教えを生真面目に守る奴ばかりだと、本気で信じている訳じゃないよな」

「ま、まあ、そうだけど・・・・」

―でもお寺ってのは、御本尊様に起請文を捧げて一心に祈れば、願いを叶えて下さる有り難い場所なのじゃ、ないのかなあ・・・・。

「寺なんてどこも、一皮剥けば、権力欲と悋気者の集まりだぞ。だから殿の同盟相手の織田様も、一向宗や延暦寺を目の敵になさってるんだろ」

 織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ちは、この年の前年。

『延暦寺に集う僧共は、淫欲と暴飲暴食、金儲けに浸り切り、真の仏道とは何かを忘れ去っておる』

 そう信長が評して、石山合戦と呼ばれるこの戦いで、僧侶・学僧・上人・寺稚児・喝食など多くの人々を惨殺したことは、もちろん菊千代も知っていた。 

 しかしそれが。

今対岸にいる、美しい朱鷺色の小袖を纏った少年の身の上にも通じる話かと言われると、彦四郎の明け透けな言葉が、何とも気まずく鼻白む思いの菊千代だった。

 と、いきなり対岸の少年が、小袖に袴履きの姿のまま、ザブンッと宇連川の川面へ身を躍らせた。

「あっ・・・・・っ!!」

「えぇっ?嘘だろ?まさか、本気で身投げするつもりだったのかよ!?」

突然の少年の行動に、菊千代と彦四郎は驚いて跳び起きた。

 いきなり着衣のまま、ザブンッと川面に飛び込み、一旦その姿が急流に沈み込んだ少年だったが。

すぐに勢いよく水面へ顔を出すと、そのまま流れに逆らうように、小袖の袖が纏わりつく華奢な両手で水を掻きながら、少年は睨むような目付きで、前方の深みへと足を進め始めた。

「・・・・何だ?どうする気だ?」

「儂に聞くなよっ」

 予想外の出来事に、菊千代と彦四郎は呆然と事の成り行きを見守っていた。

「あっ、危ないっ・・・・!」

 川底の石にでも足を取られたのか。刹那、急流を進む少年の身体が、片側へ大きく傾いだ。

 鳳来狭の渓谷は山深いため急流で、川底も深い。岸から数歩も進めば、滝壺のような深みが幾つも口を開けており、身体に纏いつく派手な小袖に袴姿では、あっという間に少年の痩身が流れに呑まれてしまうのは、火を見るより明らかだった。

「ま、待てっ。何があったか知らんが、早まるなっ!!」

 そう叫ぶと菊千代は、川縁を蹴って走り出していた。

「あっ、オイッ、菊千代っっ!!」

背後で呑まれたように事の成り行きを見守っていた彦四郎が、大声で止めろと叫んでいたが。

 それを無視し、菊千代は後先考える余裕もないまま、今にも急流に流されようとしている少年を救おうと、勢いよくザブンッと川面へ身を躍らせた。

「馬鹿野郎っ。お前こそ、死ぬ気かよっ!!」

 両腕で急流を切り裂く様に掻き分け、進む菊千代の背中に、仰天したように叫ぶ彦四郎の礫のような怒声が降り注ぐ。

 それに構わず両手で必死に水を掻き、水を蹴り、菊千代は無我夢中で見ず知らずの少年に向かって泳いだ。

 一度は水面に浮かび上がった小柄な身体が、再び一瞬でその姿が波間に消えて見えなくなって、菊千代は肝を冷やした。

―どこだっ、どこに行ったっ・・・・・?

息継ぎの為に顔を上げ、あちこち見まわしながら首を振れば、ほんの数寸先の川面に、三度浮かび上がった少年の貌が見えた。

流れに逆らって懸命にもがいているのか。それとも急に目の前に現れた菊千代に驚いているのか。

黒曜石のような美しい瞳を見開いて、波間からこちらを見つめる少年の、蒼褪めた白い貌。

―なんて、綺麗な子だっ・・・・・。

 特に黒々と輝く稀有な瞳が、菊千代の目に焼き付いて離れなかった。

―美しい・・・・。

いきなり、場違いな感情に支配され、菊千代は激しく頭を振った。

―そんな呑気なこと、考えている場合じゃないっ!

 未だ少年が川面に顔を出している事への安堵から、新たに湧き上がった力で必死に水を掻き、菊千代は少年の傍らへと泳ぎ着くと、半ば体当たりするようにして、その痩身を腕の中に掻き抱いた。

「なっ、何をするっっ・・・・。離せっ・・・・・!」

 いきなり現れた見ず知らずの相手に戸惑ったのか。

少年は菊千代が日焼けした両腕でガッシリとその細腰を抱え込むと、我に返ったように暴れ出した。

水の中で無茶苦茶に両手を振り回し、渾身の力で菊千代の腕から逃れようと暴れる。 

その細腕で、顔と言わず胸元といわず、兎に角矢鱈滅法殴られ、引掻かれて。

「あっ、暴れるなっ・・・・暴れるなって、言ってるだろうっ!!」

 最初は手加減をしていた菊千代も、途中からは本気で相手を羽交い絞めにした。そうしなければ、逆巻く急流に、少年はおろか自分も一緒に流される恐怖を感じたからだ。

「ちょっ・・・・・、いい加減にしろ・・・!一体何を憂いての事かは知らないが、入水自殺など止めよっ・・・・」

暴れる相手を羽交い絞めにしたまま、漸う背の立つ浅瀬まで泳ぎ戻った菊千代は、疲労困憊の体で怒鳴り、相手の身体を解き離した。

「無礼者っ、誰が入水自殺じゃっ・・・・・。その方こそ、何者っ・・・・さては貴様っ、我が命を狙う今川の素っ波(忍び)かっ!!」

全身から、菊千代を拒絶する炎のような怒気を滾らせ、少年が菊千代の顔を睨み付ける。

「なっ、何を言うっ。某は三河徳川様直参の・・・・っ」

 野武士や野盗同然の素っ波呼ばわりされ、菊千代も思わず声を荒げる。

その直後。

目の前の少年は、虚空に引き上げた右手を勢いよく翻し、いきなり菊千代の頬を激しく張った。

―なっ・・・・?

 命を助けようとした相手から、まさか自分が頬を張られるとは予想もしていなかった菊千代は、呆気に取られて動きを止めた。

「ええいっ、この粗忽者っ・・・・。誰が入水自殺などするものか!!我が名は井伊虎松っ。これは唯の禊じゃっ。我はっ・・・・、我には自ら命を絶つ気など更々ないわっ!」

「えっ・・・・?」

 焼け付くような頬の痛みと、間近で発せられた大声に、ぽかんと馬鹿のように口を開け、まじまじと相手の貌を見返した菊千代は、荒々しく胸板を押され、思わずその場に仰向けに引っ繰り返っていた。

「どこの家中の者かは知らぬが・・・・・っ。我は井伊谷の国人領主、井伊直親が嫡子虎松じゃっ」

目の前の美貌の少年は、呆けたように自分の貌を見上げる菊千代に向かって、キッと眦を吊り上げ、形の良い唇をわなわなと震わせながら、雷鳴のような大声で激しく怒鳴った。

「我が人生はひとえに、井伊家再興の為に存在するもの。その我が、願い半ばで自ら命を絶つなど、たとえこの世が引っ繰り返っても有ろう筈がないっっ!!」

「・・・・井伊家の、再興・・・・・?」

「ああっ!小袖の袖が破れておるっ・・・・。どうしてくれるっ、この粗忽者めっ!!・・・これは大叔父上の南渓瑞聞様が、養母上次郎法師様が御自らお縫い遊ばしたとお届け下さった、一張羅じゃぞっっ!!」

 何が何だか、菊千代にはさっぱり分からない。だが、すごい剣幕で美しい朱鷺色の小袖の袖を振り回し、喚き続ける童の様子に。漸く、自分がとんでもない勘違いをしたらしいと思い始めた菊千代だった。

「・・・・それは、とんだご無礼を」

 自分よりも随分と年下の者にここまで激しく怒鳴られ、詰られるのは、菊千代にとっても初めての経験だった。

「どうしよう・・・・・圓栄様にも叱られる。母上

にも・・・。ただでさえ困窮なされておる井伊谷の養母上様に、要らぬ掛かりを増やさせるなと・・・・」

 どうやら、破れてしまった小袖の事が、随分と気になるらしい。

―何だよ、けち臭い奴だな。そもそも勘違いさせるような行動を取った、そっちが悪いんじゃないか・・・・。

 そう内心で思わないでもなかった菊千代だが。いたく悄然と肩を落とし、破れた小袖の袖を恨めし気に見詰める相手の様子に、哀れも誘われる。

 そもそも。勝手に勘違いして、相手の豪奢な小袖の袖を破った咎は、間違いなく自分にもある。

「どうした、どうしたっ」

 騒ぎを聞きつけ、彦四郎や康政、忠勝など朋輩衆も、足早に川の瀬を渡って二人の許へと駆けてくる。

―これは何とも、面倒なことになった・・・・。

 暮れなずむ夏の空を見上げて、菊千代は盛大に嘆息した。

―怒られるのは、こっちも同じだ。ご家老の酒井忠次様に大目玉を喰らうは必至・・・・。

河原の幕間から姿を覗かせた酒井忠次が、怖い顔でこちらを睨み付けていた。

―ああ、やっぱり・・・・。泣きたいのはこっちの方じゃ!

 この後、徳川家中一の頑固親父の鉄拳制裁が菊千代を待っていることは、どうやら決定的なようだった。

 これが、菊千代改め後の木俣清左衛門守勝と、主君となる井伊兵部少輔直政(虎松)との、初めての出会いであった。


※ ※ ※


「・・・・で、八年ぶりに徳川の殿の幕下に戻ってみれば。かつて其方を素っ波扱いして頬を打擲した井伊万千代が、直属の上役であったと。そりゃ、何とも気の毒な話だな」

 これはまた本当に、随分気の毒な話じゃなあと、幼馴染の安藤彦四郎直次が、たいして気の毒に思ってもいない顔でニヤニヤと笑う。

 ここは浜松城下の安藤屋敷。守勝にとっては、第二の我が家のような勝手知ったる場所である。

「笑い事などではないわっ、彦四郎。いくら八年の長きに渡り、儂が徳川のお家を離れておったとはいえ。我の家は其方と同じく三河譜代。それがどうして遠江出の外様の井伊家の、しかも六つも年下の前髪立ちのあ奴の配下に、据え置かれねばならぬのじゃ!!」

 天正九年(1581年)、初秋―。

先月、木俣清左衛門守勝は、予てより奉公していた織田家直臣の明智光秀の旗下を離れ、実に八年ぶりに目出度く浜松の徳川家康の下への帰参が叶った。

 この辺りの事情には、少し説明が必要だろう。そもそも八年前、守勝が徳川家から出奔した理由は、生家木俣家の家督相続争いに敗れたため、であった。

 守勝はその父木俣清左衛門守時の正妻が生んだれっきとした嫡子であったが、彼は生まれてすぐに生母を亡くし、数少ない木俣家の使用人の手で育てられた。

 九歳で家康に召し出され、近侍の小姓として十年近く勤めていたが。彼が十九歳の時、父守時は戦での矢傷がもとで危篤に陥り、木俣家の親族一同は守時の隠居を家康に願い出た。

願いは直ちに受理され、徳川譜代の木俣二千石の家は、順当に長子の守勝へと譲渡される筈であった。 

が、

この時、守時の後妻で守勝にとっては継母に当たる継室のお清が、木俣家の跡目は自分の実子である次男に継がせて欲しいと、突如家康に嘆願したのだ。

「守勝は伊勢にある木俣家の分家に養子にやり、三河の木俣本家は弟である守正に継がせたいのです」

「何故、嫡子である某が分家へ養子に行かねばならぬっ!!」

 いきなりの継母の横槍に、年若い守勝はいきり立った。

「しかし『家はいずれお前の実子に継がす』というのが、継室に入る際の父上守時様とのお約束」

お清は、古い書付のようなものを持ち出して、守勝の激昂をせせら笑った。

無論、守勝にとっては父のそのような書付など、存在すら知らされてはいない。まさに青天の霹靂だった。

当然、素直に受け入れることなど出来はしなかった。

「だからお前は世間知らずで危なっかしいって、言うんだよ・・・」

 家中の主だった者は、安藤彦四郎直次を始め、殆どが守勝に同情的だった。

 だが、お清の実家は三河でも知られた金満家の商家。岡崎城下でも金貸し業などを手広く行っており、徳川家でも戦費の調達などで色々付き合いがあった。

家康本人は直次同様、十年近く小姓として側近くで召し使って来た守勝に同情的でも。 

徳川家の当主としての家康には、お清一派の言い分が道理に適わぬと切って捨てる事は、なかなかに難しかった。

「分家として立てた伊勢の木俣家も、これまで同様引き立ててやるぞ」

 可愛がってきた近習の身に降り掛かったとんだ災難に、情に厚い家康は言葉を尽くして語りかけて来たが。

家康が内々に分家を引立てると確約してくれても、守勝にも意地があった。

「もしお清一派が本家を継いで、木俣の名を汚すようなことがあれば、この清左衛門守勝。とてもご先祖様への面目が立ち申さずっっ」

正妻の子であり長子でもある自分が、みずみず木俣本家の跡目をお清ら一派に譲ってしまえば、先祖代々の父祖に顔向け出来ぬと思うのだ。

 しかし主家の事情というものも、無論守勝とて重々承知していたし、家康が守勝の境遇に大層同情してくれていることも理解していた。

―主にここまで心痛を与え給うて、何が忠臣か・・・・。

 自分の家の事で家康を随分悩ませていること自体が、守勝には堪らなかった。

「畏れ多いことながら。殿の幕下を離れ、他家に仕官することをお許しください・・・・」

「・・・・清左よ。お前がそこまで言うのなら、致しかたない。だがな」

この時、家康は守勝に、一種の妥協案とも言うべき奇抜な策を授けた。

その策とは。家康の推挙で、一時的に守勝の身柄を、同盟相手である織田家中の誰かに預けるというものだった。

「儂としても、幼少の頃から十年近く、側近くで召し使って来た其方を他家にやるのは、誠に残念極まりない。しかしお前の置かれた事情を鑑みれば、木俣本家の家督を弟へ譲れとは、この家康、余りに忍びなく命ずることなど出来ん。ならばいっそ、望み通り一旦我が旗下を離れることを許そう。そして織田家家中に赴き、万一そこで何か不穏な動きがあれば、すぐさま儂に伝えて欲しい。如何じゃ、清左。儂のこの命、聞けるか?」

 つまりは家康は、守勝に徳川方の間者となって、同盟相手の織田家中の様子を探れと、こう言っているのだった。

「出奔とは形ばかりの事で、殿は某に織田家中の内情を探る間者になれと?」

 予想外の家康の提案に、無礼を承知で、守勝は瞠目して問い返した。

―儂に、そんな上等の腹芸が出来るだろうか・・・・。

 幼馴染の朋輩直次などからは、盛んに世間知らずと笑われている自分である。そんな器用な真似が自分に出来るなど、到底思えない守勝であった。

「今は戦国乱世。いくら頼りになる同盟相手とはいえ、織田様はあの通り、苛烈極まりない御気性のお方。いつ何時、あの方のお怒りが我が家に向かうとも限らん」

 調略と謀が幅を利かせる戦国の世の習いは、十九歳になったばかりの守勝にも、十分判っていた。

「その方の生家木俣家は、我が亡き父広忠の代から我が家中に仕える直参譜代の家柄。もし織田家中の者となっても、何か事が起こった際は、必ず我が許へ呼び戻す。この事、確と約束しよう」

―殿からここまでの言葉を掛けられて。自分には出来ぬと命に背くは、不忠の極み・・・・。

 根が単純で素直な守勝は、感激して目を潤ませ、深々と平伏した。

「織田家中を探る間者となる件、確かに承知致しましたっ」

「うむ、しかと頼んだぞ」 

 結果として。

この騒動の後、守勝は一時的に徳川の禄を離れ、織田家中の直臣明智光秀に召し抱えられることとなった。

 明智配下となって以降の守勝は、光秀より召し抱えの際に与えられた百ニ十石を振り出しに、身一つで、明智の旗下で孤軍奮闘。瞬く間にその家中でも頭角を現し、光秀の播磨攻めにも同行を許されるほどの、一門の侍となった。

そうして数々の武功をたて、徳川家出奔から八年後―。

守勝は、遂には新築されたばかりの安土城にて、信長に拝謁を許され、直々に五十石の加増を与えられるまでの武士となったのだった。

 その直後―。

天下人となった信長から駿河安堵のお墨付きをもらい、その拝領の礼を兼ねて、信長の招きに応じて家康が信長の安土城を訪問することになると、その供応役を命じられた明智光秀の命により、守勝は徳川方との折衝を担当する明智家奏者番に登用された。

その任の為八年ぶりに浜松の家康の元へ赴いた時、家康は久々の対面を果たした守勝に向かって、

「其方、そろそろ我が旗下に戻るつもりはないか?」

 と、そう声を掛けて来た。

「其方の織田家中での働きは、儂も幾度も耳にしておる。其方の仇敵である継母お清もついに昨年身罷った。つきましては、どうだ?この際、お清の遺児らを伊勢の木俣分家に移すが故、其方が我が家中に帰参し、木俣本家を継いでは?」

 守勝は、そのような家康の誘いにまず驚いた。そしてそれ以上に家康が、微禄の自分自身の実家の事情にも、随分と通じていることに驚かされた。

 そして、この機に乗じて、『お清一派を伊勢の分家に放逐する故、守勝自身が徳川直臣に復し、木俣本家を継げ』と言ってくれたことに、八年前の出奔の際の家康の言葉は嘘ではなかったのだと、その温情の深さに改めて感激し、嬉しさのあまり流れ落ちる涙を止めることが出来なくなった。

「その方さえ承知してくれれば、上様(信長)と明智殿には、儂から願い出るが」

 しかも家康は、守勝の帰参を自ら織田信長や明智光秀に願い出てくれる、とまで言ったのだ。

―この御恩は、儂は終生忘れることはないぞっ・・・・・。

守勝は家康の恩情に、ただただ歓喜の涙を放って咽び泣いた。

この当時、他家に仕えている元家臣を、元々譜代の家の者であるから返して欲しいというのは、大名家の間で特段珍しいことではなかった。

しかも、守勝は家康が小姓時代から十年近く、召し使っていた者である。請われた光秀も家康のこの願いを無碍には出来ず、守勝の徳川家帰参は、粛々と認められた。

こうして、天正九年の九月―。

守勝は実に八年振りに、晴れて再び徳川直参の身に復したのであった。


「・・・・何故じゃ、彦四郎?何故、よりにもよって儂があの生意気な小童の与力(寄騎)を勤めねばならん?」

「そりゃあ、井伊家は一度、万千代の養母直虎殿の代に断絶した家。譜代の家臣は諸国に散り散りで、手頃な人材がいなかったからだろ?」

 幼馴染の直次の言葉は容赦ない。

―儂は体のいい駒かっ・・・・!

 何とも腹立たしい直次の言い様だったが。守勝自身、何となくそのあたりだろうなとは思っていたので、思わず漏れそうになる怒声を、ギリッと奥歯を噛んで堪える。

―ああっ、思い出しても腹が立つっ。何であの時の小生意気な餓鬼が、澄ましかえって殿の背後に控えておるのだっ・・・・!

帰参の喜びもつかの間。

今朝方佐和山から浜松へ着いた守勝は、旅装を解く間も惜しんで、改めて家康に帰参の礼を言上するため、御前に上ったのだが。

度重なる取次に急く心をどうにか宥め、半日以上待たされた挙句。

やっと家康の執務室である奥書院へと通された守勝が目にしたのは、一段上座になった家康の席の真後ろで太刀を捧げて近侍する、あの鳳来渓での因縁の相手の姿だった。

「おや、菊千代、否、守勝は覚えておる様じゃな」

 何か企んでいた悪戯事が成功したように、上機嫌で家康が背後を振り返った。

「万千代は、覚えておるか?何時ぞや、鳳来寺近くの渓谷で、其方が入水自殺をしようとしていると勘違いして、一騒ぎした小姓がおったろう」

「・・・・畏れながら殿のお言葉ですが、某は覚えておりません」

―おっ、覚えておらぬ、だとっ・・・・・!!

 しれっと言い切った近侍の小姓の言葉に、平伏していた守勝は、勢いよく顔を振り上げた。

―な、なんと、忌々しい小童じゃっ・・・・。

 ギリギリと奥歯を噛んで、守勝は太刀を捧げ持つ小姓の顔を睨み付けた。 

十数年前のあの鳳来渓谷での一件は、守勝にとっては、甚だ不本意極まりない嫌な記憶であった。

直次ら朋輩には、『世間知らずのおっちょこちょい』と揶揄されるし、家老の酒井忠次からは、『粗忽者よっ』と大層激しく叱責されたのだ。

―なのに、その原因を作ったお前が、そのことを覚えておらんだとっ・・・・・!

 これはあまりの屈辱。思わず腰に佩いた脇差に手が伸びかけた守勝であったが、寸でのところでここが敬愛する家康の御前であることに気が付き、袴の上で震える両の拳をきつく握り締めた。

―堪えろっ、清左衛門。八年ぶりの帰参の礼の席じゃぞっ・・・・。

 必死で己自身を宥め、畳の縁を睨め付ける守勝の頭上で。

「改めて、よく我が幕下に戻って参ったの。守勝よ」

 上機嫌で家康が何度もそう繰り返す。

「守勝が出奔後、当家に参った其方は知らぬだろうが。この清左衛門は、こう見えてなかなかの苦労人での」

 守勝とは因縁浅からぬ太刀持ちの小姓に、守勝の身の上を話して聞かせる家康の声が、夕刻間近の奥書院に淀みなく流れる。

「年若くして、各地を転々として苦労したところは、其方ら二人共、よう似ておるの」

 日に焼けたまん丸とふくよかな顔を綻ばせ、同情とも哀れみとも取れる言葉を発する家康は、守勝が覚えている八年前同様の心優しき主であった。

―耳が大きくて、目が団栗の様にまん丸なところも、お変わりになられぬな・・・・。

 首が短く、小太りで、短躰なところも昔と一緒だった。

お世辞にも美男とは言えぬ容貌だが、先年守勝が一度だけ目通りを許された信長のような、険の強い酷薄さとは程遠い、好々爺然とした家康の顔立ちである。

―儂は色白ですっきり整った上様(信長)のお顔立よりも、やっぱり殿のタヌキ顔の方が好きじゃ・・・・。

 家康には告げる事など出来ようもない戯れごとを想いながら、思わず頬を緩めた守勝は、にこやかな主の笑みによって、自身の先程までの怒りが嘘のように宥められていることに気付き、改めてその懐の深さに感じ入っていた。

―ああ、やっと、儂は本来あるべき場所に戻れたのだな・・・・。

 鼻の奥がツンとして、郷愁と嬉しさが入り混じったような感慨が、ひたひたと水が沁み込むように、守勝の胸中を満たしていく。

―今、この場所に己があるのもすべて、殿の御情けなればこそ。かくなる上は、この不肖木俣清左衛門守勝。身命を賭して、殿の御役に立てるよう励みまするっ。

「明智殿の旗下でも目覚ましい働きをした守勝を見込んでな。特に頼み置きたいことがあるのじゃ」

「何でもお申しつけ下さりませ」

決心も固く、主の家康の顔を仰ぎ見た守勝は、次の瞬間、自分自身の決意を粉々に打ち砕くかのような、信じられない家康の言葉を聞かされ、その場で固まった。

「木俣清左衛門守勝、四百石の知行を持って、これなる井伊万千代の与力となれ」

 与力とは寄騎とも書く。つまりは家康から遣わされた一時的な派遣の家臣のような者である。

「なっ?!」

 家康の許へ帰参すれば、また以前のような直臣に戻れると思っていた守勝は、虚を突かれた。

―それでは、約束が違うっ・・・・・。

 思わず、そう叫んで座を立ちそうになった守勝であったが。

刹那、じっと自分の方を見詰めている家康の団栗眼の奥に、冷徹な為政者としての剣呑な光が過ったのを目にして、震える両の拳を握り締め、その場に平伏した。

―殿は、試しておられるっ・・・・。まことに儂が、心の底から徳川に帰参する積りやと・・・・。

『其方、本気で我が家に忠義を尽くすことは出来るのか?外様の配下に置かれる屈辱を味わっても、この家康に付き従う覚悟はあるのか』

そう家康は、この時守勝に問うたのだ。

 当然と言えば、当然のことであった。いくら先祖代々の譜代の家柄とはいえ、今は戦国の世。自身の都合で主家を捨てた家臣が、心底信じるに値するかどうか見定めることは、戦国武将ならば至極当然の事であった。

「その方は明智殿の覚えも目出度い。此度の駿河拝領の礼の為の安土出府の奉行職は、これなる万千代に申し付けておる。その方は、是非とも年若い万千代をよくよく補佐して、是が非でもこの一件を成功させて欲しい」

 数瞬前の剣呑な瞳の光などなかったかのように、再び好々爺然とした笑みをふくよかな頬に浮かべた家康は、平伏した守勝の畳の上の両手を取ると、満面の笑みで笑いかけて来た。

「確と頼んだぞ」

「はっ・・・・」

―このお方も、信長公とはまた違った意味で、恐ろしい・・・・。

 後に天下人となり、二百六十有余年続く徳川の世を作り上げた家康の、真の怖さを守勝が初めて知ったのが、この井伊家の与力を命じられたこの時であった。


そうして内心憤懣を抱えたまま、家康の御前を辞した守勝だったが。

―やはりどうにも我慢ならぬことは、我慢ならぬっ・・・・。

 何処に当たる宛もない内心の苛立ちを抱えあぐね、浜松城下の安藤直次の屋敷へ駆け込むと、そのまま酒をかっ喰らって、幼馴染相手に怒りをぶちまけているのだった。

「跡目争いという我が家の不忠で一旦はお家を出奔した儂を、四百石という望外の石高で快く再び召し抱えて下さった殿の御恩に報いる為なら。この守勝、多少の事なら、我慢する。しかし、な。よりにもよって、何故あの、小生意気な万千代の配下に配されねばならん。あの小童のっ」

「井伊家が外様だからさ。そんな事くらい、お前だって端から判ってるんだろう?」

 昔から、世に聡い直次だった。

家康が守勝の忠義を試し、その事を守勝自身も承知した上で、それでもこうして酒を飲んで息巻いていることも、全て何もかも見透かした上で。直次は何を当然のことを、という風に肩を竦めて見せた。

「まあ、万千代とお前の境遇がどこか似ていると仰る、殿の言葉自体も満更嘘とは思えないけどな。儂は」

「はっ?万千代の境遇っ?そんなもの、儂は知らぬっ。それより、あの鳳来渓谷の一件を、あ奴はな、あ奴は、忘れたと申したのだぞっっ!」

 その点も、大いに守勝の気分を損ねた万千代の態度であった。

初対面でいきなり頬を張られ、こっちは上役達にこっぴどく叱られたというのに。その原因を作った万千代は、家康が守勝との謁見の間中、折に触れてその話を振っても、全く話に乗ることもなく、端然と太刀を捧げて近侍していたのだ。

「旧井伊谷六万石の後継だが何だか知らんが。ツンと澄まして、小生意気な男じゃ。大体井伊家は、元亀三年(1572年)の三方原の戦いの直前に、城代を勤めていた小野何某かの謀反で地頭職を取り上げられ、一旦は断絶している筈だろう。何で殿は、そんな家の者を近習に取り立てたのか」

「そりゃ、一時的には断絶したとはいえ、遠江きっての名門っていう出自と、あの美貌が理由だろ」

 言葉多く愚痴る守勝とは対照的に、どこまでの直次の返事は素っ気ない。

「もう初心な前髪立ちの餓鬼って訳でもないから、お前もその辺の事情は読めるだろ?井伊万千代は、紛れもなく殿の《茣蓙を直し仕る者》だよ」

しかも、古くは南朝に繋がる名家の出身だと、いきり立つ守勝を宥める様に、直次は苦笑した。

 主の《茣蓙を直し仕る者》とは、つまりは主である家康と衆道の契りを結んだ者、という意味である。

 これも八年ぶりに帰参してみて、守勝が大いに驚いたことなのだが。

何と、彼の主の家康は、八年前には食指も動かすことのなかった小姓相手の艶事を、毎夜、あの万千代相手に繰り広げているというのだった。

『御召出シ以降、連日深閨二枕ヲ共ニシスル関係ニテ』

とは、後の世に記された軍記物での、家康と万千代(のちの井伊直政)の関係についての記述である。

 無論、この時代。数多くの戦国武将達が、『容貌美麗ナル童』(美少年)を盛んに寵愛し、肉体関係を持ったという事実は、家康以外にも数多存在する。

 中でも最も有名な話は、織田信長に仕えた森蘭丸の例であろう。が、それ以外にも、そうした例は枚挙に暇がなかった。

『戦国ノ時ニハ男色盛ンニ行ハレ、寵童ノ中ヨリ大剛ノ勇士多ク出ツ』

 これは時代が下った文政年間の儒者太田錦城の著書『梧窓漫筆』に出て来る記述である。

太田錦城は明智左馬之助(光秀の小姓)や直江兼続(上杉景勝の近習)ら、寵童上がりの勇猛果敢な武将の例を挙げている。

『男色トハ生殖行為ヲ越エタ至上の情愛也』

 つまり、戦国乱世のこの時代。名のある武将達にとって、寵童との肉体関係を含めた男色行為は、相手の忠義を測る手段であり、寵愛される家臣の方も、男女の契りを超えた真の情愛を主君から掛けられるとして、その行為自体を悦ぶ風習が根付いていたのだった。

―あの殿が、まさか、な・・・・。

 信長や光秀が自分の家中の寵童を競って着飾らせ、諸侯に折に触れて披露する様を、

「我など風流を解さぬと者とて。とてもとても上様や明智殿のようには」

と苦笑いをして眺めていた、あの家康がである。

「・・・なあ。ちょっと小耳に挟んだんだが・・・・。あ奴が殿に初めて拝謁を賜った際には、古来のしきたり通りの直垂姿ではなく、緋色の地に家紋の橘を金糸で刺繍した大仰な振袖と袴姿だったっていうのは、本当か?」

「ああ。あの振袖の豪勢さは、家中でも一時期大きな話題になったな。何しろ、万千代の養母、かの有名な女城主直虎殿(次郎法師)が、御自ら御縫い遊ばした物、らしいから」

 多少の毒を込めた、直次の言い様だった。

「しきたり通りの格好でなかったのは、三方原の戦いの直後、井伊谷が武田勢の略奪にあって焼け野原になり、武家の男子の正装の直垂を用意する暇も金もなく。泣く泣く万千代の実母が輿入れの際に持参した花嫁道具の振袖を誂え直してと、後見人の次郎法師殿は殿に申し開きしたらしいがな。・・・・没落した家を救うためとはいえ、甥である万千代を豪華な振袖姿で着飾らせ、有力者の殿の許へ色小姓の勤めも辞さぬと差し出した、何とも老獪な婆様だ。あの万千代の美貌ならば、必ず殿の御手が付くと踏んでの策略だろうが。我が身内だったら、そんな婆様、ゾッとするね」 

 そもそも、井伊家といえば、先祖代々遠江国井伊谷の国人領主。その起源は古く、南北朝の折には、南朝の皇子を迎え一族の娘をその妃に差し出し、親王を得たと言われるほど由緒正しい家柄だった。過去には、国司として遠江守を任じられたこともある。

 万千代の祖父直盛は、今川義元に仕え桶狭間の戦いで戦死。その後を継いだ二十三代当主直親は、主の今川氏真(義元の子)から謀反を疑われ、謀殺されてしまった。

遺された井伊家の男子は、直親の遺児、虎松(のちの万千代)ただ一人。やむなく、出家していた直盛の一人娘の次郎法師が、名を直虎と改めて、女ながらに二本差しを差して、男のような形をして幼少の万千代の後見人となった。

だが、その後も幼い万千代の命を今川方が執拗に付け狙ったため、万千代を三河の鳳来寺へと逃がし、直虎は女城主として井伊家の舵取りをしつつ、万千代が長じた後の仕官先を探していたのだという。

「こう言ったら穿った見方かも知れないが。次郎法師殿が万千代を、真言宗の鳳来寺へ預けたのだって、後々の深謀遠慮だったと、俺は思うぞ。天台宗とならんで戒律の厳しい真言の寺ならば、稚児と僧兵の閨事も盛んだしな」

「・・・そしてその直虎殿とかいう女城主の婆様は、寺でみっちり仕込まれた万千代に、閨での房中術を酷使させるべく、殿の御側へあ奴を差し出した」

「おそらくな」

―それが本当なら、何と惨い話だ・・・・。

 他人事ながら、暗澹たる気持ちになる、守勝だった。

「まあ、万千代本人もその辺りの事情は重々承知しているのだろうが」

「・・・・だったら、あの鳳来渓谷での一件は・・・・」

 何とも遣る瀬無い思いで、守勝が問えば。

「当時は万千代もまだ十かそこらの童じゃ。・・・・いくらお家の再興が第一とはいえ、己の運命の過酷さに、つい、魔が差したのかも知れんな・・・・・」

 自殺するつもりだったのか。それとも逃亡するつもりだったのか。今となっては、どちらともはっきりしないが。忠次はやり切れないなと、小さく首を振った。

「・・・・・・・・・・」

 本当に、やり切れない話だった。

 没落しかけた家の為、我が子に等しい存在を、お家再興の贄として、有力者家康の許へと差し出す。

直次の言う通り、もしそれが事実ならば。否、事実であろうが。

あの小生意気な万千代は、直虎とかいうその女城主にとっては、井伊家存続の為に利用する、単なる生贄に過ぎないという話になる。

―何という、妄執じゃ・・・・・。

 ここにもまた、鬼がいた。信長や家康とはまた違った種類の、鬼が。

 先の二人よりももっと陰湿で、もっと妄執に憑りつかれている、恐ろしい鬼が・・・・。

「貴種流離譚、と言うには哀し過ぎる運命だな・・・・」

 貴種流離譚といえば、確かにあの万千代の、花の如き類まれな美貌こそ、尊き血の証に相応しい代物だった。

―美しく、怜悧で。そして何処か陰のある・・・。

先程の奥座敷で家康への帰参の挨拶の際。垣間見た井伊万千代の美貌を思い出して、守勝は一人慄然とした。

あの時、一瞬で守勝に息を呑ませたものは。万千代の身体に流れる尊き血の結晶ともいえる信じられないくらいの美貌だった。

無論、幼き頃一度出会ったことのある相手であったから。その容貌が極めて優れていた記憶は、守勝にもあった。

だが、奥座敷で改めて目にしたかつての寺稚児の成長した姿の美麗さといったら。

 守勝や直次ら生え抜きの三河衆の泥臭さとは明らかに一線を異にする、万千代の透けるような白皙。弓形の眉。涼し気な目鼻立ち。

 何よりも。守勝に息を呑ませたのは、くっきりとした二重瞼の下の、黒々と黒曜石のように輝く万千代の大きな瞳だった。

彫が深く典雅なその目鼻立ちは、三河土着の譜代の誰とも違う。まさに唯一無二。高貴な血筋の末裔に相応しい上品さ、美しさだった。

その癖、女の如き美貌であるにもかかわらず。家康の背後に端座する万千代の全身が発していたのは、甘さなど微塵も排除した、研ぎ澄まされた抜き身の刃のような怜悧な雰囲気であった。

けして大柄とは言えぬ。むしろ小柄で細身とも言えるような痩身ながら、若木のように真っ直ぐに伸びた背。

因縁の相手である自分との再会にも、微塵も揺るがない視線の鋭さ。まさに鋼の糸のような強ささえ感じさせるその姿は、名家の御曹司に留まらない一種剣呑な雰囲気さえ放っていてー。

―あれこそが、名門の血・・・・。

 井伊谷に五百年の長きに渡り綿々と流れ続け、それがあるからこそ主である家康が寵愛し、万千代の養母が執着する血。徳川家中の誰よりも、尊く高貴な血脈。

―では、万千代自身は・・・・。万千代自身は己のその血を、どう感じているのだろうか・・・・。

 ふと、そんな詮無いことを思う守勝だった。


 ※ ※ ※


「惟任日向守光秀が上様(信長)にご謀反じゃとっっ?!」

 その、俄かには信じられないような一報を守勝が耳にしたのは、天正十年六月三日の早朝。安土城に程近い織田家の饗応屋敷の片隅の、侍長屋にてであった。

 安土に急を告げたのは、京で呉服商を営む織田家出入りの商人だった。

「惟任日向守殿、返り忠(謀反)を致し、上様中将様(嫡男信忠)ご落命っ」

 駿河拝領御礼の奉行を勤める井伊万千代の与力として、家康一行に加えられ安土を訪問していた守勝は、安土での饗応の後、家康が信長に誘われ京・大阪・堺に遊山に出掛けた後も、後始末等で織田家饗応屋敷に居残っていた。

 そもそも信長による家康への饗応は、安土城での接待が同年五月十五日から十七日の三日間。その後家康は信長に誘われるまま、京・大阪・奈良、堺へと赴いていた。

 付き従うのは、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政など、徳川譜代の重臣たち。勿論お気に入りの寵童、井伊万千代も一緒だ。

この時、織田方からは案内者として信長の家臣、長谷川秀一が同行している。

家康一行の足取りだが、二十八日まで京に滞在。翌二十九日には、そのまま京に滞在する信長と別れ、堺へと向かった。

当時、堺は国際貿易港として栄えており、家康には、今後の領国づくりの参考にしたいという思いもあり、堺では数日間滞在している。

六月二日。日本中を揺るがす一大事が勃発した朝も、家康は堺の豪商茶屋四郎次郎の屋敷に滞在し、一行はのんびりと堺の街を見物していた。

「些か饗応三昧にも疲れた。明日あたり、岡崎へ帰ろうかの」

 連日に渡った堺の豪商達の常軌を逸した饗応ぶりにも、少々食傷気味だった家康一行は、誰もが郷里の岡崎を恋しく思うようになっていた。

 亥の刻(午後二時)も過ぎた頃。突然、茶屋の屋敷に、京都の商人亀屋栄任が、血相を変えて飛び込んで来た。

「惟任日向守光秀、返り忠(謀反)っっ」

 家康にとっても、彼に付き従う徳川一行にとっても、それはまさに青天の霹靂の出来事だった。家康以下、誰もが身体中が瘧の様に震えることを抑えきれない凶事であった。

 その頃の守勝はというと。

安土は堺よりも京から遠いため、まだこの変事を知る由もなく。この度の織田家中挙げての豪勢な饗応への応礼として、砂金や熨斗アワビ、酒などを両手いっぱいに抱え、織田家中の有力者の家々を飛び回っていた。

 明けて三日、早朝。

いやに屋敷内が騒がしいなと、宛がわれていた侍屋敷の一室で目を覚ました守勝は、直後、部屋に飛び込んで来た顔見知りの織田家台所役の何某から、

『本能寺で上様が明智勢の奇襲を受けられ、奮闘虚しく落命されたっ』

と聞かされ、息を呑んだ。

「同じく上様ご嫡男信忠様も、二条御新造でご切腹。京の町は大混乱のようでござるっ」

 主の信長と共に、その嫡男である中将信忠も相次いで謀反人明智光秀に討たれたという凶事に、織田家中は蜂の巣を突いたかのような大混乱に陥った。

「して、謀反を起こした惟任は?光秀は討ち取られたのか?・・・・我が殿はっ、家康様は何処におわすっっ?」

「謀反人光秀の安否は不明。徳川殿は、先日来、上様とは別行動にて。その御消息は、現在の所不明としか・・・・・」

 織田家家中でも、情報が錯綜しているのだろう。守勝に第一報を知らせてくれた織田家の家臣にも、家康の安否は判らないという。

―もしや、既にもう家康様も、明智光秀の手に掛かって、落命されたのでは・・・・。

 とんでもなく嫌な予感が、寝間着姿の守勝の背を走り抜けた。

―ええい、守勝っ。しっかりせんかっ・・・。大事ないっ。大事ないに決まっておろう!!

 家康には、他家にも勇猛果敢を謳われた本多忠勝も、冷静沈着な榊原康政も付き従っている。彼らがお傍にいる限り、みすみす謀反人たる光秀に、家康が討たれる筈はない。

―しかし、堺と京は、あまりに近すぎるっ・・・。

 信長が光秀に討たれた京と、今家康が滞在している堺は、目と鼻の先。その地理的な近さが、守勝には不安で仕方なかった。

 事実、この前日、滞在先の堺の豪商茶屋四郎次郎の屋敷で、混乱する京を抜け出して来た亀屋栄任から、

「明智殿ご謀反。上様御落命っ」

 その第一報を聞かされた家康は、絶体絶命の窮地に陥っていたのだった。 

「もはやこれまでか・・・・切腹いたす」

「殿!」

 守勝が後日、榊原康政から聞いたところによれば。

明智の謀反と信長の落命を聞かされた家康は、直後、狼狽のあまり、付き従う康政や忠勝ら近臣に対して、こう叫んで、その場ですぐにでも腹を切ろうと脇差に手を伸ばしたという。

 家康の取り乱し方があまりに大きかったため、長老の酒井忠次らも動揺し、

「すぐ、我等も追い腹致しまする」

「では今すぐ京へ向かい知恩院へ駈け込んで、主従一同うち揃って自刃致しましょう」

 と、口々に叫ぶ始末。

「命運尽きた・・・」

家康一行の誰もがそう諦めかけた時。

「なんとか生き延びて畿内を脱出し、光秀を討つことこそ最大の供養」

そう家康を説得したのが、本多忠勝であった。

「平八郎の殿への溢れんばかりの忠義心が、我等を落ち着かせ、事態を冷静に見させたのじゃ」

 後日、康政は守勝にそう言って苦笑いした。

「あの時は流石の儂も、もうお終いじゃと、そう思うたわ」

 信長の同盟相手であり、信長から駿河を本領安堵されて供応を受けていた家康は、信長を討った光秀からすれば敵も同然。

このまま畿内に留まっておれば、すぐさま見つけ出されて斬られるのは必至だった。

兎にも角にも、忠勝の必死の説得が功を奏し、家康は自刃を断念。岡崎城までの逃避行を選択することになる。

だがその辺りの詳細を、守勝自身が知ることになるのは、もっと後になってである。

―忠勝殿と康政殿、ご家老の忠次様。それにあの何かと小生意気な万千代が、お傍についておれば。きっと殿もこの窮地を脱しなさるに違いないわっ。

 今にも腰から崩れ落ちそうな脱力感、不安を押し退けながら。必死で自分自身を奮い立たせ、そう願うことしか出来ない守勝であった。

―領国の三河岡崎まで、殿が落ちるとすれば、その道筋は?

 洛中至る所に謀反人の明智勢が目を光らせているとなれば、最も早く逃れられるのは、堺から直接船で逃げる方法だった。

―否、海路は駄目じゃ。海には海賊が仰山おる。

 淡路の安宅、菅。紀伊の雑賀、志岐の九鬼。いずれも蛮行名高い海賊衆だ。

 海の戦を知らぬ徳川に、奴らの相手が出来るとは思えない。堺の港を出た途端襲われ、あっという間に海の藻屑にされてしまうのがオチだ。

―では堺から伊賀山中を超え伊勢に出て。その後木曽川を下って、伊勢湾を船で横断して三河まで向かう方法が、一番か。

それが、この時の守勝に一番考えられる、家康逃避のルートであった。

―で、あれば。

「某もすぐに主の後を追いたいと存じます。ご家中混乱の際、真に恐縮ではござりますが、馬を一頭、お貸し下さりませぬか?」

 懇意にしている織田家台所方の取り成しを得て、饗応屋敷の家老格の重臣に目通りした守勝は、低頭して相手にそう請うた。

「それは構わぬが・・・・。謀反人明智が未だ存命なれば、京も堺も既に奴らの支配下にあるは必至。お手前はご主君家康殿の後を追われると仰るが、それはかなり難儀な事じゃ。東国へ通ずる主要な道を明智軍に押さえられれば、我が家と同盟関係にある徳川家中の者と知れただけで、お手前も討たれる可能性は無きにしもあらず。こう申しては不忠の限りと謗られるかも知れぬが、今暫く当家に留まり、様子を見られては・・・・」

 混乱する織田家中の苦難をおして、そう他家の守勝の身まで案じてくれる、織田饗応屋敷の老臣の言葉。

その好意を心より有り難く感じつつも、守勝は断固相手の好意の言葉を拒絶した。

「・・・・我等三河衆は、ただ血気盛んが取り柄にて」

 たとえ、万一途中で明智軍に見つかり殺されたとしても。僅かでも主である家康生存の可能性が残されているのであれば。

―それに賭けるのが、我等三河譜代の意地でござる・・・・。

守勝はハッキリと宣言した。

―そう、それが我等三河衆の意地。そして泥臭い田舎者の血が生む誓いだ・・・・。

「・・・そうか。では、もう何も申しますまい。すぐに馬の手配を命じましょう。些少だが、干飯と塩、それから砂糖に傷薬などもご用意いたします。そうじゃ、お手前路銀はお持ちか?」

 そう言って相手は恐縮する守勝に、饗応の礼として守勝自身が相手に渡した砂金の袋を、そっくり戻してくれたのだった。

「おそらく、徳川様は堺から南山城路を通り山城国宇治田原へと落ちられるであろう。そこから伊勢までの道中は、近江伊賀郡信楽を越えねばならない、険しい山道。総国一揆衆の根城付近も通らればならぬ。落ち武者狩りの一揆衆には、お手前も十二分にご注意召されよ」

 宇治から伊勢へ抜ける修験道は、かつて九年前、守勝自身が徳川家を出奔した際、継母お清一派を呪いながら辿った道。

―まさかあの時の苦い経験が、このような時に役に立とうとは・・・・。

何とも言い難い感慨を覚えながら、

「何から何まで、かたじけない。しかと肝に銘じておきまする」

 守勝は相手の好意の証の砂金袋を押し戴き、深く深く低頭した。

 こうして駿馬一頭と、馬の背に括り付けられるだけの食糧を貰い受け。懐には万一の際の謀略に使う砂金袋を忍ばせて。

これも織田家の情けで貰い受けた中古品の甲冑と具足一式を身に纏った守勝は、六月三日の昼前、混乱の坩堝にある安土の織田饗応屋敷を後にしたのだった。


 明智軍の手勢が、まだ京より安土付近にまで及んでなかったことが幸いして。

守勝は難なく安土城下を出ると、山城国宇治まで一気に馬を走らせた。

その後、険しさを増していく山中に分け入り、徒歩で馬を曳きながら小川館から北伊賀路へと差し掛かったところで。馬に水を飲まそうと立ち寄った小川の岸辺で、丁度物見に立っていた本多忠勝と運よく遭遇することが出来た。

「守勝っ、守勝ではないかっ」

「忠勝殿っ、御無事でしたかっ!!」

「おう、無事じゃ、無事じゃ。殿も康政も忠次の爺様も、皆達者にしておるわ」

 豪快に笑って、何時いかなる時も肌身離さず持ち歩いている《蜻蛉斬り》という名の長槍を掲げてみせた忠勝であったが。その身に纏った直垂は泥と汗で薄汚れ、髪もぼさぼさだった。

―やはり、この度の逃避行の始まりは、皆様方にとって、いかに唐突で不本意なものであったことか・・・・・。

 そう考えれば今この場所で、こうして忠勝に巡り合えた事が、奇跡のようにも感じられる守勝であった。


「殿っ、御無事で何よりでしたっ!!」

「守勝っ、守勝かっ・・・・?其方も無事で、本当に良かった・・・・・」

 忠勝に案内された深山の粗末な樵小屋。

守勝と再会した主の家康は、そう叫ぶなり、いきなりさめざめと涙を流し始めた。

「上様が本能寺で討たれたと、亀屋栄任から聞かされた時。最早これまでと、儂は切腹を覚悟したのじゃ・・・・・」

 後に様々な調略を駆使して、太閤秀吉の豊臣家を滅ぼし天下人となる家康であったが。彼には心許した部下の前では、時に赤子のように素直に内心を吐露してみせる、可愛らしいところがあった。 

守勝の手を強く握り締め、滂沱の涙を流しながら再会を喜んでくれるそんな家康の姿に、ここ一両日、無我夢中で主の無事を信じ馬を走らせてきた疲れも、あっという間に吹き飛ぶ守勝であった。

―時に老獪な冷酷さを垣間見せられようとも、やはり我が主は家康様しかおられぬ・・・・。

「そこにおる忠勝が、『なんとか生き延びて畿内を脱出し、光秀を討つことこそが亡き信長公への最大の供養』と言うてくれたからの。こうして、儂はお前とも又会えたのじゃ、守勝よ」

 ゴシゴシと目元を拭って泣き笑いの表情を浮かべて見せる家康。

彼もまた忠勝同様、目にも鮮やかな鳳凰の刺繍が施された羽織り袴姿の軽装で、足元は何と、山越えの最中だというのに、ボロボロになった草鞋履きであった。

「北伊賀路に明るい守勝が一行に加われば。総国一揆衆の根城の直ぐ側を通る際も、心強いですぞ、殿っ」

 気が弱っているらしき家康を鼓舞するように。豪快に忠勝が跪く守勝の肩を叩く。

「・・・・そうじゃな。それに、馬があれば、手傷を負った万千代も、捨て置くことのう共に三河へ連れ帰ることが出来ようぞ」

 漸く安堵した、と言いたげに、家康がそう呟き嘆息すると。

「・・・・殿っ。そのようなお気遣いは無用にと、お願いした筈ですがっ・・・・・」

 薄暗い樵小屋の奥から、不遜とも取れる言い様で、掠れた万千代の声が響いた。

「井伊殿?お手前、手傷を負うておられるのか?」

 漸く人心地ついたところで、いきなり聞こえて来た上役の、何時にない掠れ声に。

守勝は慌てて小屋の奥へと足を運んだ。

 土間に直接粗末な筵を敷いただけの褥の上に、鮮やかな京友禅の小袖と小姓袴を纏った万千代が、うつ伏せに横たえられていた。

 金銀の糸で華麗な牡丹や菊の意匠が縫い取られたその小袖は、背中の部分がパックリと大きく斜めに切り裂かれており、上等な布地の大部分が乾いた血糊によってごわついていた。

「・・・・万千代は昨日、落ち武者狩りの野武士に殿が襲われた際、盾になって背中を袈裟懸けに斬られたのじゃ」

「して、手傷はいかほど?手当は済んでおるのですかっ?」

 万千代は守勝の直属の上役。守勝は彼の与力である。

万千代の身に何かあれば、井伊の家はその時点で、脆くも瓦解する。

慌てて筵の傍らに片膝立ち、万千代の怪我の具合を確かめようとした守勝に、部屋の隅に控えていた野武士のような出で立ちの屈強な男が一言、告げた。

「手当は、その方が承りました。血止めの軟膏をお塗りして、晒できつく縛ってございます」

 端的にそう応じて来た。

「そこもとは?」

「伊賀の国人、服部半蔵正成と申します」

 後に徳川家お抱えの忍びとなる、伊賀者の長、服部半蔵その人であった。

「・・・・・手当は半蔵がしてくれた。が、あまりに出血が酷いので、足元が怪しくてな。こ奴、生意気にも足手纏いになりたくない故、この場所に捨て置いて行って欲しいと訴えるのを、殿が必死に宥めておったところよ」

  後方で眉間に皺を寄せた康政が、『強情者よ』とため息を吐きながら、年若い朋輩の身を案じていた。

  未だ、謀反人たる明智光秀の動向が判らない現在。無事な帰還のためには、一刻も猶予のない逃避行だった。

―強情になるのも、当然だ・・・・。

  だが、お気に入りの寵童を。しかも、身を挺して自身の命を落ち武者狩りの野武士の刃から守ってくれた寵臣を、人一倍情に篤い家康が、むざむざ捨て置いて行ける筈もなく。

  家康に付き従う忠勝や康政らは、甚だ困り果てていたらしかった。

「では、その強情者は馬の背に括り付けてでも、某が曳いて参りましょう。ですから殿も、ご安心召されて、早々にこの場を立ち退きましょうぞ」

「ぶっ、無礼なっ。我は荷物ではないわっ!」

  守勝の言葉に、いきり立った万千代が、勢いよく褥から身を起しかけて。

「あうっ・・・・・」

 刹那、甲高い苦悶の声を上げて、再び褥に崩れ落ちた。

 弾みで乱れた背中の布地の切れ目から覗く、粗末な晒の包帯に滲んだ血の赤さが、守勝の胸を突く。

―この強情さ。この血の鮮やかさが、井伊の誉か・・・・。何と、痛ましいの・・・・。

幼き日の、鳳来渓谷で出会った時と一寸違わない、まるで抜き身の刀のような万千代の気性の激しさ。

 どうしたことか。この時にはそれが大層痛ましく守勝には思われて、我知らず唇を噛み締め、そっと視線を逸らせた。

 だが、急に黙り込んだ守勝が、自分の強情さを嗤ったとでも勘違いしたのだろう。

「何を嗤うっ。其処、拙者を愚弄しておるのかっ!」

 そう、鼻息荒く万千代が怒鳴るものだから。

 困難を極める山中の逃避行に疲れて倦んでいた徳川主従の面々は、場違いな怒声に各々顔を見合わせ、最年少の仲間のとんだ誤解に、漸う微苦笑を交わし合ったのであった。



   二、小野万福丸

 

「万千代・・・・、これ、万千代っ、虎松、虎っ、何処にいるの?」

檜の香りも清々しい浜松城下の新築の井伊屋敷に、この日も朝から万千代の母方の従姉である瑠依の声が響き渡っていた。

六月十三日。家康の無事な岡崎帰国から、すでに十日近くが過ぎていた。

「万千代様でしたら、殿から『まいれ、すぐに』というお使者が来て、先程、登城されましたが・・・・」

 万千代の乳兄弟で、こちらも母方の従兄にもあたる小野万福丸は、奥の万千代の居室から顔を出し、瑠依の問いに応じた。

「登城ですって?背中の傷もまだ完全には、塞がってはおらぬというのに・・・・。なんて人使いの荒いタヌキ親父殿だことっ。万千代の背中の傷が膿みでもしてぽっくり逝っちゃったら、どう責任取ってくれるのよっ」

「お瑠依様、殿のことをタヌキ親父呼ばわりは、流石に・・・・・」

 万千代の従者として、共に出仕している万福丸が声を潜めて注意すれば。

「小太りでお顔がまん丸で、団栗みたいな目に、ぽっこり出たお腹。どこから見たってタヌキそっくりでしょ?あれがイタチやキツネに似てるというの?」

「・・・・ま、そうですが・・・」

―いや、問題は、そんなところじゃなくて、ですね・・・・。

 仮にも、当主が主と仕える相手を評して、タヌキ親父は流石に不味いんじゃないかと、そう思う万福丸であった。

 ただし、そうとはけして口にしない万福丸である。 

瑠依は万福丸よりも三つ年上で、当主の万千代よりは五歳年上。しかも万千代が幼い頃は、万千代の腹違いの姉の篠と一緒に、その襁褓(おしめ)も替えたという人である。到底、万福丸如きが口答え出来る相手ではない。

 しかも瑠依の亡父新野親矩は、万千代が父直親の謀反の咎で今川方に斬られようとした時、自らの命を張ってその身を守った大恩人である。万福丸は勿論、井伊家当主の万千代さえも、瑠依は逆らうことが出来ない相手であった。

―未だに万千代様を『虎松』などと幼名で呼び捨てる事が許されているお方は、この方だけだし・・・・。

 まだ当主の万千代が、妻帯はおろか元服もしていないこともあって。この井伊屋敷で一番力があるのは、実はこの従姉だと万福丸は思っていた。

「で、貴方は良いの?万千代の供をしなくても」

「戦支度をしておれと、万千代様からのご命令で。おそらく、殿のお呼び出しの理由は、逆臣惟任光秀討伐に関する事かと思われますので」

「あら、そう。また戦なのね・・・・。万千代ははまだ先日の手傷も癒えてないのに・・・・。本当に、このままぽっくり逝ったらどうするのよ。ウチにはあの子しか跡継ぎがいないんだから。タヌキ親父殿の寵愛も、こうなると有難迷惑。本当、困っちゃうわね・・・・・」

 なまじ冗談でもなさそうな口調で、瑠依がブツブツと文句を言う。

―自分の家の当主にかけられる主君の寵愛を、ここまで迷惑そうに言う人も、日の本広しと言えども、まぁ、いないだろうなぁ・・・・・。

 いっそ呆れるを通り越して、感心さえしてしまう万福丸だった。

「そうそう、困ると言えばもう一件。井伊谷の次郎法師様から虎宛に、刀傷に大層効くという軟膏を送って来られたのよ」

「次郎法師様が?では、万千代様のお怪我の事も、すでに・・・・」

「とっくの昔にご存じよ。だからお身体の具合があまり宜しくないのを押して、わざわざ渭伊神社の井戸から汲み上げられた水で、軟膏を自らお練りになられたんじゃない。虎の身に何かあったら、あの婆様は、たとえ生霊になってでも、家康様を呪い殺すお覚悟の持ち主。貴方もその辺りの事、重々覚悟しておきなさいよ」

「はあ、左様でございますか・・・・」

 瑠依の答えに、万福丸は悄然と肩を落とした。

―覚悟しろって、仰られてもですねえ・・・。

 万福丸の仕える万千代は、この世で一番誰よりも、養母である次郎法師のことを敬愛している。そしてそんな彼女に心痛を与えることを、何より畏れているのだ。

―次郎法師様に、バレたのか・・・・。これでまた、万千代様のご機嫌が悪くなる・・・・。

 そのとばっちりを受けるのは、何時も乳兄弟である万福丸の役目なのだった。


 次郎法師というのは、万千代の養母である。万千代の祖父直盛の一人娘で、万千代の父直親の元婚約者だった女人だ。

「そうだ、丁度良い機会だわ。ここでちょっと、貴方と私で、井伊谷の昔語りをしない?」

「昔語りで、ございますか?」

―ご勘弁下さいよ、瑠依様。明日にでも、殿のお下知で、逆臣惟任光秀を討つため、出陣するかもしれないのですから・・・・。

 戦となれば、当主に付き従う万福丸には、様々な支度があった。とてもではないが、この年上の従姉の茶飲み話の相手をしてはおれない。

「瑠依様、某はこう見えても、結構多忙でして・・・・」

「中野の絹は、夏椿の花が好きなそうよ」

「えっ?」

「夏椿なら、下女のたえの実家に見事な枝ぶりの樹があるそうなの。貴方欲しいなら、明日の朝にでもちょっと出掛けて行って貰って来たら?夏椿は朝に咲いて夕方には落花する一日花だから、急がないと萎んでしまうわよ」

「・・・・何故、中野の絹殿のことを、某に?」

「絹に惚れているでしょう?貴方の日頃の行いを見ていたら、バレバレよ。絹の方でも、満更ではない気配な様だけど?」

―本当に、恐ろしい人だな。この方は・・・。 

新野家と中野家は、共に井伊谷譜代の重臣奥山家と姻戚関係で結ばれた家同士である。

つまり、この瑠依と万福丸の惚れている絹とは、従妹だか叔母姪だか、兎に角よく判らないが女系の血族関係で繋がっているらしい。当然、年頃の娘同士。針仕事の傍ら、恋話なども交わしているのだろう。

―否、恐ろしいのは、瑠依様だけではない。女の身で井伊家の先代当主直虎の名を名乗った次郎法師様といい。万千代様の徳川仕官のきっかけを作るために家康配下の松下清景殿と再婚した、万千代様の実母小夜様といい。井伊谷に繋がる女子は皆、恐ろしく、そして何より強い・・・・。

複雑な婚姻関係で繋がり合った井伊谷の古くよりの女系の系譜は、男の万福丸には計り知れない情報という糸を、井伊家に連なる各家々に張り巡らしているようで。

それが地下に潜る伏流水の様に、常に万千代の命を亡きものにしようと狙っていた今川方の暗殺者の手から、井伊家最後の希望である万千代を、見事守り切ったともいえるのであった。

「そうですね。某も今後、万千代様の元で更に勤勉を励まねばならぬ身ならば。井伊谷の昔語りも、少しは存じておかねばなりませんか」

「すべてをつまびらかにするには、ちょっと長い時が掛るけれど。まあ、いいわよね。逆臣惟任光秀を討つための軍議なら、早々には終わらないでしょうし」

「お聞きいたしましょう」

 瑠依と万福丸の二人は、万千代の居室から、奥の座敷へと席を移すことにした。


 ※ ※ ※


「私がここらで少し、万千代以前の井伊家の昔語りを貴方にしようと思ったのはね・・・・。古くは南朝にも系図が繋がるとされる遠江の名門井伊家が、何故、次郎法師様つまりは直虎様の代で、断絶の憂き目を見ることになってしまったのか。その過酷な歴史を知らねば、貴方が側近くで仕える万千代が、その薄い肩に背負う鎧よりも重い血の宿命を、果たすことが出来ないと思うからよ」

そう瑠依は言った。

 井伊家は元々、水量豊かな井伊川と神宮司川に挟まれた井伊谷の三岳に城を築いた国人領主の家柄だった。古くは南朝の後醍醐天皇の皇子を頂いたという名家である。

 水量豊かな二つの川はやがて浜名湖へと続く。井伊谷は古くより、水量に恵まれ日照りに縁がなく、浜名湖の水運の益もあって市も立ち、人が集まる井伊谷は、実り豊かな豊穣の土地であった。

 井伊家の初代は、渭伊神社の境内の井戸に捨てられていた共保に始まるとされている。

「井伊家の初代共保様は、渭伊神社の境内の井戸の井形の蓋の上に、捨て置かれていたらしいの。その赤子が身に着けていた絹の産着の胸元には、生花だか刺繍だか今はもうよく判らないけれど橘の花が添えられていて。井戸に水を汲みに来た神主が見付け、その赤子の顔立ちがあまりに秀麗だった故、ただの近隣の百姓の子供ではないだろうと考え、自宅に引き取り七つの歳になるまで手元で育てたと伝わっているわ」

「その逸話ならば、某も存じておりまする」

 幼くして神童と称されるほど学問と武芸に秀でていた共保は、その後国司の藤原共資の養子となり共資の一女と婚し、藤原の家督を継いだ。

そして故郷の井伊谷に、居館井伊谷城を構えて井伊氏を称したという。これが井伊家の始まりだ。

時代が下って永正十一年(1514年)に今川氏親によって城を攻められ、以後は今川家の旗下に下ることになる。

「その頃のご当主は、万千代の上祖父になられる直平様よ。ご息女の蓮様を駿府へ人質として送り、蓮様は今川義元のご側室となられた。この蓮様が今川義元との間に生んだご息女が、家康様の亡くなられたご正室木築山御前様ということは、勿論、貴方も承知しているわね」

「殿への仕官の折、万千代様と一緒に直々に、まだご存命であられた瀬名様(築山御前)からお言葉を賜りました」

 あの時の事は今も覚えている。築山御前は万千代によく似た、黒目勝ちの目鼻立ちの涼やかな、お綺麗な方であった。どことなく、今目の前にいる、瑠依と面影が重なる気がするのは、やはり伊井の血のなせる業か。

 だが、娘を今川の側室へ差し出しても、駿河から遠く離れた遠江の井伊家の謀反を恐れた今川は、何かと難癖をつけては、井伊谷へ目付を使わして来た。

「・・・井伊家にとっての、苦難の時代の始まりは、天文十三年(1544年)。ご当主直盛様(直平の孫)の叔父上であられる直満様、直義様のご兄弟が、今川から謀反の疑いを掛けられ、駿河で切腹させられた時からよ」

事の発端は、この数年前に遡る。

今川と武田の両雄に国境を挟まれていた井伊家は、常に両者の侵攻を覚悟せねばならない危険な立場にあった。

残虐非道を恐れられた武田信玄の父信虎が、遠州東海道の要地井伊谷へと食指を動かし始めたのも、丁度この頃だった。

井伊家の所領を勝手に徴発・支配し始めた信虎に対して、家督を孫の直盛に譲って隠居していた井伊家先々代の直平は、抵抗することを選んだ。

「直平様のご嫡子直宗様は、この頃既に戦で他界なされていたけれど、直平様には跡を継いだ孫の直盛様の他にも、頼りになる三人の優秀なご子息達がいたの。ご次男が南渓瑞聞様。この当時、武家の次男は仏門に入るのが習いとされていたため、南渓瑞聞様はご幼少期に菩提寺である臨済宗龍泰寺へ入られ、学問を究めてられていた」

「勿論、良く存じ上げております。我がお師匠様ですから」

 万福丸は万千代と共に、幼い頃は南渓瑞聞が住職を務める井伊谷の龍泰寺に預けられていたことがある。

「そうね。これは余計な事だったわね。そしてご三男が万千代の祖父に当たる直満様。ご四男が直善様である。五男の直元様は若くして病にて身罷られたけれど、兎に角この時代の井伊家には、当主の直盛様以外にも頼りになる成人男子が三人もいらっしゃった。幸せな時代だった」

 瑠依とて万福丸の三つ年上であるから、勿論これは次郎法師辺りからの伝聞であろうが。まるで自身が見て来たかの事の様に、瑠依は生き生きと当時の井伊谷のことを万福丸に語って聞かせた。

「でもこの武田家への抵抗が、井伊家に悲劇を齎す原因となった。武田討伐の為に行っていた戦準備を、今川方への謀反と諫言した者がいた。それが家老の・・・・」

 そこで唐突に、瑠依は言葉を切った。何時もハキハキとしていて、万福丸にも何事も容赦のない物言いをする彼女が、言い淀むかのように視線を泳がす。

「小野政直。我が祖父に御座います」

―そうじゃ、我が祖父は、主家である井伊家のご子息二人を讒言で陥れた佞臣じゃ・・・・。

「遠慮は無用でございます。我が小野の本家が、井伊家の皆様方に、多大なご心痛を強いたのは事実。しかし我が父朝直は、祖父や叔父とは袂を分かち、万千代様のお父上直親様の乳兄弟として、井伊家に一生涯の忠義を誓った者。それはこの万福とて同じでござる」

「貴方の父朝直様は、誠の忠臣。万千代の命を救って下さった恩人のお一人なのですもの。・・・・では、遠慮なく話を続けさせてもらいますよ。小野政直の讒言により駿河の今川の許へ呼ばれた直満様と直義様のご兄弟は、満足な弁明の機会を与えられることもないまま切腹させられた。井伊谷に残っていたご当主の直盛様は激昂なされたが、相手は大身の今川家。刃向かっても、一族郎党皆殺しにされることは明白だった」

しかも、直盛には嫡子となる男子がいなかった。正室の律(瑠依の父新野親矩の妹。のちの祐椿尼)との間には一人娘の香(後の次郎法師)はいたが、息子はいなかった。

そのため予てより叔父の直満の子亀乃丞が長ずれば、一人娘の香を娶らせ嫡子とする予定であった。

だがこの時、香は十五歳であったが、婿となる亀乃丞はまだ九歳と幼く、婚儀は数年先の事と思われていた。

急を聞いた直盛は急遽、甥の亀乃丞を養子とすると、仏門に入っている叔父の南渓瑞聞の許へ走り、亀乃丞の身柄の処遇を相談した。

この時代の武家出身の禅僧というのは、ただの宗教家ではなく、その家の軍師的な役割を担う存在だった。豊富な知識や寺同士の繋がりで、世相の様々な情報にも通じ、お家の外交官的な役割も任じられていた。

「南渓様へ直盛様は、『今川方からは亀乃丞を斬れと言って来るでしょう。しかし儂は、儂の身代わりとなって死んで下さった叔父上のお子を、殺したくはない。儂にとっては我が同然の可愛い甥なのです』と訴えられたそうな。・・・・誠に、のちに今川氏真に万千代の助命を願った我が父新野親矩と、直盛様は良く似ていらっしゃる」

 瑠依は誇らしそうに微笑んだ。

「そして南渓様は、亀乃丞様を神宮司村に逃がされたのですね。神宮寺村からは鳳来寺街道を抜ければ、三河や信濃へも逃れやすいと」

 この辺りの話は、万福丸も幼い頃、龍泰寺で何度も万千代と共に、南渓から語って聞かされた馴染み深い話だった。

 自分達の境遇とあまりによく似ている万千代の父直親の幼い頃の逃亡譚は、どこかお伽草紙の貴種流離譚を聞いているような趣さえあって、幼かった万福丸達は、幾度も幾度も南渓にその話をねだったものだった。

「直親様は 信州下伊那領主松岡頼定殿の館で匿われ、ご成長された。そしてその方の祖父が亡くなると、漸く井伊谷へ戻ることが出来、元服なされた。許嫁だった香様が、すでに出家して次郎法師様となられていた故、我が母方の祖父で井伊家の分家でもある井伊谷の実力者奥山朝利様の家から、ご正室の小夜様を娶られた。奥山朝利様は、貴方の母方の祖父でもあるな」

「私は幼くほとんど覚えてはおりませんが、頑固な爺様でございましたね」

―我が一族のことながら、何とも複雑な血縁関係よな・・・・。

 つまり、瑠依の父で万千代の育ての親代わりとなった新野親矩は、今川家一門ながら井伊谷と関わりが深く、井伊家の分家で万福丸にとっては母方の祖父に当たる奥山朝利から長女を娶った。これが瑠依の母である。

 一方、佞臣と呼ばれる小野政直の次男朝直は、早くから父や兄とは袂を分かち、同じく奥山朝利の三女を娶り、万福丸を生んだ。

 そして井伊家当主の直親の正室となった小夜もまた、奥山朝利の次女であった。

 つまり、瑠依と、万福丸と万千代は、いずれも、それぞれの母から井伊谷の有力者だった奥山朝利の血を引く従姉弟同士の関係になるのである。

―井伊谷の女系の系譜の、さも根深く広き事かな・・・・・。

 本当に、とんでもなく強固で強かな、女達による代々紡がれて来た血縁関係であった。

そしてこれこそが、今川家によって幾度も誅され根絶やしにされそうになった伊井家の嫡流を、守り抜いて来た系譜なのだと、改めて驚愕と感嘆の念を覚える万福丸だった。

―たとえ敵となった者の身内とも、強かに縁を結び何代もかけて我が味方となしていく。

井伊谷の女子衆の強かな強靭さは、何度聞かされても驚くばかりの万福丸だった。畏敬の念さえ抱いていた。

「その後の事は、貴方も知っているでしょう」

「はい。我が叔父、小野政次の再びの讒言によって、万千代様の父直親様が、今川方の将朝比奈奏朝にお命を奪われた。そして二歳だった万千代様のお命も差し出せと今川が申し入れて来たのを、貴女のお父上新野親矩様が助命嘆願され、お救い申した」

 瑠依の父新野の嘆願で一旦は許された万千代だったが、その後も執拗に、今川の意を受けた目付家老小野政次が暗殺者を差し向けて来たので、危険に思った南渓瑞聞が自分の寺から三河の鳳来寺へと万千代を逃がした。乳兄弟の万福丸と共に。

 そして宿敵今川が桶狭間で没落した後―。

南渓瑞聞、次郎法師、生母小夜らが語らって、井伊家復興の最後の希望を託して、万千代を徳川家康に仕官させたのだった。 

「しかし一つだけ、腑に落ちぬことが・・・・。常々不思議に思っていたのですが。お聞きしても宜しいですか?」

「何?遠慮なく聞いてみなさい」

「万千代様のご生母小夜様が奥山の爺様の娘で、我が母の姉であることは無論承知しています。その縁で、万千代様は無論、某も瑠依様のお父上の新野様には随分、可愛がっていただきましたから。・・・でも何故、そもそも奥山の小夜様が、万千代様の父直親様に嫁がれたのですか?とうして次郎法師様は、許嫁の直親様の井伊谷お戻りを待たれることなく、髪を下され仏門に入られたのですか。というか、そもそも何故、直虎などという女地頭名を名乗られたのでしょう?直親様が今川の手を逃れ逃亡された後、ご当主直盛様が桶狭間の戦いで戦死なされ、一時的にご当主不在となられても、井伊家には直平様のご次男南渓瑞聞様がいらっしゃったではございませんか」 

 万福丸と万千代の学問の師で、井伊家の軍師でもある南渓瑞聞は、今現在も存命である。

万千代などは家康に仕官した後も、折に触れて南渓に便りを送り、今も色々と教えを乞うているようだった。

「男は一旦仏門に入っても、還俗すれば家を継げる。実際私も万千代様も、寺に逃れ、今川の追手を巻いてこうして生き残り、徳川の殿に仕えております。南渓和尚が還俗されて一時的にでも井伊家を継がれておったら、直親様が戻られた時、次郎法師様は直親様のご正室になられたのでは?」

 そう。そこがずっと、万福丸には不思議だった。どうして井伊家嫡流の姫である次郎法師が、出家して男名を名乗らねばならなかったのか。

 男と違って、女子は一度出家してしまえば、還俗は叶わない。それならば何故、南渓瑞聞という人物的にも知の面でも優れた成人男子が、井伊家にはいま一人生存していたのに、どうして彼が当主となることが叶わなかったのか?

「・・・・・これは秘事ゆえ、滅多なことで他人に漏らしてはならぬことだが。貴方は万千代の影。最も側近くで仕える分身のような者ゆえ、話しておきましょう。南渓和尚様は、畏れながら直平様のお子ではない」

「なんとっ・・・・それは真ですか・・・・」

―ああ、だからか。だからご師匠様は、自らお家を継がれなかった・・・・。

 驚愕すべき事実であった。だがそう聞くと、すべてがすっきりと、腑に落ちた万福丸だった。

 何時も、どんな時でも。身を挺して万千代の命を守り、今も変わらず良き相談相手として万千代を支え続けている南渓瑞聞。

彼は自らの体内に流れる血が、井伊家のものでないことを知っていたのだ。自分の血脈が伊井家の嫡流を継げない、継いではいけない血である事を知るが故に、今この時もあそこまで親身に、万千代を守り支え続けているのだった。  

   

気が付けば、辺りはすっかり薄暗くなっていた。何処かで、日暮の鳴く声が聞こえる。 

「ねえ、万福。殿は何時まで虎を童形のままにしておくおつもりかしら?」

「さあ」

 いきなり、話が打って変わって平穏なものになり。万福丸は強張っていた肩の力を抜いた。

「お茶でも飲みましょうか」

「そうですね」

「お饅頭食べる?」

「ええ、頂きます」

 昔語りというには些か重すぎる話を聞いた後では、さすがにあまり腹も減ってはいないが、ここで変に遠慮するのもあれなので。 

 瑠依から勧められるまま、万福丸は膝を崩した。

 元々彼の万福丸という名は、万千代が家康に初めて推挙され対面した時、傍らに付き従っていた彼が、嬉しそうに出された菓子をパクパクと遠慮もなく平らげたことから来ている。

 陪臣の癖に妙におどおどすることもなく、家康の前で菓子を平らげてみせたその腹の座り具合が面白いと、家康自ら名付けてくれた名前だった。

ちなみに、万千代の名も、

『儂の幼名は竹千代であった。井伊家の千代、万代を願い井伊万千代といたせ』

 これも家康が直々に名付けた。

 今思えば家康は、予め推挙した松下清景あたりから、万千代の出自を詳しく聞かされていたのだろう。井伊家のそれまでの苦難の歴史を知ればこそ、家康は万千代に、その名を与えたのだという気が万福丸にはしてならなかった。

侍女が茶を運んで来た。

瑠依は万福丸の膝の前に、豪華な蒔絵の施された重箱を進め、

「カステイラという名の菓子よ。エスパニアか何処かの異国の物らしいわ」

瑠依に促されるまま蓋を開けてみれば、なるほど。黄金色に輝く、日本の蒸し菓子に似た饅頭が、行儀よく二列になって並んでいた。

「では、遠慮なく」

 重箱の中から饅頭を一つ摘まみ上げた万福丸に向かって、瑠依が先程の話の続きを再開する。

「万千代ももうすぐ二十二でしょ。いくら美しいといっても、何時までも前髪立ちは可笑しいわ」

 そういう瑠依自身が、万千代とよく似た秀麗な目鼻立ちの美女だ。井伊屋敷には、瑠依を嫁に欲しいという話が降る様に舞い込んでいた。

 万福丸も、複雑な井伊谷の姻戚関係で結ばれたこの年上の従姉妹のことを、美しいと思う。

―ただ、お年が。二十七というのは、嫁入り前の女子としては、些かトウが立ち過ぎておる・・・・。

「そうですね」

「そんなにあの子の房中術(性技)は凄いのかしら?殿を虜にするくらい」

「ぶっ、ぶはッっ・・・・っ?!」

 飲んでいた茶を噴き出して、万福丸は激しく咽た。

「なっ、何という事を仰るのです・・・っ。嫁入り前の女子が・・・・」

「あら、汚いわね。気を付けなさいよ。そのお饅頭、酒井忠次様から頂いた万千代へのお見舞いなんだから」

―そういうことは、最初に言って下さいよ・・・・。

 げほげほと激しく咽ながら、万福丸が零れた茶で濡れた畳を拭くのを眺めながら、ちゃっかり饅頭の入った重箱を引く瑠依を恨めしく見上げると。

「・・・・伊賀越えの後、誰もが万千代の元へ、様々な見舞いの品を持って来るようになったわ。少し前までは万千代の事を、『寺で僧侶らに可愛がられた蛍侍』だとか、『亡きご正室の築山殿の縁者だから贔屓にされているのだろう』とか。随分な悪口ばっかり言ってた人達までもね」

「それは、万千代様が伊賀越えの際の一番の功労者ですから。手傷を負っても殿をお守りしただけでなく。甲賀の国人領主の山口秀景殿を説き伏せ、家康様ご一行の山城国通過を認めさせた万千代様の取次の妙を、殿は殊の外褒められて、あの見事な孔雀の羽の陣羽織を下賜された」

「・・・・万千代は、戦っているのね。徳川のご家中で。新参の万千代が、数多の譜代の方々を押し退けて。家康様から一番の寵愛を受けるためには、並々ならぬ気働き、武功、そして時には閨事にも秀でねばならぬ」

それまでの軽快な戯れ事とは明らかに口調が違う。どこか憂いを帯びた口調で、瑠依が言葉を継いだ。

「あの子はずっと戦い続けている。鳳来寺でも、此処でも。万福は、ずっと側でそれを見て来たんでしょう?」

 苦いものを飲み込んだような表情で、瑠依が万福丸を見詰めて来る。

 ああ、このお方は何もかもご承知なのだと、万福丸は悟った。

―見て参りましたよ、ずっとね・・・・。

鳳来寺時代―。

獣欲に飢えた、粗暴な僧兵相手の稚児勤め。十数人の僧兵達に、飽きるまで嬲られ弄ばれた満身創痍の万千代を、実際に手当てし看病して来たのは、他ならぬ万福丸自身だった。

「・・・でも、最近の万千代様は、随分と楽しそうですよ。殿は暇があれば、万千代様と戦についての問答をなさるらしいです。実際の戦場でもお側に召して、敵やお味方の陣形の意味を一つずつご教授くださるそうです。先日も、『勝兵はまず勝ち後に戦いを求め、敗兵はまず戦いて勝ちを求む』という殿の信条を、解き明かしてみせよと仰せられたとかで・・・・」

「あら、うふふ。本当に、楽しそうね」

 城勤めの事は一切、家では口にしない万千代だった。だから万福丸の口から語られる万千代の仕事ぶりが、姉代りの瑠依には随分と嬉しいのだろう。

「ええ。万千代様が、『それは《十分に勝利の態勢を整えてから戦いを始める者は勝ち、戦いを始めてから勝とうするようでは敗れる》という『孫子』の兵法に御座いますね』と答えられたら、殿はバレたかと大層お歓びになったようで」

「子供みたいなお方なのね。家康様は」

 コロコロと、鈴を転がすような笑い声をあげて、瑠依がそっと目元を拭う。 

 そう。万福丸は、楽しそうな万千代の話しか、瑠依にするつもりはなかった。それがこの美しい従姉のためであり、何よりも万千代の誇りを守るために。

 万千代は、瑠依達井伊家に繋がる女達や南渓らが、これまで懸命に守り、育て、磨いて来た井伊家の宝なのだ。その宝を、この先は万福丸自身が、一片の曇りも瑕もつけないように、守り、支えて行かなければならない。

―それが、傍流とはいえ、小野の家に生まれた儂の努めじゃ。

 かつて、祖父、叔父と、二代続けて裏切り者を出した家系の。五百有余年、井伊谷に流れ続ける尊き血を、一度は我が物にしようと企んだ者の縁者として。

―今度は儂が、その血を守る。我が命に代えても・・・・。 


※ ※ ※


「猿の奴がああも素早く、備中から駆け戻って来るとは思わなんだわ・・・・」

 隣室の寝所から響く家康の苦り切った声に怯えたように、ジジッと荏油に浸かった灯芯が焦げる微かな音が、静まり返った万福丸の控える部屋に響いていた。

「筑前守からの使者の言葉を聞いた時は、皆様大層驚かれておりましたね」

 六月十九日。

尾州鳴海城に家康の惟任日向守討伐軍が集結したこの日、羽柴秀吉の使者が鳴海に着参した。

『先の十三日、山城山崎において、我が主羽柴秀吉が、逆臣惟任日向守光秀を討ち取りましてございまする。既に都も近江も、主の筑前守が押さえましたゆえ、徳川様にはどうぞ御懸念無くご帰国下さいますよう』

 使者は、無表情でそう伝えて来た。

 使者の退席後、旗本先手将という大任にある榊原康政は、

「あり得ませんっ。あの猿が備中から駆け戻り、惟任日向守を討つなど。日数的にも不可能ですっ!」

 と堰を切ったように反駁し、同じく本多忠勝も、

「小平太の申す通り。毛利が筑前守の帰国を傍観するとは思えぬ」

 と同意した。

「いや、わざわざ使者を送って来たのじゃ。まず間違いなく本当のことであろう。念のため、近江と京へ放つ巣っ波の数を増やし、情報を多く集めよ」

 家康はいきり立つ二人にそう告げると、万千代を伴って寝所へ引き上げた。その次の間で、万福丸は宿直の役目を勤めている。

「其方も、信じてはおらぬのか?猿めの大返しを」

 微かな衣擦れの音と共に。家康が問う声が、襖越しに万福丸の耳にも聞こえて来る。

「・・・・某も康政殿忠勝殿のお二方と同じで、すぐには到底信じられませぬが・・・・。もし、使者の言葉が事実であるならば、某は筑前守が備中より如何にして戻ったか。それを知りとうございます」

 万千代は静かに答えた。

「其方らしい答えよの」

 何か、万千代の答えが家康の興を引いたのだろう。光秀誅殺の知らせを聞いてから初めて、楽し気に家康が笑った。

「使者の話は事実じゃ。惟任光秀は、おそらく殆ど事前の準備もせずに、信長を討ったのであろう。四国の取次を奪われ、所領も召し上げられ、挙句の果てに猿の後詰にされては。左様な理不尽な仕打ちを被れば、返り忠しか道はないと、随分と追い詰められたのじゃろうよ・・・・」

 背かれる様な行いをした信長が悪い。そう家康は言っているのだ。

―ああ、そうだ。このお方にとっても、信長公は、憎き仇。嫡男信康様と築山御前様を讒言を用いて殿自らのお手で殺させた、憎くてならぬ仇なのじゃ・・・・。

 ふと、そのことに気が付いた万福丸であった。

「背中の傷の具合は?」

「大事御座りません」

「そうか。では、近う寄れ、万千代」

「は」

 家康に腕でも引かれたのだろう。隣室からは、万千代が主の傍らに添い臥しするような物音が響く

 やがてー。

少々乱暴に万千代の纏っている単衣を肌蹴け、その白い肌に唇を寄せたのだろう主の、押し殺したような唸り声と、懸命に抑えた、それでも殺しきれない万千代の喘ぎ声が漏れ聞こえて来るようになって。

万福丸はそっと、袴履きの膝の上に揃えた両の拳を握り締めていた。

別に、家康に対して嫉妬している訳ではない。これは万千代の戦いなのだ。徳川家中で、万千代にだけ与えられた戦いの機会。寝所で家康の茣蓙を直すことは、万千代だけが出来る孤独な戦いに他ならなかった。

『三河衆の譜代には、負けぬ』

 そう隣室で、万福丸は万千代が無言で叫んでいるような気がしていた。

―だから、儂も共に戦う。万千代様のお側で・・・・。

「何を考えておる?」

 隣室からの声は、時に高く時に密やかに、流れ続けていた。

「儂に抱かれておる時も、何か別のことを考えておる。其方のそんな素気のなさが、堪らなく儂を虜にするのじゃ・・・・・」

「お戯れを」

 淡く微笑したのだろう。万福丸には、家康を虜にする嫣然とした笑みを浮かべる万千代の貌が、見える気がした。

「この黒曜石の様に輝く瞳は、まこと亡き信康に瓜二つ。これが伊井の血という事か・・・・」

 酷くもの哀しく遣る瀬無そうに、家康が呟いている。

「七年前、松下清景の屋敷前で、付き添いの尼御前の傍らで跪いておった其方を初めて見た時。儂は、我が子信康と其方が余りに似ておる故、大層驚いた。其方は信康よりも二歳年下じゃが。その黒々と大きく輝く目、典雅な鼻筋は、紛れもなく瀬名(築山御前)の血。信康にも確かに流れておった井伊の血じゃ」

「畏れ多いことでございます」

 家康の正室瀬名姫(築山御前)が、万千代の上祖父直平の娘であることは万福丸も承知している。

「儂は今でも、信康を死なせたことを悔いておる。何故、救ってやれなんだかと。信長公に逆らっても、何故、徳川の儂の血と、井伊の瀬名の血両方を引く、自慢の息子であった信康を、どうして儂は・・・・・っ、救う手立てさえ講じなかったのかと・・・・。今更、後悔しても後悔し切れぬ。あの一件は真に、この家康一生の不覚であった・・・・・っ」

 それは切れ切れの慟哭。駿遠三の三国を支配下に置く太守の言葉とは思えぬほど、か細く弱々しい泣き声だった。

「・・・・・・」

「長じて後、尚一層信康の面影を宿すようになった其方は、儂には、儂にはの・・・・・。神仏が愚かな父にお与え下された救いの様に感じられるのじゃっっ!」

「勿体ないお言葉。なればこの万千代、この先も、誠心誠意殿にお仕え申し上げます」

 すすり泣く家康に応じる万千代の言葉は、やはり静かだった。

―ああ、万千代様は判っておられる・・・・。

 家康に身体を求められても、万千代はけしてその事では奢らない。行為の間ですら、家康の方が焦れるほど、万千代は家康の愛撫を柳の如く水の如くしなやかに受け流す。

勿論性行為の間、齎される快感に喘ぎ乱れることはあっても、万千代は何時もどこか冷めていた。肉体の交わりを、仕事の一部と割り切っているような冷静さがあった。

万千代が主の褥に侍る夜、家康の寝所の隣室で必ず宿直の番をしている万福丸には、誰よりもそれが判っていた。

おそらくその冷静さは、少年期の寺での稚児勤めの経験が、万千代にそうした態度を取らせているのだろうと、万福丸は何処か痛ましいような思いでいた。

殆ど当時のことを、たとえ側近くで見守っていた万福丸にさえ、今もって語ろうとはしない万千代であったが。たった一度だけ、徳川家に仕官し、初めて家康のお手が付いた翌朝に一度だけ、前夜の首尾を気にする万福丸に漏らしたことがある。

『殿との閨事は、まるでままごと遊びの様に慎ましく穏やかで、正直気が抜けたわ。寺ではな、万福。儂は二人の僧によって、一度に上の口と下の口を同時に嬲られた事もあった・・・・』

 そう言って、ふふふ・・・・と嗤った万千代の、黒目勝ちの美しい瞳は、その時笑ってなどいなかった。

 閨でのその万千代の冷静さが、徳川家中での彼の立場を守る事にもなった。

万千代は己が鋼の団結を誇る三河衆ではないことを、徳川旗下では遠江生まれの外様であることを、どんな時でも忘れていないように万福丸には感じられた。

家康の寵愛に奢り、その上に胡坐をかけば、すぐにでも足元を掬われることを、仕官して七年が過ぎても万千代自身が忘れてはいないように、万福丸には思われた。

「すまぬ。取り乱してしもうたの」

「何も。今宵は殿も少し気が立っておられるのでしょう。あの猿めの備中大返しの報に。・・・・ですから殿、今宵はうんと可愛がってくださりませ。この万千代を・・・・」

 男の物とは到底思えない艶を含んだ万千代の誘いに、

「愛い奴じゃっ」

 叫んだ家康が、荒々しくその痩身を苛み始めた物音がしてー。

家康の一物が、荒々しく万千代の菊座を突いている淫靡な水音と共に、あられもない万千代の喘ぎ声が、襖越しに漏れ続ける。

やがて熱く迸った家康の飛沫を腹の奥底に受け止め、感に堪えないという様な甲高い叫び声をあげて、万千代自身も達したようであった。


 どれほどの時が過ぎてからか。

「先程の筑前めの大返しの件ですが。案外これで良かったのでは?」

 密やかな衣擦れの音と共に、少し掠れた万千代の声が、主の家康に告げるのが聞こえた。

「下手に光秀を討って大きな武功を上げれば、混乱の最中にある織田家中の権力闘争に巻き込まれましょう。それよりも今は、治める者のいなくなった甲斐・信濃の領地を、織田家中が揉めている間に、勝手切り(横領)した方が、当家には益がござりましょう」

「ほう、流石は万千代。よう状況を見ておるな」

「今度の変事で、実は一番喜んだのは北条ではないでしょうか・・・・」

「どういう意味か、説明してみよ」

「信長公の東進によって、北条早雲以来五代に渡って広げて来た北条の関東の版図は、今や風前の灯火。上野、下野、上総、下総の割譲を迫られ窮地に立たされておりました」

「うん。その通りじゃな。続けよ」

「信長公に恭順の意を示したにも関わらず、武蔵国にまでその矛先を向けられていた北条は、文字通り進退窮まった状態。そこへ今回の変事でございます。内心では喜び勇んで、北条は必ずや自らの版図を取り戻すべく、殿の駿河へと向かって参りましょう」

―流石、万千代様。的確な読みだ・・・・。

 万福丸は、隣室で一人感心して膝を打つ。

「甲斐に信濃という旧武田家の領地は、殿が信長公の嫡子信忠様を支えて、武田勝頼を倒し奪ったもの。みすみす北条に呉れてやる道理はござりません。違いまするか?」

「違わぬ。だが、上野はどうする?」

「まずは北条と一戦交えた後の、和議の進め方次第では御座りまするが・・・・。甲斐と信濃さえ、我が方の物に出来れば。その仕置きには随分と時も掛かりましょう。上杉の南下も気になれば、上野は北条の切り取り勝手とさせればよいのでは?」

「うむ。儂の存念も似た様なものじゃ。なれば先ずは北条相手の戦準備に取り掛からればの」

―殿は上機嫌で頷いておられる。どうやら弱気の虫も退散いたしたようじゃな。

襖越しに漏れる隣室の灯明の光が細くなり、やがて消えた。どうやら二人共休んだ様であった。


※ ※ ※


「進めっ、恐れるなっ、進めっ、進めっ!」

万千代が叫び、槍を掴んで突進する。

天正十年(1582年)、八月二十八日。甲斐国北巨摩郡大豆生田村―。

かつての閨での万千代の予想通り、織田信長の横死後、関東の覇者たらんとする北条家が、滅亡した甲斐武田氏の遺領を巡って家康に矛を向けて来た。

八月以降、両者は甲斐国において、幾たびかの小競り合いを繰り返していた。

北条と徳川の甲斐国における局所的な戦闘は、いずれも徳川軍の勝利に終わった。

大軍ゆえの兵力不足から、北条方は徳川方を牽制しつつ大豆生田村の辺りで、砦の島崎城を拠点に藤井平で組織的な苅田を行うこととし、これを防ごうとした徳川方は、藤井平に伏兵を配置した。

大豆生田砦に築かれていた島崎城を出た北条方の苅田部隊に対し、家康は酒井忠次率いる伏兵に一斉攻撃を指示。

不意を突かれた北条方は大豆生田砦まで退き、両者は砦を挟んで対峙していた。

その砦の攻防戦に、井伊万千代率いる井伊谷衆も参加している。勿論、直政の近習の小野万福丸も。

「万千代様っ、危なのうございますっ」

必死で万福丸が叫ぶが、数歩先を行く主は全く躊躇しない。

途端に轟音が轟き、数十発の弾丸が周りの空気を切り裂いた。

「ぐあっ」

 獣のような悲鳴を上げて、万千代に付き従っている井伊谷衆の騎馬武者が一人、もんどりうって、馬から転げ落ちる。

血飛沫を跳び散らして倒れ伏す部下の様子を顧みることなく、硝煙の煙がたなびく中を、万千代を乗せた黒毛が駆ける。

「突出はなりませぬっ、万千代様っ、万千代様っ!!」

「あの小童めっ。相も変わらず、大将自ら血気に逸りおってっ!」

 矢玉の雨をかい潜り、必死で万千代の後を追う万福丸の傍らで、万千代に付けられている井伊谷衆与力の近藤秀用が、歯噛みしながら主へ殺到する敵兵を、手にした長槍で撫でる様に斬り伏して行く。

「今が好機!一気に敵を踏みつぶせっ!」

 先頭で万千代が大声で叫んでいる。土埃を上げて疾駆するその薄い背中に、近藤や鈴木、菅沼ら井伊谷衆三人衆の騎馬が続き、更にその後を万福丸と、這うように身を低くした足軽隊の一団が、敵の銃弾をかい潜りながら、北条方の築いた砦へと殺到していく。

 青竹の馬防柵を左右に押し開け、真正面かいから、北条方の騎馬隊が繰り出して来た。

「小僧めっ」

 北条の髭面の武者が、井伊谷衆の先頭を駆ける万千代に向かって、刀の切っ先をきらめかすのが万福丸の位置からも見えた。

「万千代様っ!」

 刹那、躊躇なく万千代が手にした槍を突き込んだ。手応えは十分に見えたが、騎馬同士の戦いで、踏み込みが一瞬ズレたのだろう。万千代の槍の穂先は僅かに相手側の胴に食い込むだけに終わった。

「左様な腕で、儂が倒せると思うかっ。小僧!」

 髭の濃い相手武者は一瞬焦った表情を見せたものの、万千代が若輩だと知るとすぐに不敵に嗤って、刀を振り被った。

 間一髪のところで万千代が身を躱し、相手の刀が空を切る。万千代も必死に槍を繰り出すが、またしても横に払われた。弾みで大きく体勢が崩れる。

「万千代様っ!」

 漸くその場に追いついた万福丸が、髭武者と万千代の間に馬を乗り入れる。

「新手か。しかし小僧一人が二人になったところで、儂の敵ではないわ」

 戦い馴れている口調で、髭武者が野卑に嗤った。

「うぬら二人共、震えておるではないか。怖いのか、小僧共っ」

 井伊谷三人衆の近藤、鈴木、菅沼達も、周囲でそれぞれ屈強な敵武者とやり合っており、誰も年若い主である万千代へ助太刀する余裕はなさそうだった。否、与力衆の助太刀など、万千代の方からお断りだと言うだろうが。

「やあっ」

 万福丸は主である万千代を庇うようにして、遮二無二に槍を繰り出すが、左右に弾かれ、髭面の敵の具足まで届かない。それは隣で戦う万千代も同じだった。

 時間が経つにつれ、体力と腕力に優れる敵は、どんどん押し込んで来る。実戦経験の乏しい万福丸も、小兵の万千代も共に息が上がり、肩でゼイゼイ喘ぐように息をしていた。

 それを見た髭面の敵武者が、にやりと口許で嗤う。

―拙いっ。此処は一旦引くべきかっ・・・・・。

 万福丸は迷った。主の万千代は痩身の為、瞬発力はあるが、体力がない。どうしても長対峙となると、自分達の方が不利になるのは目に見えていた。

その時だった。

近くで数十発の鉄砲を放つ音が轟いた。追いついて来た味方の鉄砲衆が、敵陣に向かって放ったようであった。

 チラリと、髭面の敵武者の視線が、万福丸達の背後に流れた。

「好機!」

 鋭い万千代の叫び声と共に、万福のすぐ隣にあった万千代の痩身が、敵武者にぶつかるかのように騎上で跳ねた。相手方の懐深くに飛び込んだ万千代が、渾身の力で長槍を突き入れる。

「ぐっ」

 深々と突き刺さった槍は、髭面の武者に苦痛の呻きを漏らさせた。髭面の武者はそのまま後方に、万千代共々倒れるようにドサリと崩れ落ちる。

「万千代様っ!」

 慌てて身を乗り出すようにして、崩れ落ちた敵兵と万千代の傍らへと万福丸が走りよると、

「・・・・戦いの途中で、他に気を取られるからじゃ」

 肩で息をしながら万千代が、髭武者の胸元に突き刺さったままの長槍の先を引き抜く。

その足元は明らかにふらついていた。 

「お怪我はっ。大事ございませぬかっ」

「何ともないっ。それっ、大豆生田砦の防壁はすぐそこじゃっ。誰か、早う梯子を掛けよっ」

馬を失ったので、徒歩となった万千代が槍を強く握り直し、鋭い視線を前方へ向ける。討ち取った髭面武者の首を落とすのは小者に任せて、更に先へと進めと万福丸を急かす。

その白い右頬には、落馬の際に擦り剥いたのか。淡く血の滲んだ痕があった。籠手で覆われた左腕を、無意識に庇うような素振りも見せている。落馬の際、下敷きになった方の腕だ。 

―お怪我をなされたのではっ・・・・。

言葉通り万千代の応えを受け取って良いものかどうか躊躇したものの、悠長に構えている余裕は万福丸にもなかった。すぐに次の敵が迫って来る。

「某の馬をお使い下さいっ」 

 素早く馬から降りた万福丸は、自ら鐙を取って主が馬に乗るのを助けながら、周囲を見渡す。

 硝煙のたなびく窪地に、敵味方が入り乱れて白兵戦を繰り広げていた。 

至る所に敵方の堀った塹壕が築かれ、鋭利に尖った青竹が上向きに差し込まれている。其処に落ちた者は容赦なく、串刺しになる仕組みだ。

矢玉は雨のように降り注ぎ、敵味方、どちらが優勢なのかも、万福丸にはとっさには判らない。

と、北条側が俄かに慌ただしくなった。万福丸と万千代のいる場所とちょうど反対側の方で、何やら鬨の声のようなものが上がっていた。

「ちっ。酒井殿に先を越されたかっ」

 口惜し気に万千代が吐き捨てる。

井伊谷衆の側面を回り込んだ酒井忠勝率いる徳川の先陣隊が、大豆生田砦の一角を切り崩すのに成功したようだった。其処から一気に砦内に侵入、制圧したのだろう。

「如何いたします?」

 万福丸は、馬上の主に向かって尋ねた。

「深追いは禁物。砦へ一番乗りが出来なかったことは悔しいが、取りあえず砦は落ちた。我が方の勝利じゃ」

 砦に一番乗りは出来なかったが、敵方の武者の首は一つ上げた。万千代はそれで良しとしようと、万福丸に馬の向きを変えさせる。

 しかし泥と血に汚れたその白い横顔に、勝利の笑みはない。髭武者との斬り合いの際、体力が続かず後れを取ってしまったことが、よほど悔しいのであろう。

 主の華奢な身体には、重装備の甲冑がいかにも重そうに見えた。それが万福丸には、ただただ痛ましい。


 この防御力が高く、兵糧確保にも重要であった最前線の大豆生田砦の落城により、この後北条方は終始劣勢を強いられることになる。

そして同年十月、遂に北条方は徳川家康に和議を申し入れて来た。

 この和議の徳川方の正使に選ばれたのが、若干二十二歳の井伊万千代であった。この家康の人選に、徳川家中のだれもが驚き、瞠目した。


  ※ ※ ※


「・・・・北条との和睦の条件として・・・・・万千代は、氏直に殿の次女督姫様を嫁がせるつもりしいな」

 奥書院の障子の奥で、徳川家の双璧、旗本先手衆大将の二人、本多忠勝と榊原康政が話す声が、廊下を行く万福丸の耳にも届いた。

「何じゃと?何故、戦に勝った我が方が、人質を差し出さねばならぬっ」

 忠義に篤い忠勝が、不満そうな声を上げている。 

「万千代は、殿に言ったそうな。『北条と和睦すれば、当家の次なる敵は、上杉。万一上杉と事を構えるようなことになった際、上杉と北条は犬猿の仲であり、国境さえ明確にしておれば、北条は当家に付く。この時もし仮に、殿のご子息に北条の姫を娶っておれば、その姫が生んだ子は、我が家の嫡子でありながらも北条の血も引くお子。その子が万が一、北条贔屓にでもなれば、一大事。しかし逆に、当家の姫が北条に嫁ぎ、北条の嫡子を生んでも、その子を使って中から北条を動かすことが出来る』とな」

「ううむっ・・・・・」

 康政の説明に、忠勝が口惜しそうに唸り声を発した。

「口惜しい・・・・・。口惜しいが、理に適っておる・・・・。さては、万千代。何時の間にそこまでの策士となりよったか。儂など最早太刀打ち出来ぬわ」

 いっそ清々しいまでの、忠勝の評価だった。

―元より、これが万千代様の真骨頂ですよ。本多殿。

 自分が側近くに仕える主が、このように徳川の双璧と称えられる者達に評価されることは、万福丸には何にもまして嬉しいことだった。

「まあ、これで此度の甲州平定も一段落か。またしても万千代には、手柄をかっさわれたの。あ奴が講和の正使となった時には、若輩者よと相手方に侮られるのではないかと危惧したが。あ奴の知略が優れておったのだ。致し方ないな」

『長槍を持たせれば右に出る者はない』

家中はおろか、周辺諸国の武将達からもそう評される忠勝が、万千代の知略を手放しで褒めている。武勇に優れる彼は、裏表のない性格で家中の者たちの評判も素晴らしく良い。

―本多殿がこうまで褒めて下されれば。万千代様を《蛍侍》と、揶揄する者達も、少しは大人しくなるだろう。

 そう思えば、自然と頬も緩む万福丸だった。

「確かに。まだ元服前の前髪立ちの小童というに、空恐ろしいまでの知略よな」

 応じる康政の声音は、だが何処か面白くなさそうだった。

「和議の手腕は見事じゃった。ただな・・・・。大豆生田砦攻略の際には、あ奴、井伊谷衆の先陣を切って砦に突撃し、足軽のように一番槍を競うたらしい。先手大将ともあろう者が、あれは如何なものか」

「ああ。その話は儂も聞いた。大将が突出すれば、いたずらに陣形が崩れるだけじゃ。あれは宜しくない」

―こちらは、意に添わぬようじゃな。お二人共・・・・。 

歴戦の勇者である忠勝や康政は、先手衆の大将でありながら、旗下に配された寄騎(与力)や足軽らを捨て置いて、一人先駆けするような万千代の戦場での戦い方を、善とはせぬらしかった。

「最近は、あ奴のことを家中で、『先登りの井伊』と呼ぶものも多い」

「新参者の分際で、戦場で真っ先に敵の城壁に掛る梯子に大将自ら登ろうとするからであろう?」

「あの抜け駆け癖にも困ったものじゃ。先日など、本気で忠次の爺様が、『叩き斬ってやるっ』と叫んでおった」

「それを殿がまた、『戦いには予期せぬことがつきもの。物見に出た先で、敵から矢玉を射かけられては、応戦したのも仕方なし。万千代は天晴の勇将じゃ』と仰るものだから、爺様も後には引けぬようになって、大騒ぎじゃった」

「我等先手将の中では、一番年若く経験も浅い故、万千代も焦っておるのだろうが・・・・。殿も万千代には甘過ぎる」

「ああ。儂もそう思う」

―これはちと、不味いことになった。共に伊賀越えをして、万千代様のご気性をよくご存じのお二人が、万千代様の《抜け駆け癖》を、苦々しく思うておられる・・・・・。

 家康の旗下で一、二を争う実力者たちの苦言に、なまじ彼らの指摘が事実であるため、万福丸は困惑することしか出来なかった。



「武田家縁の甲斐・信濃の同心衆を、そっくりそのまま万千代に付けるとはっ。殿はこの康政が、あの若造よりどれほど劣っていると思われておるのかっ!!」

 甲州平定も無事に成った、数日後。

旧武田家臣団の主だった者達を、直政の旗下に付けると家康が下知した事で、徳川家中に激震が走った。

「旧武田家臣団のうち、最も勇猛さで知られる山県・一条・土屋兄弟の四手衆を、そっくり万千代に預けるとは、どこまで殿は、あ奴を甘やかすのかっ」

 奥書院での評定が終わった直後。家康が万千代を伴い退席したと同時に、榊原康政が畳を蹴って立ち上がりそう叫ぶのを、万福丸は隣室に控えながら聞いていた。

「補佐に徳川譜代の木俣守勝と、西郷正友、椋原政直まで付けたか」

 苦々しく康政の怒声に続いたのは、本多忠勝だった。

「遠江の《蛍侍》の小童に、徳川譜代の三河衆が膝を折るのか。何とも、嘆かわしいことよ」

 怒りを殺しきれない声で、長老の酒井忠次が応じる。

のちに徳川四天王に数えられる重臣の三人が、挙って万千代に対する家康の差配を、面白く思っていないのは、万福丸には大問題だった。

 家中では外様なのに、家康に寵愛され、戦国最強とまで謳われた旧武田の武者達の大多数をその旗下に抱えることとなった万千代に対して、三河衆筆頭の彼らは揃って不満の声を上げているのだ。

―中でも一番腹に据えかねているのは。当初は旧武田家臣団の約半数を、配下に組み入れられる筈であった榊原殿であろうな・・・・。

 そう万福丸は予想する。案の定、

「甲斐の赤備え(赤い具武を身に纏い、戦場を駆けた武田家先陣隊の呼称)を全て、万千代に付けてやるなどっ。近頃の殿の遣り様には、儂は合点がいかぬ」

 普段は有能な能吏の様に冷静な康政が、怒りを露わにした声で、吐き捨てるのを耳にし、隣室の万福丸の背筋にたらりと冷たい汗が流れ落ちる。

―このお怒りは本物じゃ・・・・。万千代様が、城内か何処かで、叩き斬られねば良いが。

この度万千代配下となった山県昌景率いる旧武田の赤備え隊は、揃いの朱漆の具足と甲冑を身に纏い、戦場を縦横無尽に駆け回ることで、戦国最強の名を欲しいままにしていた。

その強さは、家康自身が三方原の戦いでは、武田の赤備え隊に追い回され、死ぬほどの恐怖を味わったほどだという。

「井伊家の者はこれ以降、赤備えとし、敵を圧倒せよ」

 先程の評定の席で、家康がそう万千代に命じた際、居並んだ皆が息を呑み、場が静まり返った。それほど家康の決定は、皆の意表をついた前例のないことであった。

―このまま唯では、済まぬよな・・・・。

 殿も何とも無茶な事をしてくれたものだと、万福丸は隣室で一人恐怖に震え蒼褪めていた。


※ ※ ※


「・・・・少し、殿との閨を、控えられてはいかがですか」

「どうして?」

 翌朝。巳ノ刻(午前十時)を随分と過ぎてから城から戻った万千代の着替えを手伝いながら、おずおずと万福丸はそう主に声を掛けた。

 家康から拝領した銀摺りの箔の小袖に水浅黄の鮮やかな袴をさっさと脱ぎ捨て、薄衣一枚となった万千代は、万福丸の言葉にも気のない風で上座に腰を下ろす。

 その際、袴を着けていない薄衣の端から、白い膝がちらりと覗いた。淡い紅色の、明らかに吸い痕と判る痣が、練り絹のような白い肌に幾つも散っている様を目にして、万福丸は目がくらくらとなる。

「・・・・いや、昨日城内で。本多殿と榊原殿とご家老の酒井様が、たまたまお話されているのを漏れ聞きまして・・・・」

 万千代の太腿に残されたあからさまな家康との性愛の残り香に、気まずく視線を逸らした万福丸が、ぼぞぼぞと答えると。

 漆黒の前髪を片手で掻き揚げながら、ゆるく優艶なる微笑をその両頬にたゆわせて、万千代は朗らかに笑った。

「ああ。おおかた、儂が閨で殿に色々ねだっておるから、今度の武田衆の配置となったとでも言うのだろう?男の嫉妬は見苦しいもの。捨て置け」

―いや、捨て置けないから、言っているんですけどね。こちらは・・・・。

 忠次・忠勝・康政ら重臣達だけでなく、この頃の徳川家中では、すでに二十歳も過ぎた万千代が、何時までも家康の寝所に侍り《茣蓙を直している》ことを、声高に批判する者達がいた。

『戦場で先手将として足軽らを率いる大将が、何時までも前髪立ちの稚児装では士気に係る』

『殿は何時まで、あ奴の尻に未練を残されるおつもりか』

 そうあからさまに、揶揄する者らがあった。 

「『嫉妬は時に、人をも殺す』と、言いますよ」

「殺したければ、殺すがよい。ただこちらとて、唯無為に殺されてやる義理はないので、それ相応にお相手仕るがな」

「相手は本多殿に、榊原殿です。《蜻蛉切り》の長槍でも出されてきたら、勝負になりませんよ」

「勝負になるかならぬか。まあ、見ておれ」

「何をなさるおつもりですか。まさか城内でお二方と刃傷事など・・・・」

「そのような馬鹿な事など致すものか。この先幾ら儂が殿のお側に侍っても、家中の者等に二度と《蛍侍》等と揶揄させぬようにするだけよ」

 不敵に嘯くその横顔は、まるで薄紅色の牡丹の花が咲く様に艶やかだった。


 万千代が自信たっぷりに、『見ておれ』などと言った機会は、すぐにやって来た。

北条氏との和議がなり、駿河・遠江・三河に加え、甲斐と信濃をも手に入れた家康は、信長横死後の織田家中が跡目を巡って争っていることを利用し、己の更なる勢力拡大を図った。

その頃、清須会議で信長の嫡男織田信忠の長男三法師を織田家の跡目に擁立し、それに反対した重臣の柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破った羽柴秀吉が、織田家の家中をほぼ掌握したかに思われていたが、信長の次男信雄がこれに不満を持った。

この織田家の次男信雄に密かに接近したのが、家康であった。

『信雄様が立たれる際は、この不肖家康も必ずやご助力致しますぞ』

 と言葉巧みに唆した。

 当然、秀吉側もこうした家康の動きは掴んでいたので、両者は水面下での様々な調略を巡らせ始めていた。

そんな時であった。

ある夜、浜松城の家康の寝所近くに、秀吉方の手の者であろう素っ波が一人、忍び込む事件がおこった。

その夜も万千代は家康の寝所に侍っており、その隣室には万福丸と朋輩の小姓らが二人、控えていた。

灯芯を荏胡麻油に浸した灯台が、襖におぼろな光を投げかけている部屋に、突如隣室から建具の開け放たれる荒々しい物音が響き渡った。

「賊じゃっ。者ども出合えっ!!」

 闇を切り裂くような万千代の一喝と共に、寝所と控えの間を隔てている襖が反対側から大きく破られ、頭巾を付けた黒装束の人影が転がり込んで来た。

「万福、刀を貸せっ!」

 声と共に、白い単衣姿の万千代が控えの間に走り込んで来ると、万福丸の膝前に置いてあった佩刀を引っ掴み、鞘を払ったかと思った次の瞬間、畳の上を一回転し起き上がろうとしていた賊の首筋に、一挙動で突き入れた。

 暗殺術に優れ、黒木綿の下に波形鎖装束を着込む素っ波を一撃で倒すには、無防備な首筋を狙うしかない。

腰の大小の脇差に手を掛けたまま、それを抜くことも出来ずに、忍び込んだ賊は絶命した。

倒れ伏した賊の身体の下にみるみる、毒々しい深紅の花弁が綻ぶ様に、大きな血溜りが広がってゆく。すべては一瞬で片が付いていた。

死んだ賊を見下ろし、血に濡れた抜き身の刀を右手に下げたまま、万千代はあまりに突然の事に声もなく固まる万福丸の方へ身体を向けると、

「見ておれと、言うたであろう?」

 そう一言だけ告げて、嫣然と嗤ってみせた。

 白磁さながらの白く滑らかな首筋に乱れた黒髪を張りつけ、くっきりとした二重瞼の下の黒曜石の様に煌めく瞳に明らかな興奮の色を光らせて。

艶やと嗤うその姿は、戦の神阿修羅のように壮絶な殺気を纏ってその場に立っていた。

 万千代の纏う上質な絹の白い寝間着は、賊の返り血が胸元から裾にかけて幾重にも飛び散り、こちらも真紅の花を咲かせていた。

乱闘で肌蹴た胸元から覗く白い肌には、例によって淡い紅の痣や家康による噛み痕とも思える小さな傷が幾つも散りばめられていて、その内の数個には薄っすらと血が滲んでもいた。

それは何処までも妖艶でありながら。同時に見る者に激しい恐怖心を抱かせる、まさに鬼神の如き姿であった。

 万福丸は、恐怖に震えた。

 目の前に立った男が、己が毎日側近くで仕えている主であるとは、俄かには信じられない思いだった。

 確かに万千代は幼い頃から気性の強い子供であったが、それはどちらかというと情の強さ。長い寺稚児や色小姓勤めで培われた、激発することを許されない反抗心に根差した強情さであった。

このようにその激しい気性が表面に現れ出て、一挙動で生身の人間を斬り捨てにし、更にその所業を配下のものに見せつけるような冷酷さなど、これまで目にしたこともなかった万福丸であった。

「万っ、万千代っ。大事ないかっっ?!」

 寝所の奥から、寵愛する万千代を呼ぶ家康の甲高く上擦った声が響く。バタバタと廊下を走る大勢の足音が聞こえたかと思った直後、槍や抜刀した刀を手にした家臣達が家康の寝所や控えの間に雪崩れ込んできて、周囲は一気に殺気立った雰囲気となった。

「殿っ、お屋形様、大事御座いませんかっ!」

 真っ先に寝所へ走り込んで来た本多忠勝が、次の間で肌蹴た白い寝間着姿に抜き身の太刀を下げたまま、死んだ賊の傍らに立つ万千代の姿を認めて、凍り付いた様にその場に立ち尽くした。

「まっ、万千代殿が、賊を血祭りに挙げたよしに御座りまする」

「そ、それは見事な腕前でっ・・・・」

 万福丸同様、呆然自失の体でその場に腰を抜かしていた小姓二人が、先を争うように興奮し切った口調で、忠勝に報告する。

「それは、上々・・・・・」

 何処か、魅入られたような表情で、言葉少なく忠勝が小姓らの言葉に応じた。

その鋭い瞳には明らかに驚嘆と畏怖の念が宿っており、その傍らに立つ榊原康政の有能な能吏のように端正な面は、何時もよりも随分と青白く強張っていた。

「お手柄じゃ、万千代。怪我はないか」

 やがてー。

数多の昂る感情を飲み込んだ様な低い声で、康政が万千代に問う。

「方々の御前で、これはお見苦しい姿を。失礼致しました」

 己の片袖で刀に付いた血糊を拭った万千代は、静かに刀を鞘に戻すと、そのまま美しい所作でその場に腰を折り、年上の忠勝と康政に頭を垂れた。

 この夜以降、徳川家中の中で表立っては、万千代の稚児装と家康の寝所での夜の務めを咎める者は誰一人いなくなった。



   三、新野瑠依


「・・・・あね様、嫁に行って頂けますか」

―ああ、遂に私の番が来たのね・・・・。

 天正十年の霜月(十一月)も下旬―。

 浜松の井伊家の奥座敷で、そう万千代から告げられた時。瑠依は最初にそう思った。

「ええ、良いわ」

 真っ直ぐに、対座して座る相手の顔を見詰め、一言、そう承諾の意を告げると。

「まだ、相手が何処の誰ともお伝えしていないのに、承知などされても宜しいので?」

 男の癖に女の自分よりも色白で、井伊家の男子の特徴ともいえる黒く輝く瞳を細めて、いたく愉し気に、五つ年下の従弟が片頬で微笑する。幼い頃から、女の自分よりも愛らしいと評判の従弟だった。

―白く滑らかな頬が、前髪立ちの漆黒な髪に映えて、何とも麗しい事。男子の癖にここまで美しいと、嫉妬する気にもならないわ。

 瑠依は一人、内心でそう嘆息する。

「井伊の家に繋がる女子は、いずれも婚儀によってその血を繋ぐもの。嫁いだ先の夫同士を結び付けるが役目。半月前には貴方の姉の篠様が、新たにこの度家康様に帰順して貴方の寄騎になられた、旧武田家家臣の川手良則様に嫁いだばかり。して、貴方は私に、誰との縁を結んで欲しいと仰るの?」

 瑠依が一息でそう言い切ると。

「流石は、あね様。よくよく井伊谷の女子衆の勤めをご存じですね。では、某も遠慮なくお願い致しましょう。貴方様には、川手殿と同じく、某の寄騎木俣守勝殿に嫁いで頂きたい。婚儀の日付けは二十日後の、十二月十日」 

―あら、こちらは予想外のお相手だったわね。しかも、日にちが無い・・・・。

「・・・・木俣様といえば、伊賀越えの際もご一緒し、その後は貴方の与力として北条家との和睦交渉にも尽力下さったあの木俣様?」

 自分でも意外だと思ったのが、顔に出ていたのだろう。

「木俣殿では不服ですか?」

「いえ。そういう訳では。ただ、ちょっと意外だったので」

 瑠依は万福丸から以前、笑い話に聞いたことがあったのだ。

北条方との最初の交渉の席に臨む際、木俣は共に馬を並べて同道する万千代に向かって、

『この度の交渉が不首尾に終われば、我ら二人は揃って殿に腹を切って、お詫びせねばならぬやも知れませぬな』

 と相当思い詰めた声音で言ったのだという。

どうやら木俣は、本多や榊原ら重臣諸氏を差し置いての、若輩者の自分達二人の家康の大抜擢に、相当の重圧を感じていたらしい。

『某は行う前から失敗した時のこと考える頭は持ちませぬ。腹を召されるならお一人でどうぞ』

 そう万千代がにべもなく応じると。

万千代よりも六歳も年上の木俣は、無礼なと怒るどころかその通りと、あっさり自分の非を認めて謝罪して来たという。

『あの時は万千代様も、まさか木俣殿があっさり謝罪されるとは思わなかったようで。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をされておりました。瑠依様にもお目に掛けたかったです』

ーその話を聞いた時には、また随分と素直なお方なのねと、思ったものだけれど。

 それがよもや自分の嫁ぐ相手となるとは。正直、思ってもみなかった瑠依であった。

―素直って言うよりも、ちょっと人が好過ぎるのではなくて?

譜代の自分が外様の万千代の与力というだけでも、思うところもあるだろうに。何より今度はその万千代の従姉を娶れと命じらたのだが、その事にもさしたる不満を述べている訳でもなさそうなのだ。

人が良いのか、それともただの馬鹿なのか。瑠依自身が嫁ぐ相手とされるには、些か物足りない気がしてしまう。

「・・・・ご不満な様ですね」

「不満という訳では・・・・・いえ、正直、物足りないとは思っているわ」

 最初は否定しようかとも思った瑠依だったが。ここで変に誤魔化しても、端から万千代はそんな従姉の内心を見透かしている気がして、あっさり瑠依は認めた。一応、表現は瑠依には珍しく控えめにして。

「正直なお方だ。あね様は」

 上座で、万千代は面白そうに片頬で微笑んでいた。

―その笑い方。自分は全部、お見通しですよっていう、お前のその笑い方が、私は気に食わないのよっ!

 この目の前の美貌の従弟は、涼し気な顔をして笑っていても、その心の裡では随分と冷めた目で、周囲の者達のことを観察している様なところがあるのを、瑠依は知っていた。

 それは幼くして実母から引き離され、寺に預けられて苦労して来た万千代が身に着けた処世術の一種なのだろうが。

―これでこの子は幸せなのかしら?この先人並みに人を愛したり、幸せな家庭を築いたり出来るのだろうか?

 貧しいけれど、忠義に篤く一徹者だった父と優しく穏やかだった母に守られ、幸せな少女時代を過ごして来た瑠依には、時々、万千代のその冷めた気性が訳もなく不安に思えるのであった。

「でも、心配はご無用でしょう。あれでなかなか、木俣殿は面白いお方だ。何より人柄が良い」

―あ、そう。家柄が良いとか、武に優れているとか、知略があるとか。そういう事じゃないのね。

人柄は確かに大事だ。でも、『あれでなかなか面白いお方だ』っていう言い方は、あんまりじゃないかと思う、瑠依だった。

 しかし井伊谷の女子衆の勤めは、母や叔母達を見て重々承知している瑠依であったので、その点は敢えて万千代に反論するつもりはなかった。

 そんな珍しくしおらしい従姉のことを不思議に思ったのだろう。

「何時もの様に、文句はお言いにならぬので?」

 そう、わざわざ問い掛けて来る万千代のすまし顔が、瑠依には腹立たしい。

「承知したんだから、良いでしょう。一々煩い子ね」

 少し苛立ってそう応じると。

「あっさり承知されたから、敢えて言うのです。別に、貴女まで無理して井伊の血に、縛られることはない」

 それは思ってもいなかった、万千代の言葉であった。

 どういうことかと驚いて問い返そうとすれば、

「実は、この度某も、元服して嫁を貰えと、殿に言われました」

 明日の天気の話でもするように、素っ気なく万千代が瑠依に告げた。

「なっ、何ですってっっ!!」

 それは瑠依にとっては、自分自身の嫁入りの話よりも、何倍も何十倍も大事な話であった。

「何でそれを先に言わないのっっ」

―元服?烏帽子親は一体どなた?いや、そもそも嫁取りとは・・・・・。

「嫁って、どなたを貰われるのです?いや、そもそもまず、元服は何時なのですか?」

―何でこんな大事なことを、早く言わないのだ。この従弟は・・・・・。

「もっと早くと言われても、某も今日、城内で殿にいきなり言われまして」

「で、何時なの?元服は。嫁取りも、誰を何時貰うのです?ああ、もう。サッサと言いなさいよ!!」

―元服の折の直垂は、やっぱり新調しなくちゃならないわね。

こっちにも準備ってものがあるんだから、帰宅してすぐ教えなさいよと、ぶりぶり怒鳴ってみせた瑠依に万千代は、

「そのようなことは、松下家に嫁いだ母が差配してくれるでしょうから、ご心配には及びません。元服の際の烏帽子親も、既に景清様が名乗りを上げて下さっております。日時は十日後の十二月三日でございます」

 ある意味、それは当然の事であった。万千代を徳川家に仕官させるために、万千代の実母小夜は、徳川旗下の松下景清と再婚していたのだから。

「あら、そう。まあ、そりゃそうよね・・・・」

「新しき名も『直政』とせよと、殿から有り難いお言葉を既に頂戴いたしております。せっかく故、官途も名乗るがよいとの仰せで、『兵部少輔とせよ』とも」

 兵部とは律令制における八省の一つ兵部省で、「つわもののつかさ」のことである。これは諸国の軍事一般を司る役目の事であった。 「兵部少輔直政・・・・」

 何とも華やかで縁起の良い名前だった。

この時万千代に、大輔ではなく少輔と名乗らせたのは、家康の本多忠勝らに対する配慮であろうが。

ゆくゆくは徳川の軍政を背負って立てという激励の意味を込めた命名でもあった。

 また元服と同時に万千代は、父祖伝来の地である井伊谷の本領安堵のお墨付きを貰い、先代の次郎法師=直虎が今川氏より取り上げられていた地頭職の復権を確約された。

またこれと併せて合計四万石の知行を差配できる権利を家康から貰い受け、万千代はそれまでの旗本の身分を離れ、名実ともに酒井忠次や本多忠勝、榊原康政といった、後に万千代自身も含めて徳川四天王と呼ばれることになる徳川譜代の者達と同格の、大名の列に加えられることとなった。

「何とっ!ついに大名になられましたか。それは草葉の陰で次郎法師様も、さぞや喜んでおられる事でしょう」

万千代の養母で女だてらに先代井伊直虎の名を名乗っていた次郎法師は、この年の八月に、すでに永眠していた。享年五十一歳の、波乱万丈な人生だった。

「されば次郎法師様の墓前への報告もかねて、数日中に、井伊谷へ戻って参ります。大名格となりました上は、井伊家伝来の軍器の正八

万大菩薩の吹き流しや軍扇を持ってこなくてはなりませんので」

「それは、お忙しい中ご苦労様な事で」

 万千代の余りの手回しの良さに、肩透かしを食わされた様な気がする瑠依であった。

「・・・・で、肝心の婚礼の方は?お相手は?日時は何時なのです」

「日時は、年の明けた来年一月の十一日。相手は、殿の御一門駿河三枚橋城主の松平泰親様の御息女花殿を、畏れ多くも殿のご養女に直して、輿入れ下さるそうです」

「なんとっ!ご一門の姫君を殿のご養女にされてっっ?!」

 瑠依は思わず叫んでいた。

これは破格の扱いであった。

いくら万千代が遠江の名門の出身とはいえ、徳川家一門の姫をわざわざ一旦家康の養女に直して妻にせよと言われた者は、これまでの徳川の家中にはいなかったからである。

「ちょっと、虎っ。貴方、事態の重大さが判っているの?殿はご養女とは言え、ご自身の娘を、貴方に降嫁させると仰っていらっしゃるのよっ。これは井伊家にとっては末代までの誉っ。準備だって、何たいていの事じゃ済まないわっ」

 軍器がどうの、元服時の直垂がどうのと言っている場合ではなかった。

今にも座を立って井伊谷その他の親戚筋に触れて回らなければならないし、出入りの商人や何やかやに、婚礼の宴の準備について相談しなければと、兎に角あれやこれや気の急く瑠依であった。

そんな従姉を暫く物珍しそうに眺めていた万千代であったが、やがて静かに口を開いた。

「ですから、あね様。もう宜しいのです」

「宜しい?宜しいって何よ・・・・。貴方、何を呑気にしているの。そんなところにボケッと座っていないで・・・・・」

「ですから。あね様は、もう宜しいと申し上げておるのです」

 座を発ち、今にも座敷を走り出て行こうとしていた瑠依の顔を見上げて、万千代がはっきりと言った。

「えっ・・・・・」

 思わず言われた言葉の意味が分からなくて。ポカンと狐につままれたような顔で、瑠依がその場に立ち尽くしていると。

相変わらず微笑を湛えたままの万千代が、穏やかに言った。

「元服の事も婚儀の事も、そうした雑事はすべて我が松下の母上が、万事取り仕切って下さいます。勿論、井伊谷の南渓和尚様や亡きご養母次郎法師様の意を受けた奥山の伯母上達も。皆様方が、万事支障なく整えて下さるでしょう。・・・・ですから、あね様は、ご自身と木俣殿との婚儀の事だけをお考えになり、ご準備なされますよう・・・・」

「待ってっ。それは、どういう事?もう、私には井伊家の奥向きには関わるなって、そう言っているの?」

「いえ、そうではなく。ご気分を損ねたというなら謝ります。そうではなくて、木俣殿との婚儀は直ぐに迫っておりますから、あね様には、某の事よりそちらの準備に専念頂きたいのです」

「要は自分の事には口を出すなって、言ってるだけじゃないっ・・・・・」

 自分でも、何故ここまで激昂しているのか判らないまま、気が付けば瑠依は怒鳴っていた。

「こんな大事な事・・・・・。元服も・・・・婚礼も・・・。貴方の元服と婚儀は、私達井伊谷の女衆にとっては、何よりも一大事なのよっ・・・・」

 唐突に、寂しいという思いが。途轍もなく寂して寂しくて堪らないという思いが、激流の様に瑠依の胸中に逆巻いた。と同時に、妬みが湧き上がるのを瑠依は感じた。

 万千代の元服と婚儀の話は、これまでの井伊家の苦労がようやく実を結んだと、瑠依を狂喜させた。

 と同時にその慶事は、瑠依から美しい従弟を永遠に奪う知らせでもあった。

―万千代が、嫁を貰う。徳川家中でも、もっとも格式の高い家から、高貴な血筋の娘を。

 それは嬉しい筈の事なのに。嬉しいと思う傍から、瑠依の心は騒めく。キリリと痛む。

 瑠依は万千代の事が可愛かった。幼い時分には襁褓を変えてやり、少し長じては,井伊谷城内や新野の屋敷で共に遊んだ。

 五つも年下の従弟は、そんな時誰よりも瑠依に懐き、

「るいたま、あねたま」

 と、舌足らずな声で瑠依のことを呼んで後ろを追って来た。

 五歳で今川の素っ波から逃れるため鳳来寺へ入る時も、黒目勝ちの大きな瞳を見開いて、懸命に涙を堪えながら、

「沢山修行して、必ずや井伊家を再興出来る立派な武士となって戻って参ります」 

 と、咲き始めた初春の野の花のように、可憐に笑ってみせたのだった。

 可愛い、虎松。

 美しい、万千代。

 成長と共にその呼び名は変わっても、瑠依にとって万千代は、血の繋がった従弟であることに、切ないまでの喜びと嬉しさを彼女に与える存在だった。

 と同時に、何時の頃からか。その身のまわりの事を瑠依自身が差配し、相手の心をも自分だけのものとしたいと願う様な、存在に変化していった。

家康の岡崎から浜松への移転と同時に、それに付き従った万千代の浜松の屋敷の女手が足りないと母と奥山の叔母が話しているのと聞いて、真っ先に手伝いに行くと申し出たのも、それが理由だった。

つまりは、瑠依は万千代に惹かれていたのだ。自分の方が五つも年上である以上、決して叶うことのない恋心だと瑠依自身承知していながらも。

―そうよ、最初から判っていたわ。万千代が私のことなど好いていない事など・・・・。

 好いていないというよりも、端からそんな対象だと、万千代は瑠依のことを見てはいなかった。

―そしてそれは、私が万千代よりも五歳年長であるとか、そんな単純な話ではない・・・。

 鳳来寺から戻り徳川家に仕官した頃から、瑠依は万千代の中に、周囲と己を隔てている固い膜のようなものが存在していることに気が付いていた。

 その膜は目には見えないけれど確かに存在するもので、万千代はその膜で己と周囲の者を隔て、拒み、表面上では穏やかな笑みを浮かべながらも、けして自分自身の内側へは何人も立ち入らそうとはしない人間になっていた。

 そのため余計に、浜松の屋敷で共に生活するようになると、瑠依は事あるごとに万千代に纏わりつき、構いつき、どうにかして相手を自分の方に振り向かせようと虚しい努力を繰り返していた。

 だが、瑠依が構いつければ構うだけ、纏わりつけば纏わりつくだけ。万千代はひらりひらりと、身を躱し、けして瑠依の方を振り向こうとはしなかった。

 そして今、もっと大きな運命が、瑠依と万千代を引き離そうとやってきた。家康の養女を万千代が娶るということは、瑠依にとっては絶対的な別離を意味していた。

 もう万千代は、瑠依の幼く可愛い従弟ではなかった。瑠依などとはまったく別の世界の、ただ仰ぎ見ることだけしか許されない存在へと、大きく飛躍して行ってしまうということだった。

「井伊谷の女衆が、唯一の嫡流男子である某のことを守り、育てるため、これまで血の滲むような苦労をされて来たことは、某も重々承知し、また海よりも深く感謝しております」

 淡く明るい微笑が、万千代の両頬にたゆった。

「しかし、時代は変わった。憎い宿敵今川は没落し、魔王と恐れられた織田信長公も身罷られた。この先も戦は続き我が井伊家も様々な浮沈の際に立たされるかも知れぬが、某ももう女衆の袖の下に庇われるばかりの童ではない。この先は、この万千代改め直政自身が、当主として井伊家を舵取りしてまいる。ですからあね様も、ご自身の幸せを一番にお考え下さい」

―ああ、この子は怒っている。そして恨んでいる。井伊谷に連なる私達すべてを・・・・。

井伊家に残されたただ一人の嫡流の男子として、自分自身の生き方を、井伊谷に連なる多くの者達に、我がモノとして扱われて来たことを。美しく穏やかな微笑の陰で、本当はずっと昔から万千代は一人静かに怒っていたのだろう。そして恨み、憎んでもいたはずだ。

何故なら井伊谷の女子衆、殊に万千代の養母の次郎法師には、万千代に恨まれても仕方のない理由があったのだから。

「知っていたのね、貴方。次郎法師様と、佞臣小野政直の嫡子政次との縁組の事」

 それは万千代の父直親が、今川の暗殺者の手を逃れて信州へ落ちた後の事。讒言によって井伊家を苦境に陥れた家老の小野直政は、当主直盛に迫った。自分の子政次を養子として直盛の一人娘香(のちの次郎法師)の婿にすることを。

 小野政直にすれば、息子を井伊家の婿とすることで、いずれ誕生するであろう孫を頂き主家の外戚として、井伊谷の実権を握ろうと考えていたのだろう。だがこの謀は、敢え無く頓挫した。他ならぬ井伊家の一人娘香の捨て身の抵抗によって。

「ええ。もし、次郎法師様と小野政次の婚儀が無事なっていたら、私の運命も、少しは違っていたのかと、随分お恨みも致しました」

 もしその時、佞臣小野政直の望み通り、直盛の一人娘香と小野の倅の婚儀が無事なっていたら、香は井伊家嫡流の姫であるから、彼女が産んだ子は、男女どちらであっても男系の井伊家の嫡流。けして雇われ家老風情の小野家の風下に立たされることもない。

 そうなれば万千代の父の直親も、落ち延びた信州でまた別の人生があったかも知れない。

 また井伊谷に呼び戻されても、分家の一家を立て、井伊谷で穏やかな一生を送ることが出来たのかも知れなかったのだ。無論万千代自身も。

「よくよく考えれば、井伊家にとってもこれ以上の良縁はなかった筈なのに。我が父直親と次郎法師様は、養母上の方が六つも年上。夫婦となるには、やはり少し無理があった。それに対して小野の倅は養母上と同じ年。しかも次郎法師様に大層惚れていたとも聞きます。その上小野家は今川の覚えも目出度い。一時の遺恨はあるにせよ、どちらが婿に相応しいか、冷静になって考えれば、誰の目にも明らかであったのに。実際、直盛様も、それは致し方のない事と、諦めかけたとも聞きました。小野の言い様を承知するおつもりであったと・・・・。ただお一人香様だけが、『我が夫は、亀乃丞唯一人』と、叫んで自ら剃刀で御髪を下してしまわれるまで」

 それは万千代の立場からすれば、養母の行動は許しがたい裏切りにも思えた事だろう。

 自分は許嫁へ捧げる純潔を守るため、仇の息子の妻となることを拒んでおきながら、万千代にはお家存続のための色小姓勤めを強いていたのだから。

無論、次郎法師にも意地があったのだろう。井伊家嫡流の惣領姫として。

小野政長はもともと、井伊家の譜代でも何でもない。次郎法師の祖父直平の更に一代前の当主が、客分として召し抱えた京の下級貴族の家柄だった。そんな雇われ家老の息子を、婿にしろと迫られ。許嫁の事は忘れろと言われ。十五歳の気丈な娘には、堪えることが出来なかったのだ。

すべては、戦国乱世の習い。そう一言で切って捨てるには、余りに惨い運命だった。万千代にとっても、次郎法師にとっても。

―だから、お前は決心したのね。

自分自身の人生を勝手に決められ、勝手に奪われ、勝手に歪められ。背負わされたのはただ、宿命の重さのみ。そのことに対する憎しみ恨みは確かに存在するが。

それを上回る親族達の愛情、献身の有難みもまた、骨身に染みる程感じている筈の万千代だった。

であれば。次郎法師の裏切りにも似た真実を知っても、井伊谷に住む親族達のことを、彼には切って捨てることなど出来なかった筈だ。

捨て去ることも、自分が望むように自由に生きることも出来ない雁字搦めの柵の中で。万千代はのた打ち回ってもがき、苦しみ、そして漸う悟ったのだ。

ならば、たった一人でそれに殉じてみせようと。井伊谷の五百有余年に渡る妄執の血。その血の齎す宿命に、たった一人で立ち向かってやろうと。そう万千代は決心したのだ。

―今後一切、口出しすることは許さぬと、そうお前は言うのね。虎松・・・・・。

だからこの先は、一切何も口出しするな。すべて己の心一つで決める。この先の、未来の井伊家の命運は、すべてー。

今、元服を前に瑠依の従弟万千代は、宣言したのだ。名を直政と改めることで。家康の養女を妻に娶ることで。瑠依達井伊谷に繋がる者達すべてに、直政はそう宣言しているのだった。

瑠依の知る、早春の野に咲く花のような、可憐な虎松はもうどこにもいなかった。瑠依が、瑠依達井伊谷に繋がる者共すべてが、寄って集ってその花を手折り、可憐な虎松を殺したのだ。その結果、新たに生まれたのが、美しくもありながらどこか暗鬱な翳りを纏った万千代だった。

勿論、瑠依とて反論したい思いはあった。自分も、亡くなった父も、母や奥山縁者の叔母達も、南渓瑞聞も、そして誰よりも次郎法師が、間違いなく万千代の事を常に気にかけ、その身の安全を第一に考えて来たことだけは、事実であった。

しかし、そんな事は、万千代自身もとうに承知の筈だった。

それでも、十になるかならぬかの柔らかな身体と心に、寺稚児の勤めがどれほど惨い傷を残したのか。

そのことを知りながら、敢えて色小姓の勤めも辞さずに受けよと仕官先へ送り出した親族一同の勝手な行為が、どれほど怜悧で繊細な少年の心を苦しめることとなったか。逃げ場を奪ったのか。

その軛から、漸く万千代は逃れられるのだ。

彼は今この時、新たな者へと羽化しようとしている。直政という新たな名と、家康というこの上もなく頼もしい後ろ盾を得て。古き妄執に囚われた一族の手を離れてー。

「やっと、見つけたのね。貴方も」

 そうだ。やっと、直政は見付けたのだろう。自分一人の足で寄って立つ、己だけの居場所を。徳川家中の一翼を担う大将として、己の命と忠義を賭けて戦う場所を。

―それにしても、どこまでも不器用な子。恨んでいたのなら、憎んでいたのなら。さっさと捨て去ってどこぞへ出奔すれば良かったのに・・・・。本当に、貴方は馬鹿よ。万千代・・・。

恨みに思い、それでも捨て去ることも出来ず。万千代自身も知らず知らず、その身に流れる血の妄執に囚われていたのだろう。

―不器用で、馬鹿で、そして泣きたくなるほどいじらしい子・・・・・。

 だったら瑠依にも、最後に一つ、通すべき筋があった。果たすべき、役割があった。

「・・・・でも、私も井伊谷縁の女子。それなりの意地があります。この度の木俣様との縁組で、確と結んでご覧にいれましょう。井伊家と《徳川譜代》との絆を」

―もう、貴方には必要のないものかもしれないけれど、ね・・・・。

 深々と一礼しながら、瑠依は一人そう呟いていた。


 ※ ※ ※


 その日から十日後。浜松城内の主殿にて、万千代の元服の儀が執り行われた。

 烏帽子親は、養父の松下景清。雲建枠に橘の浮織した濃紺の直垂に身を包み、前髪を落とした万千代は、予てよりの通達通り家康直々に《直政》の名を賜った。官途はこちらも予てから授けられていた《兵部少輔》。

 高質な磁器のように白い肌に、漆黒の髪と剃りたての青い月代が誠に映えて、清々しいまでの若武者振りであった。

 明けて天正十一年(1583年)一月十一日。浜松城下の伊井屋敷にて、当主の直政と家康の養女花姫の婚礼の儀が執り行われた。

 直政の思惑とは別に、当然のことながらこの際は新婚の瑠依も台所仕事の手伝いに駆り出され、主家の姫君の輿入れという事で、目の回るような忙しさの中、独楽鼠のように動き回った。

 襖を取り払い、座敷二間をぶち抜きにしても、入りきらない程の井伊家と花嫁の実家松平康親家の家臣達の数だった。

 主だった重臣達が左右に居並び、その他の者は廊下や庭に腰を下ろしての酒宴が、当時の婚礼のしきたり通り、昼夜の境目もなく三日三晩繰り広げられた。

 上座の金屏風の前に並んだ花婿は二十二歳、花嫁はまだ十四歳の初々しさで、祝いの宴に集った者は皆、白無垢姿の花嫁と紫紺の直垂姿の花婿の姿を、御殿雛飾りのようだと褒め称えた。

 一日目の夜が更けた頃、不意に玄関の辺りがざわついた。

 何事かと思って瑠依が覗きに行けば。玄関番の年老いた小者が恐縮して平伏する横に、供の小姓二人を引き連れたニコニコ顔の家康が立っているではないか。

「これは殿っ。わざわざのお運びでっ」

 驚いた瑠依の声が、広間にも届いたのであろう。金屏風の前から走り寄って来た直政が、珍しく慌てた声で

「お戯れが過ぎましょう。このような少数の供廻りだけで。道中、何かございましたら如何いたします」

 そう窘めるのへ。

「さわぐな、さわぐな。すぐに戻る」

 楽しそうに手を振った家康は、金屏風の前に控える花嫁に向かい、

「直政の嫁取り。儂自身が決めたとはいえ、いざ当日ともなれば、嬉しいやら寂しいやら。よいか、花。其方は徳川家中でも指折りの若武者を夫に持った、三国一の幸せ者じゃ。これなる直政は儂と同様、幾度も今川方に命を狙われ、親族縁者とも、引き離されて淋しい幼少期を過ごして来た。其方が嫁したる上は、二度とそのような想いを直政にさせることがないよう。我が娘(養女)の其方には、此処に特に申し付けて置くぞ」

 祝いだと言って、美しい蒔絵の化粧箱を、畳に手を付き頭を下げる花嫁の膝前に置くと、

「帰るぞ。見送りは要らぬ」

 家康は来た時同様、疾風のようにその場を立ち去った。


 ※ ※ ※


「嫁いで早々、伊井の家の事で勝手を致し、誠に申し訳ございませんでした」

「いや、某の方こそ。新婚早々、高遠への出陣で、不便を掛けた。殿の婚礼の席にも満足に参加せずに」

「それは万千代、いえ直政殿の代理。こちらこそ、重ね重ねご苦労をお掛けしてしまい」

「いやいや。殿の為に与力が尽力するのは当然の事・・・・。瑠依殿こそ、連日連夜に及ぶ饗応の支度で、休む間もなかったであろう。大層お疲れになったのでは?」

「いえ、私は慣れております故。それよりも、我が夫でしかも直政殿の筆頭与力を勤めて下さる方にご挨拶もせずに、大層失礼いたしましたと、奥山の叔母達が申しておりました」「いや、親戚になったのなら、そのような気遣いこそ無用。それに今回の高遠への出陣は、お屋形様からの殿へのご配慮でござる。婚礼中の婿殿を、花嫁をほっぽり出させて出陣させる訳には参りませんので」

「そうは言っても本当に、とんだ失礼を」

「いやいや、それを言うなら、新婚早々家を留守にした某の方こそ・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 米搗きバッタの如く、互いに幾度も頭を下げあった後、堪え切れずにプッと噴き出したのは、二人同時だった。

「いや、これは失礼した。これでは堂々巡りじゃ」

「いえ。私の方こそ」

 互いにそう言い合い、お互いの顔を見つめ合って。瑠依と彼女の夫となった木俣守勝は、再び照れ笑いを交わし合った。

―万千代の言う通り、なかなか面白いお人だわ。守勝様は。

 それに、何というか、とても感じのいい男だった。

三日三晩に渡った直政と家康の養女花姫との婚礼も漸く終わった、翌日。

瑠依は漸く新居となる浜松城下の木俣の家で、初めて夫婦二人きりで夫の木俣清左衛門守勝と差し向かいで対座していた。

自分達の婚礼もそこそこに、瑠依にとっては従弟、守勝にとっては主となる直政の婚礼の支度で大忙しだった二人は、新婚だというのに新枕を一度共にしただけで、その後は殆どゆっくり話をする暇さえなかった。

しかも直政の婚礼の当日、北条方との和議がなったにも関わらず、信濃の高遠の辺りで徳川の支配に従わぬ地侍達の反乱が起き、守勝は婚礼最中の直政の名代として、井伊勢を率いて出陣してしまった。

幸い地侍達の反乱は直ぐに鎮圧され、守勝は井伊勢筆頭与力としての武勲を挙げ戻って来たが。ここ一か月程、新婚間もないのに人の婚礼の準備や俄かの出陣で、殆ど夫婦らしい時間を過ごすことも出来なかった二人だった。

―本当に、お人柄が良い・・・・・。

不可抗力だったとはいえ、新妻を放り出して戦に向かったことを、先ず真っ先に律義に謝る守勝の、その実直な人柄が、瑠依には大層好ましく思えた。

新婚早々家を空けたことを謝ってくれたり、直政の婚礼準備で忙しかった瑠依のことを労わってくれたり。

瑠依が主直政の親戚筋だからといって、変に構えることもなく、しかし淋しい思いをさせて悪かったと照れたように笑う顔など、少年のような初心さもあって非常に好感の持てる守勝った。

―きっと、根が素直な方に違いないわ。万千代とは大違いね。

 この度、目出度く家康の養女を妻に娶った従弟のことを思うと、まだ少し胸の奥がチクリと痛む瑠依であったが。

「それにしても殿は、某よりも六つも年下であられるが。北条との和睦の際の理路整然した交渉手腕、特に督姫様の輿入れの件を纏めた際の家中への手回しには、某、心底感服仕った」

 瑠依の内心など知らぬ守勝は、新妻が用意した盃を片手で持ち、上機嫌で瑠依に語って聞かせる。

「その後の武田家臣団取り込みの際もまた、見事での。上野城で武田の旧臣百余名を前にして、当方の安堵状の信頼性に疑問を抱く奴等に、『本領安堵は忠義を尽くすことでしか手に入れられないもの。某を信じられぬというならば、疾く所領に戻って当家に矛先を向けられよ。無論、各々方が所領に戻られるまで追手はかけぬ。某が信じられぬというならば、今この場で刀の錆にされるがよい。お相手仕る』とハッタリをかまされた。針が刺さる様な緊迫した場面で、あの度胸。なかなか並の者に出来る芸当ではない。まあ、大豆生田砦攻略の際の、大将であるにも拘らず、足軽共と一番槍を競って突出したことは、我が軍と敵方の兵力差を考えると、ちと思慮に欠ける行いであったと思うがの」

 甲州平定時、直政の副使として共に和議の交渉に当たり、その後の旧武田家臣団との帰順交渉にも同席した守勝は、直政のその時の手腕を、媚びるではなくただ純粋に感心して見せた。

 そして最後にチラリと、戦場での直政の猪突猛進振りに苦言を呈するところも、その誠実さ、実直な性格が良く表れており、唯追従するだけの配下ではない点が、瑠依にはとても好感が持てた。

他人の手柄でも、良いと思う点は素直に評価する。そして間違っているところは、たとえ主君の行いであろうがきちんと指摘する。この公平さもまた随分と好ましい。

―お若い頃は他家で、随分とご苦労なさったとお聞きしていたけれど。そのご苦労が、この守勝様の場合は、そのお人柄をより魅力的になされたに違いないわ。

 その証拠に。守勝には友人が多い。

 それは婚礼の夜、ひっきりなしに木俣の家に家中の者達が身分の上下に関係なく訪れたことからもよく判る。

幼馴染の安藤直次を始め、本多忠勝、榊原康政ら幼少期からの付き合いである徳川旗下譜代の主だった武将達は元より、今川から徳川にやって来た同じ井伊勢与力の菅沼忠久、近藤秀用、鈴木重好らとも、仲が良い。

 菅沼ら井伊谷衆の三人は、井伊家没落後、井伊家から今川、今川から徳川へと次々と主家を変え帰順した者達である。

彼らは主君の直政のことを没落した国人領主の息子程度にしか思っていないが、木俣守勝の事はお屋形様である家康から直々に配された付け目付として一目置き、尊敬もしているようである。そのことは、瑠依も守勝との婚礼の夜、彼らの行動や会話の端々を見聞きして感じていた。

きっと彼らの守勝に対する信頼の底にあるものは、一時他家で苦労し自分の地歩を固めた守勝のこれまでの経歴や、裏表のない誠実なその人柄が大きく寄与しているのだろうと思う、瑠依であった。

 幼少年期の過酷な経験が、他人と己とを常に薄い膜で隔てているような性格の形成に繋がった直政とは大きな違いである。

―生来の気質ということもあるのだろうけど。直政が陰なら、守勝様は陽。決して派手ではないけれど、側にいる者を不思議と笑顔にしてくれるような不思議な魅力の持ち主じゃ。

―もしかしたらこの守勝様は、直政、否、万千代が、自分も本来ならこうありたかったと望んだ姿、なのも知れない・・・・。

 ふと、そんな気さえする瑠依であった。

そして家同士の政略結婚で、守勝のような人柄も随分と好ましい相手と巡り逢えた自分は、幸せ者だと思う瑠依であった。

「改めて末永く宜しくお願い致します」

「こちらこそ、よろしく頼む」

 瑠依が畳に手を付きそう述べると、守勝は面映ゆそうなに笑みを浮かべ大きく頷いた。



  四、安藤直次


  天正十一年(1584年)弥生三月―。

 予てより険悪だった織田信長次男の信雄と羽柴秀吉の仲が遂に行きつくところまで行き、宣戦布告と相成ったのは、正月が明けてすぐの事だった。

秀吉から信雄あてに、『年賀の挨拶に出向いて来い』という命令を、信雄側が拒絶。織田家簒奪の謀反人として、秀吉追討の兵を挙げた。

予てよりの盟約通り、家康は織田信雄に味方し遂に徳川は羽柴秀吉と矛を交えることとなった。のちの天下人太閤秀吉と江戸幕府開闢の祖徳川家康が、生涯においてただ一度だけ、直接対決をした小牧・長久手の戦いの始まりである。

徳川の本隊は、まず織田家の本拠地である清州に到着した。

家康近侍の旗本衆の一人としてこれに従う安藤直次も、三月十三日に清州入りを果たした。

家康の本隊は旗本衆の他に、井伊直政率いる井伊隊と本多忠勝率いる本多隊あわせて一万五千の軍勢だった。

徳川の先発隊として、酒井忠次の率いる二千が一足先に伊勢長島へ既に向かっていた。 

開戦前各地へ放った素っ波等の情報から、おそらく周辺が戦場になるであろうと思われた尾張の小牧城には、榊原康政が普請と警備を兼ねて既に籠城を開始していた。

 三月十五日。

 戦支度で殺気立つ清州城内で、直次は反対側から来る直政の姿を認めると、敢えて声をかけ相手を呼び止めた。

「すっかり遅くなってしまったが、この度のご結婚、誠におめでとうござる」

「これはわざわざかたじけない」

 直次がそう声を掛けると、掛けられた方の直政は、何時もの通り、美しい白皙に殆ど表情を浮かべることもなくさらりと応じた。

「新婚早々、新妻を浜松に残してのご出陣。さぞやお寂しかろう」

「いえ」

「元服も済まされた身となれば、殿の寝所へ侍られることももうない筈。もし宜しければ、今宵某と我が宿舎で一献いかがか?無聊をお慰めいたしますが」

 武門の習いでは、元服して前髪を落とすと、主君との衆道関係は終わりを迎えることとなっていた。前髪を剃り落とすことで少年は一人前の大人になったと周囲から認められ、少年から男に変われば、精神的な絆はそのままでも、性的な関係は切るのが、衆道の約束ごとであったのだ。

―とはいえ、前髪を落としても、なお一層のこの男振り。花の面影と忍ぶには、余りに勿体ない・・・・。

目の前の直政は、前髪立ちの小姓装いの頃の瑞々しさとはまた打って変わって、月付の青々しさが何やら妖艶な色香を増していた。 

黒々と濡れたように光る瞳の存在感は健在で、それを会話の最中などにふと伏し目がちにすると、ゾッとする様な凄みにも似た色香が漂うのだ。

―もう、殿お一人の寵童ではないのだ。だったら、一度手合わせ願っても罰は当たらんだろう・・・・。 

 そう思って直次は、元服により家康の閨へ侍ることのなくなった直政に、露骨に身体だけの割り切った関係を持たないかと、誘いをかけたのである。

―ま、素気無く袖にされるのがオチだろうがな・・・・・。

 何しろ相手は家康の養女を妻に貰い、今や徳川家中で最も勢いのある井伊直政である。いくら女っ気のない戦場といえども、そう易々と直次の誘いに乗るとも思えない。

「・・・・宜しいですな。お伺いいたしましょう」

 予想外にあっさりと直政が応じて来たので、内心直次は驚いた。

―こ奴、馴れてやがるな・・・・・。

 思わず,誘った直次の方が呆気に取られてしまう程の貞操観念の薄さだった。おそらくは、これが初めてという訳でもないのだろう。この手の身体だけの誘いを受けるのは。

元服も終え、もう家康一人に操だてする必要もなくなったという事か。それでも驚くほどの尻の軽さである。

―ま、儂としては、あの女色一辺倒だった殿を虜にしたというその房中術と一度手合わせ出来ればそれで良い。

 直次の方も、その程度の気持ちだった。


「・・・・それで、安藤殿はどちらがお好みなのですか」

 家康直属の旗本衆として直次に与えられている、本陣近くの宿舎の一室で。具足姿のまま板間に胡坐で向かい合って盃を傾けながら、直政が聞いて来た。

「どちらとは?」

「上の口か、下の口か、ということです」

「ぶはっっ!!」 

さらりと告げられ、直次は手にしていた盃の中身を思わず吹き出していた。

「こ、これはまた。何とも明け透けな物言いでござるな」

「ここは陣中。そして我等は鎧姿。手早い方が宜しいのならば、某、口でお相手仕る」

 この度の戦で、旧武田家縁の赤備え隊の威容を引き継いだ直政の井伊衆隊は、大将の直政から足軽の一兵卒に至るまで、すべての者の甲冑が、朱漆で染められていた。

その目にも鮮やかな朱色の鎧姿で、涼しい顔をして杯を干しながら、直政が重ねて問いかけて来る。

石高は直政が四万石、直次が一千石と大きく違うが、直次の方が六歳年長でしかも徳川譜代という事で、直政の口調は何処までも丁寧だった。

「そもそも安藤殿、男相手のご経験は」

「お手前が初めてじゃ」

「では、某にお任せ下され」

 そういうが早いか、相手は盃を床に置くと、直次の座る円座の前までにじり寄り、いきなりその下腹部に白い手を伸ばして来た。そして手際よく、直次の甲冑の下の軍装を寛げ、あっという間にその場所へ顔を寄せて来る。

「えっ、オイッ」

「シッ、お静かに。すぐに気持ちよくして差し上げますれば」

 何処までも手慣れた口調、手慣れた雰囲気で直政が主導権を握って来る。

―そんなつもりではなかったのに・・・・。自分の方が相手を良い様に啼かしてやるつもりだったのに・・・・っ。

 気が付けば直次は、猛った性器を直政の口腔内奥深くまで咥え込まれていた。

「何を・・・・・・」

 咄嗟に腰を引こうとしたが、先端を噛むように軽く噛まれ、

「・・・・・っ・・・・!」

 思わず直次は声が漏れそうになった。

「お前っ・・・・・凄いっ・・・・・」

 最先端の鈴口を強く吸われ、一転、焦らすように側面をぬらぬらと舐め上げられて、直後、喉の最奥できつく締めあげられる。その度に腰が攣る様な凄まじい快感が、直次の背筋を走り抜けて行った。

―一体何処で、こんな技っ、覚えやがった・・・・。

 完全に、男同士の行為を直次は甘く見ていた。同性同士の性行為が、こんなにも的確に直次の良いところ、弱点を執拗に衝いて来るとは思ってもみなかった。

 男は初めてだったが、密かに危惧していたような嫌悪感などまるでない。寧ろ男同士であるだけ、より的確に直次の快感の壺を知り尽くして責めて来る直政の口淫に、ただただ翻弄され腰が浮くような快感に喘がされるだけだ。

 自分の方は一切着衣を乱すこともなく、直政は半ば四つん這いの格好で、舌先で包み込むように直次の性器を美味そうに食んでいた。

時折上目遣いで直次の反応を確かめているのだろう。黒目勝ちの目許で小さく笑いながら、時に焦らすように、時に煽るように強弱をつけて甘噛みしてくる。

完全に主導権を握られている事への反発はあったが、次の瞬間にはそんなことなど些末に思えてしまう程、腰が攣れてしまう。それ程、直政の口淫は見事だった。

思わず相手の髻を片手で掴み取っていた事にも気付かぬまま、無意識に腰が触れ、殆ど堪える間もなく、直次は相手の喉の奥を衝くように激しく腰を打ち付けていた。

「・・・・ぃ・・・・・・っ・・・・・くぅ・・・・・っ」

 喘ぎと共に、精を放ってから、暫しの忘我の境地を漂っていた直次だったが。

刹那、流石にこれは拙かったと慌てて握り締めていた髻を離し、自分の股間に押し付けていた相手の顔を恐る恐る覗き込むと。

吐き出された直次の樹液を抵抗もなく飲み下した直政が、形の良い唇の端に付いた残滓をチロリと赤い舌先で舐め視線を上げるのと、真正面から目が合った。

全てを見透かしたような、鼻に掛ったような微苦笑で見詰め返され、思わず直次の精悍に日焼けした頬にカッと朱が上る。

―『某、口でお相手仕る』とは、本当によく言ったものじゃ。まさかここまでの技巧とは、正直思うてもいなかったわ・・・・・っ。

 完全に、直次の負けだった。ちょっとした戯言のもりが、とんだ火遊びになってしまった。

 女相手でも、口淫だけで此処まで翻弄された相手はこれまでいなかった直次である。

「お愉しみ、頂けましたか」

 片頬で淡く直政が微笑する。

―判っている癖にっ。わざと言葉に出して、聞いて来るところが、こやつの性格が捻じ曲がっておると言う所以だっ・・・・・。

 そう怒鳴り返してやりたい直次だったが。完全に弄ばれ、天国を見させてもらったのは自分の方なので。

「・・・・極楽気分を満喫させて頂いた」

 そう、渋々答えるのが精一杯だった。

「それは宜しゅうござった。・・・・では、某も一つ、安藤殿にお願いがあるのですが」

 朱色の籠手を嵌めた手で口元を拭い、そう言って色めいた目で薄っすらと笑う直政は、腹立たしいくらいに美しかった。


 ※ ※ ※


 翌、三月十六日。

 清州の家康本隊は、織田信雄の軍勢と共に、伊勢を目指して進撃を開始した。徳川勢一万五千。織田信雄勢は一万三千。両軍合わせて二万八千の軍勢である。

家康と信雄は清州での軍議の結果、羽柴秀吉が決戦を挑んで来るのは、伊勢ではなく犬山辺りであろうと踏んでいた。そのため、

「敵も近日中に大阪城から動くであろう。我らが本拠地清州城の援護のためにも小牧山に築塁を即時行わねばならぬ」

 と、榊原康政にこれを命じた。

 家康の命を受けた康政は、三月十八日から二十二日のわずか五日間の間に、多数の人足を動員し、小牧山の周囲に三塁を設け、小牧山から岡崎までの兵站を確保するため、小幡城と比良城の防備を固めた。

 同じ頃秀吉方の犬山城に、森長可が援軍に入ろうと向かっていた。これを発見した酒井忠次の物見の報告は、直ちに家康本陣へ届けられ、

「猿めの本隊が到着する前に、森勢を打ち負かして敵の心胆を寒からしめたい」

 と望んだ忠次の意見は聞き入れられ、奇襲攻撃が許可された。

 奇襲は見事成功し、羽黒川を越えて忠次の隊は森長可を追撃、三百程の敵の首を討ち取った。

「さすが酒井の爺じゃ」

 小牧城へ戻った忠次から、奇襲成功の吉報を受け取った家康は、大いに満足して、近侍する直次に笑顔で言った。そして小牧山周辺の塁の補強を更に急ぐよう、康政に伝えよと直次に命じた。 

 三月二十六日。秀吉の本隊が、岐阜城に到着したとの知らせが家康の元へ届いた。総勢十二万五千とも十五万ともいう大軍であると報じられたが、詳細は不明であった。

「猿め、漸く参ったか」

 犬山城に入った秀吉軍の動きを物見から聞かされ、そう嘯いた家康だったが、敵の総数を聞かされた時は、流石に顔が強張っていると、側近くに控える直次にも判った。

―これほどまでの戦力差になるとは。さて、殿はどうされるおつもりか・・・・・。


 二十八日、家康は本陣を小牧山に据えた。織田信雄も二十九日、小牧山に到着した。

 秀吉は岐阜城から鵜沼に架けた船橋を渡り犬山に入ると、全軍を布陣した。犬山城内に総数四万七百。残余の主力を犬山城外に配置した。

 暫くお互いの配置を眺め、素っ波を放って敵情を探り合う膠着状態続いた。

 四月四日。事態が動いた。 

秀吉が本陣を犬山城から更に小牧山よりの田楽砦に移したという知らせが家康の元へ届いた。陽動だった。その証拠に、幾度にもわたって鉄砲隊を小牧城周辺に遣わし、一斉射撃を繰り返していった。

「陽動にしては、ちと、あからさま過ぎる気もするが」

 早速開かれた軍議の席で、武勇名高い本多忠勝はそう言ったが、井伊直政は、

「相手はあの猿でございます。どんな奇抜な手を打って来ても不思議御座いません」

 と発言した。

 ただ、秀吉が家康との大将同士の一騎打ちを望んでいないであろうという点では、その場の集った全員の意見は一致した。秀吉には十万を超える兵力があるのだ。旗下の武将達に命じて、自らの手足のように使えばよいだけである。

 そして陽動として鉄砲隊を寄越されては、小牧山に篭る家康・信雄方としては、更にその場から一歩も動くことが出来なくなってしまった。

 四月六日。事態は更に深刻となった。

田楽砦から池田恒興・森長可らの軍二万が南東に向かって出撃した。三河の岡崎城を目指した別動隊である。秀吉は犬山城に徳川方の目を引き付けているうちに、別動隊で留守の三河岡崎城を落とし、家康を一気に窮地に追い込もうと考えたのである。

「いよいよ猿めが動き出したな」

 こうなると家康としても、本隊を更に二つに分け、三河に向かった池田・森軍を追わない訳にはいかなくなった。何と言っても岡崎は徳川父祖伝来の地。此処を奪われては、一大事であった。

 相手が別動隊を用いて裏を掻くなら、こちらは更にその裏を掻くだけであると、家康は自ら小牧城を離れる決心をした。

織田信雄軍の千五百と、本多忠勝、酒井忠次、石川数馬らに五千余の精兵を預け小牧城の留守居を任せ、家康自身は織田信雄の兵三千と共に、先備えの井伊直政、旗本本陣衆の松平家忠、本多正信、安藤直次ら総勢六千三百を従えて池田・森軍を追って発った。その半日前には、榊原康政・大須賀康高・水野忠重ら総勢四千人を夜陰に紛れて先発させ、小幡城に入城させていた。

池田・森軍は、家康方に自分達の行動がすぐさま察知されているとは知らず、庄内川流域の篠木辺りで軍議を開いていた。

小幡城に到着した家康は、榊原康政から敵軍が大まかに四手に別れ南進していると報告を受けた。

池田・森軍の陣容は、先頭が池田隊、二番手が森隊、三番手が堀秀政隊、しんがりが三次秀次の隊であった。しんがりの三次秀次は秀吉の甥で、さほど戦歴もない。

「二万もの大軍が長蛇の列を作り行進するのは、愚の骨頂。特に後詰の三好は経験も少ない若輩者。すぐに追いつき追撃いたします」 

康政の進言に、

「よかろう。存分に討ち果たせ」

 期待を込めて家康が承諾するのを、近侍の直次は直ぐ傍らで見聞きしていた。

―これで三河へ向かう池田・森軍を足止めできればよいが・・・・・。

 直次の願いは半ば叶えられ、半ば叶えられなかった。

 三河に向かっていた池田・森軍は、榊原康政・水野忠重・大須賀康高の軍勢が後詰を仕掛けられる位置まで迫っても、その存在に気付かなかった。これを好機ととらえた榊原・水野・大須賀隊は、すぐさま奇襲を仕掛け、後詰の三次隊を完膚なきまでに蹴散らした。

 勢いに乗った榊原らは追撃態勢に入ったが、奇襲を聞きつけ駆けつけた堀秀政隊によって待ち伏せを受け、鉄砲隊の一斉射撃を受け撃退されてしまった。

「小平太の奴、深追いし過ぎじゃっ!」

 秀吉の甥三次秀次を守った堀隊と、その先を行く池田・森軍を合流させることを恐れた家康は急いで本隊を富士ケ根に動かすと、此処に陣を張り、自身の馬印を掲げた。家康自らが、小牧を離れ出張って来たと敵方に知らしめるためである。

 この家康の行動に、真っ先に反応したのが、戦慣れした堀秀政であった。岡崎城への奇襲作戦はもはや家康方に露見していると看破した彼は、先行する池田恒興、森長可隊に向け、

「我が隊の損傷は激しくこれ以上の同行は難しいので、三好殿をお守りして楽田の陣地に戻りまする」

と伝令を出すと、早々に戦場を立ち去った。

残された池田・森軍は、堀の判断が正しいことは理解していたが、敵方の大将家康自らが自分達の目と鼻の先へ出張って来ては、今更後へ引けるはずもなく。遂にここに至り、家康軍本隊と、秀吉方の池田・森軍が激突することとなった。

一方の家康本陣でも、事態は予想以上に困難を極めていた。

「申し上げます。榊原・水野・大須賀勢は堀勢に崩され、未だ多くが帰還せず」

物見の兵からそう告げられ、家康は蒼白い顔をして直次に命じた。

「井伊兵部少輔と与力の木俣守勝を呼んで参れ」

 家康直々の命を受け、直次は井伊隊の許へ遣いを出し直政と守勝を呼んだ。

「小平太らがまだ戻って来ぬ。兵力差があり過ぎるわっ」

 開口一番、苛立たし気に爪を噛みながら家康が直政と守勝に怒鳴った。

「・・・・・・」

「堀秀政は、流石は戦巧者。小平太殿も苦戦されているのかと」

 何かを熟考しているのか。無言の直政に代わり、彼の筆頭与力である守勝が言葉を添える。守勝にとっても康政は幼き頃薫陶してくれた良き先輩である。出来れば庇いたい思いがあるのだろう。

「万千代、其方に預けた甲州赤備えの者共の意気は如何に」

 人の好い守勝の応えが、更に家康の怒りと焦りを煽ったのか。話が結成したばかりの井伊隊の士気に関する事へと移った。

「余り高くは御座いませんな」

 にべもない直政の応えに、傍らに付き従っていた守勝が、ギョッとしたように顔を上げる。

「少し、様子見といったところでしょうか」

 守勝は苦し紛れに言葉を飾った。

 直政が率いる井伊隊で、井伊家譜代と言えるのは、直政の養父の松下景清と親族の小野万福丸改め朝之らわずか十数人ほど。

残りは直政よりも先に家康に帰参した井伊谷の土豪の近藤秀用、菅沼忠久、鈴木重好ら井伊谷衆の与力三人と、家康が付け目付として配した木俣守勝、西郷正友・椋原正直らの徳川直参与力、そしてこの度新たに配置された旧武田家の甲州同心衆達であった。

養父の松下や直政の従兄で乳兄弟でもある小野朝之、それに親戚関係にある筆頭与力の木俣守勝は別としても、徳川直参の与力衆や甲州平定後、新たに軍政を変更し直政の下に組み入れられたばかりの甲州者達は、戦国最強の呼び声こそ高かったものの、その実態は、本多忠勝らの隊に属する三河譜代の者達に比べると士気が明らかに低かった。

 特に甲州同心衆の多くは、常に情勢を注視し、どちらに付いた方が得かを、冷静に判断しようとしていた。一番槍など狙わず、何か不測の事態が起こればすぐにでも敵方に寝返ることの可能な位置に留まって、戦の推移を眺めていようといった雰囲気なのだ。

 また、家康は敢えて問わなかったが。甲州同心衆よりも更に厄介な存在が、直政率いる井伊隊の内部には存在した。

 井伊谷三人衆と呼ばれる近藤・菅沼・鈴木達である。

彼等は井伊谷の主ともいうべき国人領主の家柄でありながら、嫡流男子を次々と今川に誅殺され、先代直虎(次郎法師)の代には地頭職も奪われた井伊家のことを、『没落した家よ』と明らかに侮っている様な言動が日頃から見受けられた。

当然、自分達が頂く大将である直政の事も、『若輩者の小童が』と、何かにつけ反抗的であった。

 下剋上が当然の戦国乱世。彼等甲州兵や井伊谷衆の感覚は、ある程度は致し方のないものでもあった。

しかし実際に彼等を統率しなければならない直政や守勝にとっては、そんな彼らの態度は頭の痛い問題であるようだった。

―守勝も気の毒に。殿の秘蔵っ子とはいえ、その実力はまだまだ未知数の兵部少輔直政を補佐しつつ、朋輩の西郷・椋原に加え井伊谷衆や甲州の同心衆も掌握せねばならぬとは・・・・。

 幼馴染の気苦労を思うと、思わずため息が出る直次だった。

「それは困るな」

 直政と守勝の返答を聞いた家康は、途端に不機嫌となって、吐き捨てる様に言った。

「康政らの四千が未だ未帰還の今、敵と我が軍の兵力差は少なく見積もっても二倍以上。甲州同心衆が、そのような情けない有様では困るのじゃ」

 困ると言われても、直政や守勝の方こそ困るだろう。まさか彼等も、先手が自分達だけになってしまうとは、思ってもみなかった筈だ。

先手衆で先陣を勤める井伊隊とは異なって、直次自身が所属する旗本本陣衆は、家康の親衛隊。つまりは守備を任務とする守兵達である。戦場を掛け一番槍を競う攻兵ではないのだ。

家康の御前で思わず顔を見合わせる二人の姿を眺めながら、家康の背後に控える直次は、内心そんな二人に大いに同情していた。

「万千代、何とかいたせ」

「はっ」

 二倍近い兵力差の前で少々焦り気味の家康から、無理難題を押し付けられた直政が、珍しく困惑した風で頭を下げる。

その背後では、そんな主の背中を心配そうに見詰める守勝の強張った顔もあった。

―清州の一夜では、腹が立つほど手慣れた雰囲気で儂を翻弄してくれた直政も、流石に今度ばかりはそう余裕綽々という訳には参らぬか・・・・。

 何時も澄まし返っている直政の困惑顔は見ものだったが、直次とてそう呑気に構えてばかりもいられない。

 酒井忠次、本多忠勝ら歴戦の強者が、小牧山に居残っているのは、犬山城の秀吉本隊をあの場に足止めする為である以上、そちら側からの援軍は期待できない。

 堀隊に蹴散らされた榊原康政率いる別動隊が戻れば多少の戦力差も埋まるだろうが、敵の鉄砲隊でしこたまやられた後とあっては、どれほどの兵が残っているかは期待薄だ。

 つまり、実質今現在、守備固めの直次ら旗本衆を除けば、家康の先手として正面切って敵軍二万と戦える兵力は、直政率いる井伊隊千二百余名という有様なのである。

―さて、どうするか。

 考えたとて、直政にも守勝にも、勿論直次自身にも、容易に解決策など見付けられない大問題であった。

 井伊隊の主従が家康の御前を下がり自陣へ引き上げた後も、直次の属する本陣の守備を司る旗本衆は意見が割れ、混乱した。

ある者は『兵を纏めて岡崎へ帰還すべき』と言い、またある者は『旗本衆をもって、大軍にて勝ち誇る敵に向かうべし』と叫ぶ。

 家康の本陣で、最近その知略をもって最も引き立てられている本多正信が堪らず、

「各々が方、埒もないことを喚くなっ」

 と叫んだほど、家康本隊は混乱した。

―戦の直前に、この有様では・・・・・。

 日頃、自他ともに面の皮が厚いと評される直次自身、混乱する朋輩らの姿に、暗鬱な気分になった。

 やがて、何かを決心したのか。

「全軍をもって、目前の敵、池田・森軍とに当たる」

 家康が下知し、漸う混乱は下火となったが、士気が著しく低下したのは誰の目にも明らかだった。

「今一度、井伊兵部少輔を呼べ」

 先程下がらせたばかりの直政を再び呼べと、家康が忠次に命じた。

 呼び出しに今度は騎馬で駆け付けた直政が馬を降り、跪いて付いて伺候すると、家康はただ一言、寵愛する家臣に向かって告げた。

「されば、働こうかの」

 対して、直政も、ただ一言。

「はい。そう致しましょう」

とだけ言葉少なく応じ、平伏して家康の前を下がった。

―ああ、今生の別れを殿は、兵部へ言い渡したのじゃな・・・・。

 あまりに静か過ぎる戦直前の両者の対面に、直次はそう思うことしか出来なかった。

 兵力差は圧倒的。しかしもう、引くに引けない場所まで、家康は自ら馬を進めて来てしまったのである。

辰の刻、総攻めの前の銅鑼がなり、直次は大きく一つ息を吐いた。いよいよ戦いの火ぶたが切って落とされたのだ。

鬨の声と共に、家康の本隊の一角を占める直政の井伊隊が突出した。否、隊そのものではなく、正確にはただ一騎。目にも鮮やかな赤漆の甲冑に大兜を被った大将と思われる騎馬がただ一騎、

「遣れっ、遣れっ!!」

 と太刀の峰で馬の尻を叩き、自軍から飛び出し単騎で池田勢に突進していったのである。

「あれはっ?!」

 布陣さえと整わない間に、一人先手将である直政自身が疾駆して行ったことは、誰の目にも明らかだった。

―まさか、先晩の願いをこのような場で果たせというのではなかろうの?

 途轍もなく嫌な予感が、直次の脳裏に過った。

井伊隊の采配を振るうべき直政自身が与力衆も足軽隊も放り出して一騎駆けしてしまったため、井伊の赤備えの陣形が大きく崩れた。

「何たる様かっ!清左衛門はっ。木俣清左衛門は如何いたしておるっ!」

 年若く戦慣れしていない直政の突出に、家康がハラハラしながら叫ぶ。

すぐさま直次へ、井伊隊の目付である木俣守勝の許へ直政を抑え隊列を整えよと命じる使番を走らすよう、家康の下知が下るが、そうこうする間にも井伊隊は大将である直政の疾駆に釣られるように、与力衆の騎馬武者が先を争って池田勢に突撃していき、その後ろを守勝率いる足軽隊が陣容を整え、鉄砲を放ちながら追従した。

この無謀ともいえる井伊隊の突撃に、家康軍の側面を衝こうとしていた池田軍は浮足立った。朱漆で染め上げられた一団が、大将を先頭に槍を掲げて突進してきたのだ。明らかに気持ちで押し負かされていた。

大将の直政自身が長槍で池田勢の中央を突破し、敵を突き倒し、

「我が名は、井伊兵部少輔直政っ。池田家に武士あるならばかかって参れっ!」

 と大上段に叫ぶ。

 と思えば、付き従う自らの近藤・菅原ら日頃何かと因縁のある井伊谷三人衆にも振り返りざま、

「儂に遅れたる者は男にあらず。末代までの汚名となるを覚悟せよっ」

 と怒鳴る始末。

 無論、そのような詳細は、離れた場所にいた直次が直接見聞き出来た訳ではないが。家康の直ぐ傍らで戦況を逐一網羅している彼の耳には、本陣に駆け込んで来る使番の者らの報告から、手に取る様に状況が理解出来た。

―自身の位置を味方に伝えるための馬印も、はるか後方に置き去りとは。まあ、何という無茶苦茶な戦い方かっ・・・・・。

 この戦いの前、折角誂えた派手な蠅取り形の馬印も、総指揮官たる直政の疾駆の前には、遥か後方に置いてけぼりだという。

 けして、見栄えが良いとも、先手の大将として褒められる戦い方ではなかった。しかしこの直政の一見無謀にしか見えない無茶苦茶な力技が、圧倒的に不利な状況を一気に互角以上へと引き上げたのは、紛れもない事実だと、直次はこの時感じていた。

直政率いる赤備えの騎馬団が、池田軍の騎馬武者たちを突き倒し、後詰の守勝率いる足軽鉄砲隊がつるべ撃ちになぎ倒す。

そうしている間に、

「榊原隊、帰参でございますっ!」

 家康の母衣衆が駆け戻って来て、先発隊の合流を伝えた。

―やっと小平太殿が戻って来て下されたっ・・・・。

 これで、更に戦況は徳川方有利となった。

 森隊の大将長可が、井伊隊の鉄砲に当たって落命した。大将が討たれれば、その軍勢は持ち堪えることが出来ない。戦意を失った森隊は敗走を始め、池田隊もまた更に浮足立った。

「いまじゃっ、旗本衆も、掛かれっ!」

 家康の下知の元、直次自身も池田隊へ殺到した。

 小高い丘に三十人ばかりの兵が固まっているのを見付け駆けつければ、兵たちは一目散に逃げ去った。残されていたのは、頭形兜に黒糸威の具足を身に着けた老齢の武将が一人。

その物腰から、池田恒興で間違いないと察した直次は、本陣を出る際家康から直々に、

「あ奴はまだ軍配の使い方も知らぬ小童にて」

 と、直政に手柄を立てさせてくれるよう頼まれていたことを思い出し。また先晩直政自身からも、ある無茶な願いを託されてもいたので。

「万千代っ、万千代っ」

 と大声でその名を呼んだが、丁度近くを通りかかった家康の母衣衆の一人永井直勝が自分が呼ばれたと勘違いして駆け寄り、一気に池田恒興の首を掻き斬ってしまった。

 これは致し方なしと、早々に諦めた直次自身はこの直後、駆け戻って来た恒興の嫡男元助の首を討ち取り、再び家康から後見を頼まれた直政の姿を探して戦場を駆けた。

―何処におる、兵部っ。約束通り、先晩の願いを聞き届けに参ったぞっ・・・・・。

 赤備えの威容も猛々しい井伊隊の方へ顔を向ければ。親友の守勝が鬼の形相で、必死に陣太鼓を打ち鳴らし、直政から預けられたらしき軍配を振り上げ、足軽・鉄砲隊の足並みを揃えつつ、池田方の槍や太刀をかい潜っている。

 そして大声で、

「井伊兵部少輔は何処におわすっ、兵部は何処じゃっ!」

 守勝は、直政の近侍の与力達に怒鳴り散らしていた。

―まこと、気の毒にな。清左・・・・・。

 その必死さ、懸命さが可笑しいやら気の毒やら。親友の悲喜劇を横目に、直次もまた兵部少輔直政を探し、戦場を駆ける。

 四半時とばかり後―。

 直次が漸う直政を見付け出した時、当の直政は何処で馬を捨てたのか、徒歩で池田家の母衣武者と一騎打ちの最中であった。

 家康直々の下知なので、まさか死なす訳には参らぬと、直ぐ側近くで槍を構え見守っていると。 

自身の体格よりも倍近く大柄な敵武者相手に、直政は組打ち幾度も上下逆さまに縺れあった後、辛うじて相手の首筋を刺し、漸く相手に止めを刺した。

「お見事っ」

 息が上がり、暫くは身動きさえ出来ぬ有様の直政の傍らへ馬を進めた直次が、そう叫んで片手を差し出せば、朱塗りの甲冑を更に毒々しい赤に染めた直政が、激しく肩を震わせながら馬上の直次を仰ぎ見た。

 その白皙は泥と汗と敵の返り血に汚れ、美しい黒髪は結わえていた紐が解けたものか、ザンバラだった。

 おそらく直次以上に、数多の敵と対峙しその命を奪って来たのであろう。朱漆で固められた甲冑もその下の直垂も、大輪の牡丹の花のように真紅に染め上げられ、胴と籠手の繋ぎ目の肩口辺りには、明らかに直政自身の負傷のものと判る、今この時も尚滲み続ける緋色の花弁が咲いていた。

―負傷しておるではないか。この馬鹿者が・・・・。

「先晩の約束、果たしに参った。井伊兵部少輔直政、其方の武勲、この安藤直次、確と見届けたぞ」

 先晩、直政が直次に求めたのは、戦場で自らが敵の名のある武将を討ち取った際、その瞬間を確かに見届けたと後の首実検で証言してみせる事であった。

「・・・・しかし本来赤備えとは、戦場でどれほど多くの敵に当たろうとも、けして自らの血で甲冑を濡らすことの無きようという意味。其方のように功に逸り、大将自ら一騎駆けし全身傷だらけでは、真に赤備えの誉に似合うとは言えぬ。早々に戻って自軍の備えを固めよ」

「承知して御座る」

 直次の叱責に応じる直政だが、その乱れた髪が降り掛かる黒曜石のように黒々と輝く瞳には、明らかに誇らしげな笑みが浮かんでいた。

全身に自身と敵兵の血を浴び纏う甲冑の朱漆以上に紅に染まりながら、息を荒げつつも嫣然と嗤って見せるその様は、まごう事なき阿修羅神の生まれ変わりのようで。

その異様さ、余りの壮絶さに。

―守勝もとんだ跳ねっ返りのお守を押し付けられたものよ・・・・・。

 目付け役の与力筆頭として直政に仕えねばならなくなった親友に、今一度大きく同情する直次であったが。

―しかし、この一戦。明らかに兵力差で負けていた我が方を、これほどまでの勝利に導いたのは、紛れもなくこの単騎駆けも辞さなかった井伊直政の働きあればこそ・・・・・。

 そう改めて認識し、高揚感とそれを上回る明らかな恐懼に、思わず眼下に蹲る男の白く細い女子のような首筋を凝視する直次だった。


 戦は未の刻(午後二時頃)には終息を迎えた。家康は小山ケ沢で鬨の声を上げさせた。 

三好秀次を敗走させ、森長可、池田恒興・元助親子を討ち取った徳川・織田軍の大勝利であった。

池田・森軍の死者は二千五百余名。徳川方は五百九十余名。その内井伊隊の死者数は実に三十人にも及んだ。

この一勝の後、家康は小山ヶ沢で首実検を行うと、直ちに小牧山へ帰城した。

池田・森軍壊滅の知らせを受け激怒した秀吉が自ら出陣するも、既に戦場に家康の姿はなかった。

この一連の小牧・長久手の戦いにおける家康大勝の最大の理由は、無謀ともいえる井伊直政の単騎駆けから始まった寡兵による大逆転勝利であった。

そしてその裏には小牧山に居留守し、秀吉本隊を犬山城から出陣を許さなかった酒井忠次や本多忠勝の働きもまた、大きかったのである。


※ ※ ※


「まったく、あの時はこちらの寿命が二十年は縮まったわ」

 僅か二里半しか離れていない家康の小牧城と秀吉の犬山城での、両軍の対峙が始まってから一月が過ぎようとしていた時分―。

 秀吉自身が犬山城を旗下の武将らに任せ、美濃・伊勢辺りの織田信雄配下の城を攻略しながら大阪へ戻ると、小牧城に篭る家康旗下の直次や井伊隊の守勝にも、やっと重苦しい鎧を脱いで盃を酌み交わせる夜が訪れた。

「儂が兵部の傍らで、見事敵将の首を取ったと証明してみせた時か」

「ああ。兵部殿、いや、我が殿じゃな。あの方が其方の騎馬の横で腰を落としておるのを見て、てっきり儂は殿が池田方に首でも取られたかと思うて、背筋が凍った」

「実際深手は負っておったがな」

「ああ。ただ首は取られてはおらなんだ。そのことにまず、心底安堵した」

 井伊家は家名を名乗る男子が直政しかいない。つまり戦場で直政が討ち取られれば、その時点でどれほどの武勲を立てていようとも、井伊家は断絶するのであった。

「そのことは殿ご自身が誰よりもご承知であろうに。何故、ああも血気に逸るのか」

 戦場では戦の始まりを告げる銅鑼の鐘と共にさっさと軍配を放り出し、単騎駆けしてしまった直政に代わり、井伊隊全体の指揮を執ることで精一杯だった守勝には、直次のように戦場を俯瞰してみることは叶わなかったのであろう。

「井伊谷三人衆が挙って止めたが、殿は全く彼奴等の言うことを聞かなんだ。近藤秀用が兜の獅を背後から掴み諫めても、槍を突き付け『従わねば叩き斬るっ』と叫ぶ始末。池田方と相対する前に、味方同士で血の雨が降るかとハラハラしたわ」

 血気に逸って単騎駆けした主君の行動を訝りながらも、先ずはその無事を何よりも喜んでみせる親友の事が、直次には気の毒半分人が好過ぎると呆れ半分の、何とも曖昧な気持ちだった。

「噂は色々聞き及んでおる。甲州勢の広瀬が『無理働きを為されてはならず。お気を沈めよ』と取り縋るのを跳ねのけ、井伊谷三人衆の近藤が『さては道理の判らぬ御仁か。大将が備えを捨てなば、下知する者がおらざるに。殿は我等を如何なさるおつもりか』とか怒鳴ったとか。それを兵部は『我に従わざるは男ではない』と怒鳴り返して突出したのであろう?」

「ああ」

「家康様から拝領の軍配をお主に放り投げおいて」

「その通り」

 直次の問い掛けに、守勝は

「しかしお主こそ、よお、そこまで詳しく知っておるの。まるで傍で見ておった様じゃ」

と、変なところで感心している。

―家中で知らぬは、兵部の筆頭与力で縁戚でもあるお前ぐらいじゃ。

あの派手な朱色の具足に白熊獅の飾りのついた大兜を被った井伊隊の大将の疾駆は、小牧・長久手に集った敵味方どの武将の陣からも丸見えだった。まったく、大将が大将なら、目付も目付である。

些か能天気すぎる守勝の反応に、同情を通り越して呆れるしかない直次だった。

「だが儂が何より不思議なのはな、清左。かつてあれほど万千代の小生意気さを嘆いておった其方が、井伊谷三人衆らに同調せず、これほどまでに兵部の身を案じ、あ奴に尽くすことよ」

 この度の勝ち戦の後も、兵部の疾駆を快く思わぬ井伊隊の与力衆は多いだろうにと、直次が水を向ければ。

「・・・・まあな。井伊谷三衆の近藤などは、『井伊家の死者が徳川の他を圧倒するのは、偏に殿の突出が理由じゃ』と、声高に叫んでおった。これには殿も『お屋形様さえ叱責なさらぬものを其方如きが我を愚弄するか』と太刀の鍔に手を掛けられ。乳兄弟の小野朝之が咄嗟に両名の間に入り、『祝いの席なれば、刀を抜かれてはなりませぬ』と諫言せねば、ひと悶着がおこるは必至であった」

 全く困ったものよと大きく嘆息して見せる。

「・・・・しかしな。我が妻瑠依に言わせれば、あの戦場で血気に逸る気性は、『虎松は幼き時分より他人と共に過ごす時間が多く、なかなか人に己の本心を明かせぬ損な性分なのです』ということらしい。確かに、甲州平定の折の取次の妙や、北条との和睦の際の手腕は、血気に逸るどころか、小平太殿も霞むくらいの冷静沈着振り。対して近藤の言は確かに主筋の者に対する物言いではない。日頃の言動も、殿を心から敬うている感もなく。そう思えば、我が殿が自身の旗下であっても『他人を信じられぬ』と思うのも、判らんでもない。儂も何かの縁で殿の親戚筋に連なった身なれば、せめて筆頭与力の某くらいは、あの方の味方になってやらねばと思うての」 

 守勝の立場はあくまで直政の付け目付。今まで通り、直次の前では主君のことを幼名の万千代もしくは兵部と呼んでも、一向に差し支えない立場であった。にも拘らず、律義な男は、直政のことを《我が殿》と呼ぶ。

「・・・・それに、ほれ。あの、鳳来渓谷での一件も、やはり気になっての・・・・・」

 これは守勝と直次だけに通じる秘め事。遥か昔、まだ二人が互いに幼名で呼び合っていた頃、同じくまだ童だった直政と初めて出会った際の、あまり人には言えない事情であった。

果たしてあの時の直政の行動が、自殺しようとしていたのか、それとも逃亡しようとしていたのか。今となってはもうその辺りの事もはっきりしないが。

兎も角、幼かった直政があの頃何かを思い詰め、何かから逃れようとしていた事だけは確かだった。その時の事が、守勝は今も忘れられず、気になっていると言うのだ。

―お人好しめ・・・・・。だがその人の好さが、あの人嫌いをして、姉代わりの従姉の夫に守勝が欲しいと、殿に請わせた理由か・・・・・。

 ふと、そう思い立った直次だった。

「なあ、知っておるのか?其方のお内儀の婿候補は、永井直勝ら兵部の小姓時代の朋輩を始め、岡崎城代の石川数馬様のご一門や旗本衆奥平の弟など家中指折りの者共の名前が挙がっておったのを。それを兵部自ら殿に、『我が姉代わりの従姉の嫁ぎ先ならば、是非木俣守勝殿を』と、敢えて兵部の方から其方の名前を出し願い出たという話」

 直次は家康の近習として側近くで主が寵愛する直政の人となりを見聞きするうちに、表面上は澄まし返った微笑を浮かべている直政が、実はかなりの人嫌いで、孤独を好み、自身の懐には何人さえも立ち入らせないことを早くから見抜いていた。

 その他人を拒絶する度合いは、朋輩は無論、もしかしたらあれほど直政を寵愛する主の家康さえも同程度であるのかも、と直次は密かに思っていた。

―その、あ奴がだぞ。自分から、姉代わりの従姉の夫にお前が欲しいと言ったのじゃ。この意味、お前は理解しておるのか?清左よ・・・・。

 目の前の親友にそう問い質したい直次であった。

―理解しておる訳が、なかろうな・・・・・。何しろ、こ奴もまた、あの初心で世間知らずの菊千代じゃから・・・・・。

 もう一つ。家康の近習として仕える直次は、主の御前に侍る際の直政の視線の配り方、敢えて意図して振舞っているようなその言動から、直政がおそらくは女色よりも男色を好む性質でなかろうかと感じていた。 

 それは先晩のあからさまな直次自身の誘いに敢えて乗ってみせた、直政の貞操観念の低さからも伺える。

 しかし直政は、おそらくはこれも幼児期の体験から来るものであるのだろうが。

主家康との衆道関係やもっと割り切った身体だけの男色行為は拒む気もなさそうなのに、実際はその行為そのものをかなり強く嫌悪しているように感じた。

身体は差し出しても、心は明け渡さない。むしろ、精神的にはそのような行為自体を、憎み、嫌悪し、蛇蝎の如く忌み嫌っている。

その癖、拒んでいても、誘えば乗るし、利用もする。嫌悪していても、性的思考はそちら側を向いている。

 本当に何とも捻くれ面倒くさい男だと、直次自身は直政のことをそのように見ていた。

そして、そんな男には、あるいは誰にも告げない。そしてもしかしたら、直政自身も気づいていないかも知れない、同性の本命がいるのではないか、とも。

―まさか、その本命が、朴念仁を絵に描いたような、守勝とは、な・・・・・。

 だがしかし、その相手が守勝であれば、すべてが判る様な気もする直次であった。

 きっと。おそらく。直政自身も、未だ己の想いには気付いていない筈だ。寧ろ、気付く筈もないだろう。何故なら、直政自身が男色という、男同士の性的関係を肉体ではなく精神的に嫌悪しているのだから。

―きっと、あ奴の守勝への想いは、もっと単純で、もっと純粋なものなのだろう・・・・。

 年の離れた弟が、明朗な兄に憧れるような。気の強い若武者が、実直で面倒見の良い年上の朋輩に甘えるような。

 養母の次郎法師らに代表される井伊谷の女衆の手で守られ匿われながらも、嫡流の男子は己一人という、他人には伺い知れない孤独と絶望の中。

寂しがり屋の一人の少年が幾度も夢で描いた、《もし自分に年の離れた頼りになる兄がいたとすれば》という存在。それが、直政にとっての木俣守勝ではないかと思う直次だった。

―守勝自身は、男色とは全く無縁の男であるのに、な・・・・・。

 おそらく、直政の恋心が報われることは未来永劫ないだろう。守勝は、性的思考は極めて普通の男であり、所謂当世風の風流を尊ぶ者でもない。

 しかも自身の跡目争いの苦い経験から、正室の瑠依殿以外には、側女も置こうとしない生真面目さ、実直さである。よく言えば誠実、悪く言えば朴念仁の田舎者。

―そんな男相手に恋心を抱くとは、兵部の奴も哀れな男じゃ・・・・・・。

 そう思う端から。

 そんな直政だから、直次もまた放っては置けない気にさせられてしまうのだった。

馬鹿だ、哀れだと思う端から、そんな愚かしい恋しか出来ない男のことを、救ってやりたい、手助けしてやりたいと直次自身が思ってしまう。

―儂の方こそ、最初はただの火遊び程度のつもりだったのにな・・・・・。

 最初は家康までをも虜にした、直政の房中術とやらと手合わせしたい程度の気持ちだった。

なのに。

 気付けば直次自身が囚われていた。

花のような顔をした、怜悧で、我が強く傲慢で。戦場では目が離せない程血気に逸り、その癖人一倍孤独で寂しがり屋の、徳川の譜代でも何でもない。遠江出の小童如きに。

―これが、殿を始め井伊谷の多くの女子衆をも狂わし、徳川譜代の武将らに嫉妬させる、名門井伊家の血なのか、の・・・・・。

 ふと、そんな詮無きことさえ思う直次であった。



   五、近藤秀用


「そもそも儂は、あの小童の家の初代が、渭伊神社の境内の井戸に捨てられていた捨て子だった、という話そのものが、虫が好かんのよっ」

 天正十八年(1590年)三月。小田原、酒匂川河原岸の徳川旗下井伊隊本陣―。

 井伊谷三人衆の近藤秀用は、朋輩で共に古くより井伊谷盆地に所領を持つ土豪仲間の菅沼忠久、鈴木重好に向かって、鼻息荒く嘯いた。

「あの作り話の、何処が虫が好かぬのじゃ」

 近藤の真向かいで車座となって杯を干す鈴木が、ニヤニヤ笑いながら問いかけて来る。 

 酔えば何時も、井伊家の初代共保公が、渭伊神社の境内の井戸に捨てられていたという主家に伝わる伝説に異議を申し立てる近藤のことを揶揄って煽る彼は、明らかに朋輩の苛立ちを楽しんでいる。

「そもそも龍泰寺の由来書に『神主元朝社参の折、忽ちに井中より嬰児の出生するを見るに。其児容貌殊に美麗なり』などと書いておる。井伊家の男子は初代より皆、眉目秀麗じゃとわざわざ記す、そのあざとさが好ましゅうないっ」

「とんでもない言い掛かりよの。その由来書の記述もあながち間違いとも言えぬではないか。実際我が殿は、女子どころか衆道をよくする者達からも注目の的であるからの」 

 鈴木の指摘に、三人衆の残りの一人、菅沼も卑猥に嗤って同調する。

「我が殿には、太閤の軍師黒田の倅もいたくご執心であるというが」

「九州者は、とかく蛮行を好むでな」

「しかも太閤の母、大政所やその侍女達まで、殿の男振りには熱をあげたというぞ」

「何と。男も女も、婆までをも誑かすか」

 三人で好き勝手に言い合って、此処で大きく哄笑した。

太閤秀吉の命で小田原城に篭る北条征伐に赴いて、既に数か月。城を取り囲み、時折思い出したように鉄砲を数発ずつ撃ち合うだけの長対峙は、攻め手の諸兵の士気をここまで堕落せしめていた。

 もっとも、彼等井伊谷三人衆と呼ばれる井伊直政配下の与力達は、膠着する戦況に関わりなく常日頃から、家康直々の命で配された先の己が主直政のことを、苦々しく思っていた。

 その理由はただ一つ。嫉妬心である。

 この年、彼等の主である井伊侍従直政は、三十歳。対して近藤は四十六歳、菅沼忠久、鈴木重好らもほぼ同年配だ。

 一回り以上も年下の直政の配下に組み入れられ、しかも主の戦場での血気に逸る単騎駆けを幾度諫めても一向に聞き入れられず、度々家中の者達の前で、「意気地なし」と詰られては、忠義の心も涸れ果てるというものだと、酒を飲む度三人は声高に言い合っているのであった。

 しかも、何より彼等三人がどうにも納得できないのは。お屋形様の家康は、最近事あるごとに直政を譜代筆頭のように遇することだ。だがその実、直政の生家井伊家は三河土着の家ではなく、彼ら三人と同じ遠江の井伊谷に在った国人領主の家柄なのだった。

「古くは南朝に繋がる名門か何か知らぬが。井伊家の先代は、女だてらに直虎などというふざけた地頭名を名乗り、井伊谷土着の国人衆の我等皆が、他国者から『女子の風下に立っておる』と嘲られる原因を作った者じゃ。しかも仕舞には自らの家も断絶させた恥晒し。どうして我等井伊谷きっての実力者三人が、その息子の旗下に遇されねばならんっ!」

 これが近藤、菅沼、鈴木の三人の、まごう方無き本音であった。

「ああ、俺も同じ与力として配されるのなら、平八郎殿の本多隊が良かったわ」

「いや。与力として仕えるならやはり、文武両道の榊原の小平太殿じゃ。我が主殿とは違って、粗略な行いもない、あれこそ真の人格者よ」

「何しろ、我が主殿は。他国にも《人斬り兵部》と悪名高い短慮な御仁じゃて」

 その顔立ち、容貌だけを見れば、なまじの女子よりも美しいと評判の直政であったが、その気性は荒く、些細な失敗で近侍の者達を手打ちにすることも数多く、そのうちに《人斬り兵部》なる不名誉な綽名が奉られるようになっていた。

 実際、井伊谷三人衆の者達も皆、小牧・長久手の戦いの際は、単騎駆けをしようとした直政の身を案じこれを押し止めたため、戦場で自軍の総大将である筈の直政より、首筋に長槍を突き付けられ「叩き斬るぞ」と脅された。全くもって、理解に苦しむ主なのだった。

「ま、もう少しの辛抱じゃ。小田原の北条が落ちれば、太閤の天下布武はほぼ完成する。となればお屋形様は、予てよりの噂通り、北条が滅んだ後の関東を抑える者として、駿府から関東の何処へかの転封は確実。なれば御家人の知行地替えもありもうそう。その折には、晴れて井伊家与力の職を離れ、お屋形様の直臣に返り咲けるよう、他の与力衆とも連帯しておるところじゃて」

「おお。その通りじゃ」

「その際になって、泣きっ面掻くなよ。侍従め。残る直臣は奥山の爺様と佞臣小野の分家、それに元地頭職預かりであった中野家くらいなものじゃ。人不足では井伊の赤備えの威容が泣くぞ」

「頼みの新野の家も、嫡流はこの度の北条攻めで絶えたしの」

 これは愉快、とまたしても三人は腹を抱えて笑い合う。

 直政がまだ虎松と名乗っていた幼き頃、彼の命を取れと命じた今川氏真に、一門でありながら抗い助命嘆願した新野親矩の一人息子は、今川家滅亡後は、北条家に仕えていた。 

その新野家たった一人の嫡流も、この度の北条攻めの山中城の戦いにおいて戦死している。新野家の男系はここに絶えたのであった。

「それにしても井伊の家は、悉く男系男子が、誅殺や戦死で若くして絶える家よな。よっぽど神仏に何か恨みでも、買っておるのではないか」

「いや、元が捨て子に始まる家にて。それもまた当然」

 酒が入った席とはいえ、彼等の主直政とその生家に対する誹謗中傷は留まるところを知らない。中でも近藤秀用の執拗さは、他の二人の群を抜いていた。

 これには当然、理由があった。

―そうじゃ。男子薄命の家柄なれば、直政も素直に儂に靡いてみせれば。この秀用、義理堅き男にて、悪い様にはせなんだのにっ・・・・。

 八年前。直政の与力衆に配され、初めて間近でその顔を見た時。近藤は相手のあまりの美童振りに、年甲斐もなく一目惚れした。

 当時二十二歳でありながらまだ前髪立ちの小姓装いであった直政は、家中ではお屋形様の家康と衆道関係にあると公然と認められていた寵童であった。

 その家康から拝領したと一目でわかる銀摺りの箔の小袖に水浅黄の鮮やかな袴で颯爽と、近藤ら井伊谷三人衆の前に現れた直政(当時はまだ元服前故、万千代と名乗っていた)は、見慣れた三河衆の泥臭さとは明らかに一線を異にする、透けるような白皙の美しい若者だった。

弓形の眉。涼し気な目鼻立ち。

 それは当時三十八歳の近藤には、何処か懐かしささえ感じさせる秀麗な面立ちだった。

―ああ、直親様に瓜二つじゃ・・・・・。

 当時の直政の美童振りは、近藤が少年期、懐かしい故郷井伊谷に住まいし頃、彦四郎屋敷と呼ばれていた近所の井伊家の分家の館に居住していた直政の父直親の姿に生き写しであった。

何よりも近藤を驚かせたのが。直親と瓜二つの、直政のくっきりとした二重瞼の黒々と黒曜石のように輝く大きな瞳だった。

彫が深く典雅なその目鼻立ちは、普段近藤らを外様と見下す憎き三河土着の譜代の誰とも違う。まさに唯一無二。我らが故郷遠江の名門井伊家の高貴な血筋の末裔に相応しい上品さ、美しさだった。

―まさか、これほど直親様に似ておいでとは。

 近藤にとって、近所の井伊家の館に住む直親は、少年期の憧れ。叶わなかった初恋の思い出の相手であった。

 当時、井伊谷に住んでいる者で、直親の花の如く美しい容姿や、穏やかで気品あふれる佇まいに心惹かれぬ者は、老若男女一人もいなかったであろうと今も信じる近藤である。

 僅か九歳で実の父親を今川に誅殺され、自らも命を狙われて遠く信州に落ちねばならなかった運命を背負いながらも。

十数年ぶりに井伊谷へ見事帰還し、立派に家督を継いで、跡継ぎの珠のように美しいと評判の男児も設けた直親は、井伊谷の年貢減免を今川方に堂々と申し入れたり、新たに近隣で力をつけつつあった松平元康(後の徳川家康)に接近したりと、旧来の因習に囚われない新たな施策を次々と実行していく有能な為政者でもあった。

―嫋やかで美しくもありながら、柳のように強靭でしなやかな直親様・・・・。

今川・武田両家に常に国境線を侵され略奪され続ける宿命を背負わされた近藤ら井伊谷の者にとって、そんな新領主はまさに希望の光であったのだ。

―あの直親様のお子ならば、さぞや文武に優れた将来有望な将であろう。お人柄も直親様同様、素晴らしいに違いないっ。

 思い込みとは恐ろしいものよと、今の近藤ならば当時の己をそう嘲笑うに違いない。

だが三十八歳の働き盛りの年頃であった当時の近藤は、少年時代に自らが憧れ初恋にも似た想いを抱いた人の忘れ形見の姿に舞い上がり、年甲斐もなく浮かれていたのだ。

「其方らは自ら井伊谷三人衆と呼称し殿直属の直臣と申すが、元々は我が井伊家の被官の者共。我が与力となっても、真の三河譜代の木俣守勝、西郷正友、椋原政直らと同列には扱わぬ故、そのこと特に承知おく様に」

 初対面に等しい場で当の直政から、まるで虫けらを見遣る如く冷酷な目付きでそう告げられ、近藤の手前勝手な思慕の念は瞬く間に砕け散った。

―なっ、何と生意気な小童めっ!

 相手の容姿がなまじ記憶の中の憧れの初恋の人と、あまりに瓜二つで在り過ぎたため。直政に対する近藤の心象は、一気に天と地が引っ繰り返るがごとく覆された。

 当時、もう少し己が冷静であったならば。

先の直政の言葉は、徳川の先手将に抜擢されたばかりの二十二歳の若造の、精一杯の強がりだと笑って許してやることも出来たかも知れない。

 その頃の直政の並み居る朋輩の先手将らは、大久保忠世五十一歳、榊原忠政四十二歳。最も直政と年が近い本多忠勝、榊原康政さえ共に三十五歳と、一回り以上年が離れている者達ばかりであった。

誰がどう見ても子供と大人ほど、経験も武功も違う朋輩らに何とか一日も早く追いつきたいと。懸命に背伸びする直政の幼さ、実家が断絶したため直臣の家臣も殆どおらず、他の将よりも遥かに基盤の弱い己が家を殊更大きく見せようとする故の焦りや無鉄砲な不遜さを、年長者として愛でる余裕が近藤の方にもあったかも知れない。

だが最初の期待値が余りに高すぎたため、当時の近藤には、そんな大人の余裕がなかった。

―そうだ。すべては己の不徳さが招いた事態ではあった。

今頃になって詮無い後悔も覚える近藤だったが、一度拗れてしまった彼と主直政との関係は、八年経った今は互いに引くに引けない絶縁一歩手前の状態だった。

―否、侍従殿の方は、そのような些末な事柄など、遠の昔に忘れ去っているだろう。

 小牧・長久手の戦いで、関白豊臣秀吉にも、猛々しい徳川旗下の《赤鬼》とその名を知られた直政は、その後の和議における大政所の接待が実に見事と、徳川直臣で唯一、従四位下の侍従の官職を授けられるなど、天下人秀吉の覚えも目出度い。

 そんな直政にとっては、近藤などもはや虫けら以下の存在に等しいに違いない。そう思えば思う程、より屈辱感と敗北感はいや増していく。

―これが、可愛さ余って憎さ百倍というやつかの・・・・・。

 本心では今も、近藤は直政のことを、

「流石はかの直親様のご嫡男」

 と、声を大にして評したい。

 そして我こそは同じ井伊谷生まれの直臣と、その下知に粉骨砕身従って、直政の見ているであろう景色を共に見てみたいと思う。

 そして、その上でもし叶うならば。筆頭与力で物主の木俣守勝のように、直政から自軍の采配を一時的にでも預けられるような存在になりたいと。そう心密かに願って止まない。

―さような事は、万に一つも有ろう筈もないがの。殿は儂を嫌っておられる・・・・・。

 直政が井伊家の評定や軍議の席で、近藤に向ける視線の鋭さは、年を追うごとにより一層冷たさを増し、近頃では殺気さえ孕むようになっていた。

 無論その訳は、近藤自身が直政のことを他の井伊谷衆二人と共に、色小姓上がりの若造扱いしているからだが。

 元々、亡父直親以上に色白で、黙しておれば玻璃のように儚い風情さえ漂わす美貌の直政が、己を睨み付ける際に纏う抜き身の太刀の如き冷酷さは、近藤に昏い愉悦にも似た快感を齎した。

―殿も大概頑固だが、儂も相当病んでおるわ・・・。

 その自覚はあっても。否、自覚があるからこそ、止められない。直政への近藤の、不忠の極みの誹謗中傷と、反抗的な態度。

 それはもう、救いのない堂々巡りであった。


 ※ ※ ※


「江戸口の曲輪を取れと、殿にお屋形様の下知があったと?それは真か」

 その話を近藤に伝えたのは、例によって同じ井伊谷三人衆の一人、菅波であった。

「どうも真のようじゃ。殿は急ぎ広瀬将房や三科形幸ら甲州者らを集めて、策を練っておられる。旗本衆の稲垣長茂も軍議に加わっておるらしい」

 広瀬将房に三科形幸は、直政の下に付けられた旧武田家家臣団の赤備えの中でも、特に豪胆さを謳われた者達ばかりである。

配属直後は、近藤達井伊谷三人衆と同じように、直政には非協力的な態度を取ることもあった奴等だが。

小牧・長久手の戦いを経て以降は、直政の勇猛さと血気盛んさを、時に諫め、時に称え、かなり井伊家中の与力の中でも、友好的な関係を築いている者達であった。

―あ奴等は、お屋形様の殿への変わらぬ寵愛ぶりを、かの信玄公と高坂昌信になぞらえ、悪戯に美辞麗句で追従しておる。

 そう近藤が密かに羨む程、広瀬や三科ら甲州衆と直政の間柄は友好的だった。

「広瀬や三科らが呼ばれたのであれば、どうせ我らに出番はなかろう」

 同じく三人衆の鈴木が言う。

「そもそもお屋形様は、『無駄な城攻めは、兵が死傷するばかりで、するな』と仰せであられたのに。何故今になって、急に我が殿に、江戸口の篠曲輪を取れなどと、お命じになったのじゃ。あれは所詮、捨て曲輪。あの場所だけとっても、城を落とすことにはなるまいに」

 何故今になって、戦況に殆ど関係のない捨て曲輪などを取れと家康が直政に命じたのか、その理由が判らない、近藤、菅波、鈴木の井伊谷三人衆だった。

 彼等がその理由を知ることになるのは、数日後。

 直政の命で急遽開かれた軍議の席でであった。

「江戸口の曲輪攻めを行う。我に従うは、西郷正員、椋原政直、広瀬正房、三科形幸、向坂業実、近藤秀用、同じく子息季用、菅沼忠久、鈴木重好以下足軽兵七百。後詰は木俣守勝、良いな」

 そう命じられてあった。

 実はこの話には、ちょっとした先触れがある。

 五月の半ば、直政の陣を訪れた家康が帰り際に直政を井伊勢が陣を布く蘆子川の土手へと誘い、蘆子川とその支流が合流する地に築かれた例の篠曲輪を眺めながら、「橋がのう」と呟いた。 

「橋が、如何いたしましたか?」

「いや、何」

 その日はそれで仕舞であったが、その後も時折、家康はふらりと僅かな近侍だけ連れ直政の元を訪れては、「橋が、橋がのう」と呟くので。その謎めいた言葉に、

―橋桁を標的にして、曲輪を取れというお下知か・・・・・。

 と、察した直政であったが。問題はその先であった。

「しかしあの橋を渡って、篠曲輪を取ったとて、所詮は捨て曲輪。城を落とすことにはなりませんでしょう。篠曲輪を取れとのお屋形様のお下知なれば、この直政、全力で取りに参りますが、こちらも敵方と同数程度の兵をも失い申す。これはお屋形様が常日頃申されておる、下策では御座いませんか?」

 かつて、小姓だった頃。直政は戦場で時折、家康から目前の敵陣と味方の陣を眺めながら、戦問答を講じられた事が良くあった。

「上兵は謀を伐ち、その次は交を伐ち、その次は兵を伐ち、その下は城を攻む」

(最上の戦い方は攻略によって敵を屈服させる事。これに次ぐのが敵の同盟関係を断ち切って孤立させることで、その次が合戦であり、城攻めは自らの失う兵も多く兵站も大量に掛かり、また時も掛かって、下の下である)

 家康は、先手将の中では一際若く経験に乏しい当時の直政に、自ら実地で『孫子』の兵法を説いて、徳川家を支える将器として育てるつもりがあったのだ。

 城攻めは、戦い方としては下の下。そう繰り返し家康から教えられて来た直政が不思議に思って問えば。家康は苦笑いしながら、

「まあ、色々あるのじゃ。曲輪攻めの事、任せたぞ」

 と、お茶を濁して直政の陣を去った。

―つまりは、この小田原攻めが終わったのちの思惑、という事か・・・・・。

 多くを語らない家康の態度から、直政は主が置かれている現状を的確に推理した。

 軍議の席で、直政が話して聞かせた家康の下知の思惑は、こうであった。

 既に三ヶ月近くに渡った長対峙で、秀吉旗下の諸大名の士気は大いに下がり風紀も乱れがちであった。

膠着状態が続く中、秀吉は浅野長吉ら配下の武将や、徳川勢の本多忠勝、榊原康政、鳥居元忠、平岩親吉らに、北条家に従う武蔵、下総、上総の諸城の攻略を命じていたが、その諸城の多くが、一戦も交えることなくあっさり開城してしまうので、命じた秀吉が激高した。

実は秀吉には、北条が滅びた後は、その支配地関東に家康を封じるつもりがあり、北条恩顧の諸城の攻略は、この地を戦いにおいて大いに荒らし、また殺戮し尽くすことで、国人衆の恨みを新たな領主の家康に向けさせるためのものであったからだ。

そうした思惑があった秀吉なれば、北条恩顧の国人衆の諸城が、本多ら徳川勢によって殆ど無血で開城されて行く様を見るのは不愉快極まりなく、激高したという訳だった。

 そんな中、新たな無理難題が、秀吉より家康に齎される。

「かつてかの武田信玄と上杉謙信の両雄が、競って仕寄り外郭一つ崩せずに退いた小田原城。彼等は遠国の一大名家であった故致し方ないが、余の兵は天下の軍。同じ仕儀では沽券にかかわる。此処は是非、戦上手の徳川内府のお手並み拝見と行きたいものじゃ」

 そう、あざとく命じて来たのだという。

「猿めの思惑は、腹立たしいことこの上ないが。考えようによっては、当家にとっても好機であるやも知れぬ」

 家康は嘆息しながらも、直政にこう告げたという。

 家康曰く、小田原城を包囲する豊臣方の諸侯は殆ど実戦を行ってはいない。また籠城する北条方も、武蔵・下総・上総の支配下の諸城の相次ぐ開城に浮足立ち戦意を喪失している。

 このままでは何時内部分裂を起こして降伏するかも知れず、そうなれば、わざわざ秀吉の臣下に下ってまで参陣した意味が無くなってしまう。此処は是非、徳川旗下の者に白兵戦による華々しい武功を挙げさせ、徳川家中の勇猛さを世に知らしめたい。それには、直政の井伊隊こそが相応しい、と。

―何ともこれは、難しい下知を、お屋形様は我が殿にお命じなられた事よ・・・・・・・っ。

 直政からの大まかな話を聞き終わった近藤は、そう唇を噛んだ。

 実際の曲輪攻めを、家康の意を汲んで下知された直政からすれば、これは大変難儀な仕事であった。本多忠勝らが、武蔵や下総で北条恩顧の国人の城を無血開城している事とは、次元が違った。

 まず、舞台は大本命の小田原城。北条本家が領民を含め七万以上篭り、それでも一年以上籠城することが可能な食料と武器弾薬を溜め込んで雌伏する天下の名城である。

 家康はじめ豊臣秀吉に忠誠を誓った旗下の諸侯が二十万近い大兵力で取り囲んでいても、未だ落とせていない難攻不落の城であった。

その小田原城の江戸口の篠曲輪程度の場所を攻め取っても、とてもそれで小田原城本体を落とすことは適わない。苦労の大きさに比べ誉は真に少ないというしかなかった。

 しかも徳川勢の名を背負って仕掛けてもし

直政が仕損じれば、小田原攻めに馳せ参じている豊臣方の諸侯らに、直政の主である家康は大いに恥をかくことになる。

―万に一つでも仕損じいたさば。我が殿の性格ならば、その場でお屋形様に腹切ってお詫びするに違いないっ。

 己自身が対立しているが故、井伊家中の誰よりもより強く直政の性格を熟知している自負のある近藤は、真っ先にそう思った。

―そんな事は、直親様のお子である我が殿にはさせられぬっ。

 未だ、直政にはご正室花の方との間に、嫡子となる男児はいない。姫が一人いたが、直親の血を継ぐ正当な井伊家の嫡子は未だこの世には存在していないのだ。

 こんな所で直親の子直政を犬死させる訳には行かない。直親が繋いだ井伊家の嫡流の血筋は、けして絶やす訳には行かない近藤であった。

「さて、江戸口の篠曲輪攻めの段取りを如何致すかじゃが」

「されば先手には井伊家中の中でも特に、年若い者共を集めては如何」

 直政列席の軍議の末席で。家康から遣わされた旗本衆の稲垣長茂の問いに、近藤は意見を述べた。

「して、その意義は?」

 日頃、反目しがちの近藤の意見具申に、興味をそそられた風の直政が、黒目勝ちの瞳を見開いて、近藤に重ねて問う。

「若衆中心の先手ならば、功を焦った若輩者の仕業なればと、万一仕損じても大目に見られましょう」

「・・・・其方の口から言われると、何やら我に対する皮肉のようにも聞こえるが。良き策じゃ」

 白皙の片頬に淡く漂う微笑を浮かべ、直政が満足そうに近藤の方を見た。

「して、その先はどうする?実は先の新月の夜、、城兵が見張りも置かず寝静まっておる間に、橋へよじ登ってみて改めたが、橋桁が緩み切っており、大勢が一時で渡れば川中に転落するおそれがあるぞ」

 そう、ケロリとした顔で直政は宣うた。

「なっ、何と、殿自ら物見に出掛けられたのかっ」

「何という軽挙なっ。お慎み下さいませっ」

 座に集った一同は驚愕して、口々に直政の軽率な行動を咎めた。

「しかし、お屋形様が、『橋が、橋が』と、某の顔を見る度、煩いのよ」

 全員に批判され、少々立腹したような口調で、直政がブスリと応じる。

「殿っ。そのような問題では、御座いませんぞっ!」

「そうじゃ、そうじゃ。そもそも一軍の大将たるべき者は・・・・・」

 またしても、直政と木俣ら重臣達の間で、何時もの口喧嘩が始まった。余りに毎度過ぎる事なので、それを末席から眺める近藤などからすれば、何やら重大な決定事の前座のような感さえある。

―何ともまあ、相も変わらず血気盛んなお方よ・・・・。

 幾つになっても変わらない。その直政の血気盛んさが、最近の近藤には何やら可笑しくも可愛くも思えてしまう。

―どれほど武功を立てられようが。やはり殿は、小姓装いの頃の、小生意気な万千代のまま。その一本筋が通った小生意気さも、いっそ潔いではないか。

 徳川家中でどれほどその地位と存在感が増して行っても。けして直政は、戦場で後方には控えない。何時も大将自ら先陣を駆け、野戦でも城攻めでも変わらず、無謀とも取れる単騎駆けを行う。側近の者が幾ら、「危険だ、短慮に過ぎる」と諫めても、お構いなしだ。

 最初は近藤自身も、何と浅はかな小童かと、呆れ返ってそんな直政の単騎駆けを見ていたが。最近は、寧ろその浅はかさが、実は直政らしい独特の熟慮の上の事ではないかと、そんな風に思うようになっていた。

―我が殿は、自ら進んで死地に踏み込んで行く事で、寄せ集めの感のある井伊隊を、無理矢理一つに纏めようとお考えなのでは?

 直政の井伊隊は、井伊谷衆、甲州衆、家康直属の直参衆に、直政個人と姻戚関係にある古くからの井伊家の家臣数人と、その成り立ちは混成部隊の感が強い。言うなれば寄せ集めの隊だ。

本田忠勝や榊原康政らの生粋の三河者達だけの隊に比べれば、その団結力や忠義心はどうしても劣ってしまう。

そもそもその成立理由自体が、直政の井伊家の基盤の弱さを危ぶんで、家康が敢えて赤備えの甲州衆や、自らの旗本衆の木俣らを配することで、直政の井伊家を盛り立ててやろうと成立させた隊であった。当然、扱い難さは、徳川の諸隊の中でも一番だろう。

―そう考えれば、我が殿は若輩者ながら、ようやっておる。

 徳川家中一扱いにくい隊を率いて行くためには、その将には多少の強引さ、傲慢さが、時として求められる。勇猛さは無論だ。

―亡き直親様と瓜二つの、その花のような顔で。我が殿は我等を自身の手足のように使うために、敢えてこれ程、血気に逸り、将でありながら常に部下共と一番槍を競う様な、強引傲慢な主君を演じておるのではなかろうか?

 八年近い歳月を、互いに角突き合わせ過ごしてみて。最近初めて近藤は、直政の短慮の意味を漸く悟ったような気がしていた。

 そしてこれは何も、近藤一人の思い込みではなかった。

 小牧・長久手の戦の後の、太閤との付き合い方や、豊臣恩顧の大名方に対する折衝事では、必ず家康は直政にその取次を任せていた。 大政所の饗応・警護役などもそうだ。

 おそらくは、生粋の三河者にはない直政の、優れた外交手腕に期待してというところであろうが。その軍事だけではない知略、外面の良さ、何より上品で典雅なその容姿の美しさを重宝して、家康は直政を他の譜代家臣以上に頼りにし、また今もって寵愛しているのだろう。

「では、川を渡っては」

「徒歩で渡れば、時が掛る。忽ち城兵から鉄砲で撃たれるぞ」

「ならば舟は?舟橋を予め用意しておいて」

「おお、それが良い」

「して、時期は何時にする?」

 軍議では盛んに与力らの意見が戦わされる。

その様子を上座から、一人満足そうに眺める直政には、すでに胸中に秘する策があるのだろう。

―もし仮に、戦場での態度も我らに対する仕置きや処遇も、すべて真に演技ならば。それこそ、なんと空恐ろしくも英邁な主君であろうか。このお方は・・・・。

 勿論、生来の気性の強さは本物だろう。ただ荒さだけではない、知的さ、冷静さも、きちんと直政は持ち合わせている。十分以上に。戦場や部下の前では敢えて、それらを封じて見せているだけだ。

 そしてそれこそが、かの直親様にも通じる高貴な井伊の血のなせる業かと。最近殊に、そんな風にも思う近藤であった。

「大雨の日なら、城兵の目は欺きやすいが、水流が増すと渡河が難しい」

「夜討ちじゃ」

 上座から一言、キッパリと直政が告げた。

「ここは夜討ちしかない。夜陰に紛れ、舟橋を用いて川を渡る。決行は明日の夜じゃ」

 城を包囲する豊臣方の諸侯の耳目を集めるならば、夜討ちよりも白昼、堂々と曲輪に取りつき乗り込む姿を見せる方が、派手であり徳川旗下の戦意も高揚する。

しかしその分、仕損じた時の代償も大きい。直政は、名誉よりも確実に攻略することに主眼を置いている。こうした点からも、稚拙な愚将とは明らかに異なる直政の英知が垣間見えた。

―いやはや、まったく。これでは、儂の独り相撲の片思いじゃな。

 すべてが、直政一流の知略。扱いにくい部下達を掌握する為の演技であるとしたら。

 八年も前からその掌の上で転がされ、良い様にあしらわれて来た己のなんと滑稽で、馬鹿な事よ。これではまるで、叶うことのない相手に対し、一人懸想する片思いのようではないかと、己のことを思ってしまう近藤である。

―まあ、昔の儂が、直親様に片思いしておったのは事実じゃがの・・・・・。

 そう。何時だって己は、高貴な井伊の血を引く御曹司に、一人懸想し、片思いする哀れな男であった。

―だが、そんな役回りも、嫌ではないわ。

この先、直政が更に一層徳川家中で、重きを置く身分となるならば。そのためには喜んで道化者の役目を果たしてやろう。そんな風に思い定める近藤だった。

ただ、己一人が道化となるのも癪なので。

軍議が終わった後。退出する直政の後を追い、擦れ違いざまそっとその傍らで、

「殿は真に、謀るのがお上手ですな」

 揶揄する口調で、そう近藤が告げれば。

驚いたように振り返った直政は、何時もの近藤が見慣れた傲慢な表情をかき消し、その白い面から一切の表情を取り去って、唯無言で暫くじっと、近藤の顔を見詰めて来た。

初めて真正面からこれほど側近く、直政の顔を覗き込む機会を得た近藤は、思わず内心で、ほうっとため息を吐く。

直政の黒目勝ちの美しい瞳に、叡智の光が宿っていた。

―素では、そのようなお顔をなさるのですな・・・・。

 このような直政の思慮深い本当の顔を見たことがあるのは、井伊家中では一体誰なのか。

筆頭与力の木俣か、近侍の小野か。それとも最近直政の覚えが良い、甲州衆の広瀬や三科の辺りだろうか。

―羨ましい・・・・。

 ただ、その名も知らぬ相手の事が、ただただ羨ましい近藤だった。

 不意に、真正面から近藤の顔を見詰める直政の秀麗な面に、白い花が咲くような微笑が広がる。

やがてー。

男のものとしては些か艶があり過ぎる声音で、

「謀るとは、穏やかではないな?だが、儂には何のことか判らぬ」

 それだけ言うと、直政は素っ気なく近藤に背を向けた。

 本当は、すべて判っている癖に。そして、八年越しに自分の謀に漸く気付いた愚鈍な近藤のことを、内心では嘲笑っているだろうに。

 そのような事を一切面に出さぬまま、ただ美しい微笑だけを残し、直政は近藤の前から立ち去って行った。


   ※ ※ ※


 六月二十二日、深夜―。

 夕方から降り始めた雨脚が強まり、風が吹き荒れた。横殴りの雨で、一間先の視界も定かではないような嵐であった。

 井伊隊が陣を布くすぐ傍の、蘆子川も折からの雨で増水し、氾濫した水が城壁の方へ流れ込んだ。堅固を誇る小田原城の土居の一部が崩壊し、その勢いで塀も柵も倒壊してしまった。

 寄手にとっては、これは何よりの幸運だった。

「これは好機っ。今こそ、篠曲輪を陥れ、敵の本城に斬りこむべし!」

 翌晩の攻撃を前に準備していた陣屋で、近藤は直政に向かって叫んだ。

「承知。すぐに舟橋を持って参れっ」

 同じことを、直政も既に考えていたのだろう。翌晩使う筈だった小舟を用意させると、逆巻き暴れる蘆子川の川面へ並べさせる。

 舟橋とは小舟を一艘ずつで川を渡るのではない。舟と舟を金具と紐を使って縁同士繋ぐように縛って、これを数十並べ、その上に板を敷いて臨時の橋として利用するのだ。

「このような悪天候の中、川を渡るは危険では?」

 川面が荒れているのを見て、筆頭与力の木俣が心配そうな顔で、直政に進言していたが、端から聞くような直政ではない。木俣の方もそれを承知した上で、「油断なさるな」という意味を込め、敢えて声を掛けているようだった。

―ふんっ。阿吽の呼吸という訳か。

 おそらく木俣にも判っているのだ。戦場で、殊更、直政が猛る理由が。それが近藤には、少々面白くない。

「かかれっ!」

 直政の怒声と共に、近藤の息子の季用と向坂業実が先を争って舟橋を走り渡り、篠曲輪に乗り込んでいく。

「行けっ、季用っ。一番槍じゃ!」

 季用は篠曲輪で、敵方の足軽大将小屋甚内を倒し、見事井伊隊の一番槍を挙げた。

 息子が手柄を立てたことに嬉しさを感じつつ、近藤自身も舟橋を渡り、篠曲輪へ飛び込む。朋輩の鈴木重好も一緒であった。

 数人と斬り合っただけで、呆気なく篠曲輪は井伊隊の占領となった。

「これは最初の一歩に過ぎぬっ。江戸口の本城を落としてこその城攻めである!」

 篠曲輪へ渡った直政の激で、近藤達は周囲の板張りを剥がし、即席の筏を組み上げると、それを並べて本城の塀へと迫り、用意していた丸太で城門を打ち破って、遂に城内に突入した。

「そちたちは、この地を死守せよっ」

 直政の指示で、西郷正員と椋原正直が、兵三百ずつを従えて退路となる城門の左右に控えた。

 此処に至って、事態を悟った北条方が、城壁のあちらこちらから、鉄砲を放って来た。

「殿っ、何をなさっておいでか?!」

 その矢玉をかい潜り、城門から先の城内へと足を踏み入れようとしていた近藤は、ふと傍らを見て、大声を上げた。

何と大将である直政自身が、敵方に討たれ地面に倒れた井伊家鉄砲隊の足軽の死体から鉄砲を取り上げ、火薬を満たして盛んに引き金を引いているのだ。その銃口の先では、北条方の伏手がバタバタと将棋倒しのように倒れていく。見事な腕前だった。

と、近藤の目の前で、直政の掲げる鉄砲が暴発した。

「チッ」

 舌打ちと同時に、直政が手にしていた鉄砲をその場へ投げ捨てると、自身の左腕を右の手で押さえた。見る間にその掌が真紅に染まる。


「殿っ、お怪我をなさったのですかっ。ここは我らに任せて退かれませ!!」

 そう叫んだが、勿論、素直に聞くような直政ではない。

「かような怪我など、怪我のうちに入らぬっ」

 子供のような屁理屈を捏ねて、直政は血塗れの右手で太刀を握り締めると、さっさと先に立って城内へと駆けこんでいく。

「まったく。二十歳そこそこの小童の頃と、何ら変わらぬお方じゃっ」

 手負いの主を一人で先に行かせる訳にはいかなかった。

 近藤は己の刀の柄を再度握り直すと、足早にその後を追う。

城内を駆け回り、次々に敵を斬り伏していく直政の傍らで、時に盾となり、時に背後を守りながら近藤も夢中で刀を振るった。

「鬼じゃっ、赤鬼じゃっ」

 小牧・長久手での直政の赤備えの武具は敵味方の双方に知れ渡っていた。

 出合い頭に相手の首を太刀一振りで刎ねる直政の姿を見た敵方は、震えあがって直政のことを強がった。

―どちらかと言えば、小兵の部類に入るお方であるに。この獅子奮迅の働きぶり。まさに阿修羅神のようじゃ・・・・。

 直政の剣は、井伊谷の龍泰寺に預けられていた幼少期には、剣の達人でもあった大叔父の南渓瑞聞が直々に指導し、家康へ仕官した後は南渓の高弟子今村藤七朗らに教えを受けていた。

彼等が直政に教えた剣技は、何々流派というものではなかったが、戦場往来で培われた実戦向きのものであり、打ち込みが極めて厳しく瞬発性に優れていた。身が軽く動きの素早い直政向きの戦い方であった。

井伊隊に続いて、松平安重の隊も江戸口の本城に乗り込んで来た。

と同時に、郭内の各所から火の手が上がった。敵方が、松明を放って、応戦し始めたのだ。指揮するのは江戸口本城の守将山角定勝らであった。

「深追いは無用っ。崩れ際の首を取れっ」

 新手の敵が来た。毎晩、城内を見回っている北条方の巡回組であった。その数、総勢六百。

「お屋形様に後詰を頼んでおかなかった儂の失態じゃ」

 近藤の耳に、口惜しそうに呻く直政の声が聞こえた。急遽、突入の日時を変えたので、家康の本陣に後方支援を頼む暇がなかったのだ。

 あと一歩で、江戸口本城は落せた。しかし直政ら寄手は暴風雨の中、一刻以上戦い、かなり疲労していた。そこに無傷の新手が現れたのだ。長居をすれば、敵方の兵の数は更に増え、こちらの損害は大きくなるばかりだった。

「潮時じゃ。退き貝を吹かせよ」

 直政の命で、撤退を告げるほら貝の音が周囲に響き渡った。直政の下知を受け、井伊・松平隊が退却を始める。

―予想以上に引き際が良い。やはり何時もの血気に逸る様は、演技か・・・・・。

 援軍を得て勢いを取り戻した山角ら敵側の追撃は厳しかったが、予め直政が控えさせておいた城門付近の西郷・椋原らの擁護、そして後詰めの木俣の睨みもあり、井伊隊松平隊共に、壊滅的な打撃を被ることなく、速やかに撤収した。

 戦果は、五分五分であった。四百余の敵兵を討ったが、三百近い味方を失った。三月近い小田原城攻防戦では、最大の激戦となった。

「殿、お怪我の具合は」

 井伊隊の陣へと戻る途中、近藤は隙を見て直政に声を掛けた。

「大した傷ではない」

 そう答えた直政だが、その顔色は蒼白だった。暴発した鉄砲で裂傷を負った左腕は、籠手もその下の直垂の袖も出血のせいで真っ赤に染まっている。

「早急に手当てを」

言いかけた近藤であったが、それはならなかった。陣に戻ると既に家康の使者が直政を待っていた。

「お呼び出しじゃ。行って参る」

「せめて手当をしてからに、なさいませっ」

心配性の木俣が、直政の左腕とその蒼白な顔色を見て、盛んに勧めたが。

「要らぬ。万一、腹切ってお詫びせねばならぬ際は、手傷の手当などしておれば、却って臆病者よと嗤われよう」 

 今回の城攻めは、家康の暗黙の下知の下の戦いであるから、まさかそれほど厳しいお咎めはない筈であったが、直政本人は江戸口本城を落とせなかったことが、やはり相当口惜しかったとみえた。

「しかしっ、そのように大量の脂汗をかかれて」

「くどいっ」

「侍従殿っ!」

―何を、痴話げんかのような事をしておるのじゃ。あの二人は・・・・。

 呆れる近藤の目の前で、手当をせよと迫る木俣を、煩そうに直政が退けている。

 最後は喧嘩腰の言い合いの雰囲気で、直政と木俣の二人は衣服を改める暇もないまま、急いで家康本陣へと向かったようだった。

「かの武田信玄も、上杉謙信も成し得なかった事を、我が殿は成したのじゃな」

 その声に振り返れば。

自分同様、雨に濡れ煤と返り血に汚れた同じ井伊谷三人衆の鈴木重好が、興奮したような顔で立っていた。

「小童、小童と我らが嘲っている間に、随分と大きな男になられたものじゃ。井伊侍従直政殿は」

 それは、偽らざる近藤自身の思いでもあった。

 実際、直政は、膠着状態の戦況に倦んでいた寄せ手側の諸侯の横っ面をきつく打擲したのだ。

敵味方共に損害を出し、城内に留まれず退却したことで勝ち戦とはならなかったが。敵城内に乱入し奮戦した直政の井伊隊の働きぶりは、寄せ手側の弛緩しきった空気を一掃した。それには大きな意味があった。

家康も陣に呼んだ直政を叱責することなく、逆にその左腕の傷に大いに慌て、手ずから自身で調合した薬を、直政の腕に塗ったという。

直政は翌日、奪った敵兵の首を家康経由で箱根湯本早雲寺の秀吉本営へと送った。

 後日、秀吉の本営から、直政旗下の勇士に直ちに出向くよう命令が届き、近藤の嫡子季用も家康、直政に従って、朋輩の向坂業実らと秀吉の御前に謁し、賞詞を賜った。

 秀吉は直政の篠曲輪攻めを、

「長期の城攻めに退屈しておった所、味方より仕寄って覿面の勝負をしたのはこの一戦のみにて。これにより退屈を散じ、いささか清涼の気を味わった。大儀であった。褒めて遣わす」

 と、最大限の賛辞で称えた。

 

その後、小田原城に篭った北条方は、支配地域の国人領主が有する諸城が、次々に開城したり、落城したことに動揺。

遂に七月五日、当主の北条氏直は城を抜け出し岳父である家康の陣を訪れ、降伏の意を告げた。

翌七月六日。小田原城は開城し、当主の氏直は高野山へ追放された。

十一日、氏政・氏輝ら北条当主の叔父達が、この度の戦の責任を取って切腹。ここに北条早雲以来、およそ百年続いた北条家は滅亡した。

七月十三日、秀吉は小田原城の主殿で論功行賞を行った。

「此度の関東攻めの功は徳川大納言が第一。よって北条が旧領のうち、伊豆・相模・武蔵・上野・上総・下総の六か国を与える」

 家康が新たに与えられた関東の石高は二百五十五万石だった。実に百三十万石以上の加増であった。

 秀吉は大名に新しく知行地を与える際、旧領は没収する。これは大名と領民との密接な地縁を絶やすことが狙いであった。

 新領地の領民達はなかなか新たな領主には馴染まず、無理に言うことを聞かせようとすれば、一揆を起こす。叛乱が起きれば、秀吉はそれを理由に、新領主を罰し領国を没収する。

 一見目出度いことに見える家康の関東転封の裏にも、そうした秀吉の周到な狙いがあった。

 秀吉は七月十七日、奥羽討伐の為小田原を出立した。徳川家中はこれを見送り、その後国替えの準備のため領国へと戻った。その一行の中に近藤の姿もあった。



  ※ ※ ※


 井伊谷城下の屋敷で、新たな井伊家の知行地箕輪への引っ越し準備をしていた近藤秀用の許へ、同じ井伊谷三人衆の一人の菅沼が何とも微妙な顔つきでやって来たのは、八月中旬の事だった。

浜松の家康から、関東転封に伴う徳川家中への知行割りの沙汰があった数日後のことである。

「お屋形様への帰参運動?」

「ああ。この度の関東転封に伴い、与力衆の中から、丁度良い機会であるからこの際井伊家を離れ、お屋形様(家康)の旗下へ戻して頂こうという輩が出て来ておるようじゃ」

 その話は無論、近藤も知っていた。だが北条攻めの際の華々しい直政の武功で、その話は立ち消えになったものとばかり思っていた。

「あの話は、立ち消えになったのではなかったのか?」

「いや、それがな・・・・・」

 何とも曖昧な表情で、菅沼が首を振る。

 元々、井伊家の戦力の中枢を担う与力衆の殆どは、直政が大名格となった際、家康から配された御家人達であった。

 彼等は直政の旗下で戦いに参加するが、あくまでも身分は家康の直臣。井伊家中の中で真に直政の家臣と言える者は、今もって家老で親族の奥山朝忠、近習で同じく親族の小野朝之と中野三信・直之親子ら、いずれも井伊家の分家筋にあたる者数人だけである。あとは直政の実母の再婚先の松下景清くらいか。

「立ち消えになるどころか、今度の殿の武功でお屋形様から、新規の与力も新たに多く遣わされて来たので。古株の者共は却って勢いを増して帰参運動を始めるつもりらしくての・・・・」

 要は新たに自分達の代わりが来たので、古株の自分達は家康の直臣に戻して貰おう、という事らしい。

「誰が最初に言いだしたのだ。そのようにふざけたこと」

 近藤は、菅沼の話に不機嫌に眉を顰めて問い返した。

この度の知行割りで、近藤の主君直政は井伊谷六万石から倍の上野、箕輪十二万石へと移封されることに決定していた。これは譜代の本多忠勝や榊原康政を二万石をも凌ぐ、徳川一門筆頭の扱いである。家康が如何に、家臣団の中でも直政のことを頼りにしているか、この扱いを見れば一目瞭然だった。

―それなのに何が不満で、今更殿の元を去ろうとする輩がおるのか。

 己自身がつい数か月前まで、同じような態度を取っていたことは棚に上げて、近藤は一人不機嫌になった。

彼自身は先の小田原攻めで、改めて直政の知略と武勇が他の譜代家臣らを圧倒している様を目にして、直政に対する見方が百八十度変化していたのだ。

「・・・・筆頭は、旗本直臣の西郷正員と椋原正直辺りらしいが・・・・・筆頭与力の木俣守勝も、賛同しているらしい」

「何っ、木俣までもが?あ奴は殿直々の希望で、殿の従姉を嫁に貰っておる間柄ではないかっ」

 俄かには信じられない近藤だった。

 親戚筋というだけでなく。日頃の直政と木俣のやり取りを見聞きしていた近藤には、彼ら二人の関係は臣君の垣根を越えた、もっと親しい間柄に見えていたからだ。

菅沼にもそんな雰囲気は判っていたのか。

「いや、木俣の場合は、他の旗本直臣の二人とはちょっと事情が違うようでな」

旗本直臣とは、徳川家中の家康直属の親衛隊や近習達の中で、石高一千石から九千石までの上級武士の事を指す。(一万石以上が大名格)井伊家中でいうと、木俣守勝、西郷正員、椋原正直、松下景清がこれに当たる。重臣中の重臣達だ。

「事情が違う?」

「ああ。西郷と椋原は、三河譜代の自分らが、何時までも遠江の井伊家の風下に置かれていることが不満らしいが」

「ふん。ケツの穴の小さい者共だ」

 己もつい最近まで、同じような事を言っていたことは、すっかり忘れ果てている近藤だった。

「で、木俣は?奴の帰参理由は何じゃ」

「・・・・殿との、痴話喧嘩かの」

「痴話喧嘩じゃと?」

 そうとしか言いようがないのだと、苦笑いしながら菅原は続けた。

 この日登城日だった納戸方の菅沼は、井伊谷の城で直政の移封に関する資金繰りを担当する部署にいるのだが、急遽直政自身の決済を仰がねばならない案件があり、直政の居室のある奥書院へと向かったのだという。

「殿は小田原攻めで負った左腕の怪我の直りがはかばかしくなく、今朝は少し微熱もあった故、居室で休んでおられたのじゃ。それを聞きつけた木俣が心配して、御機嫌伺に伺候しての。その際どうした弾みか、『そもそも今回のこの怪我も、元はと言えば大将自らが城内に斬りこむなどした故云々』と、また木俣の小言が始まって。『箕輪移封後は、暫く大人しく寝ておいて下され』と進言したのに、殿が大いに反発されて。『何を言うか。箕輪は十二万石と言うが、その実どれほど年貢が取れるかも判らん。かの地に着いたら早々、儂自ら検地を行う。奉行衆には任せられぬ』と言い出して。それに木俣が激怒した」

 小田原の江戸口篠曲輪攻めで左腕を負傷した直政は、傷口の治りが思ったよりも遅く、その後幾度か発熱していた。

もともと線が細くけして身体強健といった風ではない直政は、これまでも戦の後、疲労のせいであろう。幾度か高熱を発することがあり、筆頭与力の木俣はそのことを何時も心配していた。

一方で直政の方は、嫋やかなその外見が虚弱と見られるのを何よりも嫌っていたので、怪我や体調を気遣われることを何よりも煩がっていた。

例えばこんな話がある。

直政は戦場ではいつも、重厚で飾りの多い鎧を身に着けているので、もっと軽装の動きやすいものにするよう戦上手の本多忠勝が忠告した。だが、直政は頑として頷かなかった。

背丈が六尺以上もある屈強な忠勝と比べ、直政は自身が痩身なのを隠すため、殊更重厚で猛々しい飾りのついた具足を好んだとも言われている。

「で、売り言葉に買い言葉で。木俣が『そのようにご自分の命を大切になさらぬ方だからこそ、家臣の命も容易く手討ちと称して奪われるのじゃ』と言い、『近頃巷では、殿のことを《人斬り兵部》と呼ぶ者も多いとか。そのような悪名の立つお方のお側にはお仕え出来ぬ』と続けたものだから。殿の方も引っ込みがつかなくなって、『頼んで仕えて貰おうなど、誰が思うかっ。去りたければ去ればよい。さっさと浜松でも江戸でも行って、お屋形様の直臣へ戻れっ』と怒鳴って」

 そのまま足音も高く居室を出て行ってしまったという。

―いつもいつも、同じような事で衝突しおって。成長のない奴等じゃ・・・・・。

「で、どうするのだ。お主は。筆頭与力の木俣まで、お屋形様に帰参願えば、他の多くの与力衆も挙って従うであろう」

 何をやっておるのだ、殿も木俣もと、ため息を吐きつつ、近藤は朋輩に尋ねた。菅沼がこの日近藤を訪ねて来たのは、自分達の進退を如何にするか、同じ井伊谷三人衆として相談する為であろうから。

「どうしたものかと、思うての」

 浮かない顔の理由は、菅沼自身随分悩んでいるかららしい。

「甲州衆の広瀬や三科は、殿の下に残るようじゃ。奴等は先の小田原攻めでの殿の格別のご活躍を間近で見て、やはり徳川譜代筆頭は我が殿じゃと、言うておる」

 それが当然の意見だろうと近藤も思った。

「武田衆の川手良則は、殿の姉上篠様の夫故、残留。今川から来た三浦元貞も中野三信も、木俣同様新野の家から妻を娶っておるから残留は固い。北条旧臣の石原吉次、横地吉春らは新参者故、様子見というところか」

 つまり、今回の帰参騒動の中心となっているのは、木俣、西郷、椋原ら家康直属の旗本衆出身の古株の与力達と、新たに配された旧北条家出身の与力達いうことになる。

「甲州衆以外は、残るのはほとんどが、殿と血縁関係にある者か、新たに婚姻で縁を結んだ者ばかり。正直、戦場での働きは今一つの者も多い。だが一門じゃ。あの短気な殿でも、まさか親戚筋の者を刀の錆にはなさらぬ」

 だから残留する者が多いのだと、菅沼は言った。

「殿はご気性が荒い。ご自身の能力が、戦闘でも取次(外交交渉)でも桁違いに高い故、家臣らに求めるところも大きい」

―要は人心掌握がお下手なのじゃ。些細な失敗に激怒なされ、すぐ激発して刀を抜く・・・。

 直政の短気な性格にはこんな逸話もあった。

 東陸奥で九戸一揆が起こった時の事。秀吉の命で家康旗下の武将達に、この一揆鎮圧に向かえという下知があり、徳川家加勢の大将として、直政が出陣した。

 ある時、井伊家の陣中から馬が逃げ出し、馬廻り衆の加藤新左エ門がこれを追いかけた。 

近隣の農家の垣根を飛び越え畑を蹂躙した馬に、農夫は驚き怒り、追いついた新左衛門に、『垣根の貝珠を蹴り散らかされた』と訴え出た。それを聞いた新左衛門は、『垣根のどこに貝があるのか』と農夫を嘲笑った。

これに対し年老いた農夫は、

『和歌では露に濡れた蜘蛛の巣のことを《貝珠》という。其方も、其方を雇う主も大した者ではないな』

 と、新左衛門の無知さと、主である直政の監督不行き届きを蔑んだ。

 これを知った直政は、新左衛門に、

『戯けが。主に恥をかかせよって』

と、大層激怒して、手討ちにしてしまった。

 これは無知無学な加藤新左エ門が咎められるべき出来事であったが、いきなり手討ちにした直政も少々短気が過ぎた。

 幾ら戦国の世とはいえ、戦場で露と散るは兎も角、戦場以外で殿様に些細な事で首を刎ねられては適わない。井伊家中でこの新左衛門の話が伝わると、直政の冷酷さを恐れる人々は、明日は我が身かと震えあがた。

―亡きお父上の直親様とは、我が殿はその点が大きく違う。

近藤の記憶の中の直親は、生まれながらの人たらしというか。あの美しい黒々とした瞳でじっと顔を見詰められニコリと笑い掛けられれば、それだけで多くの者達が自ら進んで直親の掌に飛び乗って、コロコロ転がされるようなお方であった。

―孤独なのであろうか。あそこまで、容姿、才能、知略、武勇、すべてに優れるというのは・・・・・。

 人の羨む多くのものを持ちながら、直政は誰よりも孤独なのかもしれないと、この時近藤は思った。

「しかし我が家中の戦力の中枢ともいうべき与力筆頭の者共が、お屋形様直属の旗本へ戻ろうと密談しているとなると。もしそれが叶えば井伊家の戦力はガタ落ちじゃ」

「ああ。だから儂も悩んでおる。我等井伊谷三人衆は、一門ではない。だが、色んな意味で、我等と我が殿とは因縁がある」

 井伊谷三人衆は、元々は井伊家の被官の家柄。直政の上祖父直平には、随分と目を掛けて貰った者達の末裔である。

 しかし井伊家の没落後は、その窮地に目を背け、早々今川、そして徳川へと鞍替えして来た歴史もあった。

 戦国乱世の時代。主家の窮乏より、己の家の存続こそが第一。誰に咎められる謂れもない先祖たちの行動ではあったが。後味の悪さ、後ろめたさは否めないというのが、近藤や菅沼たち井伊谷衆の本音であった。

―さて、どうするか・・・・・。

 何とも悩ましい問題だった。


 解決策は、思いもかけないところからやって来た。重臣達に逃げられそうになっている当の直政の方から、近藤へ呼び出しがかかったのである。

 居室で近藤と向かい合った直政は、羽織袴姿ではあったが、やはり体調がおもわしくないのか。延べさせた床の上に座り脇息に凭れ掛かっており、何時もの覇気が薄かった。

「数多の与力共が、お屋形様への帰参を望んでおる。しかし彼奴らの望みを叶えたら、我が家はたちどころに軍役に事欠く身上となり果てる。其方、何か良き案を講じよ」

 最初から、近藤自身の帰参はないものと過信しての、大上段に構えての直政の下命であった。

「・・・・某が帰参を望むとはお考えになりませぬのか」

「望むのか?それならば別にそれでも良い。お屋形様には既に、我が家中より帰参を願い出ても、お聞き届けにならぬよう言質を頂いておる。牢人する覚悟があるなら、好きにせよ」

 つまり、井伊家を離れ家康の直臣に戻してくれと家康に願い出ても、許されないという事だった。与力衆の密議はとうの昔に、直政の知るところとなっていたのである。

 白い花が綻ぶように、直政が片頬だけで微笑した。

 黒々と輝く瞳に酷薄めいた色が過る。亡き直親に瓜二つの美しい二重の瞳なのに、そこに宿る光の色は真逆だった。

「時代は、変わった。何時までも三河譜代だ何だのと、己の生まれや血筋にのみ拘る思慮の浅い者の末路がどうなるか。其方も自身の身で試してみるか?」

 熱が高いのか。気だるげにこめかみの後れ毛を撫でながら、直政が重ねて近藤に告げる。

「しかし幾らお屋形様の言質を頂いておっても。儂の旗下から離れたいと思う輩が、この先、戦場で真の働きを為せるとは思えぬ。今更旗本衆への帰参を願っても無理だと、心底彼奴等に思い知らせるため、其方も一肌脱げ」

 要は、今更家康の直参に戻りたいと願い出ても無駄なのだと、家中の者達に直政は思い知らせたいというのだ。その片棒を担げと、そう近藤に迫っているのだった。

「何故、某に?」

 それ程己が直政に、買われているとは思えない近藤だった。

「其方、前に言うたではないか。『殿は真に、謀るのがお上手ですな』と」

―ああ。あの時のあの言葉を覚えていたのか。

 それは小田原城の篠曲輪攻め前夜の事。日頃の部下に対する短慮さや戦場での血気に逸る直政の行動が、実は周到に考え抜かれた演技ではないかと疑った近藤は、直政に鎌をかけてみたのだ。『謀るのが上手だ』と。

 てっきり激怒するかと思った近藤だったが、直政は不敵な笑みを浮かべただけで、何も言わずにあの場を立ち去った。だから近藤も、自身の読みが正しかったのだと確信したのだった。

「儂の演技に気づいたのは、其方が初めてじゃ。なので此度は、其方も付き合って欲しい。儂の謀り事に」

―なんとまあ。いけしゃあしゃあと言われるものよ。仮にも家中の者共を主君が謀るとは。しかも儂が断るとは、露とも思うておられぬ・・・・・。

 だがこの直政の腹黒さ。大胆不敵さが、近藤は嫌いではなかった。寧ろ、徳川譜代筆頭ならば、このくらいが頼もしい気さえする。

「で、某は如何いたせば宜しいので」

「お屋形様への帰参の意を示せ」

「旗本与力衆の企てに乗れと仰せか」

 これには近藤も驚いた。まさかそのような事を命ぜられるとは思ってもみなかった。

「しかし、願い出てもお屋形様はお許しになられぬのでは?」

「なられぬ」

「では、某に同調する者達は・・・・・」

「さよう。お屋形様は許されぬ。そうすれば他家に仕えるか、恥を忍んで儂に泣きついて来るかのどちらかしかあるまいの」

 緩く、明るい微笑が、直政の両頬にたゆった。

「どれ程有能な者でも、世の中の仕組みが変わったことを理解せぬ者に用はない。それに、お主が手を挙げても。すぐに同調する者は少なかろう。皆、様子見を決め込んで、お主が本当にお屋形様に帰参を許されるかどうか見定めようとする筈じゃ」

―そこまで、そこまで殿は、皆を信用しておられぬのか?

 これにも近藤は驚かされた。此処までの孤独と不信の念を、直政が自分の家中の者共に対して抱いていたことに。

 不快感さえ、感じて。近藤は我知らず眉を顰めた。だが、直政は構わず、歌うように続けた。

「儂は甘言を口にする者と、何より日和見の輩が一番好かん。よく皆は、『大将たる者が先陣に出る際は、目立たない具足を付け、日頃は乗らない馬に乗り、他の将兵と見分けがつかぬようにせよ』と言う。『馬印の下には、大将の具足を付けた影武者を置け』ともな。それが儂にはどうしても納得出来ぬ。敵を欺きて、どうして神仏の加護が得られよう。自ら命を賭して先陣を駆けるが故、神仏照覧、数多の敵を倒し、武功が挙げられるのではないかっ」

―我が殿は、潔癖すぎるっ・・・・。

 直政の考え方は潔癖すぎて、そして短慮に過ぎると、近藤は思った。

 戦場で大将が討たれれば、その隊は総崩れの憂き目を見る。それは小牧・長久手の戦いで、直政自身が森長可を討った時に証明した事ではないか。

 大将が討たれれば、与力達は誰の下知を受ければよいのか、迷い戸惑う。騎兵の迷いは、足軽共の逃亡に繋がる。そうなればどれほど精鋭の軍でも、そのことが敗因の原因となってしまう。

 そんな単純な事が、何故、これほど聡明な直政に判らないのか。間違いに気付かないのか・・・・。

 近藤は思わず反駁しようとし、思い止まり、また反駁しようとして、止めた。

 直政が相変わらず、白い花が咲きこぼれる様に美しく微笑していたからだ。

―どれ程言葉を尽くしたところで。この方には、お分かりにならぬ・・・・・。

 この点に関して直政は、けして己の間違いを認めない。何故なら、端から直政は誰も、誰一人信じておらぬのだから。

直政は己以外の、誰も信じてはいない。だから皆が危険だとどれ程止めても、けして戦場での一騎駆けや先陣を争うことを止めないのだ。

自分自身の手で数多の敵を倒し、無数の敵の首を挙げて、自分自身で軍功を挙げて、誰よりも多く家康からの称賛を得る。

ただ、その為だけに、直政は生きているのだ。

―何のために?ただの功名心か?否、そうではあるまい・・・・・。

 ただの功名心なら良い。破滅するのは直政の勝手だ。

 だが、もしただの功名心だけではなかったら?

 直政が頑なに、己の過ちを認めない原因の根幹にあるものは、ひょっとしたら彼自身の過去。それが紡ぐ暗鬱な想念であったとしたら。誰が、彼の間違いを正せるというのだろう。その孤独を、癒せるというのだろう・・・・。

その人の為人を育む幼少期に、直政が生母と引き離され常に死と向かい合って生きて来たことは、井伊谷衆の一人として、無論近藤も知っていた。

家康の小姓として仕官するまで、直政の人生は常に、安穏な生活とは程遠い苦難の連続であったと聞く。

《蛍侍》という陰湿な直政の綽名は、彼が幼少期に寺稚児として春を鬻いでいたことに対する、徳川家中の嫉妬深い者達の悪意が言わせたものだった。

―どれ程の孤独と絶望の中で、この方はお育ちになったのだろう?

「日和見の者共は、其方がお屋形様から帰参を拒否され儂の許へ泣きついて来た姿を見れば、もう二度と密議などしようとは、思わぬだろう。自ら進んで儂の禄を食もうとする筈じゃ。脆弱な我が家中の基盤も、それで漸う固まる」

 確かに良い案だった。しかし諸刃の剣でもある。

―そうやって家臣達を、直政に対する恐怖心と惧れで縛ったとしても。その先に直政を待っている運命は、部下に返り忠をされた織田信長のような破滅だけではないのか?

 明らかに、直政は間違っている。何か重大な間違いを犯しながら、しかし直政自身はそれを頑なに認めようとはしていないのだ。

―だからといって、誤りをこのまま放置していいものだろうか。そんな事をすればいずれ遠からず、このお方は不幸になると判り切っているのに・・・・・。

 しかし、近藤には、直政を諫める言葉などない。

「・・・・お心のままに。確と承りました」

 どうにかして、直政に彼の大きな誤謬を知らしめようとして。しかし叶わず。

近藤は平伏して主の言葉を了承した。


※ ※ ※


一月後―。

修繕が途中の箕輪高崎城主殿大広間。居並ぶ家臣達を前にして、白皙を輝くばかりの上機嫌で染めた直政の笑顔があった。

直政の面前には、板間に額を擦りつける様にして、深く、深く平伏する直垂姿の近藤秀用の姿がある。

「先般はご無礼申し上げましたこと、お詫びのしようもございませぬ。叶うならば、帰参させて頂きたく存じます」

 近藤は平伏したまま、直政に願った。勿論、口上は予め彼と直政の間で段取られているものだ。

「来るもの拒まずが、儂の信条じゃ。しかしその方は一度、我に不満をもって我が家中を出奔致した者。元通りという訳には参らぬ。まだこの地に移封して日も浅く、家臣一同家禄も定まっておらぬ故、皆は旧禄の三分の二としておるが、其方は当面三分の一とする。それでも良ければ帰参を許す」

 上機嫌に、直政が応じる。その声音は何時も以上に艶やかで、どこか妖しいほどの色香さえ帯びていた。

「異存ござりませぬ。この後は以前以上の忠節を尽くす所存でございます」

「皆の者も、去る者は追わぬ。この直政の仕置きに異議があれば、遠慮なく家中を立ち去るがよい。止めはせぬ」

 鷹揚に、直政が微笑む。全て自身の思惑通りに事が進んでいるので、その白皙は輝くばかりの眩しさだ。

 目の前で、家康に帰参を願い断られ恥を忍んで再び直政の面前で平伏する近藤の哀れな姿を見せ付けられて。どこの誰が、新たに暇を願い出るというのか。

「滅相もない。この後も侍従様の爪牙となりて、走り回る所存にござりますれば。これからも宜しくお頼み申し上げまする」

 木俣や西郷、椋原ら、家康旗本衆の与力達は、皆声を揃えて、深々と平伏した。

ここに、家康直臣の者達の井伊家編入が、正式に成立した。直政の企みは、見事に成功したのであった。

「ここ箕輪十二万石は、有難いことに徳川家中筆頭の石高。儂がお屋形様よりこれを賜れたのも、皆のこれまでの働きがあればこそ。儂の方こそ、これからも宜しく頼む」

 上機嫌にそう言って、初めて直政が家臣達に頭を下げた。頭を上げた時、直政の白皙には、淡い陶酔にも似た微笑みがたゆっていた。

 皆、その美しいが何処か禍々しささえ感じさせる直政の微笑を前に、一瞬戸惑った表情で顔を見合わせ、慌てたように再び深々と平伏する。

その最前列で、誰よりも深く床に頭を擦りつけながら。

―儂はこれから先も、殿の間違いを正す道を見つけよう。それが儂の忠義じゃ・・・・・。

 一人密かに、近藤は決心していた。


 近藤秀用はこの後一年後、再び直政の元から出奔し、家康直臣へ帰参することを願い出るも許されず、今度こそ牢人となった。

近藤出奔の理由は。

家康の江戸転封に伴い、その仕置きでこれまで以上に目の回る忙しさとなった直政が、疲労によるものと思われる度重なる自身の発熱に構うことなく、江戸と箕輪を頻繁に往復し、高崎城の普請を任されていた近藤の職務にまで一々口を出して来たことを諫めた故、とだけ当時の記録には残っている。



六、正室 花の方


「其方は三国一の幸せ者よ」

 そう実父の松平康親や、養父の家康に何度も繰り返しそう言われて、直政の正室花姫は、井伊直政の許へと嫁いできた。花姫、十四歳の早春の候のことである。

―確かに私は幸せ者だわ。このようにお美しい殿方を、我が夫と出来たのですもの・・・・・。

 花がそう舞い上がるほど、夫となった直政の容姿は美しかった。

徳川家中で直政程、高貴な血筋を感じさせる美貌の武者はいないと、十四歳の花は夫の美丈夫ぶりに陶然となった。

三河衆の泥臭さとは明らかに一線を異にする、直政の透けるような白皙。弓形の眉。涼し気な目鼻立ち。

 何よりも。花を夢中にさせたのは、くっきりとした二重瞼の下の、黒々と黒曜石のように輝く直政の大きな瞳だった。

彫が深く典雅なその目鼻立ちは、三河土着の譜代の誰とも違う。まさに唯一無二。高貴な血筋の末裔に相応しい上品さ、美しさだった。

―父上様が、『直政は殿の覚えも目出度く、家中一の出世頭。それにあの美貌じゃ。其方はまことに、良い縁を戴いた』と仰ったとおりだわ・・・・。

 新枕の夜、花は半ば夢心地で褥を挟んで直政と対面していた。面と向かって顔を合わせたのは、この時が最初であった。

「松平康親様というご一門きっての勇者の娘を嫁に貰ったことは、我が井伊家の誉。誠に有り難いことである」

 その上品な顔立ちそのままの、低く滑らかな声で直政が花に告げた。

「私の方こそ。徳川旗下一の武功を立てられていらっしゃる貴方様の妻になれて、嬉しゅうございまする」

 真正面から相手の顔を見返すことさえ恥ずかしく、花は目線を伏せがちにしながら含羞んでそう応じた。

 不意に、白い直政の両腕が伸びて、あっと思った時には花の身体は、その胸元に抱き込まれていた。そのまま優しく褥の上に仰向けに横たえられ、身体の脇に両腕を付いた直政から、じっと顔を覗き込まれる。

「儂は、三河譜代ではない。其方の父、周防殿は、まこと新参者の某に、其方を娶らせる事ご承知なのか?」

 黒曜石のような瞳で真っ直ぐに見詰められ。花は緊張のあまり、小さく幾度も首を振ることしか出来なかった。

「三河譜代でないのは、我が父も同じ。我が父も元は今川の家臣。祖父、松平重吉の娘を娶って、お屋形様から松平姓を許された者に御座います」

 そう。花の実家も、元をただせば生え抜きの三河譜代ではない。井伊家と同じ外様の家柄だ。

「確かに。現に其方をお屋形様の養女に直して輿入れ頂く際、儂はお屋形様より『周防と同じく、其方にも松平を名乗ることを許しても良いが、其方の家は八介の一と別格なる家故、特にこの先も井伊を名乗ることを赦す』と言われた。なるほど、両家はよく似ておる」

 八介とは、出羽の秋田城介、相模の三浦介、下総の千葉介、上総の上総介、伊豆の狩野介、加賀の富樫介、周防の大内介、そして遠江の井伊介という古くからの武門の名族の事である。

「ならば似た者同士の家らしく、周防殿と共に手を携えて徳川家をより一層盛り立てて行こう。其方も傍で良く儂を支えよ」

 そう言うや再び強く、直政は花を掻き抱いて、白い花が咲く様に微笑んだ。そしてそのまま、荒々しく花の纏っていた純白の夜着を剥ぎ取りー。

 新枕の夜は花にとって、生涯忘れ得ぬ幸せな夜となった。

 

婚儀から一年後。花は待望の子を産んだ。のちに家康の四男松平忠吉に嫁ぐ清姫である。

父親の直政によく似た、黒目勝ちの瞳が美しい色白の赤子であった。花は清姫を生んでからは、花の方という名で呼ばれ、家康の膝元の駿府の井伊家上屋敷で過ごすようになった。


※ ※ ※

   

「殿が下屋敷の侍女に手を付けたと?」

その話を花が知らされたのは、天正十七年六月の頃のこと。直政が家康に従って、大阪の関白秀吉の許へ出府している間の事である。

 花にその話を伝えたのは、下屋敷の留守居役を勤めている小野朝之。直政の乳兄弟で直政の一番の近習である。

「はい。侍女の名は、阿子。お方様のご実家周防守様のご家来印具殿の娘御におわします」

 何と、直政の相手は花自身の実家から輿入れの際召し連れて来た侍女の一人だというのだ。

「阿子殿には、早々、下屋敷を立ち退かれ、印具殿の許へ戻って健やかなお子を御生み頂く準備をしていただきます。何しろ殿のお手が付いたのであれば、お腹の子は井伊家の嫡流。まこと目出度きことで、若君であれば更に祝着」

 井伊家の親戚筋にあたる小野は、人の好さそうな丸顔を更に福福と丸くして、心から嬉しそうに花に告げた。乳兄弟として幼き頃から直政の一番側近くで仕えて来た彼には、この度の侍女の妊娠が、我が事のように嬉しいのだろう。

―何が、目出度いじゃっ。私には清姫しか子が出来ぬというのにっ・・・・・。

 直政と花の婚儀からすでに七年。二人の間には、未だ長女の清姫以外子がなかった。

 花は内心の悔しさを必死で押し殺しながら、

「あい判りました。その侍女の事、存分に労わって差し上げて下され」

 大名の正室として、必死に悔しさを押し殺して花は小野へ命じた。

 この時まで、花と直政は、特に仲が悪いという訳ではなかった。政略結婚ではあったが、花は直政の秀麗な美貌や華々しい武勲にすっかり虜になっていたし、直政の方も家康の養女である花の事は何かと気にかけ、家康の供をして京や大阪に上ればいつも、美しい反物や細工の見事な装飾品などを、必ず携えて戻って来た。

 婚儀から七年が過ぎた今も、駿府にあれば必ず閨を共にしたし、そもそも大名の妻は在京が原則の所を、特に秀吉に願って知行地へ花が留まることを許して貰っていたのであった。

―私は十分以上に、殿に愛され大切にしていただいておる・・・・。

 そう、今の暮らしに満足していた花ではあったが。今度ばかりは話が違った。

 気が収まらなかった。自分は仮にも家康の養女。しかも実家から連れて来た侍女風情に夫を寝取られたと知って、黙っておられるほど花の気位、矜持は低くはなかった。

 半月後、漸う家康の上洛に従って大阪へ赴いていた直政が駿府の上屋敷へ戻って来た。

 早々、その夜の閨で花は直政を問い詰めた。

「下屋敷の阿子なる侍女にお手を付けられましたな」

「朝之から聞いたのか」

「どなたからお聞かせいただいたかは、関係御座いません。貴方様も大名ならば、好き勝手に侍女に手を出されては困るのです。しかも、相手は我が実家の陪臣の娘とか。これでは正室としての、私の立場がございません」

 悋気に逸った花の言い分だったが、もっともな内容だったので直政もあっさりと自分の非を認めた。

「確かに。其方の言う通りじゃ。しかしな、花。我らには、清姫以外の子がおらぬ。清姫はいずれお屋形様のお導きで、どこぞの大名家に嫁ぐであろう。それは真に有り難いことではあるが、この後々、儂に男子が出来ねば、この井伊家は途絶える。清姫に養子を貰って家を継がせる方法も、なくはないが・・・・・。儂はな、花。自分の血を継いだ男子がどうしても欲しいのじゃ。だから阿子に手を付けた」

 何とも男の身勝手極まりない、直政の言い分であった。

しかし、褥の上に正座し、真っ直ぐに花の顔を見詰めて告げて来る直政のその白い面は。花がこれまで目にしたことがないほど真剣で、そしてある意味切羽詰まっていた。

―ああ、このお方は、恐れておられる・・・・。

 自分にこの先、男子が出来ぬことを。井伊家の血が、自分の代で途絶えてしまうかも知れない事を。

「阿子に生まれた子が、もし仮に男子であったなら。貴方はそのお子をご自分の嫡子となさりたいのですね」

 花が家康の養女である以上、もしそうなれば直政は徳川の家中で少々面倒な立場に立たされることになる。それを承知の上で、直政は側室腹でもよいから、何としても自身の男子が欲しいと、そうは花に告げているのだった。

「誰の腹の子であろうと、井伊家の儂の子じゃ」

 それは、ある意味、花にとって何よりも辛い宣告であった。結局のところ直政は、花のことを、子を産む道具。主の家康から賜った高価な道具の一つとしかとらえていないのだ。

―何と、冷たい事を、顔色一つ変えずに仰る方か・・・・・。

 否、花は気付いていた。

直政は何時も花に優しかったが、それはうわべだけのもの。家康から賜った大事な養女の妻故、京や大阪に上ればたくさんの土産を携えて戻り、また屋敷にいれば褥を共にしているだけだと。

花を駿府に住まわせるのも、いざ秀吉と家康が事を構えた時、花が京にいては人質に取られるなど、色々と都合が悪いからに他ならない。要はすべて、そういう事なのだ。

 その証拠に。直政は閨で花を抱く時、けして自身は白絹の単衣を脱ごうとはしない。花だけの夜着を剥ぎ取り、荒々しくその肌に貪りつくが、けして自身は着物を脱がず、花に自分の素肌を晒そうとはしない。秘所への愛撫なども、絶対にさせない。

 一度、

「どうして殿は、私に素肌を見せては下さらぬのですか?」

と、そう花が問うた時。直政は素っ気なく、

「戦場で負った傷があるからじゃ。醜い蚯蚓腫れの傷痕など、其方には見せとうない」

そう不機嫌に言って、その話はそれで終わった。

―あの時は、そんなものかと思うたが・・・・・。

 要は、直政は、自らの素肌を花に晒すほど、花のことを信用していないのだ。

―妻さえも信用出来ぬお方とは・・・・・・。

 妻にも無防備に素肌を晒せぬほど、直政は誰一人他人を信用してはいない。そのことを改めて思い知らされ、花は慄然とした。

それと同時に、何と哀れなお方かと、花は直政の事を思った。

―何という、お淋しい。孤独なお方なのじゃ・・・。

 思い返せば浜松の伊井屋敷での婚儀の夜。養父の家康が、婚礼の最中お忍びで屋敷を訪れ、白無垢姿の花に向かって、言ったではなかったか。

『これなる直政は儂と同様、幾度も今川方に命を狙われ、親族縁者とも、引き離されて淋しい幼少期を過ごして来た』と。

 あの言葉はこの直政の、救いようのない孤独を言い表したものではなかったか。

 ならば。花にも意地があった。井伊家正室としての意地が。

「ならば私が、貴方様の嫡男を生んでご覧に入れましょう。阿子が孕んだ子が、誠に男子かどうかは、生まれてくるまで神仏しか分らぬこと。ならばこの私が、今この場で貴方様の種を賜り、見事男子を生んでご覧に入れまするっ」

 家康の養女であり、井伊直政の正室として。この花こそが、今宵見事男子を孕み生んで見せると、そう直政に宣言したのである。

「ほう・・・・。見事、男子を生んでみせると申すのか?では、その心意気、確と確かめさせてもらおうか」

 花の剣幕に驚いたのか。珍しく唖然と妻の顔を眺めていた直政であったが。やがて何時もの花の綻ぶ様な艶やかな白い笑みを浮かべて、満足そうに頷いた。


 井伊直政の正室花の方と側室阿子の方は、翌天正十八年(1590年)二人揃って見事に男児を生んだ。 

弁之介と万千代と名付けられた男児達は直政の死後、元服して名を井伊直孝、直継と改め、いずれも彦根十五万石と上野安中三万石の大名となる。そしてこの二つの系譜は、二百六十有余年後の、明治維新まで途絶えることなく続いたのであった。


天正二十年(1592年)、花と直政の長女清姫が、家康の四男松平忠吉の許へ輿入れした。忠吉十三歳、清姫九歳であった。

家康にはこの頃すでに、長男信康(天正七年自害)、次男で秀吉の養子となった秀康(後に下総の名門結城家の養子となり、徳川家の家督から外れる)、三男秀忠、四男忠吉、五男武田信吉、六男忠輝(後に伊達政宗の娘と結婚、行状不届きで改易)七男松千代、八男仙千代(共に幼くして夭折)と多くの男子がいた。

このうち嫡子扱いは三河守護代の家柄出身の西郷氏が産んだ三男秀忠であったが、いずれの男子もまだ未婚で、いずれしかるべき大名家の姫を娶るものと思われていた。

そうした中での、直政の娘清姫と家康の四男とはいえ忠吉との婚姻は、家康が自分の息子に初めて家臣の娘を迎えたことになり、徳川と井伊の絆はより強固なものとなった。

一説にはこの婚姻は、亡き信康によく似た直政の血気盛んな井伊の血を、我が一門に入れたいと願った家康の、たっての希望であったとも言われている。

こうして、直政の正室花の方もまた、井伊谷の女衆と同じように、井伊家の血を主家である徳川家と繋いだのであった。



   七、松平忠吉


「これなるが其方の岳父となる、井伊侍従直政じゃ」

 初めて父の家康からそう告げられた時、忠吉は未来の舅となる相手の若さにまず驚いた。

「岳父・・・・舅殿にございますか?某の・・・・」

「井伊直政にござりまする。お初にお目にかかります。忠吉様にはご機嫌麗しゅう、祝着に存じます」

 舅というよりも兄といった方がしっくりくるような、若々しく美しい男が、忠吉に向かって丁寧に頭を下げる。

「こ、こちらこそ。若輩者ですが、宜しくお願い致します」

―この方が、《井伊の赤鬼》殿・・・・・。

 思わず、挨拶の声が震える忠吉だった。

 井伊直政の高名は、無論、十三歳の忠吉も良く知っていた。

小牧・長久手の戦いでは、《井伊の赤備え》と呼ばれる勇猛果敢な騎馬集団を率いて、寡兵であった徳川家康に勝利をもたらした立役者。 

その後の小田原征伐でも、北条方と唯一の白兵戦を演じ、太閤秀吉直々にお褒めの言葉を頂戴したという、徳川旗下切っての勇将である。

―《赤鬼》と呼ばれているから、どれほどの偉丈夫、大男かと思うていたが。まるで女人のように美しい方ではないか・・・・。

 目の前に端座する直政は、忠吉の予想と反して、華奢ともいえるような細身の、たいそう美貌の男だった。

透けるような白皙。弓形の眉。黒々と輝く黒曜石のような、印象的な瞳。典雅な弧を描く鼻筋は大層上品で、さすがは八介の一の名門井伊家の主だと、忠吉は感嘆していた。

「直政の長女清姫と、其方の婚儀が十月と相決まった。清姫はまだ九つじゃが、この父に似て大層な美少女であると聞く。忠吉、其方は運が良いぞ」

 上機嫌で父の家康が忠次に告げる。

「有難き幸せにございます」

 妻と言われても、まだ十三歳の忠吉にはピンとこない。相手の歳が九歳と聞けば、新たに妹が出来た、くらいの感覚であった。

―それよりも、儂が興味があるのは、この舅殿じゃ。

 未だ初陣もまだの忠吉には、この若さで徳川旗下一の武勲を立てている井伊直政という武将は、まさに憧れ。是非直に、戦場での話など聞いてみたい相手であった。

―何故、直政殿は、大将自ら戦場で単騎駆けをなさるのですか?

 忠吉が直政に、いの一番に聞いてみたい問いが、それであった。

 上機嫌で父の家康が何かを続けて言っていたが、忠吉の意識は直政の白皙にのみ向かっていた。この日、ほとんど父の話は耳に素通りの忠吉であった。


 ※ ※ ※


「舅殿は、昨年の太閤の朝鮮出兵(文禄の役)を、如何思われておりますか?お拾い様(後の豊臣秀頼)のご誕生で太閤殿は意気軒高のようですが」

 慶長二年(1597年)、十七歳になった忠吉は、江戸にある家康の嫡男秀忠に代わって、伏見の家康の在京屋敷にあった。父家康の元で、実地に豊臣旗下の諸大名との付き合い方など世間勉強をするためである。

 その教育係を勤めたのが、忠吉の岳父直政であった。

「西国の大名家は、先の文禄の役、此度の慶長の役と、二度にわたってこぞって朝鮮に出兵させられ、過酷な戦いを強いられております。かの地は、日の本とは言葉も違い、天候も荒れ気味とか。特に冬の寒さは厳しく、一旦吹雪けば一間先も見通せぬ有様。そのような地で戦わねばならない西国の大名衆の苦労はいかほどのものに御座りましょうや。また古くは白村江の習いもあります。異国に攻め入ってその土地を奪えば、そこに住む者共の恨みを買い、けして安穏と故郷に戻ることも適いますまい」

「確かに。白村江の戦いの後、当時の帝は新羅や唐の報復を恐れて、都を内陸奥深くの近江へ移したのであったな」

 歴史上の例を上げて具体的に教授してくれる直政の言葉は、忠吉にはすんなりと理解することが出来た。

「朝鮮の役で苦労しておる西国大名達だけでは御座いません。出兵を免れた我が徳川家も同様でござります。お屋形様は、居留守を預かる名護屋に兵一万五千をお連れになっております。この兵站だけでも、かなりの出費。その上江戸城西の丸の改築も半ばの今、更にお拾い様(後の豊臣秀頼)のご誕生を祝う伏見城の築城など、その掛りは莫大。配下の諸侯にこれ程の苦役を強いては、太閤やその取り巻き連中が反感を買うのも必至でしょう」

忠吉の問いに、直政は正面から、太閤秀吉の二度の朝鮮出兵は間違いであると断じた。

  

「太閤が、身罷ったと?それは真かっ」

 慶長三年(1598年)、豊臣秀吉が、伏見城にて亡くなった。享年六十二歳。卑賎の身から従一位、関白・太政大臣にまで上り詰めた稀代の英雄の死であった。

 朝鮮との交戦中の死であったため、その死は三月近く伏せられていた。

 大阪や伏見城内に服部半蔵率いる甲賀者の素っ波を多数放っていた家康は、かなり早い段階で秀吉の死を察知した。

「太閤が亡くなれば、朝鮮に出兵しておる諸大名達も撤収して来よう。その際に、豊臣恩顧の大名衆で今回の朝鮮出兵に批判的な者、その褒章を巡って不満を持つ者共を探り出し、調略せよ」

 そう家康が直政に命じるのを、忠吉も側近くで聞いていた。

「どなた様を、調略されるのですか?」

 忠吉が尋ねれば。

「そうですな。黒田長政殿あたりでしょうか」

「黒田殿ですか?しかしかの家は父親の如水殿が、太閤秀吉の軍師の家柄。太閤の天下取りの第一の功臣ではありませぬか?」

 そんな相手に、徳川方へ寝返らぬかと調略することが果たして可能なのかどうか。不審に思う忠吉であった。

 そんな婿の心配を、直政は軽く笑っていなした。

「天下取り第一の功臣なればこそ、でございますよ。黒田家は豊前中津十三万石、対して五奉行筆頭の石田治部少輔三成は、近江佐和山十九万四千石です。この待遇の差もさることながら。朝鮮の役においての諫言で、黒田家は太閤の怒りを買い一時は改易されそうにもなった。豊臣家への不信、治部少輔への恨みは、かなり深い」

―確かに。そう言われると、納得出来る話じゃ・・・・。

「石田憎しの輩は、豊臣恩顧の大名衆の中には沢山おります。まず手始めに黒田を我が味方へ引き入れ、そこから糸を手繰るようにして、反石田の大名衆を取り込んでいくのです」

 忠次をけして子ども扱いすることなく、理路整然と具体的に、豊臣恩顧の大名達の調略法を語って聞かせてくれる直政の言葉を、忠吉は綿が水を吸いこむように吸収していった。

「かつてお屋形様は某に、『上兵は謀を伐ち、その次は交を伐ち、その次は兵を伐ち、その下は城を攻む』と教えてくださいました。これは、戦よりも謀で相手を懐柔し勝利することが、何よりも重要という意味です」

「では舅殿は実際にはどのような手を使って、黒田殿を調略なさっておいでなのですか?」

「それはちと、ここではお教え出来ませぬな」

 淡く微笑んで、直政は忠吉のその問い掛けをはぐらかした。

以前、戦場での単騎駆けの理由を問うた時も、同じであった。

 言えない理由があるのか。それとも忠吉自身が気付き悟るのを待っているのか。おそらくは後者であろうが、全てを教えるのではなく、自分で考える大切さも態度で示す直政であった。

 このように豊臣恩顧の諸大名の調略を直政に命じる傍ら、家康は秀吉が諸大名に対して出していた『御掟』を意図的に破り、諸大名と勝手に婚姻したり、独断で自らに近づいてくる豊臣旗下の者達に所領を与えるなどした。

秀吉は自らの病が篤くなると、自身の死後の幼い秀頼の行く末を案じ、五大老五奉行制という、有力大名や子飼いの部下達による合議制の制度を確立していた。近年、益々力をつけて来た家康への睨みである。

その筆頭に遇されていたのは、加賀の前田利家であったが、この前田利家が、秀吉の死後、半年と待たずに世を去った。

抑えを失った五大老五奉行制は瓦解。これを好機ととらえた家康は、伏見城を掌握した。そして五奉行の一人の石田三成による自身の暗殺計画をも利用し、大阪城西の丸を占拠。 

石田三成の他にも、奉行衆の浅野長政を蟄居させ、暗殺計画の首謀者を前田利家の息子利長として、これを討つ加賀討伐を宣言した。

 これに対し、家中が直政らの調略によって混乱していた加賀前田家は、利長の母で亡き利家の正室である芳春院(まつ)を人質として江戸に差し出し、恭順の意を示した。

 これにより加賀討伐を中止した家康は、更に五大老の一人宇喜多秀家の家中にも、榊原式部康政に調略の手を伸ばさせ、お家騒動を引き起こした。

 こうして着々と、家康は秀吉死後の天下を我が物とすべく布石を打って行ったのである。

 家康が狙っていたのは、石田三成による反家康を掲げた蜂起であった。

三成側から兵を挙げさせれば、それを理由に家康は、秀頼の幼少を良いことに豊臣家を簒奪しようとしている佞臣として、三成を討つ大義が出来る。そのきっかけとして利用したのが、会津の上杉だった。

家康の政治的影響力が強まる中、五大老の一人上杉景勝は、軍事力の向上を図って、領内に新たな城を築城した。それを咎めて家康は、誓書を差し出し、上洛して弁明するように上杉家に迫った。

これに反発した上杉側は、後に《直江状》と呼ばれる、家康の専横を断じた絶縁状を送りつけて来た。これを理由に、家康は上杉討伐を宣言する。

実はこの上杉討伐こそが、石田三成に対する家康の陽動作戦であった。

西国に石田らの不穏な動きがあるのを放置したまま、家康が東北の上杉征伐に向かえば、その隙をついて、石田三成や毛利輝元、宇喜多秀家ら、家康の専横に眉を顰めている大阪城の豊臣方の諸侯は必ず蜂起する。西と東から家康を挟み込んで討とうと考えるだろうというのが、家康の読みであった。

そしてこの陽動作戦成功の為には、何としても直政による確実な黒田長政の抱き込みが必要不可欠だった。

「万千代、今一度甲斐守(黒田長政)に念を押して参れ」

「畏まりました」

 父家康がそう命じ、舅直政が言葉少なにそう応じるのを、忠吉は傍らで逐一見聞きしていた。

―果たして、舅殿は。どのような手で黒田を完全に抱き込むおつもりか・・・・。

 その点が、どうしても気になる忠吉だった。

 だが直接問いかけても、何故か直政はその点だけは言葉を濁し、ハッキリとその方法を忠吉に告げてはくれない。

―何か、人には言えぬやり方、という事であろうか?

 隠されれば余計、どうしても知りたくなる性分の忠吉だった。どうにかして聞き出す方法はないものかと、数日考え続けていると。

 意外なところから、策を授けてくれる者があった。

「それほど気になるなら実際に、お前が試してみたらよいではないか」

 そう忠吉に声を掛けて来たのは、彼の異腹の兄の結城秀康であった。

 冷めた口調で、秀康は言う。

「《桂男の術》というのを聞いたことはないか?井伊侍従は黒田を衆道の房中術を使って、篭絡しておるのよ。お前も興味があるなら、井伊侍従に《桂男の術》とやらを実地で教えて貰え」

 桂男とは、古来より美男の事を指す。つまり《桂男の術》とは、美少年・美青年を使った色仕掛けのことであった。

 ちなみに結城秀康は家康の正室築山御前の侍女、お万の方の腹から生まれた。

家康は正室築山御前に遠慮して、秀康誕生後も築山御前が信康と共に織田信秀に誅され亡くなるまで、その存在を認知しようとはしなかった。

のちには一旦秀吉の養子にも出され、それらの経緯から、早くして徳川の家督から外され結城家に入れられた。

 つまり秀康は、築山御前に繋がる井伊家の直政に対し、あまり良い印象を抱いていなかったのである。

「衆道の房中術・・・・・」

 勿論、忠吉も既に二十一歳。異腹の兄が言う意味は当然分かっている。直政が父家康の元寵童という噂も、同じ徳川家中にいれば耳にすることも多い。

―あの、美しい舅殿が、その身体を使って黒田長政を調略しているというのか?

 確かに黒田長政は、名うての男色家として有名だった。おそらく、秀康の言葉は事実であろうと思われた。  

そしてそれは、忠吉には何とも嫌な感じの話だった。いや、直政の行為を忠吉が蔑んだのではない。彼の憧れの舅が、父家康以外の男に抱かれている。そのことに、何とも言えない抵抗感を感じたのである。嫉妬も。

「黒田如きが舅殿を抱くというなら、儂もあの方を抱いてみたい」

 そう思う、忠吉だった。

この時、忠吉二十二歳。忠吉が恋しく思う直政は、三十七歳だった。

五十七歳の実父家康などと比べると、直政は舅というよりも少し年の離れた兄と言っても良いくらいの、年若く麗しい岳父であった。

 そんな美しい舅を前にして、血気盛んで家康お気に入りの息子でもある忠吉に、遠慮というものはなかった。

「舅殿が黒田長政に対して行っている調略法を、実地でお教え願えませんか?」

 家康の伏見屋敷で二人きりになった機会を捉え、そう直政に迫った。

「あの秀吉恩顧の軍師の倅をも虜にするという、舅殿の房中術。後学のために、某も実地で体験しとうございます」

 忠吉には勝算があった。「好きだから抱かせてくれ」、などと子供じみた事を言えば、この知略に優れた岳父は冷めた視線を寄越すだろう。しかし「後学のために一度手合わせしたい」と言えば、面白い事を言い出す奴だと、興味を持ってくれる筈だと。

 真正面から真っ直ぐに、睨むように忠吉は美しい舅の白い顔を見詰めた。必死さを悟られぬよう、視線が揺るがないようにするだけで精一杯だった。

 暫し、正面の直政は、じっくりと真意を伺うように忠吉の顔を眺めていた。内心の焦りが顔に出たかと不安が過ったが、やがて直政は白い花が綻ぶように艶やかに笑って、忠吉の願いを聞き届けてくれた。

「・・・・宜しゅうございます。お教えいたしましょう」

 笑いを含んだ目でそう言って、直政は忠吉の腕を引き、そっとその日焼けした右手の甲に口付けした。


「んっ・・・・」 

襖を締めるなり、直政は忠吉の顎を取り、濃厚な口付けを施して来た。唇同士が触れ合う音が、静まり返った忠吉の居室に淫靡に響く。

表書院から自身の居室まで、どうやって移ったのか、忠吉はよく覚えていない。直政に手を取られ、甲に口付けされて。忠吉の理性は蕩けた。

甘い息を漏らしながら首筋を引き寄せれば、熱い舌先で嬲る様に口蓋をなぞり上げられる。

「・・・・ぅ・・・・・ん・・・・・むぅ・・・・」

 鼻同士が触れ合う程の近さに、玻璃のように繊細な直政の美貌があった。思わず見惚れていると、薄っすらと瞼を上げた舅は、淡く微笑する。

忠吉の妻で直政の娘である清姫は十七歳。その清姫と先頃漸く夫婦の契りを結んだばかりの忠吉だった。岳父の直政に憧れていることもあり、これまでの忠吉の性体験は、正妻の清姫唯一人であった。勿論、男同士の経験など皆無だ。

「ふふ・・・・・初心なお方じゃ。可愛いのう・・・・」

 既に時刻は戌の刻(午後八時)を過ぎていた。灯芯の光だけの薄闇の中、滑る様に白い顔で直政が笑う。

とろりと溶けるような口付けを何度も与えられ、忠吉の息は直ぐに上がった。

清姫や侍女達から男くさいと評される骨格のはっきりした頬を愛おし気に摩られ、白い指先で幾度も唇の端を幾度となく、揶揄う様に撫でられれば。一気に忠吉の股間のものが強度を増して来る。

「まずは口で、お慰めいたしましょう」

 座敷の隅に立て掛けてあった床几を持ち出し忠吉に腰かけさせた直政が、その袴を寛げ取り出した忠吉自身をゆっくりと口に含む。

ねっとりと温かい舅の口腔内に含まれ、忽ち勢いを増した忠吉の一物に、愛おしく舌を這わせながら、上目使いに直政が忠吉の様子をうかがっていた。

「っ・・・・・・・・」 

 所々甘噛みされただけで、腰が攣る様な凄まじい快感が、忠吉を襲う。堪らず息を詰めると、忠吉自身を咥えた直政が、愉しそうに喉奥で笑った。

 口腔に余るものを白い両手で嬲る様に愛撫しながら、直政が問う。

「このまま一度、達せられますか?それとも褥でじっくりお相手仕りましょうや?」

 目を細めながら、直政が艶やかに笑う。明らかに揶揄われている。遊ばれている。しかしそれでも忠吉は構わなかった。

 経験値は相手の方が圧倒的に高い。ならば何もかも相手に任せて、圧倒的に弄ばれてみるのも一興だと思った。

「舅殿の良きように」

 舅などと呼ぶのが申し訳ない、若々しく淡麗な美貌が、忠吉の言葉に興を惹かれたのか。更に艶やかに綻んだ。

「では、褥でお相手仕る」

 首筋に腕を回して来る相手を抱え上げるようにして、忠吉は寝室へと足を踏み入れた。

 驚く側仕えの小姓らに、有無を言わせず手早く褥の準備をさせて。終わるや否やさっさと隣室に小姓らを追い出した忠吉は、

「これ、どう責任を取って下さるおつもりですか?」

 褥に押し倒した相手の裃を脱がし、袴の紐に手を掛けながら、自らの股間で昂りが収まらないものを、直政の顔面に晒す。

「勿論、責任はおとりしますよ」

 肌蹴た着物の上に白い痩身を横たえた直政は、手に取った忠吉の一物を導くかのように、自分の太腿辺りに密着させる。そして思わせぶりに腰を揺らし始めた。

 素股と呼ばれる、性器同士を擦り合わせる行為だった。先端から甘い蜜を振り零すものを、相手の股間と性器に挟まれ揺すられる行為は、忠吉が予想していた以上に強烈な快感を齎した。

「んっ・・・・・・むっ・・・・・・」

「こうして、ほら・・・・、気持ちが宜しゅうございましょう・・・・?」

 色めいた声音で問いかけてくる直政は、落ち着いている。冷静に、経験の浅い忠吉の様子を観察しながら、擦り合わせる性器同士の動きを微妙に変化させている様が、あからさまで。そのことが悔しい忠吉であった。

しかし喉奥から零れ出て来る快感の呻きを、押し殺すことは出来ない。自分でも制御出来なくなっていく快感に、忠吉は溺れ無我夢中で腰を揺らす。

「そろそろ、おいで下さいませ」

 唐突に、そう告げた直政が、忠吉の下で寝返りを打つと、その背中を見せて四つん這いとなった。

 まず、忠吉の目に飛び込んで来たのは、その白く滑らかな背中に走った古い蚯蚓腫れの傷跡。

薄闇の中、輝くばかりに美しい白絹の肌でである故に、その中央を走る傷痕は、より一層無残さが増して見えた。

「これは・・・・・」

 そのあまりに惨い傷痕に、背筋に冷水を掛けられた様な衝撃を感じて思わず息を呑んだ忠吉に、

「伊賀越えの際に負った傷にございます」

 淡々とした声音で直政が応じる。

 目を凝らせば、直政の白く練り絹のように滑らかな肌には、あちこちに大小様々な刀や矢で負ったと思われる傷痕があった。左腕の内側の赤く変色した部分は、鉄砲傷の火傷の痕であろうか。

「お見苦しゅうございましょう。興が覚めましたか」

「いや、却って興奮した」

 興が覚めるどころか。直政が《井伊の赤鬼》と称される理由をまざまざと眼下に晒されて、却って忠吉は興奮した。

 これほどの勇者を自分がこれから抱くかと思えば。それだけで尚一層、股間の一物に力が滾るというものだった。

 自分に向かって突き出された直政の、白い尻の割れ目に手を伸ばす。

 この尻を、父家康やその他忠吉などの若輩者が見も知らぬどこぞの男達が嬲ったかと思うと、忠吉の胸の奥底にふつふつと沸き立つものがあった。明らかな嫉妬である。

その嫉妬心のまま、些か強引に美肉を左右に押し広げると、直政が何か準備を施していたものか。

既に解れて綻んでいた薄紅色の菊座が顔を覗かせた。

ひくひくと小さな収縮を繰り返すそこは、妖艶な舅同様、淫靡な収縮で忠吉を誘っている。

その場所へ自らをあてがいながら、忠吉は赤黒く色素が沈着した直政の背中の傷に舌を這わせる。そして一気に、己の猛った一物を舅の中に押し入れた。

「ん・・・・・・・あぁ・・・・・」

 衝撃に、直政の背が波打つように小さく震えた。

「あ・・・・・・、あんっ・・・・・・・」

突き入れたもので激しくその菊座を突いてやる度に、忠吉の日焼けした腕の中で、抱えた直政の白い腰が跳ねる。

「・・・・・ん・・・・・・ぅ・・・・・っ」

 着物に焚き染めた香なのか、それとも直政自身の体臭なのか。微かに白檀の香にも似た匂いに鼻腔をくすぐられ、忠吉の興奮は更に高まった。

荒々しく目の前の痩身を褥に押さえつけ、無意識に逃れようとしている背中の傷口を舐め上げてやると、その細腰がくねるように動く。その度に、これまで忠吉が経験したこともないほどのきつい締め付けが、下腹部を襲う。  

思わず獣のような唸り声をあげて、忠吉は一気に愉悦の淵へ突き落されそうになるのを堪えた。

下肢に力を籠め、今にも弾けそうな己の一物を、更に深々と舅の菊座に押し入れる。

ぬちゅ、ぬちゅり、と何とも卑猥な水音を響かせて、忠吉の蹂躙に絶える直政の秘所が、柘榴の実が弾けるかのように内側から朱に染まっていく。

「く・・・・っ、う・・・・・」

「ああっ・・・・」

 もうこれ以上、堪えきれない瀬戸際まで追い詰められた忠吉が、直政の体内に突き入れた肉刀の先端から熱い飛沫をぶちまけるのと、直政が褥の上で大きく胴震いするのが同時だった。

「ん・・・・・ぅっ、・・・・・ふ・・・・・」

 吐息のような密やかな喘ぎを残し、ガックリと直政の痩身が、褥の上に崩れ落ちる。 

 我が腕の中で崩れ手折られた花のようにしどけなく横たわるその姿を目にして、忠吉の胸の中に愛おしさと歓喜の念が広がっていく。

―何と艶やかで、美しいお方なのだ。我が舅殿は・・・・・。

「・・・・存分に、お愉しみ戴けましたや」

 褥に片腕を付き気怠く振り返った直政が、忠吉に問う。乱れた月付の後れ毛が、壮絶に色めいて見える艶やかな舅の姿態であった。

―これが黒田長政を虜にした、井伊侍従の房中術・・・・。

 まざまざとその凄みを、自分自身の身で体験して。

「・・・・・堪能させて、頂いた・・・・・・」

 何処か呑まれたような心持ちで、忠吉は幾度も大きく首肯した。


「それでは某はこの後、黒田殿の屋敷に参りますので」

 つい半刻前まで身体を重ねていた忠吉に向かって、手早く身支度を整えた直政が素っ気なく告げた。

「これからでござるか?」

 時刻は既に、亥の刻(午後十時)を過ぎていた。

「上杉征伐が陽動として機能するかどうかは、黒田殿の働き次第。時機を逸してはなりませぬ故」

 つい先程まで忠吉に抱かれていたというのに、その直後には、別の男の屋敷へ赴くという直政の素気のなさが、忠吉には恨めしい。  

 おそらくは、ただの話し合いだけでは済まぬだろう。家康から特に、

「今一度甲斐守(黒田長政)に念を押して参れ」

 と命じられている今であれば尚更。

「・・・・今度は黒田に抱かれるおつもりか」

 思わず拗ねた様な口調で忠吉が詰問すれば。

「某の調略のやり方を実地で知りたいと言ったのは、貴方だ。その事で文句を言われる筋合いはない」

 興覚めだという風な冷やかな声音で、直政が言った。

「某のやり方を、穢れていると思われるなら思われよ。これが某のやり方だ」

―ああ、そうだ。このお方はそういうお人だ。

相手を自分の意のままに操る為なら、自分の身体も利用する。目的の為なら手段を択ばない。

判っていた。頭では理解している。

勿論誰よりも知略に優れているからこそ、様々に謀を巡らしたのちの、最後の一押しの色仕掛けなのだろう。そのことに、直政は罪悪感を感じていない。いっそ清々しいまでの正直さである。

―そして、残酷なお人だ・・・・・。

理解していても、胸中に逆巻く苛立ちは消えない。

 調略に利用された人間にも、想いがあるという事を、直政は理解していない。

人は何も、損得だけで動くものではない。何故戦うのかと問われれば、それは武功を上げるためと、迷わず忠吉も答えるだろうが。 

でも、それだけが戦場で人が戦う理由だろうか?初陣さえまだの忠吉には、その辺りの事は正直よく分からない。

―それでも。

 少なくとも、忠吉自身が舅を、直政を抱きたいと思ったのは。直政に憧れているからだった。憧れ、敬愛し、その全てを己が手にしたいと望んだから、忠吉は美しい舅を抱きたいと願った。

 直政に対して忠吉が覚える、この切ないまでの焦燥は、紛れもなく恋情だった。

 泣きたいような切なさがこみ上げる。

 自分を見詰め、そして興味を失ったように顔を反らした直政の、その黒目勝ちの美しい瞳に過るのは、一時の熱が冷めた後の冷やかな冷笑だけであった。


   ※ ※ ※


 慶長五年(1600年)、下総小山―。

「毛内輝元と石田三成が大阪城へ入ったと?!」

「すでに皆様、陣に御揃いでございます」

「相判った。すぐに参る」

 早朝、小姓に叩き起こされ、忠吉は急いで小山古城内の父家康の陣へと走った。

 天幕を張った陣には、同腹兄の徳川秀忠、異腹兄の結城秀康、榊原康政、本多忠勝、本多正信、本多正純、大久保忠隣、酒井家次、そして舅の井伊直政ら既に主だった面々が顔を揃えていた。

「おお、忠吉、参ったか」

 同腹の兄秀忠が、親しげに呼び掛け、自分の隣の床几を指さし、着座を勧めた。

「して、如何相成っておるのですか」

 忠吉が小声で問いかけると。

「今一度、申せ」

 使者らしい見慣れぬ武者に、家康が命じた。何時もは好々爺然としている丸顔が、この朝は酷く険しい。

「されば昨日、毛利中納言と石田治部少輔が、大阪城西の丸を奪い、悪しき書状をばら撒いてございます。更に彼奴等は、我が主鳥居元忠がお屋形様よりお預かりしておる伏見城の明け渡しを求めて参りました。無論、我が主はこれを拒み、徹底抗戦する構えでおります」

 使者は、伏見城の留守居役、鳥居元忠からのものであった。

 家康は上杉討伐に出立する際、家臣の佐野綱正ら三百人を、大阪城に配しておいたが、毛利輝元がこれを追い出し、佐野らは朋輩の鳥居の許へ向かった。

「《悪しき書状》というのは」

「奉行衆の長束正家、増田長盛、徳善院玄以らが発した《内府ちかひの条々》なる代物じゃ」

 榊原康政が、その内容をこの場で読み上げた。

「一、誓紙を取り交わして幾らとも経たないのに、五奉行のうち石田三成と浅野幸長の両人を勝手に罷免せしめたる事、一、羽柴肥前守(前田利家)に誓紙を差し出し、違背の無き事を誓ったにもかかわらず・・・・要は、お屋形様への弾劾状じゃ」

「毛利輝元と宇喜多秀家の添え状もある。予てからの狙い通り、遂に石田方が挙兵したのじゃ」

 これを家康は待っていたのだ。

領内に勝手に新たな城を築いたと難癖をつけ上杉景勝を討伐する口実を設け、石田方に背中を見せることで、秀吉の死後専横を極める家康を東西から挟み撃ちにしようと石田らが考えるように、老獪に策を練って来たのだ。

その陽動に、遂に石田方が乗ったのである。

「一、若き衆ニ、ろくろをかい、徒党を立させられ候事・・・・これは井伊侍従殿が黒田を通じて、福島正則らを我が陣営に引き入れた事を言っておるのですね」

 忠吉は、我が事のように嬉しい気持ちでそう言った。この度の大戦は、忠吉自身にとっても特別な戦いだった。初陣である。

 忠吉の初陣に対し、父家康は岳父の直政にその後見を命じていた。忠吉が忍十万石から引き連れて来た兵三千は、直政の井伊隊三千五百と常に行動を共にするよう。家康直々の沙汰であった。

 初陣という誉の戦に、井伊直政という力強い後見を得て、年若い忠吉は意気軒高だった。

 予てよりの家康の指示で、忠吉の舅井伊直政が、豊臣恩顧の大名黒田長政と誼を通じ、黒田を介して、福島正則、池田照正、浅野長慶、細川忠興ら、豊臣方の反石田三成を唱える有力武将らを次々と、徳川陣営に引き入れることに成功していた。

「如何にも。万千代、ようやった」

 この時ばかりは、事態が大きく動いたことへの緊張から強張った顔をしていた家康も、上機嫌で寵臣の調略の妙を褒めた。

家康は今でも、ここ一番の大仕事の際は、直政のことを幼名の万千代と呼び、その気安さで直政に対する信頼感を皆の前ではっきりと表明してみせるのだ。

「有難き幸せ」

 応じる直政の声は、何時も同様艶やかで素っ気ない。だが、この日は天下分け目の戦いを前に、流石に少し高揚しているのか、その白皙は微かに上気していた。

「して、今後の策であるが・・・・」

 能吏としても有能な榊原康政が、皆を代表して軍議を進める。

「北に上杉、東に佐竹、西に石田ら大敵が蜂起すれば、挟み撃ちは必至。此処は福島ら諸将を速やかに領国へ帰国させ、徳川の兵のみで箱根の儉を防壁といたしては」

 消極的な策を、実務派の本多佐渡守正信が述べる。

こちらの思惑通りとはいえ、やはり挟み撃ちと言われると、座に集った徳川家中の重臣達も、少し顔が強張る。

石田三成は既に西国の大身毛利らを含め、九万五千の兵を集っているというのだ。上杉方の兵の数も入れるとかなりの数になる。対して上杉征伐の名目で家康の元に集う諸侯の兵力は約七万。この兵力差は大きかった。

一瞬静まり返った座に、直政の低く艶やかな声が響いた。

「箱根の儉を守るなどとは、笑止千万。ただ大軍を座して待つなど、北条家の二の舞でござる。治部少輔の挙兵は、お屋形様が天下を取られる好機なれば、今すぐ旌旗を翻し、一気に上方の敵を撃破すべし」

 戦場では血気盛んな直政だが、軍議の席での言葉は何時も静かだった。その静かさが却って、この日は何時も以上に重々しく響く。

「秀康はどう思う」

 家康が、息子の中では最年長の結城秀康に問うた。

「某も一刻も早く上方へご発進なさるが尤もと考えます。しかし陽動とはいえ、上杉に対する備えは肝心。確かな押さえが必要かと」

「美濃岩村城主の田丸忠昌と信濃上田城主真田昌行が大坂方へ付きたいと、離反を申し出ております」

 隠居した酒井忠次の長男家次が報告した。

 真田昌行は、家康の信濃平定の際、二度も徳川方に煮え湯を飲ませた戦巧者で、家康の天敵とも言うべき老獪な武将である。その真田昌行が、大阪の石田方へ付きたいと申し出ているのだという。

「あ奴がおっては、却ってこちらの陣中が乱れる。出ぬるというなら勝手に出て行かせよ」

 相変わらずの豪気さで、本多忠勝が一笑する。 

「儂も直政の上方出陣に賛成じゃ」

 武勇に優れる忠勝のその一言で、座は決した。

「相判った。儂の存念も皆と同じである」

 家康が重々しく告げる。

「この際じゃ。此処小山に集っておる福島正則ら太閤恩顧の者共の存念を、一度はっきりさせておくべきでは」

 榊原康政の提案で、翌日、上杉討伐に参陣している諸侯らに対し、三成方の西軍に付くか、家康川の東軍に付くかを選択させる、小山評定が開かれることが決した。


「されば万千代、今一度甲斐守に、左衛門大夫(福島正則)のこと。確と命じて参れ」

 軍議終了後。家康は一人直政をその場に残し、そう命じた。それを天幕から出ようとしていた忠吉は、目敏く見る。

―父上は時に臆病なほど慎重であられる・・・・。

 この機に臨んで家康が何よりも恐れていたのはやはり、亡き太閤家康の子飼いの家臣で、この度の上杉征伐隊の中で最大の兵力六千を率いて来た福島正則の動向であった。

「承知いたしました」

 言葉少なに応じる直政の声が、この時少し何時もより掠れているように忠吉には思われた。

 不審に思って舅のその秀麗な顔を見遣れば。何時もより赤味が増した感がある。最初は大戦を前にした高揚かとも思われた忠吉であったが。

「殿、お加減は如何ですか」

 天幕を出たところに控えていた、直政の家老木俣守勝が、天幕を出た直政の傍らに走り寄って来るのを認めて、漸く事情を察した。

―舅殿は、お加減がお悪いのだ。発熱されておるのやも知れぬ・・・・・。

 直政が時折、体調を崩して発熱することは、伏見城に詰めるようになって忠吉も知った。 

発熱の原因は、おそらく通常ではありえない程の直政の多忙さだろう。

戦場では徳川きっての勇猛果敢な将として常に先陣を切り、調略事ではその右に出る者がいない程の働きぶり。

その上、伏見での家康の警護役から、江戸城二の丸の普請、更には自身の領国箕輪高崎の差配など、ここ数年の直政の獅子奮迅の働きぶりは、目を見張るものがあった。その分溜まった疲れも大きい筈である。

徳川旗下には、直政以外にも優秀な武将は数多いる。武の本多忠勝、結城秀康。知の榊原康政。優れた能吏・行政官としての本多正信。忠義に篤く実直な酒井家次、大久保忠隣等々。

しかし、武にも知にも優れ、特に諸侯への奏上や取次、調略の面で直政程稀有な手腕を発揮できる将は、他にはいない。

そのため、家康も直政に掛る重責、疲労を重々承知しながら、敢えてそれらに当たらせているのだった。

―大丈夫なのであろうか・・・・・。

「お顔の血色が良過ぎます。熱が高いのでは?」

「煩い」

「出立まで、少しでも横になられては。昨夜も殆どお休みになってはおられぬでしょう」

「煩いと申しておる」

「侍従殿っ!!」

「くどいっ。控えよ、守勝!」

 自軍へと戻る直政を追いかけながら、木俣守勝が盛んに口煩く静養を勧めていた。それをけんもほろろに拒否する直政の、何時にない大声が周囲に響いている。

―あの平時では冷静な舅殿が、珍しく騒いでおられる。

 それは忠吉の目から見れば、随分珍しい光景だった。忠吉の前の直政は、何時も年長者らしく穏やかに落ち着いた物腰で、何処か大人の余裕で忠吉の憧憬をいなすような所が多かった。

―それが、まるで幼子のようにむきになられて・・・・。

 股肱の臣木俣の前では、あのように不機嫌極まりない、稚い幼子のような無茶を言う姿を見せるのか。そう思うと、何やら胸の中にもやもやとした嫉妬のようなものが湧き上がる忠吉だった。

 翌日の諸侯を召した評議の席で、家康の東軍の上方出陣が正式に決定した。

 兵の数は約八万六千。先陣は福島正則と池田照正に決まり、軍監として、井伊直政・本田忠勝が任じられ、清州に向けて出陣することとなった。

またこれとは別に、家康は次男結城秀康を下野宇都宮に留め置き、上杉方への押さえとした。

尚、家康自身は江戸に戻り、上杉方の出方を伺いつつ、対西軍における味方の配置などを一人熟考していた。家康の嫡男秀忠は、異母兄の秀康と共に、宇都宮に控え、信州美濃の真田昌行の動向に備えた。

ここに、天下分け目の戦い、関ケ原の陣へと繋がる騒乱が幕を開けたのである。

今まさに、天下を分ける大戦が始まる。そんな矢先、徳川方東軍の出鼻を挫く一大事が起こった。井伊家家老木俣守勝の杞憂が、現実のものとなったのである。

「何、舅殿っ、井伊侍従が倒れたと?!」

 忠吉がその知らせを聞いたのは、直政、本多忠勝と共に、三河の西尾辺りまで進軍した時であった。しんがりを行く陣中で、直政が突如激しい頭痛と高熱を訴え、あろうことか落馬したというのである。

「して、そのお加減はっ?怪我はなされておらぬのか?熱は相当お高いのか?」

 息せききって矢継ぎ早に、忠吉が伝令役の直政の馬廻り役の三浦元貞に問い質すと。

「御家老の木俣様の指示で、すぐさま近くの寺へとお運びいたしましたが。未だ意識がお戻りにはなっておらず、熱も下がらぬままでございます」

「薬師は、医者は何と申しておる」

「和良波夜美(童病)の一種ではないかと。瘧(悪寒)がかなり強い様にて」

 マラリヤの一種ではないかという医師の見立てだと使者は答えた。

―和良波夜美・・・・・。

 それはこの当時、一歩間違えれば、死に直結する様な重篤な病だった。蚊を媒介として蔓延する疫病の一種で、悪寒と発熱を繰り返し、瞬く間に全身が衰弱して、悪くすれば死に至る恐ろしい病である。

―お疲れなのじゃ。これまでの度重なる舅殿の発熱はこの病の為であろうが、その遠因は、積み重なった疲労のせいじゃ・・・・・。

 マラリヤはその原因となる原虫が体内にいる限り、疲労やただの感冒などちょっとした体調不良でも、幾度も繰り返し発病する極めて厄介な病であった。

 実際、この時の直政の病状はかなり重く、数日意識が戻らなかった。帯同する医師も手立てがないと匙を投げる始末で、とても東軍の先鋒を任された福島正則・池田輝元の軍監として、両者に目を光らせておくことが果たせるような状況にはなく。

 急遽、知らせを聞いた家康の指示で本多忠勝のみに先を急がせ、井伊隊とそれに帯同する忠吉自身の松平隊は、三河で足止めすることとなった。

「すぐにお見舞いに参上する」

 敬愛する舅の一大事に、忠吉は取る物も取りあえず、急ぎ直政の陣を見舞った。

「これは下野守(忠吉)様。直々のお運び、かたじけのうございます」

 直政の病間となっている村外れの寺の一室には、家老の木俣守勝自身が詰めていた。

守勝は主の婿であり家康の四男である忠吉直々の見舞いに大層恐縮していたが、直政の病状を聞かれると、その実直そうな日焼けした顔に深い杞憂の色を浮かべて首を振った。

「熱が高く、かなり衰弱しておられます。元々、それほど身体頑丈という風なお方ではない故。しかも最近は、寝る暇もないような忙しさ。ただでさえ痩身であられるのに、このところ食も進まず、某は密かに案じておりました」

 常に直政の身近にあって、その華々しい活躍の一部始終を見て来た守勝なればこその、述懐であった。

「お屋形様も、今少し御労り下されば・・・・。我が殿以外に、人がおらぬという事情も分かりますが・・・・・」

 我が主が華々しい武功の陰で、どれほどの重責と戦い、懸命に働いて来たかを知る者故の、苦しい家康へ対する不満の言葉だった。

「相済まぬ」

 家康の息子として。何より本来なら舅を支えねばならぬ婿として。忠吉は自然と木俣に頭を下げた。直政が徳川家中にとって、どれほど得難い人材であるのかは、直政を後見に頂く忠吉自身が誰よりもよく分かっているつもりだった。

「いや、下野守様に、そのように仰られては・・・・っ」

 慌てて、自らの口が過ぎた事を悟った木俣が、平伏する。それを押し止めながら、忠吉は直政が臥せっているという隣室の襖の方を伺った。

「お言葉は無理でも、せめてお顔を拝見したいのじゃが」

「勿論でございます。どうぞ、こちらへ」 

 木俣の案内で、忠吉は直政の病間へと足を踏み入れた。

 部屋に入って、まず目に飛び込んで来たのは、真っ白な直政の横たわる褥の白絹の不吉な鮮やかさだった。

―これは・・・・っ。

それは禍々しい白さだった。かなりの高熱という事で、臥せっている直政自体の顔色は、上気し何時も以上に血色があるのに、全体的な色素の薄さ、繊細な玻璃の様な脆さはどうしたことであろう。

「舅殿・・・・・」

 小声で忠吉が呼びかければ。意識が朦朧としているのか。薄い瞼が痙攣し、荒く浅い呼吸に上下する胸元が、小さく身じろいだ。

「守・・・・・勝・・・・・・」

 気が付いたのか。掠れ、弱り切った声で、直政が家臣の名を呼ぶ。

「これに控えておりますっ」

「・・・・丸・・・・薬・・・・を・・・・。何時ぞや・・・・・お屋形様に頂いた・・・・・丸・・・・・薬を・・・・持て・・・・」

 切れ切れの呼吸の中、直政が命じる。

「丸薬ですかっ・・・。しかし、あれは・・・・」

 応じる守勝の声は、明らかに狼狽していた。

「あれはかなりの劇薬故、いよいよの時であらねば、服用してはならぬと、お屋形様も・・・・」

 一瞬、話の分からなかった忠吉もすぐに察した。

彼の父家康は、大の薬学好きで、愛読書は『和剤局方』という念の入れようだった。自身で様々な薬を調合し、煎じた薬を自ら飲むだけでなく、事あるごとに家臣らにも勧める。直政の言う丸薬というのも、おそらくそうしたものの一つであろう。

「今が・・・・・、そのいよいよの時・・・・・ではないか・・・・・・」

 苦し気な息の下、微かに直政が含み笑った。

主家康の伸るか反るかの大一番を前に、病に倒れた己を自嘲しているような乾いた笑いであった。

―何故、これほどまでこのお方は、我が父家康公に、忠義を尽くすのか・・・・・・。

 そんな、今まで考えたこともなかった問いが、忠吉の胸の中に湧き上がった。

 直政の、忠吉の父家康に対する忠勤、忠節は、些か度を越している感があった。何故、ここまで己の身を顧みずに、直政は家康に忠義を尽くすのか。不思議な気さえする忠吉だった。

 同じようなことを、守勝も感じたのだろう。何か言いかけ、一旦は口を開いた守勝だったが、褥に臥せった直政の、あまりの浅く苦しそうな呼吸に、言うべき言葉を見つけることが出来なかったのか。そのまま無言で頭を下げると、言われた薬を取りに行くため、一旦座を外した。

 すぐに戻って来た守勝と二人、忠吉は左右から臥せる直政の熱の高い身体を抱えるようにして起こした。

 火のように熱い身体であった。衰弱が激しいという守勝の言葉通り、その痩身は、忠吉の記憶にあるものよりも更に痩せており、腕の中に抱き起したその背の言いようのない薄さが、忠吉の胸を突く。

 目を開けている事さえ苦しいのだろう。相変わらず浅く忙しない呼吸をしながら、守勝が差し出した丸薬を口に含んだ直政は、もうそれだけの事に精根尽き果てるといった風情で、そのまま再び意識を失い昏睡した。

「何故、これほどまで・・・・・」

 思わず、そう忠吉が一人呟けば。

「某にも、我が殿の真意は測りかねます。何故ここまで何事にも全力を尽くされるのか・・・・・。二十年近くお側に仕えておりますが、情けない話、正直、某にもよく分からぬのです・・・・」

 疲れた様な口調で守勝が応じ、顔を背けた。その男らしく精悍に整った唇が、戦慄いていた。

 もうそれ以上、何も言うべき言葉もなく。忠吉は目礼して、席を立った。

一昨日までの、自身の初陣を目の前にして逸っていた心は、嘘のように沈んでいた。

―伊賀八幡宮の氏神でも、お釈迦様でも何でもよいわ。この世に誠に神仏がおわしますなら、何卒、我が舅井伊侍従直政の身をお守り下さりませっ・・・・・・。

 これまで殆ど、神や仏に祈った事もない忠吉であったが、この時は心の底から日の本すべての八百万の神々に祈りたい。そんな切羽詰まった心境だった。


 ※ ※ ※


 翌日、家康秘伝の丸薬の効果か、直政の熱は嘘のように下がった。熱が下がるとこの遠江の暴れ馬は、家老の木俣守勝や婿の忠吉が止めるのも聞かず、江戸の家康宛に『病が言えたので出陣したい』という書状を送り、早々に床払いをしてしまった。

 先に清州へ向かっていた、本多忠勝、福島正則、池田輝元に、追いつき追い越せの勢いで、翌日には三河を立った直政と忠吉の六千五百の兵は、八月十四日、清州城に入城。

 東軍に合流してすぐ、本多忠勝との軍議を行った直政は、石田憎しで血気に逸る福島正則らの突出を押さえる意味もあり、西軍方に組する織田秀信の岐阜城を攻めることを決した。

 岐阜攻めの大将格は、福島正則と池田照正であったが、直政には軍監として両者の返り忠を封じる役目があった。

実は信濃の上田に真田昌行を攻めていた東軍の主力部隊、嫡子秀忠率いる兵三万八千が、老獪な真田昌行に翻弄され、未だ直政達上方の東軍に合流出来ていなかったのだ。

岐阜城は、太閤秀吉の子飼いの武将達の活躍で、僅か二日ばかりで落城したが、軍監である直政と忠勝の憂慮は晴れなかった。

岐阜城落城を知った石田方の盟主毛利輝元が、秀吉の遺児秀頼を押し立てて家康に矛を向ければ、石田憎しで固まっている豊臣恩顧の大名達は、たちまち秀頼の旗下に跪く筈だ。そうすれば、目も当てられない状況に至るのは必至であった。

「一刻も早く、お屋形様には江戸を発っていただかねば」

 再三にわたって、早期の家康参陣を願う直政や忠勝の使者が、清州と江戸の間を行き木した。

―父上は、兄上の率いる主力の到着を待たれておる・・・・・。

家康が、再三の直政達の懇願にも重い腰を上げないのは、八月二十四日、嫡男である秀忠に、信州上野で反家康の兵を挙げた上田城主真田昌行討伐を命じ、出立させていたからである。

秀忠の軍には、徳川旗下の主力三万八千の兵と、副将に榊原式部康政、与力に本多佐渡守正信ら知略に優れる重臣達が付けられており、本多忠勝の嫡男忠政率いる本多隊一千五百の主力も、これに同道した。

中山道を通って美濃上田攻めに向かった秀忠真田昌行の籠城戦に手を焼き、九月五日を過ぎてもまだ、その城を落とせずにいた。

 しかし事態は風雲急を告げていた。

「急ぎ、予てよりの吉川侍従広家に対する調略を急ぎ確かなものとせよ。小早川秀秋も同様じゃ」

 このような家康からの密使が、直政の元に届いた。

 予てより、直政は黒田長政を通じて、福島正則と同様の調略を、石田三成に西軍の盟主に担ぎ上げられた毛利輝元の分家吉川広家に対して行っていた。

 毛利家の山陽・山陰八ヶ国を本領安堵する代わりに、大阪城から輝元を出さないという密約である。

直政、忠勝名で輝元宛に起請文を書き、これに黒田長政、福島正則の添え状も付けて、大阪城の毛利軍を死兵とする約定であった。

また、元豊臣秀吉の養子でありながら、秀吉の嫡男秀頼誕生により豊臣家を出され小早川家の養子となっていた小早川秀秋に対しても、直政は藤堂高虎を申し次として盛んに東軍への参加を呼び掛けていた。

小早川秀秋自身は若輩者の小童であり、朝鮮出兵でも功を焦った稚拙な行動が目立っていたが、彼が有する名門小早川家の兵一万五千六百は、秀忠遅参のせいで寡兵の東軍には、喉から手が出るほど欲しい兵力であったのだ。

この家康からの密命に、高熱が癒えたばかりの直政は、足元がふらつくのを押して邁進した。その傍らには、常に家老の木俣守勝と、婿である松平忠吉の姿があった。

―守勝は兎も角。儂は此度の戦が初陣の、何も出来ぬ小童じゃ。舅殿の身辺をウロウロしておっても、何の力にもなれぬことは承知の上。しかし、あのように痛ましいお姿を、とても放っては置けぬ・・・・・っ。

 直政は明らかに弱っていた。元々色白の顔は、紙のように蒼白で、血の気がなかった。

 華奢なその痩身は一回り以上細くなり、新たに新調したという朱漆塗越中頭形兜の白熊の兜蓑がいかにも重そうに見えた。

 そんな状態でも、いざ戦場に出れば、直政は自ら長槍持って、単騎駆けも辞さぬ覚悟のようだった。

「けして、舅殿からめを離さぬように」

「承知して御座る」

自然、忠吉と守勝の連帯も巧妙となっていった。

遂に家康が秀忠の参陣を諦め、三万の旗本衆本隊を率いて九月一日に江戸を発ったという知らせが、忠吉たちの許へ届いた。

家康は九月九日に岡崎、十日に熱田、十三日に岐阜と軍勢を進め、十四日には遂に赤坂に着陣。

「小早川の小童は、人質を差し出すことに難色を示しております」

 藤堂高虎が、直政の陣を訪れそう告げたのは、九月十九日だった。

 この日、小早川秀秋が関ヶ原の南西にある松尾山城に、伊藤盛正を追い出して入城した。

 東軍に付くか西軍に付くか、時ここに至っても決断できない優柔不断の十九歳の若者は、松尾山城に入ると、朝から酒を飲んで募る焦燥感を紛らわしているらしい。

「ギリギリまで様子見とは、日和見もここまで来ると信が置けぬ。小早川本人の調略はここまでじゃ。誓紙を出した家老の稲葉正成に内応させよ」

 直政はここで小早川秀秋本人の調略を諦め、その家臣で家康に既に誓紙を出している稲葉に小早川隊一万五千六百を率いらせることとし、その申し次を藤堂高虎に託した。

 家康が本陣に到着した同じ日、三成の盟友で、西軍では一番の曲者と家康が恐れる大谷義継が関ヶ原に着陣した。その後周辺の田辺城、大津城が西軍の手に落ちると、一気に前線は緊迫した。

「いよいよじゃ」

 家康のその一言に、忠吉は改めて身の引き締まるのを感じていた。

 その夜、忠吉の元へ、舅である直政と共に家康の本陣へ来いと言う知らせが届いた。

「参上いたしました」

 相変わらず体調の思わしくなさそうな直政を気遣いつつ、忠吉が父がの本陣へ顔を出すと、何時も以上に苦り切った顔をした家康が、直々に床几を立って、二人を出迎えた。

「万千代、かなり顔色が悪いが大事ないか」

 蒼褪めた直政の顔色を見るなり、心配そうに眉を顰めて、家康がその肩を抱く。

「大事御座いません」

 応じる直政の言葉は何時も通りだったが、やはり微熱が続いているのであろう。その声は擦れ、覇気に乏しかった。

「先程、物見より、大垣城の三成らは、夜陰に紛れて関ケ原方面に移動を開始したそうじゃ。恐れていた城攻めではなく、野戦で勝敗が決する。これは我が方にとっては有利じゃ」

 家康は野戦の名手と言われていた。長期戦の城攻めよりも、短期決戦の野戦の方が、昔から得意なのである。事実、武田信玄に敗れた三方原の戦い以降、野戦では負けなしの家康だった。

「具合が悪いのを承知で頼む。本来ならこれは、嫡男である秀忠の勤めであるが。不肖の息子が遅参の故、我が婿であり、息子忠吉の岳父もである其方に頼む。否、其方にしか頼めぬのじゃ」

 家康は床几に腰かける直政の痩せた白い手を取り、言った。

「おそらく明日の早朝、夜明けとともに戦は始まろう。その契機を切る役目を万千代、其方が後見する忠吉にさせて欲しい」

―何とっ・・・・・。儂自身が戦端を切れと言われるか・・・・・っ、父上は。

 この度の戦は、福島正則と池田輝政が先鋒と予め小山評定で決定していた。

「しかし戦後の仕置きを考えれば、この戦の火蓋は必ずや、徳川直臣の者が切らねばならぬ。天下分け目となるこの戦は、けして豊臣恩顧の者達に始めさせてはならぬのじゃ。その事、其方ならば誰よりも良く判っておるであろう」

「御意」

 この戦の後、家康が真の天下人となるためには。この一戦で、まごう事無き武勲を、家康直臣の将が取らなばならないと、家康は言うのだった。しかもそれが家康自身の息子であったなら。家康の威光はこの後、太閤秀吉の遺児豊臣秀頼をも大きく上回ることとなる。

―ああ。このために、父上は。儂の後見に井伊侍従を選んだのか・・・・・。

 常に戦場で単騎駆けをし、大将自ら一番槍を競う直政なればこそ、福島正則らを欺いてでも、忠吉に先鋒の誉を取らせるだろう。そこまで熟考しての、家康の軍立てであったのだと、この時初めて忠吉は悟った。

「必ずや、下野守様に先鋒の誉、お取りさせて御覧に入れます」

 静かに、直政が応じた。

 その夜は、秋の長雨だった。

 家康の本陣を出ると、篠付く小雨が、二人の身に纏う甲冑を濡らした。雨に濡れた草木のむっとする様な匂いが鼻腔をくすぐる。

「戦が、恐ろしゅうございますか?」

 雨を気にするそぶりも見せず、直政が忠吉に問いかけて来た。先程本陣で家康の真意を聞かされ、緊張のあまり忠吉が貧乏ゆすりをしていたことを見咎めての問いであった。

「戯けたことを。あれはただの武者震いでござる」

 必死で平静を装い、忠吉は答えた。

「構いませぬ。惧れを抱くという事は、慢心していない証拠であれば」

 酷く優しい口調で、直政が告げた。

 その表情は何時もの通り穏やかで、淡い微笑さえ浮かんでいた。

「舅殿は・・・・、恐ろしくはないのですか?何時も戦場では、真っ先に駆けだしてゆかれる。あの勇気の源となっているのは、一体何でございますか?」

 若い頃から家康や家臣達に、血気に逸ると幾ら諫められても、一度として単騎駆けを止めようとはしなかった直政である。その勇気の源が知りたい。そう切に願って問いかけた忠吉の問いに対して。

「・・・・勇気などでは御座いませぬ。ただ、某にはああいう戦い方しか、許されぬから、そうしておるだけ」

「許されぬ?」

「如何にも。許されぬのです。他の戦い方は。・・・・井伊家は、かつて一度、滅びた家故」

 音もなく降りしきる小雨よりも密やかに、直政が告白する。

「一度滅んでしまった家を再興するのは、並大抵の事では叶いません。人並み以上の勇猛さを演じて見せねば。家臣達は誰一人、一度滅んだ家の当主の某になど、ついては来ぬのです・・・・」

 直政はゆっくりと、自分自身に言い聞かせるかのようにゆっくりと、言葉を続けた。

「しかしこれは、某だけの戦い方。下野守様には不要の戦い方でございます。明日は、けして某の傍から離れず、某が『応』と申したら、ただ正面の敵だけ見詰めて槍を繰り出しなされませ。その後は、一目散に馬首を返して駆けるのみ。けして相手を仕留めようなどと思う必要はございません。それは某の役目でござる」

 直政は、微笑んでいた。何時もの白い花が咲きこぼれるように嫋やかに。

―ああ、このお方は、死を覚悟しておられる・・・・。

 そしてそれは、何も此度だけの事ではないのだ。直政は戦場に出る度、常に自身の死を覚悟しながら、敵と向かい合っている。刀を交えている。

 周囲の誰もが軽挙妄動だと諫めても、直政がけして危険な単騎駆けを止めない理由。

 それはそうしなければ、誰も自分についてこないと知っているからだ。一度、滅んでしまった家の将には。

 先祖伝来の地縁や譜代の家臣が皆無の井伊家は、家康から配された御家人達と、寄せ集めの牢人集団で成り立った家中であった。

 彼等の多くは、無意識のうちに疑っている。一度滅んだ家の当主を、主と仰いで良いものかと。一度滅んだ家なれば、また滅ぶのではないかと。

 先祖伝来の土地に集い、強固な地縁で鋼の団結を誇る三河譜代の家臣団で編成された本多忠勝の隊のような、忠義を頼りにする戦い方は、直政の井伊隊には、最初から出来ない。 

だから、自らが旗印となって、直政は戦場を駆ける。矢玉の雨をかい潜りながら。そうして誰よりも多く武勇を立て、皆に証明してみせているのだ。一度滅んだ家とて、戦い方次第では蘇らすことも可能なのだと。

何という、純粋で、鮮烈で、そして愚かしい戦い方なのか。しかしその愚かさを直政自身自覚していながら、それでもそうした戦い方しか自分には許されていないと、固く信じているのだ。

―だからこの方は、こんなにも美しいのだ。

 忠吉の目を捉えて離さない程。美しく、鮮烈で、痛々しい。だからこんなにも惹かれてしまうのだ。その儚いまでの輝きに。

「・・・・貴方様は、素直じゃ。そしてお優しい。きっと幼き頃から、よっぽど周囲の者達に愛されてお育ちになったのでしょう。我が家中の木俣のように・・・・」

夢見るような穏やかな表情で、直政が続ける。

「木俣、守勝でござるか?」

「如何にも。あの者も某同様、肉親の縁には薄い育ちである筈なのに。某とは真逆の性格をしておる。きっと幼少期、お屋形様の下で随分と可愛がられて育ったのでしょう。貴方様同様、心根が清く、闊達で、周囲の誰からも愛される気性をしております。そして、某の様な冷めた性格の捻くれ者にも、馬鹿がつくほど優しい。優し過ぎる程優しい男でござる・・・・・」

 そう言って、雨に煙る前方を見詰める直政の白皙には、明るい微笑がたゆっていた。

「もし某が、奮戦虚しく戦場の露となり果てても、きっとあの男だけは、某の躯に向かって罵倒しながら、泣いてくれるでしょう。『短慮が過ぎる』と大声で詰りながら、誰憚ることなく泣いてくれる筈じゃ。そんな風に、一人でも我が死を悼んでくれる者がおるなら、某はそれで満足でござる」

 密やかな雨音に溶けて行くように、直政は淡く微笑した。

―ああ、このお方は・・・・・。

 忠吉は咄嗟に目の前の舅の薄い身体を自らの両腕の中に掻き抱こうと手を伸ばしかけ、寸でのところで両の拳を握り締めて、その衝動を堪えた。

―某も泣きますっ。貴方が身罷られたらっ。某も大声で誰憚ることなく、泣きまする・・っ。

 そう叫びたいと思っても、叫ぶことの出来ない忠吉だった。

 何故なら。目の前の、忠吉が憧れて止まない舅が求めているのは、忠吉ではない。別の人間だ。直政が孤独に震える心ごと、真に抱き締めて欲しいと願っている相手は、忠吉ではない。

 それが判ったから、忠吉は目の前の舅の、今にも降りしきる雨に溶けて消えそうなほど、儚いその痩身を、抱き締めることが叶わない。

 思わずその場に膝をつきそうになった。

 唇を固く噛み締めていなければ、様々な想いが堰を切って溢れ出してしまいそうだった。

 酷い人だと、恨んでもいた。身体は簡単に差し出す癖に、心は預けてくれない。忠吉の気持ちを知りながら、敢えてその目の前で、忠吉ではない者のことを想いながら微笑んで見せる。

―酷くて、無慈悲で。それなのに、哀れなほど痛ましく、泣きたくなるほど愛しい・・・・っ。

 しかし忠吉は泣けなかった。泣いてはいけなかった。この場で自分が泣いてしまえば、これまでの直政の一生を、否定してしまうことになる。だから、泣けない。

 忠吉は思わず、漆黒の空を仰ぎ見た。雨が音もなく降り注ぎ、涙の代わりに忠吉の顔を濡らす。篠突く雨は、何時止むとも知れない。

 降りしきる雨は大地を覆う。ぬかるんだ土地は足場が悪く、明日の戦はさぞ難儀することであろう。

―ああ、何という夜じゃ・・・・。

 未來が見えない。明日の勝敗も、その先の天下も。一寸先も見通せない暗闇の中、夜陰に紛れて敵は今も、決戦の地関ケ原へと向かっているという。

―夜が明けるのが怖い。

 初陣を心待ちにする高揚感は、遠に消え失せていた。


  ※ ※ ※


  翌朝。まだ昨夜の雨の置き土産の霧が深く立ち込める中を、忠吉は舅の直政と馬の轡を並べて、草原を進んでいた。

 卯の下刻頃(午前七時頃)から、風が出始め、霧が流れた。少しづつ視界が開け、周囲の状況が見えてくるようになる。 

 真向かいに、紺地に白の『鬼』の文字の軍旗が見えて来た。西軍の主力の宇喜多秀家の陣で間違いなかった。

 直政が身に纏う赤備えの具足は、霧の中でも一際鮮やかに人目を引く。敵方も、こちら側に気付いたようであった。

「てっ、敵しゅ・・・・っ」

「応!」

 敵将の明石掃部助全登が叫ぶより早く、直政が傍らの忠吉に合図した。

「うおおおっ!」

 合図と同時に、忠吉は恐怖を打ち捨てるように無我夢中で叫びながら、宇喜多勢に突進した。直ぐ傍らで直政が、忠吉の盾となる様に馬の鐙を蹴り疾駆する。

「敵襲っ。敵じゃっ、迎え撃て!」

 即座に全登が応じるが、霧が深く湿気が多いため、宇喜多の鉄砲隊は火縄に火を灯していなかった。そのため鉄砲で、応戦できず、白兵戦の用意も整っていなかったので、混乱した。

 その隙をついて、忠吉と直政は砂塵を巻き上げ、宇喜多隊の前衛に突き進んだ。

「突けっ!」

 直政の下知に、必死で忠吉は手にしていた長槍を目の前に迫る宇喜多兵に繰り出した。乾いた金属音が周囲に響き渡り、切っ先を横に払われる。その敵の刃を傍らの直政の太刀が叩き落し、相手方の騎馬武者を一刀両断で薙ぎ払って、「退けっ!」と鋭く忠吉に命じると、忠吉の乗る馬の尻を鞭で叩いた。

「逃がすかっ。鉄砲隊、放て!」

明石掃部助全登の下知で、宇喜多勢の鉄砲隊が、忠吉と直政の背に向けて発砲した。すかさず付き従っていた足軽兵が、竹盾を持って二人の周囲を取り巻き、防御を固める。弾が青竹を弾き、破片が粉々になって周囲に雪のように降り注ぐ。

馬の背中に這い蹲るような格好で、無我夢中で鐙を蹴り、忠吉は鉄砲の雨の中後方に駆けた。

本来の先鋒である福島勢の背後まで駆け抜け、漸う直政は忠吉に馬を止めさせた。

「おのれ、井伊侍従め。やはり抜け駆けしよったか!」

 大音声で福島正則が叫びながら。大槍を振り回して宇喜多勢に突進していく姿が、忠吉の視界の隅を掠めた。額に流れる汗が目尻に流れ、酷く右目が痛む。息が上がり真っ白に漂白された脳裏に、カキンッと槍と刀が触れ合ったつい先程の場面だけが、繰り返し繰り返し色鮮やかに蘇っていた。

「御目出とうござりまする。鉄砲全盛の世にあって、貴方様は槍で此度の戦を見事始められました。これは徳川家末代までの誉でございますぞ」

 透き通るような白い素肌に、そこだけ目を射るように赤い直政の唇が、先鋒の栄誉を果たした忠吉の武勲を寿ぐ言葉を発していた。

「舅殿の・・・・お導きの・・・・お陰で御座います」

 上がる息を懸命に堪えながら忠吉がそれだけ必死に言葉に紡ぐと。

 血の気の引いた青白く翳る頬に淡く微笑を刷いて、直政が小さく頷いた。

 卯の下刻に始まった戦闘は、巳の刻(午前十時頃)を過ぎた頃、戦況は動いた。膠着状態が続く戦況に焦れた家康の本隊が、桃配山を下って前進を開始した。

「押し立てよっ」

 軍配を振った直政の下知で、井伊隊・松平隊共に前進を始めた。五町ほど前進した所で、無傷で駐留する島津隊と遭遇した。

 忽ち両軍の鉄砲隊同士が、応戦を始めた。

「戯けっ。敵は寡兵。何故、我が方が撃ち負けるのかっ。気概を示せ!」

 戦巧者の島津隊は、勇猛名高い井伊隊ではなく、主同様初陣に近い松平隊に向かって、集中砲火を浴びせて来た。

 目の前で蹴散らされる自身の鉄砲衆の無残な姿にいきり立つ忠吉を、傍らで守る直政が、「落ち着かれませっ。大将が突出してはなりませぬっ」

 日頃、自分自身が家老の木俣等から口を酸っぱくして言われている台詞で懸命に諫め押さえる。

「この戦は我等の勝ち戦に違いなく。されど多くの鉄砲衆を失っては、勝鬨の際、お屋形様の心証が宜しくありませぬ。此処は一旦引いて、島津惟親の首は、福島あたりにくれてやりましょう」

「しかしこのままではっ。何もせずにおめおめと退いたという汚名が残るだけじゃ。それは出来ぬ」

 初陣の極度の緊張感の中で、忠吉は功を焦っていた。舅である直政が止めるのも聞かず、制止を振り切って前進する。

「下野守様っ」

 焦った直政が、忠吉の乗る馬の手綱を引き、

島津の鉄砲隊を避けながら南隣の小西隊の方へ馬面を向ける。

島津隊の勇猛さは世に聞こえている。家康から預かった大事な婿をみすみす彼等の餌食に出来ぬという、直政の配慮だった。

 戦局が大きく動いたのは午の刻(正午)、再三の家康からの要請に、小早川隊の将稲葉が遂に焦れて、主の小早川秀秋を捨て置いて、松尾山から掛け下った。藤堂高虎の申し次で小早川軍に同調していた赤座直保、脇坂安治らもこれを見て、一斉に西軍に反旗を翻し、側面から西軍の大谷軍に攻めかかった。

 突如、圧倒的多数の敵に取り囲まれることとなった大谷吉継は、最早これまでと山中で自刃。見方を失い浮足立った宇喜多軍に東軍は殺到し、宇喜多秀家は軍勢を支えきれずに西に向けて逃亡を始めた。小西行長もこれに続いた。

 午ノ下刻(午後一時)頃には、西軍は総崩れとなった。

「されば先程の決着を、改めてつけよ!」

 追撃に掛った東軍の一角で、忠吉は叫んでいた。目の前に、敵中突破を図って伊勢街道に抜けようとする島津隊が迫っていたのである。

「儂は内大臣、徳川家康が四男、丸平忠吉であるっ。島津家中で我こそはと思う武士はまかり出よ・・・・・」

「俺が相手になりもうそう。松浦三郎兵衛でごわすっ」

 島津隊の先頭から、身の丈六尺を越える大男が、名乗りを上げて突進して来た。

 薩摩武士の大太刀が風を切って振り下ろされ、忠吉の左肩と乗る馬の鼻先を掠めた。一撃で昏倒した馬は、忠吉を乗せたまま草地にドウッと倒れ伏し、忠吉は勢い余ってぬかるんだ大地に放り出された。起き上がろうとしたところを、飛びついて来た巨漢の薩摩武士に、草地へ押し倒されてしまう。

「下野守様っ!」

 直政の叫び声が聞こえたと思った瞬間、自分の上に馬乗りになっていた薩摩武士の首が、血飛沫と共に泥の中に沈んだ。駆けつけた直政が騎乗したまま太刀を閃かせ、一刀で忠吉を組み伏せていた松浦三郎兵衛の首を刎ねたのだ。

その刹那、乾いた発破音と共に、直政の鎧の右脇で、島津方の放った鉄砲の弾が跳ねた。重厚な鎧は弾を貫通こそしなかったが、跳び弾が直政の右腕上腕付近を抉り、その勢いで直政は落馬した。

「くっ!」

 激痛に顔を歪めた直後、落馬の衝撃で直政が失神した。忠吉の目の前で、ガックリと手折られた花のように地面に打ち付けられた全身を弛緩させ、直政が倒れ伏している。

「舅殿っ、舅殿っ!」

 意識を失った直政の右腕からは止めどなく血が流れ、ぬかるんだ泥の上に、瞬く間に真紅の血溜りを作る。

「誰かっ!誰かあるっ・・・・・舅殿がっ、舅殿が撃たれた・・・・誰かっ!」

 必死の忠吉の叫び声に、直政の馬廻り衆を勤める三浦元貞が、主の異変を察して飛び込んで来た。

「殿っ、殿っ、お気を確かにっ・・・・」

 地面に倒れ伏す直政を抱き起した三浦が、直政の被る朱漆塗越中頭形兜を脱がせ、その蒼白な頬を張る。幾度も、幾度も。

「すぐにご家老の木俣様にお伝えせよっ。我が殿ご被弾と!」

 手洗い三浦の気付けが効いたのか。玻璃のように繊細な造りの瞼が幾度か震えて持ち上がり、黒目勝ちの印象的な瞳が、ぼんやりと自分を覗き込む三浦と忠吉の顔を見上げる。

 まだ意識が混濁しているのか。

「・・・・下野様・・・ご無事か・・・・・・儂の事より・・・・島津を追え・・・・・我が婿殿に・・・・手柄を・・・・」

 そこまで言うと、また力尽きたようにすぅ

っと瞼が閉ざされる。

「殿っ、侍従様っ!」

 三浦の知らせを聞いたのだろう。血相を変えた木俣が、騎馬で駆け付けて来た。馬を降りるなり、直政の周囲を取り囲む家臣達を押し退けて、三浦の腕に抱き起されている直政の傍らに跪くと、泥土に投げ出されたままのその白い左腕をきつく握る。そして開口一番、

「目を覚まされよ、侍従様っ。こんなところでっ。こんなところで死のうものなら、この木俣、地獄の底まで追いかけて行って、張り倒しますぞっ!」

 大音声で怒鳴りつけるので。

「・・・・煩い・・・・わ・・・・守・・・・勝・・・」

 再び意識を失い掛けていた直政が、目を閉じたまま、今にも消え入りそうな声で、応じた。

 直政が撃たれ忠吉も負傷したことで、陣形の崩れた井伊隊・松平隊の側面を走り抜ける形で、島津惟親率いる島津隊は、東軍の陣形の中央を突破し関ケ原の戦場を駆けぬけた。

 手負いの直政と忠吉を自軍の陣へ運び込んだ井伊隊は、直政に代わって指揮を執ることとなった木俣の下知で、南の伊勢街道目指し駆ける島津隊を追ったが、《捨て奸》と呼ばれる必殺の殿軍策で追手を撃退する島津の戦術を前に、遂に追捕を諦め撤収した。

 未ノ下刻(午後三時)。勝利の鬨の声を上げさせた家康は、陣場野で討ち取った敵将の首実検を行った。

「下野守、負傷したのか?」

 意識を取り戻し、医術の心得のある三浦の手で鉄砲傷の応急処置を受けた直政共々、父家康の前に罷り出た忠吉は、我が身を案じる父の言葉に、

「不肖の息子故。しかし浅手にございます」

「・・・・不肖など・・・・とんでもございませぬ。下野守様は、此度格別のお働き・・・・。流石、逸物の鷹の子は逸物で御座います・・・・・」 

 直政が、婿である忠吉を庇ってそう口添えする。

「それは鷹匠の扱いが巧じゃからじゃ」

 上機嫌で直政の言葉を喜んだ家康だったが。負傷した武家の習いに従って、傷を負った右腕を晒しで巻き背負った靭に吊った直政の姿に、眉を顰めると、

「其方こそ深手を負っておるではないかっ。すぐに手当てをし直せ」

 と叫び、近習の者に愛用の薬箪笥を持って来させると。取り出した軟膏を手ずから掬い、直政の右腕の晒を解いて、

「痺れてはおらぬか?力は、指先に力は篭るのか」

と何度も問い掛けながら、幾重にも塗り重ねたのであった。


  八、徳川家康


『天下の仕置きにお忙しいところ、真に恐縮ではございますが、上様におかれましては、この井伊侍従直政、一度直接お会いして、暇乞いを致したく存じます。大阪よりのご帰国の際、もしお暇がござりますれば一度、高崎にお寄り頂きたく。伏してお願い申し上げます。

     慶長六年七月十四日

徳川家康様      井伊侍従直政 』


 家康が井伊直政からの、右の書状を受け取ったのは、蒸し暑い梅雨空が漸く明けた侯のことであった。

 関ヶ原の戦いで負った鉄砲傷がなかなか癒えぬ直政は、病身をおして、本多忠勝、榊原康政らと共に諸大名の論功行賞に加わっていたが、毛利家の周防・長門二ヶ国安堵の決着を見ると同時に再び倒れ、そのまま病気療養のため、新たに六万石加増され移封した近江佐和山の領地へ引き籠っていた。

 直政の身体を蝕んでいたのは、鉄砲傷による鉛中毒だった。体内に取り残された弾が上腕部の骨近くに留まり、摘出することが適わなかったため、髄液によって溶け出し、多臓器不全のような症状を齎しているのだった。

 右手の負傷の為筆も持てず、祐筆に代筆させた直政の書状と共に添えられていた家老の木俣からの頼りには、既に床の上に起き上がることさえ難しくなった直政の病状が、事細かく記載されていた。

「侍従も・・・・、万千代も、儂より先に逝くのか・・・・」

 医術に心得のある家康には、木俣からの頼りだけで、自分が寵愛する家臣の抜き差しならぬ病状が、手に取る様に伝わった。

 自分の天下取りの一番の功労者ともいえる寵臣からの願いに、家康はすぐさま応じることを決め、伏見よりの帰国の途中、日数を割いて直政の新しい知行地である近江佐和山に立ち寄った。

「これこれ、無理をして起きておらんでも良い。寝ておれ」

 愛宕屋敷と呼ばれる普請中の直政の居室のある建物を訪れた家康は、褥の上に身を起こし平伏していた直政の姿に、驚いて片手を振ってみせた。

―何と、ここまで衰弱しておるのか・・・・。

 木俣からの書状で、直政の病状がかなり悪いと承知していた家康さえ驚くほど、目の前に座する直政は痩せ細り、今にも空気中に儚く消えてしまいそうなほど、弱々しく見えた。

 しかしそれ程やせ細っていても、長い眉と典雅な曲線を描く目鼻立ちは、以前と変わらず美しかった。血の気の失せた頬は、白絹よりも白く透き通り、何時も家康を虜にしていた黒目勝ちの大きな瞳は、思いもかけず穏やかな光を宿していた。

「・・・・ご多忙の中、わざわざのお運び、恐悦に存じます」

 掠れた声でそう告げる直政の背後には、その痩せた背中を支えるように、家老の木俣が控えている。

主の薄い背中を自身の両腕で抱くかのように支え守るその精悍な面には、沈痛な色が浮かんでいたが、気丈にも何かをじっと堪え静かに端座していた。

「上様にはこの直政、幼少の頃より・・・・格別のお引き立てを賜りました。にも拘らず、上様の天下布武の偉業が・・・・真になる前に、・・・このようにお暇・・・・申し・・・・上げねばならぬ仕儀となりましたこと・・・・、真・・・に某の不忠の極み。面目・・・・次第もございませ・・・・ぬ」

 それだけの事を云うだけでも、幾度も息を荒げ、途切れ途切れに告げる直政の衰弱ぶりが、家康にはただただ哀しい。

「何を言う、万千代。其方は不忠者などではない。其方が不忠者というなら、我が徳川家には、誰一人として忠義の者がおらぬことになってしまうぞ」

「勿体ない・・・・お言葉・・・・心に・・・・刻み置きまする・・・・」

 褥の傍らに腰を下ろし、その傷つきやせ衰えた右腕を取って撫で摩ってやれば、直政は泣き笑いに似た顔で、微かに唇の端に微笑を浮かべて頭を下げた。

「守・・・・・勝・・・・、例のものを・・・・此処へ・・・・」

 自分の背を支える木俣に、何処か甘えるような仕草で、直政が何かを促す。

「かしこまりました」

 首肯した木俣が、隣室に控える小姓に、小声で何事かを命じた。

 やがて、恭しく白木の箱を運んで来た小姓が、上座の家康の前にその箱を置き、一礼して部屋を出て行く。

「これは?」

「おそれながら、中を検めて下さりませ」

 殆ど喋る気力もない直政に代わって、木俣が家康に促す。

 促されるまま、蓋を開ければ。

 井伊家の鮮やかな朱に塗られた兜が入っていた。前立てに獅噛という怒れる獅子の面を彫り込んだ、見事な意匠の兜であった。

「これをこの木俣に・・・・預けおきます・・・・・何れ時が来ましたならば・・・・畏れ多いことながら・・・・・上様・・・・のご判断で・・・・惟なる兜を・・・・某の二人の息子の・・・・何れかに・・・・・お与え願いませんでしょうか・・・・」

 直政には、この年共に十二歳になる同じ年の長男と次男があった。その二人の内のどちらかに井伊家の家督を継がせるか。家康自身がそれを判断して欲しい。そう直政は請うているのだった。

「そして憚りながら、もし某の我が儘が叶うのならば・・・・。上様から頂いております此処、近江佐和山十八万石を・・・・幾らずつでも構いませぬ。分割して・・・・・我が二人の愚息に・・・・譲ることを・・・・お許し・・・・頂きたい・・・・っ」

「我が殿は幼少期より、親兄弟の縁が薄く、大層寂しい少年時代を過ごして参りました。かつて今川方に悉く嫡流の男子を誅されて来た井伊家は、折角得た男子を何より大切に致したく存じます。誠に僭越ながら、この木俣清左衛門守勝からもお頼み申し上げます。我が主の今生最後の願い、どうかお聞き届け下さいませっ」

 予め主従で打ち合わせ済みであったのだろう。浅い呼吸で懸命に訴える直政の願いを補足するように、木俣が必死の形相で言い添え深々と低頭した。

―二人で謀って、この家康に否と言えぬ状況を作りおるか・・・・。

 しかし不快な気分には一切ならなかった。

直政がその生涯を通じ、どれほどかつての井伊谷に細々と繋がった我が血統を守る事に注力して来たのか。他ならぬ誰よりも理解しているつもりの家康であった。

「相判った」

「誠にございますか」

「この家康に二言はない。いずれ時が来て、其方の息子二人が無事元服を済ませた後、儂が自ら井伊家の嫡子を決め、近江佐和山を継がせよう。そして残りのもう一人も、けして粗略に扱わぬこと、此処に確と約束する」

―それぐらいしか、もう儂にはしてやれることはない。許せよ、万千代・・・・。

 本来なら、直政の小牧・長久手以降の働きを思えば、譜代筆頭の近江佐和山十八万石どころではない、最低でも五十万石以上の知行をもって、その働きに報いねばならぬと考える家康だった。

 だが、昨年の関ケ原の戦いで、嫡子の秀忠が戦に遅参してしまったことで、家康は東軍に組した豊臣恩顧の大名衆に、西軍から奪い取った所領の殆どを、大盤振る舞いせねばなぬ仕儀となっていた。

 労多くして誉少なく。徳川直臣の家臣達に無理を強いて漸く手に入れた天下だった。

自分に与えられた知行を、二人の息子に分けて相続させて欲しいという直政の些細な願いさえ聞き届けられなくて、何が天下人かと思う家康であった。

「我が浅はかな願い。お聞き届け下さり・・・・誠に・・・・有難う存じます・・・・」

 それだけ言うのがやっとだったのか。直政が喘ぐように小刻みな呼吸を繰り返し、守勝の腕の中で力尽きたようにその美しい瞼を閉じる。

「もう、良い。何も言うな。横になって暫し休め」

 病んでも尚秀でたその白い顔を見下ろしながら、家康は告げた。

―まだ、其方は四十二であろう。逝くのはまだ若すぎるっ。若すぎるぞ、万千代よ・・・・。

 直政は家康よりも十九歳も年下だ。その才は《徳川四天王》と評される家康重臣四人の中でも、最も高く秀でていると、世人はもとより、他の残りの三名皆が認めている。

―その万千代が逝くか。

我が子信康に似て血気盛んで、しかし何かと儂に反抗的だった信康などと比べ物にならぬほど、儂に生涯忠節を尽くしてくれた、万千代が・・・・。

家康にとって、目の前に力なく横たわる直政は息子同然。否、それ以上の存在であった。

「・・・・万千代・・・・。戦いに明け暮れたその生涯、其方は少しは幸せであったのか・・・・?」

 半ば独白のように問いかければ。奇跡的にその声が聞こえたのだろう。

守勝の腕の中で直政が震える瞳を開き、真っ直ぐに家康の顔を見詰めて来た。

「万千代、其方、少しは幸せであったのか?其方が真に恋しいと思う相手とは、一時でも思いを交わせられたのか・・・・」

 かつて、直政と衆道関係にあった頃。閨を共にしながら家康は、直政の本命が自分ではないことを知っていた。知っていながら、忠義を盾にその身を抱いた。のちには、豊臣方の諸大名を調略させるために、その身体を利用させさえした。

―許してくれとは言わない。

言ったところで、許されぬ事であるのは、誰よりも家康自身が判っていた。

それでも。

例え家康自身の後ろめたさを慰めることにしかならないかも知れないが。

例え泡沫の様な一瞬でも良いから、直政自身の秘する恋心が成就した時があればと。そう願わずにはいられない家康であった。

「・・・殿、さすればそれは、秘するが花、でございますよ・・・・」

 小姓の頃と同じ口調、同じ笑顔で、万千代が微笑む。遠き昔、家康が一時は本気で我が物にしたいと願い、そして叶わなかった頃そのままの、不遜ささえ感じさせる口調で。

 それが家康と、彼の寵臣井伊直政との今生の別れとなった。


 ※ ※ ※


 直政の死から十三年後の慶長二十年。後世大阪夏の陣と呼ばれる家康と豊臣秀頼の間で行われた合戦に、二十五歳となった井伊直政の次男(正式には長男)井伊掃部守直孝は、父直政譲りの赤備えの具足を身に着け参陣していた。

 直孝は、生来虚弱で病がちの兄直継(直勝)の名代として、徳川家康から特に命じられて、この大坂夏の陣に参戦していた。

 直孝はこの戦いで、亡き父のかつての盟友藤堂高虎と共に先鋒を務め、敵将・木村重成と長宗我部盛親を打ち破り軍功を上げた。また秀忠の命により、大坂城の山里郭に篭っていた淀殿・豊臣秀頼母子を包囲し、発砲して自害に追い込むという大任を遂げた。

戦後、その軍功を認められ、五万石を加増され、従四位下侍従へ昇進し、亡父直政の遺封を継いで近江佐和山十五万石を、二代将軍秀忠より安堵された。

直孝の兄で直政の長男直継は、同じく亡父の遺封より安中三万石が安堵された。

《井伊の赤鬼》の異名で知られる直政の遺児二人が継いだ二つの血脈は、

『我が井伊家は徳川将軍家を守る最強の盾であり矛であれ』

 という遺言を家訓とし、江戸時代二百六十余年間絶えることなく続いた。

 そして迎えた幕末動乱期。

弱体化する幕府の屋台骨を支え桜田門外の変で横死した井伊直弼は、直孝に始まる彦根藩二十三万石の十三代藩主である。

 またこれに対し、徳川親藩でありながら、一早く新政府側に参じ、戊辰戦争で功をあげ、その後十五代将軍徳川慶喜の助命嘆願に尽力したのが、直継に始まる上野安中藩三万石であった。 

 家康はその寵臣直政の今生の願いを確と聞き届け、その結果この二つの家は徳川幕府の終焉まで、初代直政の遺訓を守り通したのであった。

               《END》 

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赤の誉 ~井伊直政異聞~ @jiijiiramu

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