白い部屋
@sounakama
全1話
長い長い時間を、八畳あまりの真っ白な部屋で、ぐるぐるぐるぐる朝から晩まで回り続ける洗濯物を見ていると、気がたまにおかしくなる。人は洗濯をする。機械でそれをやる。それを管理するのに人がいる。その仕事を私がしている。それだけだ。だが人はこの真っ白な部屋でいくつものドラムが一定のリズムで回転するのを見続けるのは、なにか嫌なものがたまっていくのは容易に想像がつくだろう。それが今、頂点となって吹き出すところにきているのかもしれない。
私はいつもの通り、このコインランドリーを管理するために、毎日朝八時に入口のシャッターをあけて、ガラス窓を拭き、地べたを掃き、ドラムの中を点検する。今日は中に入っていた片方だけの靴下を段ボールでこしらえた箱に入れた。妻がその段ボールに、半紙に墨汁で「わすれもの」と書いて貼ってある。機械が異常をきたしているランプがついていないか確認し、定位置の椅子に座ったところで、仕事が始まる。すぐには客は来ない。来るのは決まって九時以降だが、それは大事なことではない。私はなにか、この真っ白い無機質な空間を見ねばならないような気がしてならなくなる。ストレスがたまるのに、だ。その理由をいつも探している気がする。
この仕事をする前には、普通のサラリーマンだった。マッサージ器具の営業だった。多くのどうでもいいマッサージ器具を売り続けた。私は一切使うことはなかった。老人ホームや接骨院、様々なところで笑いたくもないところで笑い、つきあいの飲みたくもない酒を飲んで、金を稼いだ。この間にいろいろな事件は起こったし、あえて起こすこともあった。この働いている間に、わたしがこの光景を見続けなければならない理由があるのかもしれない、と考える。
よく思い出すのが、大ポカした部下に「お前の頭は真っ白かいな」と嫌味っぽく言ったことだ。それがこの事態を生み出しているのではないだろうか。部下の恨みが永遠と続くような真っ白な時間を生んでいる。だが後悔なんぞしない。
定年を迎え、親が両方ほぼ同時に亡くなり、その住んでいた土地をコインランドリーにしようといったのは妻だった。妻とは儲けは半々に決め、半分の土地をコインランドリー、もう半分を駐車場にした。私はやることもないので、このコインランドリーに毎日通うようになり、ここに来てもやることがないので、その一角に椅子と机を備え付け、かれこれ十年ほどになる。
この真っ白い景色に一つだけ緑色と黒色で描かれたポスターが貼ってある。女の上半身が横三人描かれていて、なぜか体は緑色で背景は白黒の抽象画の趣だ。これも妻が何も言わず貼っていったもので、この絵は嫌いで見ることはほとんどない。本を読んだり音楽を聴くこともない。やることはずっとここでぼーっとしながら、顔見知りの客としゃべるか、たまに寝るか。ずっと、やることがなく、やはりなぜこの白い部屋に居続ける理由を考えては、消している。
そういえばこういうこともあった。確か娘が二四の時に絵描きの彼氏をつれてきて、そいつの絵を見に行くことがあった。妻と二人で画廊に行き、わけもわからない絵をみて、なんだかよくわらない彼氏の話を聞き、そしてちんぷんかんぷんな絵を一枚買った。二万ぐらいする絵を買ったのは、そいつが東大出身のおぼっちゃんで、いわば投資のためだ。プレッシャーの意味もあった。そいつとは何が理由だったか、もう別れ、絵もどこにあるかいまではわからない。だが、たしか、買った後で妻に、「絵なんかのうて、真っ白い方がきれいやのにな」みたいなことを画廊を出た道端で言ったことがある。娘と彼氏とは距離があったはずだが、あいつの耳に入っていたのではないか…確か画廊も八畳ぐらいだったような…。まぁそれはないだろう。私は何かに罪滅ぼししようとしているのだろうか‥客が入ってきた。
私はぼーっとしているただのじじいで基本的に挨拶はしない。客は何も言わず、札からコインに両替し、無造作にドラムの中に洗濯物を詰め続ける。このあたりに住むインド系の移民の女性で、週に二度ほど来る常連さんだ。額に赤い塗料が塗ってある。一度も話したことはない。前に旦那らしきやつも来ていろいろわけのわからない言葉をやかましく使っていた。この仕事をしていても基本的に人と話すことは二種類で同世代の老人の世間話か、機械のクレームの二種類だ。このインド女とは話すことはない。女は三十分ぐらいして、ドラムが止まったと同時に帰っていった。
ガラス窓には手のひら大の「コインランドリー ノノムラ」と黄色のシールが貼ってあったが、一文字めの「ノ」が取れてただのノムラになっている。それをいつか直さなければならないのだが、面倒なため最近はノノムラでなくノムラで通すことになってしまった。あれこれ考えると面倒になってくる。時計をみればもう十一時。飯だ飯だ。
家に帰ると妻がテレビを見ながら、寝ている。最近はこういう事が多い。
「おい。」
「あぁ、お帰んなさい」
「飯食うわ」
「まだ十一時やない」
「食うんや」
「昨日の残りもんでええの?」
「なんか冷凍食品ないか?」
「自分で見て」
冷凍庫を開けるとタコ焼きとチャーハンが入っていて、賞味期限をみると両方とも切れていた。
「おい、期限きれとるがな」
「じゃあなんかスーパーで買うてきて」
「なんやそれ。」
「わたしこれ見てんねん」
「何言うとんねん、お前」
「お前って二度と言わんといて」
妻の空気が変わったので、すぐさま玄関から出ることにした。そういえばお前は禁句だった。スーパーに行くのも面倒なので、気分を紛らわすためにタバコ屋でもいくことにした。ここは総菜パンとかも売っている。タバコ屋は年が一回り下のじじいが店番している。私は焼きそばパンと、紫色のパッケージの甘そうなパンを手に取って台に置き、ラークの六ミリを親爺にいうと、「いつもまいどです~」と言って、三つを袋に入れた。私は千円出すと、このまま帰るのもなんだから、暇つぶしにパンの味を聞いてみると、「ブルーベリーとサツマイモ味ですね〜」と言って、釣りをくれた。
「そんな組み合わせうまいんかいな」
「まぁまぁちゃいますか」
「まぁすぐわかるんやけど」
「また聞かせてください。」
「ほな」
タバコ屋を出て、コインランドリーまでに小さな公園がある。そのベンチで食べることにした。歩いている間にラークを一本加え、ぶらぶら色々思い出してきた。
昨日の客で、妙な客がいたことを思い出した。久しぶりに若い男性が私に話しかけてきた。確かこのあたりにパチンコ屋はないかと聞いてきて、駅前にあるんじゃないですかね〜と少々ボケた老人のふりをして答えた。初めての客に対してはボケたふりをすることにしている。
「一パチもありますかね?」
「なんですかいな?」
「いやいいんです。私はパチンコ好きじゃないんです」
「はぁ。」
「好きじゃないですが、一応知っておこうと思いまして」
「お客さん洗濯もん、おわってまっせ。」
あぁそうだった、といって乾いた洗濯物を自前の籠にいれて、そそくさと出て行った。私はパチンコが好きだ。一パチの意味も分かっていたが、何かこの客は一言も交わしたくない空気をまとっていた。何が知っておこうと思いまして、や。
公園に着くと、袋からパン二つを取り出して、気になる紫色のパンから食べ始めることした。パンはさいころ大のサツマイモがついているこっぺパンにブルーベリージャムを挟んでいるもので、まぁまぁうまかった。次の焼きそばパンを食べる前に一つ気づいた。昨日の客の顔が何かに似ていると思っていたのだが、この公園の遊具の豚に似ている。まぁ、どうでもよいことだ。
「ノムラさん、今日は仕事せんでええの?」
振り返ると、同い年の薬局で番してる安永だ。こいつは面倒な奴で、口も聞きたくはないが、町内会長なのでずさんに扱うと後で面倒だ。コインランドリーで番していることも言っていなかったが、ばれていたらしい。
「ノノムラでんがな、安永さん。今日は散歩ですか?」
「今日はパチンコにでも行こ思て」
「えぇですなぁ。わしも明日あたり行こ思てますねん」
「今日は仕事しませんの?」
「気分転換」
「なるほど〜ああいう仕事は気分転換大事ですからな。」
自然と腹に力が入る。
「毎日気分転換みたいなもんで。かかぁと居ってもけんかしてまいますから。」
「そうですかぁ、おかぁんは大事にせなあきませんぇ。」
こいつのなまりは京都のそれで、話していると腸が煮えかえってくる。
「駅前のパチ屋なくなりまんのん、しってました?」
「そうですか?初耳ですわ。その情報、どこで仕入れましたん?」
「また別のパチンコ屋が入るらしいですけれど、確からしいです」
「そら安心ですな。誰から聞いたんです?」
「な、い、しょ」
たまらずにラークを口にくわえる羽目になった。
「明日一緒に行きます?徳田さんも明日行くいうて。」
「いや、明日確か、お寺やったかもしれません。また行きましょうや。わし、遠山の金さんが好きでんねん」
「あぁ、残念。わし遠山の金さんで出たことないわ。またノムラさんとこにお邪魔しますわ。ほな。」
ようやくどこか行った。寺なんて嘘じゃ。とぼとぼ歩きやがって、こいつ、轢かれてまえ…とたばこをふかしながら気を収める。焼きそばパンを口に放り込み、公園の自販機でさっきの釣りを入れ、よくわからないメーカーの安いお茶を買って胃に入れると、なんだか虚しさが込み上げた。二本目を吸い終えると、三本目は根本まで吸ってしまった。
コインランドリーに戻ると客が何人かいた。一人は顔見知りのばぁさんで、一日置きにくる常連だ。「まいどです〜」というと軽く会釈してくれる。このばぁさんは好きだ。一言も話すことはないが、何か心を癒すものを持っている。次に目に入ったのが、黒人の女性で、初めて見る。露出の多い、派手な格好。私は英語を無理に話す気にはならないので、この人にも一応「まいどです~」と小声であいさつしてみるが何も言わない。耳にちらちら動くものがある。音楽きいてやがる。たっぱが百八十センチほどある気がする。もう一人は陰気な学生で最近見るやつだ。こいつもあまり話したくはないタイプだが、二人にしないでこいつにしないわけにはいかない。「いつも、ありがとうございます~」と言うと「どうも」と言った。定位置に戻ると、もう一度茶で口を洗い、朝から考え続けているこの因果を考える。時計は十二時前を指していた。
ばぁさんが帰るところまでは覚えているが、その後が思い出せない。寝てしまった。最近このドラムの回転音が子守唄になって、嫌でも寝てしまう。学生一人だけになっている。時計を見ると十三十五分を指している。よく見るとうつむきながら何かをしている。椅子から少し立ち上がり、観察してみるとゲームに夢中になっているよう。ドラムはもう動いていないので、「お客さん、洗濯もん、もう終わってますよ〜」と愛想よく言ったが何も言わない。仕方がないので、他のドラムに忘れ物がないか見ようと席を立つと、うつむきながら「すみません、すみません。もうすぐですから」と言うので、「ゆっくりしてくださ〜い」と優しく答えてやる。セーブしてから!な。孫がよく言っていた。端から順に調べていくと、黒人の女が使っていたドラムの中にコツンと小さいものが手に当たった。最悪だ。指輪。忘れ物入れの中にいれるわけもいかず、机の引き出しにいれて、来た時にどう対応しようか考えた。そのあと15分ぐらいすると、学生は区切りがついたのか、一礼して帰って行き、また無人になった。私は再びこの白い部屋のことを思いめぐらそうとしたが、どうもうまくいかない。部下も娘の彼氏もどこかへ行ってしまった。あれこれ考えていると妻がやってきた。
「なんや、飯ならもう食うたぞ」
「あんた、電話で外人さんが何かいうてるわ。」
「あー。黒人のねぇちゃんな。」
「電話代わるわ」
携帯を受け取ると、おそらく先ほどの黒人女が指輪について聞いているのだが、何を言っているのかやはりわからない。とりあえず、リングヒア!リングイズヒア!と用意していた言葉をいうと、何かちょっと小声になり、六時ぐらいに来るということはわかり、サンキューサンキューと言って電話を切った。うまくいった。
「あんた昼何食べたん?」
「昼パン食うた」
「パンだけでは足りへんやろ」
「別に」
「これ食べとき」
そういうとパック詰めされたやきそばを出してきた。
「昼やきそばパンや」
「いらん?」
「いや、置いといて」
「あと貧乏ゆすりはやめとき」
「え。あぁ」
妻は小言をいうと、割りばしと焼きそばを置いて、さっと出て行った。何であいつは外人のことについて何も聞かないのだろうか?まぁ三時ぐらいに食べるとするか。
少し落ち着くと、別の考えが浮かんだ。
確か中学の頃に友人三人と肝試しをしたことがあった。隣町の廃校で、たしか中学の校舎だった。深夜自転車を走らせて、校門を飛び越え、玄関の靴箱を開けて何が入っているか見たり、蛇口をひねったり、適当に遊んだりしていた。教室の一つに違和感ある部屋があった。入って電気をつけると、部屋の中は空洞だった。窓一つない、ただただ白い部屋に、四角が並ぶ木目の床と天井。のっぺりとした真っ白い部屋が不気味なものだったのを思い出した。三人ともおそろしくなり、この部屋を最後に、肝試しをやめたのだった。
それを思い出した瞬間、背筋が冷たくなるのを感じると共に、自分の瞼が吊り上がるのがわかった。私はその白い部屋に何かがいることを思い出したのだ。それを友人には言わなかった。その何かが思い出せない。そういえばその頃はそういうたぐいのものがよく見えたのだが、また近づいてきているのかもしれない。
確か妻が隣町に詳しかったはずだ。友人が何人かいる。置いていった携帯で自宅にかければ出るだろう。
「もしもし野々村ですけれど」
「わしや」
「なんやのん」
「携帯わすれとるぞ」
「あ、そういえば。それだけ?」
「いや、聞きたいことある」
「何?」
「確か隣町に詳しいやろ?」
「ともちゃんといっちゃんが隣町にすんでるけど」
「隣町の山裾に牛田東中学校ってあったやろ?」
「だいぶ前になくなったやんか」
「その中学に詳しいやつ知らんか?」
「いきなりなんやのん」
「まぁいいから誰か知らんか?」
「何かあんた、おかしいで。」
ゴトッと音がした。何か倒したのだろう。こういう時だいたい妻は勘づくのが早い。というよりも、こう唐突に聞くからか。昔肝試しに行ったことを思い出し、その中に窓のない白い部屋があって、その部屋が気になるのを素直に言うと妻は何かを諭したような声で
「あんた、やめとき」
「何がや?」
「あんたが突発的に何かしようとするとき、私が不幸になる」
「いきなり何を言うねん」
「まぁ、ええか。先輩紹介したるわ。牛田東中の卒業生。」
「まぁ、頼むわ」
そう言って、電話を切った。
私は考えるのをやめていた。ここから先の事を考えるのが怖くなっていた。暇をつぶすつもりが、何か別の深刻な場所に立ち入ることになるような気がして、加速させるのはよくないのだろう。しばらくは、昨日のニュース番組を考えることにした。
その後も客が何人かきて、去っていった。妻はすぐに携帯を取りに来ると思っていたがなぜか来ない。もう一度家に電話したが、出ない。なんだか妙な気持ちになる。一旦家に帰ろうかとも思ったが、腰が上がらない。両肩にとてつもなく重たいものがある感じ。だるさはない。やっぱり近づいている。
時計は五時半なろうとしていた。すると妻がようやくガラス越しに現れた。なんだかホッとしたと思うともう一人いる。賢そうなおじいさん。
妻が興奮気味でガラス戸をガラガラと開けると、
「こちら牛田東中の卒業生の吉田さん。携帯電話返してもらうで」
机の上に置いてある携帯を掴むと、すぐに立ち去って行った。あっけにとられてしまった。
「どうも吉田です。家内が野々村さんとはよくしてもらって」
と、まだ信じられない気持ちでいると、顔にでたのか、
「奥さんと家内が友達なんですよ」
「はぁ、」
そういえばいっちゃんは宮田から吉田に性が変わったと言っていたような気がした。
「なんか、牛田東中のことで聞きたいことがおありだそうで。」
「え、えぇ。よろしければお座りください。」
客用の散らばっっている椅子を自分の机に前に置くと、異様に喉が乾いていて、先ほどの茶の残りをすべて飲み干してしまった。やはり妻とはどこかで通じ合っているのかもしれない。
「牛田東は私の代が最後の代なんですよ」
「あぁ、そうでしたか。ちょっと廃校になってから冒険に行かせてもらいまして。」
「あぁ、そうですか。いつのころですか?」
「六十年代半ばですな。」
「それやったら、五歳ほど私がお兄さんですわ」
「そうですか。それで聞きたいことはその冒険の時の話なんですけれど…」
と何かが見えた事以外を全部話すと。
「見えたんでしょ?その白い部屋で」
「えっ?」
心臓が鷲掴みされた瞬間に、また戸が開いた。
「スミマセンデス。スミマセンデス。」
あぁ、そうだった、忘れていた。もう六時。黒人女がどっしりと入ってくると、ハイヒールをツカツカいわせて、入ってきた。態度と言葉が逆だ。だか少しだけ助けられたような気がした。机の引き出しから指輪を出して、どうぞと言って渡してやると、彼女の大きな口の口角が上がり、アリガトウゴザマシタ。と言ってすぐ去っていった。
額の汗を拭いていると、吉田が笑っている。
「大きい人ですね。どこの人ですか?」
「いや全くわからないんですよ。」
「あぁ、そうだ。窓のない部屋の事ですね。」
「そうです。」
「…たしか図書室やったんちゃうかな。一階の奥の部屋ですよね?」
なぜか吉田はにやついている。
「一階の玄関を右折した一番奥の部屋です。」
「なるほど確実にわかりました。図書保管室ですわ。」
「あぁ、それで窓も無くて。」
「それで何を見たんです?」
「いや、それは…」
「私の知り合いに辻井いうやつがおるんですが、そいつも30年ぐらい前、同じ事ききましたわ」
「え?」
「その場所に肝試し行ってえらいもん見たゆうて」
「なんて言ってますのん?」
「おじいさん。」
「おじいさん?」
「あれ?違いますか?」
「いや…実は思い出せないんです。」
「あら。おじいさんちゃいました?」
「いや…。おじいさん…」
「おじいさんがすっと現れて、髭そってるいう、結構有名でっせ。」
「はぁ…」
「まぁ僕が有名にしたんですけれど。この話、何回したか。よぉ聞かれるんですよ。OB会でもよぉ話しました。図書室でおじいさんが髭剃ってるいうて、家とまちごうてる言うて。」
「なんか違ごたような気がするんですが…」
「なるほど新しい説やな…」
今思い起こすと本のにおいがぷぅーんとしたような気がしてきた。すると徐々に見たものを思い出した。四角い枠の中に何かが…
「僕や…」
「なんですか?」
「僕おかしな事言いますけれど、鏡のお化けをみました。」
「鏡ですか?」
「おかしいなと思ったんです。僕らが部屋に入って電気をつけて、まぶしくて目をしばしばしてましたら、確か、僕がもう一人いたんです。けれどももう二人は、なんもないな~みたいな事言ってまして。あれ、おかしいな、とおもったんですけれど、それ鏡なんです。白い部屋の中央に僕の背丈と肩幅大の四角の鏡なんです。それがいきなり勝手に動き出すとかもないんです。忠実に僕の真似して、ただの鏡なんです。だからぼーっとしてもうて。二人は鏡の事にはなんも触れへんのですわ。なんもないし、真っ白で不気味や、やっぱ今日はもう帰ろ、言いまして。あとで考えたら本物の鏡やったんちゃうかな、とも思ったんですけれど、やっぱちゃうんです。二人には確実に見えてなかった。それで僕は何も言わんかったんです。なんで言わんかったんか、全くわかりませんけれど…それで帰ったんです。」
心臓がバクバクしている。久しぶりだ。一気にまくしたててしまった。吉田さんは驚くこともなく、何か頷きながら、考えている。
「おじいさんとセットの鏡いうことかもわからんなぁ。」
「いや、そんなんわかりません。けれど、なんで鏡なんかなとずっと引っかかってました。今日おたくに初めて話しました。今まで忘れてたんですけれど。」
「わかりました。まぁ聞いてください。」
「はい。」
「OB会ではあの髭剃ってたじじいは誰か、という事を何度も話しました。なんで髭を剃るのか。辻井曰く、髭剃りじじいは入口から背を向けて、髭をそっていました。その鏡の部分だけ見たんかもしれません。いくつか考えたんですけど、どこかの真っ白な空間と間違っているんちゃうか、という事が推測されまして。ところで、真っ白な場所で髭そる場所と言えばどこです?」
「床屋?」
「そう。床屋ですな」
「しかし床屋はやってもらうところですよ」
「まぁええから。自分ところの町の床屋調べたんですよ。調べたのは後輩ですが…。すると面白い記事見つかったんですわ。牛田東中が廃校になった一年後に床屋で自殺があったんですわ。一人もんの床屋で、髭剃りでスパッと首やりよったやつ。」
「まさかその床屋の主人の霊やという…」
「まぁそういう結論ですな。さらに死ぬ前に髭剃ってたみたいやしね。立地をみても大きさから間違いない。なぜか知らんけれど、自分ところでなくて、うちの中学に来よったみたい。」
「じゃあ自分が見たもんは床屋の鏡ですか?」
「そうかもしれません。鏡だけわすれたんちゃいますか?」
「んなアホな。」
「それか何か見せたかったんかもしれませんね。」
「…」
「床屋の親爺は最後ちょっと変な感じやったみたいですね。床屋の癖にちゃんと髭剃ってこいとか言うたりしてたみたい。そのとき髭は生えてませんよね?髭剃れいう話でもないでしょうし…」
「あ…」
「えっ。当時中学生でしょ。」
「髭、生えてました。私当時から結構はえてました。」
思い出した。当時夏休みで髭なんて剃らなかった。髭を剃れ、というだけか。なんだ。こんなことか。
「最後に決めてがあるんですよ。写真持ってますねん。主人の。辻井も後ろ姿しかみてませんけど、たぶんこいつや言うてました。」
写真を見せてもらうと、丸眼鏡に白髪坊主のお爺さんが映っている。
あ、なにかがピンときた。
「その床屋の店主、名前は?」
「確かbarbarノムラやったような気がします。」
あぁ、そうか。わかった。お前がノムラか。
あの黄色い文字を直そうとする毎に丸眼鏡をかけたじじいが夢に出てきた。恰好の事を色々言ってきて、夢を見た日は妻もいきなり身だしなみが悪いと言い出す。その度に床屋に行かされたりして、結局直すのをやめた。夢にでてきたのはお前か。
それがわかった瞬間、脊髄がキリキリキリ、と音が鳴りだした。音の後、頭の中が真っ白になった。何がなんだかわからなくなった。どうしてここにいるのか。あれ?ポンっと、何かが抜けたような感覚。自分の親父の顔。なんで?もうわけがわからん。
「この話、OB会で話してもいいですか?」
あぁ、そうだ。未だ混乱している。床屋のじじい…
「ちょっと待ってくださいね…」
「あきませんか?」
「いえ…そういう…」
わかる。会話がわかる。OB会…あぁ。そうか鏡の話を…大丈夫だ。大丈夫。筋を思い出した
「…いいですよ。OB会だけにしてくださいね。」
「ありがとうございます。今日はおもろい話聞かせてもらいました。こんどは鏡だけ出てくる話とは…」
「…まぁ笑い話みたいなもんですね。」
私と吉田さんは1分ほど無言のままだった。その間に意識が戻っていくのがわかった。今思えば、なにかしょうもないような、そうでもないようなどうでもいいいような。さっきのはなんだったのか。また混乱する。考えるのはやめにした。
吉田さんは確認するように少しだけ笑った。何を言ったらよいかわからず出た言葉が、
「ありがとうございました。」
「いえ、こちらこそありがとうございました。おもろい話でした。」
すこしだけ落ち着いてきた。心なしか視界が広くなった気がする。
もういちど心の中でありがとうございました。とつぶやいた。
「よかったら先輩ご飯でもどうですか?」
「いや、今日は飯炊いて出てきてまして、また今度でお願いします。」
「じゃあ飲みもんでもごちそうします。外に自販機あるから。何がよろしい?」
「あぁ、じゃあお茶もらおうかな。」
二人とも外に出ると妻がいた。妻はなぜか外でずっと待っていたらしい。
「お前もなんか飲むか?」
「お前って言うな言うてるやろ!」
ひさしぶりに中学のころの妻を思い出した。このフレーズ何度きいたかわからない。どうして未だにお前と呼んでしまうのだろうか。よくわからない。吉田さんはペットボトルのお茶を一飲みすると名刺をくれた。また何かあったらご連絡ください、と言って、駅に向かっていった。妻がよくわからない顔をしている。わたしもよくわからない。妻が
「あんた、どうしてくれんのよ。」
「何がや。」
「なんかかが壊れたやないの」
「何が壊れたんや」
「何かわからんれど。壊れたやない。」
耳元で誰かがいった。
「もうノムラやのうてええで。」
負けないように独りつぶやいた。
「あほんだらぁ。今度夢に出たらおまえの髭皮膚ごといったるわ」
妻は不安がっている。だが、大丈夫だ。コインランドリーはおそらくもうやめになる。
もう七十超えている。働かなくていい。なんとなく久しぶりに妻と手を繋いで言ってみた。
「今日は店じまいして、飯食いに行こ。」
「…そやね。」
そういえば焼きそばを食べ忘れていた。
それから数日たったが、夢にノムラは現れない。ガラスについてる文字をようやくノノムラに直すと安永が二日前に風邪をこじらして入院したらしい。どういうわけだろうか。まぁ何も思わない。
明後日、妻と旅行に行くことに決めた。
色のあるものを見に行こう。景色でもいい。絵でもいい。できるかぎり遠くのものがいい。
白い部屋におるのは、もうたくさんや。
白い部屋 @sounakama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。白い部屋の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます