憎しみのロギア・アニマ
登美川ステファニイ
憎しみのロギア・アニマ
イデア社のライフログ、ロギア・アニマが広く普及してもう十年ほどになる。
最初はガジェット好きのギークや、意識が高いと揶揄されるような一部の人だけが使っていたが、現在では未就学児から緩和ケア病棟の老人までかなりの人が使っている。
ロギア・アニマは日常の様々な出来事の自動的な記録をしてくれる。しかし日記のような実利的な目的ではなく、現在ではエンタメとして消費される事が主な目的となっている。
最初にそれを始めたのは一人のサーファーだった。波に乗ろうとし何度も失敗し、しかしやがて大きな波に乗りチューブライドをやってのけたのだ。
それを単に画像や動画として切り抜くのが一般的な使い方だったが、彼はそれに脚色し、その時の感情や思ったことを補足情報として添付したのだ。それは詳細なドキュメンタリーとでもいうものだった。
単にチューブライドの動画としてもよく出来ていたのだが、その時に感じていた彼の焦り、波への恐怖、誇り、そしてやむことの無いチャレンジ精神、そして彼の人生観までがよく表されていた。それは三分ほどの動画だったが、映画の名場面のダイジェストのような出来栄えで、最初はマリンスポーツをする層に広がり、やがてそれ以外の様々なの人の目に留まるようになった。
そして既存の写真や動画のSNSのインフルエンサーが真似するようになり、ロギア・アニマに脚色するという行為が爆発的に広まっていった。
単に情報を添付するだけで何が面白いのか? そう問う人もいたが、簡単に言ってしまえばこれは感情のジャンクフードのようなものだ。ポテトに塩と香辛料をかけうま味調味料を加えさらにケチャップもつけて食べる。人々は動画を見て、過大な誇張に感情を惹起させられ気持ちよく感情を消費できる。
そしてあまり興味のない事柄であっても、例えば前衛芸術を見て感動している誰かの動画を見て、それで知ったつもりになり一緒に感動することが出来る。手軽に賢くなった気分を味わえるのだ。
VRなどで没入できるタイプの視聴方法であれば猶更だ。自分という人格が消え、感動や興奮だけの存在となる。代り映えのしない自分の人生の中に、手っ取り早く感動を起こすことが出来るのだ。まるで一種の麻薬のような効き目があり、はまる人はどっぷりとはまっていった。ライトユーザーも多く、ライフログはまだあと数年は市場を席巻しそうだった。
そして私は今他人のロギア・アニマを見ながら辟易としている。もううんざりだ。しかし仕事なので続けなければいけない。
私はライフログデザイナーだった。要するに、他人のライフログを預かって、本人の代わりに脚色を施すのだ。パーティーに行ってサプライズがあったの! うまいこといい感じの動画にして! そんな要望に応え、他人が羨むような、派手で見栄えのする脚色をするのだ。
大抵の場合は一緒にコアイベントと呼ばれる動画も一緒に預かる。それはその人の原体験、思想や生き方のルーツとなるようなライフログや資料の総称だ。それを見て、普段何を考えているか、何を言いそうか、何を感じるのか、という事を分析し脚色に役立てる。
だから見ないといけないのだが、あんまり見ていると記憶や意識が曖昧になり、自分と依頼者の境界があいまいになる。それは一時的な物だがログ酔いと呼ばれ、ライフログデザイナーの職業病のようなものだった。
三日間ほどかけてようやく一つ終わった。今週はまだ二つあるし、納期はどっちも土曜日だ。一日休んで脳を休めたいが、そうもいかない。
俺はコーヒーを淹れ直し、欠伸をしながらゴーグルをつけて、次の依頼人のコアイベントを見始める。普通は三つとか五つが多いが、この人は十二個もある。まったく、その数字だけで酔いそうだ。
見始めると、どうも奇妙な内容だった。
まずは学生の頃。依頼人は女性だが、この動画では同年代の男性と歩いている。会話の内容からすると付き合い始めたばかりと言う所だが、人生に大きなインパクトを与えたような劇的な物とは思えない。しかしコアイベント全部を見ると意味が分かるという事も往々にしてある。私は甘酸っぱいようなじれったいような他人の記憶を追体験しながら、次の動画を見る。
学生時代のようだ。相手の男が言う。お前太ってるよな。隣のクラスのアイリーンみたいにくびれた腰だったらよかったのに。おいおい、ひどいことを言うやつだな。
次も学生。プロムのようだ。赤いドレスを着ているのを褒める。でももっとセクシーなのがよかったな。胸元が開いている奴。また変なこと言われている。何なんだ、この相手の男はクソか。次。
レストランだった。めかし込んでちょっとお高い店に来た感じだな。おっと、シャンパン飲んで目の前でげっぷしてやがるぜ。謝りもしねえ。何でこんな奴と付き合ってるんだ?
コアイベントの動画はいずれもそんな内容だった。相手の男はいつも同じで、何かしら嫌な目に遭っているように見える。しかしこういう仕草にときめく女もいるのか? 理解できん。
次は……おっと。ベッド? バスローブを着ているが……。金が欲しいんだろ、お前は! 借金だってある。奨学金のローンだって返さなきゃいけない。俺から離れて返す当てがあるのかよ! 男が依頼者をベッドに押し倒す。お前は俺の言うとおりにしていればいいんだよ。男に口づけされる。
何だよ、おい。何だか妙な動画ばかりだ。今のが十個目……あと二個でどんでん返しがあるのか?
今度は……アクセサリーの店だ。指輪を選んでいる。好きなの選べよ。でも僕の品位も疑われるからな……あまり安っぽいのはやめろよ。なんなら鎖も一緒に買ってやるよ。逃げられないようにな。そう言って男が睨みつけてくる。そこで終わる。
次……最後だな。何か胸糞の悪い動画ばかりだった。次はどうなるんだ。
これは……セックスか? 暗い部屋で天井を見上げている。男に上に乗られている。お前は俺のものだ。お前は俺のものなんだよ、分かったか。お前は逃げられない。お前は金で自分を売ったんだよ。お前は俺のものだ……。
これで終わり……おい、送ってきたの間違ってんじゃねえか? 俺は何を見せられたんだ?
依頼人からの仕様書を見る。大体いつも感動的にとかファンタスティックにと書かれてて同じような内容なのでじっくり見ない時もある。だが今回のはどういうつもりなんだ?
憎しみと怒りを感じさせ、姉の自殺の原因が相手の男にあると分かるように脚色してください。
は?! 何だと? 姉が自殺……俺は死んだ女のライフログを見ていたのか。生きていようが死んでいようがデータはデータだが……初めての経験だった。
それに憎しみや怒りとは……何のためにそんな脚色を? それにこの男が自殺の原因とは……。金に絡んだ複雑な事情があるようだったが……それが理由で自殺したという事か。しかし胸糞の悪くなるような動画を作って何をするんだ。
そして俺は肝心の脚色用のライフログを見る。
薄暗い部屋にいる。やけに……視点が高い。カーテンのレールより高い。そして……輪っかのついたロープがぶら下がっている。それを手に取って頭をくぐらせ……何という事だ。これは自殺の動画じゃないか。
もう何もかも疲れた……。
その言葉を最後に、急にがくんと視点が下がる。そしてバタバタと揺れる。やがて動かなくなり、ライフログは黒くにじんだ映像になる。網膜からの映像をインプラントが処理しているが、人間の神経が機能を停止したんだろう。つまり、この女性は死んだ……。
俺はゴーグルを外し自分の首を押さえた。ログ酔いで……どうも自分の首が締まっているような感覚がある。だが俺は俺だ。生きているし、死ぬつもりもない。ひどい動画だった。
この依頼人、死んだ女性の妹とやらは頭がおかしいのか?!
しかし、この依頼は一度受けてしまっている。しかも先週受けて今まで遅れたやつだから、今更こっちの都合でキャンセルすることも出来ない。やるしかない。
憎しみと怒り、ね。吐き気がする。だがやってやるさ。それが仕事だからな。
二か月後、世間を騒がせている動画がニュースになっていた。それはある女性の自殺動画で、死の八年ほど前から受け続けていた精神的苦痛で脚色されたものだった。要するに俺が作った奴だ。
普通は喜びや驚きで脚色する所を、憎しみや怒りで脚色されたその動画は、自殺というショッキングな内容と相まって異色のロギア・アニマとして一気に広まっていた。
その動画を公表した女性は男を告訴していた。その男と言うのは、あの動画に登場していた男の事だ。動画の女性と結婚していたが自殺され、今では別の女性と結婚している。告訴した女性は妹さんだった。
普通に告訴しても勝ち目が薄い。だからあの動画を脚色して公表し、世論を味方につけて裁判で有利にしたい。そういう意図のようだった。告訴された男はまだ裁判も始まっていないのに、もうリンチでもされそうなほどに世間から糾弾されていた。現在結婚している女性に対するDV疑惑もあり、余計に評判は悪くなっていた。
ここまで社会的に話題になると、十分制裁を受けているとして減刑される場合もあるらしいが、妹さんはそれでも構わないようだった。この男を貶めること。それが目的のようだった。
俺はニュースを見ながら笑ってしまった。まさかとうとう、人の死や憎しみといった感情までエンタメに堕してしまうとは。この狂騒は実に滑稽であり恐怖だった。
ライフログはまだまだ廃れそうにない。俺も飯のタネにありつける。
もしあんたが何かしたいのなら俺に言ってくれ。喜びでも憎しみで何でも作れるぜ。ライフログ、ロギア・アニマには可能性が満ちている。是非、連絡してくれ。
憎しみのロギア・アニマ 登美川ステファニイ @ulbak
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます