誕生日の日記
しらす
肩越しの日記
その日記は旧い友人から送られて来た、誕生日の贈り物だった。
大学で友人となってはや二十年の歳月が過ぎようとしている私たちは、互いに離れて暮らすようになっても、こうして何かの折には段ボールに本を詰めては贈り合う仲だ。
誕生日に、お中元に、クリスマスに。時には何の関係のない時にも、この本は彼女が喜びそうだと思えばそれを贈る。
そんな事を繰り返す私たちは、もう十年は実際に会っていない。
会えずとも、節目節目には本が送られてきて、私はそれにお礼の手紙を添えてお気に入りの本を送る。もちろんその逆もある。
そんなやり取りの中でも、今年の誕生日は少し楽しみにしていた。
彼女が事前にメールをくれたのだ。
「面白いものが手に入ったよ。古い日記なんだけど、思わず手が伸びてね。君がすごく気に入りそうだから送るよ」と。
そうして届いたのが、表紙の茶色い皮も朽ちかけた古い大きな日記だった。
私は最初、どうして彼女がこんなものを送って来たのだろうと思った。
表紙は金色の不思議な形の文字で書かれていて全く読めず、頁をめくると中の文字も同じようなものだった。画像検索して文字を調べてみたが、ヒットするものは似ているものはあっても同じものがない。
確かに面白いけれど、読めないのではどうしようもない。そもそも本当に日記なのかどうかも分からない。
荷物が届いてから半日以上かけて調べたが、結局その日は一文も解読できなかった。
しかし翌朝、私は飛び起きて机の上の日記を見た。
なにか不思議な夢を見ていた気がしていた。内容はまるで覚えていない。しかしそれは、あの日記に関するものだと本能的に感じていた。
立ち上がって机の上の日記の表紙を見ると、昨日は全く読めなかった文字が日本語になっていた。
「スミスの日記」とその表紙には書かれていた。
恐る恐る日記を開いてみると、中の文字も全て日本語になっていた。
●月×日 今日はユグナの木を買った。しばらくは工房に置いて落ち着かせなければならない。ユグナはきめが細かくいい香りがする。注文主も喜ぶだろう。
●月×日 テーブルの足を治してほしいと言われて行った。手元の材料でギリギリ足りた。
●月×日 小さい椅子が欲しいと頼まれて、試作していた椅子を出してみた。ちょうどこんな椅子が欲しかったと言われた。それはそうだろう、私が欲しくて作った椅子だ。
一体これはどうした事だろうと思いながらも、私は吸い込まれるようにその日記を読み始めていた。
「スミス」はどうやら家具職人らしかった。
木材を仕入れて板にし、それを加工してテーブルや椅子にしていく過程が、日記というよりメモ書きのように書かれている。
今日は何の木をどう加工したか、今日はそれを誰に売ったか、今日はどんな木を買ったか。その合間に時々、夕食に何を食べたとか、どこを散歩してきたとか、そんな話が挟まっているが、ほとんどは記録帳のようなものだ。
それでも不思議と面白かった。
スミスの書き方はとても淡々としていて、けれど単なる記録と呼ぶには少し感傷的で、そしてひたすら真面目に仕事をこなす人柄が見えるようなのだ。
読んでいるとどこか静かで穏やかな工房の中、顔も分からない男の肩越しに、彼と同じものを見ているような感覚に陥った。
しかしその穏やかな雰囲気が、ある頁で一変した。
セシリーという女性と出会った彼は一目で恋に落ち、その事ばかりを書くようになっていくのだ。
日記の残りは四分の一ほどのところで彼女についての記述が現れ、以降はずっとセシリーの話ばかりになった。しかも読み進めるにつれ、スミスは家具職人の仕事もやめてセシリーを追い、都会生活を始めたようだった。
やはり肩越しに見ているような書き方は変わらないが、目の前でどんどん変わっていく彼が、私はとても心配になった。
●月×日 今日はセシリーに贈る靴を買った。いつも通り郵便で送ろう
●月×日 慣れない仕事で今日は疲れた。セシリーに会いたい
●月×日 セシリーがあの靴を履いているか家の前まで行ってみた。しかしなぜか警察を呼ばれてしまった。彼女の両親は何か勘違いしているらしく、娘に近寄るなと怒っていた。
ここまで読めばさすがに私も、スミスがストーカーをしているのだと気が付いた。しかし日記の相手に何を言えるはずもない。
一体彼はどうなってしまうのだろうと思っていたら、スミスが「いつものようにセシリーに誕生日のプレゼントを用意した」と書いているところで、日記は唐突に終わっていた。
なんだこれ、と私はしばらく首を傾げた。
友人が送ってくる本は大抵いつも面白いもので、他人の日記などというものは初めてだった。その上この日記では、その後彼がどうなったのかまるで分らない。
また警察を呼ばれて、ストーカーの罪で捕まりでもしたのだろうか。それにしては時代がかった日記で、当時ストーカーが罪に問われたのかどうかさえ分からない。
ともあれずっと椅子に座って読んでいて疲れた私は、立ち上がると思い切り伸びをした。
その時私は、ふと窓に目をやった。外はもう真っ暗なのに、カーテンを閉め忘れていたのだ。
そしてそこに、私の肩の上から覗き込むようにして日記を見つめる男の顔が映っていた。
私は悲鳴を上げて振り返った。窓に映った男の顔は日本人のそれではなかった。
金髪に灰色の瞳のその男は、おそらくスミスだ、と直感的に思った。しかし振り返った時には、そこには誰もいなかった。
窓にもう一度視線を戻しても、やはり誰もいなかった。
よほど疲れていたのだろうか、と思いながら私は机の上に置いたままの日記を見た。
よく見ると、表紙の金色の文字が「スミスの日記」ではなくなっていた。代わりに書かれている名前を見て、私は膝から崩れ落ちそうになった。
それでも震える手で一ページ目をめくると、そこに一行、こう書かれていた。
●月×日 奇妙な日記を受け継ぐことになってしまった
と。
誕生日の日記 しらす @toki_t
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