スイングバイBye(短編集)

茶竹抹茶竹(さたけまさたけ)

スイングバイBye

スイングバイBye・01

 高校の歴史の授業であたしは地球環境悪化の経緯と、それによって人類が滅亡間近であると習った。

 物理の授業で特殊相対性理論の呪文の様な数式と、実用化された惑星間亜光速航法の原理を学んだ。

 ネットのニュースで地球滅亡の前に人類が移住可能な惑星を探す世界規模のプロジェクトが始まったのを見た。

 病院で受けた血液検査であたしの遺伝子には他の惑星に適性があると言われた。黒いスーツを着た人が家にやってきて英語で書かれた長い誓約書を読まずにサインした。

 それで、親友と大喧嘩をした。

 そして、あたしは宇宙にいる。

 窓の外には地球が見えた。教科書や映画で見たことがある大きな青い球体が暗闇にぽつりと浮かんでいる。果てが見えない真っ暗な世界の中で美しく輝いて見えた。

 地球が汚染されて住めなくなるなんて話が嘘のように思える。

 部屋の壁に備え付けられたモニターが点灯した。CGで描かれた月の外観と真っ暗な背景を進む宇宙船の姿を描き出す。

 あたしの乗っている宇宙船は月の近くまで到達したらしい。数時間前にはまだ地球にいたのに、急に月まで来たと言われると妙な気分になる。

 部屋のドアが開くと宇宙船の女性クルーである「巴さん」が空中を泳ぐようにして部屋の中に入ってきた。

 壁に据え付けられた金属のバーを器用に使って、空中に浮いた身体をゆっくりと沈み込ませて床に着地する。

 巴さんの長い黒髪は風もないのにふわふわと揺れていた。まさに宇宙っぽい光景だ。

 巴さんは正式な訓練を受けた宇宙飛行士だ。宇宙船搭乗メンバーの中で一番若い女性であたしと同じ日本人ということもあって、素人のあたしの世話を焼いてくれる。

 訓練中は厳しいけれど普段は気さくで優しい人だった。

「咲ちゃん、調子はどう?」

 そう言いながら巴さんは、あたしの座っている椅子のシートベルトを外した。抑えつけられていたものがなくなって、あたしの身体は勝手に空中に浮かびあがる。

 とっさに椅子の背もたれを掴んで腕の力を使い、ゆっくりと身体を動かす。

 例えるならプールの床に立つような感じ。

 出発前に無重力状態の訓練を何度も経験はしたけれども、地面に足が着かない感覚にはまだ慣れない。

 あたしが宇宙にいるということも、これから遠い惑星を目指すことも、それが人類の命運を握っていることも。

 どれもこれも現実感がない。

 地球環境の悪化によって滅亡の危機を迎えていた人類はとある計画を立てた。

 それは地球を捨て、別の惑星に人類が移住するというものだ。あたしが乗っている宇宙船はその為に開発されたもので、実験に成功したばかりの惑星間亜光速航法エンジン、平たく言うとワープ航法の為のエンジンが搭載されている。

 この宇宙船で遠い惑星へと向かい、人類の移住地とする為の現地調査と前線基地の設置を行う計画だった。

 遺伝子的に適性があるという理由で、ただの女子高生のあたしがメンバーに選ばれた。宇宙船の乗員数六人の内の一人。

 あたし以外は皆、世界中から選抜された宇宙飛行士の精鋭ばかりだ。

 あたしはつい弱気な言葉を吐いてしまう。

「あたしなんかが選ばれた実感はまだわかないですけど」

「君にしか出来ないことだよ、自信をもって」

 巴さんは笑顔であたしの肩を叩いた。分厚い宇宙服の上からでも分かる力強い感触だった。

 あたしにしか出来ないこと。その言葉が頭の中で響く。あたし達は人類を救うために遠い惑星まで向かう。

 巴さんが手首の情報端末を確認して口を開いた。

「大事なことを伝えにきた。出発前にも説明してるけど今からこの宇宙船は惑星間亜光速航法、通称ワープ航法を開始する。ワープ中は光の速度の約97パーセントというスピードだ。そして惑星間通信の圏内からは完全に外れる。次に地球と通信が出来るのは私達のミッションが完了した時、つまり移住候補の惑星での作業を終えて地球に戻ってきた時だ。私達にとっては十年後、地球上の時間では三十年後になる」

 出発前に受けた訓練の中でその説明は受けた。難しい物理の話だ。

 この宇宙船は今現在は秒速約20kmで航行しているが、ここからはワープ航法になる。ワープ中の速さは秒速約29万1000km、光の速度の約97パーセントにも達する。

 それだけの速度であたし達が移動すると何が起きるかというと、一種のタイムトラベルが発生するという。

 地球にいる人々との時間の進み方がズレてしまうのだ。

 光に近い速さで地球から遠ざかっていくあたし達と地球の間には、移動速度という大きな隔たりが生じる。両者の速度がそれだけ違ってしまうと相手の時間はひどく遅く進んでいるように見えるのだ。

 具体的には、あたし達が目的の惑星に向けてワープをし続ける数年の間に地球では十年以上の時間が経過してしまう。

 四倍近い時間の隔たりが生じてしまうのだ。

 それはつまり、次に地球に戻ってきたときには何もかも変わっているということで、家族とも友達とも二度と会えなくなるかもしれないということだった。

「通信したい相手がいるなら今のうちだよ。ワープ航法の時間が迫っている」

 まるで心の中を見透かされたような言葉に動揺した。あたしが顔を上げると巴さんは優しく微笑む。その優しい表情に、あたしは言葉を絞り出す。

「実は幼なじみと喧嘩して、仲直りしないまま飛び出してきちゃったんです」

 あたしが幼なじみの「紗枝」と出会ったのは小学生の時だった。

 少し変わった子で不思議な雰囲気を漂わせていた。他の子達の輪に加わろうとしないで、いつも教室の隅で難しい本を読んでいた。放っておくとどこかへ消えてしまいそうな気がして、あたしから声をかけたのを覚えている。

 それを切っ掛けにしてあたし達は仲良くなった。

 紗枝は小さい頃から頭が良かった。勉強は勿論、人の話を理解するのも早かった。運動も出来たし手先も器用で、才能の塊みたいな子だと思っていた。

 高校生になると周囲との差は歴然だった。もちろん、あたしとも。

「昔から頭がよくて何でも出来て、あたしが逆立ちしたって絶対にかなわない子」

 そんな紗枝がずっと眩しかった。

「ちょっと嫉妬してたのかも。だから宇宙に行く話があたしのところに来た時、嬉しかったんです。あたしにも紗枝に負けないところがあるんだぞって、言いたかった」

 でも紗枝はあたしが宇宙に行く話にずっと反対で、勝手にそんなことを決めたあたしに腹を立てていて。

 あたしが何を言っても紗枝は聞いてくれなくて、出発前日に喧嘩別れをしてしまった。

 きっと紗枝には分からない。あたしが紗枝のことを眩しいと思う気持ちなんて。

 あたしの話を聞いて巴さんは優しい口調で言う。

「今、その子と仲直りしないとずっと後悔するよ」

「紗枝は気にしてないかも。あたしのこともどうでもいいのかもしれない。次に戻ってきた時には地球では数十年経ってるんですよね、きっとあたしのことなんて忘れてます」

「それは違う」

 あたしの言葉に巴さんは断言する。窓の外、地球の方を振り返り見ながらあたしに言う。

「私達と地球の時間は確かに相対的なズレが生じる。私達から見れば地球の時間は一瞬で過ぎてしまったようには見える。でもそう見えるだけだ。君が寂しく感じた時間と同じだけ、その子も同じ時間をこれから過ごすんだ。それは一瞬なんかじゃない」

 宇宙船の内部放送でワープ航法までのカウントダウンが始まった。巴さんは操縦室に戻ると言って部屋を出て行く。あたしは部屋に一人取り残される。

 机の上に設置された通信端末へと手を伸ばした。通信機能を立ち上げる。

 紗枝に向けたテキストメッセージを入力したところで手が止まる。「ごめん」という一言が、あたしに送信ボタンを押されるのを待っていた。

 カウントダウンは進み続けている。地球との通信リミットが迫っていた。

 これが最後のチャンスなのに、それなのにたった一言が送れない。

 次に会えるのは十年後、紗枝にとっては数十年後。それでもあたしはためらってしまう。謝らなくて済む理由をずっと探している。

 あたしが悩んでいる間、紗枝は何をしているんだろう。あたしのことで悩んでなんかいないんだろう。

 ワープする十秒前。九秒前。八秒前・・・・・・。

 通信端末に一通のメッセージが届いた。

 紗枝からだった。

『ごめん。咲がいない地球は寂しい』

 そのメッセージにあたしは急いでメッセージを打ち直す。

「待ってて」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る