スイングバイBye・02
私の幼なじみは騒がしくて明るくてお人好しで慌ただしくて好奇心の塊で落ち着きがなくて、目を離した隙にいつもどこかへ行ってしまうような子だった。
そんな彼女は最後には宇宙へと飛び出していってしまった。
名前を「咲」という。
咲が宇宙へ行った日から地球時間では十四年が経過した。
十四年の間に地球の状況は大きく変わった。環境悪化による地球と人類滅亡の危機を回避するため、世界の国々は一致団結して問題に取り組み始めた。
未だ解決すべき問題は多いが人類滅亡の危機は喉元を去ったといえる。少しずつだが地球は美しい姿を取り戻しつつある。
だがそのことを、十四年前に地球を発った宇宙船の搭乗員達に伝える術はない。
人類が移住可能な惑星を探し前線基地を建設する。その目的の為に出発した彼らは今も遠い宇宙にいるのだ。
宇宙船が移住候補地である目標の惑星に到達するのに地球時間換算で約十二年を要する。そこから現地での調査や作業を行い彼らがまた地球へ戻ってくるのには更に十数年が必要だ。
成功する筈がないと言う人も多い。だが私は彼らが目標の惑星に無事に辿り着いていることを信じていた。
咲も元気でいる筈だ、と。
机の上の写真に手を伸ばす。高校の入学式の時に撮影した制服姿の「咲」が写っていた。
咲には遺伝子レベルで宇宙に対する適性があった。地球環境の悪化が影響して人類の遺伝子は変容しているという国際機関による調査結果がある。大気や気圧の変化、放射線や有害物質に対する耐性、そういった特異性を有した遺伝子を持つ人間が世界中で生まれつつあった。ある意味、人間という種の進化と呼べるかもしれない。
そして十四年前、世界で一番優れた耐性を持っていたのが偶然にも咲だった。
環境変動に遺伝子レベルで耐性があるということはつまり、他の人間よりも宇宙や他の惑星で生きていける確率が高いという事だ。DNA欠損による発がん率の低下や毒性物質への中毒耐性といったものは未知の惑星においては貴重な才能だった。
厳しい訓練を受けた宇宙飛行士を一人減らして、何のスキルもない女子高生一人を連れていく必要があるほどに。
だが、それはまるでモルモットじゃないかと当時の私は憤慨した。
仮に咲だけが他の惑星で生き延びたとしても、それでは誰も救われない。咲にどんな適性があろうとも人類を救う為に咲が命をかける道理がない。ただの女子高生を連れていったところで何の意味もない。
私はそう怒っていたのに咲はヘラヘラと笑っていた。
それで咲が出発する前日に大喧嘩をした。
仲直りは出来ないまま、宇宙船が飛び立っていく様子をネットのライブ配信で見送った。
馬鹿だと思った。人類の為に、なんて映画みたいな言葉一つで宇宙まで行ってしまうなんて。咲は昔からそうだった。向こう見ずでお人好しでお節介で、誰かの為にためらいなく手を伸ばせる子。
そんな咲のことが出会ったときからずっと眩しかった。
「それ、咲ちゃんの写真ですか」
突然、声をかけられて私は驚く。
私が在籍する宇宙開発事業部のオフィスには誰もいないと思っていたが、後輩が一人残業をしていたようだ。
もう帰るところだったのか冬物のコートと鞄を腕にかけている。私は写真を机の上に戻した。
「咲は私の幼なじみなのよ」
「本当ですか。昔、何度もニュースで見ましたよ」
皮肉的だが、咲の存在が契機となって世界は地球環境悪化の対策に乗り出した。
咲というただの女子高生が宇宙船に乗っている、そのことがネットで話題になって世論を動かしたのだ。
一人の少女を遠い宇宙へと旅立たせて人類はようやく自分達の過ちに気が付いたというわけだ。
世界中の人々が咲の犠牲を知り行動を起こした。民衆の声に圧倒された世界の国々は大慌てで人類滅亡という問題の解決に乗り出した。
それが十四年間に起きた出来事である。そして私は大学で物理学の道を選び宇宙工学の科学者になった。
咲の写真を見ながら懐かしそうに後輩は語る。
「私がこの仕事に就いたのは子供の時に咲ちゃんのニュースを見たのが切っ掛けなんです。高校生が宇宙に飛び出した、っていうのに憧れて私は工業高校を選びましたから」
「そう」
「咲ちゃんは今、何歳になったんでしょうね。もうとっくに私より年下になってますよね」
そんな無邪気な問いに私は答えなかった。
あの日から私と咲の時間はズレた。
私達は地球上で静止している観測者として、咲を見ていることになる。
当の咲は光速の約97パーセントの速さで地球から離れ続けていく。特殊相対性理論に基づけば互いの速度が違うことにより互いの時間の進み方は変化する。
物体の運動速度が光速に近づけば近づくほど、その物体内部の時間の進み方は静止している側から見ると遅く進んでいるように見える。
逆に移動している咲にとっては地球時間はあっという間に進んでいるように見えるだろう。具体的には咲が宇宙で一年間ワープ航法を続けると地球時間換算では約四年が経過する。
今現在の咲の正確な年齢は分からないがおそらく二十歳かそこらである一方、地球時間において十四年が経過した今の私は今年で三十歳になる。
あっという間に咲よりも一回り年上になってしまった。咲が今の私の姿を見たら、タイムマシンにでも乗った気分になるだろう。
そもそも私の顔を見ても、私が誰なのか気が付かないだろう。
「まだあの子は二十歳くらいなのね……」
私は改めてその事実を噛みしめる。今の咲の姿は、この写真に写った女子高生の姿と大差ないのだろう。
そして私達のズレた時間の差は埋まることはない。惑星でのミッションが成功しようと失敗しようとも、宇宙船が地球に戻ってくる時にはまた更に時間がズレていく。
会話の間が空いて後輩が気まずそうに鞄を持ち上げ頭を下げた。
「それじゃあ私は家に帰ります。あんまり無理しないでくださいね、先輩」
「えぇ、ありがとう」
背中を見送った。後輩が去って今度こそ誰もいなくなったオフィスで、私は机の引き出しを静かに開けた。もう使わなくなった古い携帯端末が中には入っている。
端末を起動させると十四年前に咲から送られてきたメッセージが画面に表示された。
『待ってて』
咲はいつも勝手だ。
その短い言葉に応えるのに、どれだけの時間が必要だというのだろう。
咲は昔からそうだった。私の手を勝手に引っ張り連れ回してどこへでも連れ出す。それなのに、気が付くと私を置いてどこかに行ってしまう。
遠い宇宙まで私を連れて行ってはくれなかった。
私はいつでも、いつまでも、待ってるばかりだ。
冷め切ったコーヒーを飲み干した。気持ちを切り替える。感傷に浸っている間にも私達の時間はズレていく。
パソコンへと向き直り、データの入力作業を再開する。パソコンの画面に表示されているのは私が設計した新型宇宙船の設計図だった。
かつて人類を新天地に送るという名目の為に宇宙開発関連の予算は莫大だった。だが人類滅亡の危機が喉元を去った今、誰もが宇宙のことを、そして咲のことを忘れつつある。
この宇宙船のプロジェクトも上層部には承認されないかもしれない。
それでも、何としても。このプロジェクトは実行に移さなければならない。
新型宇宙船は船内機能及び操縦の殆どを自動化することに成功した。乗員がたった一人であっても長距離航行が可能だ。
たとえ私一人であっても遠い惑星まで辿り着くことが出来る。
咲はいつも先に行ってしまって、私はいつも待ってる側だった。
けれど、今度は私が追いかける番だ。
「待ってて」
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