果てに、生まれる

サトウ・レン

果てに、生まれる

「ねぇ、カクヨム、って知ってる?」


 はじめて、カクヨム、という言葉を聞いた時、俺たちは居酒屋にいて、彼女はハツの刺さった串を持っていて、それがやけに美味しそうに見えたのを覚えている。テーブルを間に挟んで俺と彼女は座り、お互いの前にはビアマグが置かれていた。彼女と最初に会ったのは中学生の時だ。クラスメートだった彼女と、一緒にお酒を飲める年齢になってしまったことを改めて考えると、不思議な気持ちになってしまう。


「何? カクヨム、って」

「誰でも小説が書けるサイトだよ。最近、使っているんだ」


 彼女がむかしから小説を書いていることは知っていた。久し振りに会ったその時もまだ、彼女が創作を続けていることを知って、ほっとしたのを覚えている。


 半年前のことだ。俺が、カクヨム、というWebサイトの名前さえ知らなかった頃の出来事だ。


 時間が経って、なんでカクヨムを開く気になったのか、というと、そこに特別な意味はない。ただ八十八で亡くなった祖母の死があり、気持ちはふさいでいて、何か新しい気分転換を求めていたのは、確かだ。ふと彼女の言葉を思い出して、何かに操られるように、気付けば、カクヨムのトップページを眺めていた。


 彼女が教えてくれたアカウントを開いてみる。知り合いの秘密を覗いているようで、ちょっとした緊張感があった。


 たくさんの作品が並んでいて、すごいなぁ、と思うと同時に、違和感を覚えた。四ヶ月ほど前から、彼女の作品の更新が、長く途絶えている。


 きっと仕事が忙しいだけだろう、と思い込もうとしたが、心が納得してくれない。胸騒ぎがする。理屈のない、第六感のようなものだ。社会人になってから、会う回数は減ったけれど、彼女との付き合いは長い。そこに恋愛感情は不明瞭なまま、十代はじめ頃から、そして二十歳もなかばの、いまにいたるまで、異性の友人として俺たちの関係は続いている。


 数日ほど、彼女以外の作品も含めて、カクヨムに投稿された色々な小説を読んでいるうちに、カクヨムの生誕を記念した大きな企画が開催されていることに気付き、その中のひとつは、小説なんてまともに書いたことのない俺でも、参加できそうなものだった。

〈KAC2022 ~カクヨム・アニバーサリー・チャンピオンシップ 2022~〉

 三月の間、数日に一回、テーマが出されて、それに沿った短い物語を投稿する、という企画だ。


 一つ目のテーマが、〈二刀流〉だった。

 二刀流、と言えば大谷翔平が頭に浮かぶ。俺は野球を題材にした作品を書くことにした。『投げるな、危険!』というタイトルに決める。野球のボールが語り手の小説だ。小説の作法も分からぬまま、改行もまったくない小説になってしまった。書いた勢いに任せて、そのまま投稿してやれ、と思ったが、投稿ボタンを押す寸前、その指が止まる。自分の文章が、ひとに見られることが、急に怖くなったのだ。


 ねぇ、小説。一度でいいから書いてみてよ。きみなら、すごく良い小説が書ける、と思うんだけど……。


 俺と彼女は高校も一緒で、高校時代、彼女が俺にそう言ったことがある。


 彼女は、文芸部に入っていて、帰宅部だった俺は何度か誘われたことがあった。同じ小説好きでしょ、と言って。俺は確かに小説が好きだったけれど、趣味が偏っていて、そのほとんどがホラーかミステリだった。文芸部のひとたちとは読んでいるジャンルが違う、と思っていた。あっちは堅苦しいもの、と勝手なイメージを付けて遠ざけていたのだ。そんな高校時代、俺は一本だけ小説を書いたことがある。人生のデビュー作、読者は彼女だけだった。


 結局、俺は『投げるな、危険!』を投稿した。何の反応も期待していなかったが、そんな予想に反して、いくつかの感想が届いた。面白い発想ですね、と。温かいものが、心を満たしていくような実感に、嬉しさだけがあった。


 余韻に浸る間もなく、次のお題が発表された。二つ目は、〈推し活〉だった。

 ただそんなことよりもまず、気になることがあった。俺は、彼女が新しく作品を投稿していないか確認する。彼女は、更新が途絶えるまで、公式企画のそのほとんどに参加していたからだ。だけど、彼女が新作を投稿している様子はない。期間を過ぎたら、もう応募できないのに……。これだけ気にしていると、まるで俺の推しが彼女みたいだな、と思ってしまった。まぁ間違いではないんだけどな、と俺は心の中で苦笑いを浮かべる。


 気を取り直して、二つ目のお題を書きはじめることにした。軽い気持ちだったからか、思ったよりもすぐに書き終えてしまった。『推すな!』というタイトルのそれは、不条理なコメディだ。敢えて外に向けて発信はしないけれど、俺の推し作家が、筒井康隆だ、と俺自身が改めて自覚するような感覚があった。


 高校の頃、彼女に『家族八景』を薦めたこともある。


 そのお返しとして、というわけではないのだろうが、


 ねぇきみはあの映画、もう観てる?


 と言って、一本の映画を俺に紹介してくれた。そんな古い思い出を振り返りながら、三つ目のテーマ〈第六感〉に沿って書いたのが、『僕の目に映る世界』だ。恋人から『シックスセンス』を薦められるシーンがあるけれど、モデルがいるとしたら、あの恋人は彼女だ。四つ目のテーマが発表された時、俺だけが何か違うテーマを見ているのではないか、と思わず疑ってしまった。でも奇妙な偶然でしかないのだろう。四つ目のテーマが〈お笑い/コメディ〉だったからだ。


「『シックスセンス』、面白かったよ」

「なら良かった。面白いよね、あれ。そう言えば、きみは好きな映画、あるの?」

 と、かつてそんなやり取りをした時、俺は『トゥルーマン・ショー』と答えたからだ。主演はコメディ俳優としても有名な、ジム・キャリーだ。まぁ奇妙な偶然、と言っても、その程度のことなのだが……。俺は四つ目のテーマに沿って、『笑わない彼女』を書いた。好きな子がずっと無表情なまま、という物語だ。この辺りからは、掌編小説を書く、というこのルーティンワークが楽しみになっていた。同じ日課でも、日記のような自分事を書く行為よりも、俺の性に合っていた。


 日記、というと、思い出すことがある。そしてやっぱり考えてしまうのが、彼女のことだ。


 五つ目のテーマは〈88歳〉だ。これを見た時、俺はどうしても祖母のことを思い出さずにはいられなかった。祖母は手先が器用で、よくお手製の人形をつくっていた。そのことを思い出し、人形と永遠の命が題材になった。六つ目のテーマ〈焼き鳥が登場する物語〉の際には、彼女からカクヨムの話を聞いた場面が浮かんだりもした。作中に〈カクヨム〉の名を出さなかったのは、照れくさかったからだ。七つ目のテーマ〈出会いと別れ〉は、俺自身のつらい失恋の記憶を辿って。『人の形をした永遠』『焼き鳥の登場しない恋愛小説』『あの一瞬の、彼女』の三作は、そうやって、できあがった。


 俺の人生はそれまで小説のためにあったものではない。だけど俺の人生で経験してきたあらゆるすべてが、小説を書くうえで必要なものになっている。不思議なものだ、と思った。


〈私だけのヒーロー〉が八つ目のテーマで、俺は『私たちの緋色くん』を書いた。ホラー要素のある小学生たちのドラマだ。この頃になると、感想を貰う機会が増えてきて、自分というものを勘違いしてしまいそうで、怖くも、嬉しくもあった。


 何個テーマが発表されても、彼女の小説が投稿される様子はない。

 俺は彼女のスマホにメッセージを送ってみる。最近、実は小説書いているんだ、と。『私たちの緋色くん』のリンクを貼って。


 九つ目のテーマ〈猫の手を借りた結果〉は、時間的な余裕はある、と思っていたら、職場から人手が足りなくなった、と呼び出され、深夜、気付けば睡眠時間を削って、書いていた。猫が語り手で、夏目漱石と交流があったら面白いだろう、と猫の手代わりに仕事を手伝った指を動かした。『探偵の相棒』の怒りは、その時の俺自身の怒りに重なる。


 十個目のテーマが発表されたあと、彼女からメッセージが届いた。


『私だけのヒーローを見つけた。もうちょっと待ってて』

 と意味深な言葉だ。ただ、待って、と言われたので、返信は、分かった、だけにした。


〈真夜中〉をテーマに書いた、『真実の夜』の舞台のモデルは、俺と彼女が通った中学校だ。きっとこんな作品になったのは、書きながらも、彼女のことがずっと、頭の片隅にあったからだろう。


 最後のテーマが発表された。

 本当に、なんと奇妙な偶然だろう。


「じゃあ、お題は〈日記〉だよ」

 高校時代、俺は彼女に、どうしても、と言われて、お題付きで、一本の小説を書いた。そのテーマが、日記、だった。他のひとには絶対に見せない、と約束して。


 十一個目のテーマは、〈日記〉


 頭を悩ませながら、俺は書きはじめた。


 その途中、カクヨムの通知を見て、驚いた。彼女の新作小説が投稿されていたからだ。


 タイトルは『果てに、生まれる』

 日記体で綴られた小説で、創作をやめようとしていた女性が、ふたたび小説を書きはじめるまでの物語だ。流麗な文体に、俺はしばし心を委ねた。


 俺は、彼女に電話を掛ける。


『きみの小説、全部読んだよ』

 顔を知っている相手からそう言われると、やっぱり恥ずかしい。


「そっか」

『最初からあんなに感想、貰っちゃって。もう。まぁきみの初めての小説を唯一読んだことのある私からすれば、納得、って感じだけど。……面白かったよ。あと、勇気を貰えた。私以外に書いているひとが、身近に、確かにいる、っていう実感が』


「なら、良かった」

『もうやめようかな、と思ってたんだ。書くの』


「そう、なんだ……」

 深くは、聞かなかった。ちょっと聞いたくらいで、分かったような気持ちになりたくなかったからだ。


『残りのお題も、書こうかな。遅くなったけど……』

「もう、間に合わないよ」

『大丈夫。だって読者は、ひとりだけ、だから』

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