日記

λμ

クラスの日記

 本日の学業の終わりを告げる間延びしたチャイムを聞き、二年A組の担任、斎藤さいとう愛理あいりは胸元で手を叩いた。


「はい。時間ピッタリ。皆さん、部活にしても帰るにしても、怪我のないように」


 教室に、たちまち広がる弛緩した気配に、愛理は苦笑して続ける。


「それから皆? ちゃんと日記を出すように。もう小学生じゃないんだから一行で終わりとかなしだよ? いい? 塵も積もればなんとやら。大事だよ、こういうの。三日連続だったらペナルティだからね?」


 疎らに返ってくる声。


「まったくもう」

 

 愛理はため息交じりに手を振った。

 

『日記』


 というのは、愛理の提案で始まった、クラスの新しい試みだ。

 一日が終わる前に日記をつけ、学校で貸し出しているタブレットで提出する。愛理が読んで、一つ一つに簡単なコメントをする。

 たったそれだけの、簡単かつ効率的な学習ツールである。

 ――そう。

 最も安全で、効果的な手法だ。

 中学生という、多感で、小賢しく、そのくせ衝動的な生き物を管理するための。


「――お、斎藤先生、さっそくやってますね?」

 

 隣のクラスの担任をしている男に声をかけられ、愛理はパソコンのモニターから顔を上げた。男はこれから部活の顧問として顔を出すのか、ジャージ姿になっていた。

 

「斎藤先生が頑張るから、こっちは大変ですよぉ」


 部活を見てない先生は楽ですね。そんな嫌味を含んだ愚痴だった。

 愛理はバカで真面目な教師を演じて応じる。


「そうですか? 私は生徒の子たちの日記にコメントつけるの、好きですよ?」

「そりゃ先生は好きでしょうけどね」

「コメントするかは各先生の判断で、って決まったじゃないですか」

「……一人が全部にコメントしてると、こっちも求められるんですよ」

「じゃあ頑張るしかないですね! お互い!」


 愛理は若さを利用し両手で握り拳をつくってみせた。男が苦笑してノートパソコンを開き、日記の提出状況を確認しだす。

 当初は愛理の受け持つクラスだけで始めた日記だったが、今では全学年で実施されている。現場の仕事は増えるが、対面では難しい悩み相談や学習状況のチェック、不和の早期発見など、メリットも多いとみなされたからだ。

 それと、もう一つ。

 日本では子供の頃から、宿題として日記をつけさせられているのが大きい。

 記録好きという側面もあるのだろうが、とにかく慣れているのだ。

 個人情報を晒すことに。

 

「――よし、と。それじゃ生徒の日記、クラウドにあげておきますね」


 迷惑そうに言い、隣のクラスの担任がクリップボード片手に立ち上がった。

 愛理はバカそうに部活応援してますと手を振り、すぐ日記に目を戻す。

 面倒な日記の提出に慣れたからか、取り扱いは極めて杜撰ずさんだった。いや、当人たちは管理できているつもりなのだろう。

 子供の頃から自分たちも出してきたし、教師になって出させてきたのだ。

 普通のコトだ。

 あとは理屈がつけば許される。

 絵日記だったら幼稚園児から低学年。一行日記は小学生の三年から。もう中学生なんだし日記をつけよう。

 安易な理屈に乗ってしまう。特に、慣れきった大人たちは。

 愛理は一通り受け持ち生徒たちの日記にコメントし、クラウドに保存されたばかりの、他のクラスの日記を複写する。持ち出し厳禁の一言すらついていない。

 なぜなら日記に書かれていることなど、たかがしれているから――。


「そこが大いなる勘違い」


 口の中で呟き、愛理は日記のデータを結合していく。

 学校という管理システムは軍隊を参考にして作られただけあり、よくできている。

 生徒には番号が割り振られ、家庭の状況と一瞬で紐づく。あとはテキストマイニングを始めれば、情報の宝物庫となる。

 

 出てくる動詞、固有名詞、人名、形容詞。集計し、分類し、クラスタを見つける。

 たとえばアイドルグループAの名前。Aの中にはabcdの四人がいて、それぞれのファンのクラスタと、組み合わせの少数クラスタが浮かぶ。

 二つの集団にまたがる品詞を選り分け、嫌悪語を探す。AaクラスタとAcdクラスタは互いを避ける傾向があり、Aaは敵視しているが、Acd側は興味をもたない。


 そんな具合に、今度は各クラスの人間関係をあぶり出す。

 ときには数量化し、因子分析で潜在的なグループを見つける。

 日記には人名がよく出る。小賢しくもイニシャルトークよろしく名前を隠している生徒もいるが、ここで毎日の課題とした意味が出てくる。


 すでに蓄積されたデータが、伏せられた名前を解き明かすのだ。

 

 整理統合された情報の山は、愛理に興味深い事実をもたらす。


「おお……? いよいよミワコグループ解体間近かぁ?」


 思わず呟き、愛理は口を噤んで周りを見た。聞かれた様子はない。視線に気づいた学年主任が不思議そうに首を傾げた。


「どうされました? 楽しそうですね」

「ああ、えと」

 

 愛理は内心、沸き起こる感情を堪えつつ言った。


「イジメになる前に、自分たちで対処してくれたみたいで」

「おお、またですか!? やっぱり日記ですか?」

「はい。そうみたいです」

「そうですか、そうですか。大変ですけど、やってみてよかったですねぇ」


 学年主任は嬉しそうにしていた。本当のバカ真面目だ。

 愛理は日記と、日記からつくった学内グループの変動を記録する。部活を中心に構成された派閥、趣味、旧来の友人関係、クラス内のカースト、学年間にクラス間――複数の属性で構成された集団の動き。拡散し、集合し、排斥し、参入する。

 

 見ているだけでも面白い。

 だが、もっと面白いのは、その先だ。

 学内で一大派閥を築いていたミワコグループの揺らぎに愛理はほくそ笑む。もう少しで崩壊する。次に叩くべきは側近格の三年生。不穏因子を担うのは、同じ部活の後輩の子の、友達の、趣味仲間の、愛理が受け持つ生徒の一人だ。

 愛理は該当生徒の日記を呼び出し、過去の日記をさらう。名前の記録があった。使える。すでにつけていたコメントに足し、個人名をさけて質問する。


 ところで、この前のライブ、どうでしたか?


 さも日記の雰囲気で察しましたと言わんばかりに。だが確信をもって。

 友達と話したはず。他の日記が教えてくれる。けれど、その子は部活の人間関係でお悩み中だ。それも当人の日記からでは分からない。


 しかし、裏付けのある一文が波紋をつくり、やがて大きくなっていく。

 

 一日が経ち、二日が経ち、三日目の、土曜。

 愛理は学内クラウドから引き出した日記の山を構成し直し、目を見開いた。


「……バレたか?」


 この三日、ミワコグループ内の日記の内容が数種類のパターンで構成されている。回し読みというか回し書きと言うか、ミワコグループのテンプレートといっていいものができあがっていた。入れ知恵したと思しきは体育会系三部活。中心は。


「あの、不良教師が」


 カシッ、と愛理は缶ビールのプルトップを起こした。

 隣のクラスの担任だ。そういえば面倒くさそうにしていた。


「……吊し上げてやる」


 愛理は唇の端を吊り、前祝いの美酒に喉を鳴らした。

 月曜の朝。職員会議の場で、隣のクラスの担任が席を立ち、頭を下げた。


「……大変、申し訳ありませんでした。ウチの部の者が発端のようです」


 愛理はバカ真面目な教師よろしく目を潤ませながら釈明を聞き流し、内心で鼻を鳴らした。情報の命は、速さと、正確さだ。土曜のうちに学年主任を飛び越え生徒指導部に突っ込んでみたのが良かった。受け持ち生徒の日記からテンプレを発見できたという運もある。

 愛理は気持ちよく一日を過ごし、放課後に手を叩いた。


「みんなー? 日記は自分で書くものだから。雑なことしないの。いい?」

 

 はーい、と返ってきた気の抜けた声に曖昧な笑みで答え、愛理は教室を出る。職員室で日記を開き、気まずそうに会釈する隣のクラスの担任に、


「せっかく部活も頑張ってるんですから、生徒たちには日記を有効利用してもらいたいですよね」


 なんて、バカ真面目な教師を演じて小さく拳を握った。

 いくぶん小さくなった背中に満足し、さっそく日記でミワコグループのその後を追う。

 

「……シッ!」


 愛理は小声で言った。瓦解。結果的にはテンプレの露見が功を奏した形だ。

 こうなると、少し誇らしくなってくる。

 愛理は両目を瞑った。顎をあげる。

 

 私は情報戦の勝者。

 我は学校の女王なり。


 鼻歌でもでそうな頃合いに、学年主任が言った。


「斎藤先生、楽しそうですね」

「え!? あ、まぁ、その……」

 

 愛理は慌てて付け足す。


「ひ、一人、出し直したいって子がいて」

「出し直し……ああ! 例のテンプレート」

「そ、そうです、そうです! 正直に言ってくれて嬉しいなぁって――」


 そう誤魔化しつつ、愛理は日記を開いて、固まった。


「……どうされました?」

「……ああ、いえ。ちょっと」


 日記に一言、


『先生、ご協力ありがとうございました』


 とあった。

 テンプレを使っていた受け持ち生徒だ。ミワコグループとは関係ない。交友関係を洗い出す。趣味に部活に親戚縁者、同級生グループに親まで出して、気付いた。


 これは親のネットワークだ。愛理は日記に出てくる親情報を探った。さすがに蓄積に乏しく全体像が見えてこない――が。


 待てよ?


 愛理はもっとシンプルに文体に注目、パターンを抽出する。

 

「ほっほぉ……?」

 

 笑う愛理に、学年主任が言った。


「また嬉しそうな顔して。謝ってくれたのが嬉しいとか?」

「……ええ、そんなとこです」


 嬉しいが、理由は違う。

 これは、この子の日記は、親が書いた可能性がある。促したのはミワコグループ側近の子の後輩で、受け持ち生徒と親つながり。


 複数回の日記で愛理を動かし、グループを解体した。


 生徒同士のクラスタと見ていたミワコグループは、実は親のつながりだったのだ。

 生徒の使ったテンプレートは、親が流した罠だったのだ。

 愛理は腹を突き上げてくる闘争の予感に押し流され、思わず口走った。


「宣戦布告を受けたって感じです」

「……はい?」


 バカ真面目な学年主任は、怪訝そうに眉を寄せただけだった。

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日記 λμ @ramdomyu

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