【日記】黒い手帳

ながる

ある男の死

 大叔父の葬儀の時の話である。

 通夜も食事会も終え、みな寝静まっていた。大きな渦巻の線香を焚いているから、無理して起きていなくてもいいのよ、と伯母さんに言われたのだが、元から夜型だったものだから、ひとり明かりのある棺の傍でスマホを眺めていた。

 参列者もほとんどなく、身内が語り合うことも少ない、あっさりとした空気は、大叔父が人を殺したことがあるからだ。

 入院中も必要最低限の見舞いしかされなかったらしい。


 子供の耳にいれるのは……と言いつつ漏れ聞こえてきた話では、カッとなって包丁で一突き。数年来の友人を刺したらしい。服役を終え、親戚付き合いもほとんどせず、ひっそりと生きていたようだ。

 遺影はしかつめらしいもので、確かに短気そうにも見える。けれど、人を殺すような凶悪な人相ではない。不謹慎だが、普通だなどと思ってしまった。

 それ以上の興味も失くし、動画で時間を潰す。あくびが連続で出たところで、そろそろ寝るかとトイレに立った。


 戻って一応普通の線香を二本立てる。渦巻の線香は三分の一ほどしか減っていないので、伯母さんの言う通り大丈夫なのだろう。

 腰を上げようとした時、棺の上に黒い手帳が乗っているのに気が付いた。

 誰かの忘れ物かと手に取って、裏返して見る。表紙裏の連絡先を書く欄にも名前はない。何気なく適当に開いたページに、「死神に話しかけられた」と書いてあって、動きを止めてしまう。

 そのページには他に何も書かれていなかった。


 気になって、次のページをめくってみた。朝、昼、晩、のメニューが書かれている。次のページ。


「桜が満開」


 次の。


「救急車。子供、らしい。迷う」


 迷う?

 眉をひそめて次のページをめくる。


「看護士に聞いた。火傷が酷くてICUにいるらしい」

「死神に会いたい」


 文の前後がよく繋がらない。

 次のページ。


「先生にお願いしてみる。笑われた」

「ろうそくの灯が消える前に。どうか」


 じじ……と、祭壇のろうそくが瞬くように揺れて、どきりとする。このろうそくの話ではないだろうに。ためらいながら、次のページをめくった。


「夢で会いに来てくれた。やってみると、約束してくれた」

「確かにこれは自己満足だ。許されるなどと思っていない」

「結果も見届けられない。それでも」

「ひとつの命を奪った俺が、ひとつの命を繋げるのなら」

「少しは自分を許せるのではないかと」


 スッと手の中から手帳が取り上げられた。

 驚いて顔を上げれば、見たことのない男が薄く笑ってそこにいた。

 いつの間に? というか、誰だ?

 男は手帳を内ポケットにしまい(よく見ると、黒い上着は白衣のような形だ)線香を一本あげて手を合わせ、囁くように言った。


「他言無用でお願いしますよ。まあ、どのみち夢の話など、誰も本気で取り合わないでしょうけど」

「何のことだ? それに、その手帳は」

「手帳? 手帳に見えましたか」


 男がもう一度手帳を取り出すと、黒いそれは、ぼんやりと膜がかかったように不確かになって、丸く形を変えていった。

 目をこすってみても、もう手帳などどこにもない。ゆらりと、青やオレンジの炎のように色を変えて揺らめく、火の玉のようなものが男の手に収まっているだけだった。


「確かに、日記みたいなものでしょうかね……あまり他人が覗いていいものではありませんよ」


 男は立てた指を左右に振ってにやりと笑うと、では、と普通に出て行った。

 ハッとしてすぐ後を追ったけれど、ドアの向こうにはもう誰もいない。まっすぐ伸びた廊下にも人の気配はなかった。


 朝方まで眠れずに、でも母親に起こされて、一度眠ってしまうとどこから夢だったのかわからなくなった。

 黒い手帳や真夜中に来た男の話を聞いてみても、首を傾げられるだけ。「変な動画でも見てたの?」と笑われて、そのまま男の言う通り口をつぐむことにした。


 焼かれて真っ白になった大叔父は、機械的に小さな壺に詰め込まれていく。

 それを見ながら、会ったこともないその人を自分だけは一生憶えていてあげようと、なぜか、そう思うのだった。




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