夜のエトワール

ムラサキハルカ

月世界

 人の気配がなくなった夜。満月が淡々と街を照らしている。


 二階建ての一軒家、一階部分の勝手口から少女が出てくる。

 黒い冬用のセーラー服に身を包んだ少女は目を瞑ったまま、裸足でアスファルトの上へと降り立った。両手を広げ、爪先立ちで細かくステップを刻みながら、ゆっくりと小門まで移動し一時停止する。そのまま足を振りあげ、指先で器用に鍵を開けて、道路へと飛びだす。そうしてからくるりと振り返ってから、多少手順は異なるものの扉を閉めたあと、先程までと同様の歩法で道路際を進んでいった。

 少女はしばらくの間、目を瞑ったまま歩いていたが、電灯が体に降りかかったところで、不意にくるくると横回転しながら素早く移動しはじめた。


 三階建てアパートの二階部分、その手前の扉から詰襟に身を包んだ少年が出てくる。目は固く瞑られ裸足だった。扉の隙間からは赤い首輪の柴犬が顔を出す。

 直後、天井についた白熱灯に当てられた少年は高く飛びあがって落下防止柵の上に爪先立ちで乗ったあと、すぐさま一歩踏み出し、落下を開始する。

 アパート前方の道路に足のばねを利かせて着地を決めた少年は、ダイナミックな横回転とともに移動を開始する。道沿いにある土塀の脇を、まるで走るような速度で移動していく姿は、さながら台風だった。


 回転しながら移動していた少女はしばらくしたあと、町外れの閑散とした二車線道路脇にある白いガードレールの上へと飛び乗ると、爪先立ち歩法で細かく進んでいく。そして端にたどり着くと、隣のガードレールの上に器用に着地した。そんなことを数度繰り返す。

 程なくして、横断歩道に指しかかると、月にいるような軽い足どりでアスファルトに降立つと、腕を胸の前に畳み、回転しながらあっという間に渡りきる。そして、再び体の前方にガードレールが出現するや否や飛びあがり、先程と同じようにその上を歩きはじめた。


 台風と化していた少年はといえば、公園の中で両手を広げ何度も飛びあがっていた。その流れの一環か、派手な所作で滑り台の階段を爪先立ちのままやや荒々しく上りきったあと、ポーンと跳躍し、斜面を飛び越し、地面にストンと着地する。拍手をねだるように両手をしならせながらポーズをとり間を空けたあと、再び大きな回転移動をはじめた。

 その後、砂場の中心で回転し砂粒を水のように散らしてみせたり、二台並ぶブランコの防護柵の上を爪先立ちで走ったり、ジャングルジムの上でポーズをとったり……。独演会は公園を出るまでひとしきり繰り広げられた。


 橋の高覧の上。少女はガードレールの時と同様に両手を広げ爪先立ちで歩く。その下にある川の暗い水面にはカモや雁がぷかぷかと浮いており、コンクリートでできた河川敷では白鷺が水辺を窺っていた。

 少女は高覧に乗ったまま腕をたたんでくるくる回ったり、何度も飛びあがりしながら、端についてはまた引き返してみせる。行ったり来たりを規則的に繰り返すその運動は、どこか機械仕掛けのオルゴールじみていた。

 その最中、一匹のトラ猫が高欄の上によじ登ってくる。少女の回転運動がゆるやかに停止した。様子を窺うように見上げる猫の前で、少女はしばらくの間、じっとしていたが、やがて右手を胸の辺りにやってから一礼してみせると、猫から距離をとるようにゆったりとした回転運動を再開する。レコードのような動きを、トラ猫はぼんやりと見上げたまま動かない。一匹占めされた舞台は延々と続く。


 神社の境内。真っ赤な鳥居をくぐった少年は狛犬に挟まれた石段を、爪先を使った、ホップステップジャンプを敢行する。

 あっという間に社にたどり着いた少年は賽銭箱の前に立ち、大袈裟な身振りで二礼二拍手一礼してみせる。そうして石畳の上で公園の時と同じく独演会をはじめた。大きく回転しての横移動のあと、両手を広げて飛びあがり、そうかと思うと爪先立ちでの素早い足どりで歩く。自由な踊りを何セットも何セットも繰り返した。

 不意に境内の下から、キャンキャンとほえる声がしたと思うと、階段の方から赤い首輪の柴犬があがってくる。犬は即座に少年との距離を詰め、その胸に飛び込もうとした。しかし、少年はひらりとかわし、自らの踊りを止めない。柴犬は諦めずに後ろ足で勢いをつけて飛びあがるが、またまたひらりと受け流される。

 一人と一匹は体に秘めた体力に任せるまま、境内の前で追いかけっこをした。少年が捕まらないまま、一人と一匹の踊りは延々と続いていく。


 既に取り壊しが決まり、半ば廃墟となった劇場。扉がギィィと音を立て、少女が入ってくる。客席の間に設けられた階段を例のごとく爪先立ちで、床に落ちた木屑や鉄くずを器用に避けながら、下っていき、程なくして舞台のすぐ前へとたどり着いた。

 ふわっ、と飛びあがり、すとん、と木の板に着地した少女は、観客席へと一礼する。席の一つではトラ猫が眠たそうに丸まっている。

 少女はゆっくりとステップを踏みはじめ、少しずつ回転回数を増やしていき、繊細に飛びあがる。そして、徐々に徐々に動き全体の速度を上げていくと、舞台全体を使い、縦横無尽に飛翔するかのごとく動き回った。さながら一匹の白鳥のような踊りからは歓びが感じられたが、どことなくさびしそうでもあった。

 そんな運動がしばらく繰り返されたあと、再び扉がギィィと音を立てる。


 少年はホップスッテプジャンプの要領で階段を下りると、あっという間に舞台前へと辿りつき、すぐさま木の板へと上がる。

 そして上手にいる少女の方に目を瞑ったまま顔を向けたあと、観客席へと大きく頭を下げた。トラ猫の横の席には柴犬が目を輝かせて半立ちになっている。

 直後に一歩下がった少女の作った空間を利用するかたちで、少年は大きく回り回り回りはじめた。最初から力強い踊りに、木の床は鈍い悲鳴をあげるものの、こころなしか歓びの声に聞こえる。歓声に応えるように、少年は思いきり飛びあがり、豪快に着地してみせたあと、素早い回転とともに横移動を繰り返す。そして、機を見てはまた飛びあがり、しっかりと着地を決めた。

 観客席の柴犬は、ワンッ、と一声吠え、猫は一つ欠伸をする。


 いつの間にか、少年と少女は二人で一緒に踊りはじめている。それぞれ速度の違う回転で、時には近付き、時には遠のく。下手と上手で領土を分け合っていたと思えば、タイミングを見計らって交差するように飛びあがって位置を変えて再び踊りはじめた。

 どちらかといえ丁寧かつ綺麗な少女の動きに対して、多少荒くても力強く豪快に少年の動き。二人は一度もぶつからないまま、各々の持ち味を活かし、踊り踊り踊る。

 時間が経つにつれて、歩き回り飛ぶ、などに加えて、寝転がったり、逆立ちしたりなどが加わっていく。各々の踊りは自由に、そしてどろどろになっていった。

 やがて、少年少女はどちらともなく手を取り合い、ともに横移動をし、大きく飛びあがった。目を瞑った二人の表情には力強い笑みが浮かんでいく。やがて、少女が少年の腕に寄りかかるようにしてややエビぞり気味になったところで動きを止めた。しばらくそのまま顔と顔を向け合ったまま肩で息をしていた二人は名残惜しげに離れたあと、舞台下に深く一礼する。

 客席では盛り上がるように鳴き声をあげる犬の姿とどうでも良さそうに目を細める猫の姿があった。

 やがて、舞台に沈黙が落ちたあと、少年が舞台から下り、出口までのゆるやかな階段を上っていく。その後ろを柴犬がけたたましく鳴きながら追う。老朽化で剥げた天井の一部から薄っすらとスポットライトのように差した月の光に照らされた共演者を少女は目を瞑ったまま名残惜しげに見送った。

 やがて、姿がなくなると少女もまた舞台を後にする。欠伸をかみ殺した猫を引き連れた少女もまた月の光に誘われるようにして劇場を後にした。

 廃舞台にはただただ静寂のみが落ちる。

 

 *


 夜が明けた。

 駅のホームは登校中の学生や出勤中のサラリーマンがひしめいている。

「どしたの? なんか、疲れてるみたいだけど」

「わかんない。制服のまま寝たからかも……」

 なんでもない会話をかわす少女たちや、

「朝から、うちのタロウがワンワンうるさくてな。よくわからんけど、やたら上機嫌だったんだよ。そのせいで、寝不足かもしらん」

「その割に、宿題忘れてんのな」

 少年たちの群れ。今日もまた、多くの人がいつも通りの中にいる。

 ふと、隣りあった少女と少年の目が合った。何度か瞬きをしたあと、どちらともなく顔を逸らす。

「なに、知り合い?」

「いや、知らないけど……」

 首を捻る少女と、

「おい、お前。いつの間にあんな娘とお近付きになってんだよ」

「知らねぇよ。そもそも知り合いじゃないし。知り合いじゃ、ないよな……?」

 眉間に皺を寄せる少年。

 程なくして、電車がやってきて学生やサラリーマンたちを一斉に乗りこむ。人波に流されるようにして少女たちと少年たちは自然と離れていった。少女も少年もわずかな間、難しげな顔をしていたが、すぐさま流行の曲や動画の話題に夢中になり、各々の楽しみに戻っていった。

 ガタンゴトンと電車はいつも通りに進んでいく。その様子を駅の傍の駐車場に座りこんだトラ猫が眠そうに見送った。

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