【閲覧注意】真夜中のウーロン茶

ハルカ

それは妄想か真実か

 深夜2時。

 シンクの上に放置された空のピッチャーを見て、呆然とする。

 ああ。麦茶なかったんだ。


 悪いことに、風呂上がりだ。

 ことさら強烈に喉は渇きを訴えている。

 今から沸かすだなんて時間がかかり過ぎるし、そもそも作りたての熱い麦茶なんか、今は欲しくないし。


 春になった途端、あの冬の寒さが嘘のように、気温の高い日が続いている。

 季節の変化はあまりにも急で、私はなにひとつ追いつけていない。

 体温調節も、衣替えも、お花見も、麦茶を作るのも。

 朝2リットル作ったはずの麦茶は、もうどこにもなかった。


 こんなときは、とっておきのアレだ。

 ペットボトルのウーロン茶。コップにそそぐだけで飲める。とてもお手軽だ。

 今日みたいに自家製麦茶をうっかり飲み干してしまったときの心強い味方。

 缶詰やカレールーなどが並んだ食料棚からごそごそと取り出す。見れば、ペットボトルの中身はすでに半分ほど減っていた。

 いつ開けたか覚えてないが、ここ冷暗所だし、まあ大丈夫だろう。


 時間帯的にカフェイン含有量が気になり、ペットボトルをくるくる回すが、残念ながら「カフェイン」の「カ」さえ見当たらなかった。

 そのかわり「ポリフェノール」という文字を見つける。

 へえ。ウーロン茶ってポリフェノールが含まれているのか。


 ひとつ賢くなったと、瀬戸物のコップにウーロン茶をつぐ。

 赤い。妙に赤い。ポリフェノールだからか?

 決して古くなっているからだとか、そういうわけではないと信じて、飲む。

 なんともいえないエグみがある。やはり古くなってるのだろうか。


 それでもとりあえず喉の渇きは一段落した。

 まだ濡れたままの髪をタオルでわしゃわしゃ拭く。

 ついでにスマホでTwitterのタイムラインをチェック。

 もう深夜2時を回っているせいか、こんな時間にせっせとツイートしているのはbotくらいなものだ。


 そろそろ自分も寝る潮時だろうか。あぁでもドライヤー面倒くさいな。

 ぐだぐだと考えながら瀬戸物のコップに手を伸ばし、また少し飲む。

 その瞬間、どろりとしたものが口の中に入ってきた。


 飲み込む寸前で留まり、慌てて吐き出す。

 シンクにコップの中身をひっくり返せば、赤黒くどろりとした塊が流れ出た。

 さっき飲んだときにはこんなもの、入ってなかった。空気に触れて変質したのだろうか。やはり古くなっていたに違いない。


 蛇口をひねって水を出し、シンクもコップも口の中も念入りにすすぐ。

 ペットボトルの中身もすべて捨てた。

 それでも、体内になにか禍々しいものが入り込んでしまった感覚は消えなかった。

 視界の隅に、ぼんやりとした黒いものが映った気がした。

 だがそちらに目を向けても、いつもの部屋の風景があるだけだった。


 反応はすぐに現れた。

 寝支度をしているうちに胃がどんより気持ち悪くなってきた。

 カフェインが胃を荒らしているのか、それともアクか、単純に古くなって変質したのか。それともなにか別の原因があるのか。

 ともかく、このまま就寝すると翌朝には胃の中が酷いことになりそうだ。


 どうしようかと悩んでいるあいだにも不快感はゆっくり首をもたげる。あのどろりとした感触もまだ舌に残っている。

 こんなことになるなら最初から大人しく水道水でも飲んでおけばよかった。


 そうだ、水道水だ。

 私は瀬戸物のコップに水を汲む。静かに、厳かに。

 続いて冷蔵庫の中から食卓塩を取り出し、コップの中にほんのひと振り入れる。

 塩は水底できらきら輝き、やがて水を浄化するように姿を消した。

 これは一種のまじないだ。――言い換えるなら、気休めだ。


 真夜中、台所の片隅で、私はうやうやしくコップをつかみ水を飲んでゆく。

 ゆっくり、少しずつ、何回にも分けて。

 胃に水道水が流れ込む。水が触れた場所から、体の奥底が浄化されてゆくように感じた。

 味は、なぜか少し甘いように感じた。


 すっかり空になったカップを台所に放置し、窓を開ける。

 深夜2時半の空は街灯に照らされぼんやりと明るい。電気を消した部屋の中の方がよほど暗かった。

 夜空はどろりと赤黒い。あの古くなったウーロン茶にそっくりだった。


 私の中に入り込んでいたあの赤黒いどろりとしたものも、今頃はあの空に溶け込んでいるのだろう。そして、夜が明ければすべてが浄化され、町はまた何事もなかったかのように動き始める。

 そんな光景を繰り返し思い描きながら、私は布団の中に深く潜り込んだ。

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