物の怪が見える私は春の月の真夜中、幼馴染への気持ちに気付きました。

兵藤晴佳

物の怪が見える私は春の月夜の真夜中、幼馴染への気持ちに気付きました。

 私と才賀郭秀さいが ひろひでとのつきあいは長い。

 小学1年生のときから、10年間。

 でも、こいつとの会話には全く進歩がない。

「約束はちゃんと守れって言っただろ、友美ともみも」

「あのね、していい約束と、しちゃいけない約束があるの」

 高校入学まで、あと2週間となった春休みの最初の日になっても、この調子だ。

 間抜けた声で間抜けたことを聞いてくる。

「何でそれを友美に決められなくちゃいけないの?」

「私が決めたんじゃないって言ってんでしょうがいっつも!」

 フルネームを教えてくれないような相手と、真夜中に会う約束などはしないものだ。

 その辺はこの私、人野友美ひとの ともみもいっぱしの常識人として生きてきたつもりだ。

 それなのに、郭秀と関わったときだけは、どうも調子が狂う。

「友美って、いっつもそうだよね。自分がこの世でいちばん正しいと思ってる」

「反論するのもめんどくさいからその言葉、そっくりそのまま返してあげる」

 努めて冷ややかに突き放しても、傍目にはそうは映らないらしい。

 私達は二人でいるのが当たり前で、ひどいときには、つきあっているという扱いさえ受けることがある。

 そんな郭秀のバカさ加減から離れたくて、せめて高校くらいはと必死で勉強した。

 それなのにこいつは!

 推薦入試の面接で、江戸家なんとかもかくやと思うような声帯模写を披露して、私の目指す難関校にあっさり合格してしまったのだ。

 そんなわけで、中学校も一緒だった私たちは、やっぱり同じ高校に通うことになったのだった。

 もっとも、私たちには奇妙な共通点がないわけでもない。

「だって友美だって見てきたじゃないか、今まで」

「それ言うな!」

 郭秀の言おうとしていることは、思い出したくもなかった。

 私がいくら常識人ぶっても、見えてしまうものは仕方がない。

 そして、郭秀にも。

「いや、感謝してるんだよ、いつもピンチから救ってくれて」

「だから、そうなる前に止めてんでしょ!」

 なぜか、その手の物の怪は私が郭秀を助けに行くと逃げ去ってしまうのだった。

 私がいなかったら、こいつはどんな目に遭わされてきたことか。

「まあ、ちゃんと聞くもんだよ、人の話す事情は」


 去年の秋、ほら、月のきれいだった夜……中秋の名月っていうんだっけ?

 僕が友美に受験勉強教えてもらって、暗くなってから帰ったこと、あったろ?

 知ってる道のはずなのに、家に着けないんだよ。

 おかしいと思ってたら、見かけない公園があってさ、そこで賑やかに喋ってる人たちがいるんだよね。

 僕たちと同い年くらいだったかな。

 暗かったのに、目が合ったのが分かってさ。

 おい、って呼び止められて、ついそっちに行っちゃったら、こう歓迎されたよ。

「ひとり来ないんで、ちょうど良かった」

 帰り道が知りたかったから、ここどこ? って聞いたら、口を揃えてこう言うんだよね。

「つまんないこと聞くなよ、こんないい月が出てるのに!」

 何してるの? って聞いたら、誰かが答えた。

「お前も始めてるんだろ? 受験勉強。終わるまで俺たちも会えなくなるから、今夜って約束したんだけど」

 ひとり来られなくなって、予約して買ったチキンやジュースが余ったんだってさ。

 友美んとこで夕飯までごちそうになったのに、急にお腹が空いてきて、仲間に入っちゃったんだよね。

 面白い人たちでさ、無駄話に夢中になってたら、月が夜空のてっぺんまで昇ったのに気付いたんだ。

 さすがにまずいと思ったけど、帰るなんて言い出しづらくって。

 だから、奥の手を出したんだ。

 そう、声帯模写さ。

 虫食って土食って渋い、ってやったら大騒ぎになったよ。

「今どき、何で燕が鳴くんだ?」

 今度はこれだ。

 竹藪焼けた、天辺欠けたか、東京特許許可局……。

 大騒ぎになったよ

「こんな真夜中にホトトギスが?」

 今度はオウムの声で言ってやった。

 ……もう遅いから帰してやりなさい!

 みんな驚いたね。

「誰だ? 誰だ? どこにいる?」

 もういっぺんやったら、さすがに鳴き真似だって分かって、大爆笑さ。

 それを自分でやってみた人もいたけど、一朝一夕で身に付く芸じゃない。

 僕は帰してもらえることになったけど、みんな名残り惜しそうだった。

青野姫子あおの ひめこも来ればよかったのに!」

 誰だって聞いたら、スマホの写真を見せてくれたよ。

「受験が終わったら、紹介するよ。お彼岸に会うことになってるから」

 真夜中にしか来ないらしいけど、どうしても声帯模写を見せたいって言うから、承知した。

 そのときの案内のためにチャットのアカウント交換したら、僕の帰り際に言うんだ。

「じゃあ、俺たちも芸を!」

 ひとりがひとりの肩に飛び乗って、さらにその上に肩車が、月に向かってどこまでも続くんだ。

 まるでサーカスの人間タワーみたいで、思わず見とれちゃったよ。

 それがいきなり倒れて、あっと思ったところで、家に続く道になってたんだ。


 聞き終わった私は、郭秀の話の非常識さに激怒した。

「だから何で、また会うなんて約束したのよ!」

「そう言わないと帰れそうになかったし」

 ウソに決まってる。

「可愛いかった? 青野姫子ちゃん」

 ツッコんでみたら、いつもとキャラが違う。

「妬いてる? もしかして」

 ひっぱたいてやろうかと思ったけど、そこは私も常識人だ。

「危険よ……知らない相手とアカウント交換するなんて」

「大丈夫、裏アカウントだし」

 そういう問題じゃない!

 私は手を突き出した。

「スマホ貸して……私が行く。電話で呼んだら」

 私のを代わりに受け取った郭秀は、いつになく真面目な顔で頷いた。

「友美がピンチになったら、僕が助けに行く番だね」

「そういう意味じゃない!」

 私を見て逃げなかったら、そいつらは少なくとも物の怪じゃない。

 中秋の名月に別れを惜しみ、受験の冬と高校入学の春との境目となるお彼岸の月夜に、再会を期するなんて。

 彼等は私や郭秀と同じ、受験に悩んできた中学生たちなのだ。

 そう思うと、常識人をやってきた私も、彼等と少し羽目を外してもいいんじゃないかという気がしていたのだった。


 家で家族が寝静まるのを待っていると、真夜中にスマホがチャットの着信を告げた。

 いかにも男子好みな美少女キャラのスタンプが、馴れ馴れしいメッセージをよこす。

〔会えるの楽しみにしてるね! お友達になろう!〕

 貼りつけられたアドレスを叩くと、集合場所の地図が現れた。

 私は家を抜け出して、静まり返った春の真夜中の道を歩いていく。

 常識で考えれば、待っているのが物の怪か人間かはともかく、高校入学前の女子にはかなり危険な行為だ。

 それに気づいたときはもう、帰り道が分からなくなっていた。

「どうしよう……」

 うつむいて、思わずつぶやいたときだった。

 スマホが新たな着信を告げていた。

〔すぐ目の前なんだけど〕

 目を上げると、柔らかい月明りの下、私と同年代の品のいい少年少女が集う公園があった。

「……あなたは? どうしてここに?」

 端正な足取りで音もなく歩み寄ってきたのは、長い黒髪の、すらりとした、胸もあればヒップラインも引き締まった、しかも頭のよさそうな美少女だった。

 これが、まさか……?

 背後から聞こえる声が、その答えだった。

「青野……姫子さん?」

 振り向くのも悔しかった。

 代わりに、青野姫子が鈴を転がしたような声で無邪気に喜ぶ。

「才賀くん? 才賀郭秀くんね!」

 それは、頭いいくせに間抜けなことを除けば、それ以上でも、それ以下でもない、ただの幼馴染だった。

 


「待っていたのよ!」

 青野姫子のしなやかな腕が伸びて、郭秀を公園の中へ引きずり込んだ。

 ふたりは互いに手を取り合って、春の月明かりの中を軽やかに駆ける。

 思わず身体が震えるのが分かったけど、常識で考えれば、この気持ちはひと言で説明できる。

 嫉妬だ。

 ……それがどうした!

 私はなりふり構わず、青野姫子に手を引かれた郭秀に追いすがる。

「待ちなさいよ!」

 きょとんとして振り向いた顔に、私の意思とは無関係の平手打ちが炸裂する。

 郭秀の目が、虚ろになった。

「友美……」

 それは、私の思いに気付いたからじゃなかった。

 いわゆる地蔵倒れに倒れた郭秀を、たおやかな身体で受け止めた青野姫子がつぶやく。

「ひどい……」

 公園に集った少年少女はそれが合図だったかのように、春の夜空に高々と浮かんだ月の光を浴びながら、足音もなく私を取り囲んだ。

 微かな囁きが、呪文のように響き渡る。

「我らの仲間を害したものに、同じ報いを」

 そこで感じた異様な雰囲気は、別に珍しいものではなかった。

 ただ、それに対して抱いたのは、初めての感情だった。

 恐怖だ。

……そんな! まさか、この子たちが?

 言い表しようもない姿をした物の怪たちが、包囲の輪を狭めてくる。

……どうして? 私を見て逃げないの?

 その禍々しい手が伸びてくる中、ただ青野姫子だけが、美しい顔に冷ややかな笑いを浮かべていた。 

……もう、おしまいだ。

 何もかも諦めたとき、私は思わず叫んでいた。

「郭秀!」

「……何?」

 思わぬ声が聞こえた。

 返事と共に郭秀が欠伸をしながら立ち上がると、物の怪たちはいつの間にか消えていた。

 呆然と見つめる私に、あの間抜けた声が答える。

「約束はちゃんと守れって言っただろ、友美も」

 そのとき私は気付いた。

 郭秀がいるときにしか、物の怪は私から逃げて行かないのだということに。

 それから私は郭秀を……。


 そこで目が覚めると、私は自宅のベッドの中にいた。

 耳元で鳴ったスマホを手に取ると、郭秀からの電話がかかっていた。

「友美……無事だったか?」

 出てみると、開口一番、それだった。

 何が言いたいのか分かってたけど、知らん顔して答えてやる。

「今日、会えない?」

 昼頃に待ち合わせて春風の吹き抜ける道を並んで歩いていると、どこかで見た公園に出くわした。

 そこで、冷ややかに聞いてみる。

「言ったでしょ? あれが青野さんの正体よ」

 すると郭秀は、あの新キャラで自信たっぷりに返してきた。

「妬いてるのか?」

 調子に乗るな!

 うるさい、とだけ答えると、私たちにおせっかいを焼いた物の怪たちの溜息が春風に吹かれて、どこからか聞こえてきたような気がした。

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物の怪が見える私は春の月の真夜中、幼馴染への気持ちに気付きました。 兵藤晴佳 @hyoudo

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