真夜中の運動会

九十九

真夜中の運動会

 真夜中の運動会。

 その文字を見て、少女は目の前でふらりふらりと浮いていた一反木綿を見つめた。


 招待状を持って来たのは馴染みの一反木綿だった。真夜中の運動会、招待状に書かれた文字列を見て、少女は困惑気に一反木綿を見た。

 偶にこうやって招待状なり手紙なりが届くが、宴会の誘い以外は碌でもないものも多い。曰く、彼方に退治しに行ってくれとか、何の刻に果たし合いに来てくれとか、嫁に来てくれとか、そう言う類いのものも多いのである。

 今回は、真夜中の運動会と言う、曰く各御山の大将の子が競い合いをすると言う行事の旨が書かれた招待状だった。そちらに出て欲しいと書かれた招待状を前に少女は一反木綿を見やった。

 一反木綿はひらりひらりと宙で舞うと、布端で招待状の一文を指した。各御山の大将と子の名が記されたその一覧の中、少女の名の隣、つまりは保護者の欄にそれは記されていた。

「御山の大天狗」

 少女は指された一文を読み上げて、嬉しいような困ったような顔をした。

 御山の大天狗はいつも少女をまるで初孫みたいに可愛がってくれる御山を取り纏めている天狗だった。少女が幼い頃、御山に捧げられた時からずっと気に掛けてくれている。今、少女が住んでいる場所だって大天狗が用意してくれたものだ。

 そんな御山の大天狗直々のご指名に、少女は、断れない奴だ、と眉を下げて呟いた。

「お前に自分の子として出て欲しいんだと」

 呆れたような渋い声が一反木綿から発せられた。少女は一反木綿の布を掴むと、手持無沙汰に皺を寄せ、困った様子でふらふらと宙に浮いている一反木綿を見上げた。

「勝てるかな? これ負けちゃわない?」

「まあ、かもな」

 何せ相手どるのは御山の大将の子だ。幾ら元気印で身体能力が高いとは言っても少女は人間である。天狗の神通力の一つも使えない少女はきっと競い合いに於いて不利だ。

「大将が望んでるのは勝つ事じゃ無いと思うぞ」

「それは分かってる」

 一反木綿の言葉に少女は頷く。

 多分、と言うか十中八九、顔を出しただけで大天狗は喜んでくれるであろうことは少女にも分っていた。多分、大天狗が重きを置いているのは勝つ事では無く、己の子として各御山の大将に少女の顔を見せる事だ。何時まで経っても教えて貰った神通力を使えない少女を、それでも大天狗は大層可愛がってくれているので。

「じゃあどうして、そんな困ったような顔をしているんだ」

 諭すように一反木綿は言った。まるで全部お見通しのような声音で、少女の頭を布端で撫でる。

「私が負けて、大天狗様が笑われるのは嫌だなって。それで皆まで笑われたらそれも嫌だなって」

 大天狗の御山は寄せ集めの御山だった。尻尾の無い猫又に角の折れた鬼、人を喰わぬ牛鬼に継ぎ接ぎだらけの一反木綿、そうしてただの人間の少女。そう言った、どこからか流れ着いたものの寄せ集めが大天狗の御山だった。

 他の御山の大将が何か言った訳では無い。彼等はそもそもそんなもの気にしない。それでも口さが無い下の者なんかは、時々大天狗や大天狗の御山の者を笑うのだ。半端者だけではなく、遂には人間さえも受け入れたのだと。

 大将の子同士が競い合うなんて大したお祭りになる。きっと各々の御山の下の者まで集まるだろう。無様に負けるつもりはちっとも無かったが、かと言って勝てるかと問われれば首を横に振るしかない。

 負ける少女を見た口さがない者に、あの御山は、と一括りに一笑に付されるのが少女は嫌だった。

「誰も気にしない」

「うん」

 それも分かっている。

 大天狗も御山の皆もきっと誰も気にしない。仮に少女が出ないと言えば残念がりはすれど責める事さえしないだろう。だからこれは少女の我儘だ。自分のせいで皆を笑わないでくれ、と思う少女の我儘。

「で、出るか?」

「出るよ。折角、大天狗様が誘ってくれたのだし」

 改めて出ると言うと、一反木綿は何処か安堵したような溜め息を漏らした。

「いざとなりゃ、その腕っぷし見せつけてやりゃあ良い」

 この前酔っぱらって投げ飛ばされた牛鬼の姿を思い浮かべて、一反木綿は可笑しそうに少女の腕を叩いた。

「うん、そうする」

 少女は出来ない力こぶを作るようにして腕を曲げた。


 真夜中の運動会は、運動会と大天狗は銘打ってはいたが、蓋を開けて見れば何時もの宴会とそう変わりなかった。競い合う子の姿を酒の肴にした宴会。狐に鴉に蛇に鬼に天狗にと、各々の御山の大将達が提灯に照らされた闇夜の中でどんちゃんと酒を酌み交わす。

 他の御山の大将達の元へ顔見せに出向いた少女は、大天狗の膝元で大将達に囲まれていた。

「おお、おお、大きくなったなあ」

「人間はすぐ大きくなる」

「良いなあ大天狗殿は慕われて。俺のところなんかは糞親父なんて言ってきやがる」

「子の成長は皆早いものだなあ」

 他の御山の大将達は大天狗の連れて来た少女にやんややんやと構う。基本的に気の良い者たちなのだ、この辺りの御山の大将達は。大天狗は相好を崩して、少女の頭を大きな手で撫でた。

「そろそろ始まるぞ」

 しゅるり、とやって来た一反木綿に呼ばれて、少女は一礼するとその場を後にした。大将達は酒を掲げ見送ってくれる。

「真夜中の運動会って何するの?」

「酒の飲み比べ」

「勝てないじゃん」

 少女は酒が飲めない。飲めないと言うか舐める程度しか飲んだことが無い。宴会の時だって、基本的には料理を食ったり、酒を注ぐのや介抱に回ったりしているので、酒は口にはしていないのだ。

「親父殿もそこは分かってるだろうよ。そもそもどうあっても枠の蛇の倅が勝つだろうし」

 蛇の倅と聞いて思い出すのは、空になった酒蔵だ。何時もよりもずっと多めに準備した酒を全て飲み干し、酒蔵の酒さえも胃の中に収めた大蛇を思い出す。後からやって来た大蛇の大将にしこたま怒られていた姿が少女の脳裏に浮かぶ。

「あれは勝てない」

「だろう? 後は鬼ごっこ」

「何でもありの?」

「何でもありの」

「何でもありなのかあ」

 鬼ごっこともなれば鬼を投げ飛ばす事も出来ない。体力、走力共にそれなりに自信はあるが、狐に上手く化かされて捕まるか、鴉に目を眩まされて捕まるかしそうである。

「後は腕比べだ」

「何でもありの?」

「いや、力自慢の」

 にやり、と一反木綿が笑う気配がして、少女も同じくして笑う。

「やっと勝てそうなのが出た」

「親父殿が楽しみにしているのもそこだ。鬼の倅とどっちが強いかだな」

 大岩を砕けるのはどちらも同じだ。神通力はてんで使えない少女だが、教えて貰う武術に関してはめきめきと成長してきた彼女だ。相手に遅れることはないだろう。何て言ったって酔っぱらっていたとはいえ絡み酒をしてきた牛鬼を投げ飛ばしたのだから。


 月夜の下、提灯で照らされた闇夜の中の運動会は、つつがなく行われた。飲み比べと鬼ごっこの結果としては、概ね少女と一反木綿が考えていた結果になった。

 ボロ負けとまでは行かないが、飲み比べでは一番下だったし、鬼ごっこでは見事に狐に化かされて捕まってしまった挙句、鴉に目を眩まされてまともに捕まえる事が出来なかった。

 少女がそうして負ける度に、小さなくすくすと笑う声が聞こえるので、少女は仏頂面でそれを見ていた。少女に聞こえるだけの声音で、所詮あの御山だから、と言われた時は素知らぬ顔をして相手を投げ飛ばした。

 そうして腕比べになった時に、少女は狐も鴉も蛇も、それはもう素晴らしいくらい綺麗に投げ飛ばした。大将達は面白そうにその様を見ていて、大蛇の大将なんかは子が投げ飛ばされる様に大爆笑をかましていたし、楽しそうな我が子同然の少女の様子に、大天狗は酷く嬉しそうに笑っていた。

「宜しくお願いします」

 鬼と対峙し、少女は頭を下げる。鬼もまた、少女に倣って頭を下げた。常にない素直な子の様子に、鬼の大将は顎を擦った。

 鬼と少女の腕比べは、互いが互いに譲らない腕比べとなった。力は拮抗していた。

 鬼が蹴りを繰り出せば、少女がそれを縦に避けて蹴りを繰り出す。少女が下から殴り掛かれば、鬼は上体を逸らして避けてから足払いを仕掛ける。そうして互いに組み手を取って、力を受け流し、また攻撃を繰り出す。

 白熱した真夜中の腕比べは、数刻に渡って行われた。

 勝敗はふとした瞬間に付いた。鬼が着地した際、足元の小さな石ころに僅かにバランスを持っていかれた瞬間に、少女が間を詰めて鬼の懐に入ったのだ。酷く鈍い音がして、鬼の腹にまともに少女の蹴りが入った。

 鬼は対して受け身もとれずに、土俵の上から弾き飛ばされた。

 一瞬の静寂の後、大将達が酒を掲げて少女を讃える声が飛ぶと、それまで少女を笑っていた者達もわあわあと歓声を上げる。

「勝った」 

 笑顔の少女は土俵の上で、己の御山の皆にピースサインを送った。


「楽しかったか」

「うん」

 大天狗の膝元で酒を注ぎながら一反木綿は言った。少女は素直に頷いて、大天狗に酒を注いだ。

「運動会、やっと出来たな。今回は間に合わせだが次はもう少しましな運動会になるだろうさ」

「うん?」

 笑いながら言う一反木綿に少女は首を傾げた。

「御山から眺めていただろう?」

 人間の運動会、続く言葉に少女は目を丸くして一反木綿と傍らの大天狗を見た。

 大天狗はうんうん頷いて、酒を煽る。周りの大将達は酒に酔った顔でにやにやと少女を見ていた。まだまだ子供だものなあ、とか、時には里も恋しかろう、とかの声が聞こえる。

「お前さんのために運動会が開きたかったんだと、親父殿は」

 つまりは今回の運動会は自分のために大天狗が主催したらしい、と気づき、少女は真っ赤な顔で大天狗を見上げた。

 大天狗は大きな手で少女の頭をぐるりと撫でると、楽しかったか、と少女に問うた。

 少女は、楽しかった、と真っ赤な顔で、けれども心底嬉しそうな笑顔で返し、けらけらと笑っていた一反木綿の布をぎゅうと掴んだ。

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