月明かりの中

しらす

月が照らす二人

 ぽっかりと窓の外に月が浮かんでいた。

 白く煌々と、周囲は闇に包まれている筈なのに、そこだけがふんわりと明るい。

 手を伸ばそうとして、ひどく体が痛むことに気が付いた。


 ここはどこなんだ?


 レンは仰向けに横たわったまま、周囲を見回した。

 背中の下はゆっくりと大きな生き物が呼吸するように揺れている。

 部屋の中は月明かりでほんの一部が照らされている程度だが、木箱や麻袋や樽などが辛うじて判別できた。


 つまり自分はまだ船の上で、ここは船倉かどこかのようだ。

 痛む体を引きずるようにして起き上がり、自分の体を確かめる。

 腕にも足に背中にも傷があるが、全てに包帯が巻かれている。

 薬も塗られているのか、ツンとするような匂いが体を動かすたびに立ち上った。


 ここまで何があったかを、ゆっくり思い出す。

 夫を追って娘と共に旅をしてきて、ようやくそれらしい噂のある港町までたどり着いて。

 力を貸してくれると言う者たちに船を出してもらい、彼らと共に港を後にして。


 そうだ、嵐がやって来たんだ。

 嵐と共に彼が現れた。

 そして船に乗り込まれ、船員たちは逃げ出し、自分たちは戦おうとしたが、抗い切れなかった。

 正体不明の魔力によって、手を貸してくれた魔法使い達でさえ手が出せなくて。


 そこまで思い出したところで、不意にカシャンと鍵の開けられる音がした。続いて、扉をゆっくり押し開くギイィという音。

 時刻も分からない真っ暗闇の中、ランプを持った腕が入って来る。

 それからそっと中を窺うように、真っ黒い髪に白い顔をした誰かが、首を覗かせた。

 外から掛けられた声に一度振り返ったその影は、何か小声で返事をすると、扉を閉めて入って来た。


 これは彼だ。

 すぐに気が付いた。


 傷を負った自分が眠り込んでいると思って、起こさないようにそっと近寄って来る人影。

 あれほど乱暴に自分を捕まえておきながら、全身の手当てをして、今もこちらを気遣うようなその姿。

 港で噂のあった海賊の、その首領となっていたレンの夫だ。


「何をしに来た」

 鋭く問うと、彼は伸ばしかけた手を引っ込める。

「レン、話をしたいんだ。僕がどうしてここにいるのか」

 そう言うと、彼はレンの側に腰を落とし、手当されている場所を確かめ始めた。


 優しい夫だった。今も変わらず優しいその姿に、少しだけ息を吐く。

 しかし窓からの月明かりに照らされたその顔は青白く、やつれ果てて、女と見まごうかつての姿とはかけ離れていた。


「話すなら、まず私の話を聞け。あんたがどうしてこんな事になっているのかくらい、私に分からないと思うか」

「レン……?」


 かつては自分も盗賊だった。

 義賊と呼ばれていい気になっていたこともあった。今となっては恥ずかしい過去の記憶だ。


 彼は人から奪い生きることを望んだわけではあるまい。それだけは分かる。

 そもそもそんな必要もなかったのに、こんな場所で再会することになった理由など、彼の優しさ以外に何も思い当たらない。


 港で聞いた噂を思い出す。

 海上で奪われた荷は、必ず対岸の国で売られ、その一部が帰って来るのだと。

 襲った船を傷つける事も無く、一番近い無人の島に付けられ、必ず返されるのだと。

 だから気が付いた。

 彼は何かを助けようと、あるいは守ろうとして帰って来なかったのだと。


 ならば今、レンにできるのはかつての自分の人生、恥ずかしくて娘にも語れない過去を話すこと、それだけだ。


 月の明かりは穏やかで、それでいてわずかに影ができるほどには明るい。

 夜闇に生きる者たちが迷わぬよう、時に慰め、足元を照らす。

 そして時には、穏やかに眠りへと誘い、太陽の元へ目覚めるように導いてくれる。

 自分の背にも、彼の足元にもその光はまだ伸びている。まだ彼を救うことはできる。


 それを確かめて、レンは疲れ果てた姿の夫に向かって、口を開いた。

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月明かりの中 しらす @toki_t

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