バーテンダーは名探偵?~midnight stranger~

Youlife

第1話

 東京の私鉄沿線の駅に連なる商店街。

 その裏通りにある小さなバー『メロス』。夜も更けた頃、年季の入った重いドアが音を立てて開いた。


「おう、祥次郎しょうじろう!久しぶりだね」


 警視庁で刑事をしている宇都宮うつのみやが、上機嫌な顔でカウンターに腰掛けた。


「刑事、お久しぶりです。どうしたんですか?しばらく顔を見せなかったじゃないですか?」

「まあな。扱っていた事件の容疑者が北海道に逃走してさ。みんなであっちまで捜査に行ってきたんだよ」

「ええ?いいなあ北海道!じゃあもちろん、おみやげがあるんですよね?」


 アシスタントの秋音は、にやにやしながら宇都宮の懐に目を向けた。


「鋭いなあ、秋音あきねちゃん」


 呆れ顔の宇都宮は、コートの内側のポケットからお菓子の箱を取り出した。


「六花亭のマルセイバターサンドじゃん!これ、すごく好きなんだ」

「クッキーですか。太るぞ、秋音ちゃん。いいのか?」


 祥次郎は冷めた顔で見ると、宇都宮と秋音は祥次郎を鋭い目で睨みつけた。


「クッキー食べたぐらいで太るかよ。秋音ちゃんはお前みたいに酒ばっかり飲んで不摂生な生活してないから大丈夫だよ、な、秋音ちゃん」

「そうだよマスター。さすが刑事、私を見る目があるよね」

「くそっ。お菓子で女を釣るなんて、警察と言えど許されるのかよ?」


 祥次郎は独り言をつぶやきながら、宇都宮がキープしているボトルを取り出し、ゆっくりとグラスに注ぎ込んだ。


 その時、重いドアがゆっくりと音を立てて開き始めた。


「いらっしゃいませ!」


 秋音の弾むような声が店内に響くと、深々と帽子をかぶり、茶色のレンズのサングラスをかけた長い髪の女性が店内に足を踏み入れてきた。


「お一人様ですか?」


 秋音が問いかけると、女性は大きく頷き、高いヒールの靴でコツコツと音を響かせながら一番奥に空いている席に腰を下ろした。


「ご注文は、どうされますか?」


 女性は秋音から見せられたメニュー表を開くと、注文したい品の写真を秋音に見せながらそっと指さした。


「ジンフィズですか。かしこまりました」


 女性は帽子を脱ぎ、ふんわりとした長い茶髪をかき上げると、店内に甘いコロンの香りが広がった。

 女性がサングラスを外すと、涼し気で横長の目と真紅の口紅が、まるで見るものを誘惑しているような強烈な吸引力を感じた。


「おまたせしました、ジンフィズです」


 秋音が女性の前にカクテルを置くと、女性は微笑みながらグラスを前方に傾け、そのままゆっくりと飲み始めた。


「ほう、なかなかの美人だな……」


 宇都宮は目線をずっと女性に向けていた。そして、女性の隣の席に座っていた客が帰り支度を始めると、宇都宮はグラスを手に立ち上がり、そのまま空いた席に腰を下ろした。


「あの、隣、いいかな?」


 宇都宮はにこやかな顔で女性に語り掛けた。

 女性は頷くと、グラスを口にしながら無言で宇都宮の目を見つめた。女性がグラスを片手で持ち上げると、口に流し込むように飲んでいた。


「なぜこの店を?あなたのような綺麗な女性には似合わないですよ」


 すると、秋音はあきれ果てた顔で宇都宮を見ていた。


「はあ?刑事、今何か言った?」


 女性は無言で首を横に振ったが、宇都宮は今度は女性の手にそっと自分の手を近づけていった。


「名前は何て言うの?」


 すると女性は、祥次郎や秋音には聞こえない程度の小さな声でささやいた。


「へえ、ちはるって言うんだ。可愛い名前だね。飲んでるカクテルもおしゃれでかわいらしい。あなたにピッタリだよ」


 女性は宇都宮の積極的なアプローチに、徐々に顔が引きつっていく様子が祥次郎から見ても分かった。


「ねえ、さっきからあの人、自分の名前以外、一言もしゃべらないよね。どうしたのかな?」

「秋音ちゃん、それは僕も気付いていましたよ。それと、あの人のグラスの持ち方もね」


 祥次郎が指差すと、秋音は口に手を当て、小さな声で「あっ!」と叫んだ。 


「じゃあ、これから僕が、ここよりもっとおしゃれなお店にあなたを連れて行きますよ。いかがですか?」


 ちはるは苦笑いして手のひらを振ったが、宇都宮は果敢に口説き続けた。


「ここは僕が払いますから。おい、祥次郎、二人分、これで精算しとけよ」


 宇都宮は一万円札をカウンターに置くと、ハンガーからちはるのコートを取って手渡し、自分もコートを羽織った。


「じゃあな、祥次郎。俺はこの人ともう一軒行ってくるよ。その後はここには戻らないからな。分かるよな?ハハハハ」


 宇都宮はちはるの腰に手を当てながら、喜び勇んで重いドアを開けた。


「あらら~。刑事、すっかりお気に入りのようね」

「まあ、もうすぐ気付くんじゃないかな?」


 祥次郎はどこか余裕めいた様子で、二人の背中を見送りながらちはるの口にしていたグラスを拭き始めた。


 時計は午前一時を回り、『メロス』は閉店の時間を迎えた。

 客が居なくなった店内で、秋音は宇都宮からもらったマルセイバターサンドを食べながら、BGMに合わせて気持ちよさそうに鼻歌を歌っていた。

 表では、強い風に煽られて何度もドアがガタガタと音を立てた。


「すごい風よね。そういえば今日の天気予報、春の嵐が来てるって言ったもんね」

「ん?いや、違うぞ、これ、誰かがドアを叩く音だな」

「え?」


 秋音がドアに耳を傍たてると、風の音に交じって、誰かがドアを叩く音がした。

 秋音は慌てて鍵を開けると、そこにはちはるが立っていた。


「あれ?あなたは……ちはるさん?」

「ごめんなさい、閉店しちゃったのに」


 秋音は、ちはるの声を聞いて驚いた。


「ちはるさん、今の声って……」

「あ!まずいっ」


 ちはるは口元を抑えて秋音から背を向けた。


「良いんですよ、私たち、分かってたんですよ」

「私が……男だってことを?」


 ちはるが尋ねると、秋音は笑顔で大きくうなずいた。


「私たちはあなたが男でも女でも構わない。さ、どうぞ」

「ありがとう……」


 ちはるは先ほど座っていた壁際の席に座ると、大きくため息を付いた。


「何か飲みます?」

「ジントニックを……」

「おや、ジンフィズじゃなくて?」

「いや、もう僕は男に戻ったんで」


 ちはるはふんわりとした長い髪に手を掛け、そっと頭上に持ち上げると、周りを刈り上げた短髪が姿を現した。

 その後、ちはるは出されたジントニックを、片手で一気に流し込むように飲み干した。


「あなたのその飲みっぷりで、僕らは男性だって気づきましたよ」

「なんだ、皆さんはもう気づいてたんですね。だったら、あの刑事さんを呼び止めてくれればよかったのに」

「いや、二人ともいい雰囲気だったから、このままいかせてあげようと思ってね」

「刑事さんと二軒目の店に行って、その後ホテルに連れ込まれそうになって。で、僕が大声を上げて抵抗した時、男だって分かったみたいで。刑事さん、ガッカリ肩を落として帰っていきましたよ」


 ちはるの話を聞いて、祥次郎と秋音は手を叩き、声を上げて笑い出した。


「ところでちはるさん。どうしてそんな恰好してるんですか?」

「どうしてって?これが本当の自分だから、です」

「え!何ですか?それ」


 秋音は驚きを隠せなかった。

 すると、ちはるは笑いながら話し出した。


「憧れてたんですよ。女の人になることに」


 そう言うと、ちはるはジントニックを全て飲み干し、グラスを手にしたまま語りだした。


「僕、姉がいるんですけど、化粧やおしゃれを楽しむ姉がすごくうらやましくて、姉が家にいない時に、こっそり拝借したこともありました。けど、僕自身は、親から男として強く生きるよう言われて育ちましたから、本当の自分は奥底に仕舞い込んで生きてきました。でもね、町を歩く綺麗な女性を見かけると、やっぱり気持ちが抑えきれなくて……。そして僕、決意したんです。『自分にこれ以上嘘をつくな、本当の自分になろう』と。それ以来、僕はこの時間になると、女性の恰好で街の中を歩いてるんです」


 ちはるの話を、祥次郎と秋音は、腕組みをしながら聴き入っていた。


「でも、しぐさと声まではごまかせなかったよね。まだまだ男に未練があるのかしらね」

「アハハ、そうですよね……女性として生きるには、心も身体も、まだハードルがあるかもしれませんね」


 そう言うとちはるは再び長い髪のウイッグをかぶり、その上に帽子を深々と被ると、頭を下げて席を立った。

 祥次郎は、コートを着込むちはるの背中に向かって声を掛けた。


「ちはるさん、あなたは女性としてとても素敵だと思うよ。その恰好でここで飲んでたら、今日の刑事みたいにあなたに惚れ込む人がいて、プロポーズされちゃうかもよ」


 すると、ちはるはクスっと笑った。


「いや、実は僕、好きな人がいるんですよ。今日、ここで待ち合わせの約束をしてたんだけど、仕事が終わらないみたいで、まだ来てないんです」

「え?いるの……彼氏?いや、彼女?」


 その時、突然入口の重いドアが開いた。そこには、スラリとした長身の男性が立っていた。

 ウエーブの掛かったボブヘアー風の髪に、細身のスリーピースのスーツを羽織った、シャープな雰囲気のある男性だった。


「紹介します。彼氏のまさみです」

「はじめまして」


 まさみという男性の声は、明らかに女性のものだった。


「え、あなたも、ちはるさんと同じ?」

「そうですね。お互い違う性別の衣装を着るのが好きなんですよ。同じ趣向の人が集まるSNSで知り合って、何度か会う内に付き合うようになりました」


 そう言うと、まさみはスーツのボタンを外し、シャツの上からも分かる丸い胸の膨らみを見せてくれた。

 ちはるが着替え終わると、まさみは隣に立ち、ちはるの手を繋いだ。


「さ、行こうか、ちはるちゃん」

「うん、まさみ君」


 祥次郎が重いドアを開けると、二人は頭を下げながら、風が吹きすさぶ真夜中の闇の中へと歩きだした。


「真夜中になると顔を出すんだろうな。心の奥底にあるもう一人の自分が、ね」


 祥次郎はドアを開けたまま、闇につつまれた街の中へと消えていく二人の背中を、ずっと目で追い続けていた。

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