真夜中先生

鈴ノ木 鈴ノ子

まよなかせんせい

琴浦市は一般的よくある地方都市である。人口も減少の一途を辿り、主要産業であった林業も活気が失われて久しい。高齢化率も年を経るごとに年寄りが増えていく構図である。

そんな街にも小中学校は何校か存在する。一時期は統廃合をすべきだと文科省から指導も入ったが、少数の児童・学生でのきめ細やかな教育体制の確立ということを時の市長が訴えて、閉校は免れた、部活動を近隣他校と共同で行い、学区外の子供たちの触れ合いによって一風変わった教育として注目もされている。

学校間の連携が強くなった分だけ会議も増えた。特に新学期初めに4学校の教職員が一堂に集まる連絡会議には全ての先生が必ず参加する。これには今後の大まかな活動方針と部活動連携、そして修学旅行など数多くの学校行事の仮の工程表が発表されて、そこに先生達の意見が付け足されていく仕組みであった。


「20ページ目、本年度の真夜中先生の学校周りの件につきまして・・・・」


北小学校の校長が体育館の壇上でそう言って資料を読み進めていく。


「真夜中先生より、4校分の授業日程が提出されていましたので、資料に添付した次第です。各学校ともに必ず協力してくださるようにお願い致します」


それと共にパイプ椅子に座って話を聞いていた先生達が手書きされた授業日程を見ながら小声で話し始めた。それほどこの授業を邪魔してはいけないのだ。


「なお、特に南小学校では宅地開発により学校近隣に引っ越しが相次いだと伺っています。丁寧な説明で苦情防止に努めてください」


南小学校の校長がしっかりと頷き、南小学校の先生達もまた頷く。

ちなみにこの真夜中先生はこの会議には出てくることはない。

授業準備のために特例で不参加を許されていた。工程表は手書きでA4の用紙数枚に事細かに各学校の使用教室が書かれており、それにそって各学校は準備を行うのだった。

あの会議から1ヶ月後、ついに南小学校に苦情がきた。付近に住む若い夫婦からで真夜中に学校の方からリコーダーの音だったり楽器の音が聞こえてきた。という内容だった。校長と教頭がお詫びのために職員室を後にしていった。


「立花先生、私、真夜中先生を見たことがないんですよね」


逞しい体つきの黛先生が隣の大先輩教師の立花先生へ話しかけた。今時珍しい熱血漢で場合によっては譲るということを苦手とする厄介教師だが、生徒のためならと頑張ることのできるとても良い先生だ。


「黛先生、それは言わないほうがいいですよ」


大先輩の立花先生が気難しそうな顔をしてそう言った。


「え?」


「まぁ、その問題には触れんことです。あ、そういえば今日は真夜中先生の授業日でしたね、そろそろ帰り支度をしないと」


壁にかけられた時計は20時を過ぎていた。いつもならもう少し残って業務をこなしている先生方も、今日は早めに切り上げて次々と帰宅されていく、そういう黛も同様に片付け準備に入っていた。


「でも・・・」


「ああ、黛先生、じゃぁ、帰りに飲みに行きましょう」


立花先生は片付けを済ませると右手で昔の杯を傾ける動作をして黛を誘い連れ出した。遅くとも21時までには全員が帰宅しなければならない。真夜中先生の邪魔をしないためだ。


時計が22時を告げる音を職員室に響かせた頃、真っ暗となっていた職員室の木製の扉がガタついた音をたてて開いた。

真夜中先生であった。

小袖の着物に紫の袴姿で職員室に入ってきた先生は、黛先生や立花先生の近くある自分の席へと座ると引き出しの鍵を開けて、児童名簿と授業で使う教科書類を取り出した。そして、机の右端に貼られた黄色い付箋に目を止めた。


『真夜中先生、お疲れ様です。付近住民の方から楽器の音が聞こえていたと苦情がありました。窓を閉めて授業をして頂けると助かります。南小学校長』


そのメモを優しい面持ちで読んだ真夜中先生が手帳に使っている和装本の1ページにそれを貼り付けたのち教材一式を持って立ち上がった。卓上にひかれているクリアマットの予定表の使用教室は1階の1年1組であった。

今日は1年生の児童に授業を行うことになっている。

職員室を出て月光の差し込む緑のリノリウムの床を歩きながら彼女は教室へと向かっていく。静まり返った廊下に彼女の足音だけが響いて昼間の喧騒とは打って変わって静寂が支配していた。

 窓から見える運動場では数人の児童がサッカーに興じているのが見えた。月光が照らす運動場にはボールの影があるのみだが、それがあちらこちらへと蹴られては移動していく。児童の顔には笑みが溢れて友達と笑いながら世代を超えて遊びあっている風景がそこにあった。歩く真夜中先生に気がついた児童が手を振ってきたので、真夜中先生もまた着物の袖をゆらしながら優しく振り返した。

階段を上がり別棟の校舎へと渡り廊下を移動していく、両側には児童が授業で書いた作品が張り出され、真夜中先生はそれを一通りみてから微笑んだ。美しい顔に宿る優しい笑みは女神のように気品に満ちていた。廊下を渡りきり、そして1年1組の教室を開ける。月明かりの差し込む教室は、大型の薄いテレビジョン、木製の30席の学習机に教壇、そしてスチールでできた教師用の事務机と一般的な教室であった。

真夜中先生は教師用の机に教材などを置いて、黒板を一通り綺麗に拭き直した。チョークを置き、日中の1年1組担任の須藤先生が削って用意してくださった30本の鉛筆と消しゴム、そして校長先生が用意した30個のお道具箱、立花先生が用意してくださった30冊のノートを一つ一つの机に置いてまわる。児童はいろいろな世代の子がくるので用意は欠かせない。置き終わった頃合いに、入り口に人影があることに気がついた。スーツ姿の人体模型と和装姿の骨格標本の2人であった。優雅に真夜中先生がお辞儀をすると2人もゆっくりとお辞儀を返してから昇降口の方へと向かって行く。児童を出迎えるのは2人の役目である。

 真夜中先生も教室の入り口に立ちいつものように出迎える準備をした。袴の裾をはたいて埃を落とし、両手を前で柔らかく組んだ。

お揃いのランドセルというわけにはいかないけれど、全員がお揃いの体操着を着て登校してくる。世代はまちまち、育ちもまちまちだけれど、皆が安心して学べるように服装は体操着で整えていた。もちろん、学校の先生方が協力してくださってそれは実現できている。

元気の良い一年生の、おはようございます!に和かな優しい笑みを浮かべた真夜中先生が挨拶を返していく、あっという間に教室には30人の可愛らしい生徒達が揃った。

今日も授業が始まる。出席簿で出席を取り終わると一年生は目を輝かせて、真夜中先生の話に聞き入っている。真夜中先生もそんな児童を愛おしく思いながら授業を続ける。

午前4時半頃、空が朝焼けに染まり始める頃に授業は終わる。満足そうな顔をした一年生が下校時間となり、名残惜しそうに真夜中先生と握手しながら帰ってゆく。それを見送り終わった真夜中先生は、日誌に本日の様子を事細かに記載すると、職員室へと戻り、そして校長先生の机の上に日誌を置いた。その机に一礼すると真夜中先生は自分の机で授業の経過を記したメモを書き和装本に挟むと職員室を後にした。


日誌には、校長先生や立花先生や須藤先生方が教えることが叶わなかった児童の今日の様子が詳しく書き記されている。


真夜中先生は学びの機会を失った全ての学年の子供達に教えている。


業務は多岐に渡り、1日1日で学年も違う。


でも、真夜中先生は月光の下で教壇に立ち続ける。


この琴浦市の4校は大切だった児童のために真夜中先生を応援している。その甲斐もあってか、琴浦市の真夜中先生といえば、教育熱心で有名な先生で知られている。


それを慕って全国各地からも生徒が来る。


学びの機会はいつでも門戸が開かれているべきだと、真夜中先生は先生の先生から教えられた。それを忠実に大切に守っているのが真夜中先生だ。


今日もまた、月光の差し込む教室の黒板にチョークの音が響いていた。

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真夜中先生 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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