イス中毒

夢咲彩凪

第1話

 とある星の、とある国の、とある町の、とある通りの一角に。


 とあるイス売りの商人が住んでおりました。


 名をアルジャ。その町じゃ、知らない者もない有名なで、よく口の回る男でございます。


 そして彼の売るイスもまたとでもいいましょうか。彼同様とても変わっており、それからとても人気があるのです。


 空飛ぶイスや、喋るイス、一瞬で眠れるイスに、嫌いな相手にプレゼントすれば尻もちをつかせられるイス。


 ある人は言います。ひとたび彼のイスを買ってしまえば、もうやめられないのだと。


 ああ、なんということでしょう。この町の人々は〝イス中毒〟になってしまっていたのです……。



 とある春の、とある日のことでございました。


 アルジャが新しく開発したイスを台車に積んで、広場へやってまいりました。


 彼の周りには噂を聞きつけた大勢の町の人々が、目を輝かせて集まっております。


「このイスは俺の最高傑作さ! 今までのイスなんかとは比べ物にゃならないね」


 まず口を開いたのは、群衆の先頭に陣取って洒落た杖に身を預ける老婦人でございました。


 彼女はジロジロと物珍しそうにイスの山を眺めて、アルジャに尋ねました。


「へえ、それはどんなところがすごいんだい?」


 アルジャは得意げにニヤリと笑ったかと思えば、意気揚々と声を張り上げました。


「まずはご覧くだされ、このイスを!」


 彼は初めに片手でイスを持ち上げてみせました。それから今度は親指と人差し指だけで。しまいには小指ひとつだけでも。


 どよめきの波と戸惑いの渦が瞬く間に広場を駆け巡ってゆきます。


 なにせそのイスはとても変わっていたのです。今まで見たアルジャのイスのどれよりも!


「ああ、すっかり忘れていた。お客さん方、これは作るのが難しいから数量限定だ。早めに買うのをおすすめするね」


 アルジャは台車に『銀貨5枚』と書かれた紙を貼り付けました。


 それを見て彼の周りに集まっていた人々は、一様に難しい顔をしてお互いに顔を見合わせます。


 実を言いますと、彼のイスの値はせいぜい銅貨数枚がほとんどのところでありました。


 銀貨5枚と言えば、近頃巷で話題の『ジュウエンガム』なるものが500も買えてしまうのです。


 訝しげながらも好奇心を滲ませていた人々が、僅かに瞳の灯を消してしまったのも当然というべきでしょう。


 しかし、アルジャにとってこの反応は想定内。まあまあ話は最後まで、と口の両端を吊り上げてみせました。


「俺が何よりこのイスをおすすめするのは、持ち運びの便利さだよ。


 お客さん方が日頃使ってらっしゃるイスは、食事の時以外せいぜい台所で寂しげに突っ立ってるだけだろう?


 でもこいつぁ違う。座りたくなったとき、いつでもどこでも使えるのさ。


 それも形や高さまで自由自在。自分好みに調節できちまう。


 使い方は簡単、ただ心の中で『座りたい』と唱えるだけ。


 腰を下ろせば、あら不思議。そこにはもう魅力的なイスの出現だ。


 そしてそして、極めつけは、健康にいいってことだよ。美しい女性はもっと美しくなれる。逞しい男はもっと逞しくなる。


 こんなにいいことづくしなのに買わないなんて、もったいないよ。さあ買った買った!」

 

 はじめに銀貨を掌に乗せて差し出したのは、先刻の老婦人でした。


 なにやらとてもおかしくて仕方ないとでも言うように、まだまだ若々しい笑い声を響かせております。


 そうしてアルジャからイスを受け取ると、「こりゃ最高だね」と満足そうに微笑みました。


 これを見て人々の心に火が点ったのは言うまでもございません。


「さあ、残りはわずかだ! こいつを手に入れられるのはどなただろうか?」


 アルジャの掛け声を合図に、戦いが幕をあけました。


 みなさま、落ち着いて。ゆっくりと。


 アルジャに向かって集まる人々の目は般若のごとく血走り、ただ一心不乱に銀貨を載せた手を伸ばしております。


 その様子はどこかの島国の言葉を借りて言えば、さながら〝スーパーノタイムセール〟のようでございました。


 これこそまさに、イス中毒。

 世にもおそろし、イス中毒。


「ありがとうござんましたぁ!」


 ようやく彼の集まっていた最後のひとりまでイスが行き渡ったところで、アルジャは自慢のよく通る声を響かせました。

 

 拍手。歓声。口笛。


 さて、本日のショーはこれにて閉幕。


 こうしてアルジャのイス市場は大盛況に終わりました。


「数量限定じゃなかったのかい?」


 ひとり黙々と片付け作業に勤しんでいたアルジャの元へやってきたのは、またもやあの老婦人でありました。


「ああ、数量限定だったよ」


「でもおまえさんはここにいた全員にイスを売ったじゃないか」


「いいや、持ってきた分がピッタリ売れたんだ。もうイスは残ってないよ」


 たしかに彼のそばにある台車は空っぽ。多めに持ってきたということもございません。


 老婦人はしばし黙り込むと、自分の買ったイスをゆっくり眺め、それから「それにしても」と顔を上げました。


「変わったイスだねぇ。──まるで何もないように見えるイスなんて」


「そういうイスなのさ。こいつは。──〝クウキイスは」


「クウキイス、か。あははは、こりゃあ、傑作だ。最高だね!」


 なおも笑い続ける老婦人に、アルジャはすました顔で、


「ああ、そうだ。そのイスはご老人には少しばかり足腰の負担が大きい。十分に気をつけてくだせえ」


 と言い残し、颯爽と夕焼け色に染まった街へ消えていきました。





 

 さて、〝クウキイス〟なるものが大好評を博した日より十日ほどが過ぎた、とある昼下がり。


 本日のお天道様は今にも鼻歌を歌い出しそうなほど、ご機嫌がよろしいようでございます。


 どこか嬉しそうに柔らかな光をこちらへ降らせて、にこにこと笑っておられました。


 とは言えども、まだまだ肌寒い日は続いてまいります。冬将軍様は連れていた武士の方々を少しばかり置いてきぼりになさったようなのです。


 しかしこちらはなんだか様子がおかしい──。


「ひとつ銅貨二枚! トレーニングで疲れた体に最高に効くイスだよ!」


 某広場。今日も今日とて声を張り上げるアルジャの独壇場でございます。

 

 集まった人々はなんとこの気温にも関わらず、袖の短いシャツを着て汗をぬぐいながら、長蛇の列を作っていました。


 心なしか前回よりも逞しくなった脚を、軽く曲げて──〝クウキイス〟に座りながら。


「バニラ味にチョコレート味、ストロベリー味やキャラメル味も! 他にもたくさん取り揃えてあるよ! 





さあさあ、買った買った!


 ──この〝アイス〟を!」






fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イス中毒 夢咲彩凪 @sa_yumesaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説