夜色の罪を生きる

透峰 零

夜の精霊と罪人

 黒と赤は罪人の色である。

 むかしむかし――ずっと昔。愚かな黄昏の女神が人間に恋をし、姉である夜の神に殺された。

 そのせいで残った神々は力を失い、世界が無茶苦茶になったからだ。

 経典にも書いてあるし、ライルもずっと神官共に言われてきた。


 ――お前の黒瞳こくとうは前世で罪を重ねた罰の証なのだ、と。

 だから、ライルは夜が嫌いだ。


 けれど夜の闇は自分の色を隠してくれる。

 憎くて堪らないのに、その夜に縋って生きるしかない。そんな自分が、何よりも嫌いだった。

 十五の時に家を飛び出したのも、全てが嫌になったからだ。

 次はちゃんとした色に生まれてこれるよう、神様にお祈りしなさい、なんて。馬鹿らしい。

 自分は何も悪いことをしていない。どうしてこんな色にした「神」とやらに、これ以上媚びへつらって生きねばならぬというのだ。

 自分が媚びるのなんて、偉そうにふんぞり返る役人や貴族、神官共だけで十分ではないか。


 そうして荒れに荒れた末、気が付いたらライルは賞金稼ぎなんてことをして生きている。

 今回の獲物は、今までで一番の大物だ。

 ほくそ笑み、ライルは懐から国印の刷られた手配書を取り出した。幸い、今夜は満月だ。明かりはいらない。白々とした月明かりの中で浮かび上がった手配人の特徴を、もう一度じっくり読み返す。

 名はアッシュ・ノーザンナイト。

 歳は二十前後。

 濃紺の髪に――漆黒の瞳。

 一番下に書かれた「生死に関わらず百六十億」という金額に、ライルはふんと鼻を鳴らした。容姿も歳も自分とそう変わらないはずなのに、首から上の値段には天地の差がある。

 捕縛していた罪人が逃げたと、この手配書が大陸中にばら撒かれたのはつい数日前だ。裏から表から慎重に情報を集め、この辺りに彼がいることは掴んでいた。

「確か、北方面に逃げてるって話だったな……」

 そう独りごちた時、馴染んだ物騒な金属音と怒号を耳が捉えた。

 剣戟の音。

 距離は遠くない。数は十五以上といったところか。

 ツキが回ってきたかもしれない。

 ほくそ笑み、音を頼りにライルは暗い森を進む。

 そう行かぬうちに、視界の先で木々が途切れた場所を見つけた。だが、奇妙なことにそこには誰もいない。


 白い月明かりが、ぽかりとした空白地を照らし出す。

「ええい、中央におびき寄せろ! これでは見えん!」

「む、無理です……! あの男、まるで獣で」

 声は、周囲の暗闇から響いている。鎧の擦れる音は、すぐに悲鳴に上塗りされた。

 鎧をつけているということは、破落戸ごろつきや盗賊の類ではない。何とか統制を取ろうとしていることや、何より夜に慣れていないことからして、キチンとした国の兵士達なのだろう。

 巻き込まれないよう、近くの茂みに身を潜めたライルは冷静に状況を分析した。

 彼らを翻弄しているのは一人のようだ。兵士達の声は段々と減っていく。

「化け物が!」

「悪魔め」

 気合いに満ちていた声は、やがて恐れの混じった罵倒と憎悪へと変わる。残った者は撤退を決めたようだ。

「大罪人め。神はお前をけして許さないぞ」

 捨て台詞を最後に気配が遠ざかっていく。森に再び静寂が戻った。

 身を潜めたまま周囲の闇に目を凝らすライルの前で、広場に人影が姿を現した。一人だ。

「あんたも、俺に用?」

 隠れているはずなのに、ライルに視線を合わせてきたのはまだ若い男である。

 一見すると黒にも見える濃紺の髪、漆黒の瞳。北生まれの白い肌。

 手配書にあった特徴と、確かに合致する。だが、その相貌を見たライルは唖然とした。

 ――夜の精霊。

 思わず、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。それくらい、現実離れして美しい男だった。

 さっき彼は自分と同じような容姿と考えたが、とんでもない。

 暗い色彩を全く感じさせない華やかな顔立ちも、均整の取れたしなやかな体躯も、ライルには持ち得ないものだ。

 何より、その瞳。

 同じ黒瞳なのに、彼の目はまるで星を散りばめた夜空のように美しい漆黒の輝きを宿している。

 黒は醜い。夜は嫌われるもの。


 なのに、堂々と夜の中で立つ彼を美しいと思ってしまった。


「アッシュ・ノーザンナイト。お前の首を寄越せ」

 姿を隠したまま、ライルは言った。虚を突かれたように目を瞬いた青年――アッシュが苦笑を滲ませる。人というには美し過ぎ、しかし悪魔と罵るには苦しげな色を湛えた笑みだった。

「あんたじゃ無理だよ」

 見下され、カッと頭に血が昇るのがわかった。

「舐めるな!」

 叫び、ライルは飛び出す。彼の武器は拳だ。いつものように殴って気絶させ、先程の兵士達に引き渡してやれば――

 そこまで考えたところで、腹部に衝撃。

 視線を下にやれば、夜色の瞳が間近にあった。音もなく滑り込んできた青年に、剣の柄頭で鳩尾を殴られたのだと理解したのは、元の茂みに背中から倒れ込んでからだ。空気を求めて必死に口を開閉する。くると思った追撃はなかった。

「……なんで殺さない」

 ライルの持っている情報では、彼は逃亡の際に百人近い兵を殺しているという。嘘か本当かはわからない。

 だが、この男に懸けられた金はマトモなものではない。

 マトモでない額面で取引される人間が、善人であるはずがないのだ。

 答えない相手に焦れて頭をもたげると、剣を収めたアッシュが一瞥した。

「殺さなくても、あんたはわかってくれそうだったから」

 言われ、ライルは倒れたまま大きく息をついた。

 確かに、今の戦闘――いや、戦闘ともいえない一方的に打ち負かされた刹那で理解してしまった。

 自分ではどう足掻いても彼に勝てないということを。

 だから、これ以上は関わらない。きっと次はないから。

「さっきの奴らは違うのか?」

 問うてから、無駄なことを聞いたとライルは思った。

 彼らには命より大事な誇りがある。

 アッシュが罪人である以上、退くことは許されないのだ。

「残念ながら」

 予想通りの返答には、濃い諦観が滲んでいる。

「お前さ、一体何やったんだよ」

「色々。追手も殺したし、この名前だって国家侮辱罪だ」

 北の夜ノーザンナイト。南の日中を意味する手配元の国の名を思い出し、ライルは唇を歪めた。

「それは追われて仕方なく、だろう? 俺が言ってるのは大元の話だ――お前は、何をやらかして罪に問われたんだ」

 今度は答えはなかった。

「濡れ衣なんじゃないか?」

「いいや」

 否定は、思ったよりも近くから聞こえた。月を隠して覗き込んでくる夜色の瞳に、ライルは目を細める。

 生まれながらの、罪人の烙印。

「その目のせいか? 俺もこんな瞳だからさ、苦労はわかるぜ。どうせ、馬鹿な貴族どもにでも罪を着せられたんだろ」

「違うよ」

 全てを諦めたような、いっそ穏やかとも取れるような否定の言葉。それに、ライルは苛立ちを覚えた。

「俺は自分の手で罪を犯した。追われる前から人はたくさん殺してたし、騙した。これからも罪を犯し続けて逃げ続ける」

 言って、ライルに手を差し出す。奇妙な布が指先を覆う、木乃伊ミイラのような手だった。

 何か言おうと口を開いたが、今まで嗅いだことのないほどの強い鉄錆の匂いに、ライルは咳き込んだ。

 血の臭いは、目の前の罪人からしていた。

「お前――」

「ああ、そうか。すまん」

 愕然とするライルに、アッシュは血塗れの手を下げた。代わりに、今までの話の流れを無視してぽつりと言う。

「南の方の国はさ、黒瞳とか赤毛が多いそうだよ」

 ライルは目を見開いた。

 南の群島からなる国家の噂は、ライルとて聞いたことがある。

 ここ、中央大陸とは違う神を奉じる彼らの世界では、黒であろうと赤であろうと等しく生きていけるのだと。

「そこだと、きっと夜じゃなくてもあんたは顔を上げて生きていける」

 この狭い世界を出ようなんて、自分は考えたことすらなかった。

 夢物語を追って否定されるのが怖かった。

 だったら、夜の中を逃げ続けた方がマシだと思っていたのだ。

「南、か――」

 ぼんやりと呟き、ライルは勢いよく跳ね起きた。

 夜の精霊が言うなら、それも悪くないかもしれない。

「じゃあ、お前も」

「俺は駄目だよ」

 完璧に形作られた微笑と強い声は、人間ライルから追求の言葉を奪った。


 そういえば、かの大罪人が目指しているのは北だと聞く。


 血の匂いが遠くなった。

 音もなくライルの脇を通り過ぎたが、木立へと踏み込んでいく。

 その輪郭が溶け切る前に

「待てよ!」

 叫び、ライルは荷物からくしゃくしゃになった地図を掴み取った。乱暴に筒に突っ込み、振り返った顔にぶん投げる。

 残念ながら、いけ好かない顔面には当たらず掴み取られたが、腹の立つすかした表情を崩すことには成功した。

 戸惑ったような彼に、ライルは思い切り挑発的に笑ってやる。

「北に行くなら、そっちより別に近くて良い道があるんだよ。何でもわかってますってつらしてるくせに、何も知らないんだな」

「……これ、あんたにとって大事なもんだろ」

 地図を広げた青年が、ますます困惑した声をあげる。地図には、ライルが五年かけて見つけた抜け道や、身を隠せる洞窟などの情報が書き込まれていた。

 たぶん、中央大陸で人目をつかないよう生きたライルにしか作れないものだ。

「良いんだよ、もう必要ない」

 事実、もうそんな生活はまっぴらだった。

 これからどうするのか。本当に南を目指すのか。

 考えることは色々とあった。けれど、恐らくはもう会うことのない彼と、あんな形で別れることだけは嫌だったのだ。

 せめて、もう少しマシな約束の真似事でもしたい。そう、例えば

「こんな真夜中じゃなくて、今度は太陽の下で会おう」

 夜色の瞳が微かに見開かれた。馬鹿にされるかもしれないと、今さら後悔が首をもたげたが、返ってきたのはどこか楽しげな声だった。

「――ああ、それは良いな」

 そうやって笑った顔は、会ってから一番綺麗な笑顔だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜色の罪を生きる 透峰 零 @rei_T

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説