真夜中の爆撃機
鯨ヶ岬勇士
真夜中の爆撃機
得体の知れない不安と恐怖が私の心を終始押し付けていた。焦燥なのか、嫌悪なのか——酒を飲まないので二日酔いというものを知らないが、きっとこのような感じだろう。それが来たのだ。大病をしたわけでもない。また身を焼くような借金もない。それでも不安と恐怖がある。好きだった音楽も、好きな小説も楽しめなくなっていた。
このように梶井基次郎の『檸檬』の真似をしたところで、心は晴れない。それどころか、当時は駄目人間のレッテルを貼られた人間でさえ、その行動に高尚さを持っていることで自分がちっぽけに感じるのだった。
私には行きつけの丸善など無いし、よく行く本屋といえば近所のレンタルビデオショップに併設されている雑誌売り場くらいだ。そこも閉店の噂が立っている。びいどろの色硝子のような色彩の豊かさも、花火のような鮮烈さも、柑橘の爽やかさも無い。大きな不幸も無ければ、それを彩るものも無い。灰色の日常だった。
家族が寝静まったリビング。コピー用紙を取り出しては紙が擦れる音が立たないように気をつけて折り畳む。その白の上には滲んだ鈍色の鉛筆で、口に出せない言葉が書き連ねてあった。
——これは爆弾だ。
空白が無くなるくらいまでびっしりと汚言で埋め尽くされているそれは、折り重ねられて紙飛行機となった。これで九枚目だ。きりが悪い。納得いくまで紙に不平不満を書いては、それを封じ込めるように折る。そうして何枚も紙飛行機を作り続けた。
大事なことは自分のことを悟られないこと。これは一種の暴動なのだ。一人きりの暴動。だから他人に悟られてはいけない。固有名詞を書いては上から黒く塗りつぶし、罵詈雑言だけを残す。夜の街をふらつく勇気もない自分にとって、この言葉を書くことが精一杯の社会への反抗だった。
それから一人分だけ窓を開けてベランダに出る。あまり大きく開けると、外の冷たい空気が部屋に入り込んで家族が目を覚ましてしまう。だから、自分だけがするりと抜け出すように少しだけ開けた。
外の空気はひりつくほど寒く、片手にはいっぱいの紙飛行機が握られている。心臓が大きく鼓動するが、それは寒さのせいでは無い。
「やってやる。やってやるんだ」
私は紙飛行機を一枚投げた。そして、一枚、もう一枚と投げた。鉛色に汚れた白い紙飛行機が闇夜に消えるたびに新しく紙飛行機を投げた。そうしてすべて投げ切ると、部屋のベッドに戻り、大きく息をついた。
やってやったんだ。世界に自分の抱える不平不満を、憎悪を、恐怖をばら撒いてやったんだ。紙飛行機は近くの駐車場に落ちて、雨や泥水を浴びて崩れ去るだろう。それでも、もしかしたら一枚ぐらいは誰かの庭に落ちて、それを読んで私のことを知るかもしれない。そのようなことを空想して、その日は寝た。
真夜中の爆撃機 鯨ヶ岬勇士 @Beowulf_Gotaland
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