絶望の朝とは知らぬまま
葎屋敷
真っ暗な中で目を覚ました
俺は寝つきがいい人間だった。ちなみに寝起きもいい。大学の始業時間に関わらず、いつも夜の十一時には寝て、朝の六時に起きる。子どもの頃からずっとその調子。
そんな俺が、珍しく真夜中に目を覚ました。朝に目を覚ました時と違い、部屋は本当に真っ暗だった。田舎だから街灯の光が窓から入るなんてこともない。天気が悪いのか、月の光も入らない。部屋に明かりもないから、本当になにも見えなかった。
夜中起きてすることなんて、特にない。通常であれば、二度寝するところだ。しかし、今日はいつもと違う。妙に気分が悪いのだ。風邪でも引いただろうか。
俺は一階にある薬箱を探しに、自室から出ることにした。俺の目は暗闇に慣れる様子を見せず、起きてから数分経ったはずだが、なにも見えないままだった。
俺はふらふらする身体を無理やり起こし、記憶と感覚だけで部屋の証明のスイッチへと向かう。意図せず重心を左右に揺らしながら、一歩一歩確実に進む。
すると、突然、なにか柔らかくてぬめりのついた何かを踏んだ。
「うわっ。なんか踏んだ」
視界ゼロの状況では、ものを踏むのは致し方ない。問題なのは、何を踏んだかということだ。俺は今、足裏でなにかを踏みつぶした。
それは表面がわずかに湿気ていて、潰れた瞬間にぶよぶよと反発しながらも、ガラスの破片のような硬い物質が少々混ざっている。これは一体……?
「はっ」
数秒考えたところで、俺はその正体に気がついてしまった。
犬の糞だ。飼っているジョンが俺の部屋で粗相をしていったに違いない。ちょっとユルいうんこを俺の部屋にしていきやがったのだ! あの馬鹿犬!
「ちくしょう……」
俺は愛しいジョンへの悪態を吐きながら、腕を伸ばす。指先に触れたのは、慣れ親しんだ自室の電気スイッチだ。俺はジョンから出た物体を確かめるため、電気を付けた。
と思ったのだが、おかしい。視界が明るくならない。なにも見えないままなのだ。
……なんてことだろう。どうやら、こんな真夜中のクソ田舎で停電が起こっているらしい。古い電柱から漏電でもしたのか?
事態を把握するためにも、俺はやはり一階に行く必要がある。懐中電灯は一階のリビングにしかないのだ。
懐中電灯と、それから薬。いや、その前に熱を測らなければ。どうにもふらふらする。吐き気もひどい。でも、痛みはない。昨日の夕飯が当たったわけではないだろう。
壁に手をつきながら、俺は一段ずつ階段を降りる。たった数メートル下に移動するだけで、俺は馬鹿みたいに息があがった。その割に、心臓の鼓動は平常より大人しいくらいだ。どうも症状に一貫性が見られない。ただの風邪ではないのか。未知の感染症にでもかかってしまったのだろうか。
俺は霧の中を彷徨うような不安を感じながらも、なんとか一階に辿り着いた。片足を試しに一歩先へ出して、それ以上階段がないことを確認する。想定以上に時間がかかってしまった。
「おい、くそばばーあ! 起きろよぉ」
俺は寝ているであろう母を呼ぶ。俺の声は乾燥のせいか砂が混じったかのように掠れていて、たいして響かなかった。これでは母も起きないだろうと思ってのだが、
「……孝?」
母からの返事はあっさりと俺の元へ届いた。声の向きからして、母はリビングにいたらしい。
「あんた、まだ……っ」
母が聞いたこともないような震えた声を漏らす。どうしたのだろう。俺は母へ近づこうとしたが、それはできなかった。
「――まだ、生きていたなんて」
耳が拾ったのは風切り音と、母の冷めた呟き。
結局、俺の世界は暗闇に包まれたまま、幕を閉じた。
*
昔から夫が憎かった。結婚する前は優しかったのに、いざ籍を入れた途端に暴言の嵐。
どんくさい。誰が食わせてやってると思ってる。老けてババアになった。家事くらいしてくれよ。ここが俺の金で買った家だって忘れてないか、等々。こちらを否定するものばかり。挙句の果てに、息子に私の悪口を吹き込み、味方につける始末。
もう限界だった。あんなひどい夫の顔なんて、二度と見たくない。その夫の言うことをうのみにし、同様に私を詰ってこき使い、飯炊きマシーンかなにかだと思っている息子のことも、もう愛せなくなっていた。
だから、まず夫と息子に睡眠薬を飲ませた。息子はさっさと自室へと籠り、夫は私に晩酌をさせる。夫は酒を飲むと、私を罵りながら、殴ってくるので嫌いだ。しかも、その酒盛りは遅くまで続く。
私は夫が眠った真夜中になると、ことを開始した。夫の顔面を潰すことにしたのだ。
ソファに持たれながら眠っている夫の顔を、何度も何度も灰皿で頭を殴った。繰り返して殴るものだから、返り血で手が汚れて、途中で手を滑らしてしまった。ガラス製の灰皿は床に落ちて、パリンと割れる。仕方ないので夫の身体を引きずってソファから床へ落とし、その身体をうつ伏せの状態にする。そして、顔面を何度も床に叩きつけた。今までの鬱憤を晴らすべく、遠慮なんてしなかった。そもそも、その時点で死んでいたのだから、遠慮なんて必要もなかった。
一通り夫の醜い顔が潰れたところで、今度は呑気に眠っている息子の下へ向かった。息子はベッドで大人しく寝息を立てていた。昔は可愛くて仕方がなかったのに、今では感情がうまく起き上がらない。ただ、夫に似ているその顔が気に入らなかった。
一先ず、息子の机にあった筆箱からカッターを取り出す。刃はできる限り長く出して、息子の顔面へと下ろした。刃は偶然にも目に刺さったので、気が向くままに眼球をほじくり返した。だらんとぶら下がる眼球を切り離すのは意外と根気が必要だったので、片目しか摘出しなかった。もう片目は一刺しだけしておく。取り出した目玉は床に転がしておいた。
ちなみに、息子は一度だけ痛みに叫びながら目を覚ましたので、眉間に向かってカッターナイフを刺してあげたら、大人しく眠りについてくれた。
ようやく、この家から私の脅威は消え去った。二つのゴミを庭に植えたら、ジョンと楽しく暮らそう。大丈夫、大丈夫。私ならうまくできる。
……その後、夫を埋めるだけで日が昇ってしまった。死んだと思っていた息子がゾンビのようになって動いているときは驚いたけど、包丁を腹に何度も刺してやったら普通に死んだので、どうやら最後の力を振り絞って私を呼びながら動いていたようだ。そんなの、私に見つけてほしいと言っているようなものなのに、変な子。
もしかして、いつもの習慣通り、朝に起きただけなのだろうか、なんて考える。ちょうど、あの子が起きる時間だったし。
ま、もう考える必要のないことだ。それよりも、今は息子が入るための穴を用意しなくては。
さあ、後もうひと頑張り。真夜中になるまでには終わらせたい。夫の晩酌をしなくていい、最高の夜にしなくてはならないのだから。
絶望の朝とは知らぬまま 葎屋敷 @Muguraya
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