プラットホームにて

山口 実徳

運転停車

 夜行列車の客室にズラリと並んだ箱型座席は、どこもかしこも息を殺して眠りにつきつつ、旅の高揚感をくすぶらせていた。

 熱苦しさに辟易へきえきと溜息を吐いて視線を窓へと外してみると、列車から離れて駅舎へ向かう運転士の姿が目についた。

 交代かと思ったが、それだけではないらしい。旅人がぽつりぽつりと席を立ち、プラットホームにたたずんで白い息を吐いている。

 そうか、長距離を走る列車だから調整するための停車時間を取ってあるのか。

 私も熱気に押し出され、照明だけが煌々こうこうと灯るプラットホームに向かっていった。


 降りてすぐ、飲料自販機が目に入る。暖を取るためホットコーヒーを抽出すると

「そんなのを飲んだら、眠れなくなりますよ」

 振り返ると年配の男が私を見つめて、薄ら笑いを浮かべていた。

「もう諦めました。今、何時ですか?」

 男は眉をひそめた。時計を持っていないのを、いぶかしげに思っているのだ。

 無理もない。私は着の身着のままで、旅をする格好にはとても見えない。


「2時ですね」

「あと2時間半くらいですか」

「ご旅行ですか?」

「いえ、急に帰らなければいけなくなって」

 すると男は、悲壮な顔を作ってみせた。身内に不幸があった、とでも察したのだろう。

「一寸先は闇、ですな」

 自分の身に降り注いだように寂しく呟くと、油にまみれて鈍く輝くレールを目で追って、それを呑み込む夜の帳をじっと見つめた。


 私は会話が苦手なので、この男から一刻も早く離れたいが、ふいにすると再び怪訝に見られそうだ。受けた球を返すだけの、緩いキャッチボールに留めて付き合おう。

「ご旅行ですか?」

「いや、出張で」

「この帰省シーズンに、大変ですね」

 それもわざわざ夜行列車、朝から出向くというのだろうか。盆暮れ正月関係ない商売は色々あるが、朝から働いているのなら機械を止められない大規模工場の類だろう。


「もう歳だから、しんどいですわ」

「まだまだ、お若いじゃないですか」

 浅い会話の平行線が見えたところで、男がおもむろに向かいの線路を指差した。

「こんな時期だから臨時の夜行があるんですが、この駅で臨時がこの定期列車を追い抜くんです」

 列車が進入してきた方に目をやると、ちょうど臨時列車のヘッドライトが浮かび上がって、二条の銀を照らし出した。


「事情がおありだ、お急ぎでしょう。よかったら乗り換えては如何いかがです?」

 次第に近づくヘッドライトが、悔やむなと訴えて固くなった男の顔を仮面のように白く染めた。

 が、私は期待を裏切るのだ。

「すみません、席が取れたので」


 男の前から立ち去って、自席に座ってプラットホームをぼんやり眺めると、コートを羽織った男たちが臨時列車から降りて来て、さっきの男を取り囲んで紙っぺらを見せつけていた。

 私は荷物をまとめてプラットホームに再度降り、丸くなった男の背中を横目に見ながら臨時列車に乗り換えて、ドアが閉まって定期列車を置き去りにするのをじっと見つめた。


 なるほど、あの男が言ったとおりだ。


 寝静まった客室に、丁重に仕切り扉を開け閉めする音が差し込まれた。コートの男が一目散に私へ向かい、紙っぺらを差し出してきた。


 まったく。何から何まで、あの男が言ったとおりだ。


 私は観念した。男から抜き取った女物の財布をコートの男に手渡すと、嫌らしく光る二条の銀が私の手首にかけられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

プラットホームにて 山口 実徳 @minoriymgc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ