宇賀皐月は適切な差し入れを考えたい

水涸 木犀

Ⅹ 宇賀皐月は適切な差し入れを考えたい [theme10:真夜中]

 突然ふっと目が覚めて、わたしは目覚まし時計のライトをつけた。

「午前1時か……」

 起きるには早すぎる時刻を確認し、再び眠りにつこうとするが一度覚醒した脳はなかなか休もうとしてくれない。


 ――日中、ずっとパソコン画面を見ているからな。うち数時間はVR世界だし。この生活は、さすがに目に悪いよね――

 目をつぶっても暗闇の中に光の明滅が見えて、目を休められている気がしない。わたしは早期の就寝をあきらめて、最近の職場での出来事を思い返す。


 わが社にて開発中のVR乙女ゲーム「オフィスでの出会いは突然に」。完成間近のそれの内容を確かめるべく、プレイヤーモードでログインしたのは数日前の出来事だ。私がログインすると知り、プレゼン相手である経営管理部の伍代ごだいもゲームにインすると主張。二人でゲーム世界を見に行ったが、何故か開発者用端末で入室した伍代だけログアウトできなくなってしまった。


 伍代が安全にログアウトするには、ゲームのクリア――攻略対象キャラクターの告白イベントまでを見る――ことが必要と仮説を立て、わたしは社内で乙女ゲームをプレイすることを余儀なくされた。「現実に即したプレゼンをするため、ゲームを実際にプレイしてみる」という当初の目的は達成されたが、未だに伍代はログアウトできていない。

 攻略対象キャラクターを全員クリアしたのちに、何故かそれまでの伍代の言動を記録していた開発者用端末が、彼に似たキャラクターをゲーム内に形成してしまった。代さんと名付けられた彼のルートも追加でクリアする必要に駆られたわたしは、急ぎ攻略を進めている。


 早くクリアしたいのはやまやまだが、ここ最近本業の仕事が忙しい。勤務時間中に乙女ゲームを触る余裕があまり取れず、五代さんルートの攻略は日をまたいでしまった。

 そもそも五代さんはAIが勝手に追加した、元々の開発データには存在しないキャラクターだ。あとどれくらいエピソードが残されているのかがわからない。今まで登場したキャラ達の攻略時間から、明日時間が取れればクリアできると予想してはいるが、計画通りにいくかはわからない。


 ――今の状況、コスパ重視の堅物眼鏡伍代さんからしたら耐え難いだろうな――

 今も会社内にいるであろう伍代に思いをはせる。彼は、一刻も早くゲームからログアウトして職務に復帰したいはずだ。自らが攻略キャラになってまでゲーム世界に入り込む羽目になるのは想定外だっただろう。

 五代はVR端末を外すことができないので、勤務時間外も社内で過ごしている。無線端末なのでお手洗いなどは同僚の手を借りてどうにか済ませ、就寝時は救護室に置いてあった簡易ベッドに、開発部の備品である寝袋を備え付けて対応していると聞いている。寒さはそれでしのげるのだろうが、頭に機械を装着した状態ではゆっくり眠ることなどできないだろう。


 ――ログアウトできたらまず、ゆっくり睡眠をとってもらった方がいいだろうな――

 さすがというべきか、勤務時間中の伍代は決して眠そうな様子を見せない。時折ゲーム内で美味しそうな食べ物が出てくるときは自分の現状を嘆いてはいるが、頭の回転は衰えていないようだ。そこまで考えを巡らせて、わたしはふと気づいた。

 ――そうだ、食べ物。多少差し入れした方が、いいかも――


 VR端末を付けた状態の伍代は、食事にも難儀している。味にはこだわらないという彼の弁を信じて、開発部の人たちがブロック型の栄養補助食品を用意してくれている。しかし本来、あれは1日三食も代替できるものではないだろう。少なくともわたしがその立場だったら、1日で音をあげる。ゲーム内で食事のシーンを見るたびに空腹を訴えている伍代も、もう少しましなものを口にしたいと思っているのではなかろうか。


 ――とはいえ、差し入れるとしたら何がいいんだろう――

 伍代は視界がふさがれているので、スプーンやフォーク、箸などを使う食事はできない。渡すとしたら片手で食べられるものになる。となると今口にしているブロック系の栄養補助食品か、ゼリー飲料類か、グミやビスケットなどのお菓子か。

 明日、出社する途中でいくつか買っていこう。そう決めたわたしは、ようやく就寝の体制に入った。


   ・・・


「おはようございます」

「おはようございます。宇賀さん、今日もよろしくお願いします」

 会社について早々、開発部が詰めているHAKUBI Lab――乙女ゲームをプレイしている場所もここだ――に顔を出すと、同期の橋元弥生はしもとやよいが頭を下げてきた。わたしは軽く手を上げてから、周囲を見渡す。


「了解。伍代さんは起きてる?」

「俺はずっとここにいる」

 仕切りの奥からくぐもった声がした。パーテーションの先に入ると、いつも乙女ゲームをしている区画に伍代が腰かけているのを見つけた。わたしは彼の傍に寄り、机の上にビニール袋を置く。

「おはようございます。五代さん、もうちょっと何か食べた方がいいんじゃないかと思って、いろいろ買ってきました。ゼリー3種類と、片手で取れそうなビスケットと、フルーツグミです。一応無難な味が入っているものを選びましたが、苦手なものがあればおっしゃってください」


 ざらざらと、机の上に食糧が並べていくのをみて弥生が感嘆の声をあげる。

「宇賀さん、さすが気が利きますね! 申し訳ありません。開発部でそこまで考える余裕が無くて。会社で缶詰=ブロック系栄養補助食品のイメージしかわかなかったんです。確かに、あれだけでは普通の部署の方では物足りないですよね」

「まずは開発部の、ブラックな意識を改めた方がいいと思うけど……」

「同感だ。俺が帰宅できないと知り、すぐに寝袋が出てきたときには驚いたぞ。助かってはいるが、会社に寝泊まりすることが常識になっているようでは困る。労働基準法違反で、コンプライアンスに引っかかるぞ」

「善処したいのですが、なかなか……」


 苦笑いする弥生に対し、わたしたちは追及をやめる。平社員の弥生に言うだけでは改まらない体質だということはよくわかっている。伍代は意識をわたしの差し入れに向けたようだ。

「確かに、食べ物を追加で貰えるのはありがたいが……これは経費か?」

「いえ、わたしの自費です。あくまで“個人的な差し入れ”なので」

 コスパ意識は相変わらずだと思いつつ、その問いは予想できていたのですぐに自腹を主張する。伍代は困ったように顔を左右に振った。


「気持ちはありがたいが……申し訳ない。今すぐにお返しを用意することはできないが、このお礼はログアウト後に必ずする」

 思いがけない申し出に、わたしは目を白黒させる。

「いえ、いいですよ。そもそも伍代さんが今の状況に陥っているのは、わたしの攻略が遅いのが原因ですし。今日もちょっと会議に出てからなので、ログインできるのは昼過ぎになります。そのお詫びも込めてなので、どうかお気になさらず」


 我ながら論理的に断れたと思ったが、伍代はなおも食い下がってくる。

「今の状況は誰のせいでもない。しいて言うなら未完成だとわかっているゲームに、危険性を考慮せずにログインした俺が悪い。だからこのお礼は必ずする。あとログアウト可能な宇賀さんが、自分の業務を優先するのは当然のことだ。こちらは気にせずに、会議に集中してくれ」

「そこまでおっしゃるなら、わかりました。好意は受け取っておきます」


 ここでお礼の有無について言い合っていてもきりがないと判断し、わたしは話を切り上げた。近くにいた開発部の男性社員に差し入れの中身を説明し、伍代さんが食べたいといったものを渡すようにお願いしてからHAKUBI Labを後にする。


「宇賀さん、なんだか丸くなりましたね」

 去り際に、弥生がそう声をかけてくる。わたしは扉の取っ手に手をかけたまま、振り返る。

「え? わたし、そんなにギスギスしてた?」

 目が合った弥生は首を横に振る。

「いいえ。伍代さんに対して、です。前はもっと鋭い切り返しをしていたイメージがあったのですが。先ほどは、お互いにストレスの溜まらない会話をされていたので。これもゲームの影響ですかね」

「……そうかも」


 思い当たる節があり、わたしは小さく首肯する。

 乙女ゲーム内では、伍代によく似た「五代さん」を攻略すべく、彼が聞いて不快に思わないような選択肢を意図して選んでいる。その癖が、現実で伍代に接するときも出ている気がする。少なくとも、続く答えの予想をしながら声をかけるので、一方的に不快な思いをすることは無くなった。


「いい傾向だと思いますよ。伍代さんも宇賀さんも仕事ができる方ですし、仲が悪いよりはいいほうが周りも仕事しやすいと思います」

「そうだよね」

 弥生の答えに同意しつつも、わたしは考える。


 果たしてこれは、単に伍代の思考パターンが読めるようになっただけなのか。それとも、伍代そのものにほだされてきているのだろうか。後者ではないことを願いつつも、単純に前者だけでは“差し入れ”をしていないはずだという事実がある。

 わたしは、だんだん自分の気持ちが誤魔化しきれなくなってきているのを自覚せざるを得なかった。

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宇賀皐月は適切な差し入れを考えたい 水涸 木犀 @yuno_05

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