真夜中の悪夢。(世界平和に向けて、その⑩)

月猫

真夜中の悪夢。

「くっ、来るな! それ以上、俺に近づくな!!」


 そう叫びながら、森の中を走りまわる老齢の男。

 男を追い詰めるように、木の影から続々と現れる人・人・人。

 憎しみのこもった眼で、男を追いかける。

 

 必死の形相で逃げ回っているのは、不知プチだ。かつて、ボクシングと柔道で鍛えた体は歳と共に衰え、思うように走ることができない。足がもつれ、木の根につまずきそうになる。


 ここで転んだら、俺は殺される!

 追いかけて来る人間の顔は知っていた。かつて不知の敵だった奴ら。暗殺したはずの奴らだった。


「来るな! 来るなぁ――――!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 不知は自分の叫び声で目が覚めた。

「くっそ! また、この夢か……」 

 上半身を起こし、右手で汗を拭う。


 不知は、真夜中に見る悪夢にすっかり不眠症になっていた。自分が殺した相手に追いかけられ、殺されそうになる夢。毎晩、毎晩同じ夢を見る。


 主治医は、不知に睡眠導入剤を処方していた。それは、月日と共に副作用のある強いものへと変わって行く。


(これ以上の強い薬は……)


 主治医は、薬の処方を躊躇った。しかし、大統領には逆らえない。欲するものを与えなければ、自分の命がない。


 こうして主治医は、不知に言われるままに薬を処方し続けた。


 一方不知は、薬を飲んでも悪夢を見続けることに腹が立っていた。薬が効かないなら飲まなければいいと思うのだが、飲んだ方が気持ちが落ち着くらしい。薬をやめることはなかった。

 

 薬の副作用か年齢的なものか判別がつきにくいが、指の震えや物忘れの兆候が出始めた。本来なら政治家を引退するべきだろう。主治医はそう思ったが、本人にも不知の家族にも側近にも言えなかった。


 しばらくすると、不知は幻聴と幻覚にも悩まされるようになっていた。常に誰かに見られている。命を狙われている。そんな気がしてならない。ほんの小さな物音にも敏感になっていた。


 やがて、自分の想い通りに事が運ばないと激高するようになった。側近たちは、常に大統領に気を遣い、媚びへつらう。自国では、不知に逆らう者がいなくなった。


 しかし、他国は違う。不知の言葉を聞かない。不知に逆らう。とうとう、不知は腹に溜まる怒りを抑え切れなくなった。


「逆らう国には、鉄槌を下す!」

 そう宣言して、軍事侵攻を決断したのだ。もはや、それを止める者はいない。


 不知は、多くの人間を殺し始めた。自分の手を、血で赤く染めることはしない。死にゆく者の叫び声を聞くこともない。ただ、宮殿の中で怒鳴り続ける。


「何をやっている! 早く、ぶっ潰せぇ!!」


 今では、真夜中の悪夢に現れる人間の数がどんどん増えている。見知らぬ人間たちが、不知を追いかけて来る。中には、幼い子どももいた。


 不知は、そんな悪夢を振り払うかのように、軍事侵攻を続けている。


 今すぐ戦争をやめ懺悔することでしか、この悪夢から解放されることはないというのに……



~~~~~~~~~~~~~~

 

 天界に、強い風が吹いている。

 地上で戦争が起きてからというもの、天界が晴れることはなかった。


 強風の中、ルシファーが冷たい瞳で地上の不知を見ている。

瑠使ルシ。あいつ、あれだけの悪夢を見ても壊れないな……」

 そう声をかけたのは、隣で地上を見ているミカエルだ。


「あぁ。普通の人間なら、とっくに狂い死にするんだが……」

 ルシファーは、くぐもった声で答えた。

 

「瑠使。あの悪夢を止めることはできないのか? あいつ、悪夢のせいでおかしくなっているんだろ?」


「——俺には止めることができない。あれは、人間の念だからな」


 一瞬、ルシファーが狡猾な笑みを浮かべた。

 ミカエルはその笑みを見逃さなかった。


「瑠使、お前大丈夫か? また、悪魔の血が濃くなってきているんじゃないのか?」


 ルシファーが、自分と同じ顔のミカエルを見つめる。

「お前は相変わらず美しいな。同じ顔なのに、俺のような牙もなければ、いやらしい角もない……」


「瑠使。お前、なにを言っているんだ?」

 ミカエルの瞳が、大きく左右に揺れる。動揺しているのだ。

「この頃、人間界につられるように天界がすさんでるだろ? 俺、思ったんだ。魔界に似ているこっちの方が気持ち良いなぁって……」


 そう言うと、ルシファーは黒い翼を羽ばたかせ天界を降りた。


「まさか……」

 かつての戦いを思い出すミカエル。

 ルシファーは昔、神になろうとして謀反を起こした。そして戦いに敗れ、魔界を統べる者となったのだ。


 永い永い年月を経て、ようやく魔界と天界を行き来できる中道の天使となったルシファー。


 ミカエルの胸に不安が広がる。

「そうか、瑠使は不知を見ていて、かつての自分を思い起こしたのか……」


 人間界に呼応するように、天界もまた大きく揺れ始めた。

 




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真夜中の悪夢。(世界平和に向けて、その⑩) 月猫 @tukitohositoneko

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