KAC202210真夜中の魔女
@WA3bon
第1話 真夜中
夜。何となく目が覚めてしまった。時計を見るまでもない。まだ真夜中だ。
軽く寝酒でも、と寝床から廊下へ出た瞬間。
「マスター……」
「うおっ!」
思わず飛び上がってしまった。
それもそうだろう。しんと静まり返った闇の中から突然呼びかけられたら、誰だって驚くに決まっている。
「あの、マスター?」
「あぁ、なんだノワールか……」
黒髪に切れ長の碧眼を持つ女の子。年の頃は十歳といったところか。フリフリのエプロンドレスを身につけた姿は可愛らしいの一言である。
明るい所で見るのであれば。
「お前、暗いと不気味だな……」
「私の身体作ったのマスターですけどね?」
ノワールは人間にしか見えないが俺が作った人形だ。
ここバンボラの街は腕に覚えのある人形師が集う人形の街である。俺もまたそんな職人の一人で、ネロ人形工房という店を構えている。
「それで? どうしたんだこんな夜中に」
人形にも睡眠は必要だ。夜中にセーフモードに移行し、動力源である魔力を回復するのである。
こうして活動しているということは何かあったということだ。
「そうでした。外の様子がおかしいんです」
酔っぱらいでも騒いでるのか? 窓から外を見る。が、特に変わった様子はない。
「そうではなくて。ドアから外へ出てください」
「ふむん?」
よく状況が飲み込めない。外に出たからなんだというのか?
ノワールに半ばせっつかれる形で、出入り口のドアノブに手を掛ける。
「なんも変わったことなんてない……なんだこれええ!」
辺り一面の雪景色。そして空には緑色の光の帯だ。幻想的だが得体が知れない。
先ほど窓から覗いたときには当然、こんな風景は影も形もなかった。
「私の言う通り、様子がおかしいじゃないですか」
薄い胸を張って勝ち誇るノワールは放っておいて、辺りを観察する。
気温は低く吐く息は白い。雪に触れてみる。冷たい。
「幻覚……ではないようだな」
かといって、本当に雪が降ったわけではない。
ドアをくぐり中から窓を通してみれば、そんなものは見えないのだ。いつもと変わらない町並みである。
「こいつは魔道事故、か」
魔力は空気中に漂うエネルギーだ。そこら中にありふれている。これが稀に、落ち葉のように一ヵ所に吹き溜まってしまうことがある。
そんな魔力が何かの拍子に怪現象を引き起こす。それが魔道事故だ。
「怪現象って、ただの雪じゃないですか」
「魔力ってのはそのままだと不安定だからな。放っておけば次に何が起こるか分からん」
「なるほど。遊んでる場合じゃありませんね。早く解決しないと!」
雪だるまを作って満足したのか、ノワールが仕切り始める。
まぁ確かに面倒なことになる前に何とかしないとな。
「ふんふん~」
鼻歌交じりにザクザクと雪をかき分けるノワール。その歩みに迷いはない。
「こっちでいいんだな?」
「はい。私の高性能魔力レーダーに狂いはないです!」
魔力は落ち葉と違って、風の影響などは受けない。より強い魔力に引かれて集まる性質を持つ。雪だるまのように。
大方、どこぞの未熟な工房が事故の原因だろう。
「ではその中心部を何とかすれば丸く収まるんですか?」
「そういうことだ。まったく、どこのバカがやらかしたのか……」
「おやおや。バカとは随分な言い草であるな?」
不意に耳に届く妖艶な声。
銀色の髪に病的に白い肌の女。それが目の前に立っているではないか。いつの間に現れたのか。まったくなんの気配もなかった。
「っ!」
泡をくって飛び退く。
「ほほう? 錬金術師……と、それはゴーレムか? 珍妙な連中であるな」
銀色の女はくつくつと小さく笑う。ヤバイ。具体的に何とは言えないが、直感が警告を発している。
「マスター! あの女からエゲツナイほどの魔力が! 事故の中心部はここです!」
こいつが魔道事故の原因だと。ノワールがそう告げる。
「あり得ない。事故は街全体に及んでる。それをたった一人の魔力でやっている? そんな話──」
あるとすれば、可能性はひとつだけだ。
「魔女……」
「ほう。物知りだな錬金術。如何にも。吾輩は魔女である」
人形師や魔術師などは、一括りに魔道の探求者と呼ばれることがある。魔力に魅せられその深奥を極めんとする求道者。あるいは愚者。
そんな魔道の一つの到達点。それが魔女だ。
「お伽話だと思ってたぜ……」
しかし目の前のこいつは本物だ。根拠はない。
しかし俺だって人形師なのだ。魔道に関わる者として本能的に理解してしまう。
「してなに用か? この……ええっと? そうだ。魔女シャルムの前に現れたということは、望みがあるのだろう?」
シャルムは銀の髪を弄りながら問う。
「特にない。ただ、この魔道事故を収めて欲しいだけだ」
話が通じる雰囲気ならば、最悪の事態にはなるまい。安堵のため息を漏らす。
……が。
「うっ!」
空気が凍る。物の例えではない。本当に凍りつくほどに冷たい。声が出ない。どころか身体が動かない。心臓まで凍りついたかのようだ。
「真夜中は魔女の時間である。それに否やを唱えるか?」
魔女の周辺が歪む。空間をねじ曲げるほどの魔力だ。
これが魔女か。話が通じるなんて認識が甘かった。
「えいや!」
冷気で動けない俺の背後から、ノワールが魔女に飛びかかる。
「ほう? この状況で動けるのかゴーレムよ」
ドガン! 物凄い衝突音。魔女を打ち抜いた。
──そう思われたが、虚空に現れた巨大な氷塊がノワールの拳を阻んでいる。
「むぅ。会心の高性能パンチだったのに」
一足飛びで俺の横に戻ってきたノワールがぷくっと頬を膨らませる。
俺は依然として低温で身動きが取れないというのに。頼もしい限りだ。
「ふむ。そうだな。決めたぞ錬金術師! 貴様の願い。聞いてやらんこともない!」
不意にシャルムが声をあげる。
あれだけ激昂したのに突然どうしたというのか?
「そこなゴーレムを吾輩に献上するのだ。さすれば、我が結界……魔道事故といったか? それを消してやろう」
やはり魔女と話し合いなど不可能だ。ノワールを寄越せだと? 聞けるわけがないだろ。
「いいでしょう。他に手段もありませんし」
だが当の本人は俺の意志などお構いなしに
、スタスタとシャルムの方へ歩み出す。
「ま……っ!」
凍りついた空気で声が出ない。身体も動かない。
ただ遠ざかるノワールの背を見送ることしか出来ない。
ふざけるな! 動けないだと? 見送るだと? それでいいわけがないだろ!
他に手段がない? 確かにそうだ。ノワールはいつだって合理的に行動する。
だがらといって魔女に捧げろ? そんなもんを見過ごせるか!
凍てつく空気を吸い込む。肺が、内臓が、身体が内側から悲鳴を上げる。だが怯まない。
「行くなノワール!」
全身全霊を振り絞ってもこの一言が限界だ。もう指一本動かさそうにない……。
「マスター?」
「どうしたゴーレム。早うせよ」
立ち止まったノワールに魔女が手を伸ばす。
ここまでか……もはや俺に出来ることは何もない。そんな諦めが脳裏をよぎる。
しかし。
「いや……やめて!」
シャルムを振り払うとノワールは悲鳴を上げた。いつもの感情を表に出さない声音ではない。まるで見た目相応の女の子のような、悲痛な声だ。
「ふむ。なるほど。あの錬金術師か。ならば……」
シャルムが白い手を掲げる。俺を完全に殺すつもりだ。だがもう抵抗する術がない。ただ目をつぶる。
「マスターはやらせない!」
絶叫。同時にノワールの胸が激しく発光する。
「なっ! 馬鹿な! これは……!」
シャルムの驚愕に震える声。視界を埋め尽くす白い光。それを最後に、俺はとうとう意識を失ってしまった。
「偉い目に遭ったもんだ……」
後日。俺は店のカウンターで誰にともなく呟く。
あの後、俺が目を覚ますと既に明け方であった。
いつもの街の風景。魔道事故は知らない間にか終息したようだ。
「仕事しないマスターに代わって店先掃除してきますね」
「ノワールも特に変わりはなし、か」
俺に覆い被さるようにノワールは倒れていた。
魔道事故の中でも見せた明らかな異変。しかし本人にはその覚えがないようだ。
夢でもみたのだろうか?
「なにせ魔女、だもんな。現実味がない」
「そんな物言いは心外であるな?」
「っ!」
いつからそこにいたのだろう。カウンターを挟んで女性が一人佇んでいるではないか。
銀色の髪に病的に白い肌。見間違えるはずがない。こいつはあの魔女だ。
「そう怯えるな。当面はなにもせぬよ。貴様らは退屈しのぎに丁度いい」
整った顔に蠱惑的な笑みを浮かべると、シャルムはこちらに背を向ける。いや。店先のノワールを見ているのだ。
「まさか、命を持たぬゴーレムがアレを……な?」
「アレ? な、なんのことだ?」
俺の問いには答えず、魔女の身体がすーっと透けていく。何らかの転移魔法なのだろう。
「努々吾輩を退屈させるでないぞ? いつでも見ているからな?」
それだけ言い置くと、シャルムは完全に姿を消した。
「……飛んでもないのに目を付けられたもんだな……」
深夜徘徊をしただけなのに。
しばらくは真夜中ってやつが怖くなりそうだ……。
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