第46話 時坂杏奈はセカイを救う

【登場人物】

時坂杏奈ときさかあんな……二十三歳。無職。勇者。

山本 星海やまもとそら……十七歳。高校二年生。魔王。



 山本星海は、杏奈の開けた扉型のゲートを覗き込んだ。

 目の前に、まさに落下しつつある状態で時が止まった山本星海の姿が見える。

 杏奈に手を引っ張られた星海は、ゲートを潜った瞬間、自分がビルの屋上の、倒れたさくの外にいることに気付いた。


 星海は身体を地球に残し、魂だけ異世界ヴァンダリーアに行っていた。

 それが、一瞬で、魂と身体とが融合ゆうごうしたのだ。


「うわぁ! 何とかしてくれぇ!」


 空中に浮きながら、星海が叫ぶ。

 時が止まっているからか、わずかながら表情筋ひょじょうきんは動かせるものの、身体の方は全く動かせない。

 杏奈はそれを見ながら、右手の人差し指を立て、時計回りに軽く一周させた。


 途端に、山本星海が逆再生でビルの屋上に戻り、床に足が着く。

 星海はホっとため息をついた。

 ところが、逆再生は、そこで止まらず、星海は器用にも後ろ走りを始めた。


 思わず悲鳴を上げる星海の背中側に、星海を追い詰めていた不良たちがいた。

 彼らも逆再生されて、後ろ走りしている。

 空を飛ぶ鳥も、地上を走る車も、全て逆再生されている。


「何? 何? 何が起こってるんだ、これ!」


 どうやら、周囲全てが時が止まった状態で逆再生されているのに対し、星海の精神だけ起こされ、杏奈と同じ時を刻んでいるらしい。


 星海は後ろ走りで裏路地を複雑に通り、やがてゲームセンターに入った。

 逆再生は、星海がゲームセンターで、不良たちに向かってスマホを構えた瞬間に止まった。

 杏奈がキョロキョロと辺りを見回すと、不良の中の一人が振り返って、星海を見ていた。


『ははぁ、コイツね。それ!』


 杏奈が左手の人差し指を、『あっち向いてホイ』のように、ひょいっと右に向けた。

 それに合わせて、星海を見ていた不良が、顔だけ右を向く。


「こんな馬鹿げたことって!」


 星海がスマホを構えたまま叫ぶ。


 次に杏奈は、再び星海に右手の人差し指を向け、今度は反時計回りにひょいっと動かした。

 それに合わせて、星海の動きがゆっくり正転を始める。


「おい、何してんだよ!」


 星海の意志を無視して、星海の身体が勝手にゲームセンターを出て行く。

 ゲームセンターを出たところで、本来左に曲がるはずが、星海の身体は右に曲がった。

 そのまま数十メートル進み、交差点に行き当たったところで、ようやく星海の動きが止まった。


 過去起こったことを改ざんされた。

 これで、半年前起こった星海の墜落死が、無かったことにされた。

 死なないで済んだ。

 だが、星海の胸の内は、安堵より呆れの方が多く場所を占めていた。


「とんだ、『機械仕掛けの神デウスエクスマキナ』だな」


 星海が苦笑する。


「あり……がとう、時坂……」


 星海は身体が動かせないまま、口と目だけで杏奈に礼を言った。

 杏奈は急に素直になった星海にクスっと笑う。


『今回、あんたはわたしと深い縁ができた。だから助けた。でも、本来こんなズルはしちゃいけないことだってことは分かるわよね?』

「あぁ。ことわりげたってことだよな。俺の為にすまない」

『助けるって言ったからね。神さまは有言実行なの。だから今回だけ特別。次は無いわ』

「分かった」

『オーケー。じゃそろそろ時を動かすわよ。それと同時にアンタの異世界での記憶が消える。ちゃんと親孝行しなさいよ』

「え? オレ、記憶消されるの? ちょっと待って!」


 パチン。


 杏奈は問答無用で右手の指を弾いた。



 山本星海は自宅近くの公園まで来て、ようやく足を止めた。

 ゲームセンターからずっと走り通しだった。

 ベンチに座って一息つこう。


 偶然にも、同じ学校に通う不良どものカツアゲ現場を見てしまった。

 途中からだが、しっかりスマホで撮影したので、証拠は充分だ。

 生徒会長として、不正を見逃すわけにはいかない。

 明日の朝イチで、このスマホを学校に提出しよう。

 そう思って、ここまで走ってきた。


 と、ベンチに座った瞬間、星海は、何か大事なことを忘れている気がした。

 一瞬だけメガネを掛けた女性の笑顔が脳裏をよぎった気もするが、それもあっという間に過ぎ去った。


「思い出せないってことは、大して重要では無いってことか? ま、いいや。帰ろう」


 星海は軽く頭を振ると、ベンチから立ち上がり、家路いえじを急いだ。



「ふが!」


 杏奈は、自宅アパートの畳の上で目覚めた。

 顔と床に、びっちゃり、よだれが付いてる。

 慌てて起き上がり、袖で口の周りをぬぐう。


 杏奈は、ショボショボする目をこすり、近くに落ちていたメガネを掛けた。

 記憶を手繰たぐる。


 仕事をクビになってムシャクシャしたので、帰宅途中の一杯飲み屋に立ち寄ったまでは覚えている。

 が、その先が思い出せない。


 綺麗さっぱり、まるで思い出せない。

 こんなんで、よく帰ってこれたものだ。


 杏奈は、しわくちゃになったスーツを脱ごうとして大声を上げた。


「何これ!」


 ペンキでもぶち撒けられたかのように、広範囲に渡ってスーツが真っ青に染まっていた。

 あまりのショックに、一瞬で眠気が吹っ飛ぶ。


「どうしよう。落ちるかなぁ」


 杏奈は慌てて、洗面所に駆け込んだ。


 こうして、杏奈の四ヶ月の長きに渡る冒険は幕を閉じた。

 当人も全く覚えていないまま、終わりを告げたのである。



 男は店の前に立った。

 大衆居酒屋としては、比較的ポピュラーな店だ。

 結構大きい。

 全国展開されている店だけあって、全体的にお休めな価格設定となっているし、飲、食、どちらも種類が豊富だ。


 男は予約看板を見た。

 いくつか名前が書いてあるが、その中に一つ、目当ての名前を見つけた。

 これで、男は、待ち合わせがこの店で間違ってないことを確認出来た。


 そこには『神』御一行様と書いてあった。

 店の人や、他のお客は『じん』と読んだか、あるいは、ただの冗談と見たか、あまり気にしていないようだ。

 男は入り口の引き戸を開け、店内に入った。


「いらっしゃいませー!」


 店内は大いに賑わっている。


「待ち合わせですかー?」


 店員が出てきたところを、ちょうどトイレから出てきた中年女性が気付いて手を振る。


『あぁ、来た来た。店員さん、大丈夫よ、わたしが連れて行くから』

桔梗ききょうのお客さまですね? ではお願いします。飲み物はどうなさいます?」

『あ、じゃ、とりあえず生で』


 キョロキョロ店内を見回しながら着ていたジャケットを脱いだ男が、店員に注文する。


「はい、生、承りました! すぐ持っていきます!」


 男は女性に連れられて奥に進む。


『お部屋、奥のお座敷ですわ。もうみんな始めちゃってますわよ』

『すまんすまん、明日の仕込みに思ったより時間が掛かっちゃって』

『おでん屋、やってらしたんでしたっけ。ここのおでんも絶品ですわよ? 何かの参考になるかも』

『そりゃ楽しみだ』


 座敷のふすまを開けた。


『ガリヤードさま、遅いですよ!』

『ガリヤードさま、こっちこっち!』

『もう始めちゃってますよ』

『飲み物、どうします?』


 みんなすでに出来上がっていて、顔が真っ赤な面々から、次々に声が掛かる。


『あ、入り口で頼んじゃったから大丈夫』


 頭の後退した中年男、大神ガリヤードは、上座かみざに案内された。

 正面に喫茶店のマスター風の格好をした兄、アークザインが座っている。

 顔を見るも、完全にシラフだ。


『兄さん、飲んでないの?』

『ウーロン茶を飲んでいるよ。酒はね、一時いっときとはいえ舌を殺すからイヤなんだ。珈琲豆の微妙な違いが分からなくなる。だからわたしは食べる専門。あぁ、でも、ちゃんと楽しんでいるよ。心配するな』

『こだわりが強いね。あ、生、こっち。ありがとう』


 ガリヤードが店員に声を掛け、ジョッキを受け取る。


『姉さんは無事寝たようだな』


 アークザインが枝豆を食べながら、ガリヤードに話し掛ける。


『あぁ。またしばらく、仮人格の方で生活されるよ』


 ガリヤードはジョッキを一気にあおった。


『ガリヤードさま、もう一杯頼んでおきましょうか? 食べものは? 何か食べたいものあります?』


 入り口近くの席に座った若い男性神がガリヤードに声を掛ける。


『あ、じゃ、生追加で。それと、串盛り合わせと、冷やしトマトとモロキュウお願いします』

『はーい、注文しときまーす』


『お疲れ様でーっす!』


 ビールジョッキを持った若い女性神がガリヤードの隣に座る。


『アースフィアさん! しばらくぶりです。お元気でしたか?』

『元気も元気。フォーマルハウトは今日も忙しいですわ。カンパーイ!』

『カンパーイ』

『あ、わたしも、わたしもー! カンパーイ!』


 そこに、ユーレリアがサワーが入ったコップを持って参加する。

 ユーレリアはアークザインの隣に座る。


『聞きましたよ! 一万年振りの光の三柱神さんちゅうしん揃い踏み。見たかったー! ユーレリアは見たんでしょ? ズルい、ズルい!』


 アースフィアが、たわわな胸をブルンブルン揺らす。

 若い女性神だけあって、破壊力がハンパない。


『いやぁ、眼福がんぷくでしたよー。三姉弟揃ってとんでもない美形ですから。もう、ヨダレものでした。なーんで戻っちゃうかなー。あのままでいればいいのにー』


 ユーレリアがアークザインの頭をペシペシ叩く。


『ユーレリアさん、酔ってますね?』


 アークザインが顔をしかめる。


『酔ってまーす! あははー』

『あんた、程々ほどほどにしなさいよ?』

『はーい!』


 アースフィアの方が若干なりとも先輩なのか、ユーレリアを軽く注意する。


『で、そろそろ真面目な話なんですけど』


 アースフィアが身を乗り出した。

 飲み会に参加している神々が、それぞれの会話を中断して集まってくる。

 彼らの顔に、一様いちように緊張が走る。


『ヤツらの動きが活発化してきました。封印のほころびも大きくなってきています。もって……あの五年ってところかと』

『そっか……。アースフィアさんのところが一番近いから、充分注意してね』


 ガリヤードがアースフィアを気遣きづかう。 


『一万年前の戦いで壊れた姉さん専用武器、聖剣エターナルは、十個の欠片かけらとなって、ヴァンダリーアとファンダリーア、二つの異世界に散りました。姉さんの神気しんきを帯びた欠片は、長い時間掛けて聖武器セントウェポンへと進化した。今回の冒険でヴァンダリーアの分は回収出来たけど、ファンダリーアの分も回収しないと、きたる最終戦争で姉さん、至高神アンナリーアは、手ぶらで戦うことになってしまいます』


 アークザインが集まってきた神々に、状況説明をする。


『ということはだ。二年後くらいを目処めどに、また仮人格さんには冒険して貰わないといけないということになりますね』

導き手サポートは誰がやります?』


 男性神が口をはさむ。


『それなんですよねぇ……』


 ガリヤードがため息をつく。


『……ユーレリアでいいんじゃないのか?』

『へ? またわたしですか?』


 アークザインの推挙すいきょに、ユーレリアが仰天ぎょうてんする。


『姉さんに、精進しょうじんしろって言われてたでしょ? いい機会じゃないですか』

『はうぅ……』



 などという会話が都内某所の飲み屋で行われているとはつゆ知らず、時坂杏奈は早々に、自宅アパートでグッスリ眠っていた。


 異世界ヴァンダリーアを救った勇者は、現在無職だ。

 冒険で得たはずの成功報酬は、自身の中で眠っていた至高の女神アンナリーアと接触をコンタクトすることで消えた。

 金だろうと彼氏だろうと、好きなだけ欲しい物を望めたはずが、何もかも、パァだ。


 明日から早速、ハローワークもうでが待っている。

 世の中、世知辛せちがらい。

 しかも、当人の知らぬ間に、新たな冒険が予約されてしまった。


 勇者・時坂杏奈の、世界を救う冒険は、まだまだ終わらない。



 To Be Continued ……

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勇者・時坂杏奈は世界を救う ~人生ドン底だったわたしが神さまにスカウトされて異世界を救う勇者になっちゃいました~ 雪月風花 @lunaregina

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