第45話 時坂杏奈と山本星海 その二

【登場人物】

時坂杏奈ときさかあんな……二十三歳。無職。勇者。

ジン=レイ……二十四歳。神務官じんむかん聖両剣ダブルセイバーの使い手。

クレイグ=クラウヴェル……三十歳。聖大剣バスターソードの使い手。

ジークフリート=クラウヴェル……二十五歳。聖騎士。聖騎士剣ナイトソードの使い手。

ソフィ=フォン=ユールレイン……十四歳。王女。聖杖ロッドの使い手。

ラウル=ノア=ザカリア……三十一歳。盗賊。聖双小剣ツインダガーの使い手。

ヴァングリード……古代竜エンシェントドラゴン

山本 星海やまもとそら……十七歳。高校二年生。魔王。



 魔神と化した魔王・山本星海の闘気が急激に膨らむ。

 杏奈の顔を暴風が叩きつける。


「ファイナルラウンドだ!」


 魔神が猛スピードで杏奈に接近し、パンチとキックのコンボを放ってくる。

 今までに無い猛撃だ。


 杏奈は目の前に六本の聖武器セントウェポンを集結させ、扇風機の羽のように高速回転させ魔神の攻撃を防いだ。


 魔神がコマのように急速横回転をしながら、シッポを杏奈の右側から叩きつけた。

 杏奈は聖武器による絶対防御壁イージスを自身の右側に展開しつつ、飛び退いた。

 懐から虹玉を取り出し、スリングショットを放つ。


 虹玉は空間を削り取る、文字通り、杏奈の隠し玉だ。

 ただ当てるだけの鉄球とは違い、危険度が格段に上がる。

 だが、魔神は杏奈の虹玉攻撃を、まるでプロボクサーのような華麗なバックステップで回避しつつ、火焔弾を放った。

 杏奈もそれを、走りながら避ける。


 杏奈と魔神は、大広間の中を縦横無尽に駆け回りながら、戦闘をしていた。

 聖武器の効果だろうか。

 杏奈の運動神経も、ここに来て、飛躍的に上がっているようだ。


「お前に世界は救えない! お前はここで、自分の無力さに打ちひしがられながら死ぬんだ!」


 コンボを繰り出しながら、魔神が叫んだ。


「いいえ、わたしは死なない! わたしは世界を救う! 人々を救う! そして、あんたも救う! 山本セカイやまもとせかい! あんたも、わたしが救うべき世界の一部だ!!」


 絶対防御壁で魔神の攻撃をことごとく避けながら、杏奈も叫んだ。


「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」


 魔神の絶叫が広間に響き渡った。

 魔神は両手を上げると、思いっきり床に叩きつけた。

 床に大穴が開く。

 杏奈は転がって退避し、スリングショットを構えた。


 だが、魔神は杏奈を追わなかった。

 癇癪かんしゃくを起こしたように、その場で何度も、両手で床を殴り続けている。


 と、杏奈は顔に当たる水滴に気付いた。

 山本星海が泣いている?


「オレだって、まだ死にたくない! 母さんを、再婚は亡くなった父さんへの裏切りだとののしった! 必死にオレとの友好関係を築こうとしている新しい父さんに、お前なんか父親じゃないと吐き捨てた! 戸惑ってるだけなんだと、どう距離を縮めればいいか分からないだけなんだと二人に謝りたい! でも……それももうできない。オレはもう、二人に会うことさえ出来ないんだ……」


 魔神の姿をした星海が、泣きながらゆっくりとその場にくずれ落ちる。


 そうして見ると、魔神ボディに覆われ、一回り大きくなってはいるものの、中身は年相応の繊細せんさいな少年に過ぎないと分かる。


 杏奈は星海にそっと近寄った。


「何か方法は無いか、考えよう? わたしが絶対、何か見つけるから」

「時坂……」


 涙で目を腫らした星海が杏奈を見上げる。

 その時だ。


 星海の身体を覆う魔神ボディの表面が、異様な動きを始めた。

 ボコボコ不規則に波打っている。

 何の統一性も無いデタラメな動き。

 そう、それはまるで、巨大アメーバにでも捕食されているかのような……。


「うわ、何だこれ! うわあぁぁぁぁぁぁぁあ!!」


 星海が絶叫する。

 唯一外に出ていた星海の顔も、漆黒のアメーバに飲まれる。


 杏奈は迷わず、魔神の身体に飛びついた。

 中から星海を引っ張り出そうと手を突っ込むも、抵抗するアメーバに、弾き飛ばされる。

 床に転がった杏奈は立ち上がり、魔神の様子を観察した。


 ガァァァァァァァァァァァア!!


 魔神が耳をつん裂くような咆哮ほうこうを上げる。


 杏奈は愕然とした。

 魔神の顔が、ただただ真っ黒な、のっぺらぼうと化していた。

 顔にあるのは、ヨダレを垂らす、巨大な口だけ。

 そこには、目も耳も鼻も無い。


 魔神は、腕を力任せに床に叩きつけていた。

 完全に正気を失っている。


「ちょっと、ガリヤードさま! そこにいるんでしょ?」

『いるよ?』


 杏奈の耳元で声がする。

 振り返るとそこに、禿げ上がった頭に鉢巻きをし、黒のTシャツを着た中年男が立っていた。

 おでん屋の格好をした、大神ガリヤードだ。


「あれ、どうなってるの?」


 杏奈は徘徊はいかいを始めた魔神を指差した。


『そうさね。魔神アークザインの魔素におかされて、新たな魔神と化しつつあるって感じかな。人間がお気軽に魔神の心臓なんか使うからそうなる』

「どうすれば戻せる?」

『無理だね、あそこまでいくと。侵食が進み過ぎて完全に融合しとるもん。新たな魔神の誕生は、ほぼ確定だな』


 ガリヤードが、やれやれと肩をすくめる。

 杏奈は少し考えて、言った。


「……食べレビュって知ってる?」

『オジさんだと思ってバカにするんじゃないよ。食関係のレビューを載せられるネットの投稿サイトだろ? それぐらい知ってますよ』

「Gが出たって書くよ」

『はぁ??』


 ガリヤードの声が裏返る。


不味まずいし、汚いし、おでん作るのに、トイレの水を使ってるって書いちゃお」

『ちょちょちょちょ、何言ってんの! 営業妨害やめてよ!!』


 杏奈はガリヤードをギロっとにらんだ。


「書かれたくなかったら、教えなさい。魔神と化した山本星海の治し方と、彼が地球に戻っても死なない方法を! あるんでしょ? 本当は」

『なんて卑怯なマネを……』


 ガリヤードが歯噛みする。

 ガリヤードは何度か躊躇ためらい、ようやく口を開いた。


『……至高神なら、そのどちらもやってのけるだろう。彼女の力はデタラメだから』

「至高神? 彼女? ガリヤードさま以上の能力を持つ女神がいるってこと?」


 ガリヤードがうなずく。


『だが、至高神は今、眠っている。一万年前、とある戦いで深刻なダメージを負ってしまった彼女は、将来再び起こる戦いに備えて転生を繰り返し、眠りにいている』

「眠りに? 寝てるんなら起こせばいいじゃない。どこにいるのよ」

『起こすの? 今? うーん。彼女、寝起きがメチャメチャ悪いんだよ。わしなんか、何回殴られたことか。まぁ、普段から、とんでもない気分屋で、凶暴なんだけどね』

「いいわよ、わたしが起こすから。その至高神とやらのところに連れてってよ」

『……しゃーないなぁ。ほな、行っといで!』


 ガリヤードが胸を小突こづくと、杏奈はフっと消えた。


『……なんてね。そろそろ彼女には起きてもらわんと困るのよ。その為にキミを冒険させてきたんだからさ』


 ガリヤードは杏奈の消えた空間を眺めながら、そっと呟いた。



 杏奈は、自分が見慣れた六畳間に立っていることに気付いた。


 キッチン、洗濯機、本棚、テレビ、机、ベッド……。

 全部見知った家具だ。


 なんでわたし、自分の部屋にいるんだ?

 キョロキョロ室内を見回した杏奈の視点がやがて止まる。

 ベッドがちょうど一人分の厚さだけ膨らみ、微かに上下している。

 自分のベッドで誰かが寝ている。


 近寄ってみる。

 女性だ。

 目をつぶっているのに、とんでもないレベルの美人だと分かる。

 枕元に流れる銀色の長髪が、まばゆい光を放っている。


「ね、ちょっとあんた、わたしのベッドで何やってんのよ」


 杏奈は、そっと女性の肩を揺すった。

 その瞬間、杏奈の中に、怒涛どとうのように、記憶が流れ込んできた。


 外宇宙からの大量の侵略者に対し、神々を率い、勇ましく戦う女神。

 女神が光を放つ剣を振るうと、敵が一瞬で蒸発する。

 その姿は一枚絵のように美しく、勇敢で……。


 わたしだ。これはわたしだ!


 その名は、女神アンナリーア。

 至高の女神。

 神々の頂点に立つ存在。

 この戦闘で傷ついたわたしは、身体をいやす為、人の身となり、転生を繰り返し……。


「起きろ、わたし! 至高の女神、アンナリーア!!!!」


 杏奈は叫んで、ベッドで寝ている女神を、思いっきり蹴っ飛ばした。



『ガリヤードォォォ!!』


 銀髪の女神と化した杏奈は、魔王城に現れるなり、いきなり大神ガリヤードに平手打ちを食らわした。

 杏奈の頭から湯気が出ている。


『痛ぇ! 痛いよ、姉ちゃん!!』


 一撃で吹っ飛んだガリヤードが、抗議の声を上げる。

 杏奈は、床に投げ出された中年男の前に仁王立ちした。

 怒っている。

 激怒している。


『勝手にわたしを起こすなって言ったよね? その時が来るまで絶対起こすなって言ったよね? つーかさっき、わたしのこと、気分屋で凶暴とか言ってなかった? あぁん?』

『は、はは……はは。で、でもそろそろヤツら来るし、直前に起こすよりは、少しづつ起こしたほうがいいかなって思って……』

『誰が口ごたえしていいと言った!』


 ガリヤードは、ひっ、と声を上げ、その場に正座する。


 銀髪の美人を前に、頭の後退した中年男が、ケチョンケチョンにやられている。

 その様子に気付いた魔神が高速で近寄ってきて、杏奈におそかった。


『邪魔!!』


 杏奈は、いつの間に出したのか、というか、どこから出したのか、右手に持っていたハリセンで、魔神をカウンター気味に引っぱたいた。


 その場に漆黒のオーブデビルハートを残し、山本星海だけ五メートルほど吹っ飛んだ。

 至高神としての力を取り戻した杏奈は、ガリヤードが不可能だと言った、魔神ボディと星海との分離を、ハリセン一本でやってのけたのだ。


「何が起こって……」


 魔神の身体を引っがされた山本星海が、床に尻もちをついたまま、目をパチクリさせる。


『アークザイン!』

『ここに!』


 杏奈の目の前に、ダンディなマスター、魔神アークザインが現れる。

 直立不動だ。

 杏奈がアークザインに向かって、星海から分離した漆黒のオーブを放る。


すき、ありすぎ。そんな大事なもの、ひょいひょい取られてんじゃないわよ』

面目次第めんもくしだいもございません』


 漆黒のオーブを受け取ったアークザインが深々と頭を下げる。


『ガリヤード!』

『は、はい!』


 杏奈が呼ぶと、ガリヤードが慌ててアークザインの隣に立った。


『あんたら、二人揃ってヒゲなんか生やして! 大人ぶってんじゃない!!』

『いや、姉さん、このヒゲの絶妙な長さが……』


 アークザインが抗弁こうべんするも、まるで無視して、杏奈は二人をハリセンでぶっ叩いた。

 ポンっと音を立てて、二人が少年の姿に変わる。

 ガリヤードが小学校高学年、アークザインが中学生といった感じだ。

 二人とも、普段のオジサン姿からは全く想像できない、実に端正たんせいな顔立ちをしている。


『ひどいや姉さん、頑張って伸ばしたのに!』


 アークザインがわめく。


『あんたら二人の役割は何? 言ってごらん!』


 少年姿になったガリヤードとアークザインが顔を見合わせる。


『姉ちゃんが寝てる間、代理として天界をべること』


 少年ガリヤードがベソをかきつつ答える。

 杏奈は視線をアークザインに移す。


『兄として、姉さんが復活するまで、ガリヤードを補佐してやること』


 少年アークザインが口をとがらせて答える。


『二人とも分かってんじゃん。なのにこのていたらくは何? そんなんじゃ、お姉ちゃん、おちおち寝てもいられないわよ』


 少年二人がブスっとした顔をする。


『が、まぁ……』


 杏奈は苦笑する。


『ここまでは、そこまで大きなトラブルは起きていないようだから、及第点きゅうだいてんをあげてもいいかしらね』


 少年二人が安堵あんどの表情を浮かべる。


『ユーレリア!』

『はい!』


 杏奈の目の前に女神ユーレリアが現れる。

 こちらも、直立不動だ。


『勇者の誘導がイマイチ。もう少し、スマートに行いなさい。今回の検定はギリギリ合格にしとくけど、もう五百年、このエリアで精進しょうじんなさい』

『は、はいー』

 

 ユーレリアが涙目なみだめ平身低頭へいしんていとうする。


『アークザインも試験官としては失格よ。何年試験官やってんの。ユーレリアが動きやすいようにさりげなくサポートしてあげなきゃダメでしょ』

『はーい』


『よし、あとは……』


 杏奈は瞬間移動し、勇者パーティの面々の前に立った。

 ソフィが近寄る。


「勇者さま……ですの?」


 杏奈は頷き、そっとソフィを抱きしめる。

 やがてソフィから離れた杏奈は、パーティメンバーを見た。


『みんなのお陰で旅がとても楽しかったわ。本当にありがとう。……いつかまた会いましょう』


 皆が何かを言おうと口を開いた瞬間、杏奈は右手の指をパチンと鳴らした。

 途端に、勇者パーティ、五人と一匹の目が急にうつろになる。


『ごめんね、みんな……。ユーレリア、彼らのこと、頼んだわよ』

『はい、アンナリーアさま!』


 ユーレリアが元気良く返事する。

 杏奈は床にしゃがみ込んだまま目を白黒させている星海の前に瞬間移動した。


「時坂……なのか?」

『そうよ、アンタの大嫌いなね。さ、帰るわよ』


 杏奈がウィンクを一つして、星海に手を差し伸べた。

 星海がその手を握って立ち上がる。


 杏奈は星海を立たせると、無造作に右手を前に出した。

 何かを握る仕草しぐさをし、時計回りにひねる。

 そのまま何かをくぐるような仕草をしたかと思うと、杏奈の姿が不意に消えた。


 星海は絶句した。


 目の前に扉が出現している。

 だが、魔法の手順があまりにもデタラメだ。


 通常、扉型のゲートを通るときは、まず完全に扉を出現させる。

 その上で、ノブを回し、開いた扉を通る。


 ところが今回ドアノブは、杏奈が完全に回す仕草を終えてから出現した。

 扉だって、杏奈が潜った後に出現した。

 全てが後追いなのだ。

 まるで、世界の方が、杏奈の動きに辻褄つじつまを合わせたかのようだ。


『ほら、行くよ?』


 開いた扉の向こう側から杏奈が手招きする。

 星海は恐る恐る開いたドアの中をのぞき込んだ。

 そこは、半年前、星海が事故で転落したビルの屋上だった。

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