スーザンと猫

蕃茉莉

スーザンと猫

 むかしむかし、どの村にも魔法使いがいたころ。

 村の北にあるおおきな森の奥には、スーザンという魔女が暮らしていました。


 村の中にも別の魔法使いがいて、娘たちの恋の悩みを聴いたり、その年の作物の出来を占ったり、出産を手伝ったりしていました。でも、その魔法使いは薬草作りだけは苦手でした。

「ああ、だめだめ。薬だったら、スーザンのところでもらってちょうだい」

 と、その魔法使いはいつも村人に言います。それで村人たちはみんな、薬草が欲しいときには、黒い森の中の小径をたどって、スーザンのところに行くのでした。


 村人たちは、スーザンがちょっと苦手でした。なぜなら、いつだって、とっても偏屈へんくつで気むずかしい様子をしていたからです。

 ほとんどの魔女は、黒猫やネズミやフクロウなどの使い魔と暮らしています。でもスーザンは、たったひとりで暮らしていました。スーザンの家は、おおきな木のうろに、でこぼことキッチンや納戸を建て増した、なんともへんてこりんな形をしています。ドアがやけに大きくて重たくて、それも、まるで来る人を嫌っているかのように見えました。


 村人たちは、おなかが痛くなったり、子供のせきが止まらなくなったりすると、おそるおそる、小麦やバターやじゃがいもを持って、スーザンに薬をわけてもらいに行きます。

 スーザンは、むっつりと村人の話を聞いて、棚のガラスびんを黙って見上げ、症状にあった草やキノコを混ぜ合わせてお茶にします。そして、そのお茶をちいさな布のふくろに入れて渡します。村人はそれを受け取ると、さっさとお礼の品をテーブルに置いて、逃げるように帰ります。不機嫌な顔をしている人とは、だれでもあんまり長く一緒にはいたくないですものね。

 でも、スーザンの作る薬はほんとうによくくのです。なので、みんな具合が悪くなると、仕方なくスーザンの家を訪ねて、重たいドアをおそるおそる叩くのでした。


 スーザンは、でも実は、決して不機嫌なわけではないのです。生まれつき、人と話すのがすごく苦手で、人の前だと話をすることができなくなってしまうのです。それで、緊張のあまり、ついつい眉根まゆねにしわを寄せて、口をぎゅっと結んで、難しい顔になってしまうのでした。

 村人たちが、自分を怖がっていることを、スーザンは知っていました。でも、スーザンはそのほうがいい、と思っていました。嫌いな人のところには、どうしてもの用事があるときしかひとは来ません。スーザンは、なるべく人と会いたくないので、それはもっけの幸いなのです。

 ひとの悩みや、生き死にに関わることは、村に暮らす魔法使いがやってくれます。だからスーザンはひとり森の中で、草の世話をし、薬草を作って暮らすことができます。そのことに、スーザンは満足していました。


 スーザンは、毎朝夜明けとともにベッドから起きだし、重たいドアを開けると、朝もやを手のひらに集めて顔を洗います。それから、家の裏手にある窪地くぼちに行って、ハーブたちの育ち具合を確かめます。

 ぐるりと窪地くぼちをひとめぐりして家に帰ると、種無しパンとミントのお茶を食べます。そのあとは、お天気や季節によって、家を整えたり、キノコを採りにいったり、さまざまな仕事をこなします。

 夕暮れになると、集めておいたお日さまの光をぽう、とランプに移し、村人たちが薬草と引きえに持ってくる食べ物で夕食をります。それから、ふくろうが寝る時間を知らせてくれるまで、月の満ち欠けに合わせて薬草を調合する。

 それが、スーザンの一日でした。


 昼がだいぶ夜より長くなったある日。スーザンがいつものように朝もやを手のひらに集めていると、足元から、みゃあう、とちいさな声が聞こえました。スーザンが足元を見ると、スーザンの手のひらほどの子猫が、スーザンを見上げていました。

「あんた、親はどこだい」

 かすれた小さな声で、スーザンは猫に尋ねましたが、子猫は、みゃあう、と鳴くばかりです。使い古した雑巾ぞうきんのような灰色の毛が、朝露あさつゆに濡れてちいさな身体に張り付いています。

スーザンは腰をおろし、手のひらに集めた朝もやを子猫の前に差し出しました。子猫は、ざらざらした舌で、ぴちゃぴちゃと水を飲みました。

「迷ったのかい」

 子猫は、水を飲み終わると、ごろごろ、とのどを鳴らし、スーザンの節くれだった指に頭をこすりつけました。

「だめだよ」

 スーザンは怖い顔をして立ち上がりました。

「あたしたちには、黒猫しか役に立ちっこないんだから」

 言葉が通じたのかどうか。子猫は、まあるい目でスーザンを見上げ、しゅん、とまだ細いしっぽをおろしました。スーザンは立ち上がり、家に入ると、重たいドアを閉めました。

 その日、いつもの朝食をったスーザンは、かごを持って窪地くぼちに行きました。そこだけまあるく日のあたる窪地くぼちには、セージやタイムやミントなど、たくさんのハーブが生えています。タイムを収穫しようとスーザンが腰をおろすと、固まって生えているカモミールの中で、さっきの子猫がいかにも気持ちよさそうに眠っているのが見えました。

「あんた、そんなところで粗相そそうをしないでおくれよ」

 スーザンがまゆをしかめてみていると、子猫がぱちりと目を開けました。そうして、スーザンを見つけると、とことこ、とスーザンのところにやって来て、嬉しそうにスカートの中に潜り込みました。

「こら」

 スーザンがスカートの中に手を入れて、子猫をつかむと、子猫は、みゃあう、と鳴いてスーザンの指にしがみつきました。ぎゅっ、と指をつかまれたスーザンの胸が、ずきん、とうずきました。


 一緒に暮らした、あの子。


 スーザンが黒猫と暮らしていたのは、もうずいぶん前のことです。ちょうどこの子猫くらいの頃に出会い、十数年を一緒に暮らし、看取りました。看取りがあんまり悲しかったので、スーザンは、それきり使い魔と暮らすことをやめたのです。


 でも。


 黒猫と別れてからずっと、スーザンが思い出すのは看取りの時のことばかりでした。でも今、スーザンは、黒猫と最初に出会った時のことを思い出していました。


 あの子も、カモミールが大好きだった。


 スーザンは、子猫をひざの上に置きました。子猫はスカートのくぼみでぐるりと一回転すると、嬉しそうにふみふみしました。

「おなかがすいているだろう」

 おいで、と、スーザンは子猫を抱いて立ち上がり、窓辺に干していたクッションの上に子猫を置くと、冷やしてある山羊やぎの乳を取りに、小川に向かいました。


 それからしばらくして。

 子供が熱を出した村人が、薬をもらいにスーザンの家を訪れました。

 暗い森を奥に向かって歩き、分厚いドアをおそるおそる叩くと、スーザンが無言でドアを開けました。

「あの、子供が熱を出して。せきはしていないけど、ぐったりしていて」

 スーザンは、黙って薬草のびんが並ぶ棚に向かい、村人はおそるおそるそのあとをついて家の中に入って、

「あら」

 と声をあげました。

 灰色の子猫が、窓辺に置いたクッションの上で眠っているのを見つけたのです。

「かわいい」

 村人が近づいて、そっと撫でると、子猫は目を閉じたまま、ごろごろ、と心地よさそうに喉を鳴らしました。

「いい子ね」

 子供の病気とスーザンの不機嫌さを想像して、不安でいっぱいだった村人の心が、子猫の柔らかな手触りに、ふわりとゆるみます。

 スーザンが、いつもどおり黙って薬草をテーブルに置きました。ふしぎと、村人はスーザンを怖いと思いませんでした。


 それからずっと、スーザンは灰色の猫と暮らしています。スーザンの人嫌いは相変わらずで、村人への態度が変わることはありません。でも、村人たちは、猫が来てからなんとなく、スーザンの家のドアが軽くなったような心地がするのでした。

 村人がおびえなくなると、スーザンの人への恐怖もふしぎと和らぐようになり、スーザンは前ほどぶっきらぼうな様子を見せなくなりました。


 やっぱり人は苦手だけど。


 カモミールのお茶を飲みながら、スーザンは、ひざの上で眠っている猫を撫でます。


 でも、この子がいると前のように怖くない。


 スーザンのいかつい口元が、知らず知らずほころぶのを見て、窓の外でまあるい月が笑っています。

 ふくろうが、ほう、と鳴いて、もう寝る時間だよ、と告げました。

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スーザンと猫 蕃茉莉 @sottovoce-nikko

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