ESCAPE

@ewaobii

第1話 502号室 藤森


 青く暗い天井。風を入れるためにわずかに開けた雨戸の隙間から外の光が漏れ、壁の形に沿って細い自然光の線を何本も連ねていた。いくら夜でも部屋の中よりは明るい。藤森はその直線と部屋の暗さが馴染んで、やがては部屋の暗さが勝るその一点を冴えきった目で凝視していた。

 「AM3:48」

 デジタル時計の電子盤は無情にも自転に逆らうこともなく、正常に時を刻んでいる。首には寝ているときにかいた脂汗が滴っている。藤森は入居以来の不眠が続いていた。体は疲労を訴えているのにもかかわらず、毎夜四時が迫ると起きてしまう。予兆として決まって気味の悪い夢を見る。目が覚めた瞬間、そこはいつも通りの閑静な団地群の一室なのだということを嫌でも自覚するほかなかった。


 藤森は喉の渇きを潤すため、キッチンに向かい、コップに水道水を注いだ。リビングへ向かい、それを一気に飲み干す。胃に液体が溜まる感覚が伝わってくる。冷たい水のおかげで、先ほどの恐怖やら不愉快な気持ちは多少ほぐれ、呼吸も安定した。リビングの南側には大きな窓が備え付けられていた。ボロアパートの唯一と言っていいほどのメリットはこの窓だ。日当たりが良いということは例の権利が適用され、ここでも活きているということだ。窓を全開にする。ベランダに繋がっているため、そのままの勢いで飛び出す。涼しい風がここまで気持ちよく感じたのは初めてかもしれない。見晴らしは、悪い。突貫工事で組みあがった簡素なコンクリート壁の団地が何棟も乱立し、一面グレイ一色である。申し訳程度に団地の下に緑地を設けている。無彩色に保護色など、あまりに噛み合わせが悪い。外気をしばらく堪能したあと、景色に陶酔することなく部屋へきびすを返す。


 すぐに眠気は襲って来ないので、藤森は暇を潰すことにした。まだ未明だが、テレビを点ける。この時間帯は決まって国営のテレビか、プロパガンダ放送が主である。

 「おはようございます。四時になりました。この時間のニュースをお伝えします」

 アナウンサーははきはきと笑顔でこちらに挨拶を投げかける。ニュースはK市で殺人事件が起き、犯人が逃走していること。為替レートが昨日から今日にかけて数字が芳しくないこと。そして、以前国境間で紛争の終結が見えないということだった。我々のゲリラだって所詮寄せ集めで、じきに人員も物資も底を尽きる。国営テレビは依然として「市民軍は最前線に陣取り、相手の猛攻撃を凌いでいる模様」と伝えるだけで、不都合な側面は決して見せない。画面には旗を掲げ、笑顔を覗かせる髭面の兵士や、おそらくどこかの都市の戦利品を玩具のように扱う子どもたちの姿しか映さない。戦場の記録映像は1秒も流れない。


 「この時間のニュースを終わります。この後は、『我が国家』のお時間です」

 定期的に流すプロパガンダ放送だ。朝昼晩2回ずつ、合計で6回流される、我が国の政策や上層部の講話を二時間に渡って流す。視聴率は公式のサイトでは「100%」と謳っているが、少なくとも藤森は見ていない。そもそも、テレビを見る習慣が培われていないため、長時間のテレビには飽きてしまう。一応番組自体は何本かシリーズのようにしているが、毎回既視のプログラムしか流さない。団地の住民も飽きて、タバコを吸いに外へ出る者、放送が終わるまで寝てしまう者、直接部屋に忍び込んで確かめてはいないが、管理人や知り合いの証言ではかなりの数、いわば国家にとってみたら不良みたいな人々がこの群立したコミュニティにはゴロゴロいる。

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