雪色の猫

彩鳥るか

第1話

「サイテー!」

ケラケラ笑いながら、女子高校生らしき人間が隣の友達と談笑している。駅のホームという、れっきとした公共の場所で、なぜあんなにも騒がしくできるのだろう。


配慮に欠けた言動とチャラチャラした見た目。それからくだらない、語彙の乏しい会話。その全てから彼女たちの頭の出来が想像できる。


そんなことを考える僕は相当捻くれていて、周りから見たら性格が悪いとか、僻んでるとか思われるのかもしれない。


重苦しい雲が反射して、世界が灰色に見えた。電車を待つ人々の吐く息が、汚く濁っていて気持ち悪い。


人を視界に入れるのも嫌になって、一つため息をつくと自分の足元に目をやった。

ガムのあとでいっぱいになった地面も、元の色からはだいぶくすんだ点字ブロックも、やっぱり気分が重くなるような暗くて澱んだ色をしていた。


現実逃避から戻ってきた僕は、自分の現状に思いを馳せる。

人生山あり谷ありというけれど、今僕はその中でも一番深い谷の底、所謂「最低」にいる。




大人は僕たち子供によく「苦しかったら大人に相談しなさい」と言ったり、テレビでいじめのニュースを聞いては痛ましいような顔をして見せたりする。

学校の壁には「いじめ反対」みたいな薄っぺらい言葉が掲げてあったり、年に数回いじめアンケートがとられたりして。そんなことしても意味ないのに。


足元周り1メートル範囲内しかない視界の中に、雨に紛れた細かい雪が入ってきた。


大人は、自分達が思ってるより子供間での人間関係のことなんて全然わかってない。いじめっ子の狡猾さを理解してない。

「現に、ここに暴言を吐かれて腹部を殴られるのが日常となりつつある子供がいますよ、ってね」


「中学生2年生」なんて、大人からしてみたら、まだまだちっちゃくて未熟な半人前だ。

少なくとも僕の出会った大人の中で、僕を同じ立場の人間と認める人はいなかった。僕の話を真面目に聞く人はいなかった。


つまり何が言いたいかと言うと、分かったようなふりをして、子供を見下して、寄り添おうとしない大人は馬鹿ばっかだってこと。


いじめは終わらないし、誰も助けてはくれない。この最低の現状は、変わるわけないとわかっている。


あーあ。死にたい。



「おめえ今死にたいって?」



一瞬思考が停止する。


今、誰が喋った?

てか今僕口に出てないと思うんだけど。心の中覗かれたってこと?


「いや別に好きで覗いたわけじゃねえんだけどさ。聞こえてきちゃったもんで。気を悪くしたなら悪かったな」


どこから聞こえてくるのかもわからない。辺りを見渡しても、それらしい人影はなく……いや、「お前か」

線路の上にそっと佇む白猫に呼びかけた。


「おう、良くわかったなあ!絶対気づかれないと思ったぜ」

ケラケラと表情豊かに笑う猫。よくよく見るとその毛並みの綺麗さに驚かされる。汚れた景色の中に一点だけ光が差したようだ。


というか、

「猫って笑えたんだ」


「そりゃあ生き物だもの」


その理屈はちょっとおかしい気がするけど。まあそれはいい。それよりなんでこいつは話せるんだ?ていうかこいつは何がしたいんだ?


「一つめの質問については俺が俺だからとしか言いようがないね!そんでもって、二つめの質問だけど……ってそうだった!おめえさん、さっき「死にたい」なんてこと考えてただろ!」


ああまたこれか。


身に覚えのある話の流れに不快感を覚える。

命を大切にしろとか将来があるとか綺麗事を吐かれるのか。

将来なんて考えられないくらいに今苦しんでるというのに。

何も事情を知らない癖にズカズカと踏み込んでくる態度にムカついた。


「だからなんだってんだよ。勝手に人の心ん中覗き見して、勝手に文句言われる筋合いなんてないね」

憮然とした表情を崩さないまま僕は吐き捨てた。


「いや別に文句言いてえわけじゃねえよ。てかむしろ死んでくれ」


一瞬の沈黙。


予想外の反応に言葉に詰まってしまった。


「まあとりあえず、さっき何がしたいのかって聞いたよな?」

マイペースに話を進める猫。


いや別に聞いてないけど。勝手に心覗かれただけだけど。


「まあまあ、細かいことは気にすんな。んでな?俺はおめえの手を借りてえことが一つだけある」

随分ともったいぶった口調で、ニヤッと不敵な笑みを浮かべて猫が語り始める。


「俺は見ての通り線路の上にいる。そんでさっきドジったので足を怪我してる」


「バカじゃん」

思わずツッコミを入れてしまった。


「いやちげーし!!これには色々と事情が……まあいいや。とにかくだな、俺はここから動けねえってこった。んで、このままだと電車に引かれる」


やっぱバカじゃん。


「いや心の中で言っても同じだから!まあとにかく、おめえさん俺を助けろ」


「助けるって、具体的に何すりゃいいの?」


また猫がニヤッと笑みを浮かべる。


「そりゃもちろん、線路に飛び込んで引き上げればいいのさ」


そんなの普通の人がやることじゃない。電車が来るのは後1分後だし。最悪引かれて死ぬ。


「ああ、だから僕に頼んだのか」


「そゆこと。死んでもいいんだったら俺のために命かけてもいいだろ?後1分しかねえんだ。早くしろよ!」


まあ別に、死にたいんだからいっか。最期に善いことしときゃ、あの世で天国に行けるかもしれないし。あの世なんてあるかわかんないけど。


右側から微かに電車の音がする。

今飛び込んだら、どうなるかな。すぐブレーキかけてたとしても電車が止まる前に僕が引かれるだろうな。そんな考えが頭をよぎる。



そういえば、死んだらあの世に行くのかな?それとも死んだらそこで何にも無くなるのかも。そしたら僕が僕であると証明するものは無くなって、僕のことを覚えている人もちょっとずつ僕のことを忘れて、結局この世に僕の痕跡は何もなくなるのか。


嫌だな。


え、今なんて思った?

まさか死ぬのが嫌だと思ったのか?


いや、でも、僕はいじめられてて、


―― 1人だけ味方してくれる友達がいたな。


誰も助けてくれなくて、


――学年主任の先生だけは心配してくれてたな。


毎日生きるのが辛くて、


――家族と話してる時は楽しかったな。


死にたかった、はずなのに。


ああ、このまま死んだらみんな悲しんでくれるかな。なんでこんな時になって思い出すんだろう。辛かったけど、楽しいこともあったな。

親孝行できてないまま死ぬのか。唯一できた友達に何も言わずに死ぬのか。嫌だな。嫌だ。



あそっか。


答えは単純だ。


「僕は、死にたくない」


頬の上を熱い何かが伝って、コンクリートの地面を黒く染めていく。

呼吸が乱れて、しゃくりあげてしまうのが止まらない。ぐちゃぐちゃの顔で猫の方を見やった。

「ごめん。僕死にたくないんだ」


思ったより穏やかな顔をした猫が言った。

「そうか。別に恨まねえよ。もう死にたいなんて言うんじゃ――」

その先に続くであろう言葉は、車輪がレールの上に擦れる音でかき消された。


ガタンゴトンと電車特有の通過音がホーム全体に響き渡り、音の間隔が狭くなっていく。しばらくすると電車が止まった。


駅員さんのどこか気の抜けたようなアナウンスがどこか遠くの方で聞こえた。


いつの間にか雪が降っていた。既に地面が隠れるほどに降り積もっていたそれは、驚くほど真っ白で美しかった。



乗る予定だったその電車を見送って、線路を覗きこむと、そこには何も無かった。

雪で隠れているだけなのか、そもそも全部僕の妄想だったのか、それとも……。


しばらく経って、ようやく頭が正常に働くようになった。

自分の命欲しさに、目の前の命を見捨てるなんて。そんなにも僕は生に執着していたのか。

「はは」

思わずかわいた笑いが口から漏れた。


安心と少し後悔を胸に抱いて、冬の曇り空を見上げた。


雪はまだ降り続けている。

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雪色の猫 彩鳥るか @hibiscus1128

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