廻るネコ

無頼 チャイ

猫の手を借りた結果……、

「猫の手」を借りると成功するという都市伝説が流行った。

 誰がいつ言い出したかなど分からない。でも、それは確かに流行り、波紋となって色んな人の耳にこう残す。

『人生が変わった』と……。


 ■□■□■


「ねぇ先輩いつまで続けるんですか〜」


「猫を捕まえるまで」


「本当にいるんですか」


「いる! 例の都市伝説を体験した人達はここに集中して出会ってるわ!」


 猫みたいな長い睫毛を揺らしながら麦わら帽を押さえて住宅近くの溝や路地なんかのあちこちを調べていた。


 廻るネコ。オカルト的それは突然前を横切り、運良くネコの手に触れることで人生が一転して勝ち組になれるとか。

 噂の発信源は謎。酷似した文献は未発見。しかしSNSには廻るネコに関した情報が後を絶たなかった。

 廻るネコの力を借りて人生に成功しよう、という意味をこの都市伝説を信じる仲間同士で『猫の手を借りる』というスラングで通じ合ってるらしい。

 もっとも、猫なんて世界中どこにでもいる。廻るネコがどういった種類の猫なのか、顔の形から尻尾の長さまで不明。存在があやふやなのだ。

 だから、僕は先輩に『結局は都市伝説ですよ』と説得して追いかけるのを止めさせようとしたけど、『だからこそ廻るネコの検証する必要がある!』と、むしろやる気になるきっかけを与えてしまった。


「なんでここに集中してるって分かるんですか。廻るネコって手に触れるまで普通の猫かも分からないんでしょう」


「勘、ワタシの、勘! 分かる。これからここを通ってワタシとハイタッチする!」


「それ先輩の願望じゃ……」


「猫とハイタッチするだけで人生成功するんだよ。高校受験なんてもはや悩みじゃない!」


「もう帰って受験勉強したほうが良いですよ」


「意地悪だな君は〜。もっと夢持たないと」


「先輩は先に危機感を持ってください」


 そんなやり取りをしつつ数十分。先輩の宣言通り廻るネコが通る、なんてことはなかった。

 日は傾き、空が青を赤に塗り潰し始めた頃。底なし元気な先輩も「いないね……」と探す作業をぼちぼち放棄するようになった。


「今日は諦めて、また今度探しましょう」


「そうだね。見つけられるまで毎日探せば良いんだ!」


 元気を再装填した先輩は、猫の尻尾を思わせるポニーテールを揺らして「また明日!」といって夕日に向かって帰っていった。


 僕もそろそろ帰ろう。


 夕日を背にし、途中コンビニに寄って何か買おうと考える。

 明日に向けて虫除けスプレーでも買おうかな……、


「まてぇぇぇぇえ! こんのドロボウ猫ぉぉ!」


 突然の大声に首を縮こませながら振り向くと、パーマヘアのおばちゃんが鬼の面相で猫を追いかけていた。猫は焼けた青魚を咥えて走っている。

 国民的アニメの歌が思い浮かぶような光景に呆気を取られていると、猫が真っ直ぐこっちに走ってきた。

 驚いて固まってる僕に猫はチラとこちらを見やると、高く飛んだ。


 焼き魚の白い煙が弧を描く、そこに雨のようにして油が滴り落ちる、その油が顔に直撃して「うへ」と情けない声を上げながら払うようにして手を伸ばすと、


「にゃ?」

 

 プニプニした感触が人差し指に伝わった。


「へ? あ、うわぁーー!」


 もしかして手に触れた? と思った時、周りの建物が急成長をし始めた。高く高く、オレンジの空を灰色の建物がつま先立ちするようにして覆う。

 何が起きたんだ。声にしたい気持ちを後ろに引っ張られる力に妨げられる。

 空中ブランコのような足の浮遊感とYシャツを引っ張れることで発生した拘束感に冷静さをことごとく粉砕される。


「どうなってんの〜!」


 今度こそ叫んだ。そして、全身をもふっとした感触が包んだ。


「え?」


 にゃ〜お!


 雄叫びが頭の先から聞こえる。

 一体何だ。起き上がってみてみると、さっきの猫の頭があった。


「ねこ?」


にゃ。


 短い鳴き声と同時に鯨サイズの焼き魚が目に映る。どうやら咥えてらしい。


 ん? 待てよ。さっきの猫と魚が大きくなってるってことは……、


「小さくなったってこと!?」


 なぜ、なんで、

 しかし考える時間はやってこない。


 ドォロボォウ〜ねこぉーー!!!


 雷のような爆音に耳を塞いだ。そして状況を理解する。

 小さくなった僕が猫の背に乗ってるなら、後ろにいるのはさっきの……、

 考えなくたって分かるのに、思わず振り向いてしまう。


 いたのは、怒れる巨人の姿。


 「ヒィーーーー!!」


 たまらず猫の毛を掴む。猫も走り出した。

 真っ直ぐ、真っ直ぐ、真っ直ぐ。

 横断歩道を走り抜け、開いたマンホールの上を飛び越え、向かいから来る自転車をすり抜けるようにして躱す。

 学生の集団を横断し、サラリーマンの股下をくぐり、二人組みの女性の間を縫うようにして走り抜ける。

 溝を降りてトンネルを潜り、塀や屋根を飛び移り、金網の壁をよじ登る。

 猫の道は分からない。舗装された人間の道のように用意された道を通らないし、障害物があろうとも気にする素振りも見せずに掻い潜る。

 そして、振り落とされないようしっかり毛を握っていたから分かる。この猫は一度も止まろうとしない。

 減速することはあった、けど、足を止めようとはしない。もうおばちゃんだってとうに見えないのに、この猫は真っ直ぐ前を見て走り続ける。

 車が来ようとも人の集団が迫ろうとも、まるで通るべき道が見えてるように真っ直ぐ進む。

 もう進めない。しがみつきながら何度悲鳴を上げようとも、猫はひょいと通って見せる。

 ゆっさゆっさと上下に揺れる頭が、少しだけかっこよく見えた。

 この猫みたいに、自分の道を颯爽と進んでみたい。


 猫が屋根を飛び越えた時、真っ直ぐに赤い夕日が映った。

 様々な建物の屋根をオレンジに染め、空を覆い尽くす夕日。さっきまでは空さえ覆う建物の大きさに怯えていたのに、蓋のない空に心が震えた。

 そうか、

 こんなにも広いんだ、空って。


 にゃお。


「へ? あ、ああぁぁー!」


 いつの間にか猫は離れ、身を空中にさらしていた。



 □■□■□


「何やってるの?」


 声がした。

 目の前には睫毛が特徴的な先輩がいた。


「ここは?」


「コンビニの横の路地裏」


 先輩に起こしてもらいつつ路地裏から出ると、さっきのコンビニがあった。なぜここにいるのか聞くと、近いコンビニがここで、アイスでも買おうと立ち寄った際に路地裏で伸びてる僕を発見したそう。


「もしかして、一人で廻るネコ探してたの。そうなら誘ってよ〜勉強なんて全然面白くないんだも〜ん」


「……廻るネコに会いました」


「え……え!? どうだったの!? 都市伝説は本当だった!!」


 視線を落とし手を見た。


 何の変哲もない見慣れた手。そこに数本の毛があった。

 廻るネコ。名前の由来が何となく分かったような気がした。見慣れたはずの町も、違う視点で見るとまるで違う世界だった。


「それで! 猫の手は借りれたの!?」


 食い気味に先輩がそう聞いた。なので、僕はちょっと、振り回される気持ちを体験してもらおうと思って、廻るネコのスラングを使って答えた。


「猫の手を借りた結果……こんな感じになりました」


「何それ!? 焦らさないで教えてよ!」


 人生がこれから変わるのかは分からない。けど、廻るネコにお礼を言うため、今後も先輩と猫探しをするのは間違いない。

 冷たいスポーツ飲料を飲みながら、そんな日々も悪くないと思った。

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