マフィアの飼い猫は情報の鍵
御剣ひかる
なんでネアス?
仕事成功率九十パーセント超を誇る産業スパイのもとに、新たな依頼が届いた。
さて今度はどこに忍び込むのか、どんな重要な情報を盗み出すのか、それは物理的か、はたまたハイテクを駆使するのか。
男は極秘ルートで届いた仕事が記されたメッセージツールを開いた。
『M&Dトレードの社長が飼っている黒猫を捕獲すること』
……は?
一行目を読んだ男は目を疑い、思わず瞬きを繰り返した。
だが見間違いではなかった。
M&Dトレードといえば薬品をメインに貿易を行っている会社だ。社長はマフィアの幹部だとまことしやかに噂されている。
マフィアの男が飼っている猫を捕獲してどうするのか? まさか身代金を要求するのか?
スパイの男は首を傾げたが、彼の任務はとにかく猫を捕まえることだ。依頼の内容の詮索ではない。
男は改めてメッセージの全容を確認した。
どうやら社長は重要データを保管している金庫の開錠認証を猫の肉球で登録しているようなのだ。なので金庫を開けさせるために猫を捕獲してほしい、とのことだ。
思わず笑ってしまいそうになる。そんなことは可能なのか?
だが、実現できるならロックを破られる可能性が低そうでもある。
半信半疑、というより九割ほど懐疑的であったが、とにかく依頼だ。猫を捕まえて依頼主に届けるしかない。
男は気を取り直して添付されている写真を見た。
社長の飼い猫であろう黒猫だ。
黒猫だから、当然黒い。毛は短く、つややかな光沢があり。金色の目は大きく愛くるしい。だが体つきはしなやかで、もしも『彼』と追いかけっこをするならばスパイの男に勝ち目はなさそうだ。
品種はボンベイ。社交的な性格だという。
これは、エサを与えて捕獲するのがよいのか、とスパイは考えた。
問題は猫がいつもどこにいるのか、だ。
常に飼い主である社長のそばにいる、ということはないだろう。このたび彼が猫を飼っているという情報を得るまで、彼が猫とともにいるのを見たことがないし話を聞いたこともない。社長は何かと物騒な話題があがる男だ。そんな男が猫をめでているなどという姿が目撃されれば瞬く間に表、裏問わずに噂が広がるだろう。
まずは黒猫が日頃どこでどのように過ごしているのかを調査しなければならない。
依頼を受けて三日が経った。
社長の猫、ネアスは日中は気ままに社長宅の近所を散歩していることが多い。
不用心だなと思うが、厳重に見張っていてはこの猫は重要ですと言っているようなものなので普通に出歩いているのは当然か。
これならハウスキーパーが目を離した隙に連れて行くことは可能だろう。
さてその手段だが。
やはり単純だがエサでおびき寄せるのがいいだろう。
どんなネコも食いつきがいいというウワサのペーストを持って行くことにした。
社長宅の玄関が見える位置に車を停めて待機する。
ハウスキーパーの女性に抱かれて黒猫が出てきた。
「さぁネアス、散歩にいってらっしゃい」
庭に降ろされたターゲットの黒猫はしなやかな動きで庭の裏側に回っていった。
よし、今がチャンスだ。
男は車を降りてネアスが向かった方向に小走りする。
ネアスは庭の端っこで座って、のびをした。
「ネアス、おいで」
男はしゃがんでささやき、用意したウェットフードをちらつかせた。
ネアスは最初、男に警戒した様子で目を細めて背を丸めたが、男の手にあるエサを見ると途端に甘えた声で鳴き、寄ってきた。
スティック一本分を与え、二本目をちらつかせて引き寄せ、背中をなでる。
ネアスは催促するように男の膝に前足を乗せてきた。
猫が完全に無警戒になったのを感じ取り、抱き上げた。
ターゲットは、あっさりと男の腕の中におさまった。
よし、クライアントに引き渡して任務完了だ。
ほくそ笑む男の腕の中でネアスは幸せそうにエサをなめていた。
諜報活動の仲介組織にターゲット確保の連絡を入れると、そのまま貸金庫に猫を連れてきてほしいと追加の依頼が届いた。猫の肉球で開錠して中の資料を取り出すように指示された。
まぁここまでやったのだからと引き受けて、スパイは貸金庫に向かった。
本当に肉球で開錠できるのかと疑問に思わなくもないが、貸金庫に設置されたタッチパネルにネアスの右前足を乗せた。
画面にはエラーの文字が。
左か? と入れ替えてみたが、やはりエラー。
まずいと男は焦った。こういうシステムはたいてい三回目の失敗で操作無効になってしまう。
さてどうするべきか。
たっぷり一分近く思案して、男は仲介組織に連絡を取ることにした。
「お見事な手際と的確な判断力です」
後ろから声がして、男は飛びあがるほどに驚いた。
振り返ると、M&Dトレードの社長、その人が立っていた。高身長のすらりとした体にダークスーツをまとい、整えられた髪と切れ長の目がいかにも知的で危険な雰囲気を醸し出している。銀の細渕の眼鏡ですら彼のアイデンティティを盛り立てている。
「仕事の内容を詮索せず、比較的短時間で目的を達成する。評判通りですね」
「けど、猫の肉球でロック解除って疑問に思わなかったのかよ?」
社長の陰からすっと現れたのは彼の秘書にしてボディガードの精悍な青年。スーツを着ているがいかにも荒事は任せろといわんばかりの体つきだ。
「依頼主が言っているのですから疑問に思っても実行するしかないでしょう」
ねぇ? といわんばかりに社長がにやりとする。
スパイは何と答えていいのやらわからず半笑いだ。
「よーし、ネアス、こっちこい」
社長秘書がスパイの男に、いや、ネアスに手を伸ばすと黒猫はスパイの腕をすり抜けて青年の腕に飛び移った。
「って、こいつ社長のネコでもないし、ネアスって名前じゃないんだっけ? なんでネアス?」
いたずらっぽく笑う青年に、彼の上司は口の端を持ち上げる。
「名前を何度か続けて言ってみてください」
「え? ネアスネアスネアスネア……。あぁ、
青年は愉快そうに笑う。
つまりこれは、罠。
スパイは自分の立場を理解した。
「さて、本題です、優秀なスパイさん」
社長は、マフィアの幹部である裏の顔を見せて優雅に笑った。
こうして猫の手を借りたマフィアの男は優秀なスパイを(無理やり)手に入れた。
(了)
マフィアの飼い猫は情報の鍵 御剣ひかる @miturugihikaru
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