ヒトの手を借りた猫
古月
ヒトの手を借りた猫
俺は小説家である。
確かに書籍化はしていない。受賞歴もない。自費出版もしていない。だが、それもいずれは過去のことになる。傑作を書き上げ、ドラマ化映画化ゲーム化その他ありとあらゆるメディアミックスを通じて一世を風靡する。その未来を担保に語るなら、俺が小説家であると称したところでなんら問題はないのである。
まあそんなこんな言い続けてそろそろアルバイト掛け持ちで生活するのもつらい頃合いになってきた。先日の同窓会では結構な数の同級生が家庭持ちになって焦ったものだ。家庭があることがすなわち人生のステータスとは思っていないが、着実に人生の次ステージに進んでいると見せつけられたような気分だった。
だからここいらで一つ、ぱあっと華々しい成果をあげておきたい。おきたい、のだが。
「ぬぅうあぁぁぁ」
俺は頭を抱えていた。
腕試しのつもりで挑んだ「カクヨム・アニバーサリー・チャンピオンシップ 2022」、ほぼ三日おきに発表されるお題に沿った短編を投稿するイベントだが、俺はここ数日唸りっぱなしだった。お題に対してネタが思い浮かばないのである。
「なんだよ『猫の手を借りた結果』って、俺が猫の手を借りてぇよ……」
複数バイトをこなして体力は残っていないのに、さらに頭脳労働までしなければならないとは。いや、別にこの企画に絶対参加しなければならないわけではないのだが、締め切りに間に合わないならそれはそれで悔しいのである。将来の大文豪がこの程度の短編企画に
と、意気込んだはいいものの。ネタが思いつかないものはどうしようもない。
「なあニャン太ぁ、なんかいいアイディアねぇかなぁ? それか、お前が書いてくれねぇかなぁ」
膝に抱えていた茶毛の猫をキーボードの前に置いてみる。ニャン太は親戚の飼っていたメス猫がうっかりどこぞで種をもらって産んだ仔猫の一匹だった。避妊手術しとけよと思いつつも引き取ってくれと頼みこむ親戚の手前もらっておいたのだ。
それがまさか猫一匹飼うだけでも結構な出費になるとは思わなかった。餌代はもちろん、いろいろな予防接種を打たせなければいけないし、病気や怪我になったら治療費もバカ高い。何度せっかくの貯金が吹っ飛んだことか。
だからこんな時くらい猫の手を借りたっていいはずだ。
「それじゃあ俺は寝るんで、朝までに一本お願いしまーす!」
それはもちろん冗談で、実際は寝ながらネタを考えるつもりだったのだが、本当に疲労困憊していた俺はネタ練る間もなく眠りに落ちた。
迎えた翌日、俺は自身が病気になったのかと思った。
『俺さまは猫である』
点けっぱなしにしていたパソコンに、見覚えのないファイルができていた。短編だ、例のお題をネタにした短編だ。それも結構良い出来だ。
ただ俺はこれを書いた覚えがない。寝ている間にネタが思いついて書いたのを忘れているのか? あるいは夢遊病よろしく寝ながら書いたのか? いずれにせよ病気ではないか。
思うところはありつつも、締め切りが近かった俺はその短編を自分名義で投稿した。するとなんと、結構な評価をもらってしまった。これまで俺が書いてきた短編長編、そのどれよりも反応がいい。
――これは、もしかして。
俺はバイト先のコンビニで猫に大好評と噂の高級餌を買って帰った。それをニャン太の前に出しつつ、
「今度は長編の出だしを一つ、どうかな?」
そう言ってパソコンを点けっぱなしにして寝た。その翌日、求心力抜群な長編作品の冒頭が出来上がっていた。
俺はそれを投稿した。瞬く間に閲覧数が伸び、ランクインした。
俺は通販で上等な猫用ブラシを購入し、ニャン太の毛づくろいをした。パソコンを点けたまま寝ると、翌朝にはまた長編の続きが出来上がっている。
その長編作品は人気爆発、待ち望んでいた書籍化の打診が届くのに一年とかからなかった。
それからというもの、俺はニャン太のために家中を掃除し、キャットタワーを設置し、寝心地の良い布団とトイレ、日当たりのよい窓際スペースを用意し、節目の話を完成させた日には豪勢な猫飯を準備した。バイトは辞め、代わりに俺自身が台所で猫用の餌を作るようになり、俺は買い出しのついでに購入した総菜やカップ麺を食べるようになった。ゲームをプレイしたり映画を見るときには、創作の刺激になるようにと常にニャン太の視界を優先した。ゲームは死にまくった。
また、時には書きあがった原稿に猫用アイテムの名前が出てくることもあった。俺がそれをニャン太に使ってやると、次の原稿はさらに出来の良いものが上がってくるようになった。
いつしか『
著者インタビューや講演で話す機会もあった。もちろんニャン太を表に出すわけにはいかないので、そういう時は俺がそれらしい適当なことを語った。誰もがそれをありがたく拝聴するのが妙に面白くもあった。
俺は億単位の豪邸に住み、ニャン太の世話に明け暮れていた。
「ニャン太先生、今日の進捗はいかがで――」
そんなある日、昼食を書斎に運んだ俺が見たのは、ぐったりとした様子のニャン太だった。日向ぼっこではない、あきらかに弱った様子だ。
俺は慌てて動物病院にニャン太を運んだ。医師の診断は「寿命」だった。
「この子、もう二十歳でしょう? 猫の寿命は長くても十八年程度、長生きした方ですよ」
俺は獣医に懇願した。いやだ、ダメだ、なんとかこいつを生かしてほしいと懇願した。しかし獣医は「ペットロスはおつらいでしょう、わかりますよ」とよくわからない同情をされた。
結局、ニャン太は二十歳と八ヶ月という生涯を閉じた。
ニャン太が引き受けていた締め切り間近な企画長編小説、雑誌掲載中の連載小説、新聞掲載予定のコラムの原稿は未完成のまま残された。それだけではない、ニャン太のために建てたこの豪邸、まだローンも残っている。来年の所得税だってどれだけ請求されるかわかったものじゃない。
俺自身は小説の書き方なんかとうの昔に忘れてしまったのに。どれだけキーボードの前に座っても、ただの一文さえも出てこない。
猫の手を借りた結果が、これか。
(完)
ヒトの手を借りた猫 古月 @Kogetsu
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