世界初!“ボールキャット”

佐倉伸哉

本編

 日本のプロ野球球団“千葉グレートキャッツ”のオーナーは、ここ数年頭を悩ませている問題があった。チームの観客動員数が、伸び悩んでいるのである。

 元々、“人気のアトランティス・リーグ、実力のオーシャンズ・リーグ”と呼ばれ、人気選手が多く所属しているアトランティス・リーグに対して、キャッツの所属するオーシャンズ・リーグは人気の面では劣るが実力のある選手が揃っている……という感じだった。熱狂的なファンは各球団には居るが、ライトなファンは知名度のある選手が多く在籍するアトランティス・リーグの球団の方が多かった。

 加えて、グレートキャッツは一時期親会社の身売りが度々繰り返された歴史もあり、成績が低迷していた。中長期的なビジョンで選手を育成出来ず、チームカラーもコロコロと変わっていたので補強もチグハグ、文字通り暗黒期の時期が暫く続いたのだ。現在の親会社がチームを取得してからは身売りの心配もなく、しっかりとした軸を持って育成をしているので、選手達も不安なく伸び伸びと野球に集中出来るようになったが……なかなか成績に直結しなかった。今シーズンも5月の連休を過ぎた頃から最下位に沈み、以降は5位と6位をウロウロしている。

 選手達は一生懸命やっている。球団運営、例え低迷していてもファンの皆様が球場に来たいと思えるようにするのが我々の仕事だ。どうにか出来ないものか……。

 世良が毎朝の習慣としている新聞に目を通していると、一つの記事が目に留まった。

「――これだ!」

 一つのアイデアが、ふと浮かんだ。思い立ったが吉日、早速実行に移すことにした。


 過去、プロ野球において“ボールドッグ”という取り組みが行われた事がある。

 ファールボールがスタンドに入ったり、ボールに泥がついたりした場合に、主審は新しいボールをピッチャーに投じる。しかし、主審も持てて3球程度なので、タイミングを見て主審にボールを補充する必要がある。その仕事に従事する人を“ボールボーイ”と呼び、人ではなく犬が行うから“ボールドッグ”だ。

 ただ、“ボールドッグ”は毎試合行うものではなく、セレモニー的な意味合いが強い。人間みたいに素早く正確に行って戻ってくる事自体が難しく、イニングの合間、しかもグラウンド整備が行われている時など時間に余裕のある時に限られていた。それでも、動物がボールを運ぶという珍しい光景を見たい観客は多く、“ボールドッグ”が行われる試合の来場者数は通常時と比べて遥かに多かった……という。

 これを、“ボールドッグ”ではなく“ボールキャット”で行う! それがオーナーのアイデアだった。チーム名にも入っているネコが、ボールを運ぶ。こんな事は世界的にも初めての試みではないか。これで集客力アップも間違いなし! ……そう信じて疑わなかった。


 オーナーの鶴の一声で決まった“ボールキャット”。この突拍子もないアイデアに現場は困惑しながらも「まずはやってみるか」という空気になった。この辺り、親会社がコロコロ変わる体制でムチャぶりの耐性が付いており、「それくらいなら出来るかも」と受け入れる思考になっていた。

 実験的に、試合が行われない日の球場で、ネコが本当に指定した人間の元までボールを運ぶか試してみた。“ボールキャット”を務めるのは、オスのキジトラの“トラ”。球団職員の飼い猫である。

 最初はトラの首にボールを二つ入れたカゴを掛け、ホームベースの近くに居る飼い主の元まで行かせてみた。最初は違う方向に行ったりその場に留まろうとしたけれど、飼い主の元まで行った時にご褒美で大好物のネコ用ジャーキーをあげて刷り込ませていく内に、トラは真っすぐ飼い主の元まで行くようになった。

 次に、飼い主を審判員に替えて同じ事をさせてみた。最初は飼い主ではないので上手くはいかなかったが、何回か成功と引き換えに餌を与えると、トラも覚えてボールを運ぶようになった。

 何とか、形にはなった……。この結果をオーナーに報告すると、1ヶ月後にある三連休の中日なかびのデーゲームで“ボールキャット”を行う事を決めた。


 迎えた、“ボールキャット”お披露目当日。

 千葉市にあるスタジアムには、世界初の“ボールキャット”を一目見ようと大勢の観客でスタンドは埋め尽くされた。選手を見たい人より“ボールキャット”のトラを見たい人の方が多いのは、喜んでいいのか悲しんでいいのか……いずれにせよ、久しぶりに満員のスタジアムに選手達もテンションが上がる。相手チームの“みちのくシャークス”先発は球界屈指の好投手でエースの中田だが、グレートキャッツの打線陣が序盤から得点を重ね、5対0と試合を優位に進めていた。

 そして――5回裏のグレートキャッツの攻撃が終了し、グラウンド整備に入るタイミングで“トラ”が飼い主に抱えられる形でグラウンドに現れた。

 試合開始前にも本番を想定した上で、主審にボールを運ぶ一連の流れを確認した。これまで同様にトラが主審とは別の方に歩いて行ったりその場に留まったりはあったが、前回までと同じように餌による刷り込みで8割方は成功するようになった。本番でもきっと大丈夫……皆、そう思っていた。

『只今より、“ボールキャット”セレモニーを行います……』

 スタジアム内に、ウグイス嬢のアナウンスがコールされる。飼い主の手の中のトラは、スタンドいっぱいに詰めかけた観客や観客の拍手など、いつもと違う雰囲気にどこか落ち着かない様子。

 しかし、時間の関係もあるので、トラの首にボールの入ったカゴを掛け、飼い主が手を放す。

 すると――。

 飼い主の手を放れたトラは、主審の居るホームベースの方向ではなく、全然方向が違う一塁側スタンドの前を猛スピードで駆け抜けていく。カゴの中に入ったボールがグラウンドに転がり、カゴも放り出され、トラはライトスタンドのフェンス前に到達すると今度はセンター方向へ向かって走っていく。明らかにパニックになっているトラを、球団職員だけでなくグレートキャッツの選手も捕まえようと追いかけていく。もうセレモニーどころではないのだが、見ている観客からは大の大人がネコを追いかけていく姿を微笑ましく見ていた。

 その後、グラウンドを右に左に走り回ったトラは最終的に球団職員に保護され、飼い主と一緒に下がっていった。試合の方は、このアクシデントの影響からかグレートキャッツの投手陣が総崩れとなり、逆転負けを喫した。


 集客効果を狙った“ボールキャット”は失敗に終わり、2回目が行われる事はなかった。しかし、セレモニーは失敗に終わったが、思わぬ副産物を得られた。

 その日の夜の全国版のスポーツニュースでは“ボールキャット”のトラ君の話題に時間を割かれ、シーズンオフのプロ野球珍プレー好プレーを取り上げた番組でも“ボールキャット”が取り上げられた上で番組MVPを獲得するなど、グレートキャッツの知名度向上には一定程度の効果はあった。また、セレモニーの後に“ボールキャット”トラ君をモチーフにした球団グッズが販売されると、トラ君の可愛さも相まって大ヒットとなった。在籍選手より売れるというのは、果たして喜んでいいのか悲しむべきなのか……。


 猫の手を借りた結果、セレモニー自体はドタバタだけど収益的にはホクホクとなり、球団としては万々歳……なのか?

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世界初!“ボールキャット” 佐倉伸哉 @fourrami

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